非行少年を絶対に更生するロボット

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梗 概

非行少年を絶対に更生するロボット

主人公は男子高校生夏樹と晶。
水田たけるが出所したという噂に恐慌状態。
水田尊は中学生時代、痴情のもつれからA子さんを刺し、少年院に入っていた。実はこの話には裏がある。夏樹と晶は、粗暴な水田を嫌っており、LINEの送信元を偽装するトリックでわざと喧嘩を発生させたのだ。出所したら報復される。

尊には更生ロボットがつくとのこと。更生ロボットとは、タイヤで自走する高さ120センチくらいの円錐形の機械で、更生対象が絶対に悪いことをしないように見張り、実力介入するものだ。「社会の中で構成させるべき」という考えで導入された。

ある日の真夜中、夏樹は橋の上で、更生ロボットを連れた女の子が人をナイフで刺し、橋から突き落とすところを目撃する。つまり更生ロボットには脆弱性があり、対象者が悪いことをできるということだ。さらに報復が恐ろしくなった。

翌日、昨日の橋の女が転校してきた。彼女の名前は冬奈。更生ロボットを連れていた。夏樹と晶は冬奈から脆弱性を聞き出そうと試みる。だが冬奈は本当にいい子だったので、すぐにクラスの人気者になり、お近づきになれない。話しかけようとドギマギする二人。
冬奈と特に仲良くなったのが美春。美春と晶は仲が悪い。二人は中学の数学部で数学コンテストに挑むチームメイトだったが、晶が水田の傷害事件の流れで怪我をし、大会に出られなかった。エース晶を欠いたチームは惨敗し、それ以来美春は晶を猛烈に恨んでいる。美春がいるせいで余計に近づけない。
しかし、なんとか和解し、次第に四人は親友になっていく。
冬奈はロボットにより強く行動を制限されており、どこまでなら許されるか四人で検証し、そのスリルを大いに楽しんだ。
徐々に判明するロボットの仕様。授業終了後、時速4kmでまっすぐ帰らなければならない、などなど。

尊の状況も分かってきた。郵便局で真面目に働いているがここ数日は無断欠勤。
町で水田のロボットが迷子になっていた。町中で強盗事件などが相次ぐ。水田が疑わしい。

四人でいるところを何者かに襲われた。絶対水田だ。慌てて山に逃げ込んだ。冬奈はロボットを置いてきてしまった。ルール上冬奈が少年院に帰されることが確定的に。洞穴で雨宿りしながら、四人は最後の時間を噛み締めた。
その時偶然死体を見つけた。水田だ。死んでから随分時間が経っている。

晶が推理する。まず冬奈が人を殺した方法。その日は転校の日付であり、隣の県の学校から新しい自宅に向かって歩けば、ちょうど真夜中の橋の上を通過する。冬奈はその時間その場所に相手を呼び出し、殺したのだ。
また、強盗事件を起こしていた人を特定した。A子の姉だった。問い詰めて動機を聞くと「水田が更生したら嫌だから」。水田は永遠に嫌われてほしいのに、先日町で見かけた水田は大変礼儀正かったので、水田を悪者にした。

三人は共感しつつも、冬奈も同じ境遇であり、割り切れない気持ちになった。

文字数:1199

内容に関するアピール

僕の武器は、仕事柄、情報端末絡みの悪いことを無数に思いつくことです。しかし上手く小説に使えてないなと常々悩んでもいたのでアドバイスください。
今作はLINEグループに一人だけ違うメッセージを表示させる方法や、ノイズキャンセリングイヤホンを使った絶対騙される狂言誘拐など盛り込んでいこうと思います。

絶対に悪いことができなくなるロボットというSFガジェットを導入しました。
「悪いことをする人はずっと悪い人のまま皆から嫌われていてほしい」という、全く正義は無いが正直同調してしまう感情を描こうと思います。
とはいえ全肯定するわけにもいかないので、冬奈という前の学校で人を傷つけただろうけれど、自分にとってはいい人を登場させて、テーマを深掘ります。
冬奈が何をやらかしたのかは未定です。

今作の一番の山場は洞窟で四人で最後の時間を過ごす場面だと思っています。美しいところなので頑張って書こうと思います。

文字数:393

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サイバー魔女と電気仕掛けの盗賊

高層ビルと廃墟が入り交じり、ネオンの光が雨に滲む。
オリガは8歳になった。両親と暮らす小さな家で、彼女は貧しいながらも幸せに暮らしていた。

ある日の夕食後、父がテーブルに3枚のカードを並べて言った。
「これは特別なビザだ。私たちはついに、アーカ・ザリアに引っ越す。明日だ」
アーカ・ザリアは巨大な建造物である。大樹のように、大きな幹に支えられ、雲の上に広がる都市。
「いい子にして、明日は早く起きるのよ」
母が言った。
アーカ・ザリアに行く。その晩、オリガはベッドに入ったが、興奮と不安が入り混じり、なかなか眠れなかった。

