人類再起動――Men are islands

梗 概

人類再起動――Men are islands

 

目を覚ますと海中だった。サガミは、カンブリア的生物に追われ溺れかける。水面に顔を出すと、見渡す限り海。やがて水中から浮上した白い小島が姿を現す。泳ぎ着くと直径が約二十mの六角形の筏。内部は快適な部屋で、六辺は透明なチューブ状の回廊。やがて周囲の海には無数の筏が浮上し、水平線まで埋め尽くされていった。

周囲を探索したサガミは、アリーチェと名のる女性のほか、他の人たちと出会う。個人が一つの筏(モジュール)を与えられたらしい。筏は移動でき、他の筏と接続できる。

太陽以外に空に浮かぶ三つの巨大な月。ここは地球ではない。

サガミは人々と経緯を確認する。

核ミサイルを保有した日本。一部急進派がアメリカに先制核攻撃をしたが報復された。地表が炎に焼き尽くされようとしたとき、一部の人間がここに「転送」された。確実なのは地球に戻る手段はなく、仮に戻れても住めないということだ。

混乱していた人々は社会秩序を再建し始める。

転送により生じた状況が徐々に明らかになる。

家族と人間関係はリセットされた。数十万人以上いるらしい転送者はランダムに選ばれ、家族や知り合いは見つからない。

国も国境もなくなり、政治的・宗教的権威が喪失した。

歴史も芸術もすべては人の記憶の中。服以外の財産は失われ、経済もリセットされた。

やがて事情を把握する人間「翻訳者」が少数存在することが分かる。転送をしたのはデミアージと呼ばれる存在だという。

必要な物資は、デミアージに毎朝「祈り」を捧げることで、デポと呼ばれる筏から得られる。だがデポに依存する代償として、毎日一人の人間が死なねばならない。

転送から七日目、翻訳者は、デミアージの意志を伝えた。

「これは転送された百万人の人類への執行猶予であり更生の機会である。モジュールはあと二週間、移動と結合ができる。その間に人類再生のための居住区画プランを決定せよ。できねばモジュールは動力を失い、永久に分断される」

これは国家を作り直すか、という問題だ。

転送者たちは会合し議論した。七十六%の人間は、従来の国に基づく区分けを主張し、分離派と呼ばれた。「旧地球の文化を保持するには国や言語で人が分かれるのは自然だ」アリーチェは分離派の有力者の一人だった。

一方、十六%は、国を廃止する考えに賛同し、 連合派 ( ユニオン ) と呼ばれた。「現在の事態を招いたのは国同士の争いではないか。白紙から人類をやり直し、すべての社会的な問題を解決する無二の好機だ」サガミは連合派に共感した。

二週間後、翻訳者は、各転送者にモジュールの移動を命じた。モジュールは立体構造を持つ五つの骨格樹に集結し、転送者たちの眼前に、連合派の都市アモーロットと、分離派の諸国からなる四都市が姿を現す。

サガミに、自分たちは実験動物なのでは、という疑問がわく。またはAI内の巨大シミュレーション? だとしても自分のできることをするまで。

「執行猶予というなら脱獄もありだな」

文字数:1210

内容に関するアピール

“No Man Is an Island”とはJohn Donneの言葉だが、やはり人は島なのかもしれない。そうであっても島と島はつながることができる。

ある瞬間に、国境、宗教、家族、経済、社会……さまざまな関係やしがらみから解放されたとき、人は絶望し、あるいは希望を持つ。

国がなくなれば「日本人」の意味も変わる。残るのは言語と文化の違いだ。だがそれを守るべきか捨てるべきか。多くの人類は国民ではない「人類」としてやり直す機会を与えられても、その道を選ぶまい。

本来は長編向きのテーマだろう。だが、個々の登場人物の背景と行動、そして国境に関する意見にフォーカスすることで短編としても成立する。さらに転送された急進派(核戦争の発端)の存在と彼らとの対立が事態をドラマティックにする。

世界と人類の終わりではなく、再始動を描いてみたい。同時に、過去の間違いから学ぶことができず、同じ過ちを繰り返す人類の ( カルマ ) についても書きたい。

文字数:417

人類再起動――Men are Islands

海虫

 サガミは水中で意識を取り戻した。

 口から吸い込んだ塩辛い水にむせ、たちまち肺が空になる。

 欠乏する酸素を脳が必死で求め、上下の感覚が混乱しかける。

 本能だけで、明るい光の差す水面を目指して水を掻き分ける。

 水面に顔を出し、空気を貪った。

 見渡すと前後左右、果てしない海。それにしては波は不思議に穏やかだ。

 意外と遠浅なのかもしれない。

 呼吸を整え、息を吸い込んで潜る。プールのように光に満ちた明るい水の中。透明度は高いが、深くなるにつれ徐々に暗くなる。底は見えず、やはりかなり深いようだ。

 左目の視界の端になにか動くものが見えた。魚か。

 目をこらすと、数十メートル先に他にも生物がいる。六……七……もっと多い。水中でははっきり分からないが、おそらく人間より大きい。

 いくつかゆっくり近づいてくる。上下にくねる泳ぎ方が魚と明らかに違う。節足動物のように節があり、十数本のひれを滑らかに動かして迫ってくる。

 こいつらは危険だ(・・・・・・・・)。鼓動が早くなる。

 サガミは泳ぎだしたが、四方を囲まれている。これでは、どちらに泳いでも同じだ。

 そのとき、右手下方の水中にぼんやり白い物体が見えた。巨大クラゲか? 白鯨? 

