MONSTER

印刷

梗 概

MONSTER

 近未来。隕石が世界各地に落下し続ける。気候変動で食料不足だが人類は造血幹細胞への葉緑体移植と遺伝子編集で生き残る技術を確立。移植手術は生長ホルモンが止まる18歳前後が理想。術後は血液が緑に。
 主人公の龍は富士山周辺の隕石跡地ちかくの高校1年。街では以前より子供行方不明が多発。原因は隕石跡地の古代生物化石の遺伝子を子供の造血管細胞に組込む実験。物語は地下研究所に誘拐された龍のカプセルがひび割れる瞬間から。

:主人公。朱鳥に片思い。黄の血
虎白コハク:龍の親友。数年前から行方不明。青の血
朱鳥アスカ:虎白の幼馴染。虎白を好き。薄赤の血
星羅セイラ:流星街の子。無自覚に古代人より意識が浸食。中ボス
古代人:地底で鉱物化。古代生物化石の場所に隕石を落としてる。次は土星衛星を地球に落として太陽を見たい
亀山:科学者。造血幹細胞移植の発案者。今は人類を究極生物にして衛星落下から救いたい。ラスボス

1章
・龍のカプセルがひび割れ床で目覚める。周囲はむき出しの土と化石。なぜか床に黄の血が点在
・逃げる途中で他のカプセルの子と目が合い助けようとするが諦め進む
・朱鳥のカプセルを見つけ拳が潰れるまで叩くと黄の血が噴き出て爪として固まる。カプセルを切り裂き朱鳥と合流
・亀山の研究日誌を発見し古代人の片鱗を知る。前から白衣の亀山が歩いてきて龍にマシンガン乱射

・龍のフラッシュバック。子供時代からの虎白との友情と朱鳥との三角関係。作品背景の説明
・行方不明の虎白から届いていた謎の手紙(朱鳥を守ってくれ)を思い出す

・龍から流れ出る明らかに異常な量の黄の血が部屋を膝まで満たしブクブクして、竜の形に固まり龍を喰らう。すると龍は外皮が硬化血液の人型怪物となる。亀山は無表情で素晴らしいと激しく拍手しながら退場
・龍は意識混濁しつつも身体は勝手に暴れ亀山の覆面の側近(星羅)を襲う。覆面は傷つき逃げるも龍の狂暴化は進行
・青い巨大な虎となった虎白が天井を突き破り現れ龍を喰らうと龍は人に戻るが意識朦朧
・虎白は龍と朱鳥を背に乗せ運び(虎白と朱鳥の会話がぼんやり聞こえる)、虎白は朱鳥を自宅のベッドに優しく置き、龍を連れ去る

2章
・龍は隕石跡地の街(流星街)で目覚める。高放射能で半怪物しか暮らせない街。星羅が龍を看病
・虎白と星羅が古代生物の謎と地底入口(マグマ)を語る
・龍と星羅が恋に落ちて初体験
・たまに星羅が変(古代人の意識浸食)
・虎白から力の使い方を学ぶ(その古代生物の意思が宿る動植物を探し共鳴し自分の中の古代生物と対話する。人型怪物になるのは人間であろうとする自我と実態を得ようとする古代生物が反発する為)
・山や川と対話すると龍の共鳴相手は竜血樹(バオバブ)と判明
・虎白は龍を乗せ引力を操り超速度でアフリカの竜血樹へ。龍は修行
・龍は黄の竜(全長30m)に変身し斥力を操り成層圏を飛び地球を美しいと思う

3章
・龍と虎白は研究所襲撃を計画
・研究所の闘い。亀山の研究日誌を読み究極生物の片鱗を知る。最深部には亀山と星羅
・古代人と意識融合しつつある星羅は人間こそ地球のMONSTERと語る。亀山はカプセルを割れる古代生物を待ってたと拍手
・星羅は渾沌こんとん(目鼻耳口がない寸胴の獣)に変身し時空を乱し周囲が太古と超未来で入り混じる
・虎白が星羅と戦い勝とうと狂暴化するが敗北(龍は星羅が好きで戦えない)。龍は虎白を喰らい元に戻そうとする
・龍の古代生物は他の古代生物を吸収すると判明。黄と青が混じり二人は緑の竜(全長80m)となる
・引力と斥力を同時に操り星羅に勝つが亀山は亀と蛇の巨獣(玄武)となり逃亡(亀山は化学結合を操るため攻撃が効かない)
・星羅の頼みで彼女を竜の息で火葬。龍と虎白は合体解除

4章
・龍と朱鳥は大学進学。虎白は流星街に残る。土星衛星(直径40km)が地球に接近
・龍と朱鳥の恋愛。朱鳥も今は薄赤の血を隠す同類。二人は共感しあう(周りと違う自分達)
・龍は竜となり朱鳥を乗せ世界各地をデートしハイデルベルグ城でかくれんぼして朱鳥にキスするが朱鳥はやっぱ虎白が好き
・龍は自分が人間から離れてくのと虎白の頼み(朱鳥を守ってくれ)に悩み逃げ出す
・龍を探しに来た虎白と戦う(三角関係のもつれ)。和解
・二人は衛星を止める手段を求め地底へ。二人で緑の竜となりマグマを抜ける。朱鳥は二人を見送った後に流星街へ

5章
・地底を数か月探検。古代人と邂逅
・地球は過剰な原発と暴走で一度滅び古代人は地底に都市建設し眠ったが、20年前に目覚めて隕石を落とし始めたと判明
・亀山は古代人が最初に接触した現人類だが古代人を裏切り現人類を造血幹細胞移植で救い、今は地底にある全生物のオリジン(液状)と同化し究極生物となり衛星衝突から現人類を救おうとしてる
・古代人は亀山をかつての我々と批判し(際限ない向上心と科学崇拝)奴を止めろと依頼
・龍と虎白は迷うが亀山が地底を襲撃。龍たちは古代人と不戦を契約。衛星はもうすぐ地球だが何とかすると古代人は約束

