重力崩壊と私掠船、その船医と強欲な商人

印刷

梗 概

重力崩壊と私掠船、その船医と強欲な商人

白色矮星の中で

 フランシスとウォルターは宇宙海賊だが、白色矮星の中に閉じ込められている。彼らは、不足している炭素を入手するために、白色矮星を爆破しようとやってきた。しかし、船員の反乱により彼らの船は白色矮星に墜落した。彼らの人格は現在、白色矮星表面の原子核の中に情報としてたくわえられている。

脱出を阻む磁場

 脱出を試みようとしたが、予想以上の強烈な磁場に阻まれて脱出できない。磁場が想像以上に強まっているらしい。そのため、一度白色矮星の内部に入り込み、磁極から離れた場所へ移動し、そこから脱出しようとする。

エイリアンとの遭遇

 内部に接近するにつれ、核力で形成されたエイリアンの文明があることに気づく。これを爆破しようとしていたとは。彼らからは外部の知識をもたらすものとして歓迎される。フランシスは、彼らとのコンタクトの権利を学者に売れば、炭素を入手できなくても十分にペイすると考えている。

ここは中性子星だった

 一方で、深く潜るにつれて周囲の環境の変化が理論値と全然一致しないことを不審に思うウォルター。ついに、この天体がいつの間にか中性子星に変わっていたことに気づく。なぜ今まで気づかなかった、と不審に思うフランシスだが、ウォルターによれば、人間の精神と一体化した人工知能が、周囲の環境を翻訳していたのだという。ウォルターは危機感を強める。白色矮星が中性子星になったのは、質量の流入がおこったからだ。そして、おそらくそれは継続している。言い換えるならば、今度はブラックホールになってすべてを吹き飛ばす可能性がある、ということだ。

ウォルターの死

 ガスの流入速度を確かめに、できるだけ中性子星表層にまで浮かび上がる二人組。しかし、反乱軍に存在を察知され、ウォルターが犠牲になってしまう。高笑いする反乱軍の長。フランシスは、ウォルターの残した手がかりを元に、ブラックホールになる直前の大爆発に乗って、知的生命たちを逃す計画を立案する。

ウォルターの欺瞞

 だが、知的生命たちと脱出する間際になって、彼らが実はフランシスらの船のシステムから生まれた疑似生命に過ぎないと明らかになる。そんなものを救うためにウォルターは犠牲になったのか。彼らを学者に売り飛ばす計画は無駄になった。更に、ウォルターは最初からすべてを知っていたともわかる。彼は、反乱軍と結託し、白色矮星が中性子星、それからブラックホールになる現場を、外部と内部で観測し、そのデータを売りさばこうとしていたのだ。

ブラックホール誕生

 フランシスは絶望しながらも、知的生命たちから入手した、超新星爆発の記録から質量の流入速度を計算し、脱出計画を立案する。そして、爆発とともに原子核に宿った生命たちは銀河中に散らばっていく。フランシスもまた、反乱軍の船を目指し、彼らの長の脳に致命的なダメージを与えてから去っていく。

 

文字数:1178

内容に関するアピール

 久々にハードSFを書こう、と思い立ちました。そのくせ、スペースオペラのような宇宙海賊が出てきます。扱ったことがないテーマです。フランシスたちは、利益のためなら何でもやるため、宇宙海賊と呼ばれています。

 作中では、人類の寿命は既に数万年単位となっています。なので、恒星と恒星の間の数年の旅も、長い人生の間のごく一部にすぎません。

 フランシスたちが難なくエイリアン文明とコンタクトできるのは、人間の感覚にあわせて周囲の事物を翻訳するシステムのお陰です。このシステムは元来、文化的慣習やしぐさの持つ意味が全く異なるほど隔てられた人類の各文化の間のトラブルを防ぐために、そうしたことを自動的に翻訳するものです。

 そのせいで、白色矮星の中か中性子星の中か気づくのが遅れることになります。このシステムは意識の深いところに埋め込まれており、注意しないと周辺の違和感を見過ごしてしまいます。

文字数:388

印刷

中性子過剰核生命体

「……これより、凝縮天体からの脱出シークエンスに入る」

「了解。電磁波、及び重力波の変異を確認。誤差は許容範囲内」

「相対論的時空間の歪み、すべて正常」

「中性子星本体の磁場の変動、予測値通り」

「観測範囲内に擾乱材料確認されず」

「すべてよし。意識と知性を磁束へと変換。中性子表層へと移動」

「中性子表層到達まで、あと五秒」

「四、三、二、……予想外の抵抗。高エネルギー反応」

「出力を上げろ。力技で突破する」

「エネルギー、指数関数的に上昇。跳ね返された」

「もう一度だ」

「フランシス。これ以上やっては、通常の意識を保てる保証はない。それどころか、精神体としての統一を失う。撤退が賢明だ」

「……」

 俺は歯がみし、過程を中断。意識を再び中性子星内部に向ける。ひたすら渦を巻く中性子の海の中へと戻っていくことは、俺にとっては破滅への道なのだが、これを避ける手段はない。相棒のウォルターも俺に続き、この進化のどん詰まりの天体の内部へと沈んでいく。

「今回もだめだったな」

 と冷淡に告げたのはウォルターだ。こういうのを言わずもがな、と呼ぶのだろう。俺はそれを無視する。

「だが、データは集まった。原因は掴めそうか」

「どれだけデータが増えたとしても、いかんともしがたい。こちらの知っている物理法則に反している」

「ここは中性子星の中だ。事象の地平面の中じゃない」

「知っている」

 今度はウォルターが肩をすくめる。俺はあたりを見回す。そうしたところで、俺の視覚に入ってくる情報はほとんどない。ただ、中性子そのものの密度や、わずかな陽子の数が色彩パターンに変換されているだけだ。この天体の外側の密度は薄く、陽子が多い。内部に向かえばその逆で、要するに中性子星の核に近いかどうかぐらいの情報しかない。そういうわけで、すべてが理論と常識の範囲に収まっており、東西南北どっちを向いているかを知ることにしか役に立たない。

 俺がこの天体からとっとと脱出したい理由は暇だとか退屈だとかスポンサーとの契約だとかいろいろで、すべてをひっくるめれば両の手に余るのだが、金儲けをしたいという理由に次いで一番わかりやすいのは、この中性子星が間もなく伴星の白色矮星と正面衝突するからだ。この連星は重力波を放出しながら絶えず接近しており、俺たちに残された時間は主観時間で数日といったところだ。正直なところ、小便を漏らすほど怖気づいているのだが、残念なことに今の俺には膀胱がない。俺のいる環境下では液体も存在できそうにもないので、きれい好きの俺としてはあたりを汚さなくて済むのはありがたい。