 海底からゆっくり浮上してくる六角形の輪郭は人工物のように見える。

 もしこれが完全に海面に浮上したら助かるかもしれない。

「海虫」はすぐそこまで迫っており、このままでは追いつかれる。サガミは、その白い物体のほうに全力で泳ぎだした。もしかしたら「海虫」よりもっと危険なものかもしれない。だが今はこれが唯一の希望だ。

 白い物体は海面に浮上し、小島が姿を現した。

 サガミは噴出するアドレナリンを感じ、手足を猛烈に動かした。「島」の壁にたどり着く。

 見上げたサガミは愕然とした。

 壁面が水中から高くそびえ立ち、よじ登れる場所がない。ざらざらとした表面は人工物のようだが手がかりがない。島というより巨大な救命艇のようにも見える。振り返ると海虫は海面に浮上している。気のせいか先ほどよりも数が多い。仲間を呼んでいるのだろうか。

 サガミは上れる場所を探して、島の周囲を左回りに泳ぎはじめた。さほど大きな島ではない。

 全身の力を使い果たしかけたとき、縁に手が掛かった。そこだけは低く、プールで使う浮き島のようになっている。

 振り返ると、海虫が三匹、口らしき黒く丸い穴を開いて、サガミの足を狙っている。サガミは島の縁を支えにして、海虫の頭を思いっきり蹴りつけた。

 異様な生物がひるんだ隙に、サガミは島――あるいは「筏」に這い上がった。

 水中でも見たように、筏は六角形の構造物だった。六角形を構成する六つの正三角形のうち、一つが欠けた形状となっており、そこがサガミがたどり着いた場所である。その「ポーチ」には、外周壁はないが床と天井はある。

 構造物の高さは、四メートルはあるだろう。ベージュの外壁は日干し煉瓦(アドービ)のようなざらついた風合いだ。

 壁の一面にドアがある。サガミがそっと押すと、ドアは開いた。

 内部は部屋となっている。

 サガミは一瞬混乱した。部屋の内部は明るく、モデル・ルームのような調度が一式揃っている。

 ソファー、机、タンス、ベッド、キッチン、ユニットバスもある。どれもビジネス用ホテルの調度やアメニティーをさらに質素にした、画一的な工業製品のようだが、手触りや品質は悪くない。装飾のようなものは一切なく、刑務所用に作られたといっても違和感がないほど素っ気ない。歯ブラシを手に取って眺める。製品の平均像を計算して作ったように、特徴というものがない。

 部屋はかなり広大な空間で、六角形の直径は約二十メートル。

 六辺の壁は透明なチューブ状の回廊だ。

 壁の端に取り付けられたレバーを下に引くと、壁全体がすっと透明になった。レバーで透明度を自由に調整できるらしい。

 壁には窓もついており、そちらにも個別のレバーがあって壁同様の調整ができる。

 住む物件を探しに来たような錯覚にとらわれ、ふと我に返る。気温がかなり高いせいか寒さは感じなかったが、ずぶぬれだった。タンスの引き出しを開けると清潔なパンツ、シャツ、ズボンなどがきちんと折りたたまれて入っている。来てみるとサイズはぴったりだ。拍子抜けするほどの日常感。

 サガミはユニットバスでシャワーを浴びて着替えた。水は海水だった。

 だが、先ほどまで溺れかけていたことを考えると、この状況はいたれりつくせりといっていい。

 そして恐ろしく腹が空いていることに気づいた。

 キッチンの周辺の棚にはプラスティック包装の食料がある。簡素なパッケージには「0000-05-62」と数字で印字されている。

 成形された白身の肉だが、縦長の繊維がカニのようにも見える。海虫のことを思い出し、不気味ではあったが、皿に出して一口食べてみる。淡泊な塩味でなかなか旨かった。食料には他にも缶詰や飲料の瓶などもある。数字の印字しかなく、中身の表示がはっきりしないのには困った。量を確認すると、節約すれば一か月はもちそうだ。

 部屋の中央の螺旋階段を上がると、天井にハッチがある。レバーを回して押し上げると屋上に出た。風が吹き付ける。

 あたりを見渡すと、周囲はやはりどこまでも水平線が続く。

 空を見上げる。

 太陽が眩しい。そして丸い雲が三つ浮かんでいる。

 しばらく見つめていて、雲ではないことに気づいた。

 それらは三つの巨大な月だった。

 ここは地球ではない。

 気分が落ち着いてきて、はじめて状況の実感がわいてきた。

 俺はこの世界に一人きりだ。周囲を見渡せば、そのことは疑いようもない。

 意味がないと分かっていたが、声の限り、息の続く限り叫ぶ。

「おーーーーーーーーーうい」

 声は広大な空間に吸い込まれていく。むろん答えはない。

 これは夢などではなく、いつまで経っても状況は変わらなかった。

 サガミは立ち尽くして考えていた。この島さえあれば俺はしばらく生きていけるだろう。当面の食料も水もある。だが人は、それだけで生きられるだろうか。

 日はゆっくり傾き、空は見たこともないほど鮮やかな紫に染まっていった。雲も空の一部を覆っているが不規則なモザイクのような未知の形状だ。吸い込む空気でさえ異質という感じがふいに押し寄せ、吐きかけた。

 海面の遙か先で赤い稲妻が閃いた。雷鳴は聞こえない。

 これは罰なのだろうか。

 ふと彼方の海面に浮いているものが見えた。

 夕日を受けて赤く染まったそれはゆっくり近づいている。

 それはもう一つの筏――それも、六角形が十数個連結された大型筏だった。

 残存人類

 接近する筏のポーチでは女性が右手を振り、左手には杖のようなものをつかんでいる。それで筏を操作しているのか?

 サガミは自分もポーチに降りた。一メートルほどの杖、というより旧式の転轍機のような大型のレバーがそこにもあった。傾けると筏はゆっくりとその方向に進むようだ。

 ポーチの辺どうしが近づくと、磁石のようにポーチの両辺が引き寄せられて、筏は結合した。

 女性が話しかけてくる。

 “Do you speak English?”

 サガミは言葉が通じることにひとまず安堵した。

「サガミ・アキラだ」

「ソフィアよ。会えて良かった」人懐っこい大きな目にくっきりとした眉。快活な笑顔に心が和む。二十代半ばだろうか。黒に近いロング・ヘアを無造作にポニーテールにしている。白いTシャツにジーンズ姿。

「他にも人がいるわ。こっちに上がって」

 結合筏の屋上には、人々が集まっていた。部屋の中から椅子を持ち出してきている。

 ソフィアは集団に呼びかけた。

「ねえ、仲間が増えたわよ」

 八人ほどが集まって円となった。めいめいが自己紹介した。

 ソフィア・ロレダン。イタリア、シチリア島の観光ガイド。人当たりが良く、若いがリーダーシップがある。

 エリック・リウ。中国福建省出身。メガネの視線が落ち着かない、生真面目そうな自動車開発エンジニア。

 ハロルド・バグリー。テキサス州出身。六十代の退役海軍軍人。髪を短く刈り込み、背筋がピンと伸びている。風格があるので「提督」と呼ばれているが、本人はこの呼び名が好きではないらしい。