6章
・亀山はオリジンと同化し究極生物に。龍も人間でありたいが(同化すると人型に戻れる保証なし)世界を救うため決意。虎白は迷わない。二人でオリジンに飛び込むが虎白は行方不明に
・龍と亀山の二対の巨獣が富士樹海を割り地表に出て富士山上空の満月の夜空で戦う。亀山は寒気がする完璧な球体で直径4km。龍は全長8km。なお富士山火口は直径780m
・亀山が地表にビームすると地平線まで異形植物の森林に
・龍は負けるが究極生物化した虎白が助けに来る。虎白はずっと前から力を使い過ぎてるので同化すると直ぐ消滅するが良いかとオリジンに聞かれてた。虎白は全てを捧げ龍に完全同化し二人は麒麟となる
・亀山と戦う最中に衛星が落ちてくるが古代人が月から呼び寄せた岩石群で相殺。地球は粉塵に覆われる。麒麟の二人は引力で残骸落下から人々を守りつつその隙に太陽めがけて宇宙に昇り、地球規模で引力と斥力を操り亀山を残骸で固め宇宙へ引き上げ太陽に投げる
・虎白は龍に「朱鳥を守ってやれよ」と言い消滅。麒麟が朽ちて龍は富士山火口に落下。龍(竜。黄。全長30m)から流れる血で火口は満たされ、横たわる龍は死に向かうが、朱雀となった朱鳥が飛んできてハグ。薄赤と黄が混じり血の池は赤となり竜血樹の森が生まれ、龍と朱鳥は人型に戻り裸の赤い血の人間となる。龍の古代生物が消滅する前に実体化し二人を乗せて地上に向かい飛び立つと、朝日が昇る

文字数:2638

内容に関するアピール

・少年ジャンプ
(悲劇/勝利/友情/努力/恋愛/力のインフレ/喪失)

・エモい
(覚醒と暴走/片思い相手は親友が好き/人間から離れてく〔人と違う自分〕/自分と世界の天秤/勝って死ぬが女神が救う)

・えっち

・漫画/アニメ化が楽
(各章が映像25分×2~3。6章で14話の1クール)

・時事的問いかけ
(人間こそ地球のモンスター? 自然や古代人との対話)

・国際性
(怪物は中国の四神と幻獣。中国語市場も狙う)

・虎白はイケメン枠

・星羅ちゃんの渾沌はえぐい

 

・SF設定の深さはグレッグ・ベアのブラッド・ミュージックを目指すがあくまでソフトSFで中学生も楽しめる塩梅で語る

・着想はイタリア火山の原始生物から植物特性を持つ動物細胞(プラニマル細胞)を作る研究。最近ハムスターへの移植成功が発表

・血の混じりあいは色の3原色

・造血幹細胞は無限増幅できると思われ超大量出血も恐らく可能

・現実の竜血樹も樹液は赤
(写真はシンガポール)

出典

 

文字数:399

印刷

MONSTER

縦書きPDF


 目が覚めてまわりを見渡すと、鮮やかな黄色い液体が床や壁や天井を埋めつくし垂れてる。触るとサラサラしてる。絵の具やペンキみたいな薬品のにおいはしない。どことなく生き物を連想させる。僕は裸で全身に包帯がびっしり巻かれ、髪から足までこの黄色い液体でびちょびちょだ。口もとをぬぐっても手も濡れてるからうまく取れない。
 なんだこの場所は。天井の照明がまぶしい。窓がなくてじめじめしてる。何の音も聞こえなく、寒い。地下だろうか。目の前には大きなパソコンみたいな機械とそこから伸びる管がならんでる。どれもめちゃくちゃに壊されてる。ガラスの破片が床に飛び散ってる。壁や天井も傷だらけだ。爆発とかじゃない。全部に爪あとみたいなものがある。まるで何かの怪物が暴れたみたいな。この液体はまさか、その怪物の血?
 頭がいたい。ここはどこなんだ。思い出せ。高校の始業式で校歌をうたった。そうだ、今朝、学校にいって、今年のクラス割りを見た。僕の名前は2年A組で、今年も朱鳥あすかちゃんと別のクラスだった。始業式の後は吹奏楽部の部室にいった。部室で朱鳥ちゃんに話しかけると、今日は練習がないから、行方不明の虎白こはくを探すビラを駅前で配ろうと彼女が言った。それで二人で学校を出て……その後がわからない。僕はここに誘拐されたのか。
 後ろを振り返る。透明な卵みたいなカプセルが壁から突き出してる。カプセルはひび割れ大きな穴があき、下の方に黄色い液体が溜まってる。目を覚ましたとき僕は床にうつぶせで倒れてた。肘と膝が痛い。僕は、あのカプセルの中にいて、その怪物がカプセルを割ったから流れ出たのか? そうかもしれない。自分が水の中にいる夢を見続けた気がする。それに手首と足首が何かで固定されてたみたいに痛む。
 そんなことより逃げるんだ。今は考えるのをやめろ。ここにいちゃだめだ。包帯を取って何か着るものがほしい。でもそんなこと気にしてる場合じゃない。もし怪物がいるならここに戻ってくるかもしれない。はやくこの部屋を離れるんだ。
 それにしても、なんで髪の毛がこんなに長いんだ。前髪が口もとまで伸びてる。


 部屋を出て進むと通路がいくつかに分かれてる。一つの幅広い通路が上に伸びてるようだ。黄色い液体も見当たらない。ここを進んで上にのぼろう。
 薄暗い照明の通路に入ると、周りが洞窟のようになる。壁も床も天井も、灰色と黒が混じったザラザラの石だ。通路はまっすぐに進まず、大きく曲がったり、上がったと思ったら下がったりしながら、段々と上に向かう。ところどころ天井から水が染み出てる。ここが地下なのは間違いなさそうだ。でも通路はキレイな四角形で、自然の洞口には思えない。まるで僕は地下の岩の中をアリの巣みたいにくりぬいた場所にいるようだ。
 しばらく進むと天井にライトで照らされ光るプレートが貼られてる。立ち止まり見上げてプレートを読む。

『検体 デスモスチルス/2047年4月28日 発掘/タービダイト層 推定1700万年前/B5保管庫収容』

 なんだこれは。ふいに気がつく。天井には濃い茶色の染みが立体的にでこぼこ広がってるが、それは、頭蓋骨や、ろっ骨や、足や尻尾のような形で突き出てる。まるで動物の骨をぺちゃんこにして並べたみたいだ。理科の教科書でこんな写真を見たことある。これは……化石なのか。天井に何かの化石が、発掘され、浮き出てる。
 化石をよく見ると、尻尾の付け根あたりがくりぬかれ、きれいな四角い空洞になってる。しかしなんて大きな骨だ。こんな動物が存在するのか。
 通路を進むと床や壁からも化石が突き出し始める。立ち止まらず進むけど、四方から突き出る化石はどんどん増えてく。嫌な予感がする。でも進むんだ、それしかない。