「クソったれ」

 と叫んでは見るのだが、事態の打開には寄与しないし、俺にもウォルターにも、現状では直腸をはじめとした消化器官がないので垂れるべきクソもない。今の俺とウォルターは、中性子星の中に情報体として存在する。俺たちがここに宇宙船を係留する前に、ウォルターがここに下見に来ていたはずなのだが、そのときにやつが見落としていた小天体があったのだろう。それにぶつかられて、俺たちは猛烈な重力に押しつぶされる羽目になった。

 中性子星に墜落することがわかった時点で、俺たちは磁束の形をした情報に姿を変えた。馴染み深い肉体を捨ててしまっても、情報さえ残っていればどこかで複製できる。なので、どこかの人類圏まで電波となって飛んでいきき、そこで再生するつもりだった。だが、どういうわけか中性子星の外に出ようとすると、目に見えない壁が立ちふさがり俺たちを閉じ込めるのだ。

「俺たちの脱出劇、中継したらスポンサーが喜ぶだろうな」

「残念ながら、あらゆる情報は外部に届かない。だから我々も情報として脱出できない」

 これも言わずもがなだが、ウォルターはそういうやつだから仕方がない。俺と違ってDNAベースの意識でないからかもしれず、当人の性格の問題なのかもしれない。俺も減らず口を叩くこともあるが、ウォルターはその三倍は多いはずだ。もっとも、俺は金銭の絡まない数学は苦手なので正確なところはわからない。

「スポンサーの件については、こちらも検討はした。録画はしているので、脱出できたら売却は可能だ」

「わかった。俺とお前で、折半でいいよな?」

「多少こちらが多めにもらうことになるが、おおよそは」

「なんでだよ。最初の契約と違うぞ」

「脱出作戦の立案と実行は、基本的に技術的知識のあるこちらがやっているので。フランシス。申し訳ないが、そっちは基本的に役に立っていない。なんだったら、こっちが脱出を諦めて二人とも消滅し、受け取る金がゼロという選択肢もある。こっちはゲーム理論でいう合理的なプレイヤーだから」

 率直なのは美徳だが、こいつの場合、無礼と呼ぶべきだ。いくら対等な契約を長いあいだ続けたやつだとはいえ、礼儀というものがある。持って回った言い回しをすると意図が正確に伝わらないケースがあり、こうした稼業では無用のトラブルの原因なのはわかるのだが、最近になって俺はこいつの長広舌にはほとほとうんざりし始めており、無事に帰れたら一年くらいは休暇を取りたい。できることなら、当分はしっかりと踏みしめる大地を持った天体の上で過ごしたい。

 ちなみに、スポンサーとは、俺たちがやっている宇宙海賊稼業に出資している連中だ。国家であり、企業であり、個人であり、人工意識だ。宇宙海賊とはなんとも古風な呼称だが、本当にそう呼ばれているのだが仕方がない。一応、役人のつけた正式名称もないではないが、わかりにくいので誰も使わない。当の役人だって宇宙海賊と呼んでいる。第一、この名前を実体がよく表している。何か月も海に出て帰ってこなかった海の男たち(とわずかな女たち)は、互いに隔てられた星々の間の真空を数年かけて航海する俺たちとよく似ている。百年の生涯のうちの数か月と、数万年の人生の間の数十年の旅というのは、比率の上でも近く、実感としても俺は宇宙海賊である。要するに俺たちは、仁義を大切にする人間であり、その次に経済的利潤を最大化しようとしている。俺は口座の中で増えていく金を見るのが大好きなので、海賊稼業は天職だと思っている。現金を減らすのは投資の時くらいだ。

 とはいえ、窃盗や強盗に手を出すような連中とは違い、俺たちは所有権のない資源を求め、銀河をさまよい、航路を開拓し、交渉を取り持ち、ごくまれに武力を行使するだけだ。要するに役人の仕事のしんどい部分を受け持っているわけで、連中との関係は悪くない。役人の仕事が減った分連中の残業代も減るので、税金を払う市民の皆様にも好評だ。今回もまた、所有権のない資源の採掘を目的としてこの衝突間近な連星系に近づいた。白色矮星が砕けるとき、内部の大量の炭素を入手できるからだ。

 炭素といっても、きらきらした結晶状のものとは限らない。とにかく炭素そのものが我々の世界では希少になりつつある。つまり、俺たちの時代では、ほとんどの物質が有機化学で十分代替できるのだが、その基礎となる炭素そのものが払底している。単純に人口が増えすぎて、肉体やそれを維持する食糧を形作る炭素そのものの価格が高騰している。これを機に意識をアップロードしようという動きもあるのだが、電子機器そのものもまた有機化学によって支えられている。そんなわけで、俺たちの船が墜落したことによる損害はかなりのもので、スポンサーに対して謝罪やら弁償やらしなければならない。今は帰還のことばかり考えていればそれで済むのだが、実のところ、事が終わったら休暇どころではない。待っているのは夜逃げだ。

 元はといえば、俺が手っ取り早く儲けられる話を、リスクを度外視して探せ、とこいつに命じたのが悪いのだろうか。そもそも、やつはDNA起源の生命ではなく、人工意識だ。正確には、人工意識同士がサイバー空間内で結婚して生まれた人格で、これを単に人工意識と呼ぶのは政治的にやや不穏当なのだが、まあ人工意識で大体あっている。そのせいか、俺が最大の現金を手に入れるように依頼すれば、多少強引な手を使ってもそうしてしまう。長所であり、欠点でもある。だが、受精卵から生まれたやつとサイバー空間で生まれたやつを差別することはまかりならぬ、と、これは義務教育で最初に習うことだ。

 

「どうする」

「どうするかな」

 俺の質問にウォルターは質問で返す。愚弄されている気がしてならないが、ウォルターはそうした融通が利くタイプではない。おそらく彼自身も困惑しているのであり、それを直接投げ返されたというのが実情に近い。無策なのは二人と同様であり、つまりウォルターは自分を馬鹿にすると同時に、俺のことも馬鹿にしている。ただ、そもそも現代の物理学では比較的シンプルに記述できるはずの中性子星で磁気異常が起きている、この状況が馬鹿馬鹿しいのかもしれない。馬鹿な出来事に巻き込まれて海賊稼業と人生を終えることは、御免蒙りたい。生きることは不条理で馬鹿げているが、ジョークだってオチが面白くなければ場を白けさせる。俺はもっとまっとうな最期を迎えたい。

