梗 概
神様の教育
その男は神を信じていた。幼いころに病の床で神の声を聴いたのだった。
伝道師となった男は世の中の多くの人は啓示の経験がないことに気づいた。ある人に言われた。
「神様がいるという証拠は? ただ信じろと言われてもね。君、蟻にも神がいて信じる蟻は救われると言われたら、信じるかい?」
確かにそうだと男は思った。神の存在を証明しなければ皆を信じさせることはできない。男は古今東西の奇跡の事例と証拠を調べた。どれも十分とは言えなかった。男は奇跡の再現実験を思い立った。
実験では奇跡を祈りサイコロを100個投げた。例えば奇数の目が60個出ることは繰り返せば起こり得る。だが70個になる確率は宝くじ並みで80個となるとほぼゼロに近づいていく。サイコロの目が全て奇数になる確率は宇宙誕生以来毎秒実験を繰り返しても到底起こらないほどゼロに近かった。逆にそのような結果が何度も起きたら奇跡であり神が介入した証拠になる。
何度も実験したが奇跡は起きなかった。こんなはずはない、と男は思った。
大きすぎるんだ。男は取りつかれたようにもっとミクロな世界に注目した。男は物理学を学び原子レベルのサイコロを探した。放射性元素の崩壊、電子のスピン、光子の偏光。あらゆる確率事象を使って実験を繰り返したが奇跡は起きなかった。男の異常な執念に信者たちは離れていった。
失意の男はある日お寺の前を通った。そこには「色即是空」と書かれていた。男は思い出した。あのとき神はこう言われたのではなかったか。
「真空のゆらぎ……」
男は真空中の対生成消滅を観測する実験を行った。神に祈ったときだけ異常な数の電子・陽電子の対生成を観測した。ついに奇跡の再現実験に成功したのだ。
神の存在を証明
そのニュースは世界に衝撃を与えた。だが次の事実に人々はさらに驚きそして失望した。
神は宇宙を創造したがそれ以降のことは知らない。
神は量子レベルの確率を操作すること以外に世界への介入はできない。
神とは真空のゆらぎを通じて対話できた。だが神はこの宇宙創造後の出来事を何も知らなかった。神は宇宙や人間のことを知りたがっていた。人間は神の教育係になった。
物理学を教えられた神はとても喜んだが男は困惑した。これではまるで人が神を救済しているようだ。
神と人間の奇妙な関係は長くは続かなかった。小惑星帯を外れた巨大小惑星が地球に衝突することが分かった。人々は絶望した。人類は創造神と出会い、そして何も出来ぬまま滅亡するのだと。
男はあきらめていなかった。ただ神を信じましょうといった。
巨大小惑星が地球の重力圏まで接近したそのとき、突然横にわずかに瞬間移動したように見えた。「量子レベルの確率を操作することしかできない」神は小惑星を構成する岩石の全分子・全原子のランダムな熱振動の方向を瞬間的に一致させほんの少し移動させた。
神は人類を救い、授業の継続を要望した。
文字数:1200
内容に関するアピール
本作は神を信じる主人公が神の実在に科学的に迫っていったら面白そうという着想から生まれました。現実の物理法則に矛盾しない形で神の存在が客観的に観測できるとしたらどんな現象があり得るだろうかと考えた末、神は微視的な世界で確率を操作する(できる)のみという設定にしました。必然、そのような神は現実世界に対して万能ではなく、ほとんど介入できないという意味では無力です。宇宙を創造した神ですら、厳密な物理法則世界を生み出すにはそれぐらいの制約がかかってもおかしくないと思います。そして無力な創造神、というのは矛盾を孕んでいて面白い。パラダイムシフトが起きた世界を描きたいと思います。
ちなみに冒頭の「神様がいるという証拠は?」というセリフは私が学生時代にある宗教家の方に実際に言った言葉です。
あの頃は若かったです。
文字数:354
終末を神様と
「みなさんこんにちは。ネットトークの如月理沙です。今月のエセ科学ニュースをお送りします。今回は投資詐欺との噂もある二酸化炭素燃料を取り上げます。ゲストはいつもおなじみ東北大学の大城先生です!」
今日はいつもの担当番組の配信日だ。私は普段科学雑誌の記者をしているのだが月に一度、ネット討論チャンネルでエセ科学ニュースというコーナーを担当している。マイクロチップ、水素水、光子の波動、謎のがん治療。これまでいろいろな疑似科学をばっさばっさと切って捨ててきた。最初はそんな番組視聴数が取れるだろうかと思ったが私の辛辣なトークがネットでまずまずの評判になり、もう1年も続いている。
それでそろそろネタが切れてきたころにこの話は舞い込んできた。
「神は実在する」
最近そんなことを言っている学者がいるらしい。しかも確かな証拠があるというのだ。もちろんそういう人はこれまでにもいたし会ったこともある。いざ取材してみると支離滅裂なロジックを展開してくるので理詰めで反論すると黙るかこちらが出入り禁止になるのがおきまりのパターンだった。そういうことを公言しちゃう人は大抵は実在とは何かを客観的に定義すらできていない。こっちを弱小ネットメディアの小娘だと思って舐めているのだろうけど脇が甘すぎてエンタメにすらならないレベルなのだ。エセ科学を飯の種にしているこちらの身にもなってほしい。