夜更け、窓の外から微かな機械音が聞こえた。オリガは目をこすりながら窓際に寄ると、警備ロボットが道路をパトロールしていた。そのロボットはオリガの背丈ほどで、ロケットの先端のように丸く尖ったデザインが特徴的だった。
ロボットが止まった。
「こんばんは、小さな住人さん」
低いが柔らかな電子音が響いた。
驚きながらも、オリガは興味を引かれ、窓を開けた。
「こんばんは」
「眠れないんですか?」
「うん。ドキドキしちゃって」
「何かいいことがありましたか?」
「私、明日アーカ・ザリアに引っ越すの」
部屋のドアが勢いよく開き、母が飛び込んできた。
「オリガ! 誰と話してるの!」
母の表情は恐怖に歪んでいた。その恐れは現実のものとなる。玄関が激しく叩かれ、金属音とともに扉が破られた。
甲高い破裂音が部屋に響く。悲鳴を上げる間もなく倒れた父を踏みつけ、男が部屋に侵入してきた。首筋から腕にかけて青白く光る電脳タトゥーが刻まれている。母が抵抗しようと立ち向かったが、男の銃がオレンジ色の小さな閃光を発しすると、声もなく崩れ落ちた。
オリガは咄嗟に窓から飛び出した。
「動くな」
熱線が太ももをかすめ、激痛が走った。道路が焦げ、緑色の煙が上がる。オリガは足を引き摺りながら走った。
「助けを呼ばないと……」
警備ロボットがオリガの後をついてくる。彼女は直感した。これは敵だ。擦り切れたフードを目深にかぶり、湿った髪を頬に張り付かせながら、狭い路地を駆け抜ける。ネオンの光と霧雨が入り混じる夜の街で、オリガの小さな足音と警備ロボットのタイヤ音だけが響いていた。身を隠せる場所を探す。崩壊した聖堂では、ステンドグラスの破片が粘着製カーボンファイバーで強引に継がれている。朽ち果てた地下鉄への階段に、まともな人間は近寄らない。

オリガは荒い息を吐きながら狭い路地に駆け込んだ。巨大な金属製のゴミ箱を、音を立てないよう気をつけながら素早く横倒しにする。空き缶や合成樹脂の破片が転がり出る。警備ロボットを足止めできるはずだ。

廃材店の前のジャンクパーツの山。オリガはこの状況を切り抜ける術を探した。見つけたのはヘッドセット。ポケットから小型計算機を取り出し、端子を接続。冷え切った指でコードを書き込んでいく。端末から見て常に西側に向けてペアリング信号を発するように、BRUTUS規格――電子アクセサリ用近距離無線通信のホーミングアルゴリズムを書き換える。ヘッドセットを十字路の中心に投げ捨て、雨樋を伝って民家の屋根に登る。

ほどなく、警備ロボットたちが路地へ入ってくる。金属同士の衝突音が路地に響く。ロボットたちはヘッドセットを取り囲む。通信解析のビープ音。やがて彼らは西方へと駆け出した。

雨に打たれながら、屋根の縁からそれを見下ろしていたオリガは溜息をつく。胸の中の重苦しい塊が、ほんの少しだけ軽くなったような気がした。
「面白い手口だな」
突然、背後から声がした。オリガが慌てて振り向くと、ほぼ同年代と見える少年がそこに立っていた。ショートヘア、電子タトゥーが微かに光る首筋、そしてスラム特有の粗雑な革ジャケット。人を値踏みするような眼差し。一目で彼もギャングの一員だと分かった。
「なんで私たちをこんな目に」
オリガは少年を睨みつけた。
「あいつは自分の娘のために空中都市入りのビザが欲しかったんだ。正当な手段じゃ入手できない。だから強盗をした」
「なんで? 私たちのビザじゃない」
「じゃあ、お前はそのビザを手に入れるのに、何を成し遂げたんだ? 裕福な家に生まれること以外に、お前が何をしたんだ」
その理屈はおかしい。オリガは首を振った。そもそも自分の家が裕福ではないことくらいわかっている。
「お前がアーカ・ザリアに行っていれば、代わりにあいつの娘がこの街の犯罪者に殺されてたかもな。それでもお前は自分こそチケットに相応しいというのか」
「そんな、無茶苦茶よ」
「そうだ。ここはそういう街だ。悔しかったら強くなるんだな」

こうしてオリガは盗賊となった。

灰色の雨雲が重く垂れこめていた。時は2400年代。東ヨーロッパ諸国は世界に先んじて実現させた人工降雨技術により、かつてない繁栄を遂げていた。カルパティア山脈一帯は内陸であるにもかかわらず、豊富な水資源を活用し、数世紀にわたり工業生産を拡大させた。重厚な製鋼プラントから半導体工場まで。無数の煙突が大地に刺さる。とはいえ、長年続く人工雨によって地上は陰鬱な水浸しの世界と化した。そこでは人々の心まで湿り気を帯びているかのようだった。

ごく一部の富裕層や高度な専門技能を持つ者は、その閉塞感を逃れるべく、あらゆる先端技術の粋を集めて”雲上都市”へと移り住んだ。直径およそ4μlsマイクロ光秒の柱に支えられ、雲の上に広がる都市空間は、純白の日光を浴びる特権領域。とはいえ、その居住費は高額で、特権階級以外には到底手の届かない代物だった。

結果、取り残された大多数の人々の不満が溢れ出し、混ざり合い、うねり、大地の全てを薙ぎ倒す濁流となった。暴動が頻発し、下界は無政府状態へと転じていく。そんな中、事態収取へ名乗りを上げたのが巨大テック企業『ヴィシェフラド』だった。同社は予算を獲得するや、新型警備ロボットを大量生産し、下層地区へと投入した。ところが、そのロボットはコストカットとスピード優先のため、制御システムが粗悪で、すぐにハッキングされ、逆に犯罪組織の手先へと成り果てた。
殺人、略奪、誘拐。ヴィシェフラド製の治安維持ロボットが混沌を深める。誰もが己の身を守るために武器を手にし、あるいは地下組織に身を投じる。