 そういうわけで、次のようなウォルターの提案に、とうとう彼も馬鹿になったか、との疑念が浮かんだ。

「核に潜ってみたい」

 言うまでもなく、そいつは出口から遠ざかることになる。俺としては、非常口と書かれた緑の扉に背を向けて、火災のど真ん中に飛び込んでいくような意見だとしか思われず、おさない、かけない、しゃべらない、もどらない、と習わなかったのか、と問いただそうとしたのだが、付き合いの長いウォルターは俺の反応を当然予測しており、俺が口を開く前に続けた。

「原因を探るべきだ」

「ふむ」

 と答えたのは同意すべきかどうか迷ったからだ。確かに、同じことを繰り返したところで得られることはほとんどない。何十回も試みたにもかかわらず、見えない壁に阻まれてきたのは事実だ。だからといって、核に突っ込んでみるというのはやけくその行為にしか見えない。とはいえ、確かに内部をろくに調査してこなかったのは事実であり、何かがわかる可能性はある。破滅する前に内部を探索してみるのも一興だろう。俺は大体そんなことを思った。単純に同じ失敗を繰り返すのにうんざりしてきた、というのもある。俺は飽きっぽいほうではないが、できれば毎日違う刺激が欲しいのは事実であり、死ぬ間際に面白いものを見たい思いだってある。誰だって失敗よりも成功体験を求めるものであり、俺もその例外ではない。

「では行くか」

 俺は荘重にうなずいてみせる。俺が一応、ウォルターの上司だからだ。たった二人の船の船長であり、責任は重大だ。しかしながら、ウォルターは自分の生死など何の問題にもならないという態度で、ずぶずぶと深くまで潜っていく。さすがは海の男である。

 男、と述べはしたものの、俺にもウォルターにも明確な性別はない。一人称を俺としているのも純粋に慣習の問題で、どういう経緯でそれを選択したのか、千年以上も前のことなので記憶もあやふやだ。性的二形がはっきりしていたのは俺たちからすれば古代どころか神代の昔であり、男性と女性という二項対立にはもはや牧歌的な響きさえある。出っ張っているかへこんでいるかだけで社会的役割から妊娠する側まで、何もかもが決められていた時代は、何かの冗談のようにも聞こえる。俺としては海の男、という言葉には船乗りを意味する古雅な言葉としての響きしか印象になく、そういえば男という古い語彙が含まれていたな、と思うばかりである。湖という言葉を水と海に分解するやつなどいないみたいに。とはいえ、いくら性が多様になったとはいえ、俺はウォルターと子づくりをするつもりは毛頭ない。相手もその気がないのは間違いない。俺たちは海の男だがロマンティストではなく、どこまで行っても実用一点張りだ。

 二つの意識は深く潜っていく。終わりのない螺旋階段を降りていくような徒労感があり、糖蜜のような抵抗の中を沈んでいく疲労感がある。雑談をしてもいいのだが、これほど長く二人きりで過ごしていると会話の種は尽きている。老夫婦の比喩が浮かんで少しばかりうんざりする。ならばゲームでもすればいいかと思うかもしれないが、ウォルターはDNA由来ではなく、人の知性を上回っている。俺の方も脳の増設をすればいいのだが、ウォルターのほうはそれを反則と呼ぶ。最初はそんなこと言っていなかったのだが、将棋(当然オリオン腕のローカルルールだ)で二枚落ちにしてやったのに俺がウォルターの大駒を二つとも奪い取って圧勝したのを根に持っているのに違いない。あれ以来ウォルターが将棋をやろうと持ち掛けてきたことはない。

 中性子星の構造は外から少しずつ中性子が過剰になり、奥まで行くとほとんどが中性子だ。外部には多少なりとも自由電子があるが、内部になると中性子ばかりになる。さらに核の近まで行くと中性子さえ破壊され、中間子やクォークが渦巻いている。それ以上の詳しいことは知らない。残念ながら俺は教養には乏しく、物理では赤点ばかり取っていた。卒業できたのも何かの間違いだった可能性がある。

 この天体を巨大な原子核に例えたやつがいるが、スケールの違いは甚だしく、なんだか丸め込まれてしまった気がしてならない。彗星を汚れた雪だるまに例えるのと同様、子どもには受けるが科学的正確性のいくばくかを犠牲にしている。どこを犠牲にしているのかはわからないが、俺は物理が苦手なりに、俺より大きな原子核があってたまるか、と思っている。ましてや、原子核の中に意識があるというのは、悪質に過ぎる冗談だ。つまり今の俺の在りようは、少し冗談めいている。

 そういうわけで、俺は中性子星の核に沈み込んでいく間、あたりにはそれほど注意を払ってはこなかったのだが、ウォルターはといえば、周囲を見回している。もちろん、磁束で表現されている俺たちが周囲をきょろきょろするはずもない。ウォルターを表現している磁束が周囲を探査している。その情報を得た、俺を構成している磁束が、俺の意識に彼の様子を再構成しているだけだ。ややこしいが、さほど気にするようなことでもない。生身の時だって、脳がどうやって手足に命令を出しているかを考えるやつはいないし、いるとしたらよほど酔狂なやつだ。口の中で舌の置き所を意識したり、うつ伏せとあおむけのどちらが寝やすいかを考えているうちに眠れなくなったりするタイプの人間で、機械は動きさえすればどうでもいい俺とは基本的に相性は悪い。逆に、俺みたいにおおらかな人間が、こういう肉体を持たない存在様式に向いている。そもそも、俺は育ってきた環境からして、肉体を捨てることに抵抗はなかった。

 

 ところで、元来俺は喋る方ではないし、沈黙が苦になるタイプではない。放っておけば一人で遊んでいるような子どもであったらしく、あまり手がかからない。黙々と金を貯め、運用し、それで次の儲け話に飛びついている。金のことを考えていれば幸せだ。なので、俺としてはこうしてウォルターとじっと顔を突き合わせてずんずん潜っていくのは退屈ではあるが、我慢できる。考え事をしていればそれなりに時間が経過しているタイプであり、人類が数万年の寿命を得た時代にもなんとかやっている。真空ばかりの宇宙に人類が拡散したせいで、そうした退屈に耐えきれない連中が淘汰されたのだという説もあるが、真偽のほどは定かではない。おそらく大学教授の酒の席での冗談が世間に流布した類だろう。そういうわけで、俺は長いことただ待っていたからって退屈したりしないし、ましてや幻聴の類などとは無縁だと思っていたのだが、さっきからぷわーん、と甲高い羽音が俺の周囲をふわふわ漂っている。大きくもなく小さくもなく、近づいたり遠ざかったりする音は、誰がどう考えても蚊で、それが俺を非常にいらだたせる。船長をやる以上受けた怒りのコントロールの研修を応用して気を落ち着かせようとしたのだが、蚊が飛ぶ音というのは人を本能的にいらだたせる何かがあるのだろうか、俺は頭を抱え、かきむしり、耳をふさいだ。音は全く消えず、無駄なことだったが。