 ザラ・ジャイーン。インド・ハイデラバード州出身の女性で、ロンドン大学の生物工学研究者。専門はバイオマス燃料の研究。

 彼らの話によると、個人が一つの筏(モジュール)を与えられたらしい。

 サガミも自分の状況を話した。

「あなたが最初に転送されたのかもしれない」ソフィアが言った。

「だがあんたたちはこの筏について詳しそうだな」

「いろいろ情報交換したからね。私たちは『アイレット(小島)』と呼んでいる」ザラが説明した。

「『何人たりとも一島嶼にあらず』か」ハロルドがつぶやいた。

「なにそれ」

「ジョン・ダンというイングランドの詩人の言葉だ。人はひとりきりで生きているわけじゃない、ということさ。だが今、我々は正しく一人一島というわけだ」

 ザラによると、アイレットは珊瑚と粘菌のような生体素材でできている。アイレット自体が、カツオノエボシのような無数の個虫から構成される群生体だという。

 アイレットは、制御棒を一方向に倒すことでゆっくりと移動できる。制御棒は、取り外してポーチ、部屋の内部、屋上にいくつかある穴に差し込み、それぞれの場所で操作できる。

 またアイレットは他のアイレットと結合できる。結合は両方のアイレットの操作者が同意しないと実行できず、また一方が結合解除操作(結合状態で二度手前に引く)を行うと即時に解除されるらしい。

 ハロルドが言った。

「アイレットは移動するときにエンジン音がまったくしない。推進器があるとしたらアイレットの下部だろう。推進力は、ローレンツ力で水流噴射を行う電磁推進方式かもな。おそらく生体素材の」

 目覚めたときに水中に投げ出されていたのはサガミ一人のようで、その他の人間は最初からアイレットの中で目覚めたという。

 エリックが遠慮がちに言った。

「あのう、ここに来るまでのことを確認してもいいですか」

 一同の体験したことを総合すると、次のような認識で一致した。

 世界で同時核戦争が勃発した。弾道ミサイルが各国の主要地域に発射された。報復に次ぐ報復が連鎖し、世界の命運が決定したことを人々が覚悟した。

 日本もまたアメリカの要請に基づき、核ミサイルを保有していた。混乱する状況の中、サガミはICBMが発射され、空を上っていくのを目撃していた。

 そのとき、この世界に「転送」が行われたらしい。

「最初に攻撃したのは日本だとニュースで聞いたが」ハロルドが落ち着いた口調で言った。

 一同の視線がサガミに集まった。

「その話を今してもしょうがないでしょう」ソフィアがたしなめた。

 確実なのは地球に戻る手段はなく、仮に戻れても住めないということだ。

 サガミたちが話している間に、さらにアイレットが集まってきていた。周囲は暗くなりつつあったが、サガミは屋上が白く発光していることに気づいた。周囲の海面を見渡すとやはり淡く白い光がかなりの範囲に点々と広がっている。

「生体発光ね。たぶん、部屋の内部の照明も同じ仕組みでしょう」ザラが説明した。

 空には星が出始めていた。だがどの星座にも見覚えがなかった。

「みなさん、家族はどうなりましたか? 私には妹と姉がいるんです」エリックが言った。

 ハロルドが眉をひそめて首を振った。

 一同の顔は沈んだ。

「死んだと決まったわけじゃないでしょう」ソフィアが言った。

「家族を探したいと考えていることはみな同じよ。今、名前と出身のリストを作るために、紙を回しています」ザラが言った。

「筆記用具なんてあったのか」サガミが訊いた。

「机の引き出しの中に入っているはずよ」

 一同は、その晩は寝ずに連結筏の屋上で情報交換を続けた。周囲が再び明るくなるころ、さすがに疲れた人々は自分のアイレットに帰って行った。サガミも自分のアイレットに戻ろうとした。どれも形はすべて六角形で分からない。微かに光る天井を見て各アイレットの天井には、六桁の数字が印字されていることに気づいた。

「俺のはどれだったろう」

「あなたのは……000001よ」ソフィアが答えた。「覚えやすいでしょう。結合する前に壁に数字が見えてた」

「車のナンバーだったらうれしいんだが、これは囚人みたいだな」

「もしかすると、そうなのかもね」

「我々はどうなるんだろう」

「すべてはデミアージしだいかな」

「デミアージ?」

「そのことはまた今日の午後にでも話しましょう」ソフィアはあくびをして微笑んだ。

「お休みなさい」

 サガミは自分のアイレットに戻り、ベッドに寝転がった。

 ひどく疲れているのに、いつまで経っても眠れなかった。

 人類の《初期化》

 サガミは目覚めた。夜明け近くになんとかわずかに眠れることができた。

 壁の全面から柔らかく差し込む光で、周囲はすっかり明るくなっている。時間は昼くらいだろうか。

 食料をまた一パック食べた。今度のは酸味があった。風味が何種類かあるらしいのでしばらくは飽きずに済みそうだ。

 屋上に出て、サガミは周囲が一変していることに気づいた。寝ている間にさらにアイレットが集結し、巨大な島となっていた。数百、もしかすると千以上あるかもしれない。アイレットは隙間なく連結しているのではなく、所々が穴となって抜けている。

「チャオ、アキラ」声を掛けてきたのはソフィアだった。

「ずいぶんと大きくなったな」手をかざして強い日差しを遮る。

「昨日、ザラが調べたんだけど、二百五十のアイレットが集まると、それ以上のアイレットは物理的には直接結合できないみたい。それが一つの単位として、『アイランド』と呼ばれている」

 人々はすでに集まって話を続けていた。

「行きましょう。みんなもう集まっている」

「文字通りワールド・カフェだな」サガミは苦笑した。

 その日の午後も情報交換は続けられた。

「デミアージとやらの目的はなんだ?」とハロルド。

「何者であれ、我々を破滅から救ってくれたのよ」ソフィアが答えた。

「我々を苦しめるのが目的ではない。住居も食料も提供してくれているのだから」

「ならここはユートピアなのか?」とハロルド。

「少なくとも、今は国も国境もない」ザラが言った。「政治的・宗教的権威というものもない。私は政治にも宗教にもあまり関心はないからいいけど」

「でも、これからどうやって国家を再建していけばいいの?」ソフィアが言った。

「国? なぜ今さら国がいるんだ? 国がないってのはすばらしいことじゃないか」だれかがやや聴き取りにくい英語で言った。

「俺は旧ユーゴスラビアの国の出だが、出身国がかせになって国外に出稼ぎしても差別がひどかった。まさかビートルズの”Imagine”が実現するとな。今の状況は大歓迎だ」

