チャットボットは正常だ

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梗 概

チャットボットは正常だ

 一

 フリーライターである島田和樹は間違えて怪しい原稿依頼を引き受けてしまい、「エージェントA」と名乗る人物から原稿用紙を手渡しで受け取る。

 その原稿用紙にはあらかじめタイトルが入っており、1~3枚でセットになっているようだった

 しかも、内容は「カップルの別れ話を書いて」や「道行く親子の会話を書いて」など生活を描いた何気ないストーリーの依頼ばかりであった。

 手書きしたものを手渡しするという入稿形態が煩わしかったが、小遣い稼ぎ程度の気持ちで行う島田。

 タイトルと違わず、何の変哲もない会話劇が求められており、逆に「公園でいちゃついているカップル」という平凡なタイトルに対して、「いちゃついているように見えて殺人事件のアリバイを補い合うカップル」という過激な内容を書いてみたらエージェントAから「君はこれが面白いと思うのか?」と不思議そうな顔をしつつ注意された。

 

 原稿依頼をこなしつつ数か月たったある時のことであった。

 踏切を待っている間、和樹は通りがかる小学生の会話を聞いて、何か違和感を覚える。

 それは、「友達を作りたいが話しかけられない少年」という自分の書いた原稿内容その通りの会話をその小学生たちが話している事象に対してであった。

 

 三

 「自分の書いた原稿が現実とリンクする」という事実に気づきはしたものの、懐疑的であった和樹だが、ニュースを見て確信する。

 そこには、「有名ホテルが大火災を起こしている」という内容が放送されており、「300人が屋上に逃げたが誰も救出されていない」等、まさしく自分が書いている通りの内容であったからだ。

 急いで原稿の続きを書き、「季節外れのゲリラ豪雨が降る」と書き、何とか火事を収めたのであった。

 

 後日、新たに原稿を渡しに来たエージェントAにこの事実について問いただす和樹。

 エージェントAからは、実はこの世界は仮想現実であり、人物の会話などは全てプログラム通りであり、和樹のように仮想現実中の人間に会話劇を生成させていることを聞かされる。

 そして、エージェントAは和樹に「君は会話を生成する、さしずめチャットボットのようなものなのだ」と告げられる。

 その事実を含め、エージェントAから今後について聞かれるが、「どうせ考えたってしょうがない、世界は何も変わらないのだから」と和樹はこの仕事を続けることを選ぶ。

 

 踏切前で、ある独りぼっちの少年が他の少年たちから声をかけられる。

 「お前、隣のクラスの転校生だろ」

 「う、うん」

 「今から公園に行くから一緒に来いよ」

 和樹は自分の書いた原稿がすらすらと流れるのを聞いて小気味よく感じる。

 今日もチャットボットは正常だ。

文字数:1103

内容に関するアピール

 演劇のように場面転換を考えてこの物語を作りました。

  一:エージェントAから原稿を渡され、それを定常的に行うようになるまで―家の中の場面

  二:踏切待ち中に少年たちの会話を聞いて、この世界に疑義を抱くまで―町中の場面

  三:家の中で「火事現場」の原稿を書き、入稿するまで―家の中の場面

  四:エージェントAと会話―家の中の場面(三の家の中の場面より1日後)

  五:踏切前で少年たちの会話―町中の場面

 以上のように家の中と町中の二場面のみを使用する形です。

 シーンの切り替えとしては場所が少なく、章ごとに場所と時間の区切りをつけることで分かりやすくしました。

 読んでいただければ幸いです。

文字数:294

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チャットボットは正常だ

 シナリオライターである島田和樹は「戦って」いた。

 薄暗い六畳間に夕暮れの光がキラキラと指し示すように、手元のノートパソコンを照らしている。

 カタ……カタ……カタ

 室内に響くのはキーボードを散発的に叩く音のみである。

 卓上の無機質な目覚まし時計をちらりと見やる、16時55分32秒……

 締め切りまであと4分28秒か、いつも締め切り前のこの瞬間が一番ヒリつく――

 和樹はぼそりと呟くと一層力を入れて画面に注力する。

 残り3分、2分……現行の直し終了、入稿!よし間に合った!

