眠銃―The Nap-Gun―

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梗 概

眠銃―The Nap-Gun―

 海が、空高く浮かび上がっていく――浮潮だ。

 先の月面戦争(クレーターウォー)で使用された重力兵器により月に発生した大規模な重力ひずみ。その影響で月の軌道はゆがみ、地球に対する月の引力もまた大きく変化した。
 ここ銀糸の丘は、遠浅の銀糸湾を臨む王領の別荘地だ。二年に一度発生する浮潮は様々な条件が重なって、世界で唯一この銀糸湾だけで起こる特殊な現象だった。
 開かれた海と大地の間を、月の引力に囚われてその周囲を飛び続ける巨大な宇宙生物、通称「銀河孔雀」が雄大で煌びやかな姿を見せつけながら羽ばたいていく。
 丘に建つ避暑宮からその光景を眺めながら第二王女サミーユは呟く。
「のう、カナイ?」
 彼女の側に控えていた王属副議官(名前はたいそう立派だが、ようするにお姫様のお守役である)のカナイの胸中に、嫌な予感がよぎる。
「何でございましょうか、サミーユ様」
「わらわ、あの鳥の羽根でできた扇が欲しいぞ」
 そう無邪気に微笑むサミーユ。
「それは、たいそう素晴らしいでしょうな……」
「カナイ、今から行って取ってまいれ」
「ハハハッ……お戯れを」

 二日後、カナイは首都の王宮にいた。周囲の家臣から憐みの視線を向けられながら、カナイは王の前に跪き暇乞いをする。サミーユの望みを叶えるため旅立つカナイに、王家の宝物庫に秘蔵されていた旧世紀の超兵器、眠銃(ナップ・ガン)が託される。
 こうしてカナイは従者のモモカをつれて、孔雀が羽根を休めるといわれる地平線の彼方に聳え立つホライ山を目指す。
 あらゆるものを午睡へと誘う眠銃を使い孔雀を眠らせ、その隙に羽根を抜き取る。シンプルな作戦を実行するためモモカで眠銃の性能を確認しようとしたカナイだったが、長年封印されていた銃はエネルギー不足になっていた。

 銃の詳しい使用方法もわからず途方に暮れたカナイは、この国きっての俊才と謳われる人物に助力を請うため、田舎町のさらに奥にある竹林を訪ねる。
 そこに、ふだんは邸に引きこもってオンラインゲームに興じ、滅多に人前には姿を現さない天才・ネトゲンシュタインは暮らしていた。三度の訪問の末、カナイはようやくその助力を得ることに成功し、眠銃の解析を依頼する。
 戦場で相手を眠らせ猛威を振るったという眠銃。そのエネルギー源は使用者自身の睡眠時間だった。眠銃を手に不眠不休で戦い続けた王国兵士たちの鬼気迫る姿は、対峙する者をさぞ恐れさせたことだろう。
 その後、オンラインゲームのトップランカーで眠銃を扱うために必要な不眠遺伝子をもつ旧兵士の末裔アギリを加え、ついに一行はホライ山の頂で孔雀と対峙する。颯爽と眠銃をかまえ引鉄をひいたアギリだったが、最大出力に設定された眠銃は暴発し、カナイたちも眠りに落ちてしまう。

 目を覚まして辺りを見回すと、すでに孔雀の姿は消えていた。落胆して肩を落とすカナイだったが、モモカは岩陰に抜け落ちた数枚の羽根を見つける。

文字数:1200

内容に関するアピール

 冒頭で盛り上げて、その勢いを持続させながら読んでいただくためにはどうすればいいのかと考えてみて、シンプルなストーリー進行にキャラクター同士の軽妙な掛け合いを織り交ぜたドタバタ冒険譚のようなものが良いのではないかと思い至りました。各場面をテンポよくすすめながら、難しく考えずに気軽に楽しんでいただけるような作品に仕上げたいと思います。

 実作では、冒頭で言及している月の変化に関するエピソードや、眠銃を使ったコミカルな演出や銃の来歴など、メインストーリー以外の部分でも小ネタ的なエピソードをすこし織り交ぜながら、世界観に厚みを持たせていきたいと考えております。

 タイトルは、SFには「Gun」を冠した有名な作品がいくつかあるそうで、冒頭以前のタイトル部分から惹句としてそうしたものに肖ることで、すこしでも読者の方の関心を引き込むことができるのではと考えて付けました。名に恥じぬGun-SFを目指します。

文字数:400

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眠銃―The Nap-Gun―

―孔雀天回編―

 

 王国の東の果て――翡翠色に輝く遠浅の銀糸湾を臨む丘のうえに建つ翠天宮は、王家直轄の避暑宮として二百年以上の歴史を誇る国宝建築だ。
 海に面した碧い石造りのテラス。その中央に置かれたリクライニング・チェアには、まだ年端もゆかぬ少女が、白いワンピースの水着姿で寝そべっていた。
 その少女こそ、このミュライ王国の第二王女にして、この翠天宮の現在の主であるサミーユ姫である。サファイアのように青く輝くその艶やかな髪は、紛れもなく王家の血筋のものであった。
 そのすぐ傍に控えている軍服姿の男は、王族副議官(名前はたいそう立派だが、要するにお姫様のお守り役である)のカナイだ。
 ふたりは先ほどから、何かを待つように曇天の空を見上げている。
「カナイ」
「何でしょう、サミーユ様」
 カナイが返事をすると、サミーユは不満げな視線を向けて、「暇じゃ」と一言もらす。
「もう間もなくでございます」
 先ほどから何度となく繰り返されるその言葉にうんざりした様子で、サミーユはふんっとそっぽを向き、「わらわは少し眠るぞ。ことがはじまったら起こせ」と言って目を閉じてしまう。
 蒸し暑さのせいでなかなか寝つけず、ようやくウトウトしかけていたところに、
「サミーユ様」とカナイに呼びかけられ、サミーユは眠りから引き戻される。
「何じゃ」
「夜風がお身体に障りますゆえ、毛布をお召しください」
 カナイの手から乱暴に毛布を奪い取ってそれを羽織ると、サミーユは再び目を閉じる。
 寝入りを邪魔され不機嫌な様子のサミーユに、少し冷たくなった夏の夜風がそよいだ。
 毛布の暖かさがサミーユを心地よい眠りにいざないかけたころ、
「サミーユ様」
「今度は何じゃ」
「雲がはれて、見事な満月が出ておりますぞ」
 そんなことでいちいち呼びかけるでない、と悪態をつきながらも、サミーユは黄金色に輝く大きな満月を見上げて感嘆の声をもらす。王都の空にも満月は見えるが、これほど月が近く大きく見えるのは、この国でも月見の名所として知られるここ銀糸の丘だけだ。
 月の光が翡翠色の海を照らし、雄大なリズムでたゆたう波がその光を鮮やかに煌めかせる。月の中央にみえる巨大な黒点は、百年前の月面戦争(クレーター・ウォー)で使用された重力兵器によって発生した大規模な重力歪だ。その黒いしみが、月の表面で絶え間なく蠢いている様子には、どこか神秘的なものを感じさせるものがある。
 サミーユは翠天宮の主としてその光景を独占していることに満足すると、小さなあくびをして三たびリクライニング・チェアに体を横たえた。
 その刹那、
「サミーユ様」
「カナイ、いい加減にせぬか!」
「始まりましてございます」
 その言葉に、サミーユはリクライニング・チェアから跳ね起きて、テラスの手摺のところまで駆けてゆく。
 海の表面が、空に引き寄せられるように盛り上がり、そのままゆっくりと浮上していく。
 海は天に昇っていくようにどんどん上昇していき、その下に海水を奪われた遠浅の銀糸湾の黒く濡れた広大な砂浜が広がっているのが見える。
「おお……これが――」
「浮潮でございます」
 湾を覆う天蓋のように高く広がり揺れている海水を透過して、薄い月明かりがテラスに射しこむ。その光が、嬉しそうにはしゃいでいるサミーユの横顔を昏く照らしていた。
 その無邪気な笑顔に満足したカナイが、八年前、このベランダで今と同じように浮潮を見物したときのことを思い出しながら
「前の浮潮の年には、サミーユ様はまだ王妃様の腕に抱かれておられましたな」
 と呟くと、サミーユは
「……よく覚えておらぬ」
 と寂しそうに言った。

 浮潮の影響から翠天宮を保護している目には見えない重力壁が、月の引力によって振動する重低音が響く。
 引き寄せられて空に浮かんだ海は、さらにアーチ状に変形していく。そうして象られた巨大な翡翠のトンネルの奥、海と大地のはざまから、翠天宮へ向かって近づいてくる黒い影があった。
「サミーユ様、ご覧ください」
 とカナイがその影を指さすと
「言われなくても見えておるわ」
 とサミーユは返す。
 影は次第に近づいて大きくなっていき、やがて巨大な鳥の姿となる。
「サミーユ様、あれが銀河孔雀でございます」
 虹色に輝く羽を雄大にはばたかせ、その煌びやかな姿を見せつけながら、銀河孔雀は翠天宮の上空を優雅に通過していく。
「見事じゃ……」
 さすがのサミーユもそれ以上は言葉を失って、ただ銀河孔雀の優美な飛翔を見送りながら、幾度となく感嘆の吐息をもらす。
 この銀河孔雀もまた、月の重力歪に引き寄せられるように、前世紀のある時期から数年おきにこの場所に姿を見せるようになったという。おそらく、月の引力の生み出す宇宙の潮流から逃れられず、彷徨い続けているのだろう。
 内陸へ向かって飛び去っていく銀河孔雀の長く伸びた尾を思案げに見つめ、
「のう、カナイ」
 とサミーユは呟く。
 一瞬、眉間にしわを寄せて、カナイが
「何でございましょうか、サミーユ様」
 と返事をすると
「わらわ、あの鳥の羽根が欲しいぞ。それで扇を作るのじゃ」
 と言ってサミーユは無邪気に微笑んだ。
「それは……たいそう、素晴らしいでしょうな――」
 呟いて、カナイはそっと目を閉じ顔を伏せた。
「カナイ、いまから行って取ってまいれ」
 銀河孔雀の飛び去った方角を指さしながら、サミーユは先ほどと変わらず上機嫌に微笑んでいる。
「ハハッ、サミーユ様、お戯れを……」

 

 

 

