《ISに憧れるフリーターとアメリカ国旗で首を絞めるアメリカ人の間のジップ》ステートメント

作品プラン

《ISに憧れるフリーターとアメリカ国旗で首を絞めるアメリカ人の間のジップ》ステートメント

「個人主義が進めば、私たちそれぞれは個人を形成する環境の内へ隔離されることとなる。そうした状況が深く根付いた社会においては、制度や趣味嗜好や空間などの環境をそれぞれの個人が似通った状況にある他者と共有するだけの、相互の関わりを継続させようとする強い意思や義務感のない、(ある意味でいえば)擬似的な集団だけがある。そうした擬似的集団の最も大きな単位は、ある程度の文化や空間を共有し、同じ法制度によって保護されあるいは義務を負い、現前する様々な問題を同時に意識する、わたしたち自由な個人の集合としての国家なのだろう。ここで、そのような性格を持つ集団の上に何か具体的な問題が生じ、また、所属する各々の個人がそれに害され、やがて対処することを意識し始めれば、一見すると奇妙なことだが、自由なはずの個人の集まりを支配する方向性が生じる。しかもその流れは、似通った趣味の個々人が幸福を追求するために結びつく小さな集団のそれよりも大きな規模になる。人は様々な幸福を見つけられるが、苦痛であるようなことは互いに似通っているからだ。

このような状況が現実に見られることでひとつ明確になるのは、個人を第一とする思想は、多くの場合、社会の末端である私たちが自発的に獲得したものではなく、歴史的な思想の変遷の末に受動的に与えられたものだということである。でなければ、私たちは全体が一つの方向に向かうに際し、強い違和感を持つだろう。

今や世界中で他国排斥の波が広がっている。現代のナショナリズムを、憎しみを共有する集団のものとして眺めることもできるだろう。しかしそれは、おそらく過去に私たちが抱いていたであろうユートピア的な暖かさを持たず、以前よりも強い程度で、他国の否定に根ざした冷徹な反応の集合なのだ。そうではなく、自国を愛するということは、例えるならば家族を愛するような仕方で無条件に為され、また、それが他国を愛することにも繋がるものでなければならないのではないか。」

…という問題意識から絵を描き始め、その後はある程度自由に製作した。

 

 

29_別府雅史_ISに憧れるフリーターと、アメリカ国旗で首を絞めるアメリカ人の間のジップ

文字数:855

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