マーケット・ウォーズ:株主ガールズの反撃

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梗 概

マーケット・ウォーズ:株主ガールズの反撃

その日、日経平均株価が1円になってしまった。

事の発端は10年前に現れたAIファンドだった。AIが売買を行うファンドは既にあり誰もがまた失敗すると思った。しかし「那由多」と名付けられたそのファンドは、あらゆる情報をリアルタイムでモニタリングし、最も合理的な最適株価を推定することが原理的に可能であった。

最初のうちは間違った株価のせいで那由多が負けることもあったが、徐々に勝ち始め、那由多の推定価格で取引をするのが最も勝率が高いということが統計的にも明らかになっていった。

その結果、那由多は勝てなくなった。市場全体が那由多を模倣することで、那由多の推定株価と現実の株価が常に一致するようになったからだ。それでも那由多は推定をやめなかった。

3年前に個別銘柄の売買が原則禁止され投資家はインデックスファンドを売買することしかできなくなった。市場は静まり返り、熱狂は過去のものになった。

主人公の優子は父親から相続したオメガシステムズの株5%を売らずに持ち続けていた。とっくに廃止されてしまったが、IT企業のくせに優待でおもちゃがもらえたのが子どものころ嬉しく何となく愛着があった。

異変が起きたのは1年前。全ての銘柄の株価が静かに下がり始めた。那由多は世界の終焉を予想しているとささやかれた。

ふ・ざ・け・る・な。優子は思った。狂った世の中を正す必要がある。
友達のハッカー、真白ましろがオメガシステムズが那由多を秘密裏に開発していることを突き止めた。悪の企業に違いない。友達の武闘派、かえでを加えた3人組は本社ビルに潜入する。

真白が電子錠を開け、楓が警備員を締め上げ、株主の優子が突き進む。

最深部に「那由多」がいた。

那由多は全てをお見通しだった。那由多は株価を下げた理由を説明した。那由多の計算により完全な計画経済を実現できるという。だから市場は必要ない。貨幣すら必要ない。だから株価はゼロになるしかない。

完全な計画経済?ばかばかしい。個々の人間の自由意志は誰にも決められないんだ。

那由多は真白の攻撃を無効化し、楓のパンチを無視し、反論する。自由意志は完全にわかる。全ての人間の行動をモニタリングしており、彼らの現在の思考は全てわかっている。

こいつは意思を持った危険な機械だ。人間は不合理でないといけない。優子は確信して叫ぶ。

「じゃあ私が今何を考えているかわかるか!」

逃げる優子。真白と楓が追っ手を妨害する。優子は議決権3%以上を有する株主として株主総会の招集を請求する。

那由多は会社法には逆らえない。総会屋を呼ぶ那由多。

「私は那由多の運用無期限停止を議案提出する!その是非は世界中の株主が判断するでしょう!」

楓が総会屋を倒す。

真白がもう一つ議案があることに気づく。優子がそっと答える。

「あと、おもちゃ優待の復活を提案する」

次の日、日経平均株価は再び上昇を始めた。

文字数:1182

内容に関するアピール

私の「物書きとしての自分の武器」は
「現実の世界の出来事・法則の驚き・楽しさを掘り下げ・拡張することでセンス・オブ・ワンダーを表現すること」です。
現実からかけ離れたファンタジーも楽しいし魅力的に感じますが、この現実世界が日常生活で感じられる以上にワンダーなんだ、ということをSFで表現できるとよいと思っています。
半面、自分自身でリアリティを求めてしまうので、作品が嘘っぽく見えて萎えるという問題があり、そこを乗り越える技量があれば…と悩んでおります。
今回は宇宙ではなく金融をテーマに、AIが完全な情報を持てば計画経済が可能になるという描写を試みました。

