遥けき鳥のこだま

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遥けき鳥のこだま

 タキニは夕日の沈む山並みを見ていた。彼が住むハナクの山村、その村外れ。心に悩みがある時、そこから険しい山々を眺める。彼がまだ九つだった三年前に父と祖父を亡くしてからの習慣だ。

 キュエー

 深い藍色の影が空をよぎった。霊鳥アプアプ。その鳴き声は死者の魂を天へ導くと伝えられる。彼の家族は、その美しい藍色の羽を採ろうとして亡くなった。
 タキニは大きく息を吸いこむと、声を張り上げた。父と祖父を悼む歌。ハナクでは故人を歌で弔う。その人の成したこと、生きた日々を歌にして、天へ昇る魂の供物とする。
 しかしタキニはすぐに咳こんでしまった。
 こんなことではいけない。タキニはうっすら浮いた涙を拭う。村長むらおさでもある曾祖父は、父たちのために七日七晩歌い続けたというのに。
「歌の練習か、タキニ」
 振り返るとムスクルが立っていた。随分前に山を降り、麓の街ウーラで暮らす青年だ。今でもたまにハナクまで遊びにくる。
「どうしたの、こんな日暮れに」
「いや、そろそろケパカヤの儀式だろう。ここに来れば会えると思って」
 ケパカヤの儀式。それは新しく村長に就く者が受ける通過儀礼。
 村長が亡くなる時、次の村長はこれまでの村長全ての人生を繋げ、村の歴史を歌う。ハナクの村が拓かれて二千年、代替わり毎に付け足され続けたその歌は、あまりにも長い。そのため今では先代の生前から歌を捧げるようになった。それがケパカヤの儀式だ。前回は五百日以上かかったという。
 今の村長も、もう齢九十を超える。その曾孫で、村長の血族であるタキニは、次の満月の夜から儀式に臨まねばならない。
「僕にはやっぱり無理だよ」
 父が、祖父が、生きていてくれたら。三年前からそう思わない日はない。
 長い長い歌は、体力的にも精神的にも負担が大きい。休むことは許されず、食事はわずかな芋の粥で息継ぎの合間に済ます。排泄は世話人が処理してくれるが、睡眠はろくに取ることができない。それが五百日。子供の自分に務まるとはタキニはとても思えなかった。
「なら、ウーラのやり方を試してみるか」

 二千年前から変わらぬ暮らしを送るハナクと違って、ウーラの街は何もかもが新しい。機械が人の代わりに何でもやってくれる、とムスクルは語る。一方で、山から降りた人々の中にはハナクの風習を続ける者もいるという。
「でも自分で歌うやつなんかいない。それも機械にやらせるのさ」
 二人は村長の歌が収められた洞窟を訪れた。古くは石板に、あるいは荒く編まれた草の繊維に、先祖たちの歌が記されている。ムスクルが板状の機械を石板にかざすと、不意に機械が歌い始めた。どこかタキニに似た声で。
「こいつを代わりに歌わせるんだ。倍速だってできる。どうだ、試してみるか」
 それから二人は次々と機械に歌を覚えさせた。日毎夜毎、機械が先祖の歌を覚えるにつれて、しかしタキニは心が沈んでいくのを感じた。
 そして洞窟の中のほとんどの歌を機械が覚えてしまった頃、タキニは村外れに向かった。

 キュエー

 アプアプが宙を舞う。連峰に日が落ちる。
「タキニよ、何をしている」
 重く響く声は村長だった。長い藍色の外衣を引きずってくる。
「山を、いえウーラを見ていました」
 麓は遠く離れているのに、燦然と輝くウーラの街灯りはハナクまで届く。自分の村と比べて、タキニは惨めな気持ちになる。
 ハナクは貧しい。畑で取れる穀物と芋、そして家畜の乳が生活の全てだ。わずかに貨幣と交換できるのは、アプアプの藍色の羽が編み込まれた村特産の織物。その羽を断崖に作られた巣から採る仕事は、大の大人でも危険が伴う。タキニの父と祖父が命を落としたように。
「ハナクはこのままでいいんでしょうか」
 良くないに決まっている。ウーラを見習えば、生活も豊かになって、危険な仕事をしなくて済む。先祖の歌だって機械に歌わせればいいはずだ。なのになぜ、こんなに心がざわつくのだろう。
「村を変えたいのなら」
 ふさふさとした眉毛から覗く目が細まる。
「お前が村長となって、変えるがいい。だが忘れるな。我らハナクの民。その魂は先祖の魂と繋がっている。その心を見失ってはならぬ」

 キューーエーー

 ムスクルが物凄く早回しにした機械の歌は十秒もかからずに終わった。まるで死にかけたアプアプが叫んでいるようだった。
「こんな歌じゃだめだよ」
 ハナクが変わらねばならないとしても、父と祖父の生き様を、こんな紛い物で済ませるわけにはいかない。
「僕が自分で歌う。僕はハナクの子だから」
 ムスクルはにやりと笑った。
「そう言い出すと思っていた。だが、その前にタキニはもう少し歌を練習したほうがいい。ひどいものだ」
 ムスクルは機械で録音したというタキニの歌を聞かせた。この前、村外れで歌っていた時のものらしい。タキニは悶絶した。
 まずは歌の練習。そして体力作り。何よりハナクの未来を考えること。
 タキニのやるべきことは山積みだ。

文字数:2007

内容に関するアピール

 先日、実家で法事があって親戚が集っていたわけですが、お経の長さが話題になる中で、うちのとこのお坊さんは頼めば巻きで終わらせてくれる、と言う人がいました。そんなんでいいのか、と思いつつ、丁度その頃この話を考えていたので、不思議にリンクするものを感じました。
 歌葬の風習を持つ部族がいて、その歌が馬鹿みたいに長くなったら面白かろう、と思って考えました。同時にその対極として、馬鹿みたいに歌を短くする技術、というのを配置してみました。かなり簡単に書くと、
〈長い歌〉…古い習慣、貧しさ、信仰
〈短い歌〉…新しい生活、豊かさ、不信心
というような対比を通して、その間で揺れ動く少年の心理を描ければと思います。

文字数:298

課題提出者一覧