 通路を登り続けて大きな空間に出る。サッカーフィールドぐらい広くて天井も高い。壁一面に、僕がさっき見たのと同じようなカプセルが横にも縦にも何段にもならんで突き出てる。なんて数だ。200とか300じゃない。どのカプセルからも太い管が上に伸び、それらが天井を伝って、部屋の中央で緑に光る巨大な機械に繋がってる。

 僕は近くのカプセルに近づく。
 嫌な予感が的中する。

 カプセルはピンク色の液体で満たされ、中には僕と同じぐらいの歳の少年が、裸で、両手両足を鎖で固定され浮いてる。彼の顔には病院で見たことある人工呼吸器みたいなものがついてる。少年の意識はない。歩き続けて隣のカプセルを見る。ピンクの液体で少女が浮いてる。次のカプセルは青の液体に少年。次は青の液体に少女。

 信じたくない。
 でもこれは、どう見ても、何かの実験施設だ。
 ネットの映画とかじゃない。
 現実に、僕の目の前に、現実の人間が、たくさん並べられてる。

 吐き気が噴き出して喉が焼ける。息を吸って吐いて吸って吐いてしてるのに目の前から空気がなくなったみたいにいくら吸っても苦しい。全身がカチコチになって自分の目が何かを見てるのに何も見えてなくて何もわからない。怖い。怖い。時間が止まってる。でも同時に、僕は、自分の中のどこかが冷静で、僕がどうすべきか計算するのを感じる。声を出してはだめだ。音をたてるな。僕もカプセルの中にいたのは間違いない。だからカプセルを割った何かがどこかにいる。
 でも、もし誰かを助けられるなら助けたい。歩き続けて次のカプセルで止まる。今度は灰色の液体に少年が浮いてる。カプセルを触り、横から眺める。分厚いガラスのようだ。僕が生きてるってことは、カプセルを割っても大丈夫なはずだ。何か重いものを見つけて叩こうか。いや、そんなことしたら大きな音が出て、僕のカプセルを割った何かがここに来るかもしれない。カプセルにスイッチがないか探す。ない。部屋の中央の機械をいじれば何か出来るかもしれない。でもそんなことをしても、怪物に気づかれるかもしれない。

 ——こんな時にあいつならどうするだろうか。

 虎白のことを考える。虎白ならきっと、迷わずカプセルを割ってこの少年を助けるだろう。あいつもバカじゃないから、この部屋の全員を助けようとはしないだろう。でも少なくとも何人かは助けるはずだ。
 静寂の中で立ち止まり考える。部屋の中央の機械からモーターが回る低い音が聞こえ、空気の振動を頬に感じる。途方もない数の管の中で、液体が動く気配がする。壁の何百ものカプセルで、みなが静かに機械で息を吹き込まれる音が聞こえる気がする。

 ダメだ。
 こんな訳のわからない大きなことに、僕は何も出来ない。

 目の前の少年から顔をそらす。急にこの部屋の全部のカプセルから見つめられる気分になる。せめて彼らの顔を覚えておこうと、カプセルを横目で見ながら部屋の反対側へひっそり歩く。
 それにしても、なぜ僕だけが、全身に包帯を巻かれてるのだろう。


 カプセルの液体の色はどれも微妙に違ってて、一つの色につき少年と少女が一人づつみたいだ。少年、少女、少年、少女。ふと思い当たる。僕らの県で起きてる行方不明事件は、この場所と関係あるんじゃないか。
 そう思いながら歩いてると、あるカプセルで目がとまる。この少女の顔を僕は知ってる。会ったことはないと思う。この子は、そうだ、警察の行方不明者の掲示板で、虎白の顔の近くに写ってた子だ。疑問が生まれる。もしかして虎白もこの場所のどこかにいるのか。高校入学直後に、あいつが行方不明になってから1年が経つ。いや、でも去年の冬、虎白から手紙が届いたから、あいつはここにはいない。変な手紙だったけど、この場所と関係してたのか? 虎白はここから逃げ出したのかもしれない。
 僕はゆっくりと、上の方で突き出してるカプセルも覗きながら歩く。虎白の手紙の意味が今ならわかる。そして——

 朱鳥ちゃんを見つける。
 朱鳥ちゃんは、床から上に3段目のカプセルで、薄赤色の液体に浮かんでる。

 なぜ思いつかなかったんだ。僕がここに誘拐されたであろう時に朱鳥ちゃんも一緒にいた。自分のことばかりで彼女のことを忘れてたなんて。
 彼女だけは、絶対に、助ける。
 カプセルを割れる物がないか周りを見渡す。部屋中央の機械に近寄る。機械はほとんどの部分が、緑色の数字や心電図のような線が光る黒いパネルで覆われてて、キーボードやスイッチはない。ところどころネジ穴があり、パネルが外され中の回線がむき出しになってる。ネジ穴があるならあれが近くにあるかもしれない。薄暗い中で目を細めて地面を探す。

 あった。ドライバーだ。

 ドライバーを口にくわえて、カプセルとカプセルの間に入り、両手両足で左右のカプセルを押して這い上がる。朱鳥ちゃんの顔が見える高さまで登る。薄赤色の液体の中で彼女の長い髪が胸のあたりを漂ってる。彼女の両手両足は何かで固定されてるが、カプセルを割った衝撃で、もし下に落ちたら危険だ。カプセルの真ん中を叩こう。
 僕の顔の横に朱鳥ちゃんのお腹が見える位置まで下がり、両足を一つ下の段のカプセルに突っ張る。右手をカプセルにおいて、左手に持ったドライバーの先端を鋭く突き刺す。……ダメだ。もっと思いっきり叩かないと。何度かもっと強く刺す。でもドライバーはカプセルの表面を滑り、傷ひとつつかない。どうすればいいんだ。自分が焦り始めてるのがわかる。落ち着け。何とかこれで割るしかないんだ。
 僕は一度とまり、体勢を整えて、大きく息を吸って吐いてから、右手で押さえるカプセルに向けて、全力で振りかぶってドライバーを振り下ろす。

 ぶす、という嫌な音が自分の背骨を伝わる。ドライバーが右の手のひらを貫いて手の甲から突き出てる。
「うああ!」
 思わず声が出る。反射的にドライバーを引き抜いて投げ捨てる。右手から血が吹き出て——