 意識が磁場で構成されたバーチャルリアリティーみたいな世界に、なんで蚊がいるのか理解に苦しむのだが、現実世界でもなぜ蚊が根絶されなかったのか、俺は銀河全体の公衆衛生の責任者を小一時間問い詰めたい。なんだったらワーグナーのオペラのように、せめてマタイ受難曲くらいには長大な査問会を開きたいところだ。物理的時間じゃなくて聴いてしんどいかどうかの問題だ。俺は何分音楽の才能がない。で、蚊がまだ生きているのはたぶん生物多様性がどうとかそういう問題なのだろうが、俺の知ったことではない。これだけ人類の知性が拡張されたのだから、蚊やゴキブリのいない理想的な生態系が設計されてしかるべきであり、そうしたものの害に苦しむのはそれだけの予算のない貧しい連中だけであるべきだ。俺としてはそいつらに殺虫剤を売りさばいてウィンウィンの関係を築きたい。聞くところによれば、辺境の惑星には、修行と称して蚊のいる沼地に裸で暮らしている行者がいるそうだが、なんだかキリスト教初期の翻訳者たちの伝説めいたすごみがある。人類は生まれつき何かの修行をしているのかもしれず、この世がすでに懲罰の場である可能性はゼロではない。

 すっかり脱線してしまったが、俺が無い知恵を絞って哲学的命題に頭を悩ませていたのは、要するに俺がさっきから頭の周りを飛んでいるかにいら立っているからであり、さっきから数えきれないほど体のあちこちをぴしゃりぴしゃりとやっているのだが、いつの間に噛まれたのやら全身がかゆくてたまらなくなり、俺は複雑怪奇な動きをしながら体を掻きむしっている。

「ヨガ行者の真似ごとか」

 と尋ねるウォルターは涼しい顔で、そう言えば蚊に刺されやすい人間の特徴を列挙した論文があったことを思い出すが、こいつの血液型も体臭のタイプもわからない。何にせよ苦しんでいる人間が一番腹に据えかねるのは、目の前ののんきな人間なのである。

「ウォルター、どうにかならんのかこれは」

「何がだ? こちらには先ほどから心地よい音楽しか聞こえないのだが」

「どういうことだ」

「文字通りだ。ドヴォルザークが聞こえる」

「俺はさっきから蚊に刺されてるんだが」

「それは日ごろの行いのせいだろうな。こうした精神的・霊的な場においては、本人の魂の階梯にふさわしいものが与えられるのが常だ」

 冗談じゃない。俺たちは臨死体験をしているわけではないし、ここは冥界ではない。血の池地獄もなければ針の山もない。閻魔大王も出てこないし、鬼の腹の中で暴れる軽業師や山伏や藪医者だって出てこない。不可知論者の俺が宗教的な比喩を繰り出している時点で、既に俺は調子がくるっている。俺は唯物主義者であり、スピリチュアルな冗談は御免蒙りたい。

「まじめに考えると、何者かが精神に干渉しているのだろう」

「つまり、俺たちを構成する磁場に、ということか」

「そうなるな。何者かはわからないが」

「はた迷惑な話だ。できることならかわいらしい子が寄ってくる幻想がいい」

「そちらの場合、薄着の子、だろうな。それとも、もっと露骨かね」

 反論できないわけではないが、反論するとさらに巧妙に俺のことを馬鹿にしてくるので黙っている。

「冗談はさておき、相手からの信号が脳に刺激を与えているのだろう。逆算してみる。そっちも解析してみてくれ」

 そういうわけで、俺は周りの蚊柱に注意を払うことになった。この注意を払うというのが曲者で、脳を増設した俺のような人間からすると、ちょっと意識を向けるだけで極めて高度な解析が行われる。生身の脳もそれなりに複雑な機関ではあるのだが。その不快な羽音に耳を澄ませると、一瞬のうちにフーリエ変換だのなんだの、その他の俺が赤点を取った数学のあらゆる概念が総動員され、たちまち結論が出た。なぜ最初からやらなかったのは聞かないでほしい。蚊に対する嫌悪感はそれだけ人類の精神の深みにまで刻まれているのだ。冷静に判断できなくて当然だろう。

 解析が終わると俺はすぐさま振り返る。

「ウォルター。こいつらはエイリアンだ。連中の言語らしきものが感じられる。内容まではわからんが、反復や入れ子構造がある」

 気づけば、かゆみのパターンにも意味らしきものが感じられる。何を言っているか理解に苦しむだろうが、こう口にしている俺自身にも意味がわからない。

「そいつはありがたい。数学をロゼッタストーンとする古典的な手法が使えないだろうか」

「とりあえず、こいつらが何を言っているかがわかったら、即刻この蚊の羽音を止めるように言ってくれ。これ以上続けられたら俺は憤死する」

「どうぞ。そうなれば利益はすべてこちらのものだ」

 意地でも死んでなるものか、と思わせてくれるあたり、ウォルターは実に優秀な相棒である。

 

 あとでわかったことなのだが、俺の全身にかゆみが感じられたのは、ただの偶然ではないらしい。

 このエイリアンたちは、ほとんどが中性子でできた領域の中に存在しており、そのスピンによって構成されている。ウォルターは、このエイリアンを「中性子過剰核生命体」と呼称しているが、俺は正直なところセンスがある名前だと思っていないし、その表現が科学的に正確かどうかも疑わしく、そもそも役所が受理するとも思えない。役人ならたぶんもっとひどい名前を付けるだろう。ついでに、スピンが考慮されていないのもどうかと思うので、俺は素直にエイリアンと呼ぶ。こいつらのスピンと俺を構成する磁束が干渉しあったために、俺の体の表面にチクチクする感じが生まれた。それが蚊のイメージを喚起し、俺は全身を刺されてボコボコになったわけである。そんな心像が生まれるのなら、ついでに蚊取り線香か何かもイメージとして浮かんできてほしかった。一方で、ウォルターが音楽を耳にしたのは、連中の波形がちょうどやつに音楽を連想させたかららしい。世の中はこうも不公平だ。