 二人がテラスで見ていたのと同じ光景を、翠天宮の庭に立つ高い一本松の天辺から眺めている者がいた。
 カナイに仕えている従者のモモカである。シックなデザインの黒いメイド服に身を包み、ロングスカートをたくし上げて細い松の枝の先で胡坐をかいて見事にバランスを取っているその姿は、一見して只者ではない。名前と同じうすい桃色の髪が、冷たい夜風に吹かれて小さく揺れている。
「カナイ様、いったいどうするつもりだろう?」
 テラスで交わされていた会話に耳を傾けていたモモカは、すでに遠く離れて砂粒のように小さくなった銀河孔雀の後姿を見つめながら、ポケットから魚肉ソーセージを取り出し、包装のビニールを破って頬張る。
「ほいひい」
 モモカがささやかな夜食を味わっていると
「モモカ」
 とカナイの呼ぶ声がして、次の瞬間、松の天辺から人影は消えていた。
 カナイ家のメイド、モモカ――貴族に使える従者とは世を忍ぶ仮の姿、その正体は王国が誇る隠密機構七人衆の一人、霧忍の名を継ぐ凄腕のニンジャであった。

 カナイの後方に無言で跪いたモモカは、口元だけを動かしながら指示を待つ。
「モモカ、鳥はどちらの方角へ飛んでいったか」
「にひでござひまふ」
 魚肉ソーセージを頬張りながら、モモカは答える。
「食べるか喋るかどちらかにせよ」
 それでは、とまずは食べるほうを選び、しっかりとソーセージを味わってから
「西でございます」
 とモモカは先ほどの主君からの問いに再び答えた。
 そんなモモカの態度に呆れて、カナイはため息をつく。
「これから王都に戻るぞ」
 今からですか?――と言いかけたモモカが「今からで、ございますか?」と言い直すと
「サミーユ様が鳥の羽根をご所望だ」
 とカナイは不満げな、しかし諦めを含んだ調子で言い捨てた。
「聞いておりました」
「それなら話が早い」
「しかし、カナイ様。あの鳥、とても大きいですよ」
「見ればわかるわ、そんなこと!」
 モモカの間の抜けた言葉に苛立ちながら、今夜中に発って、明日の昼には王都に戻るぞ、と言ってカナイは支度のために自室へ向かって歩きだした。
「サミーユ様もご一緒ですか?」
「いや、サミーユ様は夏の間はこちらでお過ごしになられる」
「しかし、それではカナイ様のお勤めが……」
「案ずるな、護衛部隊は残していく。留守の間の指揮は、クシナに任せておけばよい」
 たしかに副隊長としてサミーユの信も厚いクシナであれば、カナイの代役には適任かもしれない、と考えながら
「それじゃ、いったい誰が鳥の羽根を取りに行くんです?」
 と畏まった口調に疲れたモモカが、言葉を崩して問いかけると、カナイは早めていた足を止めて振り向き
「私と、お前だ」
 と言ってモモカを指さし、
「さっさと支度を済ませろ」
 と命じて自室に入っていった。

 着替えを済ませて軽装になったモモカが、旅支度を整えてカナイの部屋を訪ねると、すでに準備を終えていたカナイが副隊長のクシナを呼び出して任務の確認をしているところだった。
「はい、了解しました」
 歯切れよく答えるクシナの澄んだ声が、静かな室内に響く。
「カナイさまー、お待たせしました」
 その声に振り向いたクシナは、声の主の顔を見るなり、あからさまに顔をしかめた。
「モモカ? どうしてここに……」
「え、これからわたし、カナイ様と一緒に王都に戻るんだよ?」
 そんな話は聞いていないといった様子で、クシナは今度はカナイの顔を見る。
「そういうわけだ。後のことはよろしく頼んだぞ」
「え? いえ、はい……お任せください」
 戸惑った様子のまま敬礼したクシナに
「クシナも一緒に行けたらよかったのにね」とモモカ。
「ふっ、私にはサミーユ様をお護りするという重要な任務がある」
「そっかー、そうだよね」
 まだ年若いクシナがサミーユ護衛部隊の副隊長の地位に就いているのには、それなりの理由がある。
 もともとモモカと同じカナイの家に仕える臣下の娘として生まれたクシナは、幼い頃より王国の伝統的な剣術流派の一つである不眼自割流(ふげんじかつりゅう)の道場に通い、若くして免許皆伝の腕前をもつ剣士である。
 十五の年にカナイの部下として護衛部隊に入隊したクシナは、その直後に起きた政変の際、戦火に包まれた王宮に単身乗り込みサミーユを救出するという大手柄をあげ、その活躍が認められて副隊長に任命されたというわけだ。
 そのときにサミーユを庇って負った傷跡は、いまでもクシナの左肩から背中にかけて鮮明に残っている。背中の傷は剣士の恥だとクシナはいつも言っているが、モモカは浴場でその傷を見るたびに、それを立派なものだと感じて、引き締まった幼馴染の背中を誇らしく思った。
「モモカ、くれぐれもカナイ様をお護りするのだぞ」
「わかってる、任せといて」
 そう言って小さなガッツポーズを決めて胸元を叩いたモモカの姿は、一見頼りなくも見えるのだが、その実力を十分に知っているクシナは
「あまり調子に乗るなよ」
 と自信満々のモモカをたしなめた。
 まぁ、モモカが一緒なら心配はいらないだろうと安堵のため息をつきながら、クシナはカナイと一緒に旅をするのが自分ではないことを残念に思い、しかしカナイが護衛部隊長代理として自分を選んでくれたことを誇らしくも思いながら、「それでは、任務に戻ります。お気をつけて」と礼をして部屋を出ていった。
 その後ろ姿を見送ったカナイは
「それでは、そろそろ我々も出発するぞ」とモモカに声をかけて外套を羽織る。
 その呼びかけに「はーい」と気の抜けた返事をしたモモカは、手にしていたハットを頭にのせて、大きなトランクをひょいっと持ち上げた。

 

 ♥ ♥

 

 徒(かち)では二日ほどかかるはずの道のりを、カナイとモモカはほぼ半日で踏破して王都にたどり着いた。道程を短縮するため安全な街道ではなく山道を抜けて、途中で山賊退治をして王国の治安維持にもつとめながら、予定していた昼時よりも少し早く王都の門をくぐった二人は、サミーユからの親書をたずさえて王宮へと向かった。
「これはカナイ殿、いかがなされましたか」
 王への謁見を申し入れるため内務局を訪ねたカナイを、ちょうど受付の任に就いていた内務次官のクラージが出迎える。
「これはクラージ殿、なぜあなたが受付を?」
「いや、星天祭が近づいてここも人手不足でしてな」
 挨拶を交わしながら、カナイがサミーユの金印の捺された紺紙の親書を手渡すと、さっそくクラージはそれに目を通して「お互い、苦労が絶えませんな」と苦笑いを浮かべた。
「いや、まったく」と苦笑を返したカナイは、手続きを待つため控え室に通されて、モモカも黙ってそのあとにつづく。
「クラージ様、お疲れのご様子でしたね」とモモカが声をかけると
「仕方あるまい。この時期はどこも忙しいのだ」とカナイはぶっきら棒に返事した。
 毎年、秋になると行われる建国記念の星天祭。ちょうどサミーユが避暑宮からこちらに戻ってくるタイミングでもあり、モモカは毎年祭り見物と、縁日の夜店で食べ歩きをするのを楽しみにしていた。
「今年はのんびり祭り見物などできぬかもしれんな」
「え? どういうことですか」
「わからんのか。我々は孔雀の羽根を手に入れるまでここへは戻れんぞ?」
「そんな!」
 いまさら気がついたというように驚くモモカに呆れながら
「遊覧に行くのではないのだ」
 とカナイはため息をついた。

 クラージの遣わした庶務係から王宮への通行許可証を受け取り、地上八〇〇メートルに位置する王宮へと向かうため、反重力エレベータに乗り込む。四方から宮殿を支える巨大な四本の塔「ミハシラ」。その一つである南方の朱雀柱に設置されている小規模なホールのような広さのあるエレベータのなかには、いまはカナイとモモカの二人しかいない。
 身体が軽くなり、浮かぶような感覚。
「カナイ様、何だか落ち着きませんね」
 だだっ広いエレベータの空間を見回してモモカがそう呟くと
「ほんの数分のことだ。いちいち気にするほどのこともない」
「わたし、どうもこの感覚苦手で」
 身軽になり動きやすいのはいいが、どこか落ち着かないといった様子で、モモカが違和感のある自分の身体を見下ろすと、豊かな胸元がほんのすこし浮かび上がっている。
 胸元を軽く手で押さえながらフッとため息をついたモモカは、自分の資質が房中のような類の術を使うものであればこうした体型を活かすこともできただろうが、潜入調査や暗殺といった隠密活動が中心の自分にとっては、たとえばクシナのような小柄で引き締まった身体のほうが、身動きがとりやすかったのに、と思う。
 家伝の秘術を受け継ぐため、最適化処理を受けたのだから、どうせなら身体的な適正についても考慮にいれてもよさそうなものだとも思うが、しかし、身体の発育に不自然に手を加えることは、結果的に最適な動作効率を落とすことになるとかで、成長過程においてそうした処置がとられることは稀であった。
 とくにモモカのように才能に恵まれ、もともと高い身体能力をもつ者にとっては、下手に身体の形成に手を加えてしまうと、バランスが崩れてその能力が著しく低下してしまうこともある。
 能力を補強するために部分的にはサイバネ処理を受けているモモカではあったが、その恵まれたプロポーションは生来のものであった。

 エレベータが最上部に到着すると、宰相であるゴランが直々に二人を出迎え、謁見の間へと案内した。
「ゴラン様、お久しぶりです」
「うむ」
 深々と頭を下げたカナイに軽く応え、ゴランは不機嫌そうに黙ったまま二人の前をさっさと歩いていく。
 カナイとゴランは家柄としては同格であるが、年嵩であり国政のトップである宰相の任に就いているゴランはカナイにとっては上官にあたる。
 モモカは以前からゴランのことが苦手だったのだが、こうして久しぶりにその顔を見ても、その思いを再認するばかりである。
 なるべくゴランから距離を取るように、カナイの後ろに隠れて歩きながら、エレベータホールを出た直後から、離れたところからこちらの様子を伺っている気配をモモカは感じていた。
 モモカと同じ隠密七人衆の一人で、ゴランの家に仕えている絶火のクボウである。
 サミーユ直属のカナイとは異なり、ゴランは第一王女ルイーザのシンパである麗高派のトップであり、王宮政治としてカナイとゴランの二人は案に対立関係にあった。
 もちろん国王が健在である以上、その対立が表面化するようなこともないし、まさかこの王宮で二人が直接対決をはじめるような事態も考えられなかったが、それでもモモカは常にカナイの身を守れるよう、周囲に気を配っており、またモモカがゴランから距離をとっているのには、相手に不必要な警戒心をいだかせないため、という配慮も含まれていた。