 和樹はイスの上で上体を反らし、天井を仰ぎ見る。

 画面には『入稿完了』の文字。

 卓上に置いてあるタバコに火をつけ、深く吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐いた。

 タバコはどこで、いかなる時に吸ってもうまい。大自然の中でも、女と別れ話をしている時でも、しかし、一番うまいのは依頼されていた原稿をギリギリで入稿をした時だ、としみじみ思う。

 しばらくぼんやりと画面を見つめた後、くぅと腹が鳴り、空腹であることに気づいた。

 飯でも食いに行くか――

 ヤニが積みあがっている灰皿の隅でタバコを押し消し、顔を外へとつなぐドアへと向けた瞬間、画面にふと、気になる文字が見えた。

 『急募!シナリオライター』

 入稿する際にメールソフトを立ち上げてしまったのだろう、あやしいタイトルが見えた。

 なんだ、これ――あっ

 迷惑メールに振り分けるつもりだったが、間違えて本文中のURLをクリックしてしまった。

 そのURLには『資料請求はこちらから』と書いてあったようである。

 どうせ教材詐欺かなんかだろ――

 ポップアップした画面は急いで消したため、変なホームページは開いていなかったと安堵する。

 なんか変なメールだったな、気を取り直して飯食いに行こう――

 ドアを勢いよく開け、ガンガンと足音を鳴らし、安アパートの階段をどたどたと降りた。

 和樹のいなくなった部屋では、窓からさす光がキラキラとほこりの道をたどり、電源を切り忘れたパソコンの画面を照らしていた。

 そして、暫く経った後、画面には『件名:お伺いします』とメールソフトが寂しく右下に表示されていたが、数秒後には消えた。

 

 その男は和樹の部屋の前で固まっていた、いや、待っていたと形容した方が普通であろうか。

 終わりとはいえまだ夏だというのに、その男は、スーツの上にトレンチコートを着込み、サングラスを着用していた。体格こそ中肉中背ではあるが、威圧感がそこを中心として敢然と存在していた。

 対して和樹は短パンにTシャツ、サンダルと真逆の格好である。

 食後に和樹はコンビニに寄り、袋を手提げ、咥えタバコというスタイルで、だらだらとアパートの階段を上っており、階段半ばで、ちょうど見上げる形で和樹はその男と邂逅した。

 和樹は食べかけていたアイスを落としそうになり、崩れかけていた残りを急いで口に放り込んだ。そして暫く咀嚼し、嚥下した後、ようやく「誰ですか?」と一言絞り出した。

「シナリオライターに応募してくれたでしょう?先ほどのメールで」

 男は汗一つかかず、さらりと返答した。

 和樹は面食らいながらも一瞬納得しかけた意識を手繰り寄せた。

 おかしい、メール中のURLをクリックしただけで住所まで分かるなんて、そもそもコイツは何者だ――

 訝しむ気持ちを察してか、男は名刺を差し出す。

 そこには『株式会社アイディー出版 エージェントA』と書いてあるのみであった。

「何だこれ……」

 裏には何も書いていないプラスチック製の名刺と、サングラスを外さない無機質な顔へ向けて、交互に視線を向けていると、Aは懐からばさりと、原稿の束を取り出し、こちらへ無言で差し出してきた。

 そこには、タイトルのみが最上部へ書いてあり、他は白紙であった。

 「ハァ?」などの頓狂な声が漏れそうになったが、今度はAの方が早くアクションを起こした。

 シュッと残像も見せぬほどの速さでAは右手の人差し指を一本立てた。

「1枚につき、1万円支払いましょう」

 飲み込みは早かった、いや、金の話になると楽だった。すぐに原稿1枚あたりの値段だと合点した。

「そんなに……?」

 金額が金額だけにおずおずと切り出す。

「ただし、条件があります」

 ほら来た、商材でも買わされるのか?と思ったが意外な答えが返ってきた。

「原稿は手渡し、報酬も手渡しです。そして原稿の出来によっては修正や最悪な場合、お支払いもありません」

 和樹は少々考えたが、その場で「分かりました」と即決した。

 手渡しは面倒くさいし怪しいが、現金が手に入るのはうれしい。勿論、これが詐欺の可能性も否めないが、最悪はこれをネタに記事にしてやる、と時たま来る仕事の中にルポ関係の記事があることを思い出した。

