《身にまとうもの》ステートメント

作品プラン

《身にまとうもの》ステートメント

人はこの世界に生れ落ちた瞬間に男か女かのどちらかに分類され、その時に決められた性別は一生自分につきまとう。
僕は『女性』という性別に生まれてしまったがゆえに、親や周囲の大人たちが僕に投げかける言葉は『女の子』に対するもので、与えられる洋服やおもちゃ、しつけられる言葉遣いといった身近なもののすべてに、『女の子』というラベルを貼られているようだった。

中学・高校に上がれば制服でスカートを履かなければならなかった。
その時に思ったことは「どうして女性だと主張していないのに女性にしか思われない服装をして、女性だと言ってないのに人から女性だと思われないといけないのか」ということだった。
自分の性自認に関わらず『女性』という括りに入れられること、従来のジェンダー観に従ってコントロールしようとしてくる環境がただただ煩わしかった。

しかしながら、この世界の常識とされるものは外観が男性(女性)の身体であって、しぐさ、振舞い、服装が社会的に男性(女性)的であると分類されているものを身にまとっている限り、その人は男性(女性)だということになってしまう。
この社会で人と関わって、会社なり学校なりの集団生活を送っている周りは自分なりの常識をもったマジョリティの人々ばかりで、その中で混乱を防ぐ為に、男性にも女性にもなれない自分はどう振る舞えばいいのか、自分の体の性と心の許容範囲を考えて『身にまとうもの』を選択し行動することにいつも囚われている。それには、男らしさや女らしさを考える事からは逃げられない。

誰もが無意識に社会や世間の風潮、メディアから『男ってこういうもの・女ってこういうもの』という性別規範を刷り込まれている。多くの人がそれが常識だと思い込み、メディアが産み出す性別規範に縛られてはそのイメージに近づけようとする。

その様がとても滑稽に思えて、自意識が無い着せ替えドールに重ね合わせて描いた。

 

 

19_森山亜希_身にまとうもの

文字数:793

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