そんな中、オリガは奇妙な行動に出た。彼女は人々の生活を守るため、サイバー系ギャングの一員として、ヴィシェフラド製ロボットの制御ソフトウェアをハッキングし、セキュリティパッチを当てて回りはじめたのだ。

14歳になったオリガは今、あの日屋根の上で出会った少年ダリウシュと共に、薄暗い路地裏で敵地侵入の時を待っていた。
「警備ロボット配置問題なし。ターゲット接近中。しくじらないでよ」
彼女は、自分が倫理を外れている自覚があった。だが、小さな悪から逃げていては、大きな善が遠のくのだ。ダリウシュは鼻先で薄く笑った。短く刈り込んだ髪、首筋から指先まで走る微細な発光ライン。オリガもまた同じようなタトゥーを刻み込んでいた。指先を脳に当てると、肌に埋め込まれた基盤が身体から直接エネルギーを吸収し、思考だけで操作できるコンピューターとなる。手が塞がりがちな肉体労働の従事者にとって、電脳タトゥーに組み込まれた電卓やメモ帳などのアプリケーションは必需品である。

今、二人がいる場所はアーカ・ザリアの業者用ゲートから10区画ほど離れた小道。組織はヴィシェフラド社が新型警備ロボットを開発しているという情報を掴んでいた。あの会社が作る新型ロボットは、どうせまたバグまみれだろう。直しに行かねば。アーカ・ザリア内の比較的警備の薄い塔に社員が住んでいるとわかったので、そこへ侵入することにした。最も確実なハッキング手法は400年前から変わらない。空き巣である。

「来た。いくぞ」
ダリウシュが声を潜める。
配線工事業者の超伝導ホバーヴィークルが角を曲がって姿を現した。低い電子ハミング。オリガとダリウシュは建物の陰に身を潜める。ホバーヴィークルが二人の前を見た瞬間二人は飛び出した。車体のリアパネルに磁気ザイルを打ち込む。靴底のフライホイールが二人の体を滑らせる。リールを巻き上げ接近し、後部ドアを開け車内に突入した。
運転席がない車内には作業着を着た二人の人物。突然の襲撃に顔を硬直させながら大声を出している。
「抵抗しないでね」
パニックになる二人をなだめようとオリガが言った。しかし、それは逆効果だった。やむを得ない。怒鳴り声を上げる業者の腕を捻り上げ、金属製の留め具で固定する。電流を微弱に流し筋肉制御を奪う簡易的なスタン・カフスだ。オリガは良心の疼きを感じたが、ここで迷っていられない。
業者を拘束すると、工具箱とユニフォームを拝借した。丈が合わないが、さほど問題ではない。
「急げ。搬入時刻に間に合わなかったら面倒だ」
ゲート前でホバーヴィークルが止まった。車内は微かに揺れていたのだろう、車を降りれば浮遊感に足元が揺らぐ。二人は荷物を持ってセキュリティチェックへ向かった。

ゲート前には、機嫌の悪そうな警備員が待ち受けている。ビームスキャナーが荷物を一つずつ透過撮影し、金属探知機が隈なく全身をなぞる。オリガは息を止めた。作業箱の中のスパナやドライバーがホログラムに浮かび上がる。警備員は像を回転させ、くまなく観察した。隠し事はできない。
「カメラはダメだ。渡せ」
仕方なく、オリガは作業箱を開け、カメラを手渡す。
「電波を発するものは持ってないか?」
「ないです」
「身分証明書を」
厳めしい警備員が要求する。ダリウシュが静かにカードを差し出す。先ほどアーカ・ザリアの低レベルな内部ネットから盗み取った偽IDだ。カードリーダーが緑ランプを示したとき、二人は心の中でほっとする。だが、警備員の視線はダリウシュの首に向いた。
「お前たち、どこのゴロツキだよ」
彼は電脳タトゥーを指差し、あからさまに嫌な顔をする。オリガは眉間に軽い皺を寄せた。この町では電脳タトゥーはそう珍しくないが、都市上層部の人間たちはこの身体加工を『不良』の証と決めつけている。彼らにとって電脳タトゥーは下層の粗野な習慣なのだ。
「仕事に必要なんです。手が塞がると指示書やメモを開けませんので」
ダリウシュが作業員らしく答えた。警備員は鼻を鳴らした。
「へぇ、まあいい。武器を持っていないことはわかった。お前そのものが武器である可能性を除けば、だが」
皮肉をこめて言い捨てる。オリガは悔しさを飲み込む。今は波風を立てず、潜入を優先しなければならない。
「おっと、待て」
その時、奥から出てきたもう一人の警備員がオリガを呼び止めた。
「その肘のタトゥーは暗号を作るためのディフィー・ヘルマン鍵回路だろ」
まずい。技術に明るい人だった。オリガは咄嗟に誤魔化す方法を考えた。
「黙っていても無駄だ。配線業者如きが、何に使うんだ?」
「こ、これは作業員同士で顧客の個人情報を……」
「いらない、そんなモノ」
その警備員はオリガの腕を掴み、肘に焼きごてを押し付けた。オリガは悲鳴をあげた。咄嗟に腕を振り解こうとしたが、想像以上の握力がそれを許さなかった。数秒後、警備員が手を離した時、あたりには肉の焼ける匂いが漂っていた。
「行け」
痛みで過呼吸になったオリガの背を警備員が乱暴に押した。