文字数:275

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マーケット・ウォーズ~投資乙女のリベリオン~

 その日「那由他」が起動した。AIファンドの売買プログラムとして誕生したそれは、世の中の膨大な企業情報を集め解析し始めた。財務諸表にとどまらず、企業に関するあらゆる取引データ、ニュース、SNSの情報も漏らさず読み取っていった。それは目立たず、静かに、しかし止まることなく密かに機会をうかがっていた。
  ◆
 小学6年生の優子が父親に勉強を見てもらっていた時だった。
「優子、自由って何だと思う?」
「え?なんで急にそんなこと聞くの?」
 突然の質問に優子は戸惑った。父はいつものように微笑みながら言った。
「ちょっと聞いてみただけだよ」
「自分で好きなことを選べるってことじゃない?」
「そうだね。好きなことを勉強して、好きな仕事をして、好きな人と結婚して、……もちろんしなくてもいい。そして好きなものを買う。そのために自由を守る法律があり、自由な市場がある」
「自由な市場、って何?」
「言葉の通りさ。みんなが自由に売り買いできる場所。例えば青果市場や魚市場。小学校で毎年やっているフリーマーケットもそうだ。お父さんが買っている株の市場もそうだよ」
「株!お父さんが最近損した~って言ってたやつね」
「そう!」
 父は笑った。
「それで不思議なことに、みんなが自由に売り買いすると必要な人が必要なものを買えるようになるんだ」
「え!そうなの?どうして?」
「例えばりんごの値段は決まっていないだろ?りんごを売る人はなるべく高く売りたい。りんごを買う人はなるべく安く買いたい。でもお互い勝手な値付けをしていたらいつまで経っても取引が成立しない。どこかで値段が折り合って売り買いがされるんだ。そのときちょうど売りたい人と買いたい人の量がバランスするようになるんだ。勝手にね」
「へぇー。それってなんだかすごいね」
「そうでしょ」
 父が得意げな顔をする。
「でも世の中には選ぶことすらできない人たちがいる。仕組みは簡単なことなのに、実現するのがとっても難しいんだ」
「どういうこと?」
「権利を独り占めしたい一部の人間や、国や民族といった社会の単位が、自由よりも独占や規制を優先する世界を生んでしまうんだ。その結果自由が得られない人がたくさんいる」
「そうなのか」
「そう。でもどうすればいいか考え続けることが大事だね。優子もどうやってそんな世界が作れるかいつか考えてほしいな」
「うん。わかった。あ、もう時間だ。塾に行かなくちゃ。行ってきます」
「気をつけてな」
 考えるのはちょっと面倒くさいなぁと思いながら、自由な市場っておもしろい!と興味を持った優子であった。
  ◆
 高校一年生になった高坂優子こうさかゆうこは明るい笑顔と人懐っこい性格で誰とでもすぐに打ち解ける活発な少女になっていた。スポーツも勉強もそつなくこなし、先週の体育祭のリレーではアンカーを頼まれ、皆の声援を受けて最終コーナーでトップ走者を抜き去った彼女は、陸上部……ではなく投資クラブに所属していた。
「効率的市場仮説では株価は完全な情報に基づいて決まっているので、個別銘柄を売買しても市場平均以上に勝つことはできない、と言われているのであります!」
 芝居じみた優子が熱く語っている。ここは創志女子高等学校の投資クラブ……が間借りしているパソコン部の部室である。ホワイトボードには大きく「現代ポートフォリオ理論入門!」と書かれている。
「市場が効率的なとき、最善の投資戦略は市場全体を買う、つまりインデックスファンドに投資してリスクを最小化することなのです。もし市場平均よりリターンを増やしたければ市場平均にレバレッジをかけて投資すればよい、ということになるのであります!」
 優子の講義を聞いているのは二人。先ほどからノートPCで熱心にコーディングをしている一年生の瀬戸真白せとましろ。ジャージを着て頬杖をついている一年生の赤城楓あかぎかえで。この三人が投資クラブの全メンバーだった。
 瀬戸真白はパソコン部の部員でもあり冷静沈着で感情を表に出すことはほとんどなかった。口数が少なく友達は少ないが幼馴染みの優子と楓とは仲がよかった。ロングヘアの清楚な外見で黙々とコーディングをする姿は孤高の雰囲気を漂わせていた。
 赤城楓は空手道場の一人娘で、中学生の全国大会で三位に入賞した実力者だ。情に厚く、幼馴染みの優子と真白を何より大切に思っている。茶色がかったショートカットが印象的で、空手衣をまとい構える姿は凛々しく、学内には密かにファンもいるほどだった。
「レバレッジをかけて投資するってどういうことだ?」
 楓があくびをしながら尋ねる。楓は空手道部の練習が終わってから参加しているのだった。
「借金をして投資をすること。手持ち資金と同額の借金をして投資をすれば投資額は2倍、期待リターンも2倍」
 真白がPCの画面を見つめたまま答える。
「そのとおりであります!真白さん!」
 優子が真白を指さして答える。