「では、毎週月曜日に取りに来ます。報酬もその時に」

 そういうとAは音もなく立ち上がり、すべるように玄関から出ていく。

「あっ、ちょっと待って」

 和樹ははっ、と我に返り、Aを追って、重く開きにくい玄関のドアを開けたが、そこには汚い洗濯機がポツンと佇むのみで、Aの姿は消えていた。

 

 最初に渡された原稿は「駅に向かうサラリーマン(50代、中間管理職)」というタイトルであった。

 このタイトルから何を書けと?というのが率直な感想であった。

 じゃあ、こちらから連絡するか――と思ったが、名刺には連絡先は何も書いてなかった。

 まあ、きっと、締め切りの月曜日までには何かしら連絡があるだろう。そのように考えていたが、一日たち、二日が立ち、とうとう日曜日になってしまったが、何も連絡は無かった。

 『駅に向かうサラリーマン』ってなんだ?そしてどのようなシナリオを書けば……

 再度考えてみるが何も分からない、そもそも数学とは異なり、考えて答えが出るようなものではないのだ。

 ええい、もういいわ――

 思い切ってからは早かった。ものの数十分で原稿用紙三枚を一気に書ききった。

 だけどこれで、いいのか――?

 完成はしたが、そう思ってしまう。『駅に向かうサラリーマン』というタイトルからふと、先日見たくたびれたサラリーマンの通勤風景を思い出し、勢いで書ききった。

 内容については、冴えないサラリーマンの男が、妻から言われた『通勤ついでにゴミ捨てていけ』や『帰りに大根買ってこい』について文句交じりの独り言をブツブツと呟きながら、会社へ向かう足取りは重く、駅方面への歩道橋の階段を粛々と上っていくといったものであった。

 自然で何気なく日常的。褒めるように言えばそうであるが、『何の物語性もない』と言われればそれまでであった。

 書いた日曜日の夜はあまり眠れなかった。布団の中でうとうととして時計を見る、すると二、三時間過ぎている、ということの繰り返しで一夜を明かした。

 月曜日はそわそわした。

 午前十時頃原稿を取りに来る、という話ではあったが、完成した原稿を用紙し、イスに座っていつ取りに来ても良いように待った。ただし、バツが悪いような、後ろめたいような気がして、誤字の訂正は行ったが、一度も改稿はしなかった。

 ピーン

 チャイムがなり、玄関を開ける。

「おはようございます。原稿を受け取りにまいりました」

 そこにはAが立っており、淀みなくすらすらとそういった。

「アッ、ハイ」

 つい小声になってしまったが、そう言って和樹は原稿を渡した。

「失礼します」

 Aは原稿を手に取り、まじまじと読んだ。

 そして、

「では三枚で三万円です」

 とピン札を三枚渡してきた。

 少し気持ちがつんのめったようになった。文句を言われたら『あのタイトルだけだったらこれが精いっぱいだ。いや、何も説明しないそちらが悪い』と大仰に反駁する予定であったからだ。

「あの~それで大丈夫ですか……」

 すんなりと受け入れられては少々気まずいような思いをして和樹は問うた。

「ええ、ハイ。とても良くかけていると思いますよ」

 あっさりとそう言われてふと、体の力が抜けるようだった。

「これが次週分の原稿です。ではこれで」

 あっ、待って――

 色々と聞きたいことはあったが、するすると帰ってしまった。

 これでいいのか――

 何もしていないはずなのにどっと疲れた。

 10分もAはいなかったはずだが、みすぼらしい部屋が一層がらんとしたように和樹は感じた。

 

 和樹はAからの仕事を受けている、と言ってもいいのかもしれない。かもしれないと曖昧な言い方になるのは、原稿に何の価値があり、どのように使われているかが分からないからだ。

 Aからの仕事(厳密に言うと株式会社アイディーからの仕事ではあるが、その会社が存在するか不明なのでAからの仕事という認識で和樹はいる)は順調に進んだ。

 依頼は勿論、タイトルのみが書いてある原稿用紙を渡されるのみであり、しかも内容は何ともない、「ランチタイムの中華料理バイト(学生)」や「スーパーで買い物をする主婦」等、演劇でいえばエキストラのようなシナリオばかりであった。