業務用エレベーターからは外を見ることができない。およそ6分の後、再び扉が開く。二人の前に広がっていたのは、下層とは全く別の世界だった。上空では紫外線を防ぐためのナノ粒子が漂い、淡いパステルトーンに煌めいていた。整然と舗装された歩道に埋め込まれたデジタル標識。その脇では草木が青々と生い茂り、その向こうにゆったりとした生活空間が広がっている。
オリガは密かに拳を握りしめた。この平和のために、外側の世界がどれだけ踏みつけにされていることか。そして、その中枢でヴィシェフラド社員が出来の悪いロボットの開発し、下層の苦みを再生産しているのだ。
「行こう、ターゲットはH住宅区画の27番塔だ」
こめかみに指を当てたダリウシュが低い声で言った。雨音の代わりに柔らかな音楽が流れる街区を、二人は慎重に進んだ。住民たちの視線を感じる。偏見をかき分けながら、無言の抑圧に抗いながら、オリガとダリウシュは歩を進める。

H住宅区画には四つの塔がそびえ、それらは城壁のような渡り廊下によって互いに結ばれている。あちこちにセンサーが張り巡らされているだろう。オリガはモモンガのようなマントを広げ、南塔の外壁にぴたりと身を貼りつける。マントの表面には高度なカモフラージュ素材が織り込まれ、しなやかな膜が壁面模様を映し出す。オリガは通気口や外付け配線チューブを手がかりに、外壁をゆっくりとよじ登っていった。さらに電脳タトゥーが筋肉の動きを最適化し、指先、肘、膝といった全ての部位が計算し尽くされたリズムで外壁を制していく。
24階は220nlsナノ光秒ほどの高さ。冷えた空気の中、オリガは目標のバルコニーにたどり着いた。彫刻を施された石造り風の手すりを乗り越える。窓は二重偏光になっていて中が見えない。これは予想済みだ。こじ開ければ警報が鳴るだろう。オリガは予定通り、通気口のフィルターに細工を始めた。腰の道具袋から取り出したガラスナイフで静かに穴を開けると、数珠状につなげたプリズムによる内視鏡を通気管に挿入する。そこには卓上に置かれた情報端末。ヴィシェフラドの社員が仕事で使うものだ。極細の多段マジックハンドを滑り込ませ、キーボードを操作し、ソースコードのファイルを開き、分析する。脆弱性を洗い出し、見つけ次第コードを直していく。
社員が戻ってきた。マジックハンドを引っ込め、観察に映る。社員がリモート会議を始めた。これも電脳タトゥーのボイスメモアプリケーションで記録する。情報は多い方がいい。

ダリウシュには別の役割があった。「オリガに似た誰か」を用意すること。二人で入ったのに一人しか戻らなければ警備に捕まってしまう。時には汚い手段を使わざるを得ない。
子供たちが監視システムの死角に作ったクラブハウス。違法な薬物に耽る子供たちのかすかな笑いとすすり泣きをかき消そうとする騒々しい音楽。ダリウシュはここで「代役」を探した。年齢、体格、金髪で短い髪。ちょうど、オリガと似通った特徴を持つ少女が一人、虚ろな目で壁に凭れかかっている。彼女はまだ十代半ばか。
ダリウシュは音もなく少女の横に立った。セラミック製の小型拳銃を脇腹に押し当てる。
「静かに。騒いだら、お前の家族が死ぬ」
低く冷たい声が少女の背を凍らせる。目を見張った少女は、振り向こうとしたが、銃口をさらに強く押し付けてそれを禁ずる。彼女は首を小さく縦に振る。ダリウシュは「若者のための半個室」に彼女を連れ込んだ。
「着ろ」
少女にオリガと同じ作業着を着せると、電脳タトゥー風のシールを首筋から指先へ貼り付ける。少女は呼吸を詰まらた。ダリウシュは冷たい表情のままだ。情けをかけられる状況ではない。平和を守るため、この小さな犠牲が必要だと自分に言い聞かせる。人気のない通路を辿って業者用エレベーターへ向かった。
少女は俯いたまま微かに震えている。当然だと思う。だが、もしかしたら。エレベーターの扉が閉まる瞬間、彼女は一度だけ遠くの空を見上げたようにみえた。そして笑ったように見えた。それはオリガが潜むH住宅区画南塔の方角だった。

ゲートの前には、相変わらず”働き者”の警備員たちが待ち受けていた。ダリウシュは少女を前に立たせ、あたかもオリガが戻って来たかのように振る舞う。彼女は押し黙っている。
警備員がじろじろと二人を見回す。少女の電脳タトゥー風のシールが肌表面に点滅する。警備員はシールに目を奪われ、細かい顔の特徴には頓着ていしなかった。「下層の業者」程度に見下していたからこその盲点だった。
「何か盗んでないか?」
警備員が尋ねる。
「いいえ、持ち込んだ仕事道具しか持っていません」
ハキハキと答え、用意した身分証と必要書類を再提示する。警備員は荷物を一つずつ金属探知機にかける。
警備員が少女を見て少し考え込むように間を置いた。ダリウシュの肩に冷や汗が滲む。もしここで引き留められれば全てが終わりだ。
その時、不意に壁に埋め込まれた通話器が鳴った。警備員は、マイクに向かって敬語で幾度か相槌を打つと、今度は警備員同士がささやきあう。少し怯えた表情で二人に「行け」と合図した。なんだ? 誰が指示を出した? ダリウシュは疑問を飲み込み、黙ってその場を離れた通過した。