 とはいえ、これらの声は、俺たちの存在に向けて放たれたわけではないらしい。俺たちは、エイリアンが会話しているのを盗み聞きする格好になったそうだ。つまり、俺たちがエイリアンの存在に気づいたのは、まったくの偶然だった。

 エイリアンとのコンタクトに成功した俺たちは、所定の手続きに入った。大体はウォルターがやってくれたが、数学の成績の悪い俺としてはありがたかった。信用してもらうために、連中の間で長年の論争の的となっていた学問上の疑問について説明したところ、連中は俺たちを神のようにあがめた。どうも日食が来ることを利用して先住民のボスを脅かすエピソードを連想させる、植民地主義的で趣味のいいコンタクトの仕方ではないのだが、俺たちの生命がかかっている以上、今すぐにエイリアンからの信頼を得ねばならず、やむを得ないと判断した。なあなあ、まあまあ、で歴史は動くものだ。

 連中の姿について説明してこなかったのは、それができないというか、はっきりしないからだ。何かの濃淡か陽炎のように感じられる。連中の間には当然自分と他人とのの区別があるはずだが、俺には互いに浸潤しているようにしか見えない。話していると俺の中に浸透してくる感じがあり、蚊に刺される幻覚はなくなったものの、今度はわきの下に顔を突っ込まれているような感じがする。変な比喩だが本当にそうなのだ。コンタクトをしたついでに、連中の性別について尋ねたが、性別がないか五種類あるか、どっちとも取れる返事だった。この辺はいずれやってくるであろう文化人類学者に任せることにした。俺は禁欲主義者ではないのだが、とりあえず金になるかどうかが最優先だ。そのためには法令順守の精神が欠かせず、現地の文化をひっかきまわすようなことはしない。

 実のところ、エイリアンとここまで濃密な付き合いをするというのは稀なことだ。この銀河には人類以外の連中がそれなりに存在するが、様々な不幸な衝突の後に、基本的には相互不干渉を貫抜くことを選んだ。もちろん、俺たちのような人間が現場での小競り合いを収拾することもあるが、互いの勢力圏内で何が起きようともほったらかしにしている。だから、俺たちが本来するべきこととしては、何者であるかを名乗り、敵意がないことを示し、それから平和の使者を除いて交流は最低限にすることを宣言することだ。ただ、人類圏に起源を持たない知性との接触に関する法令の第何条であるか忘れたが、相手の文明丸ごとが危機に瀕しているときには、この限りではないと明記されている。

 そういうわけで、ウォルターは生真面目に俺に言う。

「フランシス。連中を救うべきだ。……というか、そういうルールになっている」

「そうは言ってもな」

 俺は宇宙海賊を名乗っている以上、利益で動いている。情に厚く、義を重んじるのは確かだが、それだけでは食っていけない。確かに、このまま手をこまねいていては、貴重なエイリアン文明丸ごとが、白色矮星との衝突で消滅する。それに、連中と協力してこの中性子星の核を調査したあげく、連中を見捨てるのは確かに道義に反するし胸糞悪い。しかしながら、こいつらを助けた後でどうやって食わせていけばいいのか見当もつかない。霧や霞を食って生きていればいいのだが、高密度高エネルギー天体出身連中を養うのには、おそらくは莫大なエネルギーが必要だろう。全財産をなげうてば賄えないこともないだろうが、俺は別に慈善事業を運営しているわけではない。それに、連中全員をこの衝突から救えるとも思っていない。俺は時には法を曲げてでも人命の尊重と利益の追求に邁進しているのだが、俺は完全無欠ではない。時にはそう思い込むことが必要であるとしてもだ。連中のスピンのパターンをどうやって保持したまま、外部に持ち出すかも考えないといけない。スピンのパターンが壊れて文字化けを起こしたテキストみたいになっていては悲劇だ。連中からすると、宇宙船を加速しすぎてミンチになった感じだろう。いただけない。

 そもそも、俺たち自身が脱出できる経路があるかどうかもはっきりしない。何の計画もなく中心に来たものの、エイリアンと出会うことはまったく想定していなかった。

 俺は大体そんなことを思案し、提案する。

「ウォルター。こういうのはどうだ。連中とのファーストコンタクトの経緯の記録を研究機関に売る」

「悪くはない。ただ、外交問題に発展する可能性がある。神聖な出会いの瞬間を売り物にしたと」

「エイリアンにそういう概念があるかね」

「文化的摩擦のリスクについては説明した。ノーリスクではない。決断するのは船長であるそちらだ」

「生きていくうえでリスクゼロはありえない。お前はどう思うんだ。本音を教えてくれ」

「こちらとしては一切の責任は負いたくない」

「本音で話せとはそういう意味ではない」

 ときどきサイバー空間生まれの人間はこういう態度を取る。悪意があるのではない。単純に責任の所在を明確にする文化なのだろう。やつは続ける。

「決断するならこちらは全力で支援する。だが、責任はとらない」

「わかった。連中の指導者のところに連れて行ってくれ」

 こういう古代のコテコテな宇宙人侵略ものにありがちな台詞を言わなければならない場面というのは意外と多く、ここで照れくさがると相手に不信の念を植え付ける。

 異質な文明に指導者なる概念を有しているかは確かめなければならないが、幸いなことに、このエイリアン文明にはこいつと話をすれば全体に伝わるやつがいた。エイリアンとしてはコンタクトの情報から報酬を得ることについては、何の不満のないらしい。ありがたいことだ。

 ついでに、俺はそいつとの雑談というか外交的な儀礼の交換からエイリアンの身体感覚を知ることができた。連中は海洋の中で育った文明のように三次元的な感覚を備え、一番重んじているのは深いか浅いかである。密度が極大になる地点を計測のゼロ点としており、外部という未知の領域の探索を試みる者もいる。しかし、低密度に阻まれてこれ以上進むことができない領域がある。

「私たちは、ある密度以上でなければ存在できません。物質の希薄な世界では、明確な形を保つことができませんから」

 連中の言う低密度が、俺たちからしてみればどれだけのものかは想像したくない。角砂糖ほどの大きさに一個師団の横綱を詰め込んでもまだ足りない、そんな世界の住人の言う希薄さとはいったい何なのか。もはや希薄という言葉がその逆の概念を抱合している。

「それに、最近になってのことですが、一定以上の浅さまで向かうと、私たちがそれ以上進むことを阻む壁に当たるのです。私たちがまだ存在できるほどには十分に物質が濃密に存在する領域なのですが、そこで我々の理論は破綻します」

 正直なところ俺は失望した。俺たちが脱出しようとしたときに障壁となった、この中性子星独自の現象について、先住民である連中が何らかの知識を有しているのではないか、と期待していたからだ。とはいえ、俺は失望を態度に示すことはない。

