梗 概
薄明を編む魔女たちへ
●ログライン
実在の社会問題が先鋭化した架空世界で、未来から過去に送り込まれた三魔女が世界改変能力を行使し、人類を救済したり、破滅させたりする物語
●物語の概略
魔女達は三体の姉妹で、人類の破滅を防ぐ目的で未来から2027年に送り込まれる。彼女らは世界改変(精密で膨大な計算の上、特定のミクロな事象に干渉して人工的なバタフライエフェクトを起こす“魔術”)と不老長寿、人間の精神と肉体を模擬する能力を有す。全員が人間社会に潜り、二十年の間、社会や環境を観察。世界改変に必要な演算を蓄積する
二十年毎に一度、薄明の時と場で姉妹は世界を改変するが、最終的な世界改変の決断を姉妹で合意のうえで下す必要がある。合意に至る過程で、毎回、考え方や優先順位が対立し、諍いが起きる。一章ごとに世界は姉妹の干渉を受けるが世界は必ずしも理想郷に近づかず、姉妹が目指す未来に到達し、自分達を設計したのが自分達であると気付くまで、人類社会は次々に重大な社会問題に直面していく
●メインテーマ
人間の対立する主張の双方に絶対の正解はなく、社会の理想像創出と現実の乖離が繰り返し起こる様を浮き彫りにすることがメインテーマ
現実世界で存在する見かけ上の対立概念や矛盾に折り合いをつけた社会の姿を創出する試みを、世界改変を巡る長女と三女の諍いを次女が収めるという騒動の中で描写してテーマを浮き彫りにする
●サブテーマ
社会の危機を衝突しながら克服することでの三姉妹の成長がサブテーマ
魔女の三姉妹は人間を超えた情報処理と意思伝達の能力を持つが、知性と精神は人間に近く、二十年に一度、通常の人間と同じような喧嘩と和解を繰り返し、成長する
●魔女達
・長女:知性と支配の夜 。才色兼備で理知的。冷笑的なバリキャリ
・次女:自由と混乱の陽 。純真無垢で野性的。活動的なギャル
・三女:調和と怠慢の夕 。温和で平和主義。優柔不断な陰キャオタク
●物語の展開
・一章 黎明:姉妹の最初の干渉で戦争は回避され、知の外部化技術が肥大化。人間の知能は低下。太陽フレアで全電子機器が文明ごと崩壊。姉妹は戦争遺物のシェルターで反省会
・二章 狂乱:急激な復興で、精神主義と物質主義、運命論と自由意志など多様な主義・思想が乱立。姉妹は各々が気に入った陣営の代理戦争に没頭し疲弊
・三章 絢爛:自然・芸術・科学等を再興する集団が対立。社会は高度化し不安定に。姉妹は人類の育成方針で喧嘩
・四章 公正:主義の壁で区分けされ安定した世界の境界を、夕を追って彼女の元彼が破壊したため姉妹で粛清
・五章 決裂:姉妹が仲違い。各自で国家を樹立するが、悉く崩壊して仲直り
・六章 無形:姉妹は思想や主義を捨て人類に正体を明かすが、反逆されて能力を喪失
・七章 薄明:姉妹が目指す未来“薄明”に到達。自身を設計して過去へ送り、能力を継ぐ娘達を創り、共に世界を編み始める
以上
文字数:1200
内容に関するアピール
この小説が売れる(だろうと見せるために設計した)点は以下です。
・普遍性と特異性を両立するテーマ
実在の社会課題を先鋭化した内容で、読み手の理解と感情移入を促し、メッセージのエッジを立たせる
・流行をおさえた舞台
主要トレンドであるディストピア、歴史改変、時空超越、ポストアポカリプス、滅びと希望等を物語に盛り込む
・明快で魅力的なキャラ
あえて極端なステレオタイプ女性を、人間ではない魔女達に演じさせることで、社会における「あるある」な状況や感情への共感と、それを一歩引いたメタ視点から見た際のアハ体験を入れ込む
最後に、売れる十分条件を満たすための設計として「映像化に適した舞台とキャラ、演出の盛り込みやすさ(魔女、魔術、姉妹……等)」を重視しました。