オリガはバルコニーの中で観察を続けていた。その狭い視界にはヴィシェフラド社員が情報端末に表示したロボット制御のソースコードが流れる。社員が席を外したタイミングで、オリガも少しだけ目を離した。
ここからは、業務用エレベーターへと通じる小さなホールが見える。ダリウシュと少女が歩いてくるところだった。申し訳なさでオリガの胸がいっぱいになった。エレベーターのドアが開き、中へ消えてゆく二人。ほんの一瞬少女と視線が合った気がした。そして挑発するように笑った。いや、この距離で見えるはずがない。光学迷彩マントもある。それでも胸元にかすかな不安がよぎる。あの少女はとんだ食わせ物かもしれない。

オリガは再び室内へ視線を戻した。すると、さっきまで確かに「いなかった」はずの人影が増えている。部屋の中に若い男女が五人。顔つきからして十五、六歳ほどだろうか。統制の取れた動き。彼らは窓際へと駆け寄り開放した。オリガの隠れ場所との境目が消失した。オリガは一瞬で判断を下す。宙へ逃げるしかない。壁の突起に向けて身を踊らせる。しかし、手すりを掴んだ腕に衝撃が走る。彼女を掴んだのは鋼鉄の鉤爪。
「離せ」
天空で振り子となったオリガが叫ぶ。
「大人しくするんだな。じゃないとダリウシュ・ストヤノヴィッチが死んじゃうぞ」
少年の声は低く、氷のように冷ややかだった。

アナスタシアは魔女と呼ばれていた。
アナスタシアは両親からアーカ・ザリアの外へ出ることを禁じられていた。友人たちは親の用事など何らかの理由で時折外へ出て、翌日には生々しく、そして恐ろしい体験談を持ち帰ってくる。皆がその話に食い入り、いわば大切に扱う。そのときアナスタシアは気づいたのだ。話題は独占されると価値を生むと。どんなつまらない情報でも独占すれば値上がりする。

8歳の誕生日、アナスタシアは通信端末を買い与えられた。これが転機だった。メッセージングアプリを入れ、まずは二人の親しい友人とグループチャットを作ろうと提案した。だが、ここでちょっとした悪巧みを思いついた。グループチャットを二つ作り、また偽アカウントを二つ作り、二人を別々のグループチャットに招待した。双方のグループチャットにズレを生じさせることができる。情報の流れをコントロールできたのだ。さらに、二人はそのグループチャット経由でフレンド登録したので、二人のDMも自分を介してやり取りされるようになった。
その輪を少しずつ広げていく。アナスタシアは子供社会のコミュニケーション網を牛耳り、いつしか、アーカ・ザリア中の子供たちのDMが彼女を介するようになった。
なぜか顔を合わせただけで気持ちを見抜かれる。アナスタシアはそう評された。

しかし、大きな力は大きな責任を伴う。自分と同世代の子供達の様々な悩みを覗き見ることになったアナスタシアは、全能感に比例して、ある種の無力感を覚えるようになった。特に、あまり口に出されないが、子供達が何かの用事でアーカ・ザリアの外に出た時に様々な犯罪に巻き込まれるていることを知って、アナスタシアは憤った。
それなのに警備ロボットは治安のいいアーカ・ザリアの中ばかりを巡回している。アナスタシアは怒った。つまり、アーカ・ザリアの中にいる大人は、自分たちの安心ばかりを優先し、本当に助けが必要な人を見殺しにしているのだ。アーカ・ザリアの中にはヴィシェフラドの社員として警備ロボットを開発・運用している人たちもいるのに。よく調べれば、そのロボットの巡回アルゴリズムが悪く、網羅性がなく、予測されやすいので犯罪者が動きやすい。
アナスタシアは下界の秩序回復を自分の使命とした。ヴィシェフラドで働く技術者の子供たちを脅迫し、警備ロボットの運用システムに少しずつバックドアを仕込んだ。サーバー、ネットワーク、制御ソフト、センサリングパーツ。一つ一つはただのケアレスミスに見える些細なバグだが、それを組み合わせることで、アナスタシアはこの街の警備ロボットを意のままに操る権限を手に入れた。これには子供達も驚いた。普段、子供達を厳しく管理するロボットたちが、なぜかアナスタシアには従順なのだ。アナスタシアは子供達の畏怖を集め、いつしか魔女と呼ばれるようになった。アナスタシアは警備ルートを自ら設定し、アーカ・ザリア内外の犯罪を次々に摘発していった。荒事にも対応できるよう、同世代の仲間を集め自警団を組織した。
アナスタシアの”任務”は苛烈さを増していく。彼女はおとり捜査を導入した。犯罪の機会があれば犯罪を犯す人はいつか犯罪を犯す。その芽があるなら、未然に摘むべきだ。だから意図的に機会を与え、捕まえ、処刑する。
2460号室は居住エリアの小さな部屋だ。アナスタシアは自らの情報網を駆使し2460号室が狙い目であるという噂を拡散した。
業者を装った犯罪者が、身代わりを”現地調達”する手口については前例がある。だから、あの女が壁を登り始めたのを見て、誘拐犯の前に自分を差し出した。ウィッグとメイクで自分を彼女に似せて。