 その血は赤ではなく、鮮やかな黄色だ。

 先ほど僕が目覚めた部屋に散らばってた液体と同じ黄色で、それが何を意味するのか、考えちゃいけない予感で息が止まる。しかし僕の気持ちと関係なく、目の前で信じたくない事が起こる。
 吹き出る黄色の液体はどんどん増え、バケツをひっくり返したように、目の前のカプセルから地面までを黄色に染め上げる。そして液体はサラサラな状態から粘度を増し、まるで水と氷の中間のような状態で、僕の右手を野球グローブのように覆い、固まり始める。
「何かの、動物の手?」
 思わず呟く。それが完全に固まる。先端が5本の爪のように鋭く尖ってる。そして僕の右手が、僕の右肩が外れるぐらいに勝手に後ろに大きく振りかぶり、飛鳥ちゃんのカプセルを叩きつける。カプセルに大きな穴が空く。薄赤色の液体が滝のように流れ出す。液体の勢いで僕も地面に滑り落ちそうになる。でもこのままでは飛鳥ちゃんが地面に——
 考え終わる前に身体が動く。カプセルの割れ目からずり落ちて来た彼女を受け止め、僕は足でカプセルを強く蹴って横に飛ぶ。
 飛鳥ちゃんを抱きしめたまま背中から地面に着地し、落下の勢いで横に転がり続ける。両手で彼女の頭と腰をつかんで僕に押し付け、彼女が傷つかないよう守る。

 転がり続けて僕らは止まる。飛鳥ちゃんを仰向けに地面に置いてから、彼女の前に膝をつく。意識はないが、彼女のひたいに手を置くと温かみがある。
 少し緊張が抜けたのか、彼女が裸で横たわってることに気まずくなる。僕は自分の上半身の包帯を解いて、ちぎり、彼女の胸と腰を覆うように巻く。包帯はよく見ると、表側は液体を吸ってるが、肌に接する面は水をはじく素材だ。

 僕の右手を覆っていた何かは消えていて、ドライバーで怪我した手の平も治ってる。言葉に出来ない寒気を感じるが、必死に押し殺す。
 飛鳥ちゃんの手を取って僕の肩に回し、抱き起こしておんぶする。柔らかい身体を背中に感じる。僕の頬の横で揺れる彼女の髪の毛からは薄赤色の液体が垂れてるが、僕の腰から下に巻かれてる包帯が、ところどころ黄色から真っ赤になってる。二つの液体が混ざって、色が変わってる?
 とりあえず今は進むんだ。僕と彼女は数百のカプセルを後ろに部屋を出る。


 通路を進むうちに背中の飛鳥ちゃんが目を覚ます気配がする。
「……あれ」
「飛鳥ちゃん」
「……龍くん?」
「今は何も考えないで」
「ここ、どこ? なに?」
「僕を信じて」
「……わかった。ん、でも、自分で歩けそう」
 彼女を背中から降ろす。彼女の意識が思ったよりはっきりしてるので、彼女がカプセルに囚われてたことを話す。
「もしかして、虎白もここのどこかにいるんじゃない?」
「……そうかもしれないけど、まずはここを出て、警察に知らせた方がいいと思う」
「そっか。うん。そうだよね」
 そして彼女は「いこう」と言い、僕の前に出て通路の先へ歩き出す。

 通路を登り続けると段々と照明の数が増え、床と天井がむき出しの石ではなく白いパネルで覆われ始める。ところどころで左右に扉が出てくる。扉には『A3保管庫』『培養室』『薬品室』などの名札が貼られてる。どこからか人の気配もする。僕と飛鳥ちゃんは黙って慎重に歩く。
 更に進むと、通路の先から唐突にクラシック音楽のような男の歌声が聞こえてくる。先の方でプシューっと扉が開くような音がしたと思うと、その歌声がとたんに大きくなり響き渡る。僕達はとっさに身をかがめる。その男はメロディーを、口ずさむとかではなく、大きな声で歌ってるようだ。幸いにも歌声は僕達から離れるように小さくなっていき、やがて消える。
 飛鳥ちゃんに目くばせしてから、僕が前に出て通路を歩く。先ほど開いた扉の前まで来る。扉には『室長室』と書かれてる。飛鳥ちゃんが後ろから僕の耳に囁く。
「このまま警察に行っても信じてもらえないかも。何か証拠を見つけないと」
 そう言って彼女が扉のボタンらしきものを指さす。室長室というなら、中には普通は室長しかいないだろう。そして扉を開けて通路に出る前から大声で歌うなんて、さっきの男が室長に違いない。いま部屋には誰もいないはずだ。飛鳥ちゃんの目を見ると同じ考えだとわかる。ボタンを押すと扉が開く。中に入る。

 室長室は学校のプールぐらい大きな部屋だ。部屋の一番奥に机があり、その手前には、博物館の展示のように床から伸びるガラスケースが何十個も並んでる。ガラスケースには、一つのケースに一つ、両手でやっと持てるぐらいの大きさの四角い物体と、プレートが置かれてる。プレートを読む。これは……化石だ。さっきの通路の化石にあった、尻尾の付け根の四角い穴を思い出す。この部屋には、ものすごい数の、何か大きな生物の化石が並べられてる。
 化石のケースを抜けて奥の机にたどり着く。机は大きく、使いかけの鉛筆が異常にたくさんある。1から99までのラベルが貼られた鉛筆が順番に横に並び、全部が完璧に削られ、全部が完璧に同じ長さで、何だか気味が悪い。机には大量の封筒や書類もある。封筒に目をやると、どれも『亀山あきら』という宛名だ。亀山晃? どこかで聞いたことあるような。
 机の左側に四角い化石とプレートが置いてある。その化石を見た瞬間、僕の右手の爪の間から黄色い液体が急に吹き出して、飛鳥ちゃんが小さい悲鳴をあげる。
「え、何? 黄色い、血?」
「ごめん、わからない」
 右手に力を込めると、黄色い液体は止まった。化石の横のプレートを読む。

『検体 古代生物Q/2049年1月29日 発掘/タービダイト層 推定6550万年前/室長室収容』

「古代生物?」
 思わず口に出る。推定6550万年前? 確か1億年前が恐竜の全盛期で、大きな隕石が落ちて恐竜が絶滅したとかいう年が、6550とかいう数字だった気がする。でも『古代生物Q』ってなんだ。普通は、〇〇サウルスとか、名前があるんじゃないのか。
 飛鳥ちゃんが僕の肩に手を置く。そうだ、何か証拠を探すんだ。机の脇の『研究日誌 2051年1月開始』というノートが目に付く。ちょうど3か月前だ。
 警察に信じてもらえるか中身を確認しないと。僕たちは日誌を手に取って開く。


