梗 概
神様の教育
その男は神を信じていた。幼いころに病の床で神の声を聴いたのだった。
伝道師となった男は世の中の多くの人は啓示の経験がないことに気づいた。ある人に言われた。
「神様がいるという証拠は? ただ信じろと言われてもね。君、蟻にも神がいて信じる蟻は救われると言われたら、信じるかい?」
確かにそうだと男は思った。神の存在を証明しなければ皆を信じさせることはできない。男は古今東西の奇跡の事例と証拠を調べた。どれも十分とは言えなかった。男は奇跡の再現実験を思い立った。
実験では奇跡を祈りサイコロを100個投げた。例えば奇数の目が60個出ることは繰り返せば起こり得る。だが70個になる確率は宝くじ並みで80個となるとほぼゼロに近づいていく。サイコロの目が全て奇数になる確率は宇宙誕生以来毎秒実験を繰り返しても到底起こらないほどゼロに近かった。逆にそのような結果が何度も起きたら奇跡であり神が介入した証拠になる。
何度も実験したが奇跡は起きなかった。こんなはずはない、と男は思った。
大きすぎるんだ。男は取りつかれたようにもっとミクロな世界に注目した。男は物理学を学び原子レベルのサイコロを探した。放射性元素の崩壊、電子のスピン、光子の偏光。あらゆる確率事象を使って実験を繰り返したが奇跡は起きなかった。男の異常な執念に信者たちは離れていった。
失意の男はある日お寺の前を通った。そこには「色即是空」と書かれていた。男は思い出した。あのとき神はこう言われたのではなかったか。
「真空のゆらぎ……」
男は真空中の対生成消滅を観測する実験を行った。神に祈ったときだけ異常な数の電子・陽電子の対生成を観測した。ついに奇跡の再現実験に成功したのだ。
神の存在を証明
そのニュースは世界に衝撃を与えた。だが次の事実に人々はさらに驚きそして失望した。
神は宇宙を創造したがそれ以降のことは知らない。
神は量子レベルの確率を操作すること以外に世界への介入はできない。
神とは真空のゆらぎを通じて対話できた。だが神はこの宇宙創造後の出来事を何も知らなかった。神は宇宙や人間のことを知りたがっていた。人間は神の教育係になった。
物理学を教えられた神はとても喜んだが男は困惑した。これではまるで人が神を救済しているようだ。
神と人間の奇妙な関係は長くは続かなかった。小惑星帯を外れた巨大小惑星が地球に衝突することが分かった。人々は絶望した。人類は創造神と出会い、そして何も出来ぬまま滅亡するのだと。
男はあきらめていなかった。ただ神を信じましょうといった。
巨大小惑星が地球の重力圏まで接近したそのとき、突然横にわずかに瞬間移動したように見えた。「量子レベルの確率を操作することしかできない」神は小惑星を構成する岩石の全分子・全原子のランダムな熱振動の方向を瞬間的に一致させほんの少し移動させた。
神は人類を救い、授業の継続を要望した。
文字数:1200
内容に関するアピール
本作は神を信じる主人公が神の実在に科学的に迫っていったら面白そうという着想から生まれました。現実の物理法則に矛盾しない形で神の存在が客観的に観測できるとしたらどんな現象があり得るだろうかと考えた末、神は微視的な世界で確率を操作する(できる)のみという設定にしました。必然、そのような神は現実世界に対して万能ではなく、ほとんど介入できないという意味では無力です。宇宙を創造した神ですら、厳密な物理法則世界を生み出すにはそれぐらいの制約がかかってもおかしくないと思います。そして無力な創造神、というのは矛盾を孕んでいて面白い。パラダイムシフトが起きた世界を描きたいと思います。
ちなみに冒頭の「神様がいるという証拠は?」というセリフは私が学生時代にある宗教家の方に実際に言った言葉です。
あの頃は若かったです。
文字数:354