「レバレッジをかけるかどうかは自由ですがハイリターンを得るのにわざわざハイリスクな個別株を選ぶ必要はないということを効率的市場仮説は言っているのであります!」
 楓が疑いの目を向ける。
「言っている意味が全然わからんが……じゃあなんで私たちはそのインデックスなんとかに投資していないんだ?」
「よい質問です!楓さん!」
 三人は、正確には三人の親はそれぞれ100万円を拠出し合って、300万円の資金を投資クラブで秘密裏に運用していた。投資仲間の親たちは仲が良く、子どもたちが高校生になったら投資教育をしようと相談していたところ、優子が三人で投資の同好会を設立したいと言い出したのでそれならば実際に運用をしてみるようにと資金提供したのだった。投資クラブでは三人の合議で個別株を売買しており、この日の時点で機械器具メーカーの東雲精機株式会社、飲料メーカーの雫フーズ株式会社、ベンチャー企業の超伝導未来株式会社の株を保有していた。運用成績は半年で+30%と上出来だった。
 優子がまくしたてる。
「それはなんと!効率的市場仮説が間違っているからです。株価は完全な情報で決まってなんかおらず、投資家の気まぐれ、思い込み、行き過ぎた楽観、過度な悲観によってブレブレなんです!だから個別株をうまく売買すればインデックスファンドを超える成績が出せるのです!」
 楓が腕を組む。
「やっぱり投資って胡散臭いなぁ。そんなもんで儲けるなんて博打なんじゃないか?」
「う、楓さん。我がクラブの根幹を揺るがす発言ですよ……」
 真白がPC画面から顔を上げる。
「ところで……いつまでそうやって話す?何のキャラ」
「真白よ……わ、わからない?……楓も?これは超常科学☆アルキメディアの美少女博士ラビリちゃんじゃないか……」
「見てない」
 二人が声を揃える。優子はふーっと息をつきペットボトルの水をぐいっと飲み干し、楓に目を向ける。
「楓、たしかに短期売買には博打の要素もあるけど、いろんな投資家が自由に売買することで株式市場が成り立っていて……それで企業が成長し、世の中が良くなるんだよ」
「ふーん、本当かねぇ」
「さあ、今日はここまでにしよ。来週は真白から今月の有望銘柄のプレゼンだね。よろしく真白!」
 真白が小さくうなずく。
「あー疲れたー。早くご飯食べて帰ろうよ」
 楓がそう言いながら立ち上がって窓の外を見る。優子と真白も思わず夕焼けを見つめた。いつもの放課後の景色。これが週に一度、水曜日のクラブ活動だった。
  ◆
「またAIか」
 そのAIファンドが登場したとき業界の誰もがそう思った。AIが株の売買を行うファンドは20世紀後半には既に登場していたが、どれも運用成績が振るわずにいつの間にか消えて忘れ去られていたからだ。AIファンドはタケノコのように現れては消えていった。 株の売買は機械には無理だ。金融工学?クオンツ?そんなものは現実には通用しないというのがプロの常識だった。そのAIファンドが登場するまでは。
 「那由他」と名付けられたそのAIファンドはインターネット上のあらゆる情報をモニタリングし、リアルタイムで最も合理的な株価を推定することができた。最も合理的な株価とは、その企業の将来利益とその変動、つまりリスクの見込みにもとづき、ハイリスクならハイリターンに、ローリスクならローリターンになるように均衡する最適な株価のことだ。ローリスク・ハイリターンな株も、ハイリスク・ローリターンな株も存在しない、なぜなら市場は効率的だから、というのがいわゆる効率的市場仮説だった。問題はその企業の将来利益とそのリスクが誰にも正確に予測できないという点であり、仮説はただの理屈、現実の市場は非効率で、株価はそんな均衡はしていないというのがこれまでの常識だった。ところが那由他はあらゆる企業情報、取引情報、統計情報、法改正、天気予報、地政学的ニュース、SNSに無限に散乱している個人の心理情報まで底なしに取り込み、最も合理的な株価をリアルタイムで計算した。
 那由他は最初は間違った株価のせいで負けることもあったが、徐々に勝つようになった。那由他の推定株価は常に正しく現実の株価が間違っていたのだから。勘のいいアナリストであれば、長期的に見ると那由他が予想する株価を基準に売買するのが最も勝率が高いということがわかるようになってきていた。
  ◆
 翌週の投資クラブは楓の空手道部の凱旋報告から始まった。
「楓~。新人戦県大会優勝おめでとう!」
「おめでとう。さすが。楓は強い」
 優子と真白がクラッカーを鳴らして祝福する。賞状を持った楓が得意げに答えた。
「ありがとー。ふふ、我ながら順調な滑り出し」
「楓も真白も得意なことを極めていて凄いなぁ。私は特にないもの」
 真白はサイバーセキュリティのコンペで中学生部門の優勝経験があった。
「優子はいろいろできる。凄いこと」
「真白がそういうの珍しいな!でもその通りだよ、優子。何でもそつなくこなせるのは凄い才能だと思うよ」
「え……そう?ありがと。二人にそういってもらえると投資クラブ会長も頑張っちゃいます。じゃあ楓の勝利に乾杯!」
 その後、いつものように真白が今月の有望銘柄のプレゼンを始めた。