「王様、カナイ殿をお連れしました」
 跪拝してそう告げたゴランの後ろでカナイも跪き、
「カナイ、ただいま戻りましてございます」
 と告げる。謁見の間に入ることを許されていないモモカは、開かれたままになっている扉の敷居の手前で跪いて、離れたところからでもよく通るカナイの声を聞く。
「うむ。大儀であった。サミーユの件、話は聞いておる。面倒をかけるが、かわいい娘のたっての願い、叶えてはくれまいか?」
「は、この命に代えましても」
 膝をついたまま顔の前で手のひらと拳を合わせて拝礼するカナイの姿を、すでにサミーユからの親書の内容を知っていた周囲の家臣たちは憐れむような視線で見つめていた。
 このたびカナイに課せられた任務、銀河孔雀の羽根を手に入れるというのは、はっきりいってしまえばサミーユの単なるわがままである。
 形式的に威厳をもって任を下した国王でさえ、カナイに対して同情的な視線を向けて小さなため息をつくと、「あれをもってまいれ」と一言呟いた。
 すると漆塗りの台に載せられた小さな薄汚れた桐箱をもった文官が玉座の前にゆっくりと歩み寄っていき、王に一礼したあと、カナイの前にその箱を置いた。
「これは?」
 カナイはほんの少し顔をあげて目の前に置かれた箱をみつめた。
「それは、我が王家に伝わる宝物の一つ〈眠銃〉である」
「〈ナップ・ガン〉?」
「今から四百年の昔、建国のために闘った戦士たちが用いたといわれる伝説の兵器、その銃口から発せられる強烈な催眠波は、どんな強靭な相手でも深い眠りにいざない、討ち伏せる力を秘めているという……
 カナイよ、それをそなたに託そう。眠銃をつかって見事、銀河孔雀の羽根を手に入れてまいれ」

 

 ♥ ♥ ♥

 

 眠銃を授かったカナイは、すぐにモモカを連れて王宮を発ち、西へと向かう街道を歩いていた。噂では、銀河孔雀は西の地平の果てにあるというホライ山の頂上で数週間、羽を休めることがあるという。モモカの見たという孔雀の飛び去った方向と、そんな噂を信じて、カナイは進路を西へと向けたのである。
「モモカ、本当に間違いないのだな?」
 片手を懐に忍ばせて、眠銃のグリップを握りしめながら、カナイはモモカに念を押す。
「たしかに昨晩、孔雀は西へ向かいましたよ。でも、西と言っても広いですからね」
「そんなことは百も承知のうえだ」
「それに、ホライ山なんて、本当にあるんですか?」
 この国の地形のほとんどは、遥か上空から世界を見下ろしている天水晶と呼ばれる観測衛星から送られてくる航空図画によってカバーされている。しかし、ホライ山があるとされる西の砂漠のさらに先の密林地帯は、常に厚い霧に覆われており、天水晶でもその全容を確認することができなかった。
 それに、広大な西の砂漠を抜けて、その先へ進んで生きて戻ってきた者はいないとされている。
「それはわからん。だが確認できない以上、とにかく行ってみるしかあるまい」
 街道沿いの茶屋で休息を取りながら、道々ですれ違う旅人たちに声をかけ、銀河孔雀の噂を聞きだしてみるが、たしかに西の方角へ向かったことに間違いはなさそうである。
「それに、霧の濃い場所ならば、お前の力が役に立つやもしれぬ」
 霧忍の力を受け継いでいるモモカにとって、霧のなかでの活動はお手の物だ。本来であれば、自らの術によってさまざまな効果をもつ霧を発生させる、というのが霧忍のやり方ではあったが、自然に生じた霧のなかであれば、その霧を利用することもできる。
「できれば穏便に済ませたいですねー」と、面倒くさそうに力を使うことをためらうモモカに「無論、よけいな面倒ごとは極力避けたいところではあるが……」と、手にした眠銃を眺めながら、カナイは呟いた。
「カナイ様、それ、眠銃? って、どんなものなんです?」
「うむ。私もまだ詳しくは確認していないのだが、どうやら撃った相手を眠らせるための武器らしいぞ」
「眠れないときに使えば便利そうですね!」
「馬鹿者! これでも王家に伝わる宝物の一つ、くだらぬ用途には使えぬぞ」
 そう言いながらも、カナイは一度、銃の使い方や効果を確認しておく必要があると考えていた。ためしに虚空に向けてそっと引鉄を引いてみるが、銃口からは何も発射される様子はない。かといって、銃の形状をよくよく調べてみたところで、どこにも弾を込めるような箇所は見つからないし、そもそもカナイは弾丸らしきものは何一つ渡されていない。
 引鉄を引いたまま、恐るおそる指先を銃口にあててみるが、そこから何かが照射されているようにも思えず、銃口をのぞき込んでみても、中は暗い空洞状になっているばかりだ。
「カナイ様、さっきから何してるんです?」
「いや、念のためこの銃の威力を確認しておこうと思ってな」
「いったいどれほどの力が秘められてるんでしょうね」
「さぁ、見当もつかぬが……。ところでモモカ、少し休むとしよう」
「え? どうしたんです、急に。先ほど茶屋に立ち寄ったばかりですよ」
「なに、腹が膨れてすこし眠たくなった。あそこにちょうどいい木陰がある、そこで一眠りするとしよう」
「私は別に構いませんけど……。夕刻までに次の街に行こうって言ったのは、カナイ様じゃないですか」
「ほんの数刻、休むだけだ」
 そういって街道を逸れて大きな樹のほうへ歩いていくカナイの背中を、モモカが追いかけていくと「そうだ」とカナイが振り返る。
「ちょうどいい、先ほどお前が言っていた方法、試してみるとしよう」
「え?」
 そう言うなり、カナイはモモカに眠銃の銃口を向けて引鉄を引いた。
 刹那、身をほんの少し逸らせて銃の射線上から逃れたモモカは、そのまま一歩踏み込み、カナイの手首を手刀で叩きそうになるのを、寸前で止めた。
 カナイは銃を握っていないほうの手を、モモカの攻撃を受け流すために伸ばしかけていたが、そちらも動きを止める。
「す、すみません……反射的に」
「いや、構わん」
 もし、どちらも動きを止めなかったとしたら、今ごろはモモカの手刀が先にカナイの手首を砕いていただろう、と想像しながら、カナイは額ににじんだ汗を旅服の袖で拭った。
「腕を上げたな、モモカ」
「カナイ様をお守りするためです」
「しかし、いざという時は、私ではなくサミーユ様を……」
「それはダメです。私はカナイ様にお仕えする従者ですから。それに、サミーユ様をお守りするのはカナイ様のお仕事ですからね。私はカナイ様が、お仕事に専念できるよう、全力でサポートするんです」
「そうか……それは、頼もしいな」
「はい」と言って胸を張ったモモカの姿に、幼少の頃より側に仕えていた少女が、いまや王国の誇る隠密七人衆の一角を担うまでに成長したのだということを、カナイは改めて感じ入った。
「まぁ、いい。どうやらこの銃はこのままでは使い物にならないようだ」
 そうぼやいて、カナイは眠銃を懐にしまい込み、木陰に腰を下ろして目を閉じた。モモカはそのすぐ横に胡坐をかいて座ったが、目を閉じることはせず、あたりの様子をそれとなく伺っていた。
 しばらくしてモモカが
「カナイ様、起きてますか?」
 と声をかけると、カナイは目を閉じて眠ったふりをしたまま「うむ」と、ほんの少し開いた唇の隙間から返事をした。
「先ほどから、ずっと尾行されています」
「ゴランの手の者か?」
「おそらく……相手は一人。幸い、クボウではないみたいですけど」
「それはそうだろう。クボウがゴランの傍を離れることなどありえん」
「そうですね」と、モモカは自分とカナイの関係を思いながら短く応え、
「どうします? 相手は気づかれたことには気づいてないみたいですけど」
 と主君の判断を求めた。
「いや、お前が気づかないわけがないことくらい、端から承知の上だろう。しばらく放っておけばいい」
「はい」
「そろそろ行くか」と身体を起こして伸びをしながら「ところで、モモカ。もし相手がクボウだったとして、勝てる自信はあるか?」とカナイは問いかけた。
「当たり前ですよ、私があんなオッサンに負けるわけないじゃないですか!」
 モモカは威勢よく返事をした。しかし、それはモモカの虚勢ではないと、カナイは理解している。主人に戦力の分析を求められれば、それを客観的に判断して答えるのが、情報を扱うモモカたち、忍びの者の使命である。
 つまり、モモカが勝てると言えば、それは絶対に勝てるということを意味している。いや、しかしモモカは「勝てる」とは言わず「負けるわけがない」という言い方をしたのだと、カナイは思い至る。
「モモカ。もし、危ういときは迷わずに逃げろ。お前なら、どんな相手からでも逃げ切れるだろう」
「もちろん、カナイ様をお守りする以外に、命を賭けたりしません。私だってまだ死にたくはないですから」
 微笑んだモモカに、カナイは一抹の危うさを覚え、軽く咳ばらいをして、
「無論、お前が命を賭ける場面など、そう多くはないだろうがな」
 といって街道に向かって歩き出した。

 

 ♥ ♥ ♥ ♥

 

 宿に到着し、温泉で汗を流し終えたモモカがカナイの部屋を訪ねると、すでに旅装を解いて浴衣姿になっていたカナイは、籐椅子に腰掛けて片手で眠銃を弄んでいた。
「モモカ、ちょうどいいところに来たな。この銃だがな……どうやって使えばいいのやら、私には皆目見当もつかん」
 そう言って差し出された銃を、慎重な手つきで受け取ったモモカは、しばらくあらゆる角度からそれを眺めまわしてみたが
「そうですね」
 と早々に白旗をあげて、銃を主人に返した。
「この街から北へ五里ほど行ったところに、シレリアという小さな町がある」
 いちおうこの国の地図や地形に関する情報を頭に叩き込まれていたモモカは、すぐにその町の場所を思い浮かべ、小さく肯く。
「その町からさらに北へ進んだところにある竹林に、この国のあらゆる事象に精通している天才学者が暮らしているという噂を聞いたことがある」
「その話なら、私も聞いたことがあります」
「その学者に、この銃の分析を依頼してみようかと思うんだが……」
 逡巡しているらしい様子のカナイに
「でも、ずいぶんと人嫌いだという話も聞きますけど」
 とモモカは情報を補足した。
「ああ、それに……我々は銀河孔雀を追いかけている身。あまり余計な寄り道をして、時間を使うわけにもいくまい。そこで……」
「却下です」
 カナイが提案を切り出す前に、モモカはその内容を予測して答えた。
「私、カナイ様のお側を離れたりしませんから」
「しかしだな、モモカ。ここは二手に分かれて、お前が先に孔雀の居所を突き止めさえすれば、あとはだいぶ楽になるだろう」
「尾行がついているんですよ」
「なに、尾行者の一人や二人くらい、私一人でも何とでもしてみせる」
「絶対にダメです」
「しかし、私とて不眼自割流免許皆伝の腕、剣術ではクシナにも引けを取らんぞ」
「カナイ様にもしものことがあったら、私がそのクシナに殺されます!」
 カナイを守ることにかけては、モモカはこれ以上ないくらいに頑なであった。それを理解しているからこそ、カナイは諦めまじりのため息をついて「仕方あるまい。それでは明日は、二人でいったん北へ向かうとしよう」と進路を決めた。
「はい、わかりました」
 笑顔で返事をして部屋を出ていくモモカの華奢な背中を見送って、カナイは再び眠銃を見つめた。この寄り道が、最終的に孔雀の羽根を手に入れるのに役立つことを願いながら。