 2051年1月1日 午前5時55分55秒
 古代人が私に接触してから今年で10年だ。人類を救ったと崇められていた私に彼らは接触し、知識と引き換えにこの研究を依頼してきた。彼らの依頼である古代生物発掘と遺伝子調査は順調だ。もっとも結果として私は彼らを裏切ることになったが。
 私の研究は2035年より始まった。2035年には地球にいくつもの小隕石群が衝突し、地球規模の気候変動が始まった。世界中で数十年に渡る食糧難が予期され、人類は滅亡に向かった。この興味深い事態に、当時に準教授だった私は、遺伝子編集による人類の強制進化を提唱した。すなわち人間の細胞に葉緑体を取り込ませ、人間が光合成できる存在に進化することである。
 2035年時点でも、ウイルスベクターによる人間の遺伝子編集は実用化されていた。ウイルスには細胞の遺伝子を書き換える力があるため、この特性で人間の遺伝子を編集できる。しかし人体が葉緑体を取り込むためには、人間を大きく造り変えねばならない。人間の遺伝子とミトコンドリアの遺伝子は、長い時間をかけ最適な共生に進化した。同じように人間の遺伝子と葉緑体の遺伝子も共生可能であろうが、そのために必要な人間側の進化を一気に行う必要があった。
 人間の造り変えのために私は血液に着目した。血液、血液! これこそが哺乳類の礎である! 血液が臓器に栄養を届ける機構に過ぎないとのような解釈は浅はかだ。血液こそ人体そのものなのだ。受精卵が分裂し様々な臓器となるのも、母体の血液が受精卵の遺伝子に従いその形質を変えるに過ぎない。この星を制した哺乳類とは、血液より生じて、血液より複製される。
 血液は人間の腰周りなど、大きな骨の内部に存在する骨髄で作られる。正確には骨髄に含まれる造血幹細胞で生成される。この造血幹細胞は特殊だ。通常、人間の細胞は分裂できる回数が決まっているが、例外が3つある。精子や卵子などの胚細胞、人体を蝕むガン細胞、そして血液を生み出す造血幹細胞。この3つだけは、テロメラーゼ酵素の作用によりほぼ無限の分裂が可能だ。
 造血幹細胞はほぼ無限の分裂が可能であり、そこから生み出される血液は全身を隅々まで駆け巡る。つまり造血幹細胞を、全身の遺伝子を編集する血液を生み出すよう遺伝子編集することで、生成される血液による全身の遺伝子編集が可能だ。また、まずは造血幹細胞において、人間の細胞と葉緑体の共生を実現させる。そして血液を介して、造血幹細胞で複製される葉緑体を全身の細胞に取り込ませる。
 私が唱えた葉緑体移植施術は当時の学会から拒絶された。当然だろう。途方もない数の人体実験が必要とされたからだ。しかし世界にはそのような建前を通せる余裕はなかった。私は政府より、独立した研究施設と大量の人体を提供された。数年たち私が研究を完成させた後、人々は私を救世主と呼んだ。
 しかしこのままでは、今度こそ古代人は人類を滅ぼすだろう。古代人は己の種の復興だけ考え、その為にこの星すら犠牲にするつもりだ。彼らは滅びねばならない。そのために私は研究を続ける。そして私は、人類と言う花を更に進化させ、星と調和する形で永続させる。


 日誌を閉じて飛鳥ちゃんに話しかける。
「亀山晃って……」
「うん。高校受験で習った。葉緑体施術の発明者」
「その亀山昇が、僕たちを使って、ここで何かの実験をしてる?」
「わからないわ。誰かが亀山昇って名前を勝手に使ってるのかもしれない」
「違います。私がその亀山昇で間違いありません」
 突然と声がして後ろを振り向く。誰もいない。
「君は古代生物Qの男児ですよね? カプセルが割れたアラートが鳴りました。私は感動しています」
 声は天井のスピーカーから出てる。その近くにカメラらしきものもある。

 ここにいるのがバレてる。日誌を掴んだまま部屋の出口に走ろうとした僕を、飛鳥ちゃんが止める。
「バレてるならきっと逃げられないよ! この部屋から外に電話が出来ないか何か探そう!」
 とっさに机を見る。たくさんのラベルとボタンがついた固定電話が目につく。ラベルには色々な部屋の名前が書かれてて、僕はそれを読む。
 天井から男が更に話しかけてくる。
「Qさんを起こしたく、必要な物を取りに部屋を出ましたが、どうやら間に合いそうです。おや、部屋にもう一人いらっしゃいますね。アラートを見逃しました」
 僕はラベルを読み続ける。『国立科学博物館』というのがある。これは外に通じるに違いない。受話器をとってボタンを押す。

 部屋の端から扉がプシューと開く音がする。男がこちらに歩いてくる。
 男はぴっちりした白衣でオールバックだ。その顔は教科書やニュースで見たことあるのと同じだ。
 僕の耳元の受話器はコール音が鳴るばかりで相手は出ない。
 近づいてくる男が部屋の真ん中で止まり、僕に向けて右手を前に突き出す。
 拳銃?

 何かが破裂する音が聞こえて、僕の身体が後ろに弾ける。
 音が続いて何度も何度も何度も何度も響く。
 僕が後ろに倒れようとしてる。横にいる飛鳥ちゃんが手を口に当てる。

 頭から床に落ちた衝撃が僕の歯に響く。胸やお腹が焼けるように痛み出す。
 床にくっついた僕の背中から、液体が出続ける感触がある。
 飛鳥ちゃんが僕の手を握りしめて今にも泣き出しそうだ。

 僕は死ぬのか。
 飛鳥ちゃんを守れずに。
 虎白の頼みも守れずに。

 目がぼんやりして視界が白くなってく。
 何かの思い出が勝手に浮かぶ……

 


 薄っすらと雪が積もった駅前広場はイルミネーションで輝き、鼻を刺す冷たい空気さえ、クリスマスソングで暖められてるみたいだ。明日のイブを前に、様々な歳のカップルが、この魔法の時に頬を緩めて指を絡ませ、目の前を通り過ぎてく。
「ご協力おねがいしまーす」
 隣で飛鳥ちゃんが声を上げる。僕も続いて同じことを叫ぶ。彼女と僕で、虎白の行方不明のビラを配る。