 そんな原稿に和樹は、ある種の罪悪感を抱えつつも日常的な物語を書き込んだ。起承転結も何もない、ただの会話文のようなものだ。

「ありがとうございます。原稿料です」

 とそんな文章にもAは表情を変えず、余計なことは何も言わずに現金を渡してきた。

 そんなある時、思い切って聞いてみたことがある。

「この原稿は良くかけているのでしょうか。他にもこの依頼を受けているライターはいるのですか?」

 Aは初めて、考えるような仕草をして

「ええ、他にも依頼しているライターさんはいますよ」

 こちらをまっすぐに見据え、そういった。

「それに――」

 こちらが聞きたかった評価の方を聞きただす前にAは先に言った。

「他の原稿や、詳細な評価などはお教えできませんが、島田さんが最も良く書けている。と考えられます」

「ではこれで」

 こちらが考えている間に消えてしまっていた。勿論、後ろ姿は見つからない。

 それならば――

 次の原稿のタイトルは「公園でいちゃついているカップル(20代社会人)」であり、今までなら他愛もない話を書くのだが、過激なものを書いた。

 和樹は持てる技術をありったけ使い、いちゃついているだけのカップルを、訳あって殺人をしたばかりの男女が、公園でカップルを装い、いちゃつきながらお互いのアリバイの保管をするという内容の物語を3ページ分書いた。

 和樹はこの原稿を受け取った日に書き上げ、Aの来る月曜日をうきうきと待った。

 そして、Aが来た際に心中では胸を張って、どうどうと渡した。

 それは、いいものが書けた。という思いと、Aはこれをどう評価してくれるだろうか。という淡い希望によるものであった。

「拝見します。ム。」

 Aはさすがにいつもの調子ではなかった。そしてその後、喜んだり、もしかしたら怒ったりするだろう。

 しかし、そんな和樹の予想を大いに裏切り、いつもの調子で、

「ありがとうございます。原稿料です」

 と2万円をこちらへ渡した。

 どういうことだ、これは良かったのか悪かったのか――

 ふと、和樹は考えてみる。

 待てよ、今回は3ページ分、だけど2万円しかもらっていない、ということは今回の原稿は悪かったのだ。

 「ではこれで」と席を立とうとしたAの顔の前に手を広げ、Aを押しとどめた。

「今回の原稿、悪かったのでしょう」

 率直に和樹は聞いた、この評価に、そこはかとない、なにかしらのシッポをつかむような感覚があったからだ。

 Aは少し考えるふりをして、

「そうではありませんが……」

「じゃあ何で原稿料がいつもより安いんだ?いつもは三枚で三万円なのに!それはこの原稿がいつものように日常的なものではなく、突拍子もないものだからだろ」

 和樹の語気は粗くなる。態度か、評価か、何に怒っているのか分からなかったが情熱と呼べるものが駆け巡ってのことであった。

「ふむ……評価基準について詳細は教えられませんが……そうですねえ」

 珍しく、言いよどむA。首を小刻みにカクカクと動かしている。

「金額を評価と捉えるかどうかはお任せします。そして、こういったものが書かれることも乱数的には仕方がないことではあります」

 どういうことだ?良いのか悪いのか?和樹は一層頭の中がこんがらがることを感じた。

「ただ……」

 何だ?何を言う?

「アナタはこれを本当にこれが面白いと思っているのですか?」

 冷たく、無機質に、でも怒気ははらんでいない、何も無いような雰囲気でさらりとAはそう言った。

「ではこれで」

 Aはいつものように音も無く退室していった。

 一体どういうことなんだよ……

 Aが去っていった後、部屋の中で何とも言えない顔をして和樹は立っていた。

 心なしか、何かの、何かしらの解像度が下がった気がした。

 

 それからは元に戻った。

 いつもの、日常的な、他愛もない話ばかり書いたということだ。

「ありがとうございます。原稿料です」

 渡したときに、Aも心なしかホッとしているように感じる……いや、思いたい。

 勿論、初期の頃から持ち続けているAに対する不信は、今も漠然とは持っている。

 依頼を受けている『アイディー出版』という会社について調べたが、東京の雑居ビルの一角に確かに存在しているらしい、というのは分かっている。らしいというのはグーグルマップで調べたからでしかないからだ。