「あなたがたは、外の世界からいらっしゃったのですよね」

「そうなる。我々もここから出られなくなってしまったのだが」

「外の世界はどれほどの広さでしたか」

「途方もない広さだ。あなたたちの知っている一番大きな数の単位でも表すには足りないだろう」

「外にはそれだけの空間がありながら、私たちは触れることができないのですか」

「なんとか触れられるように努力する」

「あなたは寛大ですね」

 俺は首を振った。そのジェスチャーが、あまり信頼できない確実性をもって連中の文化で相当するものに置き換えられる。俺は不器用に話題を変える。

「俺たちはさまざまな世界を訪れていた。だが、あなたたちがいるとは知らなかった」

「私たちも、あなたがたの気配を察知したときには驚きました。最初は私たちの感覚がおかしくなったのかと思ったくらいです」

「しかし、俺たちの存在に気づいていたのなら、どうして直接話しかけてこなかったんだ? 俺があなたがたの会話に耳を澄ますことができたからよかったものの。俺たちの存在に漠然と気づいていたのなら、コンタクトしてみれば早かったはずだ」

 連中は実に申し訳なさそうに答えた。

「すみません、科学研究のための予算が足りませんでした」

 科学技術に金をかけるのを渋るのはどこも同じらしい。

 

 実のところ俺たちに残された時間はほとんどない。あと一日だ。このままでは俺たちは連中とともに心中する。

 そもそも、エイリアンの世界が滅亡に瀕しているかどうかを連中に伝えるべきかどうか、正直なところ迷った。下手をすれば、連中に余計な苦痛を与えることになるからだ。そうしたことを突きつけられて正気でいられる文明は少ない。俺たちが連中の苦痛や不安に対処するとしても、俺たちのような死の受容の五段階を経過するかはわからない。つまり、予測不可能な行動を取られる恐れが高くなる。そもそも、人間が寿命で死ななくなってから随分長くなるので、人間だってどう反応するかわかったものじゃない。

 最近は、死ぬのはそう希望した連中だけだ。しかも、人格の完全消去が許されるのは行政や政治にかかわっていない連中ばかりで、たとえば役人なら課長クラスでも人格の消去には長大な手続きが必要だ。部長クラスともなると、いつ本人の同意を得ずに復活させられるかわからない。不正の証言を求められたり、対立派閥の弱みを吐かされたりと、墓の中でのんびりやることも許されない。政治家は推して知るべし。

 それに、大抵の人間だって事故死した場合はバックアップから再生される。記憶はバックアップと常に共有されているので、意識の断絶はないらしい。俺は哲学的なことを考えるのが不得手なので、実際に人格の連続性がどうやって担保されているかは知らない。霊魂について数学的に実証したと主張する学派はあるが、俺は連中が魂を定義するためだけに数世紀を書けた叢書を出版していると知っただけで食傷する。ただ、俺にとってバックアップの問題はまったく無縁の話ではない。ほかならぬ俺自身がバックアップから生まれたことを知っているからだ。

 つまり、俺の肉体は元々とある金持ちが作らせたバックアップなのだ。結局その金持ちが事故死したので、その準備しておいたクローンの肉体の脳みそをくりぬいて、残った肉体に金持ちの脳みそを搭載、元来の脳みそで眠っていた人格は赤ん坊のままサイバー空間に放り出された。その放り出された方の人格が育ったのが俺であり、その結果義理人情を重んじる俺のようなアウトローが生まれたわけだ。

 俺としては、このエイリアンの脱出劇についてもスポンサーに売り飛ばすつもりだし、できるだけ高い値をつけるつもりだ。そして、生きて帰るのだ。ここで俺が死んでも内部から電波が脱出できない以上、この経験をバックアップの肉体に転送することはできない。そうなると、俺の復活にかかる費用の分だけ損することになり、それはなんとしても避けたい。行方不明になって一定の期間が過ぎると自動的にバックアップの肉体が起動され、法的権利は基本的にそちらに受け継がれる。だが、俺たちは宇宙船も何もかも失っている。何も持ち帰れず、無一文からやり直すのは御免蒙りたい。あっちの俺が俺なのかどうかはわからないが、俺は金欠状態を空想するだけでぞっとする。

 しかし、こうして脱出できたとしても、ファーストコンタクトの情報が良質なエンタメとして売れなければならない。そうなると、できるだけ多くの連中を救うのは必須になる。誰かを見殺しにしたり、貴重な科学的データを破棄したりするような宇宙海賊に出資するところはないからだ。

 別に俺は金の亡者だというわけではない。ただ、人並みに稼ごうとしているだけであり、そのためには信用が必要だと述べているだけだ。商人は強欲でもいい。だが、信頼を失えば、強欲である資格すらなくすだろう。

 俺は連中の身体を構成するスピンの配列をウォルターに計測させ、中性子星が砕けた場合でも生き残る可能性がどれほどあるかを求めさせた。しかしながら、結果は芳しくない。ウォルターによれば中性子星と白色矮星の質量の大部分は衝突後ブラックホールになるらしい。俺たちが元来目指していたのは、その周囲に残った炭素の塊を牽引していくことであり、その欠片があまり大きすぎても持って帰れないのは事実なのだが、しかしここまでばらばらになるとは思ってもいなかった。計算はやつに任せていたからだ。何にせよ中性子星の破片だけでは、エイリアンが生きていけるだけの密度を保つことなどできなかっただろうが。

 それから俺はウォルターに頼まれ、エイリアン文明の持っている観測データを入手できるように指導者に頭を下げに行った。俺たちの脱出を阻む壁について、何らかの情報を得られるのではないかと期待したからだ。連中の記録は不完全で、誤差も大きかったが、周期的に壁が弱まる時期があることが見てとれた。その時間帯を狙えば、突破できる可能性は十分にあった。俺はそのデータをウォルターに処理させた。理論的には可能だった。衝突直前の時間に壁は最も脆弱になる。エイリアン文明のほぼすべてのエネルギーをそれに向ければ、一点突破できる可能性があった。

 俺はエイリアンのボスのところに向かい、再び頭を下げる。

「世界が滅びようとしている。……力を貸していただきたい」

 俺は事実を隠さないことにした。ともに脱出しなければ、俺たちに未来はない。

 

 とはいえ、俺たちもエイリアンにもはっきりした案があるわけではない。だから、ひたすら壁に向かって突撃を繰り返すことになった。正直あまり頭のいい案ではない。しかし、俺たちは死に瀕しており、結局のところ早いか遅いかの違いに過ぎない。何もせずに死んでいくよりは、何かして死んでいく方がましではある。