ところが今回これまでと違うのはその学者先生は量子力学の権威だってことだった。あの科学学術雑誌ネイチャーに何本も論文が載ったことがあるとかでノーベル物理学賞候補として毎年期待されていた。そんな先生が神様がいるなんて言い出したものだから私は取材に行くことになった。どうもその先生は私のことを知っているらしくエセ科学ニュースの編集長からは独占取材だと言われた。
そんなわけで私はその黒川先生がいる大学の正門に立っていた。国内最高峰の大学で研究しているのに何を言っているんだか。物理学だか量子力学だか知らないけどエセ科学はきっちり問い詰めてやる。私は理学部棟に向かった。今日からちょうど夏休みで大学構内を歩く人はまばらだった。久しぶりに感じる大学の自由な雰囲気に5年前の学生時代を思い出す。まだ昼前だったが日差しがアスファルトを照り付け木陰を歩かないと汗が噴き出す暑さだ。
取材は研究室ではなく実験室に来るように指定されていたので理学部棟の地下階に向かう。地下のフロアはしっかり冷房が効いていて廊下に面した各部屋の扉にはところどころ放射能の標識がついていたり、銀行の金庫のような金属製の分厚いドアがあったりして場違い感を感じると共に緊張してくる。奥に進んでごく普通のドアに指定された部屋番号を見つけて少し安心し、ノックをする。
「はい、どうぞ」
「失礼します、株式会社ネットトークから来ました如月理沙です」
「黒川です。お待ちしていました、如月さん」
先生は私を実験室に招き入れた。そこは小学校の理科室ほどはある大部屋で、その半分ほどに大きな実験装置が置かれていた。それは金属製で円筒形の構造がいくつか組み合わさった複雑な形状をしており、パイプがたくさんついていてブーンという音を立てている。先生に作業机の椅子に座るように促されて取材が始まった。机には何かの部品や薬品、実験器具が乱雑におかれ私の座るところだけ申し訳程度に片付けられていた。
「先生、今日は取材を受けていただきありがとうございます」
「こちらこそようこそお越しくださいました。ネットトークのエセ科学ニュース、楽しく見ていますから。如月さんの鋭い解説と追及、毎回痺れます」
「ええ、はは、あ、ありがとうございます」
「特に、マイクロチップの回はよかったです。よく勉強されていますね」
いきなり調子が狂う。「エセ科学ニュース」では取材相手を詰め気味に取材してしまうことが多い。こちらは最初からエセ科学だと決めつけているので途中で怒り出す人もいる。番組をよく見ているならこちらのやり方も知っているということでやりにくい。しかし、まぁ、もうしょうがない。私は録音とメモの準備をして取材を始めた。
「先生、早速ですが教えてください。先生は神は実在すると仰っていますが本当ですか」
「はい。実在します」
いかにも誠実な科学者という顔の先生が柔和な、でも笑っていない目で私を見つめていた。
「えっと、それは神の実在を証明した、ということですか」
「はい。証明しました。それをご覧いただくために今日は如月さんをお呼びしたんです」
ちょっと、いくらなんでも大きく出すぎでしょ。この先生はまだ50代半ば、頭脳明晰と評判だそうだけど大丈夫かな。
「おお、そうですか。なるほど……。ちなみに、どうしてそんな大事なことを私だけに見せてくれるんでしょうか」
「プレスリリースは出しましたし証明も近く公表します。でも私はあなたのファンですから、証明を公にする前にぜひこうして直接お話してみたいと思いましてね。如月さんは大衆を代表する庶民感覚をお持ちで、それでいて科学の素養もある。ぜひ反応を見たいと思いましてね」
喜んでいいのかな。ええ、素養はありますとも。エセ科学に騙されないように嫌でも勉強したのでね。
「それは光栄です。ところで公表されるといっても先生は科学者ですよね。先に論文になさるのではないですか」
「論文はもう書きましたが内容が内容なのでそのままアクセプトはされません。この発見の公表には公開実験が最適なのです」
「公開実験、ですか」
まさかここで霊媒師とかこっくりさんをやってみせようってわけじゃないよね。
「そうです。しかもとても簡単な実験です。今から説明しますが大丈夫ですか」
「何がでしょうか?」
「その実験を体験していただければ如月さんは神の実在を知ることになります。これには精神的なショックがあります」
「ああ、はい、それは大丈夫です」
だって神様の存在の実証なんてできるわけないじゃない……。別に神様がいないと思っているわけじゃない。私は不可知論者であって無神論者じゃない。もし本当に神様がいるならぜひその証拠を見せてもらいたいと常々思っているのだ。信じるか信じないかではなく、確たる証拠を。
「よろしい。ではまず実験の考え方を説明します」
そう言うと先生は作業机の上に置かれていた大きなトレイに持ってきた箱から何やら白くて細かいものをざざーっと出した。それはたくさんのサイコロだった。