「国がなくなったからって差別がそう簡単になくなるはずないでしょう」ソフィアがつぶやいた。

「ソフィア、国がないというこの状況は明らかに意図されたものよ」ザラが言った。

「これは人類が地球にいる限り、決して起こりえなかった。どれだけ国家の統合が進んでも、地球にいる限りは戦争の種は常に存在していた。だが、国や国境が完全に意味を失った今では、戦争は起こりようがない。守るべき土地がそもそも存在しないんだから。究極の平和が得られたということじゃない」

「その犠牲が人類の絶滅なの?」ソフィアは穏やかに反論した。

「人類はまだ滅亡していないでしょう」ザラは言い返した。

「確かに、今はアメリカもロシアも中国もない。人類は確かに強力な軍事力を作りあげたが、人間を一人一人こうつまみ出してみれば、実にこっけいなほど貧弱なものだな」ハロルドが言った。

「消えたのは国だけじゃない。歴史も芸術もすべては人の記憶の中ね」ソフィアが言った。

「ミケランジェロもダ・ヴィンチもボッティチェッリもすべて失われた」

「経済もリセットされたわけだ」ハロルドがつぶやいた。

 服以外の財産は失われた。金歯などはともかく、結婚指輪を含め、宝飾品の類いは身につけていたものも消失していた。

「かつて歴史上のいかなる共産主義国家もなしえなかった、徹底した平等だな、エリック」皮肉を込めて言った。

「提督、我々人間は、そういつまでも平等に耐えられないのじゃないのですか」エリックはやり返した。

「正直、経済活動のない世界など想像できませんよ」

「生活インフラと食糧の供給。これはベーシック・インカムに似た仕組みなのかもね」ザラが言った。

「ベーシック・インカムは貨幣経済を前提にしているじゃないですか」エリックは反論した。

「あくまでたとえよ。考えてみれば、あの時点で人類はすでに暴走していた。人口問題や環境問題だけじゃない。経済活動は一見正常のようでも、貧富の差は広がり続ける一方。クラッシュしたまま暴走し続ける人類は、そのままでは再起動できない。特に、問題の本質がOSにある場合はね。一度強制終了する必要がある。その意味では、今は、すべてがリセットされた状態。いわば人類が『初期化(イニシャライゼーション)』された状態ね」とザラ。

「OSのリセットというのは厳密には……」エリックがいいかけた。

「それも、あくまでたとえ」ザラは軽く受け流した。そして、

「だれが『初期化ボタン』を押したのかは疑問だけど」と独り言のようにつぶやいた。

「それでは、人間という種の存在自体は否定されていないわけだな」とハロルド。

「それはそうよ。そうでなければ、わざわざこの星でやり直しをさせるはずがない」

「だが人間は簡単にその本質を変えられますかね? 人間は自ら滅び、なんとか再生できた後はまた自らを滅ぼす。手の付けられない愚かな存在じゃないでしょうか」エリックが言った。

「そうでないことを我々が示すしかないわね」ソフィアが言った。

 二日目も、一部の人間は徹夜で話を続けた。

 発言の交通整理をするために、ソフィアが仮の議長として選ばれた。若いながらも温和で人望があった。

 アイレットは続々と集結しており、もはや数千は確実に越えているとみられた。

 母国語による集団ができはじめていた。一度結合したものの、言語を同じとする集団として再結合していく。

 アイレットの番号が住所の役割を果たし、専門家の集団がいくつかできはじめていた。

 何人かの都市計画の専門家、数学者などが集まって、基本ルールを考えた

 密集すると動きが取れなくなるので、十分な間隔を取り、一つのアイレットが同時に三つ以上のアイレットには結合しないように呼びかけた。ただし、一部のアイレットは意図的に密集して集会用のスペースを確保した。

 だがこれだけ集まっても、家族や知り合いと会ったという話は皆無だった。

 転送者はランダムに選ばれたということは確実になりつつあった。

 いわば、家族と人間関係はリセットされたわけである。

 この事実を受け止めきれずに泣き崩れる者もいた。だが同時に、解消しようのない、うんざりする人間関係の泥沼から解放されたことを喜ぶ者は少なくなかった。暴力をふるう家族、無能かつ横暴な上司、生意気な部下……そういった連中は消え去り、おそらく二度と見ることはないだろう。

 家族を失った状況で放心していた人々も、感情を取り戻すにつれ、「お隣」どうしの衝突がすでに発生していた。少なくとも、そりの合わない連中とは結合解除して別の場所に移動すればいいので、衝突はある程度抑えられているようだった。

 アイレットの食料で、貧困による食糧難は存在しなかったし、食料の奪い合いはまだ起きていなかった。

 しかし会合でも、警察の必要性は何度か議論された。元警官が何人か名乗り出て、非公式ながらにらみをきかせていた。

 サガミもすでに喧嘩を目撃していた。原因は些細なことらしく、アイレットの屋上で騒ぐなと一方が苦情をいったらしい。連結されたアイレットの屋上は、行き来できる道でもあり、唯一の公共の場とみなされつつあったから、もめ事になった。

 一見、必要性が満たされているようでも人々は不安を抱いている。

 特に食料はまだ十分にあったが、いつかは底をつく。今後はどうなるのだろう

 《翻訳者》とデポ

 三日目も、人々は結合アイレット――アイランドの屋上に集まった。

 集まって話し合い、情報収集をすることこそが当面は重要のように思われた。

 サガミが屋上に出て、集団のほうに向かうと、人々が緑のアイレットを取り巻いていた。そのアイレットの屋上には、さまざまな物資と箱が積み上げられていた。食料、衣料、そしておそらく医薬品。多くは箱詰めされたままで、中身を示すために一部を開封したらしい。