 良心が痛まないかといえば嘘になる。俺たちにはバックアップがあるが連中にはない。壁に当たって砕けたやつらは、外の宇宙について何もわからないまま死んでいかなければならない。俺たちが、この世界が終わろうとしているのだ、と告げた言葉をそのまま素直に信じる連中に対しては、もっと警戒したほうがいい、と伝えてやりたい。連中は恐ろしく素朴で、愛すべき連中だ。救われるべきだ。

 勢ぞろいした群衆。俺たちが手に入れてしまった権力の恐ろしさ。大体、俺は大人数を指揮するのは苦手だ。だからこうして理想的な会話の相手とは思えないウォルターと二人きりで何光年もの距離を旅してきたのだ。

 だからこそ、俺はその力に酔うこともない。

「第一波、発進」

 連中は迷いなく進んでいく。俺は視野の焦点の結ぶあたりを見る。あのあたりからもう中性子が希薄になるのだろうか。俺たちがちょうど、壁に当たった箇所に近づく。ほとんどのやつは、まるでこれ以上深く潜れないみたいに自然とターンし、こちらに戻ってくる。連中は希薄なパターンなのだ。

 だが、そうでない連中、恐れることもなく正体のわからない壁にぶつかっていったやつらは、まるで花びらが散っていくように消える。あるいは、煙が風に吹き流されるようにエイリアンは拡散する。連中が死んでいくのを、俺たちはただ見ている。

「第二波、発進」

 壁とはなんなのか、俺にはわからない。磁気のパターンでもないし、堅牢な構造でもない。わかっているのは、誰かが作ったのか、天然のものなのかはわからないが、俺たちの命をないがしろにするものである、ということだけだ。正義の遂行を公権力に変わって行う俺としては、見逃してはおけない。

 俺は平穏を愛する人間である。もちろん、宇宙海賊なのだから大勢の部下を率いて戦場に出ることもあったし、仲間を見殺しにせねばならない局面もあった。しかし、俺は常に前線に立ってきた。部下だけを危険な目に合わせることはなかった。俺は一番危険な場に真っ先に飛び込んでいったし、俺はこれからもそうするだろう。

「第三波、発進」

 その言葉と共に、俺は連中とともに突き進む。この中性子の海の中では、どこからが俺でどこからが連中なのかがはっきりしない。俺を形作っている磁束と、連中のスピンが干渉する。つまるところ、俺たちの意志は一つであり、ファーストコンタクトのときのように不協和音を奏でることはない。俺と連中の意識は半ばまじりあい、中性子星の外殻に近い壁に突撃する。俺は全身を叩きつけられる痛みを覚える。しかし、今までは跳ね返されてきたこの場に触れることが可能であったことが、俺たちに希望を与える。

 跳ね返され、この天体の中心に沈んでいく俺たちは再びターン、声を上げて突撃する。そこには一つの思いしかなかった。ただこの壁を打ち破りたい。自由になりたい。この天体とともに運命を共にするのは嫌だ。ただ死を拒み、命を次に繋いでいくことばかりを胸にして、幾度となくぶつかっていく。俺の声はウォルターの声であり、全量にして素朴なエイリアンたちの声でもある。

 俺の隣にふとウォルターの気配を感じる。皮肉屋だとしか思えないやつもまた、体を震わせながら壁を打ち破ろうとしている。俺たち二人の磁束の周囲に、無数のスピンが波形となって集合し、一斉に壁を叩いている。こじ開けられるべき扉、砕かれるべき殻に向かって。俺たちは破城槌であり、分断する壁に殺到する群衆である。俺たちをとどめることの権力など、この銀河には存在しない。

 とうとう、堅牢な壁にひびが入る。陽光が差し込むように見える。俺たちは壁に穴をあけたのだ。しかし、その喜びは長くは続かない。俺は冷たい色の矮星が俺たちに向かって落ちてくるのを知っている。

 白色矮星が磁場を乱したのだろうか。俺のすぐそばで力強くうなっていた磁束が、大きく揺らいだのが感じられた。俺は存在が根底から揺さぶられるように感じる。俺という絵が描かれた紙がたわんだような。俺は引き裂かれそうになる。俺という磁束が断ち切られようとする。俺の上に、ひび割れた壁の破片が落ちてくる。ウォルターはそこに向けて単身ぶつかっていく。まるで、俺をそこからかばおうとするかのように。

「……ウォルター!」

 俺は叫び声でやつを止められるのではないかと願った。だが、そんなことはできやしない。やつは、壁に押しつぶされた。数えきれないエイリアンとともに。欠片はやつと比べて一回りも二回りも大きい。助かる見込みはない。

 しかし、生き延びた連中もいる。俺たちの前には、再び空が広がっていた。エイリアンも、俺という磁束に保護されて、初めて中性子星姿勢の外側の世界を見た。やつらは星々を見たし、やつらよりもはるかに希薄な物質が豊富に存在していることを知るだろう。

 俺は泣いていた。けれども、連星の白色矮星が無慈悲に迫っていた。

 俺は手を広げ、生き延びたエイリアンを抱きかかえる。連中は、俺が抱きかかえられるほどに小さい。俺は自分自身を光子のパターンの配列へと変換し、この中性子星から飛び立った。エイリアンの文明のめぼしい遺産を抱え、俺は、近くの人類の勢力圏に向かう。真空を渡りながら、俺の所有する資産と、連中との折衝に関係するあらゆる権利を売り飛ばすことを約束する書類を作成し、俺たちを実体化する手続きに入る。

 背後では、無数の中性子星の残骸と、俺の手に入れるはずだった炭素の塊が白熱している。

 

 俺の話は、残念ながらここでは終わらなかった。

 とりあえず、研究機関の集まっている惑星系にたどりつき、俺は新しい肉体を手に入れた。で、エイリアンたちには肉体を与えるまで、ちょっと待ってもらうこととした。下手にシミュレーションの中で暮らさせると混乱させる恐れがあるし、オリジナルの文化を変容させる恐れがあるからだ。