メディア展開やキャッチーなイラスト前提の小説の方が明らかに売れそう、という計算に基づいてのことです。
よろしくお願いいたします。
文字数:387
薄明を編む魔女たちへ ~バリキャリ ギャル オタの天地創造~
第一章:黎明
◆
帰宅ラッシュの電車で乗客達の隙間から窓の外を見ていると、列車が急減速し、パラパラと降っていた雨の雫が空中に縫い留められるように動きを止めた。
周囲の会話や騒音も一斉に消え、ごく低音のノイズだけが聴こえるようになった。
夕(ゆう)は、周囲の様子を観察した。
何の変哲もない混雑する電車内は、日本のありふれた風景と言えた。
中年サラリーマンが退屈そうに手元の情報端末を覗き、就活女子はパンプスを半分脱いで気怠い表情で座席に座り、大学生くらいのカップルが声を潜めるように顔を近づけて笑いあっている。
そんな人々に挟まれ、リュックを体の前で抱え、スーツケースを精一杯車両の端に寄せた自分の姿が窓ガラスに映って見える。
どこにでもいる地味で気弱そうな二十代の女だと、あらゆる人が思うだろう。
そんな自分の顔がこわばり、瞳が揺れていることに気づいて、夕はゆっくりと目を閉じた。
再び目を開くと、電車は変わらず一定の速度で走り、雨は夕刻の曇天から零れるように降り続けていた。
十年ごとの周期が近づくと度々生じる発作だ。自分の身体を構成する様々な器官が加速し、大量の情報を処理する準備に入りつつある証拠だった。感覚器官から繋がり、全身に走る人工神経網を大量の情報が行き交い、脳内を構成する光量子デバイスが高速処理を始めたのだと分かった。
姉達も今頃、同じような現象に悩んでいることだろう。夕たち姉妹は、同じバイオリズムと同じ使命を帯びて生きている。
――お姉ちゃん達、元気かな。
夜と陽。二人の姉たちに十年ぶりに直接会えるのは、やはり嬉しい。
長女である夜姉(よるねぇ)はいつも忙しそうにしているから、連絡を取ることは気が引ける。
夕が深夜アニメに興じている時も仕事をしているらしい夜姉だ。他愛ない連絡をするのは罪悪感があった。勿論、仕事は夜が好きでやっていることなので、夕が気にすることではないと理屈ではわかっているのだが。
次女の陽姉(ようねぇ)は常にあちこちを飛び回っているから、連絡がつかないことも多い。真面目なしっかり者の夜と違い、陽は奔放で活動的だ。いつもあちこちの国を巡っていて、どこかに留まるということを知らない。
そんな二人は、会えばいつも衝突する。
十年前に高速通信で会話した際には、人類の健康寿命を延ばすべきか否かについて激論をかわしていた。確か、多能性幹細胞のアンチエイジング応用についてだった気がする。
結論がどうなったか、記憶が薄れてしまったけれど……
日本は健康寿命が世界一の国であるはずだが、電車に乗っている人達は皆、少し疲れているように見える。十年前の選択が正しかったのか、そもそも夕達の能力はそんなに大それたものなのかと疑問がわいてくる。
――また喧嘩するんだろうなぁ、お姉ちゃん達。
喧嘩の度に仲裁をするこちらの身にもなってほしい、というのが夕の正直な気持ちだ。
再会を嬉しく思う気持ちと面倒ごとを解消しなくてはならない憂鬱な気持ちが綯い交ぜになったまま、夕は電車を次々に乗り継ぐと、人もまばらなローカル線を使って、東京郊外を横切っていく。
途中、何度か発作が起こっては、その度に全身を光が駆け巡り、体内で|損失<ロス>を起こした光が熱へと変換されて、全身に発汗を促した。
熱い息を吐き、額に浮かんだ汗の珠を日暮れを迎えた田園風景が車窓を流れていくのを見ていると、何故か懐かしさが込み上げてきて不思議だった。
夕自身には田舎の農家にいた記憶も、野良仕事をした記憶もない。それどころか、米や野菜を血肉に変えたことすらない。