 そのアイレットの上に、一人の灰色の服を着た男がいた。男は拡声器のようなよく響く声で呼びかけた。

「みなさん、重要な話なので聞いていただけますか。私はデミアージたちの意志を伝える者です」

 群集はざわついた。

 男は一段と声を張り上げた。

「これはデミアージによって与えられた、人類への執行猶予であり更生の機会である」

 唐突な厳しい声音だった。一同は静まりかえり、罪を宣告された罪人のように身を縮めた。

 だがすぐに声音を和らげ、笑顔さえ浮かべて続けた。

「私のことは《翻訳者》と呼んでください。これまでにいろいろと話し合われたことでしょう。そう、ここは地球ではありませんし、地球に帰ることはもうできません」

 何人かは声を上げ、顔を覆った。

 《翻訳者》は意に介さず続けた。

「今日はみなさんがお持ちの疑問についてお答えしましょう。この筏、モジュール……いろいろな呼び方がされているようですが、ひとまずアイレットとしましょう。これはデミアージからみなさんに貸し与えられたものです。みなさんはいわば貸借人(テナント)といったところです。すでにご存じのとおり、アイレットの部屋の扉は、テナント本人の生体情報によってのみ解錠できます。お断りしておきますが、生体情報の偽造はできません。切断した手や腕でも開きません。そのようなことはしないことをお勧めします」

 《翻訳者》はにこやかな表情は崩さずに、言葉を切り、一同を見渡す。

 その物言いには、違反者にはそれなりの報いがあることを匂わせていた。

 《翻訳者》は自分の下の緑の六角形を指さした。

「これは特殊なアイレットで、『デポ』といいます。アイランドの代表者を決め、その代表者にリストを出してください。代表者がデミアージに『祈り』を捧げることで、このデポに必要な食料や物資を入れて届けます。一つのアイランドに対して、デポ一つです」

「『祈り』とはなんだ?」ハロルドが訊いた。

「おや、『祈り』をご存じないとは」

 《翻訳者》は皮肉にせせら笑った。

「そのリストに記載されたものが必要だという意識を強く抱く、といえばよいでしょうかな」

「デミアージとやらはその物資をタダでくれるのかい」ハロルドが切り返した。

「その質問はごもっともです」

 《翻訳者》は冷たい笑みを浮かべた。

「代償として、一つのアイレットを沈める必要があります。代表者は必要な物資の詳細とともに、沈めるアイレットの番号をリストに記載した上で、デポのドアにある『郵便受け』に入れてください。アイレットが沈んだ翌日の朝には、物資を積んだ新しいデポを提供します」

「そのアイレットは無人でいいの?」ソフィアが訊いた。

「いえ。人間が一人乗っている必要があります。生死は問いませんが」

 人々はざわついた。怒りの抗議の声が上がった。

「みんな、落ち着いてくれ」サガミが群集に語りかけた。

「我々は数万人、もしかすると数十万人以上いる。毎日一人は老衰その他の原因で自然に死ぬはずだ。食料は十分にあるわけだから、デポも毎日必要なわけじゃない」

「だれかが犠牲になることはない、ということ?」とソフィア。

「そのとおりです。人類全体で一つのアイレットを沈める代わり、アイランドの数だけデポを提供します」

 人々は安堵の声を漏らした。

「なお武器、武器の製造器具、それにコンピューターなどの高度な技術を求めても得られません。船、飛行機などの交通手段や、デポに収まらないものも許可されません。一九四〇年代までの日常で使われる技術なら問題ないでしょう。限定的ですが電力が使えるのもご存じのとおりです」

「武器を作る連中は、その気になれば何からだって作るぞ」ハロルドが言った。

「究極の武器で滅びかけたばかりというのに勇ましいことですね」《翻訳者》が返した。

「全体の利益に反する方、不穏な行動を取られる方は、おそらくみなさんの意志により沈められることでしょう」

 ハロルドは口をつぐんだ。

「さて、みなさんから質問があれば答えます。私に答えられることであれば」《翻訳者》は続けた。

「アイレットの水はどうやって補給しているの?」ザラが手を挙げた。

「閉鎖循環再利用システムが備わっています。必要に応じて海水も取り込んで濾過しています。普通に使う分なら半永久的に使えるでしょう」

「あれだけ自信を持って即答できるということは、たぶん本当なんだろうね」ザラはサガミにささやいた。

「家族には会えるのでしょうか」エリックが訊いた。

「残念ながらその可能性はありません。みなさんの選定は、人間関係を調査した上で慎重に行われました。家族はもちろん知人もいないはずです」

「なぜ、そんなことを……?」エリックは弱々しく訊いた。

「どなたかが言われたように、これは人間関係を含めた人類の『初期化』だからです」

「デミアージとは何者だ?」サガミが訊いた。

「また会いましたね」

 問いに答える前に、サガミは、《翻訳者》がそう口を動かしたように見えた。それとも気のせいだったろうか。

 サガミは《翻訳者》の声に確かに聞き覚えがあった。だが、どこで会ったのだろう。

「デミアージとは、あなたたちを救った存在です。あなたたちが妙な行動をしなければ今後ともあなたの力になってくれるでしょう」

 発言を求める手が上がったが、《翻訳者》はそれを制した。

「今日の所はここまでとしましょう。他にも《翻訳者》はおりますが、私も他の島に廻る必要がありますので」

 《翻訳者》は、デポのポーチに係留してあった小型のポッドに乗り込んだ。縦長のサナギのようなポッドは別の島に移動していった。

「なぜ奴らはわざわざアイレットやデポを提供する? これでは我々はデミアージによって生かされているだけだ」とハロルド。

「これは接ぎ木だからよ、提督」ザラが言った。

「なんだって?」

「転送人類は接ぎ木ということ。デミアージは少なくとも人類を滅ぼすことが目的ではない。転送人類をこの惑星にただ放り出しただけでは、生存する可能性は低いでしょう。だから存続に必要なものは提供しているということじゃないの」

「ではなぜ我々に技術を提供しない」

「問題は技術じゃないんだ」とサガミ。

「なんだと」とハロルド。

「人類を救うのが技術じゃなかったらなんだと言うんだ」

「技術はあってもなくても結果に変化はないからだよ」サガミは言った。

「だったら、このアイレットに使われている技術を、今すぐ提供してくれてもいいのではないか?」

「人類の未来は結局の所、技術では左右されない。重要なのは別のことだ。事実、人類は技術を発展させたが戦争を防ぐことはできなかったろう。それに遅かれ早かれ人類は技術を生み出す」