 王国の北に広がる竹林の奥に住むという天才、ネトゲンシュタインと呼ばれるその人物の姿を実際に見たことがある者は少なかった。
 いったいどんな暮らしをしているのか、その生活を支えるために雇われている童僕に町の人々が訊ねてみても「主様はすこし変わっておりますが、悪い方ではありませんよ」という答えが返ってくるばかりである。
 町の小さな宿に部屋を借り、時間が惜しいと着いたその日のうちに竹林へと入っていったカナイたちだったが、道らしい道もなく、町にはネトゲンシュタインの居所を正確に知る者もいない始末。
 モモカが先行してカナイのために道を開きながら、細長く伸びた竹を身軽に駆け上って、ネトゲンシュタインの邸を探す。
「カナイ様、向こうのほうに何か建物が」
 竹の上に真っ直ぐ立ったモモカの指さす方向に顔を向けてみても、カナイには密生して伸びた青い竹しか見えない。
 モモカに導かれるまま、足場の悪い竹林を抜けて、ようやくカナイたちは小さな門の前にたどり着いた。
 訪問販売お断り、の札が貼られた門扉の横にある呼び鈴を鳴らしてしばらく待っていると、門戸についたのぞき窓から小さな子供が顔を見せた。
 これが噂の童僕かと思い、どうやらここがネトゲンシュタインの邸で間違いないようだと確信したカナイが身分を明かすと
「それは、遠いところはるばるお越しいただき、恐縮にございます」
 と返事があり、童僕が思いのほか丁重な言葉を使うのに感心しながら
「お前の主人に取り次いでいただきたい」
 とカナイは切り出した。
「申し訳ありませんが、主人はいま昼寝の最中でございます。目が覚めるまで、誰にもお会いになりません」
「ちょっと……」とモモカが文句を言おうとしたのを制しながら「それでは、ここで少し待たせてもらっても、構わぬか?」とカナイが言うと「それは、構いませんが。目を覚ましてもお会いになられるかどうか……主様は寝起きは機嫌がよろしくありませんので」と童僕は答えた。
 のぞき窓を閉じようとした童僕は「昨晩は遅くまで通信遊戯に興じておられたご様子、夕刻まで目を覚まさぬやもしれません。また明日、お越しください」と言い残して去っていった。
「通信遊戯だって!」とモモカが悪態をつくと
「どうやら巷では流行っているらしいからな。遊びに興じて夜を明かす者も多いと聞く」とカナイは少し複雑な表情で呟き、「仕方あるまい。また明日来よう」と言って門に背を向けて歩き出す。
「ゲームとカナイ様と、どっちが大事かって、話ですよ」
「何、約束もせず突然訪ねた我々もよくなかったのだろう。明日になれば会えるはずだ」

 翌日、カナイたちが竹林の奥の邸を訪ねると、同じように門ののぞき窓に顔を出した童僕は「申し訳ありませんが、主様はただいまお出かけになられております」と言いづらそうに伝えた。
「それでは、お戻りになるまで待たせてはいただけぬか?」とカナイが言うと、「いつお戻りになるのか……」と童僕はためらいがちに言った。
「どちらにおいでになっているのか? 差し支えなければ、我々がそこへ出向いても構わぬが」
「いえ、実は……主様は邸のなかにはいらっしゃるのです」
「居留守、ってこと?」とモモカがのぞき窓に顔を押せると
「そうではありません」と童僕はきっぱりと言って「世界の滅亡の危機を救うため、主様はただいまウィルヘイントにログインされております」
「ウィルヘイント?」
「はい。そこでは三百年前の核戦争により文明が滅び、世界の環境は汚染され、突然変異によって発生したクリーチャーによって、人類は滅亡の危機にさらされているのです」
「それって……」
「いま流行している通信遊戯の世界のことでございます」
「それじゃ、遊んでるからカナイ様には会えないってこと?」
「いえ、遊んでいるのではありません。主様にとってはこれが生業でございますゆえ」
「ちょっと遊ぶのを休んで会うくらい、いいじゃないですか」
「現世は戯れ、戯れこそ真――これが主様の信条。いくら国王様のお遣いの方とはいえ、それを曲げてまでお会いすることはないでしょう」
 カナイは不満そうに童僕を睨みつけているモモカの肩を軽くたたくと「それでは、また明日来よう。しかし、明日こそは何としてもお会いさせていただきたい」と童僕の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「確約はできかねますが……何とか主様にお願いしてみましょう」
 童僕はカナイが真剣であることを確かめ小さく肯いた。

 三日目、カナイたちがネトゲンシュタインの邸を訪ねると、門の前で童僕が二人の到着を待っていた。
「どうぞ、主様がお会いになられます」
 童僕のあとに続いて門をくぐり、石畳の道のうえをしばらくすすんでいくと、小さな庵が見えてきた。
「こちらでお待ちください」と案内された部屋のなかには、最新の仮想現実環境を再現することができるハイスペックのコンピュータ・システムが二台、設置されていた。
「ゲスト用になりますので、主様のものと同等というわけにはまいりませんが、ログインして会話をするくらいであれば、何の支障もないはずです」
「つまり、向こう側……何と言ったか」と言葉に詰まるカナイを
「ウィルヘイント」とモモカが補足する。
「そう、ウィルヘイントで我々に会うということか」
「左様でございます。そちらであれば、いつでも主様にお会いすることができます」
 童僕に促されるまま、カナイとモモカはウィルヘイントに赴くための準備を進めていく。仮想世界に入るためのヘッドギアやグローブ型コントローラを装着し、ゲスト用の新規アカウントを作成する。
「サーバーは主様と同じフィーンレンスを選択してくださいね」という童僕の指示に従うと、二人はそれぞれ通信遊戯ウィルヘイント・サーガの仮想世界のなかへと没入(ジャック・イン)していった。
 チュートリアルを抜けた先で落ち合った二人は、それぞれ戦士と盗賊の一次職に就いていた。
「あ、カナイ様」
「何だ、モモカか」
 モモカは戦士姿のカナイを見つけて声をかける。
「現実より、カッコイイですよ」
「余計なお世話だ。それよりネトゲンシュタイン殿を探すぞ」
 慣れないシステムを駆使しながら、そんな会話を交わしていた二人の周囲に、とつぜん不可思議な魔方陣が形成されていき、不気味な光を放ちはじめた。
「何だ?」と慌てるカナイに「転送魔法、というものみたいですね」とのんびりとモモカが答える。
 次の瞬間、二人は見慣れない植物が密生した小さな庭園に立っていた。
 庭園の中央に設置された木製のテーブルには網籠に入ったフルーツの盛合せが置かれていて、モモカがその中からリンゴを一つ手に取ってかじると、甘味が口内に広がっていくような感覚があり、体力が少し回復した。
「リアルですねー」とリンゴを頬張りながら、モモカが周囲を見回すと、先ほど二人をここへ飛ばしたのと同じ魔方陣が、生い茂った草叢に描かれていくのが見えた。
 そして、その魔方陣のなかから、長い金色の髪をなびかせながら、重厚なローブに身を包んだ小柄な少女が姿を現した。少女は青い大きな瞳でカナイとモモカを交互に見つめて、ほんの少し口元をほころばせて「はじめまして」と微笑んだ。
「えっと、あなたがネトゲンシュタインさん?」とモモカが訊ねると
「いかにも、私がネトゲンシュタインです。しかし、この世界での真名はミーティア」
「……どちらの名でお呼びすればよいか」と問うたカナイに「ミーティアと」と即答したネトゲンシュタイン――もといミーティアは、テーブルの脇にあった木製のベンチに腰を下ろして、カナイとモモカにも向かいのベンチへの着席を促した。
「ミーティア殿……」と言いづらそうに切り出したカナイは「実は折り入ってそなたに頼みたいことがあり、こうして訪ねてまいった」と要件に入った。
「どうやら二度も訪ねていただいたようで、失礼しました。世界を救うのに忙しかったもので……どうかお許しください。それで私に頼みたいこととは?」
 カナイが眠銃についての説明をしてその解析を依頼すると、ミーティアは興味を惹かれた様子を示しながらも、「少し問題がありますね」と慎重に返事をした。
「問題とは?」
「解析をしている間、ウィルヘイント・サーガにログインできない、ということです」
「それは……しかし、たかが数日のこと。あなたの手にかかれば、解析にさほど時間はかからぬだろう」
「たしかに、解析は数日で終わります。しかし、いまは期間限定のイベント中。あなた方にとってはたかが数日でも、遊戯内ランキング上位を保つ上では貴重な時間です」
 渋るミーティアに対して、カナイはチュートリアルのアクション・コマンド解説で覚えたばかりの土下座コマンドを入力して頼み込む。
「この通りだ」と頭を下げるカナイに続いて、モモカも同じコマンドを入力し、二人で必死に頼んでみるが、ミーティアはなかなか返事をしなかった。
「お主を円卓会議の一員と見込んでの頼みだ」
 円卓会議――この王国だけでなく、世界中から選ばれた特別な天才が名を連ねる特殊研究機関。そのメンバーに選ばれた者には、あらゆる労働、学習、訓練からの解放が許され、己の関心の赴くまま自由に生きる権利が与えられるといわれている。
 まさか、いま目の前にいるミーティアが、そんな伝説の機関の一員だとは信じられず、モモカは伏せていた顔をあげて、相手の顔をまじまじと見つめた。
――まさか、こんな少女がNEETs of the Round Tableの一員だなんて……
 いくら国王の命によって活動しているカナイとはいえ、円卓会議のメンバーに強制的に命令を実行させることはできない。ここは相手がカナイの頼みごとに関心を示し、自らすすんで協力してくれるのを待つしかないのだ。