夕たち姉妹の身体は人間を模しているが、そのほとんどの器官が生身の人間を模倣した人工の生体素材だ。エネルギーは非効率な食物ではなく、光や熱や強い電磁気に直接触れることで補うことができる。
人類の食品に、身体的な理由で特段強い感情を覚える道理はないはずだ。
だから、もしかすると、夕を創り出した遠い未来の人々の記憶の中にも、田園の風景があったのではないか。それが何らかの形で、夕の潜在的な意識に刷り込まれたのではないか。
そんな妄想が沸き起こるから、この国の田園風景は好きだった。
旅荷物を抱えて目的地の駅で降り、夜が手配してくれていたタクシーに乗り込むと、ほどなく目的地に到着した。
周囲は闇に満ちていたが、学術研究機関の名前がいくつか掲示された標示が読み取れる。夜の自宅では電子情報の収集効率が悪いとは言え、遠かった。ゲートの向こうに聳える異様に大きく無機質な建物に、夕は溜息をつきそうになる。
夕でさえそう思うのだから陽は尚更だろう。
そう思った瞬間、当の陽が前方で何かを見上げているのが見えた。
見覚えのあるファーコートにデニムと黒のロングブーツを身に着け、データセンターの敷地内で何かを見上げているなんて、陽以外考えられない。入場ゲートで不審に思われなかったのかと不安になる。
陽が先に着いたのは知っていたが、中に入らずにこんなところで何をしているのか。
「陽姉」
声をかけると、ぱっと振り返った陽が夕を見て、笑顔で叫んだ。
「夕ちゃーん! 久しぶりぃ。元気だった?」
気遣っているわけではない。元気なことくらい、健全性情報を常に送りあっている夕たち姉妹は常に互いに把握している。
久しぶりの再会を喜ぶための挨拶なのだ。会話の内容ではなく、姉妹としてのコミュニケーションを全力で楽しむことを優先する陽の性格がそうさせているのだろう。
「何を見ていたの?」
「お月様だよぅ。先週までシドニーにいたから、ほら、向きが違うでしょ?」
あっと思う間もなく陽に握られた手を通して、彼女が見てきたいくつかの月の映像が、流れるように夕の視界に滑り込んできた。
月の大きな海が下に、明るい部分が上になった満月達。日本とは上下左右が確かに逆だ。
南極オーロラと一緒に広角で撮影された月。砂漠の遠雷と月。熱帯雨林の樹々の間に覗く月。そして、夜の海に浮かぶ月。
どの国でも変わらないのは空と月、太陽だけ。だから、月を見るのが癖になったのかも。そんなことを陽がいつか言っていた。
夕がそう思った瞬間、怒涛の如く映像が視界に流れ込んできた。人々が行き交い、笑いあい、泣き、倒れ伏す様子が眼前にあふれて、夕は咄嗟に陽の手を離した。
無数の映像は消え、呆然とした陽が目と口を見開いて、夕を見ていた。陽にとっても予期しないことだったのだ。この後、三姉妹で揃って行わなければならない情報の高速転送が、何の準備もなく、夕と陽の間で、迸るように起こっていた。
冷え冷えとした冬の風が、データセンターの建屋から吹き降ろしてきて、夕は身震いした。
勿論、寒かったわけではない。寒さで震えるような身体ではない。
『着いたなら、早く来なさいよ』
夕の頭に夜の呆れた声が、短距離通信として響く。
ごく近距離でだけ可能になる無線通信で久々に夜の声を聞いて嬉しくなる夕の眼前で、陽が首をすくめた。
恐らく、何か別のことを夜から告げられたのだろう。少し煩がるようなそぶりを見せた後、しぶしぶといった様子で反省した表情を浮かべると、陽は建屋の入り口に向かった。
夕は衝撃から立ち直ると、少し心が和むのを覚えて、陽に続いた。
◆
「なーんで、夜姉のウチじゃダメなわけ? 遠いんだけどココぉ。疲れたぁ」
