≪演劇しかないんじゃないか≫ステートメント

作品プラン

≪演劇しかないんじゃないか≫ステートメント

今回、描いた社会問題は待機児童問題、格差社会である。

 

1つ目の待機児童問題はこの春マスコミでも国会でも取り上げられた。私は2つのアルバイト(補習教室と学童保育施設)で子供たちと接しているのだが、2つのバイトを合わせて70人以上の子供達と会っている。私は目の前にいる子供たちのことでていっぱいいっぱいだ。

しかし私の前にいる子たちは親がお金を払うことができたり、定員に空きがあったから私の勤務先に入れた子供たちであり、まだまだ待機児童はいる。

今回の課題では舞台の上で演劇をしている子供たちを描いた。舞台袖でうっすら見えるのは自分の出番を待機している子供たちである。舞台に出たくても自分の出番まで我慢しなくてはいけないのは、待機児童問題で子供を抱える親子と重なる。演劇は舞台にいる人に注目がいくのは当然のことだ。しかし舞台袖の子を見ていない。出てくるまで認識されない。私たちはこうやって助けを必要としている家族を見逃しているのだろう。

 

二つ目のテーマ、格差社会については絵の中の演劇の題目で表現を試みた。舞台で発表している演目は落語『おかめ団子』の演劇版である。落語は江戸時代の庶民の生活について話される。話の中では繁盛している団子屋と売れない大根売りが出ており、庶民のなかでも差があることは格差があるとも言えなくもない。『おかめ団子』では格差を超えて男女が結ばれるが、今の日本ではそんなことは起こりえないことは過去にも論じられてきた。つまり「格差を超える」ということは演劇というフィクションでしか起こりえない状況になってしまったのである。

 

最後に、私は平田オリザさんの発言を紹介したい。『いろいろやってダメだったからもう演劇しかないのではないか』がこの絵を描く鍵となった。発言を引用しながらも平田オリザさんの本心とズレる部分もある。それは「子供たちは演劇なんてできるのかな。役という切り替え、場面という約束を守る。役割を任されても全うできないかも。」という「ほめる教育」による弊害への懸念だ。私の中でこの絵の中の景色はユートピアでもある。

 

 

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