 もし、和樹が疑惑に対して徹底的に調べようと思う情熱を持っていたら会社の所在地を訪れたり、Aの尾行を行ったりするのだろう。

だけど――

 正直どうでもいいというのが和樹の今の感想である。原稿を渡せばカネがもらえる。副業としてやるにはおいしいサイドビジネスだ。

それに――

 詐欺だったとしてもいい。それを記事にできるから。

 でも――

 一体どこの誰がこんな詐欺をするのだろうか。そもそも現金を一年近くも渡し続ける詐欺があるのだろうか。

 もしかしたら――

 壮大なドッキリかもしれない。数年かけて行う。劇場型のドッキリか。

 和樹はそんなことをぼんやりと考えながら、もはやライフワークと化したAからの原稿をもそもそと書き続ける日々を送るのであった。

 

 カンカンカン

 町を南北に隔てる線路を横切る、駅近くの踏切を待っていた時である。

 その踏切は駅近くであるため、一度遮断機が下りると中々に開かないのだが、ここ最近は特に長く、今日は一段と長く感じていた。

 それは、照り付ける陽光が、じりじりと肌とメガネごしの眼球を焼き、熱波が服を貫通して手に持った棒アイスをも蒸発させようとしているからであった。

 ん――?

 と違和感を持ったのは一瞬の出来事であった。

 熱く、イラついている時にこそ集中力を発揮する。そしてそれは、何の変哲もない、隣で一緒に踏切を待っていた四年生ぐらいであろうか、小学生同士の会話であった。

「じゃあ準備したら山田の家の近くのコンビニ集合な」

「手塚くんも行くってさ」

 どこかで聞いたことがあるぞ……

 思い出してみる。

 あっ、とその場で少し声に漏らしてしまったが、遮断機が上がり、人の雑踏の音にかき消されたため、誰からも不審には思われなかった。

 二週間前のことだ。

 この会話と同じ内容をあの原稿に書いた。

 そして、この小学生二人の後ろには――

 ばっ、と右隣を見る。

 会話をしていた小学生の五歩後ろ、そこには、まさしく、うつむく少年がいた。

 そうだこの少年は、転校したばかりだけど、彼らと友達になりたくて、でも話しかけられなくて、この後それで――

「シュウ、どうしたの?」

 そこには、その少年の姉と思われる女の子(原稿通りだと小学校高学年の姉)が俯く小学生に話しかけていた。

 そして、幾ばくかの会話をした後、その俯いた少年は姉と一緒に、少年たちとは逆の方向へ消えていった。

 原稿のディテールは覚えていないが間違いない。『山田』『手塚』『シュウ』全て学生時代の友人から付けた名前だから良く覚えている。

 こんなに、『自分の書いた原稿と同じである』という偶然が続くものなのだろうか。

 和樹は立ち止まり、足下から沸き立つ陽炎も気にせず立ち尽くしていると、通りがかりの女子高生たちの会話が、注意深く聞いたわけではないが、耳の中に反響するように聞こえた。