夜が確保してくれていた部屋に入るなり、陽が文句を言い、部屋の中央に設置されたテーブルに手荷物を置いた。
勿論、三姉妹で最も運動能力が高い陽が疲れるわけはない。ただ文句をぶつけたいだけなのだろう。
この部屋の主に。
「この時代の通信技術じゃ、私達の高速演算や情報転送の速度に耐えられない。世界中の情報にアクセスしやすくて、セキュリティが脆弱な国というのは有難いものよ」
返事に反応して、ソファにだらしなく座った陽が首をぐるりと回し、部屋の隅の作業机を見やった。
そこに、クラシックな秘書然とした格好の夜がいた。
今日の彼女はタイトなダークグレーのビジネススーツに白のブラウス、銀縁眼鏡をかけ、ひっつめ髪にして、威嚇しているとすら思える釣り目メイクだ。全身で「私は秘書をしております」と主張しているかのようだった。
真面目な夜らしい。服装が、ではない。必要であれば本当は全く興味を持っていないファッションにも手を抜かないところが、だ。
「ふーん。なんかさぁ、日本ってマジメだよね。データセンターだからって、遊び心がないっていうか、殺風景で色がないもん。面白みがないよ」
陽が、部屋をぐるりと見まわして言った。
部屋は百平米近くはあるだろうか。正方形に近いその部屋には、三姉妹で囲んで余りある大テーブルとソファ、自作らしきデザインの三十台程のワークステーションが奥の壁面に沿って並び、壁に埋め込まれたモニターは全て消えていた。そして、隅の方に作業用のビジネス机と棚、椅子が置いてある。
それが部屋の中にあるものの全てだった。
ソファにふんぞり返る陽に、かつかつとヒールを鳴らして近づいた夜が言った。
「あんた、荷物それだけ?」
その視線は陽がテーブルに置いたバレンシアガのロゴが入った黒革バッグに注がれている。本物なのか模造品なのかは、見た目では分からなかった。
「そ。化粧道具くらいしか入れてなくてぇ。最近、食べるのもお風呂も、面倒でぇ。代謝機能、落としちゃってて……」
そう言ってから、しまったという顔をした陽に、夜が呆れた表情を向けた。
「前にも言ったけど、この時期はできるだけ人間らしく振舞いなさいよ。それが私達の務めなんだから。あんた、本当に化粧しか興味ないんじゃないの?」
「だって、お化粧しなきゃ、私達同じ顔でしょ。夜姉だってキャラ作りしてんじゃん」
陽はそう言って、目を釣りあげて、いーっとして見せた。
じっとりした目で、それを睨みつけた夜の視線に耐えかねたのか、陽が立ち上がる。
「わぁん、ゆうちゃーん、助けてぇ。鬼姉がいじめるよう」
芝居がかった台詞と共に夕の後ろに逃げ込んだ陽から、香水の甘い匂いに交じってスパイスのような香りが漂ってくるのを感じつつ、夕は夜に向き直った。
「久しぶりだね、夜姉」
「ええ、ちゃんと元気そうで何より。おかえり、夕」
そう言って、夜が、ふっと柔らかい笑顔になった。驚くほど自分に似て見えた。そして、後ろから笑顔で覗き込んでくる陽も、長い睫と派手なピアスが無ければ、夜と同じように夕と鏡写しなのだ。
――私達は、三姉妹で一つ。
夕の憂鬱な気持ちが少し和らいで、覚悟が決まった。
地獄の窯を覗き込み、かき混ぜるための覚悟が。
夜が壁面とワークステーションから引きずり出してきた大量のケーブルを周囲に置くと、陽が編み上げていた髪を解いた。
三人の周囲にざわりと全員の髪が踊り、音もなく床へと延びていき絡みあい、ケーブル類と結合していった。
ちりちりと、夕の皮膚の表面に電子と光の情報が乱舞し、三人の間を駆け巡ろうとしていた。
「始めよっか。魔女の仕事」
夕がそう発し、その両手を姉達と絡ませた。
光の洪水のような情報が三人の間で飛び交い、光の渦となって視界を満たしていった。
◆
夕の視界で、光が収束したかと思うと、一瞬で世界が生成されていた。
