作品プラン
《真実はどこにあるか》ステートメント
ある日久しぶりにファミレスに寄った。本を読もうと思った。隣には部活帰りと思われる2人の女子高生。黙々とスマホを見て、会話はない。 それも今では見慣れた風景だと思い特に気にも留めなかったが、数人のグループチャットをしていてそのうちの2人が今ここに集まっているようだ。突然同じタイミングで爆笑したり突っ込みを入れたり愚痴を言う。
会話の内容が読めないからか次第に気になってきた。
2人の間だけで成立する会話は殆どなかった。とても静かだったが合間に入る相槌からグループの会話を想像してしまい、隣のテーブルは一気に5.6人に増えとても騒がしくなった。私はその現実とスマホ内で成立する2人の会話を奇妙に思いながらも聞いてしまう自分が嫌になったので本を読むことなく出てしまった。
しかしそういう私もスマホが無いと何もできないくらいには依存している。殆どのアクションの前にまずスマホ。そこに真実があるから確かめないと不安なのだ。この間、駅のホームで“歩きスマホ”していたら後ろを歩く親子が「あんなお姉ちゃんが線路に落ちて電車にひかれるのよ、マネしちゃだめよ」と言っているのが聞こえた。
私自身問題だと思い、敬遠しているのにも関わらずなぜやめられないのか不思議だが周りもみんなそうなので危機感が湧いてこないことに危機感を感じる。使い続けることで、あらゆる事への思考回路も麻痺してしまっているようである。スマホの中のやり取りに悩む自分が馬鹿馬鹿しくなる。スマホ中毒について、延々とスマホで調べている。
この間、中国のある女性が米アップル社から購入し届いた「iPhone6s」の箱を開けてみたら中には石ころ2つが入っており、その女性が配送中の窃盗被害を訴えた、という記事を見かけた。悪質な事例だが私にはこの“石ころ”はスマホの真の姿だと思った。
今回その根拠を画面(スマホではない)の中で明確化していくことを試みる。
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