エレベーターの扉が閉じる瞬間、アナスタシアは手に隠し持ったボタンを押した。突入のサイン。

アナスタシアはダリウシュの指示通りホバーヴィークルに乗り込んだ。ダリウシュは気を遣ったのだろう、セラミック銃を彼女から少し離れた場所に置いた。そして静かに語り始めた。
「明日、次の作業だと言ってもう一度中に入る」
言葉半ば、アナスタシアは金髪のウィッグを外した。
「そこでオリガ・コヴァーチと入れ替わるのか」
たった一言で、ダリウシュの顔が一瞬でこわばった。
「何者なんだ、お前は」
ダリウシュが銃を拾い上げようとした。その時すでにアナスタシアの銃がダリウシュの額に突きつけられていた。
「なぜそんなものを持って身体検査を通過できた?」
彼女答えず、ダッシュボードを操作した。ホバーヴィークルが滑りだす。ダリウシュの顔は蒼白だった。
「お前は強盗に襲われたことにする」とアナスタシアは揶揄するような口調で言った。
「撃たせるなよ。生活反応が出ないと後で困る」
その声色には、あたかも貴族階級が下人を見下すような冷ややかさがあった。
ホバーヴィークルは高速で移動し、やがて誰も近づかない空き地へと辿り着く。そこはゴミの山から流れ出た廃液と雨が地面を腐敗させていた。ここに警備ロボットが来ないよう、事前に取り計らっている。アナスタシアはダリウシュに下車を命じた。ダリウシュが従うと彼女は言った。
「後ろを向きなさい」
ダリウシュはゆっくりと背を向けた。次の瞬間、アナスタシアの手に握られた鉄パイプが彼の後頭部に振り下ろされた。鈍い衝撃。膝が崩れ落ちる。彼女は何度も何度もパイプを叩きつける。その度に血と骨が砕け、泥に埋まる。彼は二度と起き上がらないただの肉塊に変わっていった。息を荒らしながら、アナスタシアはパイプを放り投げる。あとはこの場から立ち去るだけ。ホバーヴィークルに足を踏み出そうとしたその時、アナスタシアの周囲に眩いライトが照射された。
「動くな! 手を頭の後ろに!」
低く圧のある声が響く。振り向けば、そこには銃を構え、防刃素材の防具に身を包んだ警察官たちがいた。完全な包囲網を形成している。予想外だった。彼女は警備ロボットの巡回を迂回させる手はずを整えていたが、まさか生身の警察がここに来るとは想像していなかったのだ。
「殺人の現行犯で逮捕する」
警察官の一人が冷徹に言い放つ。アナスタシアは驚愕に目を見開いた。彼女は咄嗟に手段を考えるが、警察に介入するルートを持ってはいなかった。
「離せ。無能なゴミども」
無駄だった。警察官たちは手際良く彼女を取り押さえた。

ビビットカラーの、おしゃれで陽気な部屋だった。オリガはその中央に据えられた椅子に拘束されていた。四肢の自由を奪われた彼女の額には大粒の汗が浮かぶ。視界の隅で、壁際に立つ三人組の男女がかすかな嘲笑を浮かべていた。いずれも同年代。とても綺麗な身なりをしている。
「大人しく情報を出せば楽になるのに」
一人の男が、唇の端を吊り上げて言った。オリガは答えない。彼女はじっと足元に視線を落としていた。間接照明が床にいくつもの影を作っていた。その視線の手前、靴の先端に微小なスイッチが埋め込まれている。つま先で床を3回叩いた。踵から黒竹式小型ボウガンが跳ね上がる。軽やかな弧を描き、空中で回転する短弓。オリガは拘束されている身を素早く捻り、その武器を宙で掴んだ。三人組が驚きに目を見開き、咄嗟に身を伏せる。遅い。オリガは腕を最大限ひねり発射した。短い破裂音。一人、二人、三人。うめき声をあげて地面へ崩れ落ちる。筋肉を麻痺させる薬物が塗布されている。しばらくは立ち上がれないだろう。オリガは呼吸を整える。
椅子を引きずり、三人の懐に順に手を入れる。手錠がついたままでは自由が利かないが、それでも指先の繊細な感覚でポケット内を探る。金属の冷たさが指先に伝わった。
「これだ」
オリガ鍵を取り出すと電子手錠を外す。バチッと微かな放電が弾け、手首に感じていた圧迫から一気に解放された。すぐさまドアへと走る。油断はできない。外には誰がいるか分からないし、ここがどの区画なのかも定かではない。木製の扉を押し開けたその瞬間、鋭い懐中電灯の光が彼女の網膜を刺した。
「止まれ。動くな」
廊下を埋め尽くすように、全身防護服を着込んだ警察官たちが銃を構えている。その数は6人、いやもっとだ。後ずさることもできず立ち尽くした。
「セキュリティシステム改竄の疑いで逮捕する」
隊列の前方に立つ警察官が冷静な口調で言った。オリガは逃げ場を探したが、背後は壁と倒れた3人組。ボウガンを使い切った今、武器はもうない。どうしてこんなにも早く彼らが突入してきたのか。システム改竄? 空き巣でも武器使用でもなく。
「手を頭の後ろに」
オリガは歯を食いしばる。なんの役にも立ってない警察のくせに。こんなところで邪魔をするな。だが今、抵抗は自殺行為だ。再び拘束具がはめられた。

澄んだ静寂に包まれていた。鉄格子の向こうの通路から、かすかに人の吐息と金属の軋む音が聞こえている。
オリガは声を抑え、向かいの部屋に連れられてきた少女に声をかけた。
「あなた、大丈夫?」
助け合えるなら助けたい。それがオリガの思いだった。
「黙れ」
「そう言わずに、一緒に抜け出す方法を探しましょう」
「未熟なコソ泥に何ができる」
オリガは顔を曇らせる。
「なんで知っているの? あれ、あなた、ダリウシュが連れて行った子?」
「さあ。知らないわ」
大きな足音を響かせて警備員がやってきた。
「そいつはアナスタシア・コヴァーチ。魔女と呼ばれているらしい」
彼らの制服にはヴィシェフラドと書かれている。警察ではなく私兵なのだろう。そして、その男の言葉にオリガは言葉を失った。
「ダリウシュは死んだ。その魔女が殺した。なあ魔女様。俺にも魔法を見せてくれよ」
警備員が嘲るように言うと、アナスタシアが唇を噛んだ。
「人間には使ってくれないのか。トカゲの尻尾が必要か? それともカエルか」
アナスタシアは答えない。オリガは、この女が絶対に理解し合えない存在だと気づいた。