そこに広がるのは日本のデータセンター等ではない。遠い異国の地だった。
――陽姉が見てきた景色だ。
――そうだよぉ。
夕の内心の声に、陽がすぐさま反応する。意識を連結した状態の思考にまだ慣れていない夕の緊張した様子に、陽がくすくすと笑った。彼女はこうした意識の共有に躊躇いが全くない。
目の前に広がる街では、天頂近くから陽光が降り注ぎ、砂漠からのざらついた風を感じた。乾燥した熱い空気の中、長々とアッラーと預言者を讃え、礼拝を呼びかけるアザーンの声が空間を満たしている。
ここは、カイロ市街だ。近年になって空気が一段と澄んではいたが、喧騒は十年前に見た景色と変わらない。自動車は依然、排ガスを撒き散らし、人々は電子デバイスで大量の熱エネルギーを損耗している。
その様子を観察する感覚情報が、徐々に夕独自のものから陽と夜の感覚と同期していることが実感された。
思考だけが三叉に分かれたケルベロスになったような気分。同じものを見て、同じものを感じ、違うことを考える。まさに魔女の所業だと感じた。
目的の場所は市中心から離れたカフェだ。幾何学模様があしらわれたアーチ状の入り口をくぐり、奥に進むと、イスラム法の自主勉強会を開いているA・A大学の学生サークルが集合している。
ヒジャブを深く被った女学生数人と、浅黒い肌をした男子学生達だ。敬虔なムスリムに相応しい礼儀正しさと品格を兼ね備えた立派な若者達。
そんな彼ら彼女ら全員が一瞬、礼儀に反してこちらを見つめてくる。その熱量を正確にデータ化して記録し、最も強い興奮を、最も強い理性で抑えている一人を一瞬だけ直視する。男子学生の瞳に映るのは、褐色の肌に丸みを帯びた瞳、意志の強さを強調した太く優美な眉と、ヒジャブからほんの一房、急いで駆け付けたせいですと言うかのようにはみ出したウェーブのかかった黒髪。そして、緊張と恥ずかしさで上気した頬。
日本での陽とは似ても似つかぬ、インテリのエジプト美人だ
その情報が相手の視覚に届いたことを確かめ、こちらも目を伏せる。
遅刻を丁寧に詫びると、彼は短い挨拶の後、議論を始めると宣言した。
男子学生は、将来、整った髭で覆われるだろう顎のラインが女性的で、まだ世間慣れしていない瞳は幼く丸みがある。
――彼、カリム・アル・ハサンっていうの。男子学生のリーダーね。いい男でしょ。
――わざわざ色仕掛けの技を見せる気? 結論を先に見せなさいよ。
陽が思考で口を挟み、夜が苛立った声で返す。早速始まった、と夕は思い、宥めた。
――夜姉、最後まで続けようよ、ね。
議論の中心は、イスラム法における「公正」の解釈についてだった。コーランが唱えるアッラーの教えに含まれる「公正を守るべし」の言葉は、現実のイスラム社会において実現されているとは言い難く、解釈の正当化と不満の矛先探しに最適な議題と言える。
とは言え、あまりにも数多くこれまで取り上げられた典型的な議題ゆえ、ほとんどの参加者は礼儀正しいを通り越して平板な意見を述べ、様式美を踏襲するような議論にその場のほとんど全員から若干飽きているような気配さえ漂っていた。
休憩時間、カリムが次の議題について相談を持ちかけてくる。
「公正の議論において、これまで踏み込んでいないアプローチについて、意見はありますか?」
「そうですね。家族形態と経済格差の問題に関して、イスラム法の考え方をいかに適用して問題が解決できるか、という議題はいかがですか?」
こちらの言葉にカリムが怪訝な顔をする。純朴と言って良い好奇の視線に、未来の彼の姿が重なって見えた。
その目は血走り、額にはいくつもの瘡蓋があり、爆発の余波で生じた火傷が頬を覆っている。
「それは具体的にどのようなことを議題として指しているの?」