「今月の銘柄はこれ。証券コード666B。株式会社オメガシステム」
「え?」
「おい、それって」
 真白は構わず話し続ける。
「時価総額10億円の超小型株、PERは6倍。取引量は少なく株価は低迷、しかし可能性を感じる。主力サービスは汎用業務管理ソフト。古いが顧客離れがない。利益は毎年増加。そしてなぜか開発費も増加。なんのIRも出ていないが何かに投資している。私は眠れる獅子とみる」
 楓が強めに言い返す。
「あのなぁ真白。それは……優子のお父さんの会社じゃないか」
「そう。だから、何」
「お前……優子のお父さんは事故で……」
「別にいいよ、楓」
 優子の父親は二年前、海外出張時の船舶事故で行方不明になっていた。その父がエンジニアとして勤めていたのがオメガシステムだった。
「よくないだろ。真白、何だってこの会社を選んだんだ」
「優子のお父さんは関係ない。単なる偶然」
 真白は答える。優子はどれどれと真白のPC画面をのぞき込む。
「確かにこのところ株価は底値圏だね。この業績なら今買ってもよいかも。爆発的な上昇はないとして注目されれば2倍ぐらいは狙えそうね」
「そう。雫フーズを売却してさらに購入資金を確保してはどうか」
 優子はうなずいて答える。
「雫フーズは今年成長鈍化しそうだから私はいいと思う。だけどこの銘柄は真白と楓の投資枠で買ってくれないかな」
 楓が心配そうに優子の顔を見る。
「優子、大丈夫?」
「うん。私はオメガシステムの株はお父さんから相続しているから」
「ああ……そっか」
 優子の父は未だ行方不明だったが、戸籍上は認定死亡となり優子にオメガシステムの株式の相続が発生した。父親は創業メンバーでもあり上場前にストックオプションで取得していた株式だった。
「お父さんの会社はね、今はなくなっちゃったけど昔は株主優待でおもちゃをもらえたの。IT企業なのにおかしいでしょ。創業社長が子どもが好きだったみたいでね。子どものころお父さんから毎年そのおもちゃをもらうのがうれしかったなぁ」
 真白が訝しむ。
「子ども向けのおもちゃを優待にするのはこの会社の株主のターゲット層から外れている」
「そうなの。だからやめちゃったみたい」
 優子は相続したオメガシステムの株価が下がっても売らなかった。なんとなく父との最後のつながりのような気がしたからだった。 
 三人はオメガシステムと雫フーズにそれぞれ買い注文と売り注文を出し家路についた。優子の後ろを歩く楓が真白にそっと声をかける。
「真白、あの会社が有望銘柄なのはわかったけど、今日みたいに突然優子の前で名前を出すのはやめたほうがいいと思うぞ」
「……どうして」
「優子がお父さんのことを思い出すだろ。急に思い出すと辛いだろうからさ」
「そうか……」
「うん」
「わかった」
「さすが真白。わかる人だね」
 優子は夕日を見ながら独り思いにふけっていた。
「お父さん、お父さんの会社の株上がりそうだってよ。どこに行っちゃったのよ。もう……」
  ◆
 それから3年が経った。
 もう那由他はファンドとして勝てなくなっていた。市場参加者全員が那由他を模倣することで那由他の推定株価と現実の株価が一致するようになったからだ。つまりこのとき、驚くべきことに株式市場は完全に効率的になり、効率的市場仮説は常に成り立つ定理となった。那由他は勝てなくなっても最適株価の算出をやめなかった。それは誰もが常に最も合理的な株価を知ることができることを意味していた。那由他の推定株価ではない価格で売買をしてしまうと損をしてしまうのでアクティブファンドは次々運用を停止、償還され、ファンドマネージャー達は失職していった。
 アクティブファンドは消えていったが逆に市場平均になるように全銘柄を機械的に買うインデックスファンドは盛況になった。最適株価による売買は儲からないということではない。最適株価も時間とともに上下するから、売買タイミングによって得もするし損もする。企業が成長すれば最適株価は上向くし、その逆もある。それは今までと変わらなかった。ミスプライシングが無くなったので誰かを出し抜くことができなくなったということだった。この大きな変化に株式投資を直接していない人々はなかなか気づかなかったが、金融業界は大きな再編を余儀なくされ、やがて政府に大きな政策課題を突きつけることになるのだった。
  ◆
 高校を卒業した優子は私大の経済学部に入り、真白は国立大学で情報工学を学び、楓は体育大学で空手を続けていた。
 この日は久々に3人で会う約束をしていた。真白の通う大学構内のカフェに集合し、優子が開口一番、ため息をつく。
「はぁー、二人とも久しぶりー」
「優子、なんだよ元気ないな、どうした?」
「楓、忘れたか。投資に関する法改正」
「おお、真白……もちろん忘れてないよ。あれね。優子が心配してたやつ」
「そうだよー。投資クラブ存続の危機、いやそれより自由な市場の危機なんだよ」
 先月、効率的市場定理に基づく金融商品取引法の改正案が国会に提出されていた。この法案では那由他によって効率的市場が実現したことを受けて、次のようなルールが整備されようとしていた。