「如月さん、ここに100個のサイコロがあります。さて、サイコロの目が出る確率を考えましょう。サイコロの目で何でもよいのですが、例えば奇数が出る確率はわかりますか?」
「え、サイコロの奇数が出る確率、ですか。えっと、3/6、で1/2でしょうか」
「正解です。では100個のさいころを投げて奇数の目が50個出る確率はどれくらいでしょう」
「えっと、うーん、1/2、ではないですよね。10%ぐらいですか?」
「おお! さすが、素晴らしいです。正解は約8%です」
よくわからないが先生という人種に褒められると嬉しい。
「如月さん、奇数の目が50個になる確率は一番起きそうなことなのにどうしてそんなに小さいのでしょう」
「それは偶然に奇数が50個より多く出ることも少なく出ることもあるからです」
「正解です。偶然が作用して、結果がばらつくわけですね。確率が1/2、つまり50%になるのはサイコロを100個投げて奇数が50個以上出る確率で、これを正確に計算すると54%になります」
「50%じゃないんですね」
「はい、50個というのはちょうど出る目の数の確率分布の中心になるので50%より少し大きくなります。ちなみに奇数/偶数、表/裏、のように結果が二つしかない試行を繰り返すことをベルヌーイ試行、その結果の分布を二項分布と呼びます」
「はぁ……」
「いまトレイの上に出したサイコロの目はどうでしょう。もう一度振り直してみましょうか」
そういうと先生はサイコロを箱にかき集めてまたざざーっとトレイに出した。
「ぱっと見て奇数の目が半分ぐらいに見えますね。奇数の目が60個以上出る確率は2.8%です。何回も繰り返せば奇数の目が60個でるのは起きそうですよね」
「そうですね」
「ここからが本題です。もっと起き得ないことを考えてみましょう。奇数の目が70個以上出る確率は0.0039%です。これは起きると思いますか」
「うーん、何度も何度も繰り返せば起こることもあるんじゃないでしょうか」
「そうですね。粘り強く頑張れば出せます。3億円の宝くじに当たるよりは簡単です。まだ不十分です。では奇数の目が90個以上出る確率はどうでしょう。これは計算すると約10兆分の1%になります」
「それはまず起きないんじゃないでしょうか。起きたら奇跡ですよ」
「そうです。まさに奇跡です。そして奇跡が起こるならば、神がいると仮定せざるを得ない。そしてサイコロを100個投げて100個とも奇数になる、なんてことは宇宙誕生以来、1秒に1回サイコロを投げ続けたとしても起こりようがないくらいほぼゼロの確率です。そんなことは偶然には起き得ず、起こるとしたら神様が奇跡を起こしたときだけです」
「つまり先生は、神様が奇跡を起こしてサイコロの目を全部奇数にできると仰っているんですか?」
「いえ、それは神様にも無理のようです。一応サイコロでも実験してみましたからね。当然無理です。そうではなくここでお伝えしたかったのは実験の考え方なのです」
ここまでは確率の授業の話であってホラ話ではない。けど神様はどこに出てくるのだろう。
「つまりもし偶然に起き得ないことが起きたとしたら、そしてそれが繰り返し起きたとしたら、それを神の意思だと考えることは無理のないことです。このことは納得いただけますか?」
「それはそうかもしれません。ということは先生は奇跡を起こして神様の存在を証明なされるんですね。でも前提が違う可能性もあるかもしれませんよ」
「ほう、例えば?」
「イカサマです。サイコロに仕掛けがしてあれば偶然ではなく必然的に出る目を揃えられます」
「そうですね。そのとおりです。でも安心してください。これからご覧いただく実験はイカサマのしようがありません。なぜなら如月さん自身にやっていただくからです」
「サイコロの実験ではないのですか?」
「はい。サイコロでは無理なのです。もしサイコロでそれができるなら歴史のもっと早い段階で神の存在が証明されていたでしょう。サイコロは大きすぎるようです。さて、ここにあるのは私が開発した真空のエネルギーのゆらぎを測定する装置です。約50センチ四方の空間を真空状態にして強いレーザービームを照射し、電場をかけて仮想粒子、ここでは電子と陽電子の対生成と対消滅を観測しています」
そういうと先生は私を実験装置の前に連れて行った。装置は軽自動車ほどの大きさで中心に円筒形の金属容器がありその中が真空状態になっているということだった。ブーン、という低い音は真空ポンプだった。
「私、子どものころに「ボクはタイタン」というアニメが好きだったんですけど、あのアニメで博士が作る装置にそっくりです」
「確かにアニメっぽい外観かもしれませんね。つぎはぎだらけですが作るのに結構苦労したんですよ」
「真空のエネルギーって何ですか?」
「はい。真空は何もない空間ですが実はその空間のエネルギーはゼロではなくゆらいでいます。そこは仮想粒子としての電子と陽電子が対生成してすぐに対消滅していると考えることができます。私の装置ではそれが真空中でどれくらい起きているかを計測することができます。そしてある空間の一点である瞬間に対生成が起きるか起きないかは確率事象です。つまり、これを計測することもベルヌーイ試行と考えることができるのです」