純朴な青年に戻ったカリムの敬虔さを失いかけた声に、そっと刃を差し込むようにして返した。
「例えば、婚姻と経済についてです。教育義務について規定されたシャリーアの文言は男女での差異を認めないにも関わらず、現実には部族や家柄によって結果的に女性の社会進出の度合いには差があります。その実態とイスラム法が示す原則の差異について、我々はどう理解すべきか、というような議論はいかがでしょう?」
――陽姉、大丈夫なの? こんなこと言って。
――えー、良いんだよー。彼の家は敬虔だけどめちゃくちゃ保守的な中産階級でさ。親父が超頑固なの。もともと農村から商売で小金持ちになった家だから尚更。
――要するに議論に見せかけた挑発じゃないの。『あなた、私と結婚できるの?』って話でしょ。
――そうともゆー。
カリムの頬が一瞬緩み、幼い敬虔さを取り戻して大きく視線を外すと、良い議論になると思います、と小さく返答した。
その瞬間、彼の顔面を覆うように未来の光景が|積層投影<オーバーレイ>された。
実家の束縛を振り切って、自由な婚姻を目指した彼は、学生時代に出会った恋人候補の女性を追いかけ、新自由主義が幅を利かせる資本主義社会へ身を投じ、やがて彼女を追って国を出るも一度は起業するも故郷の実家が戦乱に巻き込まれて事業を断念する。
実家を戦乱の中で助けた後、コーランの教えに背くことのない環境ビジネスを扱う企業を、実家の資本を利用して興すことになるのだ。
壮大な規模の家出を経て故郷に舞い戻り、幻のような過去の女を忘れられないまま、中年に差し掛かった頃、実家が用意した“誰かの何番目かの妻になるはずだった”女性と結婚。それなりに平和な家庭に落ち着く。
幻の女の影を想い出の中にひた隠しにして、やがて穏やかに死んでいく。
彼が興した企業による中央アジアの緑化に多大な貢献を遺して。
その圧縮された未来予測の風景は、まるで穏やかな走馬灯だった。
――文句のつけようもない人生じゃない。
夜姉の言葉で走馬灯が消えると、カリムがいつの間にか情熱的な視線をこちらに注いでおり、礼儀に従ってこちらが視線を外した。
そのまま何気なく振り返ると、同じ女子学生グループの一人が、じっとこちらを強い視線で見ていた。
その怜悧な顔に、瞬く間に淡く未来の光景が重なった。
カリムと家柄も家族間の関係も近い彼女は、この保守的な社会においてカリムと学生結婚する可能性が最も高い女性だった。
彼女の未来の光景はカリムのそれと違い、今にも泡沫のように消えかかっている。それは夕たち、三姉妹の手による干渉の結果、消えていく未来なのだと分かった。
そっと掬い取るように、その光景を眼前に展開する。
カリムと彼女は特段珍しくもない学生結婚の末、穏やかで敬虔で、真面目な家庭を築く。カリムの家が多額の費用を賄って、新たに建てた住居。そこで生まれる可愛らしい子供達。カリムはごく平凡な教師を目指し、妻はそれを家庭で支える。
慎ましく、極めて凡庸で、平和な家庭の風景だ。しかしそれらが戦乱の爆撃によって失われた瞬間、幸せな家庭は、幾億倍もの憎悪となって社会に跳ね返ってくる脅威だった。
この彼女の人生は、生まれた子供と共に悲惨な光景で終わる。だが、その影響はそこで終わらない。
怒りに狂ったカリムは、自身の憎悪を正当な論理で発揮できるような捌け口を求め、若き真面目な教師の立場から転落し、暴力による社会変革に傾倒していくのだ。
夕は、その嵐のような光景をじっと見つめながら、自然と息が荒くなるのを覚える。
――復讐を正当化するイスラム原理主義の武装組織にカリムを駆り立てさせず、イスラム新自由主義者と環境保護の旗手に仕立て上げるには、この彼女と過ごすはずだった結婚生活と罪なき子供達の命は『無かったことになる』。そういうこと?