「デミアージはたぶん私たちにじっくり考えて欲しいのかもね」ソフィアが静かに言った。

「どうすれば人類をやり直せるのか」

「デミアージっていうのは神のつもりか?」ハロルドは不満げだった。

「本当に神なのかも」エリックは青ざめた顔だった。

「でも神というのは、こんな残酷なことをするだろうか?」

「いや、少なくともこのデミアージは神ではない」サガミは言った。

「エリック、ノアの箱舟を知らないのか」ハロルドが言った。

「ノアの家族しか救われず、あとの人類はすべて殺されたという話だ」

 一同は沈黙した。

「洪水だけじゃない。神はソドムとゴモラも滅ぼしたし、エジプトの嬰児もことごとく殺している。それに比べると、今回ははるかに多くの人が救われているじゃないか」

「それはあくまでユダヤ・キリスト教の話だろう」サガミが言った。

「俺が言ったのはそういう理由じゃない。もし慈悲深いとしても、神はそう易々と祈りに答えてくれるものではない。それにデミアージ……デミウルゴスは、どちらにしてもあんたたちの考えている神ではないだろう」

「どういうことだ?」

「デミウルゴスは、グノーシス派によれば『愚かなる創造主』だからだ」

 話し合いは午後に入っても続いた。人々は、自分のアイレットから食料とテーブル、椅子を屋上に持ち出して、食事を共にするのが習慣になっていた。

 深夜に集会が解散した後で、ソフィアが声を掛けてきた。

「今日はみんなを冷静にさせてくれてありがとう」

「たいしたことじゃない」

「こんなに多くの人と話したのは久しぶりかも。私、うまくできているかな」

 連絡手段もままならない大人数の会議では非効率的なのはいかんともしがたく、何の結論や合意も出ないかのようにみえた。その中、ソフィアは意見をまとめて建設的な結論を出そうと苦労していた。

「十世紀のアイスランドでは、人々が大地の裂け目に大勢で集まって、こうやってさまざまな問題を議論したそうだ。族長だけでなく、農民、商人などすべての男が参加できた。アルシングと呼ばれるその集会が、近代まで議会として引き継がれたらしい」

「女はどうなの?」

「その当時は参加しなかったかもな。だが文字として記録がすべて残っているわけでもないから、いたかもしれない。君はよくやっている」

「ありがとう」

「なあ、この世界で鍵を握るのはなんだと思う?」

「さあ。なにかしら」

「たぶん言語だろうな。君はイタリア語のほかにフランス語も英語も話せるからあまり意識しないかもしれない。だが日本人は違う。地球で、単一言語しか話せない人間は世界人口の半分以下だった。多くの日本語話者は日本語しか話せないから、今後は孤立するしかない」

 世界軸と海原議会

「デポのための犠牲」は《翻訳者》の言葉どおり、社会秩序維持の抑止力として機能した。

 他者を抑圧して独裁者になろうとしても、「生贄」として選ばれてしまえば死を免れない。屋上は一種の公共の場となっていたが、自分以外のアイレットに入り込むことはできない。

 《翻訳者》については奇妙な噂が流れていた。何人かの話を突き合わせると、複数の場所に同時にいた、というものだ。ほとんどの人間は取り合わなかったが、何人かは真に受けていた。

 転送から七日目、目覚めた人々は、海面に屹立する五つの巨大構造物を目にした。フラクタル自己相似形の立体構造を持つ樹形骨格である。とげのある巻き貝のようにも見え、それぞれ水色、黄緑、ベージュ、薄紫、ピンク色だった。

 比較対象がないために正確な大きさがつかめないが、少なくとも高さは八百メートル以上、幅はその四倍はあると思われた。

 《翻訳者》が小型ポッドに乗って現れ、アイランドの人々を招集した。海上の構造物を指さす。

「あれは都市を形成する『世界軸(コンティネント)』です。アイレットはあと二週間、移動と結合ができます。その間に、これからの人類の再生のために必要と思われる配置を決定してください。世界軸は二週間後にいったん水没させます。アイレットを移動し、希望する樹形骨格に集結してください。世界軸が再浮上するときに、順次、アイレットを樹形骨格に結合することで立体的な都市が形成されます」

「そのときに集まらなかったらどうなるんだ」ハロルドが訊いた。

「モジュールは動力を失い、永久に結合できなくなります。どうされるか存分に議論されるように。二週間後に再びお目に掛かりましょう」

 そういうと《翻訳者》は個人用ポッドで他のアイランドに向かった。

 転送者たちは会合し、議論を再開した。

 海の真ん中で繰り返し行われる議論は、海原議会と呼ばれるようになっていた。

「これは国家を作り直すか、という問題ですね」とザラが言った。

「これこそがデミアージの問い。私たちが生き残った意味ということね」とソフィア。

 過半数の人間は、従来の国、地域、言語に基づく配分を主張し、伝統派(トラディショナリスト)、あるいはトラッドと呼ばれた。

 ソフィアは伝統派の有力者の一人だった。エリックも伝統派に賛同した。

 一方、国、地域、言語による配分に反対し、統合を進める者もいた。

 この動きでは、ハロルドやザラが中心となった。

 当初、グローバリストとも呼ばれていたが、コスモポリタン、またはコスモという名称が定着した。

「旧地球の文化を保持するには、国や言語で人が分かれるのは自然でしょう」ソフィアが言った。

「なぜ文化を保持する必要がある? 現在の事態を招いたのは国同士の争いではないかね」ハロルドが反論した。

「戦争が起きない世界があるとでもいうの? そんなおめでたい世界は絵物語よ。それに全員が同じ言語で喋る世界なんて変です」

「変で済むぐらいなら戦争を起こすよりいいのじゃないのか」とハロルド。

「何語で話すっていうの? どうせ英語でしょう」

「それは仕方ないだろう。元に今、英語でないと全員に話が伝わらない。だがコスモにはアフリカ出身者の参加も多い。フランス語でも話はしている。私自身が話せるわけじゃないが」

「この話し合いに加わっていない、いえ、加わりたくても参加できない人もたくさんいます」

「それはそうだが、こうやって我々の議論を伝えている人がいるじゃないか」ハロルドは周囲を示した。

 英語の議論にはついていけないが、成り行きを見守る人々のグループも集まっていた。その人々のために、通訳を買って出た人たちがいた。

「あなたは偉大なるアメリカを再建したいだけじゃないの、提督」

「アメリカを別に再建したいとは思わんよ。現在の状況ではそんなことを主張しても無意味だ。アメリカという国家がない以上、アメリカ出身者が大して力を持っているわけじゃない。これは白紙から人類をやり直し、すべての社会的な問題を解決する無二の好機だ。今、人類が再び分断すると、やがて同じ過ちを繰り返すことになる。言語で分かれるということには大して意味がない。言語なんて必要に応じていくらでも学ぶことができる。事実、子どもたちは言葉なんて関係なく遊んでいるじゃないか」