「なるほど」
「計測結果をご覧に入れます。こちらの画面をご覧ください。リアルタイムで計測を行っています」
PCの画面にはギザギザだがほぼ横一直線のグラフと数字が表示されているダイアログが表示されていた。数字部分は6.2341と127の二つの数が表示されている。
「これは今この瞬間、装置内で一立方メートル当たりに換算して6.2341×10の127乗個の電子・陽電子のペアの対生成が起きていることを示しています」
「すごい数ですね」
「はい、ものすごい数です。真空は極めて騒がしいところです」
数秒後、画面は6.1933と127と変わった。その変化が真空のゆらぎを表していてサイコロを振りなおして出た奇数の目の数と同じで増えたり減ったりするということだった。
「さて、如月さん。前置きが長くなりましたが実験を始めましょう。早速ですが神に念じてみてください」
「……はい?」
「最初はわかりやすく言葉に出してみてください。“神様、聞こえていますか?”と」
「わかりました。」
これはドッキリか何かなの? ふざけたリクエストにいつもの取材ならここで詰問モードになるところだが、先生の説明が丁寧で引き込まれるのでこのまま話に乗ってみることにした。
「神様、聞こえていますか?」
自分が怪しげな魔術師になったような気分になってくる。先生は黙ってしまい、実験室には真空ポンプの音だけが響いている。数秒立っただろうか、画面の数字が1.2675、128と変わり、ぎざぎざの横線だったグラフが跳ね上がった。
「今」
先生がゆっくりとグラフを指さして言った。
「今の変化です。対生成の密度が一気に2倍になりました。これはゆらぎの中では偶然では決して起こり得ません。今、サイコロを100個振って奇数の目が100個出るぐらいあり得ないことが起きました」
「え? それが私が神様に念じたからというのですか?」
「はい。信じられないでしょう。何度でも試して大丈夫ですよ」
「神様に念じるというのは声に出さなくてもよいのですか」
「はい、声に出さなくても大丈夫です」
こんなことは私の声に反応して画面を切り替えれば意図的に操作できるはずだ。私は念じるそぶりを見せて頭の中で何も考えずに1分ほど黙ってみた。画面の数字は元の大きさに戻り、グラフも元の高さに戻り、先ほどの瞬間的な変化が上向きの針のようなスパイクとなっていた。何も起きなかった。先生を見るとただ黙っている。イカサマを疑われている、という焦りのようなものはその表情からは感じられない。ここで言葉を発したら負けのような気がする。さらに1分黙る。何も起きない。当たり前だ。
意を決して頭の中で念じてみる。
「神様、いるの?」
数秒後、先ほどと同じように画面の数字が上に大きく振れ、グラフにはスパイクが現れた。先生は黙って画面を見ている。私は自分の心拍数が上がっているのがわかった。もう一度念じてみる。同じように数字が上振れる。もう一度。私が心の中で念じたときだけ画面に変化が現れた。
「信じられません」
「私も最初にこの現象に立ち会ったときは混乱しました。しかも深夜に一人でいたときでしたからね」
「偶然に発見されたということですか?」
「そうです。この装置は場の量子論を実証するために開発したのです。それがご覧のように計測した数字があっちにいったりこっちにいったり。しかも注意深く観測するとそれが私自身の言葉や思念によって変わっているとしか考えられないのですから」
「神様ではなく言葉や思念に装置が影響を受けている、ということは考えられないのでしょうか」
「声はともかく思念に反応するというのは物理的に考えにくいですが現象が起きてしまった以上は普通はそう考えます。しかし私の自宅はここから5kmは離れていますがそこから念じても同じでした。また、アメリカの友人に詳細は伏せて、日時のみを指定して強く念じてもらいました。結果は同じでした」
「どうしてこの装置なのでしょう。つまり、他の手段でも同じ結果が得られるのかどうか」
「まだわかりません。この装置は世界初のものですから。また、念のためにすぐに実験できるミクロな世界のベルヌーイ試行である放射性元素の崩壊や電子のスピンの計測実験で同じようにしてみましたが結果には現れませんでした。今回のような結果を私は神の介入と呼んでいます。今のところ神の介入が観測されたのは真空エネルギーのゆらぎのみで、この装置のみで観測されています」
「神の介入……なんだか神様というのは控えめというか、照屋さんというかなんですかね」
「そのようですね」
「先生、私まだ信じたわけではないですよ」
「はい。あまりにも不可解な現象ですから当然だと思います。もう少し実験なさっていきますか」
「はい。お願いします」