――そうともゆー。でもさ、見てよ、夜姉。
魔女の見えざる手で干渉さえしなければ、あり得たであろう未来の幸せな家庭の中で、カリムと妻は睦まじく笑いあっている。笑顔と子供達の無邪気な声が絶えない家族の幻影が数限りなく現れ、そして儚く消えていった。
――私達が、この幸せの目を摘み取るんだね。
夕が呟くと、周囲の光景は加速した。
学生達は解散し、一瞬で日は落ち、街の喧騒が遠ざかる。陽が過ごしてきたカイロでの行動は省略され、歴史に影響を与えない雑事として三姉妹の意識に上ることはなかった。
光の束が周囲に現れ、全てが真っ白に消え去る。
◆
同期を解いて手を放すや、夕達はどっとソファに倒れこんだ。
全員の肌が上気して、あちこちに汗が浮いていた。吐く息は室内に細い雲を作った。
ざわざわと周囲の通信ケーブルに絡み付いていた三人分の髪の毛が一斉に縮み、元に戻っていく。
夕達が手を繋いでから、大して時間は経過していなかった。ほんの数分だ。しかし、それ以上、同期を続けるには三人の身体にも、それを補助するデータセンターの情報通信機器にも負荷が大きすぎた。
大量の情報を経由させたワークステーション達と、大規模な演算資源を要求した部屋の外のサーバー群が、放熱ファンの回転数を最大にして轟音を立てている。そのことが、鋭敏になった夕達の肌に皮膚感覚として微かに感じられた。
夕が息を整えている間に、早くも回復したらしい陽が、喚いた。
「あー! これ疲れる! ほんとヤじゃない? ね、お茶しよ、お茶。人間らしく、ね?」
陽は、そう言うとバレンシアガロゴの黒革バッグからお茶の葉が入った紙箱を取り出して、こちらも回復し始めたらしい夜に突きつけた。
夜は無言でうなずくと、作業机の棚に仕舞いこんでいたティーセットを配り、電気ケトルで湯を沸かし始めた。
「あ、これお土産。ねー。ゆうちゃん、絶対好きだよ。こーゆーの」
陽から渡された切子硝子にも似た細工を施した小瓶には、とろりとした黄金色に光る液体が入っていた。
わたしとおそろ! と言う陽に言われるがまま手に取ると、甘やかな香りが夕の鼻を突いた。どうやらエジプト土産として買ってきたオイルのようだ。
先ほど三人で同期した感覚を通して、光の中で同じ香りを嗅いでいたことに、夕は気づいた。
「で、どうするの、彼」
そう言いながら近づいてきた夜が、ティーカップを配った。
今の夕達は皆、代謝機能が一般の成人女性を上回っており、まだ五感も鋭敏なままだった。高速で情報を流通させた影響で精神も昂っている。
陽が持ち込んだハイビスカスティーの香りを胸いっぱいに吸い込み、夕は落ち着いて夜の言葉を迎え撃つ準備をした。
「カリムとその妻の一時の幸せのために、新生イスラム原理主義の台頭と虐殺の嵐を許せ、ってのは無理がある。そうでしょう?」
案の定、夜がハイビスカスティーを啜りながら冷たく言い放つ。現実に生まれてもいない赤子の存在など、議論の対象ですらないと言外に切り捨てていた。
「このまま干渉を続けると、あの娘はどうなるの? 陽姉」
夕がそう聞くと、陽はお茶が死ぬほど渋かったという顔で、告げた。