ふと一人の警備員に既視感を覚えた。どこで見たのだろう? オリガはこめかみに指を押し当てる。電脳タトゥーから脳に記憶が流れ込む。
タワー潜入の際、バルコニーから見た景色だ。渡り廊下を歩く40代くらいの男、10歳ほどの女の子を連れている。「18階、10歳くらいの女の子の父……」。オリガが記憶から引きずり出した断片を呟く。するとアナスタシアが反応した。
「10歳の子供で、父親は40くらいで警備員。18階……イェレンスキーね」
警備員が息を呑んだ。
「娘のイヴァナ、最近オレンジ色のお財布を使っている。それはイェレンスキー、お前が買った物ではない。いい友達ができたようだな」
オリガは声を上げた。
「あんた、ここにいる人たちのプロフィール暗記してるの?」
アナスタシアはオリガを無視して続けた。
「イェレンスキー、今週末、イヴァナさんがどこのクラブハウスに行かれるかご存知? 私は知っている」
「嘘を言うな!」
「嘘かどうか、確かめるか。娘が薬物中毒で病院に運び込まれれば確かになる」
オリガは囁くようにその隣の警備員について話した。
「そっちのあなたは、陸上競技場から出てくるところを見たわ。トロフィーを持っていた」
「カルメンシュキー。息子さんが試験に合格できず奨学金を取り下げられそうだとか。私ならそのくらいなんとでもなるけど」
その警備員は気まずそうな顔を浮かべた。続きを聞きたいが、周りに聞かれたくはないのだろう。
「分かった。中で少し話をしよう」
ポケットから鍵を取り出しす。しかし集中を切らしていたのだろう、動作が少しだけ緩慢だった。その瞬間、アナスタシアは鉄格子から腕を突き出し、警備員から鍵を奪った。そしてオリガに向かって投げつける。警備員は鍵を取り戻そうと慌てて宙を掻く。オリガが早い。オリガは伸ばした手でそれを受け取ると、鉄格子の外から鍵を開け、手錠を外し、通路に飛び出した。低い姿勢で警備員との間合いを詰める。失態を犯した警備員もすでに両手を構え臨戦体制に入っていた。近づいてみればわかる屈強な肉体。耐衝撃素材を組み込んだ防護ジャケット。ヘルメットの下から覗く怒りの眼差し。腰から警棒を抜いた。オリガは退かない。過多口に向けて警棒が突き出された。空気を切る低い唸り。オリガは身を捻る。棒先が彼女の頭上を掠めた瞬間、相手の脇腹に掌底を叩き込む。重厚な防護服に阻まれ、衝撃は相殺される。だが、それでも僅かな痛みが警備員の動きを鈍らせた。その刹那、オリガは警備員の腕の下に潜り込み、体を沈めて重心を崩す。体格差は歴然だが、警備員の右腕を肘関節で固め、相手の重心を足払いで乱す。金属製の靴底が床を鳴らし、警備員がぐらつく。相手に肩を預けて投げる。巨体は鈍い衝撃音とともに床へ叩き付けられた。防護ジャケットがきしみ、警備員は低く呻く。
次の警備員が飛びついてくる。彼女はそれをいなし、肘の関節を外す。三の手、四の手を制し、アナスタシアの牢の鍵を開ける。
「あっちで囚人が暴れているぞ!」
残りの警備員が叫びながら逃げ出していった。
「時間がない。急ぎなさい」
オリガは自分が利用されていることに気づいた。
「あとでちゃんと話しましょう、アナスタシア。」
アナスタシアはうずくまる警備員の隠しポケットからアクセスカードを抜き出した。
「お前もユニフォームを着ろ」
オリガも黙って真似る。警備員の制服に身を包み、ヘルメットを深くかぶる。二人は走り出した。階段を降りていると、下から警備員の群衆が登ってきた。
「あっちで囚人が暴れているぞ!」
ボイスメモである。警備員たちは了解と叫び、すれ違って行った。彼らを見送り、二人はまた走り出す。

建物から脱出することはできたが、アーカ・ザリアのゲート周辺には警備兵が巡回し、センサーやカメラが鋭利な眼を光らせている。こんな状況では到底脱出など不可能だ。だが、アナスタシアは言った。「もうここにいられない」と。