「……わかりました」
 長い沈黙の後、ようやく重たい口を開いたミーティアは、そう呟き、引き換えとなる条件を示した。
「私が解析を進めている間、そこの人……ええと、モモカさん? が代わりにイベントをすすめておいてください」
「私、ですか?」
「はい。本来、他人に操作を預けるのは邪道。私の美学にも反します。規約にも抵触する部分があるかもしれません。しかし、現在、私はあるプレイヤーとトップランカーの座をかけて争っている最中なのです。ここで数日間ログインできないというのは致命的……」
「でも、私、このゲームやったことないんですけど」
 ミーティアは土下座スタイルのままのモモカを見下ろし、小さく肯いて
「大丈夫。メイキングされたあなたのアバターを見ればわかります。あなたにはこのゲームをプレイするのに必要な才能が十分に備わっている。しばらく私と一緒にプレイしていれば、すぐに基本的な操作には慣れるでしょう」
「私に、才能が……?」
 立ち上がったモモカはアバターとなっている自らの身体を見下ろす。
「本番では、育てぬかれた私のアバターを使用することになります。このフルスペックを使いこなすことができれば……」
「カナイ様……」とモモカに視線を向けられたカナイは
「わかった。モモカ、すまないがしばらくミーティア殿に協力してくれ」と肯く。
「わかりました」と肯き返すモモカを見つめ、それからカナイはミーティアのほうに顔を向けて「それで、私はどうすればいい?」と訊ねた。
「あなたは、現実世界に戻って、お茶でも飲んでいてください」
 そう言われてログアウトしていくカナイの姿が、モモカには妙に寂しそうに見えた。

 

 ♥ ♥ ♥ ♥ ♡

 

 厳しい忍びの修行をくぐり抜けてきたモモカにとって、通信遊戯の複雑な操作を体得することなど造作もないことであった。その飲み込みの速さと適応力は、天才と謳われるネトゲンシュタイン――ミーティアでさえも舌を巻くほどで、モモカは次々にスキルの当たり判定やウエイトタイムといった特性をマスターしていった。
 短期間とはいえ、遊戯内ランキングの上位ランカーであるミーティアと行動を共にしていたモモカは、新規ログイン・キャンペーン「いまだけ経験値11倍」の効果もあり、次々に能力を向上させ、その日のうちに盗賊の上位職であるアサシンへのクラス・チェンジを果たしていた。
 ミーティアの指示に従ってパラメータとスキルを鍛え、高額な装備品を惜しみなく与えられたモモカは、瞬く間に上級プレイヤーへと成長していった。
「やはり、只者ではありませんね……」
 あまりにも成長著しいモモカにミーティアが舌を巻くと
「そうなんですか?」
 と当の本人は自覚がない様子で軽く応じながら、道端に自生している薬草を抜き取り、それを頬張って体力を回復させた。
 期間限定イベントのため、ミーティアとともに上級クリーチャーを狩り続けていたモモカは、何度か窮地に立たされる場面もあったが、希少な回復アイテムや強化薬を惜しげもなく使って、そのたびに自力でピンチを凌ぎ切っていた。
「モモカさん、アイテムの使い方に躊躇いがありませんね……」
「うーん、レア・アイテムとか、よくわからないですし、眠銃の解析が終わるまでのことなので、どんどん使っちゃおうかなって」
 その迷いなさに加えて、適切なアイテムやスキルを適切なタイミングで使用しているモモカの判断力に、ミーティアはやはり一目を置いていた。
「あなたなら、いずれ彼にも勝てるかもしれない……」
「彼? 誰です?」
「この遊戯がサービスを開始して以来、トップの座に君臨し続けている男――不眠(ねむらず)の王、アギリです」
「不眠の王……」
 その者は、一日中、常にゲームのなかに存在しているという。当初はNPCかbotではないかとさえ噂されていたが、ミーティアはこれまでに二度、対人イベントでアギリと対戦した経験があり、二敗を期しているという。
「彼の使用しているガンナーは遠距離から威力の高い攻撃を繰り出す高火力型。遮蔽物に身を隠しながら正確な射撃で相手を追い詰めていく戦い方で、その強さはプレイヤーの操作スキルに大きく依存します」
「そのアギリって人が、ミーちゃんがトップを争ってる相手なの?」
「ミーちゃん?……まぁ、いいでしょう。そう、いまは私が一方的に彼をライバル視しているにすぎませんが、いずれは一矢報いたいと思っています。とはいえ、今回のイベントは収集した巻物の数や種類で得点を競うもので、彼と直接対決する機会はないでしょうが……」
 一通りアサシンの操作を叩き込まれたモモカは、ミーティアがサブとして使用しているアサシンのアバターを借りて、代わりに巻物集めに専念することになった。その間、ミーティア――ネトゲンシュタインは、カナイのところへ戻って眠銃の解析をすすめるのだ。
「それではモモカさん、よろしくお願いします」
「任せといて! このアバター、私のより鍛えられてるから動きがとっても軽い」
「当然です。装備品の強化も完ストしてますからね」
 そう言ってウィルヘイントからログアウトしたネトゲンシュタインは、十数時間ぶりにヘッドギアと操作グローブを外して最新式コンピュータ・システムとの接続を解除した。
 すでに外は暗くなっており、窓の隙間から吹き込んだ冷たい夜風が、現実の肉体にはひどく堪えた。
 ネトゲンシュタインが居間をのぞいてみると、童僕が見知らぬ男と将棋を指しているのが見えた。ネトゲンシュタインがそのまま部屋へ入っていくと、その男、カナイは将棋盤から顔をあげて、「これは、ミーティア殿、ようやくお戻りになられたか」と声をかけた。
「主様、お食事になさいますか、それとも先に湯浴みを?」
 童僕は将棋を指す手を止めてネトゲンシュタインに駆け寄っていく。小柄な二人が並んでいるとまるで姉弟のようだとカナイは笑い、「それで、モモカは?」と訊ねた。
「モモカさんは、私の代わりにウィルヘイントで戦っています」
「もう半日以上、ログインしたままですが……」心配そうに呟いた童僕に
「なに、体力だけがやつの取り柄だ」とカナイは軽く応じた。
「カナイ様、銃の解析をはじめる前に、食事をなさいませんか?」
 ネトゲンシュタインの誘いを「それでは、有り難くご馳走になろう」とカナイが受けると、童僕は「すぐに支度をしてまいります」と言って居間を出ていった。
「それでは、続きは私が引き受けてもよろしいですか?」
 先ほどまで童僕が向かっていた将棋盤の前に座り、ネトゲンシュタインは盤面をじっと見つめて現在の局面をうかがいはじめた。
「では、お手合わせを願おうか」
 天才と呼ばれているネトゲンシュタインがどれほどの者か、試すつもりでカナイも将棋盤に向かう。すると「あと三手でお仕舞ですね」とネトゲンシュタインは口元を服の袖で覆って品よく笑い、「私の勝ちです」と言い、数分後、その通りに勝負がついた。

 NEETs of the Round Tableのメンバーだけに使用が許されている特別なアーカイブ。そこには世界中からあらゆる情報が無秩序に集められ、濃紺のモノリス型をした《アアプ》と呼ばれる記憶装置のなかに蓄積されている。
 筍をふんだんに使った食事を済ませると、ネトゲンシュタインはその特権で《アアプ》に埋もれている眠銃に関する情報を見つけ出し、詳細な分析を開始した。
 その結果、やはり眠銃はいまから四百年以上前に製造されたもので、現在世界最大規模を誇る国際企業マルキ・カンパニーの兵器部門によって開発された、戦術兵器であることがわかった。
「マルキ・カンパニー……まさか、それほど前から王国に大きな影響を与えていたとは」
 もたらされた情報に驚きを隠せないカナイに
「マルキは社歴六百年以上を誇りますからね。そういえば王宮にあるミハシラの反重力エレベータもマルキ製ですよね」とネトゲンシュタインが言うと
「浮潮から翠天宮を守る重力壁発生装置も……」とカナイは肯いた。
 それからネトゲンシュタインは銃の使用方法についても調査をすすめていった。
 基本的には一般的な銃と同様、狙う相手に銃口を向けて引鉄を引くだけというシンプルな操作によって、相手を深い眠りへと誘うことができるのが「眠銃」であるということに間違いはなさそうだった。
 しかし、発射のためには火薬や鉛弾ではなく、不眠エネルギーが必要になるらしかった。
「不眠エネルギー? それはいったい……」
「詳しいことはもう少し調べてみないとわかりませんが、どうやら眠銃を使いこなすには、他にも不眠遺伝子というものが不可欠みたいですね」
「ますます奇怪な兵器だな、眠銃というものは」
「手っ取り早いので、いまからマルキ・カンパニーの社内ネットワークに侵入してみようかと思います」
 そう簡単に言ってのけると、ネトゲンシュタインはテーブルの上に小型のコンピュータ・システムを展開させて、コンソール画面から複雑なコマンドを入力しはじめた。
 不可解そうにコンソール画面を見つめているカナイに「たしかにパワーは劣りますが、こっちのほうが身軽というか、いざという時に逃げるのには便利なんです」とネトゲンシュタインは解説をしたが、その意味はあまり伝わっていないようだった。
 数分後、「面白いものが見つかりましたよ」とネトゲンシュタインがフロウ・サブモニタに表示させたのは、眠銃が開発された当時に兵器デザイナーによって作成されたカタログだった。
「あくまでカタログ・スペックですが、ものすごい兵器ですね、眠銃って」
 さすがのネトゲンシュタインも驚いた様子で、マルキのアーカイブから持ち出してきたカタログに見入っていた。
「最大出力では、同時に数十人を眠らせることもできる、らしいですよ」
「それほどとは……しかし、それならば巨大な鳥にも効果があるやもしれぬ」

 眠銃を射出するためには、エネルギーパックに不眠エネルギーを充填しなければならない。不眠エネルギーとは、不眠遺伝子をもつ者が眠らずにいることで蓄積されるストレスのようなもので、使用者が眠銃のグリップを握ることによって掌から吸収される仕組みになっていた。
 不眠エネルギーを眠銃に吸収された使用者は、寝不足のストレスから解放され、精神的には快適な、しかし身体的には負荷のかかった状態のまま活動を続けることになる。不眠遺伝子というのは、眠銃と並行して開発された体内埋込式のナノ・マシンのようなもので、長期化した四百年前の戦争の際には、減少していく兵員を補うため、多くの不眠兵が生み出され、戦場で猛威を振るったとされている。