 ハロルドは、大人の議論となど知らぬ顔で、結合したポーチで遊ぶ子どもたちを指した。

 共通言語としてエスペラントを採用しては、という意見も出た。だが話者が非常に少なかったので少数意見に留まった。

 ヨーロッパ圏の伝統派は、EUという実績があることから、水色のコンティネント占有で話がまとまった。薄紫のコンティネントには、スペイン・ポルトガル語が基盤となるラテン・アメリカが名乗りを上げた。

 中国系の伝統派は5つの世界軸のうち、一つを占有することを主張した。ただ、中国系にはコスモも非常に多くいた。

 日本と韓国・朝鮮など東アジア出身者は、文化圏というくくりでみると、中国コンティネントに近かったが、コンティネントに組み込まれることに反発する者が多かった。一つのコンティネント内での少数派になるという不安も大きかった。しかし、単独でコンティネントを占有するほどの人口がないため、議論が紛糾した。

 ベージュのコンティネントは、インド圏とアラブ圏が所有を主張したが、激しい対立を見せた。

 コスモたちは、黄緑のコンティネントをアモーロットと名付けて占有することになったが、文化圏ごとの配分には反対する姿勢は崩さなかった。アフリカ圏は一部を除いてさほど求心力がなく、コスモに同調する動きが見られた。

 《翻訳者》の宣告は、残存人類すべてに伝わっているはずだが、言語の問題もさながら、人類の間で効果的な通信手段がないので、議論に加われない人が半数以上いると見られた。紙に書いた議論のまとめが各所で回覧された。

 議論は昼夜問わずに延々と続いたが、五日めに入ると、さすがに双方の強硬派も疲れを見せた。

 伝統派の主導で、人類遺産リカバリー・プロジェクトが開始されていた。文学作品他の書籍が暗唱され紙に記録された。大人たちが忘れた作品でも、学校で暗唱させられた子どもたちのほうがむしろ正確であることも多かった。

 コスモたちは、反対するほどのことではないので、様子を見守っていた。

「ジョン・ダンの言葉の続きを思い出した。『何人も大陸の一部なればなり』だったかな」ハロルドが言った。

 絵画や音楽も同様に復元・再現が試みられた。絵の具、筆、キャンバスがデポの依頼品に挙げられた。楽器は事情が複雑だった。ギターを依頼した若者がいたが、デポの中に入っていたのはギターの形をしたものでしかなく、音がまるで間違っていた。音楽好きが集まって、ギターの厳密な構造と弦、それが発する音程などを客観的に定義し、提出した。

 だがコスモたちは過去にとらわれず、これから新しいものを作り出すべきだという声もあった。残存人類にはその力は確かに残されていた。専門家ばかりではなかったが、アーティストとして生きてきた人間たちは、今の生活を詩、絵、歌などで表現しようと模索を始めていた。

 一九四〇年代相当の暮らしも悪くない、とサガミは感じていた。

 先進国の人間たちにとって、テレビやスマートフォンはなければ諦めが付いた。

 八割の人間はもともとそんなものは持っていなかった。旧地球の七割は、全財産が一万ドル以下だったからである。

 転送前の生活に比べると、生活水準は飛躍的に改善していた。だが、家族と別れた悲しみだけは埋めようがなかった。それでも人々は新しい出会いに希望を見いだしていった。

 入れ替わりが少なく固定化されたアイランドもあったが、会議の間も、多くのアイランドではアイレットが入れ替わり、結合と分離を繰り返していった。

 矛の会、そして人類の回答

 二週間後の夜明け前、サガミはソフィアと、アイレットの縁に腰掛けて、海面上に覗く五つの世界軸を眺めていた。世界軸は、今は大半を水没させた状態で、わずかに海上にその先端を覗かせていた。それでもその先端部だけで五十メートルはあると思われた。

「今日が期限だな」

「そうね。二週間でこんな話がまとまるわけないでしょうに」

「それもそうだな。デミアージたちは人間というものを分かっていない」

 二人は顔を見合わせて苦笑した。

 アイレットが集まったアイランドには、結合によって入り組んだフィヨルドのようなパターンが発生していた。二人が座っているのは、その端だった。

 サガミはソフィアの顔を見つめたまま言った。

「君に話しておきたいことがある」

「なに?」

「俺は旧地球で、日本にいたころ『矛の会』という組織に属していた。日本が最初の核ミサイルを撃った、と言われているが、それは事実だ」

「どうして断言できるの」

「そのボタンを押したのが俺だからだよ」

 ソフィアはしばし言葉を失った。

「そういうものは大統領とか首相が押すものじゃないの?」

「俺は防衛省の装備官だった。『矛の会』は、世界中に支持者がいる秘密組織だった」

 サガミは、ソフィアに説明した。

 『矛の会』の目的は、暴走する人類の『再起動』だった。だがメンバーは理想論を語るだけで、具体的に実行する手段を持たなかった。

 二年前に、ある男が『矛の会』に入会した。

 当時、『矛の会』幹部メンバーは激しい議論を繰り返していた。

「地球がこのまま存続する限り、永遠に平和は得られない。過去の鎖を引きずっていくだけだ。その鎖は永遠に伸び続け、重くなる」幹部の一人が言った。

「それなら、国や歴史を過去のしがらみからすべて切りはなせばいい」男はそう言った。

 当初、幹部たちは男を信用しなかったが、男はメンバーを納得させるなんらかの証拠を示したらしい。

 男は、会の最重要メンバーの一人となり、具体的な計画が動き出した。

 人類が取るべき最良の行動、計画について重要なポイントが定義された。

 すなわち、現存の人類で最終戦争を起こさせて、一度滅ぼすことだ。

 その後どうなるかは極秘とされていた。それでも会に賛同する者は少しずつ増えていった。

 『矛の会』は二年にわたって計画を練り、進めた。

 そして、ついに決行の日が訪れた。

 首相官邸内で、組織の潜入メンバーが、核ミサイル発射のための非常事態サッチェルを入手した。

 だが、発射コードを入手するはずの仲間が別の場所で確保されてしまった。

「そのとき、俺は正しいことをしていると確信していた。これこそが正義だと。俺は三年前に、一番大事な人をすでに失っていた。それ以上、なにも失うものはなかった。首相官邸で、俺が仲間三人と立てこもる部屋に、入ってきた男がいた。警備員に完全包囲された部屋にだ。そいつは合い言葉を知っており、発射コードも知っているという。それが、俺が例の男に初めて直接会ったときだった。サングラスで顔ははっきりと見えなかったが、あの声は間違いない。だが、そのコードを男が言っても、ボタンを押すはずだった仲間がためらった。だれもボタンを押したがらない。それもそうだろう。そのボタンですべてが終わり、始まるのだから。だが、特殊部隊の突入が迫っていた。ついにドアが破られたとき、俺がボタンを押した。それが地球での俺の最後の記憶だ」