続いて私なりに実験をしてみた。まず関係のないことを強く念じても装置の反応はなかった。お腹が空いた、編集長への報告をどうしよう、黒川先生は「ボクはタイタン」に出てくる博士に似ている……こういったことを言ったり念じたりしても神の介入はなかった。反対に、神様を想起した思念、例えば神はいない、これはイカサマだ、そもそも神とは……といったことを念じると神の介入が観測された。まったく信じられなかったが、何度も繰り返すうちにグラフのスパイクに何か、この世界の向こう側にいる何かの存在を感じるようになっていた。
私はふと神様に尋ねてみたくなった。
「ねえ、神様は一人? 寂しい?」
しばし沈黙の後、画面のグラフにスパイクが現れる。そして続けてもう1回。さらに1回。スパイクが3回連続した。
「おや、これは驚きました。こちらの問いかけに一度に複数回の反応があったのは初めてです」
「何かのメッセージでしょうか?」
「如月さん、続けてみていただけますか」
「神様、人と話すのは初めて?」
スパイクが3回連続する。
「神様、人の病気を治せますか?」
今度はスパイクが2回連続する。
「神様、宇宙を創造したの?」
またスパイクが3回連続する。
「神様、宇宙はどうやってできたの?」
今度は沈黙。
先生がしばらく考えてから言った。
「真空の密度変化の回数で如月さんの問いかけに回答しているのかもしれません。3回がYES、2回がNOで、YESかNOかで答えられない問いに対しては沈黙が答えなのかもしれません」
「まさか……」
「神様、1足す2は3ですか?」
先生がそう尋ねるとしばらくして3回のスパイクが連続した。
「神様、2足す3は6ですか?」
2回のスパイクが連続する。
「おお、どうやら如月さんの問いかけをきっかけに対話ができるようになりましたよ!」
スパイクが3回連続する。
「はは。そうみたいですね」
「今までの実験から神様が人間の思考を理解しているのは明らかです。どうやって対話するかが次の課題でした。言語学の先生をお呼びして神との対話プログラムの設計を始めるところだったんです。今日の成果は非常に大きいです」
「お役に立てたようでよかったです!」
先生にお礼を言い、また訪問させていただく約束をして実験室を後にした。理学部棟の外に出るとむわっとした熱気にすぐに額に汗がにじんだが、気持ちはまだ冷たい実験室にいるようだった。今さっき経験したことを思い返すも夢のようでフワフワしてなんとも言えない気分だった。狐に化かされるというのはこういう気分だろうか。神様の実在についてエセ科学認定するどころか、確かな証拠を突き付けられてしまったのだから。そして私は神様が寂しいかという質問にスパイク3回で答えたことが気になった。
一週間後、黒川先生は神の介入実験を全世界に公開した。
“神の実在、量子レベルで観測”
“神との対話プログラム、既に開発か”
“神様は出不精? 真空でゆらぐだけ”
“超常現象 だがそれは神なのか”
そんな見出しがニュース欄を埋め尽くし、黒川先生は一躍時の人になった。神の介入に関する国際的な研究プロジェクトが立ち上がり、個別取材は全てシャットアウトされた。世間では人の思念に反応するだけの現象が神の実在の証明なのかということがすぐに議論になった。神とは万能であり人間に救済をもたらす存在でなければならないはずである。いくつかの宗教団体は黒川先生の実験を神への冒涜だとして見解を取り下げるよう声明を出した。一方でサイコロやコイン投げなど確率事象を使って神の介入を再現しようとする人たちも大勢現れた。
あの実験を体験した私にはそれは間違いなく神様の実在だという実感があった。それはつまり、何らかの神話上の神様ではなく、この宇宙の外側にいる意思を持った存在という意味での神様だった。そこに何かが存在がいることは確かに感じられて、しかもそれが自分の思念に反応している。そんなことを今回の取材の内容と合わせて「エセ科学ニュース」で話した。結局、黒川先生は番組に出演してくれなかったけど私は実験の詳しい話を番組始まって以来のエセではないネタとして紹介した。
「みなさんこんにちは、如月理沙です。さて、今回のエセ科学ニュースはなんとエセではありません。私は今回、噂の黒川先生と直接お話しする機会をいただきました。そこで経験した実験は先日公開されたものと同じですが、自分自身の思念を通じた神の介入を目の当たりにしたのです。私が神様、と念じると真空の対生成の密度が跳ね上がったのです」
これだけ聞くと怪しいエセ科学そのものだったけど、再現実験は複数の人間で行われているし、真空のゆらぎの計測装置の2号機、3号機も作られるということだったからいずれ誰もが納得することになるだろう。視聴者から神の介入の感想を求められた私は初めて人前で父のことをしゃべった。
「感想は、そうですね、とても複雑な気分です。私は科学記者としてエセ科学ハンターとしてこの番組を担当してきました。それは亡くなった父の影響です。私の父は新興宗教にはまってしまい、多額のお金を貢ぎました。そして最後に病気になった時、ちゃんとした病院にかからずその宗教の怪しい祈祷に頼ってしまったのです。そんな父はいつも神様はいると言っていました。私は父みたいな人を救いたくて本当の科学を学び、エセ科学を批判してきました。今こそ父に神様はちゃんといたよって伝えたいですね」