「あのホテルの火事さあ、ヤバイよね」

 待て――

 急いで家に帰る。

 途中で道路整理中のカラーコーンをひっかけ、おばあちゃんの杖の先を醜悪なステップで避け、履いているサンダルの底がプラプラしても気にせず駆け抜けた。

 そして、家につき、コンビニ袋の中身を冷蔵庫に入れる間もなく、テレビをつけた。

 そこには、ニュース速報で、『有名大型ホテルでの火事』が報道されていた。

 アナウンサーが緊張した面持ちで伝える。

「本日、午前十時頃都内のシーエヌホテルで火災が発生し、現在も消火活動が行われております。現在300人ほどの宿泊客が~」

 テレビを横目で見ながら、卓上に積みあがっている束の中から先週受け取った原稿をがさがさと手に取り、タイトルを見た。

「大型ホテルで火災発生 部屋に取り残された家族」

 一気に血の気が引く思いがした。

 そして、間髪入れず、ペンを手に取り、ガリガリと一気に書きなぐった。

 『そこには、季節外れのゲリラ豪雨!降水確率0%を跳ね除け、バケツをひっくり返したような大粒の雨がホテル一帯に降る!無事鎮火して家族や客たちは無事に助かる!』

 後から思い返せば、まだ確証も無いのに良くこんなこと書いたものだ、とも、書くにしてももっとスマートにできたのではないか、とも思う内容であった。

 書いている間中、息を止めていたのだろうか、荒くなっている息をしずめ、じっとテレビを凝視する。

 すると、ライブ中の画面の中では、ホテルの全景を映していたが、やがて、ホテルの上が暗くなり、影が落ち、ごろごろと雨雲が停滞しているようになった。

 そして

 ザッ――

 一気に雨が降った。

 それは、テレビドラマの撮影のように、そこの一角だけホースで雨を降らせているようにも見え、カメラのレンズにも水滴が多数当り、何が見ているかのかを隠すような激しい雨であった。

 画面の中でアナウンサーがごもごもと喋って、いや半ば叫んでいるが、きっと、雨によるホテルの消火活動についてだろう。

 一時中断して十数分後、あがった雨と共に、きらきらと光の反射する、焼け跡を残したホテルが映し出された。

 やはりな――

 しかし、何故、どうして、そして、Aは一体?

 安堵と困惑と混乱が一気呵成に訪れるが、疲弊が勝ったのであろう。

『大したことはやっていないが、大いに疲れた』雰囲気が体をぼんやりと包んでいく。

 もういい、また今度考えよう――

 和樹はそう独りごちた後、部屋の隅にどう、と倒れ、潰れたクッションにうつ伏せに頭をうずめ、次の瞬間にはぐぅと寝息を立てていた。

 

 

「なあ、この間の火事を収めたのは俺だろ」

 次の日は奇しくも月曜日であった。

 朝にパチリと目を覚ますと、そのまま顔を洗い、そわそわとAを待った。

そして、いつも通りAが入室したタイミングでこの言葉を投げかけた。

「そして、この原稿に書かれていることは実現する。そうだろ?」

例の火事の原稿を突き出す形でAの前に出す。

「そうですね――まず」

Aはゆっくり原稿を受け取りながら返答した。

 そして、おもむろに原稿を広げ、目を通しながら話し始めた。

「この原稿をアナタに渡す日付について不備がありましたことを謝罪します。本当は三週間前に渡すはずだったんです」

「答えになっていない」という言葉を飲み込んだ。もう半分答えを言っているようなものだ。三週間前に原稿を渡され、二週間前に退出し、昨日、原稿に書かれている火事が起こる。

小学生の会話についても二~三週間前のラグがあった。

 つまり、この原稿に書かれたことは実現するか――

「アンタは神か?それに、何かハッキリと言えないのか?」

 神だとしたら逆に怖いものは無い。相手の胸先三寸。そういう半ば投げやりな気持ちで言った。冷静を装っていたが、話した後に、もっと的確な質問すればなあ、と反省した。

「後者についてはそうです。この世界での発言できない単語はいくつかある。前者については――」

 今まで外さなかった、隙間なく、隙間からは何も見えないサングラスを両手で外し、Aはこちらを向いた。

「否定します」

 そこには、あるはずの目が無い。

 まるで、ホラーだ。和樹は理性的にはそう思ったが、本能的には何も怖くなかった。

 何故ならAの目が無い顔というのは良く見ると、のっぺらぼうの様ではなく、テトラポッドが隙間なく詰まったような、五センチ大のブロックが目と周辺を埋め尽くしているように奇妙だったからだ。