廃材の陰から警戒する警備ドローンの光学スキャンをやり過ごしながらオリガは聞いた。
「じゃあどうするつもり」
このアナスタシアという女はなぜか警備体制を熟知している上、カメラや警備ロボットを多少操作できるようだ。
「中央の警備室に行くしかない」
アナスタシアが低い声で言った。
「警備オペレーションを書き換えている。だが中央警備室から上書きされてしまう。そこを抑えれば外に出る時間が作れる」
とんでもないことを言っているようだが、オリガは黙って頷く。アナスタシアの背に続き、通路を進んだ。細い階段を下り、空中渡り廊下を渡り、隔離された区画を抜けていく。ホログラム看板の白い光に当たらないよう身をかがめ、上空を巡回するドローンの低い唸りが耳を刺す。声を発することなく、二人は身振りと気配で合図を交換し、隠れ、移動し、奪取したIDカードを使って電子ロックを突破した。
「右に曲がって奥にあるドア」
アナスタシアが囁く。
ドアの先には、警備室へのアクセス回廊があった。長い廊下の両脇には、精鋭の警備員たちが待ち受けている。疲労で体が動かない。ユニフォームは破れていた。だが今以外にチャンスはない。奪った警棒と拾い集めた麻酔銃を手早く確認する。アナスタシアが示した死角で待機する。警備員が巡回してくるタイミングを見極めると、オリガは一気に飛び出し、背後から首に腕を回し、気を失うまで締め上げる。崩れ落ちる警備員の瞳が天井灯の緑に染まった。気づいた別の警備員が声を上げかける。オリガは相手の喉元へ鋭い手刀を叩き込む。事をなす最低限の痛みをオリガは探した。
二人、三人と倒し、最後の扉が目の前に現れた。その先が中央警備室最深部。重厚な金属扉が青いセンサー光を放ち、鍵のような電子パネルが脈打つように点滅している。
「アナスタシア、どうする?」
オリガが小声で問う。
「アクセスコードが必要。そのコードは、警備主任の胸ポケットにある。もう少しでこちらにくるはず」
彼女のいう通り、慌ただしい靴音がこちらに向かってくる。二人は倒された警備員のふりをして床に身を横たえる。やってきた主任は廊下の惨状を目にすると、一人一人を揺さぶり、声をかけの脈を取り始めた。主任がオリガの隣の気絶者を抱き起こそうとした時、オリガは素早く主任のポケットを探る。そこには小さなチップが隠されていた。また気絶した振りに戻る。
主任がさっていったところで身を起こす。チップをパネルにかざすと、扉が低い唸りとともに開く。
中央警備室は無人だった。無機質なディスプレイと端子が林立する狭い空間。
アナスタシアはスクリーンパネルと入力機器の並ぶコンソールの前に立つと、数十個のトグルスイッチをひたすら切っていく。オリガはいつ警備員が押し寄せるかと身構える。スクリーンに映っていた監視カメラからの映像が途絶える。
「ドローン待機モード、ゲートロック一時解除」
アナスタシアがつぶやく。オリガにはアナスタシアが手当たり次第にボタンを押しているようにしか見えない。
「あとはこれだけ」
アナスタシアが大きなハンドルに手をかけた。

ところが、その瞬間乾いた男の声が響く。
「見上げた物だな」
聞き覚えのない冷淡な響き。オリガは慌てて室内に声の主を探す。だが二人の他には誰もいない。そもそも声の方向がわからない。まるで、壁と床と天井が喋っているかのようだ。
「誰だ」
オリガが苛立たしげに問いかけると、答えは驚くほど落ち着いたものだった。
「ヴィシェフラド。ヴィシェフラド社の社長だよ。この年の警備の事実上の管理者だ。だからお前と話す権利がある。わかるだろ?」
「お前たちはなぜあんな出来の悪いロボットを売っている?」
オリガは憤りを込めて問いただした。あのロボットたちは粗悪で、ハッカーや犯罪組織に容易く操られ、混乱を増幅させていた。
男が即答した。
「強盗をしたのは強盗犯であってセキュリティ会社ではない。我々に責任をなすりつけるのはお門違いじゃないか?」
「詭弁にも程がある」
「いや、ことの本質だ。悪い事をする人は悪い事をする。だから、アーカ・ザリアの下で善良に生きていた人たちをアーカ・ザリアに招待する。アーカ・ザリアの1層で正しく生きている人を2層に、3層に移す。そうすれば中央に行くほど善い人たちにとって生きやすい世界になる。誰にでもチャンスがあるんだから平等だろう。このシステムが、いわばこの都市全体が一つの治安維持ロボットになっている。よくできているだろう」
オリガは鋭く舌打ちする。一方、アナスタシアは険しい顔で黙っていた。その様子を察したのか、ヴィシェフラド氏はアナスタシアに問いかけた。
「アナスタシア。君のことは聞いている。なんでも、子供たちの守り神と崇められているそうじゃないか。ゲートのセキュリティを切れば、不法者がアーカ・ザリア内に殺到するだろう。お前の友人は必ず巻き込まれる。いいのか?」
今は一時的に仕方がない、アナスタシアがそういうとオリガは予想した。だが違った。
「そうあるべきよ」
その声は静かだが芯がある。
「同じ不安を共有すべきだわ。不法者やってくれば、ここの人たちももう少し下の世界について考えるんじゃないかしら」
オリガも呼応した。
「アーカ・ザリアで働くお前の部下も、もう少し真面目に仕事するだろうな」
笑うような息遣いの雑音。ヴィシェフラドは考えているのかもしれない。数秒の沈黙の後、その声は意外な妥協案を提示した。
「2層までだ。そこまでのセキュリティを止めていい。お前のいう通り2層の犯罪率を抑えられたら、3層のセキュリティを外してやる。そして結果が良ければ、さらにもう一つ」
アナスタシアは即答した。
「聞き分けがいいことね」
スピーカーはノイズを残し沈黙した。
オリガはコンソールパネルの隙間に爪を差し込み、力任せに引き剥がした。何十もの風船が一斉に割れるような騒音を立てて樹脂が割れ、緑色の基盤が顕になる。アナスタシアは剥き出しになった2本のコードに指をかけた。小さく火花が散る。力を込めて、それを引きちぎった。

こうして一つの扉が開かれた。雲の下で雨が歪んだネオンが輝く。新たなバランスを求め、都市全体が静かに軋みながら、次の段階へと進み出そうとしていた。

 

 

 

 

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