「アーカイブに当時の映像が残されていました」
 そう言ってネトゲンシュタインが再生させた映像には、眠銃の銃口から放散された薄い光の幕のようなものが、周囲に拡散し、その直後、光に包まれた者たちが次々に倒れ伏していく様が映されていた。
「なるほど……しかし、今となっては、いったいどうやって不眠エネルギーを集めればいいのだ」
「それは、不眠遺伝子をもつ者を見つけるしかありませんね」
 さらにマルキのアーカイブから情報収集を続けていたネトゲンシュタインであったが、不眠遺伝子に関する記録は完全に抹消されており、名称と開発時期程度の情報しか残されていないとのことだった。
「あるいは、マルキ本社のどこかにはハード状態の資料は残されているのかもしれませんが」とため息をついて、ネトゲンシュタインは《アアプ》との接続を解除した。
「私にお手伝いできるのは、どうやらここまでのようです。あまりお役に立てず、申し訳ありません」
「いや、たいへん有益な情報をいくつも得ることができた。礼を言う」
 そう言いながら、前途の多難を思いカナイはため息をついた。

 それから、ネトゲンシュタインは入手したカタログと開発資料をもとに、実物の眠銃の解析にとりかかった。躊躇うカナイを無視して国宝を手早く分解し、一つひとつパーツを丹念に調べ、機構を確認し、必要なメンテナンスを施していく。
 交換が必要なパーツを入手するため、童僕を町まで使いに走らせ、解析と修繕が完了するのには、ネトゲンシュタインの手際でもって二日を必要とした。
「エネルギーを充填する仕組みについて、もう少し詳しく調べてみたいところですが……とりあえずエネルギーパック以外は、新品同様の状態に仕上がっていると思います」
 返却された眠銃をまじまじと見つめるカナイであったが、多少きれいに磨かれている以外に、どこかに改変が加えられた様子もなく、ひとまず安堵する。
 解析を終えて、カナイとネトゲンシュタインが居間で一息ついていると、慌ただしい足音とともにモモカが部屋に駆け込んできた。
「ミーちゃん、一位になったよ、ランキング!」
 満面の笑みで嬉しそうに報告するモモカに
「ここではネトゲンシュタインとお呼びください」と冷静に前置きした後、「……あのアギリに、勝ったというのですか?」とネトゲンシュタインは驚きの表情を浮かべた。
「うん。巻物集めてたら、いきなり対戦を申し込まれて……久々に骨のある相手と戦ったって感じで楽しかった。あ、カナイ様、お久しぶりです」
「モモカ……まったく騒々しいやつだ」とここ二日間の静かな暮らしを思いながらカナイは、茶を啜る。
 私も喉が渇きました、と言いながらテーブルの上に視線を走らせたモモカは、筍の煮つけを見つけて、
「あー、カナイ様、ずるい! 私も筍、食べたいです」と叫んだ。
「ええい、うるさい。お前はそこらの草でも食っていろ」
「それはゲームで食べ飽きました!」
そんな二人のやりとりにネトゲンシュタインが微笑を浮かべると
「あ、それで、ネトゲンさん」
「ネトゲンさん?……まぁ、いいでしょう。何でしょうか」
「アギリって人から、ダイレクト通信があって――」
 その言葉に、ネトゲンシュタインは先ほどよりもさらに驚いた表情を浮かべて「アギリから通信が?」とモモカに確認を求めた。メッセージを送っていくらアプローチをかけてみても無反応であるということも、アギリがbotと噂された理由の一つになっており、まさか向こうのほうから連絡があるなどとは、考え難いことだった。
 筍と携帯食の魚肉ソーセージで空腹を満たしながら、モモカが説明しようとするのを「食べるか喋るかどちらかにせよ」とカナイはたしなめる。
 久々のリアルな食事を終えて満足したモモカは、アギリからの通信について報告する。

 

 私は、はじめてこのゲームにログインして以来、
 トップの座を守り続けるため、
 ほとんど不眠不休で戦い続けてきました。
 しかし、あなたのおかげで、ようやく
 このゲームの孤独から解放されました。
 負けはしましたが、いま、私は
 とても晴れやかな気持ちに満たされています。 

 ミーティア様
 これまでにも二度、対戦したときのことを
 あなたは覚えているでしょうか。
 その際、あなたはウィザードとして
 私に挑んできました。
 他の挑戦者たちよりも高度なレベルの
 白熱した二度の戦いは、私の渇いた心を
 大いに刺激してくれました。

 そしてこのたび、あなたがアサシンとして
 まさに破竹の勢いでイベントランキングを
 駆け上ってきていることを知り、
 私は居ても立ってもいられなくなりました。
 ぜひ、アサシンのあなたと対戦してみたい。
 その気持ちを抑えることができず、
 戦いを挑ませていただいた次第です。 

 アサシンとして闘うあなたの姿に触れて、
 その無駄のない華麗な動き、迷いなく
 こちらを仕留めようとする瞬時の判断、
 そして、アルゴリズムを知り尽くしたかのような
 ゲームへの愛を感じて確信しました。 

 あなたこそ、私の理想の女性、
 まさに救済の女神です。
 ……
 ……

 

「なんだ、これは?」と首を傾げたカナイに
「何というか、想像していた人物像とは少し異なっていたようですね」とネトゲンシュタインは小さく肯いた。
「アギリさん、ネトゲンさんに会いたいそうですよ」
 とモモカはさらに長く続いているメッセージの結論を簡潔に報告した。
「いや、彼が会いたがっているのは、私ではなくモモカさんでしょう」
 そう返されてモモカが戸惑っていると、メッセージの最後に記されていたアギリのアドレス情報を確認したカナイが「どうだモモカ、私の従者とはいえ、お前も年頃の娘。会ってみるのも悪くはないだろう」といたずらに笑った。
「カナイ様まで、いい加減にしてください」
「いや、どうやら彼が住んでいるのは、ちょうど次に立ち寄る予定の街に近いようだからな。せっかくの好意、無駄にすることもあるまい?」
「そうですよ。いまの時分、こういった出会いの形もけっして珍しくはありません。私の通信遊戯仲間にも、こうして知り合い、結ばれた者も多いですよ。まずは気軽に会ってみるのも悪くはないと思います」とネトゲんシュタインもカナイに同調して笑う。
「そんなー……でも、それならネトゲンさんも一緒に来てください。私、こういうの慣れていないんで」
 モモカにそう言われたネトゲンシュタインは、自分にはウィルヘイントを救う使命があるから、イベントがまだ残っているから、日差しを浴びると体調が悪くなるから、半日以上家を離れるとホームシックにかかるから、と言い訳を重ねたが、けっきょくアギリにミーティアの正体について事情を説明する責任がある、というモモカの主張に折れて、渋々カナイたちの旅に同行することとなった。

 

 ♥ ♥ ♥ ♥ ♡ ♥

 

 砂漠の街オラリア。ここにたどり着くまでの間、何度も心が挫け、体力の限界を感じ、諦めの言葉を口にしてきたネトゲンシュタインだったが、宿にチェック・インしたのと同時に荷物のなかから通信端末を取り出すと、砂漠地帯ではアクセス不可能だった通信遊戯にさっそくログインして、ログイン・ボーナスを獲得し、安堵すると同時にベッドに横になって深い眠りについた。
 ネトゲンシュタインのペースに合わせて移動していたため、予定よりも大幅に遅れた到着となってしまい、カナイは内心焦りを覚えていたが、旅の間にモモカとネトゲンシュタインが親しくなったことを喜ばしくも思っていた。
 ニンジャという役目や、普段からカナイや護衛部隊の面々と行動をともにしていることもあって、モモカにはクシナ以外に同性の親しい友人がいなかったことが多少気がかりであったからだ。
 オラリアに到着したことをアギリに知らせると、今すぐにでも会いたいという返事があったが、ネトゲンシュタインの回復を待つ必要もあり、会合は翌日に行われることに決まった。

 翌日、一行が待合せの店に到着すると、明らかに睡眠不足で顔色の悪い長身の男が、奥の四人がけのテーブルに佇んでいるのが見えた。三人ともが、その男がアギリで間違いないだろうと確信して声をかけると、予想通り、男は無言でうなずいた。
「ミーティアさん……」
 ネトゲンシュタインに熱い視線を送りながらそう呟いたきり、アギリは黙り込んでしまう。気まずそうにその視線を受け止めて、ネトゲンシュタインが事情を説明すると、アギリはしばらく放心した様子で、モモカとネトゲンシュタインを交互に眺めて、それからモモカをじっと見つめて、フッとため息を吐いて目を伏せると「すみませんでした」と呟いた。
「ちょ、ちょっといきなり失礼じゃないですか?」と憤るモモカに
「残念ながら、あなたは私の理想のひとではありませんでした」とアギリは率直に述べた。
「でもでも、アギリさんは私の華麗な動きに魅了されたんですよね? 私、実際にあれくらい動けますよ」と謎の弁解を行うモモカに、アギリは深いため息のあと「端的に言ってしまいますが……あなたからはミーティアさんのような知性が微塵も感じられないんです」と言って項垂れた。
 その言葉に、カナイとネトゲンシュタインも同意して肯く。
 納得のいかない様子のモモカに代わって「アギリ殿、変に期待をさせてしまい申し訳なかったな」とカナイが謝意を示す。
「カナイ様、何で謝るんですか!?」
「いや……主君として部下の不始末を……」
 不機嫌なモモカ、居心地の悪そうなネトゲンシュタイン、落ち込んだ様子のアギリ。はじめは微妙な空気につつまれていたが、食事がすすむうちに少しずつ会話が生まれていき、カナイが銀河孔雀やホライ山の噂についてアギリに訊ねると
「たしかに数日前、銀河孔雀が西のほうへ飛んでいくのを見かけました」
 アギリの話によると、数年おきに銀河孔雀はこの街の上空を通過することに間違いはないようだった。しかし、ホライ山の実在についてはアギリにも確信はなく、砂漠の向こうに立ち込める深い霧は、生まれてこの方、一度も晴れたのを見たことがないということであった。
 そもそも、あの霧が発生したのは前世紀の月面戦争(クレーター・ウォー)による重力歪が原因であるといわれており、それ以前、まだ霧に覆われていなかったころには、そこには山など存在しなかったとの記録も残されていた。
 しかし、月面戦争の戦禍はこの惑星にも多大な影響を及ぼしており、大規模な地震の頻発や地殻変動による地表の隆起によって地形が変化し、山のようなものが形成されていた可能性もある、とネトゲンシュタインは言った。
「ふつう、それほど短期間に大幅な地形変化が起こるとは考えにくいですが、仮に重力歪が局所的に大きな影響を及ぼすようなことがあったのだとすると、あるいは」
「まぁ、孔雀が西へ向かったのが確かな以上、実際に行ってみるしかあるまい」
 覚悟を決めて肯いたカナイに
「そうですか……どうかお気をつけて。短い間でしたが、カナイさんたちと一緒に旅ができて、久しぶりに現実世界を楽しむことができました」
 とネトゲンシュタインは感謝を述べた。
「え、ネトゲンちゃんも一緒に行こうよ」
 すっかりネトゲンシュタインを仲間と認識していたモモカが意外そうに呟く。
「モモカ、これ以上彼女を巻き込むわけにはいくまい」
 カナイの言葉に、ネトゲンシュタインは深く肯く。
 三人の旅の目的を知らず、アギリは不思議そうにそのやり取りを眺めていたが、「別に隠すようなことでもあるまい」とカナイが事情を説明すると
「しかし、どうやって羽根を取るんです? あの鳥、とても大きいですよ」とアギリは疑問を口にした。
「お主、意外とモモカと相性がよいやもしれんぞ」と言いながら、カナイは懐から眠銃を取り出す。すると、それを見た途端、アギリの表情が一変した。
「そ、それは……まさか、眠銃では?」
「何だ、お主、眠銃を知っているのか」
 意外だという表情を浮かべてカナイはアギリの顔を見つめる。
「知っているも何も……私が通信遊戯に興じていた原因の一つは、その銃が関係しているんです」
 アギリの反応に、カナイは身を乗り出し
「その話、詳しく聞かせてはくれまいか」
 と続きを迫った。