 ソフィアはどう対応していいか困惑しているようだった。

「数十億の人間を犠牲にして?」

「ソフィア。これまで生きてきた人類がどれほどだと思う?」

「見当も付かないわ」

「君の父さんと母さんは二人だろう」

「ええ、まあ」

「祖父母は四人。ひい祖父母は八人だ」

「だれでもそうじゃないの?」

「その計算で行くと、十代前には君の先祖は一〇二四人いたことになる」

「……」

「三十代前は、二の三十乗で十億人だ」

「でも、それはちょっとおかしいでしょう」ソフィアはむきになって反論した。

「そう。この計算にはいろいろおかしい点がある。実際には重複する人間が多数いるからね。ただこれまで多くの人間が生きてきたことは確かだ。そして、あの瞬間に生きていた人間の子孫たちは、あの瞬間の総人口よりはるかに多くなっただろう」

「だからといってそれが人類を滅ぼす理由には……」

「そのはるかに多い数百億の人間を、過去の憎しみの連鎖から永遠に解き放つボタンが目の前にあったとき、君はどうする?」

 ソフィアは口を閉ざした。

 もう独裁者はいない。王も大統領も総理大臣もいない。

 多くの人が消えたが、その実感は正直、沸いてこない。

 ソフィアはそのことが怖くて、頭の中に必死で思い描こうとした。

 消えていった美しい人、正しい人、心が醜い人、愚かな人、許しがたい人。そしてどちらでもない人。人。人。人。

 だがその数はあまりに多くて実感には結びつかなかった。

 家族のことは重すぎて頭に浮かべるのが怖かった。

 やがて、サガミの顔を見つめて口を開いた。

「あなたは今でも正しいことをしたと思っているの?」

「俺には分からない」サガミは溜め息をついた。

「あなたのことを憎めばいいの? 私にも……分からない」

 二人はそのまま黙って朝日が昇るのを見ていた。

 《翻訳者》がポッドに乗って、屋上に姿を現した。

 屋上には人が続々と集まりだしていた。

「アイレットの移動を開始してください」

 いくつかのアイレットがのろのろと動き出した。

 だが二割程度が世界軸に向かった後で、動きは止まった。

 巻き貝のような骨格は、青い空にその巨大な枝を晒していた。

 人類の筏は、多様な形を維持したままだった。

 海を覆う無数のアイランドの屋上で、数十万人の人々が五つの世界軸を見上げていた。だが彼らは身動きしなかった。

「どうしたのです。あなたたち人類は、二週間もあったのになにも決断しなかったのですか?」《翻訳者》が屋上に集まった人々に問いかけた。

「彼らは決断してないわけじゃないよ、《翻訳者》さん。あれが彼らの答えなんだ」サガミが答えた。

「アイレットの移動が今日で不可能になるというのは嘘だろう。ザラやハロルドがアイレットの構造を解析してくれた。よくできた技術だ。水リサイクルと同様に半永久的に持続できるそうだ」

 《翻訳者》はしばらく口をつぐんだ。

「嘘というわけではありません。アイレットの構成生物群の生命活動を強制的に停止することは可能です」

「そうだとしても、これが人類の選択だとすれば、デミアージもいまさらそれはしないんじゃないか」

 《翻訳者》は黙り込んだ。

「都市になることが唯一の解決策じゃない。いや、むしろどんな形であれ、都市になることは正解ではない(・・・・・・・・・・・・・・)。そうじゃないか? 言語や文化に基づいていようがいまいが、巨大な密集集団を急速に形成すること自体が人類にとって危険なんじゃないか。そう思った連中は少なくなかった」

「正解や不正解などというものはありませんよ。問題はそれほど単純ではありません」

 《翻訳者》は穏やかに答えた。

「ただ、都市化した場合に、長期的に見れば人類の生存可能性は下がるというのはデミアージの見解でもありましたが」

「人はいずれ新たな国を作るかもしれない。だがその時期は人間が決めることだ。あんたは人類を一体どうするつもりだったんだ?」

「私はデミアージの意志を伝えるだけ」《翻訳者》は目を逸らして答えた。

「これが人類の回答というならそれも結構です。結果をデミアージに報告しましょう」

「もったいぶることはない。デミアージとやらは意外に近くにいてこれを見ているのかもな」

「デミアージに近づこうとするのはおよしなさい」《翻訳者》の声が冷たくなった。

「あなたが『初期化』ボタンを押したことをこの人たちに教えることもできるのですよ」

「だったら、俺は『初期化』前の地球であんたを見たことを人類全員に告げてもいい」

 サガミと《翻訳者》は睨み合った。ややあって、

「いや、あなたはそうはしないでしょう」

 《翻訳者》は、微笑んで、身をひるがえすと、足早に自分のポッドに向かった。

 ポッドは音もなく水中に消えていった

「俺もそろそろ行くよ」

 サガミはソフィアに言った。

「どこに?」

「一人でこの海原に旅立つのさ。俺がしたことを知ったら、人々は許してはくれないだろう」

「私なら許すと思ったの?」

「違うのかい」

 ソフィアはサガミに視線を受け止めた。

「一人で行くのね。いつか戻ってくるのかしら」

「いつかはね。気が向いたら」

「デポがなくても大丈夫なの?」

「なんとかなる。海虫の味は嫌いじゃない」

「海虫って?」ソフィアは無邪気に尋ねた。

 サガミは苦笑して、アイレットの制御棒に手を掛けた。

 (了)

 

 

文字数:18939

課題提出者一覧