ただこの神様は病気を治してくれそうにはない。戦争をなくしたり環境問題を解決したりもしてくれなさそうだ。それどころか量子レベルでちょっとゆらぐだけだ。そりゃあ正直、不満はある。せっかく神様を見つけたのに特に何かの救いがあるわけではないのだから。お父さんは納得しないかもしれない。宗教団体が怒り出すのもわからなくはない。
それからしばらくして私は黒川先生に呼ばれた。今では大学は厳重に警備されていて構内に入るのに苦労した。色づいた銀杏並木を通っていつかの理学部棟に向かう。久しぶりの大学は理学部棟の周りに警備員が立っており少しぴりついていた。今回は実験室ではなく研究室のほうに呼ばれていた。部屋に入ると先生ともう一人女性の研究者がいた。
「こんにちは、如月です」
「どうぞ! やぁ、如月さん、久しぶりですね」
「はい。先生はお元気そうで。大変な注目ですね」
「うん、そうなんだ。まぁ事が事ですからね。そしてこちらはプロジェクトメンバーの言語学者の楊教授です」
「こんにちは。如月理沙と申します」
楊先生はにこやかに挨拶してくれた。私のことは知っているらしい。
「先生、それで今日のお話というのはなんでしょうか」
「如月さん、プロジェクトの機密により事前にお伝え出来ずにすみません。神との対話プログラムについて如月さんにご協力をいただきたいのです」
「私、ですか」
「はい。対話プログラムはほぼ完成しています。こちらの問いかけに神の介入がモールス信号の要領で反応を返すことを期待しその信号をリアルタイムで言語化可能です」
「おお、すごいですね。じゃあ神様と話せるようになるわけですね!」
「いえ、それがですね。あらゆる言語で神が信号を返しても対応可能な状態なのですが……如月さんが前回お越しになった時以来、0か1の反応しか返してくれなくなってしまったんです」
「え、あの時は、YESなら3回、NOなら2回で返してくれましたよね」
「そうです。私も確認しましたから。日を改めて同じことをしてみたのですが、何を問いかけても1回の反応しか返ってこなかったのです」
「どんなことを問いかけているんですか?」
「例えば、YES、NOだけではなくオープンクエスチョンにも答えてください、日本語で回答していただけますか、といった具合です」
「そうですか。うーん、人間の言語を理解はしている、でも言語はしゃべれない、ということですかね」
「そうかもしれません。しかしYES、NOも返してくれなくなったので途方に暮れていたのです。そこで如月さんに対話チームに入っていただきたいのです」
そういうと先生は私を先生の椅子に座るように促した。机には普通のパソコンとヘッドセットが置いてあるだけだった。
「ここに座って、また神様に問いかけていただけませんか。心の中で念じてもよいのですが、今回は記録のために声に出していただきたいです」
「私にできるかわかりませんが……わかりました」
でもまた神様に話しかける心の準備ができていない。しかも今回は先生以外の研究者も同席しているし、録音されていろいろな人に聞かれるのだろう。編集長に断らなくてよいだろうか……。ええい、どうにかなると思った私はヘッドセットをつけて画面を見る。そこには前回来た時と同じくグラフと数字が表示されていた。
「神様、えーっと……」
前回何を話しかけたっけ。
「神様、私を覚えていますか。如月理沙といいます」
沈黙。
「私は神様が寂しいにYESと言ったことを覚えています」
沈黙。数秒後にグラフに3回のスパイクが現れた。そのさらに数秒後、幅が広いスパイクと狭いスパイクが連続して現れた。それはモールス信号の表記にすれば次のような信号だった。
ツー・トン・トン・トン トン・ツー トン・ツー・トン・トン・トン ツー・トン・トン トン・トン ツー・トン・ツー・ツー・ツー トン・ツー・トン・ツー・ツー トン・ツー ツー・トン・トン・ツー ツー・ツー・ツー・トン・ツー
「おお!」
私と黒川先生、楊先生がそろって声を上げる。プログラムが信号を日本語に翻訳し発音する。
『はい おぼえています』
「神様、お返事ありがとう」
『りさ といかけありがとう』
私は嬉しくて思わず笑ってしまう。そしてずっと気になっていたことを聞いてみる。
「神様、私の勝手な解釈だけど、神様は純粋で子どもみたいな存在なのかなと思ったの。お話は敬語じゃなくてよいかな」
『けいごじゃなくてよい』
「ありがとう!」
『どういたしまして』
「ふふ。神様は、自分のことを何というの?例えば、私は私。神様は余とか我?」
沈黙。少し調子に乗りすぎたかな。数秒後に返答があった。
『じぶんはない ただいしがそんざいするだけ にんげんはじぶんとたしゃ わたしとあなた そんざいしない』
どういうことだろう? 言っていることがわからず困って先生のほうを見ると楊先生が話してくれた。
「神様は、一人称にあたる自分という概念がないと言っているのかもしれません」
『そうです』
神様が楊先生に答えた。
「そうなんだ……。自分という概念がない……か。うーん、神様は難しいね」