 アギリの家の神棚に、先祖代々祀られている木造彫刻、それはかつてアギリの祖先が国の運命を賭して戦った際に用いられた武器を象ったものであった。その形状は、いまカナイの手のなかにある「眠銃」そのもの――つまり、アギリの祖先は眠銃を手に建国のために戦った英雄たちの一人だったのである。
 話がそれだけであれば、それは誇らしい先祖自慢の一つにすぎなかっただろう。しかし、かつて眠銃を使うために戦士の体内に埋め込まれたという不眠の遺伝子は、長い年月を経て、その子孫の体内にも残されていた。
「思えば、幼少のころから、夜眠らない子供だったんです……」とアギリは自らの生い立ちを語りはじめた。あまりにも夜型すぎる生活サイクルだった彼は、徴兵で王立国境騎士団の夜間警備兵として数年間勤めたあと、まともな職に就くことができず、深夜営業店舗の販売員や夜間警備のアルバイトを続けていたが、数年前から昼夜問わずほとんど睡眠をとることができなくなり、労働の継続が難しくなって引きこもりとなり、睡眠障害と診断された結果、支給されることになったわずかな障害給付を通信遊戯に費やしはじめたという。
 その後、通信遊戯の腕前が認められ、プロ遊戯士として開発企業のスポンサードを得ることができて、何とか生活が成り立っているのが現状らしかった。
「二年前、神棚の掃除をしていた時、見つけたんです……」
 アギリは神棚の奥から見つかった眠銃の取扱説明書を読んで、不眠遺伝子の存在を知ったという。眠銃が不眠エネルギーを原動力としており、それを手に入れれば不眠遺伝子の所有者は蓄えた不眠によるストレスから解放される。
「ずっと……探し求めていたんですよ、その銃を」

 アギリの話にカナイとネトゲンシュタインは顔を見合わせて「いたな」「いましたね」と肯きあって『不眠遺伝子!』とハーモニーを奏でた。
 二人が喜び合っている様子をアギリは不審そうに見つめていたが「アギリ殿、これを」と手渡された眠銃を手にした途端、その表情は見るみるうちに和らいでいった。
「あぁ……心が、洗われて、行くようだ」と放心状態で呟くアギリを、三人はしばらく黙って見守っていた。
 しかし、あまりにも長くアギリが呆けた様子のまま動かないのを心配して「アギリさん……大丈夫、ですか?」と恐るおそるモモカが声をかけた。
「ええ、モモカさん。先ほどは初対面で失礼なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。心が疲弊して、どうかしていたんだと思います。ああ、もっと早く、眠銃に出会えていれば、今頃、私は……」
 恍惚の表情を浮かべたアギリからの謝罪を気味悪く思いながらも、モモカはアギリが手にしている眠銃がエネルギーに満たされてうっすらと光を帯びていることに気がついた。
「カナイ様、眠銃が!」
「うむ、どうやらこれで眠銃を使うことができるようだな」
 カナイは感慨深げにそう呟いた。

 すっかりストレスから解放されたアギリは、爽やかな笑顔を浮かべて「ありがとうございました」と眠銃をカナイに返却した。そして「カナイ様。もしよろしければ、私も連れて行っていただけないでしょうか」と真剣なまなざしで訴えた。
 眠銃がないまま街にとどまっていても、しばらくすればまた今までの生活に戻るばかり、それよりは、眠銃の使い手として何か役に立てることがあるかもしれない。国境騎士団での従軍経験もあり、通信遊戯で培った射撃の腕前にも自信がある、というアギリの訴えに、しばらく考えこんでいたカナイは「わかった」と一言肯いた。
「いずれにせよ、眠銃の引鉄はアギリ殿にしか引けぬのであろう?」とカナイがネトゲンシュタインに確認を求めると、「おそらくは」との返事があった。
「そういうわけだ。頼んだぞ、アギリ」
 カナイが背筋を伸ばし、主君の威厳をもって言葉をかけると、アギリは黙ったまま右掌を胸元にあてて忠義を立てた。
「それでは、形式だけではあるが」とカナイはオラリアの地酒を注文して、盃をいっぱいに満たした。そしてその杯をアギリに差し出す。
アギリは一礼して盃を受け取ると、なみなみと注がれた酒を一気に飲み干した。
「私も」と徳利に残っていた酒を飲もうとしたモモカを「お前は飲むな、酒癖が悪すぎる」と制して、カナイは自ら手酌で杯を満たし、砂漠の酒の味を堪能した。

 

 ♥ ♥ ♥ ♥ ♡ ♥ ♥

 

 砂漠の先に広がる乾燥した草原地帯をぬけると、王国最大の川幅を誇る雄大なカーヴェル河の流れが横たわっている。週に一度の向こう岸への渡し船を待ちながら、カナイたちは人けのない町のなかを歩いていた。
「川沿いなのにずいぶんと寂れてますね」
「この辺りは気候が厳しいからな」
 モモカの質問に答えながらカナイは川の向こうに巨大な雲海のように広がっている霧を見やる。
「あの霧のなかに銀河孔雀が……」けっきょくモモカに説得されて、カナイたちについて砂漠の果てまでやって来てしまったネトゲンシュタインは、もっぱら銀河孔雀の生態と霧の発生原因に興味があるらしかった。
 カナイの臣下に加わり気合が入っているのか、アギリはモモカ以上に周囲に気を配っており、王宮からずっとカナイの後をつけてきている尾行にも気がついていた。
「カナイ様、霧のなかに入る前に始末しておいたほうが安全なのでは?」
「いや、モモカがいる以上、相手も不用意に手は出せまい。いずれ孔雀の羽根を手に入れれば旅の目的も達成される。そのとき、相手がどう動くのか、反応を見るのも悪くはあるまい」
「モモカさん、いったい何者なんです? 霧のなかで奇襲を受けるようなことになれば思わぬ不覚をとることになるかもしれませんよ」
「安心せよ。モモカの実力は私が保証する」
 カナイはネトゲンシュタインと談笑を交わしているモモカを一瞥し、本人には聞こえないように小声で信頼の言葉を呟く。
「たしかに、ウィルヘイントでの対戦で彼女の力に疑いはありませんが……」
「なに、霧のなかはあいつの庭のようなものだ」