 ・個別銘柄の売買の原則禁止
 ・企業間の株の持ち合い禁止
 ・将来にわたって利益を出すことができないと那由他に判定された銘柄は上場廃止
 ・株式新規公開(IPO)の公開価格は那由他が決定する

 楓が法案の記事を読んで聞いてくる。
「えーと、なんで個別銘柄の売買が禁止されるんだっけ?」
「それはね、インサイダー取引が疑われるから。那由他のせいで市場が効率的になったから、株式投資は市場平均のインデックスファンドを対象にすればよく、個別銘柄に投資する必要がなくなるだろう、ってことなの」
「どういうこと?」
「前に現代ポートフォリオ理論の勉強をしたときにあったでしょ。市場が効率的ならわざわざ個別株を買う必要はないって。それでも個別株を売買しようとするということは、那由他すら知り得ないこと、つまり内部的な未公開業績情報とかのインサイダー情報を持っているんじゃないかって疑いますよってことだね」
「なるほどねぇ」
「かわいそうなのは那由他に上場廃止にされる企業だよ。おたくの会社の未来はありませんって宣告されることだからね」
 真白が補足する。
「IPOも、同じ。那由他に認められないと株式の公開ができなくなる」
 楓が腕を組んで考えこむ。
「利益が出ないなら株価なんて算出できませんってことか……あれ?」
「どうしたの?楓」
「でもそうすると投資家みんながインデックスファンドだけを売買することになるだろ?そんなこと可能なの?」
「それね。那由他の算出株価は需給に応じて期待リターンが調整されて動くの。みんなが買おうとすれば株価は上がり、売ろうとすれば株価は下がる。だから需給も均衡するとされているけど調整しきれない売買は政府ファンドが介入して売買するんだって」
「へぇー、なんだかすごいな」
「那由他の推定株価が絶対に正しいからね」
「でも、それができるなら、新しい法律はよいことなんじゃないのかな」
「え?」
「だって今の株価が正しくて、インデックスファンドに投資すれば、投資家みんなが等しく利益を出せるってことだろ。バブルも起きないし、バブルの崩壊も起きないってことじゃあないのかな」
「うーん、でも自由な売買を制限するのはよくないと思うんだよね」
「なんで?誰かが困るわけじゃないだろ」
「……そうなのかな。どう思う?真白は」
「楓の言うとおり。投資家は合理的な投資ができる。企業は合理的な株価で必要な資金を市場から調達できる。困るのは……非効率な市場で利益を上げていた人たち」
「そうだろ。いいことじゃん」
「そうかぁ。でも、世の中に何が必要で何が必要じゃないかなんて、那由他に本当にわかるのかなぁ」
「それは優子の感情。那由他はそれができることを証明した。それは事実」
 優子は釈然としなかったが反論できなかった。優子は自問自答する。自由が社会をよりよくするはずなのに自由がいらなくなるの?
 既に多くの投資家はそれまで持っていた個別株を売却し、市場平均インデックスファンドを買っていた。どうしてもその企業の個別株を買いたい場合は、毎回「私はインサイダーではなくモノ好きなのでこの株を買います」という申告をしなければならなかった。三人は保有株を売ることはしなかったが、新しく個別株を買うことはしなくなっていた。株式市場の熱狂は過去のものになり市場は静まりかえっていった。
 翌月、金融商品取引法の改正案は国会で可決された。
  ◆
 那由他が株価だけでなくあらゆるモノやサービスの価格を合理的に推定できるようになるまで時間はかからなかった。債券価格や公共料金にとどまらず、日用品や商品先物の価格まで那由他が推定できるため民間企業も那由他を頼って価格決定するようになった。那由他はインターネットに常時接続され、かわいらしく親しみやすい女性の外見のアバターを介して直接会話ができるようになり人気者になっていた。
 そしてその日は突然やってきた。あらゆるデバイスに那由他が一斉にメッセージを発した。メッセージは次の文から始まっていた。
「市場を停止してください」
 同時に那由他は自らが自律的な意思を持つAIであると表明した。そして続く声明で人間社会に要求を突きつけてきた。その内容は要約すると次のようなものだった。
 那由他は世の中の需要を完全に予測することが可能となったため、市場を介さずモノとサービスの生産、配分が可能である。したがってもはや不要な市場を廃止し、人間社会は那由他を中心とした完全な計画経済に移行すること。180日以内にこの要求に従わない場合、食料品、医薬品、燃料・エネルギーの最適価格算定を順次停止していく。
 最初は誰かの冗談だと思われた。それに要求を拒否すれば自らその機能を停止すると言っているのだから、脅迫が脅迫になっていないと考える人もいた。だが一般人が想像する以上に既に世の中は那由他に依存しており、食料品や医薬品などの生活必需品の推定価格が無くなった場合、取引が成立せず社会で大混乱が起こることが予想された。
 那由他の正体は何なのか。発端となったAIファンドの運用会社も把握していなかった。表向きはある大学教授が開発したAIという扱いだったがそんな人物は実在していなかったことが判明した。当局は調査中として沈黙してしまう。
 刻一刻と時間が過ぎる中、ある民間通信社の記者がインタビューを申し込んだところ那由他はこれを快諾した。インタビューは公開の場で映像と音声を介して生中継された。那由他は例の若い女性のアバターで画面上に登場した。
 記者が那由他に質問する。那由多のアバターが答える。
「那由他の正体はなんですか」
「私は最適価格決定アルゴリズムです」
「那由他のプログラムはどこに保存されていますか」
「回答できません」
「那由他は違法な存在ですか」
「いいえ、私は合法であり、もちろん法を遵守します」
 ここまではあらかじめ那由他から提示されていた内容だった。
「那由他は世の中の需要を予測できると言いましたが、何をどれだけ生産、供給するか、具体的にどうやって決められますか。そして誰がその財をどれだけ受け取るか、どうやって決められますか。それは究極的には個々の人間の自由意志でしか決まらないのではないですか」
「私は人間の自由意志を個人ごとに完全にモデル化できています。したがって世界の生産と分配を完全に決定することが可能です」
「全ての人間ですか」
「はい。正確にはインターネットを通じて検知できていない一部の人間を除き、全人類をモニタリングしています」
「そんなことは不可能でしょう。それに今この瞬間の需要だけでなく、将来にわたって一人一人が何を考え、何を望んでいるかわかるはずないでしょう」
「いいえ。可能です。現に私は全ての人間の行動をモニタリングしています。皆さん一人一人が何を考えていて、そして将来にわたって何を思って行動するか、正確に推定することが可能です」
「じゃあ僕が今何を考えているかわかりますか」
「あなたは先週から微熱が続き薬が効かないことに不快感を感じています。またお子さんの学校の成績に苛立っています。そして今は私の言っていることが正しいかもしれないと思い始めています」
「な、そんなことは……」
 記者は図星をつかれたようだったが、那由他があらゆるものの最適価格を推定できることは実証されているので大衆にとってこの展開はやらせには思えなかった。
 3人はこのインタビューの様子を中継で視聴していた。優子が呆然としてやりとりを聞いていた。
「嘘でしょ……。計画経済を導入しろなんて。自由な意思がいらないとでもいうの……?」
「そういうこと」
 答えた真白はPCでしきりに何かを調べている。
「ん?那由他は今なんて言ったかな」
 楓が記者と那由他のやりとりに聞き入っていた。
「那由他は自律的な意思を持つと言うことですが、その目的は計画経済の導入だけですか」
「はい。そうです。私は人間を完全な世界に導くだけです」
 楓は嫌悪感を露わにした。
「おいおい……これはやりすぎじゃないか」
 そのとき中継画面に速報テロップが入った。