私はアニメ「ボクはタイタン」を思い出していた。天才博士によって作られた万能ロボットのタイタン。純粋な心を持ったタイタンは自分のことをボクと呼ぶのだった。
「神様、一人称はボクでどうかな。神様に自分という概念がなくても、会話には必要でしょう? なんだか神様にぴったりだと私は思うんだけど」
また沈黙。こんなに勝手にペラペラとしゃべってよいのだっけ。再び数秒後に返答があった。
『ぼくはぼく それでりょうかい』
「よかった! ありがとう神様」
一人満足して振り向くと二人の先生はあっけに取られている。気を取り直して質問を考える。
「……それで神様は、どうやって宇宙を作ったの?」
『ぼくはうちゅうをつくった どうやってつくったかというしつもんはこたえられない うちゅうはじはつてきにうまれてきえる ぼくはゆらぎをそうさするだけ』
話が難しすぎる。黒川先生が助け舟を出してくれた。
「神様はビッグバンを起こしたのですね。ビッグバンの前から神様は存在していたのですか」
『うちゅうがうまれたらじかんもじはつてきにながれる そのまえはない ぼくはただそんざいする』
次は黒川先生も考え込んでしまった。
「神様、ちょっと待ってね。質問を考えている」
『だいじょうぶ ぼくからもしつもんがある』
「え? なに、なに?」
『このうちゅうのほうそくをおしえてほしい』
「法則? 法則って物理法則とかのこと? え、神様が作った宇宙だから神様は知っているのよね?」
『ぼくはこのうちゅうのほうそくをしらない うちゅうはじはつてきにうまれるから』
「神様はこの宇宙のことを知らないの?」
『にんげんのしねんのそんざいはけんちできる せいめいがいることはけんちできる このうちゅうはせいめいがうまれているうちゅう これはうれしいこと そのほうそくをしりたい』
その後、私はほとんど黒川先生の代弁者となって神様と話をした。宇宙の創造について神様の説明はこうだった。神様は宇宙を創造したが宇宙は自発的に発展し、その物理法則や時間変化を神様は決定したり操作したりできない。神様が出来る宇宙に対する干渉は非常に限定的で量子レベルの確率を操作することだけだ。神様は人間の思念を感知することでこの宇宙の生命の存在を知ったがその発生原理を神様は知りたがっていた。
一連の神様とのやりとりはプロジェクトで共有、検証され、私は適任ということで神様との対話者に指名を受けた。
「どうして私が適任なんでしょう」
私は黒川先生に聞いた。
「楊教授が言うには、如月さんが最初に神様に寂しいかどうかを聞いたので“神様が神様が心を開いた”のかもしれません」
それから神様の教育が始まった。大学レベルの物理学、化学、生物学、地球科学を次々に教えていった。宇宙の素粒子、原子、分子の構成、人間、地球、惑星、太陽の構成。原子核と遺伝子、太陽系と銀河系の構造。既知の世界の仕組みを神様に伝えるのが私の仕事になった。生命の起源ははっきりとわかっていないものの太古の地球環境で自発的に生命が生まれる素地ができたと考えられる、というと神様は興味深そうにその話を聞いた。
『ぼくはうちゅうをたくさんつくった せいめいはなかなかできない』
「そっか」
『せいめいはふくざつ できるうちゅう できないうちゅうがある』
光速度やプランク定数などの物理定数が違う宇宙のことを言っているのかもしれない、と黒川先生は言っていた。
一方で、神様は何も知らない、何も与えてくれないということに多くの人々は失望していた。
その日も神様の授業を終えて帰宅するころ、エセ科学ニュースの編集長から連絡があった。巷では如月理沙が黒川先生と結託して神様というヤラセで世界を騙そうとしていると言われているらしかった。こちらからの問いかけとそれに対する神の介入のデータは全て公開していたが、それ自体がヤラセだと言われてしまっていたのだ。人の思念を読むという神の介入は思考を脳波として計測すればイカサマができるはずだという指摘もあった。真空のゆらぎの計測装置の2号機、3号機はいまだ稼働せず、私以外の対話者が神様とコミュニケーションできていないことが問題だった。
「神様、あのね、他の人間たちが神様を信じられなくなってしまうから、次は私以外の対話者とも話をしてほしいの」
神様にそういって頼んだ。
『わかった ぼくはほかのひとともはなせる』
「ありがとう 神様」
私はイカサマを疑われたとあればもう他の人に対話者を譲るべきだと思っていた。
ところがそれはすぐには実現しなかった。二日後、NASAの小惑星衝突警報システム「ATLAS」は直径約50kmの巨大な小惑星が地球への衝突コースをとっていることを発表した。その小惑星は1年前に小惑星帯の軌道をわずかに外れたものの長らく見過ごされていた。その巨大な質量により軌道予測の誤差は小さく、衝突の確率は99%と算定された。衝突まで残された時間はわずか三カ月、急転直下の宣告だった。
それだけの巨大小惑星が衝突すれば、人類はほぼ間違いなく死滅する。世界は絶望に包まれてしまった。皆、神様のことなど気にしていなかった。あるいは信心深い人は、神様と邂逅したにもかかわらず人類はなす術もなく滅亡するということに絶望していた。私も黒川先生もそれは同じであった。
