新宿キョンシー

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新宿キョンシー

誰も僵尸キョンシーに気づかないのは電動キックボードに乗っているからだ。眠らない町の喧騒が眠れる人の背を押して、若竹色の二輪車を住宅街へ滑らせる。夜の新宿に照らされた背中が夜闇に染み込んだ。道士はどこか高いところで、彼を操っているのだろう。

深夜営業を始めた都庁の食堂は若い男女で賑わっていた。『お金がなくても夜景が見える』。
「終電なくなちゃったね」
楊 莉莉は胸に溢れる期待を悟られぬよう、努めて平静を装い、机を挟んだ向かいの男に言った。ところが男はコーヒーカップを置くと、スマートフォンの画面を突き出した。
「LEAPがあるよ」
電動キックボードのシェアリングサービスのアプリである。どのスタンドに返却してもいい。確かに都庁前のLEAPスタンドにはキックボードが二台残っていた。
「そ、そうだね。早く予約しないと」
自分のスマホでもアプリを開いた。否定するのもなんか怪しいし。この街にいる他の誰かが今すぐこれを予約してくれ。なるべくゆっくり操作した。彼女が予約を終えるまで横槍が入ることはなかった。
都庁の玄関を出る。街灯に照らされたカップルたちの睦まじさが目にしみた。
スタンドでLEAPを起動し、「私、明日一限あるから」と精一杯の負け惜しみを言いながら、手を振って男と別れた。

LEAPが憎い。LEAPが悪い。こんなものを認可したこの街の主が恨めしい。巨大な屋上広告で拳を握るかの都知事。「羽田の深夜発着で、明るい東京」じゃあないんだよ。
莉莉は道士の家系に生まれた。自分にもわずかながら僵尸を操る能力がある。閃いた。僵尸を使い、デートの前に新宿中のLEAPを郊外に移動させてしまえばいいのではないか。莉莉は修行を始めた。
LEAPの料金体系は占有時間とバッテリー使用量で決まる。莉莉は大学生の身だ。出費はなるべく抑えたい。かといって近場のスタンドに返却しては、誰かが戻してしまうかもしれない。占有時間を短くするにはなるべく高速で移動するほかない。持ち前の工学知識で速度制限を解除する方法は見つけたが、元のトルクが弱いので大した速度は出ない。結局ものを言うのはドライビングテクニックだ。キックボードに僵尸を乗せ、なるべく減速せず、かつ距離をロスしないコースどりを研究する。デートもキックボードもインコースを攻めた分だけ遠くに行ける。
バッテリーを節約するには空気抵抗を減らすことだ。この時すでに莉莉は二人の僵尸を同時に操る力を身につけていた。僵尸によるチームパシュートである。風を無駄にしないため、隊列の精度を磨き上げた。スムーズな先頭交代が肝だ。二人の僵尸に別々の動きをさせるのは本当に難しい。修行に明け暮れる莉莉の力は増していった。操れる僵尸の数も増えていく。いつしか彼女は東京で最強の大道士となっていた。
十一人の僵尸が銀杏並木を駆け抜ける。

「もう終電がない」
青年が声を荒げたのは寂しさからだった。これが別れになるのは目に見えていた。だからわがままを言った。確かに今から空港に間に合う尋常な手段は存在しない。タクシーだって夜の渋滞を抜けられまい。しかし莉莉は許さなかった。窓の外を指さして母は言った。
「LEAPがあります」
病院の外に並んだ十一人の僵尸と十二台のキックボード。
「私のことはいいから。お行きなさい」
青年の目に涙が浮かんだ。彼にとって今が人生の全てだった。他のことなどどうでもよかった。だから最期までここにいたかった。なのになぜわかってくれないのか。
溢れる涙を堪え切れない。それでも母に頷きを返し、病室を飛び出した。清華大学入試への最終便まであと60分。
青年はハンドルを握った。

母の操る十一人と一人が闇に繰り出した。ETCのバーをすり抜け高速道路になだれ込む。渋滞にはまるパトカーを尻目に車の隙間を縫う。一糸乱れぬチームパシュートのスリップストームが青年を包む。ウインドチャイムの波のようなコーナリングでガードレールを攻める。
先陣を切る僵尸のキックボードが動きを止めた。バッテリーがここまでだ。「ありがとう」。彼をその場に残し十一人で先を急ぐ。二台、三台と電池が切れる。先頭を替えて走り続ける。神宮の杜が見えてきた。明治ドームと国立競技場。羽田空港まであと20キロ。

夜間ターミナルにたどり着いたところで、最後の二台の電池が切れた。僵尸はキックボードを降り、青年の背中を押した。ずっと風をもらっていたから、高速道路を60分走り続けても、青年の目は渇かなかった。
操り糸が切れたように僵尸が崩れ落ちた。東京で最も偉大な道士がついに力尽きたのだ。病院からの電話に出ている余裕はない。青年は走った。閉まりかけた搭乗ゲートに体を捩じ込み、母の故郷への飛行機に飛び乗る。

水平線から太陽が頭を覗かせた。十一体の屍は朝日を浴びて塵と消えただろう。

文字数:1966

内容に関するアピール

技術者の世界にはオーバーエンジニアリングという言い回しがあります。瑣末な課題に対して過剰な技術を持ち出す様子を指します。
技術者同士では「頭冷やせよ」というニュアンスで使う言葉です。
でも、SFだとそれが面白さになるのかなと思います。
そこでオーバーエンジニアリング小説とでも呼ぶべきものを目指して書きました。

7期の斜線堂先生の講義で、驚かせるには意外なワイダニットが有効で、ある道具の従の性質を使うといいと教わりました。
そこで、キョンシーがLUUPに乗っている理由は道士がデートの相手に帰ってほしくないから、というワイダニットを考えました。

今回の自分なりの課題は、共感と驚きのバランスです。
斜線堂先生の講義で、共感とバランスは7:3と教わりました。
言われてみると自分は、これまで共感を意識できていませんでした。
本作がちょうどいいバランスになっているか、講評で伺いたいです。

文字数:384

課題提出者一覧