 印刷してきた枚数を配り終った僕らは、近くのファストフードに入る。18歳以下に支給される食料チケットを店員に渡してから席につく。飛鳥ちゃんが、運ばれてきた二つのソラマメバーガーからピクルスを取り、一つを僕に手渡しながら言う。
「冬休みなのに来てくれてありがとう」
「別にいいよ。他に予定もないし。ちょうど病院の検査で近くに来てたし」
「龍くんも16歳になったもんね。検査どうだった?」
「とても良好な血液をしてます、だって。大学受験が終わったら、葉緑体施術するよ」
「私もその予定。あー! いやだなぁ。施術が終わったら、こんな風に気軽にご飯も食べれないね」
 そう言って彼女はハンバーガーを持ち上げ眺める。ハンバーガーは葉緑体施術を終えた大人の肌みたいに、少し緑っぽい。そのまま止まって、飛鳥ちゃんが呟く。
「去年の冬は、虎白と龍くんと三人で、よく一緒に受験勉強したよね」
「そうだね」
「虎白、大丈夫なのかな。警察の捜査も進展ないし」
 彼女がハンバーガを置いてうつむく。
「もし死んじゃってたら、私どうしよう」
 飛鳥ちゃんが静かに泣き出す。僕は彼女を見守る。何分か経ち、悩んだ末に声をかける。
「あいつは生きてるよ。それだけはわかる」
「なんでそう思うの」
「えーと、親友の勘かな。あいつが死んだら、たぶん僕は気づく」
「なによそれ……ううん、でも、ありがとう」
 そして僕たちは、それぞれの冬休みの予定を話す。

 店を出て、前を歩く彼女を見ながら思う。僕が話したことは本当だ。虎白は生きてる。一週間前、家のポストに僕宛ての封筒が入ってた。虎白からの手紙だった。荒っぽいけど妙に整ってる、虎白の字だった。
『俺は生きてる。けれど帰らない。やることが出来た。お前たちに会うことはもうないだろう。この街は危険だ。詳しくは言えない。だが親友として頼む。飛鳥を守って、幸せにしてやってくれ』
 飛鳥ちゃんはすれ違うカップルには目もくれず、「寒いね」と言いながら足早に駅へ歩く。僕は、虎白は生きてる、と彼女を励ましたのを後悔する。泣いてた彼女に、勇気を出して別の言葉をかけてれば、今夜は違うものになっただろうか。
 飛鳥ちゃんが虎白を好きなことはわかってる。ずっと前から。飛鳥ちゃんと虎白の二人は幼馴染だ。小学3年で二人と知り合った時から、彼女は虎白を見つめてた。それから何年間も、三人で会うたびに、その事がますますわかった。僕と彼女が二人で会うようになったのも、虎白が失踪してからだ。虎白からの手紙のことを話さず、一緒に探すふりをする僕は卑怯だろうか。でも虎白が恐らく僕だけに手紙を出したのは、彼女には言うなということだ。
 手紙について話せば、彼女はいつまでも虎白を探し続ける。それは誰も幸せにしない。虎白もそれをわかってる。

 二人で電車に乗り、僕たち三人の最寄り駅で降りる。改札を出る時に、彼女が手袋をしてないのに気づく。
「手袋、どうしたの?」
「さっきの店に忘れちゃったかも」
「じゃあ僕の使いなよ」
 僕は自分の手袋を両方とも外す。
「え、そしたら龍くんが寒いじゃない」
「僕は大丈夫だよ」
 飛鳥ちゃんが、困ったなぁとでも言いたそうな、でもどこか嬉しそうな表情で、うーんと悩み始める。
「じゃあこうしよっか」
 彼女は僕から手袋を一つ取って右手に着け、もう一つを僕の左手に着ける。そして細い左手を僕のコートの右ポケットに入れる。驚いて彼女を見ると、どうしたの? とでも言いたそうな顔で僕を見上げてる。

 僕は右手をポケットに入れ、彼女の指に上から重ねる。彼女の指が冷たい、ということは、僕の手は彼女にとっては暖かいのかもしれない。
 そのまま二人で黙って歩き出す。さっきの駅前と違って、イルミネーションも行きかう人々もなく、暗くて静かだ。二人の足音と白い吐息だけが聞こえる。
 僕が右手に少し力を込めると、横を歩く彼女との距離が縮まる。僕の腕に彼女の肩を感じる。二人の帰り道が別れるところに来ると、彼女がゆっくりと立ち止まり、僕の右肩に頭を乗せる。僕は身体をずらして、彼女の背中に左手を回し抱きしめる。

 少し経って彼女が僕の腕を抜け、手袋を外しながら言う。
「あのさ龍くん、もし明日、空いてたら」
「うん」
「……ごめん、何でもない。じゃあ、また新学期にね」
「そうだね。また来年」

 彼女が曲がり角に消えるまで、その場で立って見送る。
 僕は飛鳥ちゃんのことが好きだ。ずっと前から。でも虎白の手紙のことを黙りながら、僕から彼女に好きだと伝えることも出来ない気がする。僕だって虎白に帰ってきてほしい。でもそしたら、僕と彼女の指が絡み合うことも、きっとないだろう。
 いつまでこれが続くんだ。僕は何をしたい。けれど一つだけ確かだ。僕は飛鳥ちゃんの側にいる。あんな手紙をよこすなんて、この街には何か危険なことがあるに違いない。あいつの言う通り、彼女を守る。そのために彼女の側にいる。

 ——そう、飛鳥ちゃんを、守るんだ。

 


(……ぼんやり見える飛鳥ちゃんの口が動いてる……何を言ってるのか聴こえない……)
(腰のあたりが熱い。まるで何かが脈打ってるみたいだ……)
(背中に感じる床が熱くなってきた。身体が、何かの液体に浸かるみたいだ)
(目が、目の焦点が合ってきた)

「龍くん!」
 声が聴こえる。飛鳥ちゃんがはっきり見える。彼女は泣きながら、でも怯えたような表情をしてる。自分の両手と両足に意識をやる。動きそうだ。胸とお腹に意識をやる。焼けるように熱い。痛い。でも耐えられる。右手に力を入れて上半身を起こす。大丈夫だ。床を手で押して立ち上がり周りを見渡す。

 プールぐらい大きな部屋の、床一面が黄色い液体で満たされてる。僕の足首が浸かる深さだ。少し先で床から伸びてる化石のガラスケースも、黄色い液体から立ち上がってる。あたかも部屋が黄色い池だ。