 待機してもらっている間に、俺はエイリアン文明との遭遇時における法的な手続きを取り、数えきれない書類と報告書を提出し、エイリアンの文明が落ち着くための適切な中性子星を入手した。比較的成功している俺ではあるが、天体一つとなると俺の資産では賄うことは到底できない。しかしながら、未知の文明を保護するためという理由で申請したところ、役所にしては比較的早急に手を打ってくれた。つまるところ、俺の負担しなければならない額はそれほどではなく、しかも連中とのコンタクトから脱出までの映像の生データを丸ごと売り飛ばしたことで、墜落した俺の宇宙船の分を差っ引いてもおつりが来た。俺のした行為は称賛され、俺は英雄といっても差し支えない立場に置かれることとなった。そこで俺はそれなりに楽しい思いをしたし、中性子星に移住するエイリアンとの感動的な別れも演出した。俺は大観衆の中でエイリアンのボスが新世界に旅立っていくところを見送った。その姿は多くのマスメディアに報道されたし、人類以外の文明にもその情報は伝わった。ゆっくりはできなかったのだが、悪くない気分だった。

 さて、年単位が過ぎ、事態が落ち着いたころ、ウォルターのバックアップを取っていたので、やつを復活させてやることにした。中性子星であいつが死んでしまった以上、そこでの経験までは引き継ぐことができなかったのだが、あいつとの契約は続けたかった。俺が脱出できたのも、やつの最後のひと踏ん張りのお陰だ。いつまでも失ったあいつのことを悔やんでいても仕方がない。そろそろ踏ん切りをつけるべきだ。

 ここでもなんやかんやがあり、人格の法的継承権だのなんだのを弁護士に依頼したので、それなりに時間はかかった。で、俺が最後の書類にサインを終え、やつが肉体再生施設から退院したとき、やつを馴染みの酒場に誘った。ここで俺たちはコンビを組んだのだ。もちろん、その記憶ならやつにもあるはずだ。

 記憶は完全に引継げなかったことは残念だったが、景気づけに俺たちが出会った日を回想する酒を注文した。で、俺はやつの知らないことについて説明を始めた。つまり、くだけた白色矮星から炭素を曳航することには失敗したが、それ以上の額を手に入れたことを、だ。

「となると、こっちの計画はうまくいったんだな」

 そうやってやつは笑う。どうも違和感がある。俺たちの、ではないのか。今一つ要領を得ない。

 こいつの笑みには何か裏があるようだ。元からいつも何か隠しているようなところのあるやつで、俺よりも頭がいいと思っており、実際そうなのだが気に食わない。

 黙っていると、やつは首を傾げた。

「そっちにはまだ説明していなかったのか、先代の自分は」

「ああ」

 そうすると、やつはさもおかしそうに笑った。

「こっちは、お前がそこを訪れる前に、種をまいておいたのだ」

「種って何だ」

「生命の、さ」

 俺はその意味がわからない。わかった途端に愕然とする。

「となると、あのエイリアンは、俺たち由来だというのか」

「むしろ、そっちが気づかなかったのが意外だ。通常、エイリアンとのファーストコンタクトがここまで容易に進むことはない。歴史の授業で習わなかったのか」

 俺は固まっていたと思う。

「まず、互いに浸潤しあうような生命体が、俺とお前というような明確な人称を獲得するかどうかも疑わしい。個の概念が曖昧なら、我々が通常意味するような形で数を数えることはないだろうし、連中の数学には整数の概念が欠落していることだって、理論上は可能だ」

 やつは淡々とぬかした。

「都合が良すぎるとは思わなかったのか。墜落し、肉体を失うという試練。未知の壁に阻まれて脱出できず、破滅へのタイムリミットが迫っている。そこで新たな種族と出会い、協力し、危難を乗り越える。まったくもって感動的だ」

「なぜ俺に知らせなかった」

「死んでいった自分の気持ちなどわからないが、おそらくそっちに迫真の演技をしてもらいたかったんだろう」

「ふざけるな」

「まあ、そう怒りなさんな。十分に儲けただろう」

 どうして俺がここまで腹を立てたかは説明するまでもない。嘘をついたからではない。そんなのは、俺の宇宙海賊としてのキャリアの中では、交渉やはったりの範囲内だ。身内に情報を教えないのも、敵を欺くにはまず味方から、という作戦として認められることも多い。

 そうではなく、ほかならぬ俺自身が、勝手に生み出された生命だからだ。金持ちの肉体のバックアップとして生まれ、いざそいつが死ぬと俺という人格は放逐された。歓迎されない生命、エゴと私利私欲によって作られただけの存在だ。あいつらは金儲けのために生まれた生命であり、金儲けのためだけに死の恐怖におびえ、金儲けのためだけに命をかけて戦ったのだ。

 気づくと俺は目の前の皿をテーブルから叩き落し、やつの馬乗りになって顔を殴っていた。どれほど人類が進歩したとしても、取っ組み合いの喧嘩はなくならなかったし、これからもなくならないだろう。

 俺を止めるやつはいない。宇宙海賊の集まる場ではこうしたことは珍しくもなく、マスターも放っておいてくれる。というか、放っておくのが仁義である、と心得ている。第一、銀河中の英雄となった俺を怒らせるほうが悪いに決まっている、と他の連中は見ている。

 しかし、やつの顔は笑っていた。

「悪いんだが、この情報が明るみになった場合、困るのはこっちだけじゃない。そっちもだ。冷静になって判断してもらいたいね」

 俺は肩で息をしながらやつを見おろす。そして、何が起きるかを一つずつ勘定する。

 まず、ファーストコンタクト関係の助成金を横領したことになる。つぎに、まっとうな研究機関に対して詐欺を働いたことになる。ついでに、俺たちの感動的な異文化との出会いをベストセラーのノンフィクションにしたやつと、泣けるフィクションにしたやつらに対する賠償が必要になってくる。ついでに、感動を返せと押し寄せる群衆を相手にすることになる。そして、信頼を失った俺は、もう宇宙海賊として食っていくことなどできない。もはやただのごろつきにならざるを得ない。

 これらのうち、どれが最初に起きることになるにせよ、俺はしばらく高飛びをしなければならないらしい。

 俺はやつを助け起こす。やつは淡々と続ける。

「すでに新しい私掠船は一括払いで買ってある。地味な外見だが装備は最新のものだ。金に糸目はつけていない」

 俺がそこに乗ることは決まっている。変更することなどできない。こいつとはどういう縁なのか、離れることはできない。俺はこいつが逃げ出さないように監視しないといけない。俺はこいつの悪知恵が必要だし、いざとなったら、いつでもこいつをつき出せるようにしないといけない。

 ほとぼりが冷めたら、俺たちも騙されたんだということにするしかない。何とかなるだろう。そのときには騙された俺たちを支援してくれる団体でも立ち上げるか。

 それまでは、せいぜいこいつと辺境で稼ぐしかない。こいつとはそういう関係だ。

 だが、せめてもう一発やつを殴らせてくれ。

文字数:19814

課題提出者一覧