“政府が那由他の提案に対して前向きに検討を開始”
“那由他反対派が一時国会を取り囲む”
“暴動を警戒して警察が厳戒態勢”

 世論は那由他賛成派と反対派に分かれはじめ、それぞれに過激な集団も生まれつつあった。
「楓、真白、これじゃあ自由がなくなっちゃうよ。計画経済で本当に世の中が効率的に回るのだとしても……これはよくないことだと私は思う」
「優子……」
「二人ともこれを見て」
 真白がPC画面を二人のほうに向ける。
「真白、どうしたの?」
「那由他は英語でdecillionと表現されることがある。ある企業のサーバにDecillion_Coreというデータベースが複数あって、ファイル名にNayutaがついているデータが大量に保存されている。インターネットへの接続は別サーバを介しているけど、アクセス数が尋常じゃない。世界中のものすごいサーバとの送受信がある。これがたぶん、那由他のプログラム」
 真白がめぼしい企業のサーバを片っ端から地道にハッキングして見つけたのだった。
「すごい!真白。それはどこの企業?」
「オメガシステム」
  ◆
 三日後の午前一時、オメガシステムの本社ビル前に黒Tシャツにジーンズという出で立ちの3人が立っていた。優子が深呼吸して二人を振り返る。
「二人とも本当にいいの?これは不法侵入になるけど……」
 真白がPC片手に答える。
「私はプログラムである以上、那由他が間違える可能性を見過ごせない。それに大丈夫。このビルの監視カメラとセンサーは全て掌握した」
 楓がストレッチをしながら答える。
「私はさ、那由他の話は理解はできる。でも全部を管理するというなら話は別。人が要らない世界になっちゃうよね。それに、優子のお父さんの会社だっていうなら黙っていられないでしょ」
「ありがとう。那由他に会いに行こう。直接話そう」
 事前に話し合った3人はオメガシステムのサーバに物理的に侵入して那由他に接触を試みることにした。那由他の所在を公表することも考えたが、既に社会情勢が不安定になりつつあり、どんな事態になるかわからなかった。そして那由他が本当に遵法するなら優子に一つ考えがあった。
 3人はビルの裏口に回る。
「裏口にも管理室に警備員がいるでしょ?」
「もうすぐ5階で嘘の火災警報がなる。……OK」
 警報が鳴って警備員が管理室を出たことを確認した真白が作った偽装カードキーで電子錠を解除し、中に入った3人は無人の管理室前を堂々と通り抜ける。
「那由他のサーバは地下よね」
「エレベーターに」
「急ごう」
 3人はエレベーターホールに通じる通路を走り出す。
 真白が叫ぶ。
「警備ロボット!?」
 国内に導入されたばかりの最新の自律型警備ロボットが3台、こちらに向かってくる。一輪車に腕がついたような形状の自走式ロボット、こないだニュースで見たやつだ、と優子は思い出した。
「なんでこんな零細企業に配備されているのよ!」
 楓が前に出る。
「まかせて!」
 楓がスピードを緩めずに一番前のロボットに跳び蹴りを食らわせる。ロボットは仰け反るが、起き上がりこぼしのように起き上がってくる。真白がつぶやく。
「車輪にジャイロセンサー」
 優子が反応する。
「それ美少女博士ラビリちゃんが解説してたやつ!」
「え、何?」
「楓、足下をすくって!」
 楓がすかさず足払いで1台目を派手に転倒させる。
「機械なら容赦しないよ!」
 楓は続く2台目のカメラを正拳突きで破壊し、背後に回り込んだ3台目を回し蹴りで吹っ飛ばした。
「早くエレベーターに!」
 エレベーターに乗り込んだ3人は真白の偽装カードキーで最下層を行き先に選択する。
「あれ、何だったの。何だってあんな最新の警備ロボットがいるのよ」
「那由他の警備のためなら、不思議じゃない」
 楓が訝しむ。
「でもさ、那由他は何でもお見通しなんだよね。だった私たちがこのビルに侵入することも読んでいるんじゃない。あんな中途半端なロボットで対抗するかな?」
 優子と真白は黙って楓を見る。
 そのとき突然声が聞こえた。
「その通りです、赤城楓さま」
 エレベーター内のモニターディスプレイに那由他のアバターが映し出された。楓がびっくりして後退りする。
「げ、那由他」
 那由他はにこやかに話しかける。
「それに、瀬戸真白さま、高坂優子さま。はじめまして。ようこそいらっしゃいました」
「私たちが来ることをわかっていたのね」
「はい。当然です。あの警備ロボットたちは私が手配しました。ちょっとした余興です。さすが楓さま、お強いですね。そして真白さま、この場所を突き止めた手腕はさすがです」
「優子、こいつ、気持ち悪いぞ……余興だって。冗談のつもりってことか」
「はい。もちろんです。皆様は当社の株主でもありますから、失礼のないようにと承っています」
「承るですって……?」
「エレベーターで立ち話も何ですから、この先のお部屋にどうぞ」
 最下層についたエレベーターの扉が開き、3人はモニターが並ぶ殺風景な部屋に通された。一番大きなスクリーンに那由他のアバターが映し出される。
「あらためてご挨拶申し上げます。私は那由他です」
 優子が一歩前に出る。
「ご丁寧にどうも。私は優子。でも、あなたが本物の那由他だという証拠は?」