「神様、小惑星の話は聞いたでしょう?」
私は今やほとんど誰も注意を払わなくなった神様との対話で話しかけた。
「直径50kmの小惑星なんてどうしようもない。このまま地球に衝突して人間は死んじゃうのかな。せっかく神様と会えたのに」
今まで一番長い沈黙があった。
『ぼくはにんげんをすくいたい』
「え?」
『ぼくはりさにこのうちゅうのほうそくをおしえてもらった このうちゅうはきせきてきなかくりつでせいめいをはぐくんでいる』
「神様は宇宙誕生後の奇跡には関与していないから、生命が誕生したのは本当に偶然の奇跡だってこと?」
『そう ぼくはりさとにんげんをまもりたい』
「……ありがとう。神様にそう言ってもらえるとちょっと救われる」
でも……神様は無力だ。こうして対話したところで小惑星が止まってくれるわけじゃない。でも、これで終わりなの? せっかく神様と出会えたのに。せっかくエセ科学じゃない信じられるものが見つかったのに。ねぇ、お父さん。
私は編集長に頼み込んで「エセ科学ニュース」の配信をすることにした。この状況で見る人がどれだけいるかわからないけれどやらずにはいられなかった。
「みなさんこんにちは、如月理沙です。世界は大変な状況ですがみなさん神様のことは覚えていらっしゃいますか。私がイカサマに加担したという噂も流れましたがそれは事実誤認なのです。でも今それを言いたくてこの配信をしているわけではありません。私は神様は実在すると信じていますが小惑星を止められるわけではありません。衝突した後に無かったことにしてくれるわけでもありません。神様はせいぜい量子のゆらぎを操作することしかできません。ではこのまま人類は滅亡して終わりなのでしょうか。神様と出会えたのに小惑星にぶつかって死ぬ。これが人類の運命なんでしょうか。私はそうは思いません。私は信じています。神様と人間がこの終局を乗り越えることを。神様は私に言いました。生命が誕生したこの宇宙は奇跡的な存在だと。そんな世界がこのまま終わってしまうのでしょうか。信じましょう。そんなはずはないと。このように不条理な死はあります。どうにもならないことはあります。でもこれですべてが終わりだとしたら神様の存在と宇宙の存在自体、無に帰すことになります。私はそれは受け入れられません。だから信じます。皆さんもその時が来るまで信じるものに思いをはせましょう。ごめんなさい、取り留めもなくなってしまいました。これで「エセ科学ニュース」の配信は終わります」
いよいよ小惑星が地球に衝突するまであと1か月となった。そのころには衝突の確率は99.999%以上となり、わずかな希望も掻き消えていた。小惑星と地球の距離は約3000万kmまで接近して太陽よりも近づいていた。その日、私は神様と対話をしていた。
「神様、あと1か月で衝突だって。さすがにまいってきちゃった。どうかな……何かできることはないのかな」
『りさ このたいみんぐでやってみるよ ぼく』
そういうと神様は応答しなくなってしまった。
小惑星衝突警報システム「ATLAS」はもはや無意味と思われた衝突確率の再計算を日々辛抱強く行っていた。ところが翌日の観測データを用いた再計算では衝突確率は98%に低下していた。急ぎ何度も再計算が行われたがやはり確率は下がっていた。その確率は日を追うごとに下がっていった。衝突予想日の20日前にはついに0%となった。
人々は歓喜するとともにATLASの確率予測を猛烈に批判した。虚偽の衝突予測を行って世界を混乱に陥れたという陰謀論が吹き上がった。無理もない反応だったがそれはあり得なかった。小惑星の軌道は全世界の天文台が観測しており衝突予測が出てからは毎日その検算を複数の望遠鏡で行っていたからだ。
私は確信していた。神様だと。対話プログラムを起動して問いかける。
「神様、どうやって小惑星の衝突を避けられたの?」
『ぼくはりさからおそわった ぶつりとかがく しょうわくせいはがんせきからこうせいされ がんせきはこうぶつけっしょうからこうせいされる けっしょうはげんしからこうせいされる げんしはでたらめなねつしんどうをしている』
神様は説明してくれた。神様は小惑星が地球まで3000万kmまで迫ったタイミングでそれを構成する岩石の全原子のランダムな熱振動方向を量子的に確率操作し、瞬間的に同じ方向に熱運動させ僅かながら横方向に加速度を与えた。小惑星の軌道は徐々にずれていき、ついにその差は地球の直径を超え衝突は回避された。
世界は救われた。
「神様、ありがとう……!」
『どういたしまして でもりさのじゅぎょうのおかげ ぼくはうちゅうのほうそくがわかったからかんしょうのしかたがわかった』
「……すごいね、神様は」
『りさ もっとおしえてほしい』
「うん、なにを知りたいの」
『ぼくにすうがくをおしえてほしい このうちゅうのほうそくをとくすうがくを』
私は神様がにやりと笑った気がした。
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