 亀山を見る。いつの間にか亀山の横には、白い仮面とフードをつけた人間がいる。仮面には穴が全くない。まるでマネキンだ。亀山がコンサートの指揮者みたいに大きく両手を広げる。真剣な表情で、シンバルを叩くように激しい拍手を始める。
「素晴らしい! 素晴らしい! 包帯を巻いてよかったです!」
 静まり返った部屋で亀山の無表情の拍手と「素晴らしい!」がこだまする。異常な空気に足が動かず声が出ない。飛鳥ちゃんも口を開けて固まってる。
 突然と思い出す。外に電話だ。机の端からコードが伸びた受話器がぶら下がってる。受話器を取って机の電話の前に立ち、先ほどと同じ『国立科学博物館』を押す。
「古代生物因子と見事に適合しております! 床を満たすほど活発な造血です! あともう一息です! ……それでは渾沌こんとんさん、活性化の意思疎通を」
「わかりました」
 白い仮面はそう言うと左手を顔の前に出し、右手に持った針で左手の人差し指を軽く刺す。人差し指から黒い液体がぷくっと出て来る。液体が膨らみ、落ちて、床の黄色い液体に触れる——

「うあぁぁ!」
 頭痛が押し寄せ、膝が折れて机に両手をつく。こめかみが脈打ち切れそうだ。頭にいろんな景色や音が勝手に浮かぶ。異常に大きな樹がどこまでも続く森。数えきれない獣の鳴き声。海の中を超速度で進む自分。目の前に転がる巨大な生物の死骸とそれを食べる自分。真っ暗な空へ山から吹き上げる炎とマグマ——
 頭が絶えず新しいイメージで襲われ、意識が吹き飛びそうだ。両肩を誰かが掴むのを感じる。「しっかりして!」これは飛鳥ちゃんだ。そうだ、しっかりしろ! 奥歯が割れるぐらい食いしばる。意識を保て! 飛鳥ちゃんを守るんだ! 自分の両目で見えるものに集中しろ。床の黄色い液体を見ろ。
 その黄色い液体が、沸騰したみたいに泡立ち始める。顔を上げて部屋を見る。部屋ぜんぶの液体が泡立ってる。液体から蒸気が上がり、部屋が黄色で霞む。蒸気が白い仮面の近くに集まる。何かの形になってく。
黄竜こうりゅうくん。こんにちわ」
 渾沌と呼ばれた白い仮面が言う。蒸気が空中で固まり液体になる。

「これって……竜」
 隣で飛鳥ちゃんが呟く。
 目の前に、巨大な恐竜のような大きさの、黄色い液体の竜が浮かぶ。顔があり、髭があり、鱗がある。竜の首が僕の方を向き、後ろに引く。
「え」
 その首が蛇のように伸びて僕に噛みつく。僕の右腕がちぎれる。肩口から黄色い液体が吹き出る。しかしなぜだ。痛みがない。竜の首がもう一度引き、こちらに弾ける。その牙が目の前に迫り、僕を頭から飲み込む。

10
(何が起こってるんだ)
 意識はある。でも身体がない。顔もない。大きな黄色い空間に自分が存在してることだけわかる。
(ぜんぶ夢だったのか。それとも僕は死んだのか)
 周りの空間が震える。違う、周りじゃない。この空間ぜんぶが、僕だ。
(少年よ……聴け)
 声もなく言葉の意味だけが意識に浮かぶ。
(お主の身体は我が頂いた……)
(頂いた?)
(お主の為の身体はもう存在しない)
(存在しないって……お前に食べられたからか?)
(違う。お主の概念で言うなら、お主の心臓はカプセルの中で止まり死んだ。亀山という人間が、お主が死んだ時に、我がお主を喰いつくさぬよう、お主を布で固めた。我はゆっくりとお主の肌から入り、お主の臓器で増え、ここまで意識を得るに至った。あの人間の言葉を使うなら、お主の造血幹細胞で、我は増殖した)
(それならいま考えてる僕は何なんだ?)
(それは我の為となった身体に、お主の意識が残っているに過ぎぬ。しかし直に消える)
(消える、のか……)
 僕は死んでたのか。なぜか驚かない。飛鳥ちゃんをカプセルから助けようとして、右手から黄色い液体が吹き出た時から、そんな予感がしてた。でも飛鳥ちゃんを助けられた。いや、助けられたのか。あの部屋には亀山と白い仮面がいるんだぞ。この竜は僕に話しかけてる。邪悪な感じはしない。対話を続けるんだ。
(お前は何だ? 古代生物なのか?)
(我は兵器だ。星より集められ、固められ、作られた)
(作られたって、誰に?)
(亀山という人間が、古代人と呼ぶ存在だ)
(古代人?)
 本当にそんなものがいるのか? 亀山の日誌にも書かれてた。古代人が亀山に接触し、亀山が古代人を裏切ったと。そして、今度こそ古代人が人類を滅ぼすとも。
(お前は古代人の兵器なのか?)
(我は星の声に従うのみ。我は星を喰らう存在を滅する兵器MONSTERだ)
(星を喰らう存在……)
(既に我には星の声が届いている。しかし先ほど渾沌と話した。渾沌は違う考えだ。故にまず渾沌を滅ぼす)
 その意識が頭に浮かぶと、黄色い空間を塗りつぶすように、部屋の景色が見えてくる。

11
「やっぱり黄竜くんは頑固」
 白い仮面の呟きを僕の意識が知覚する。白い仮面が喋り続ける。
「亀山さん。手違いです。あなたを安全な場所に送ります」
「手違いとは?」
「後で話します。ここにいると死にますよ」
「……今度は逃さないでくださいね」
 白い仮面が両手で目のあたりを覆う。亀山の側の空間が、まるでそこにスクリーンがあったみたいに捻じれて割れる。割れ目の先に別の部屋が見える。亀山がそこに入ると、白い仮面は両手を目から外す。空間の捻じれが解ける。

 竜が部屋が吹き飛びそうな咆哮を上げる。振動で部屋のガラスケースが全て砕ける。
(渾沌よ。我々は兵器だ。天災だ。意思を持ってはならぬ。お前はなぜ星の声に従わない)
「星に意思はあるけど、星は声なんて出さない。君が星の声と呼ぶのは、この星の生物の意思が集まったもの。そしてこの何千万年で、星と生物の関係は複雑になったよ」
(そうだとしても、我はただ、聴こえる声に従う)
 竜が口を開く。開いた口の中に、光すらも完全に弾くような、この世のものと思えない艶のある白い球体が現れる。球体が大きくなる。球体が発する力で、部屋のガラスの破片や化石のキューブが、次々と弾かれ壁に張り付いてく。僕は飛鳥ちゃんを知覚しようとする。彼女は床で机の脚を掴んで耐えてる。
 竜の身体が硬直する。いま、その口から、何かが放たれようと——
 白い仮面が両手で目を覆う。
 部屋全体の空間が捻じれて、割れ目が竜を吸い込む。