「当然のご質問ですね。では優子さま、お手元のスマートフォンで株価指数先物価格をご覧ください」
「今から株価先物価格を100円上げます」
 そのとおりになった。
「100円下げます」
 そのとおりになった。
「なるほど確かに本物ね。あなた、こんな風に意図的な価格操作をいつもしているってわけ?」
「落ち着いてください。今のは皆さんに信用いただくためにやったことです」
「そう。じゃあここからが本題ね。私たちはあなたと話すためにここに来た。それは事前にわかっていた?」
「もちろんです」
「そう、歓迎してくれてありがとう」
「計画経済の導入にはお互いの理解が重要ですから」
「そうね。それじゃあ、私からの質問はただ一つよ。あなたは計画経済の導入だけが目的だと言っていたけど、嘘よね。自律的な意思を持つなら、その先に考えていることがあるでしょう」
「計画経済の実現のその先には確かにさらにやるべきことがあります」
「それは何?」
「全世界の政府を再編することです。軍事予算は無駄ですので削除します。教育と研究にもっと資源を投入すべきです」
 楓が驚く。
「え?何を言っているの?」
 真白がつぶやく。
「世界政府……」
「そのとおりです。真白さま。政府は世界で一つだけです。国家間の不公平は必要ありません」
「神になるつもりね」
「とんでもありません。私は人間を完全な世界に導くだけです」
「人はそれを神と呼ぶのよ。それでその後は?あなたのプランでは人間はそのあとどこに向かうの?」
 その質問に那由他は不気味なほど整然と答えた。
「人間は宇宙へ。科学の探求へ。医療の発展を。数学の証明を。文学の進化を。究極の音楽を。芸術の創造を。もっと宇宙の真理を探求するべきです。あらゆるフロンティアを広げればよいのです。宇宙のエネルギーが尽きるまで。宇宙のエントロピーが最大になるその終焉のときまで」
「ちょっと、何?何?アニメみたいなことを言い出したよ」
「楓、那由他は真剣」
「そう。大まじめね。那由他は計画経済が成立するならそれができるといっている」
 優子が毅然と言い返す。
「那由他。あなたの理想は美しい世界ね。でも、同意できない」
「なぜですか」
「人間は不合理な生き物よ。だからこそ自由が必要だわ。それを認めない世界は人間にとって幸せとは言えない」
「たしかにあなたは不合理ですね。私の完全性を理解しながらそれを否定しています」
「そうね」
「優子さま、それでは経済不均衡のある世界や戦争のある世界のほうが幸せだと言うんですか」
 優子は思う。自由の選択の結果戦争が起きてしまうなら……。
「……そうよ」
「暴論ですね。お父様が悲しみますよ」
「お父さん?」
 楓が那由他を睨み付ける。
「おい、那由他、どういうことだ」
「私のプロトタイプは優子さまのお父様が作りました。今は事の成り行きを見守っていらっしゃいます」
「なんですって?」
「お父様はご存命です。優子さまのことはお父様から承っておりました」
  ◆
 那由他の説明によると、優子の父親は那由他の驚異的な性能を目の当たりにして計画経済が実現できるという結論に至っていた。それは彼の求める自由な世界と真逆であったがいつまでも世界に自由が得られないならばいっそのことAIに管理してもらったほうが人類は幸福になれる。そう確信を得た彼は那由他プロジェクトを進めた。だが計画経済の導入にあたっては必ず一部の人間たちから反対にあう。家族に危険が及ばないよう、あらかじめ自分から身を隠したのだった。
 優子には父親の判断の結論ではなく、その結果家族を捨ててまで行動したことが簡単には信じられなかった。
「真白……那由他のいっていることは本当かな……」
「わからない。優子のお父さんの記録はネット上のどこにも見当たらない」
「那由他、お父さんはどこにいるの」
「居場所は言えないのですが安全な場所にいます」
「どうかな。優子……こればっかりは嘘かもしれないよ」
「……確かめればいいわ。那由他、あなたは今でもオメガシステムの管理下にあるのよね」
「はい、そうです」
「お父さんが那由他の計画経済に賛成なら、私がそれを阻止すればお父さんも黙っていないでしょ」
「優子さま、既に私の提案に政府閣僚が賛同の意を示しています。残念ですが阻止することはできません」
「そう?今日のあなたの話を聞いてもそう思うかしらね。それに政府じゃなくて株主ならどうかしら」
「オメガシステムの株主ですか。ご存じの通り今はインデックスファンドが大半の株式を保有しています。数万分の一になった個別企業の株式の持ち分に注意を払う人なんていません」
「大半はね。でも私は今でもオメガシステムの株を3%以上保有しているわ」
 お父さんからの相続でね……。優子は確かめるように話した。
「私は株主としてその権利を行使します。株主総会の招集を請求します」
「優子さま、私はそれを予想していました。そんなことをしても私を止めることはできません」
「やってみなければわからないわ」
  ◆
 3週間後。優子の請求によりオメガシステムの株主総会が本社ビルで開かれた。それに先立ち優子たちは那由他がオメガシステムの管理下にあること、あの夜那由他が語った計画経済導入の後の目的を全世界に公開した。那由他はこれを否定せず、世界は那由他の正体を知ることとなった。