 船で川を渡り、宿で一泊して疲れを癒した一行は、深い霧に覆われている足場の悪い密林のなかを、方角も定まらぬままホライ山を目指してすすんでいった。先行するモモカは奇妙な植物や昆虫、謎の吸血生物を薙ぎ払いながら道を作り、カナイはその小さな背中を信頼して後について歩いていく。そのすぐ後ろには怯えた様子のネトゲンシュタインが、カナイにしがみつくように寄り添いながら、不気味な虫の羽音や甲高い鳥の鳴き声がするたびに悲鳴をあげている。そしてアギリはカナイにくっついているネトゲンシュタインを複雑な表情で見つめながらしんがりを務めていた。
 途中、カナイは立ち止まり、来た道を振り返って
「これは、もう私一人では戻れんな……」と呟き、前を行くモモカを改めて信頼の眼差しで見つめ、「カナイさん、そんな怖いこと言わないでください」と声を震わせるネトゲンシュタインに「安心せよ。モモカなら目を瞑っていても戻れるだろう」と笑った。
 霧の流れを読む必要があるからと言って、モモカは定期的に背の高い木の上に駆け上っていく。そして、右の人差し指を軽く舌先で舐めると、手を掲げて、指先で宙をかき回すように一回転させてから、その指先を唇にくわえこむ。
 霧の流れや質に変化があれば、モモカは舌先で敏感にそれを感じ取ることができた。
 軽々と木を登っていくモモカの姿に
「女性に対しては失礼な言い方かもしれませんが、まるで猿のようですね……」とアギリが感心しながら呟くと
「いや、やつは猿よりも身軽やもしれぬ」とカナイは木の天辺を見上げた。
 登ったときと同様に、するすると木を駆け下りてきたモモカは
「カナイ様、このあたりの霧は少し瘴気が強いみたいです。念のためこれを」といって懐から小さな布製のマスクを三つ取り出した。
 受け取ってマスクを装着しながら「モモカさんの分は?」とアギリが言うと、モモカは「あ、私は大丈夫です。むしろ心地いいくらいなんで」と笑って大きく深呼吸をしてみせた。大きく息を吸って膨らんだ胸元に顔を赤らめながら、アギリは一つ咳払いをする。
 次第に辺りの植物の生態に変化が見られるようになり、徐々に標高が高くなっているのか、周囲の空気も薄くなっていった。どうやらいつの間にか一行はホライ山に足を踏み入れていたらしかった。
「見てください、カナイ様! たぶんあれが伝説の珠の枝ですよ。あの実、食べられるのかな?」と見たこともない赤い実を指さしながらモモカが言ったのに
「やめておけ、いくらお前でも腹を壊すぞ」
 と応じながら、カナイはその枝をつかむと、力を込めて一本だけ手折って風呂敷に包んだ。旅の土産としてこの枝を加工して簪を作ってやれば、クシナが喜ぶだろうと思ったのだ。
 緩やかに蛇行した斜面を登り続けていくうちに、とうとうネトゲンシュタインの体力が尽きてしまい、しかし一人で置いていくわけにもいかず、やむを得ずカナイは彼女を背負っていくことにする。
 もっとも、これまでの道中、竹林の邸を出てからというもの、ネトゲンシュタインの体力が尽きてしまったのはこれが初めてというわけではなく、そのたびにこうしてカナイは彼女を負ぶって歩いてきたので、すっかり慣れたものであった。
「いつも済みません……」
 背中で申し訳なさそうに呟いたネトゲンシュタインに、カナイは
「なに、包みが一つ増えたくらいのもの、どうということはない」
 と笑い「これがモモカであれば話は別だがな」と冗談を言って安心させる。
「カナイ様、それってどういう意味ですか。これでも気にしてるんですよ、私……」
 しかし、山歩きの栄養補給のため非常食の魚肉ソーセージを頬張りながらそう呟いたモモカからは、何の説得力も感じられず、一行に小さな笑いが起こった。
「それにしても、ここまで霧に惑わされずについてくるなんて、相手もなかなかの使い手のようですね、カナイ様」
 そうモモカに言われたが、さすがのカナイも濃密な霧のなかでは尾行者の存在を知覚できず「そうか、まだついてきているか」と小さく肯く。
「カナイ様、くれぐれも警戒を怠らないでください」と言いながらアギリは、携帯していた拳銃、マルキ357マグナムのグリップに手をかける。
 モモカが相手の実力を感じ取ったのは、単に霧のなかで尾行を続けられているから、というだけではなかった。尾行者はこちらを見失わぬよう、少しずつ距離を詰めながら、しかし、ぎりぎりのところでモモカの攻撃の射程圏内に入らないよう、慎重な位置取りを続けていた。
 それでもこちらから仕掛けて一気に距離を詰めれば、確実に仕留めることができるとモモカは確信していたが、もちろんそれはカナイの命令があってからのことだ。
 一行は束の間の休息と栄養補給を終えて、再び山頂を目指して歩きだす。
「空気が重たくなったな」
 すぐ目の前の様子さえもわからないくらい濃くなった霧の奥から、空気を重たく揺さぶるような、低い振動が伝わってくるのが感じられた。何か目には見えない緊迫した気配に圧されて、肌が粒だっていくのをカナイは感じた。
 ネトゲンシュタインを背負っている背中に冷たい汗が一筋流れる。
「カナイ様」
 そう言って振り返ったモモカのシルエットが霧のなかに浮かび、そちらに歩み寄っていったカナイは、いつになく真剣なモモカの眼差しに、気持ちを引き締める。
 さすがのモモカも身の危険を感じているのか、霧の術を使うための準備を始める。懐から取り出した小さな丸薬を口に含み、丸いケースに入った特殊な口紅を指先に付着させて、それを唇に薄く塗っていく。口の中でガムのように丸薬を咀嚼しながら、モモカは小さく息を吸い込んで、周囲の霧を口の中で練り混ぜていった。
 モモカの準備が整ったのを確認したカナイは、懐から眠銃を取り出すと、すぐ後ろに控えていたアギリに手渡した。
「アギリ、ぬかるでないぞ」
「任せてください、カナイ様。このアギリ、初陣で必ずや功を立ててみせます」
 マルキ357マグナムをホルスターに収め、眠銃のグリップを力強く握りしめながら、アギリは己を鼓舞させるため、主君に誓いを立てる。
「カナイさん、ここで降ろしてください。もう自分で歩けます」とネトゲンシュタインは申し出る。自分を背負ったままではカナイが思うように動けないだろうという配慮もあったが、銀河孔雀を間近で撮影するために持ってきた重たい撮影機材が、ついに役に立つときが来たのだ。
 そしてついに、開けた岩場の中央に横たわって羽を休める銀河孔雀の姿を目の当たりにすることとなった。
 霧の奥に、巨大な猛禽の影が浮かび上がる。開かれた両目は不気味に青く輝いており、その色はどこかサミーユのサファイアのような髪を思わせるところがあると、カナイは思った。
「カナイ様、アギリさん、私が先行して引きつけます。その隙に眠銃で眠らせてください」
 何度となく王国の上空を飛翔する姿を目撃されてはいるものの、銀河孔雀の生態はほとんど知られておらず、宇宙から飛来した謎の生物がどんな恐ろしい攻撃手段を有しているのかなど、この場にいる誰にもわからない。
 とつぜん口から強力な火炎を吐くかもしれないし、目から怪光線を放つかもしれない。大きな羽をはばたかせて竜巻を起こすかもしれないし、美麗な尾を鞭のようにしならせて叩きつけてくるかもしれない。
 そんな未知の相手に、何の躊躇もなく向かっていくモモカの姿を、カナイは何よりも頼もしく感じ、しかし同時に、一抹の不安も覚える。
「モモカ!」
 カナイが叫ぶと同時に、目の前からモモカの姿が消えた。
 次の瞬間にはモモカは孔雀の鼻頭の上に乗って、その眉間に目つぶしの霧を勢いよく吹き付けている。その動きについていけず、とつぜん両目の視界を奪われた孔雀は、凄まじい咆哮をあげて巨大な羽を勢いよく広げた。
 孔雀の叫びと広がる羽が周囲を震わせて、思わずカナイはその場に立ちすくんでしまう。ネトゲンシュタインはその場に俯せになりながらも、何とか銀河孔雀にカメラを向けて撮影を続けているようだった。
 アギリはカナイの盾になるように一歩前に出ると、眠銃をしっかりと握りしめて、そのままゆっくりと前進して孔雀との距離を詰めていった。いったい、眠銃の射程がどれほどなのか、誰も知らなかった。すべてはウィルヘイント・サーガの世界でガンナーとして磨き抜かれたアギリの判断に委ねられている。
 両目をつぶされて暴れ狂う銀河孔雀の動きを巧みにかわしながら、モモカは傷をつけないように慎重に、短刀の先で孔雀に刺激を与えて気を逸らしていた。しかし、孔雀はいまにも飛び立とうと、激しくはばたきだす。
「アギリさん、早く!」
 モモカの叫びに応じるように、アギリは意を決して駆け出すと、銀河孔雀から十メートルほどの距離のところで勢いよく眠銃の引鉄を引いた。
 刹那、眠銃の先端が激しい光を放ち、その光が八方へと飛び散るように、放射線を描きながら拡散していった。霧に覆われていたはずの岩場は、激しい光に満たされていき、その光は、場に存在するあらゆるものを深い眠りへと誘っていく。
 急激な眠気に全身の力が抜けていくのを感じながら、モモカは主君のほうへと力を振り絞って駆け寄っていく。しかし、さすがのモモカでも眠気には勝てず、道半ばで力尽き、固い岩場に脱力して横たわってしまう。
「くっ……カナイ様……不覚――」

 

 ♥ ♥ ♥ ♥ ♡ ♥ ♥ ♥

 

 モモカが目を覚ますと、周囲の霧はすっかり晴れており、空には大きな太陽が悠然と輝いていた。
 すでに岩場に孔雀の姿はなく、少し先でカナイがネトゲンシュタインを守るように抱きながら眠っているのが見えた。
 主君の無事な姿に安堵の息をもらし、それからモモカは気持ちよさそうに熟睡しているアギリのそばへ歩み寄って「お疲れ様、アギリさん」とねぎらいの言葉をかけた。
 久しぶりの深い眠りを満喫しているアギリを起こさないように、慎重にその手から眠銃を取ったモモカは、蓄えられていたエネルギーがすっかり失われて玩具のようになってしまったそれをしばらく見つめていた。
 眠銃の有効範囲は想像以上に広かったらしく、離れた場所にいたはずの尾行者も眠りに巻き込まれてしまっていた。まだ目を覚ましていない相手の前に立ち、覆面に隠されていた素顔を確認すると、それは予想していたとおり、モモカも顔見知りのクボウの部下のニンジャだった。
 いま、この瞬間に尾行者を始末してしまうことに、モモカは何の躊躇いもなかったけれど、カナイから命令を受けていない以上、勝手な行動は許されない。
「おじさん、命拾いしたね」
 そう言ってモモカは自分の唇に右の人差し指を押し当てて、付着した口紅で尾行者の額に霧の呪印を刻み込んだ。
「バイバイ……それとも、またね。かな?」
 眠ったままの相手を置き去りにして、モモカが岩場に戻ると、すでに目を覚ましていたカナイが膝をついて失意に沈んだ様子で項垂れている姿が見えた。その横に寄り添うようにしてネトゲンシュタインがカナイの肩に手を置いて慰めている。アギリはまだしばらく目を覚ましそうにもない。
「くっ……サミーユ様の命を遂げずに、おめおめと王宮に戻るわけにはいかぬ」
 しかし、孔雀をさらに追いかけて行くにせよ、その巨鳥がここからどこへ飛び去ってしまったのか、その行方を見ていた者はいない。
「もしかしたら」とネトゲンシュタインがカメラに残っていた映像を確認すると、そこには霧が晴れて雲一つない青空のなか、銀河孔雀が太陽を目指して空をぬけて、はるか宇宙のほうへ高く飛び去っていく姿が残されていた。
「私に……宇宙まで行けと、言うのか……」
 絶望したカナイの声が、静かな岩場に虚しく響き渡った。
 不意にモモカがすぐ横の岩場の陰に視線を向けると、そこには虹色に輝く大人の掌ほどの大きさの羽根が一枚、落ちているのが見えた。
 近寄って拾い上げてみると、その羽根は驚くほど軽く、信じられないほど艶やかに色めきながら輝いていた。その羽根をそっと背中に隠して、モモカはカナイのほうへと歩み寄っていく。
「カナイ様、いくら私でも宇宙の果てまでお供することは、できませんよ」
 明るい調子で言ったモモカに顔を向けて、「これまで世話になったな。私がいない間、くれぐれもサミーユ様をお守りするのだぞ……」とカナイは命を下す。
「その命令は聞けません。私はカナイ様の従者ですから。一緒に王都へ戻りましょう」
 そう微笑んで、モモカは一枚の羽根をそっと差し出した。

 

to be Next…

 

 

 次回予告
王都に戻ったサミーユを待ち受けるゴランの罠。
カナイ不在のなか、星天祭で華やぐ街を舞台に
クシナの剣が悪の野望を打ち砕く。
そして、反重力エレベータ「ミハシラ」で
繰り広げられるモモカとクボウの死闘――
追いつめられたサミーユを救うべく
いま、伝説の眠銃が再び光を放つ。
次回、「The Nap-Gun」―星天武闘編―を
眠らずに……待てッ!

文字数:32089

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