 どこかで見たことあるぞ――

 和樹は記憶の奥からこの映像を引き出す。

「ポリゴン?」

 考える間もなく、口から出た言葉にAは「そのようなものだ」とだけ答えた。

「この世界がシミュレーションだとしたらどうする?」

 Aが続けて、表情は変わらないがこちらを探るように言った。

「もしかしてこの世界がコンピュータの中の仮想現実だっていうことか」

「それにも明確には答えられないが、そのようなものだ」

 ポリゴン状の顔面にサングラスをゆっくりと掛けなおすA。

「見苦しいものを視認させてすまない。眼球周りテクスチャーを詳細に作ると容量を食うものでね。コンソールにリソースは割けないのだ」

 サングラスをしっかりとかけ、密着させる。

「アンタはこの世界、仮想現実の創造主で、書いたことが現実になる原稿を俺に書かせて何がしたいんだ?」

「その認識は少し違う」

 Aは息を吐くように答えた。

「創造主は私ではない、私も所詮、君らを監視するプログラムの一個にすぎない」

 そして、さっきから突き付けている原稿をゆっくりと受け取った。

「この原稿は、この世界の人々の出来事のシナリオそのものなのだよ」

「どういうことだ?」

「一介のプログラムの推測に過ぎないが、どうやら創造主はシナリオの一つ一つまで作るのが面倒なのだろうな、だからそれを君に作らせている」

「だとしたら俺は一体何なんだ?」

「安心しろ、君も立派なプログラムの一つだ。ただし――」

 原稿を折り畳み懐へ入れるA、そして、新しい原稿を取り出し、和樹へと差し出す。

「ある程度自由な、ランダム要素のある、自立式の、そうだな、チャットボットのようなもの、と言えば理解は早いか」

 俺が……チャットボット

 Aから差し出された新しい原稿を手に取り、半ば放心したような顔で和樹は呟く。

「それが来週分の原稿だ。嫌なら今回を最後にしてもいい。記憶を消してくれ、チャットボットではなく、普通の人間プログラムにしてくれ、という願いを言われたこともある」

 Aはいつの間にか玄関のドアを開けていた。

「それから」

 Aは外へ踏み出そうとしている足を止め、こちらへ向き直る。

「もし君がその原稿に無茶苦茶なことを書こうとも、この世界を壊すようなことをしようとも、暴走エラーを止める術はいくらでもある。安心して書いてくれ」

 Aは軽やかに出て行った。

 重要なことを言われ、その事実を認識し、理解した。

 ショックで泣き崩れてもおかしくないようなことではあったが、腑に落ちずに和樹は悶々とした。

 部屋の中は変わらずに、ほこりがきらきらと舞っていた。

 

「ハイ、今月の分」

 Aに原稿を手渡す。

「原稿は前回で最後かと思っていたよ」

「お、意外か?」

 和樹は少し驚いた顔でAを見る。

「私に『意外』という感情は無い。統計上この事実を突きつけられて仕事を続ける人間チャットボットは一割にも満たないからだ」

「まあそういうことにしておくよ」

「こちらとしては原稿を引き受けるなら何も問題はない」

 Aは相変わらず表情を変えずに答える。

「ではこれで――」

 玄関を閉めるとAは、比喩でもなんでもなく「消えて」いた。帰り姿のリソースがもったいないそうだ。

 腹減った、飯にしよう。

 和樹は財布とスマホと鍵をポケットにしまい込み、外へ出かけた。

 よくよく考えたらこんなに楽しい仕事は無いよな――

 和樹は歩きながら考える。

 どんなに考えたってこの世界が変わるわけじゃない。それに人の他愛もない会話だって創るのだから創造主のようなものだ、ある意味神様じゃないか――

 例の長い踏切前で待つこと五分以上、電車も碌に通らないのに。もしやこれはこの世界のバグなのかもしれない。

 今度Aにクレームを入れてやろう。と和樹は思い至り、ふと和樹は微笑が漏れるのであった。

 カンカンカン……

 遮断機が上がり、人々が粒子の波のように行き交う。

「じゃあ準備できたら太田の家に集合な」

 そこには、前に見た小学生が二人、そして、その五歩後ろには同じように俯く少年が一人。まだ前を行く少年たちとは打ち解けていないのだろう。

 ただし、今回は違うんだよなあ――

「おっ、転校生の木村じゃん、こんな所でどうした?」

 前を行く二人組のうち、帽子を被っている少年が話しかける。

「あっえっと……」

 もじもじとしながら何かを言おうとする少年だが、上手く話せない。そうしたら多少じれたのだろう、二人組のうち、活発そうな子が、「暇なら一緒に太田の家行こうぜ」と声をかけた。

 その子は「う、うん」とだけ答え、二人についていく。

 そう、そこから君たちは友達になるんだ――

 和樹は、先ほどから浮かべていた微笑をより強く浮かべ、大股で牛丼屋を目掛けてまっすぐにぐんぐん歩く。

 こんな神様がいたっていいじゃないか――

文字数:10314

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