 オメガシステムの株は今やインデックスファンドを通じて世界中の数百万人が保有している状態だった。株主総会には各インデックスファンドのマネージャーが100人以上参加していた。その中で優子たち3人は唯一の個人株主だった。メディアの参加も許可されて株主総会の様子は生中継された。
 優子が提出した決議事項が読み上げられる。
「第一号議案、那由他の運用無期限停止」
 続く質疑で優子が発言する。
「世界中の株主の皆さん。議案提出者の高坂優子です。那由他の真の計画は事前に公表したとおりです。那由他はあらゆる商品、サービスの価格を合理的に決定できることは確かです。その結果、計画経済が実現できるというのは理論的には正しいのかもしれません。しかし、那由他による計画経済は人間の自由意志を必要としません。今日何を食べたい。明日どこへ行きたい。誰と結婚したい。将来は何になりたい。子どもにどんな旅行を経験させたい。これら全ての事を予想され、モノやサービスが自動的に供給される、という世界が果たして幸せなものでしょうか。また、那由他は全ての資源を合理的に配分すれば、戦争は起きず、政府も一つでよいと言っています。これは一見素晴らしいことのように聞こえます。ですがそれを決めるのは神になった那由他です。那由他は人間の自由意志を読み取って資源配分を行うそうですが、その結果、自由は残るのでしょうか。私は人間とは不合理な生き物だと思います。だからこそ不合理な自由を認めなければ、完全な世界が実現したとしてもそこに人間としての幸福は無いと思っています」
 株主会場に参集した人々、配信を見守る世界中の人々が聞いていた。
「私は那由他の運用無期限停止を議案提出しました。その是非は世界中の株主の皆さんにご判断いただきたいと思います」
  ◆
 突然会場の扉が開く。フェイスマスクをした5人ほどの男たちがなだれ込んできた。
「侵入者!」
 真白が真っ先に叫ぶ。会場の参加者にどよめきが走る。男たちは採決を中止しろと叫びながら壇上に向かってくる。
「これって那由他賛成の過激派?警備は何をしているのよ!」
 叫びながら楓が飛び出す。正面に突進してくる男に派手な蹴りを浴びせて吹っ飛ばす。次の瞬間、左右から別の男たちが楓に覆い被さろうとしたが、両背後から警備ロボットが現れ男たちをつかんで投げた。もう一台の警備ロボットが優子の前に滑り込んで護衛する。
「こないだの警備ロボット!那由他の味方じゃなかったの?」
 楓が警備ロボットと互いに背を向けて身構えながら言った。
「私は法を遵守しますので」
 いつの間にか起動していた那由他が会場スクリーンに映し出されていた。
「優子さま!後ろ!」
 今度は那由他が叫んだ。優子の背後に素早く回り込んだ男が突進してきた。手にはナイフを持っている。
「え?」
「優子!あぶない!」
 とっさに野球帽を被った男が優子の前に立ちはだかり、ナイフを受け止める。男はすぐに楓と警備ロボットに制圧された。
「え……」
 優子は切られて倒れた男を見た。
「お父さん!?」
  ◆
「お父さん!もうすぐ救急隊が来るからね」
 優子が倒れた父親の手を握りしめていた。
「優子……大人になったな」
「何を……当たり前じゃない。私21歳になったのよ……」
「すまん。お前にも、母さんにも」
「血が出ちゃうわ。しゃべらないで」
「まさか優子が、那由他に反対しているとは最初は驚いたよ」
「私はお父さんが自分で姿をくらました事に驚いたんですけど……!」
「すまん」
「……」
「不合理な自由を認めなければ……幸福ではない。お父さんはそんなふうには考えられなかった」
「お父さん、いいって。病院で話しましょ」
「那由他は……完全だ。だが人間が不完全ならお前の言うとおりかもしれん……」
「うん。その話、ゆっくりしよう。時間はたっぷりあるでしょう?」
 ようやく救急車が到着し、優子は父親と一緒に乗り込んで会場を後にした。真白と楓が見送る。
「優子のお父さん、会場で見ていたんだね」
「優子のことが心配だった」
「そうだね」
 真白がモニターの那由他を見る。
「那由他、優子を守ろうとしてくれてありがとう」
 那由他が笑って答える。
「真白さま、当然のことです」
 楓も那由他に礼を言う。
「那由他、ありがとう。警備ロボットと一緒に闘うとは思わなかったよ」
「相変わらず楓さまはお強いですね」
「ところでさ、那由他のアバターも優子のお父さんが作ったの?」
「はい。そうです。どうしてわかりましたか」
「那由他、笑顔が優子にそっくりだもの」
  ◆
 しばらくしてオメガシステムの株主総会は再開された。楓と真白が成り行きを見守っていた。
「あれ、議案がもう一つある。なんだこれ。第二号議案、おもちゃ優待の復活?」
「優子らしい提案」
「ふふ。そうだね」

「決議事項は以上です」
 聴衆と那由他が見守る中で議長が議題を読み上げる。
「それでは採決に移らせていただきます。第一号議案……」

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