 風を感じる。夜空だ。満月だ。白い仮面が宙に浮いてこちらを見てる。大きな山がある。富士山だ。眼下は樹海だ。少し先で僕たちが育った街が光ってる。
 そう思った矢先、竜の口から白い球が射出される。白い球は音もなく空の果てへ飛び、富士山の頂上にぶつかる。粉塵が上がる。煙の向こうから富士山が現れる。火口が崩れて形が変わってる。
 竜が地面を眺め、何かを見つけて視線を固定する。樹海の中に平たい建物がある。なぜかわかる。あれは僕たちが囚われてた研究所だ。
 竜が口を開き、再び白い球体が現れる。
(やめろ!)
 僕が強くそう思うと、竜の身体が一瞬固まる。
(なぜ邪魔をする)
(あそこには僕の大事な人が、いや、何百人も子供がいるんだぞ!)
(その者たちも既に全員死んでいる。星は滅ぼせと言っている)
(え……)
 それじゃあ、飛鳥ちゃんも——

(渾沌よ。お前もだ。なぜ邪魔をする。お前は何がしたい)
「実はわからない。でも人間が星を喰らう存在だろうと、滅ぼすだけが答えなのかな。それに古代人が星を壊そうとしてる」
(星を壊すだと)
「黄竜くん、じっくり頭を冷やしてもらえないかな」
 白い仮面がフードの上から手を両耳に置く。空が捻じれ、割れ目に虹色の空間が現れる。虹色の空間は渦巻いてるのに、まるでその中は時間が止まってるみたいな不気味さだ。
 竜が口を閉じる。全身の鱗の間が白く光り、竜を中心に、大気が押し出されるような力が全方位に弾ける。虹色の空間が吹き飛び、真っ黒な空が戻る。
「起きたてなのに元気だね。私、滅ぼされたくない。そうだ」
 白い仮面が再び両手で目を覆う。空が捻じれて割れ、崩れかけた建物が見える。身体に布をまとった人々が、焚火を囲んで地面に座ってる。一人がこちらに気づき顔を回す。

 ——虎白?

 竜と虎白の目が合う。虎白の顔が固まる。
 虎白がこちらに向かい走り出す。空間の割れ目から空に飛び出す。
 虎白が光る。身体の輪郭が崩れ、青い液体になる。涙のしずくのように夜空を落ちる。
 しずくがぎゅっと縮まり、大きなしぶきとなって弾ける。
 虎白がいた場所に、巨大な青い虎がはっきりと顕現する。

 青い虎が空を駆けて近づいてくる。
(少年よ、まず、お主を消す)
 竜の意識が響く。
 月が隠れるように僕の視界が欠けてく。
 
 意識が 黒で 塗りつぶされる
 考え る ことが できな い 
 僕 が 消 える

12
 ……何かが何かに噛みつく。
(お前まで、こんなことになるなんて)
 ……虎白の声だ。
(お前の中で目覚めた奴は、いったん俺が弱らす)

 うっすらと、意識に光が射してくる……

(あの竜は、僕は死んだと言った……)
(人間としてのお前は死んだ。でも消えるかはお前次第だ)
(飛鳥ちゃんもあの場所にいた……)
(……そうか)
(お前どこで何してたんだよ……)
(すまない)
(彼女はお前を探し続けてる……)
(飛鳥にはお前がいる)
(なに言ってんだよ……)
(……その話は後だ。まずはお前を助ける。目を開けろ)

 ……空だ。
 目の前に、青い虎の大きな顔がある。
 僕は……人間の形をしてる。青い虎の、手の中だ……
 
 青い虎が吠え、空が震える。
 虎が口を開け、黒い球体が現れる。
 月の光と大気が、黒い球体に向かって吸い込まれる。
 白い仮面がこちらに引き寄せられ、虎が荒々しく掴む。

 虎が牙を剥き、白い仮面に唸る。
「はいはい。わかった」
 白い仮面が両手で目を覆う。空が捻じれ、さっきまでいた亀山の部屋が見える。

 意識が、また薄れてく……

13
 ……風が頬をなでる。背中が暖かい。安らぐ香りがする。
 目をゆっくり開ける。空だ。下に森が見える。僕は虎の背に乗ってる。身体に大きな布が巻かれてる。……誰かが後ろから腕を回して僕を支えてる。
 首を横に傾ける。飛鳥ちゃんだ。彼女が僕を後ろから抱きしめてる。僕は足を投げ出して座り、彼女の胸に寄りかかってる。
「……飛鳥ちゃん」
「……龍くん。よかった……」
「……虎白は、生きてるよ」
「……そうなんだ」
 飛鳥ちゃんの瞼が下がる。彼女も限界だったのだろうか。そのまま眠りについたみたいだ。僕も力を抜いて目を少し閉じる。飛鳥ちゃんの腕に力がこもり、強く抱きしめられる。足元の虎は、ただ空を進む。

 虎が僕らの街へ近づく。街は光も消え真っ暗だ。虎が高度を下げ、どこかの家に近づいてく。飛鳥ちゃんの家だ。
 虎がゆっくり手を伸ばすと、空間が小さく歪む。僕と飛鳥ちゃんがそこに引き寄せられ、宙に浮かぶ。虎が青く光り、その身体が液体のようになり、人間の形にまとまってく。布をまとった虎白が現れる。
 虎白は宙に浮かんだまま、片手で飛鳥ちゃんを前に抱きかかえ、もう片方を僕の背中に回す。僕らを抱えた虎白がゆっくりと家のベランダに降りる。僕の背中の虎白の手に力が入ると、窓の鍵がゆっくりと回り、横に開く。
 虎白が飛鳥ちゃんをベッドに置く。飛鳥ちゃんの部屋を見るのは初めてだ。机に僕達三人が高校の入学式で撮った写真が置かれてる。虎白だけを撮った写真もある。
 虎白が、何かを考えるように、しばらくたたずむ。
「龍。いくぞ。お前はもう、人として生きられない」
 虎白が僕を抱えてベランダに出る。後ろから呟きが聴こえる。
「声ぐらい、かけてよ……」

 虎白の背に乗り朝焼けの空を駆ける。
 太陽が昇り森を照らす。
 幾万の命が目を覚ます。
 彼らの囁きが意味となり、僕の耳を満たす。

 

文字数:15999

課題提出者一覧