「ゆうちゃんには、ちょっと見せたくないような未来かなぁ。彼女のお家、あんまし裕福じゃないからさー。まぁ、簡単に言うと、お金持ちの上流階級のおじいちゃんに買われるの。分かるでしょ?」
「やめなさい。陽」
夜が鋭い言葉で制止して、陽は肩を竦めた。
だって事実なんだから仕方ないじゃない、と言いたげだ。
「ちょっとした確認だよ、夜姉。私たちがしてることって、世界のために誰かを不幸に叩き落とす可能性がある、ってこと。ちゃんと意識しなきゃ。それを否定しちゃ、私達は正しく決断できなくなる」
陽は、少し真剣な表情で言い返した。いつものふざけたトーンが消えていた。
陽の手に、夕が手に持った香水の瓶を軽く当て、本心からの笑顔で言った。強張っていないことを祈りながら。
「大丈夫だよ。陽姉、私のために悪者を演じなくても。私は大丈夫だから、ね、続けよ」
「あーん、ゆうちゃんほんといい子!」
夜がそう言って、服越しに夕に抱きついた。
呆れた様子の夜がティーカップをテーブルに置くと、両手を広げた。
テーブルの上にカリムを中心とした人々の立体像が立ち上がった。彼の両親と彼の妻になるはずだった女性。そして、生まれない子供達。そこから繋がる無数の光によって形作られたメッシュ状のネットワークに、彼と彼女の血筋や友人関係に連なる膨大な人々が立ち竦んでいた。
まるで亡霊だ。
いや、まさにこれから消滅する未来の亡霊達もそこにはいるのだ。
夕が、そっとカリムと女性を繋ぐ光の線に指を下ろし、それを断ち切った。
音もなく光が消滅し、彼女の子供達のビジョンが消え、別の男性が彼女の横に現れて太い光によって結ばれた。
しばらく茫然としていたことに気づいて、夕は姉達を交互に見つめ、呟いた。
光の糸を切った指を握りしめると、夕の身体に後から震えが走った。
「どうして、私にしかできないのかな。私達、他は皆同じなのに」
夕の言葉に、夜が生真面目に答える。
「分からない。創造主達の記録は私達の身体に残った情報のどこからも復元できてないから……」
「夜姉~、ゆうちゃんはそうゆうこと言ってるんじゃないよ~」
夕の肩を、呆れた顔の陽が背後から抱きしめる。
夕の嗅覚に、強い香辛料の香りが届いた。なんだか、あのカリムを思い出させる匂いだと思いながら、陽が共有しなかった時間にカイロで何をしてきたのか、これから何をする気なのか、夕は少し気になった。
陽の言葉に、夜が少し傷ついたような表情をしてそわそわとしていた。夕は、その様子に本当に私達は姉妹なのだな、と実感する。まるでいつもの自分を見ているようではないか。
親指を立てて見せ、夕は笑った。
「大丈夫。ただ、ちょっと疑問に思っただけだから」
その言葉に、気を取り直した夜が両手を上げてテーブルの上に展開した立体像を消した。
「じゃあ、次は私から。スペースデブリの移動と廃棄衛星の再生技術を研究開発している企業の技術者について、あなた達と判断を合意したい」
夕達の髪の毛が再びざわざわと伸びて、周囲に散らばったケーブル類に絡み付く。
繋いだ手から溢れ出る光の筋が部屋いっぱいに広がると、再び眼前を覆いつくした。
◆
夕達の儀式は、深夜を通して続いた。
夜が、他人に成りすまして潜り込んでいたカリフォルニアの宇宙産業団体では、宇宙の低高度に散らばる無数のデブリを自動で移動させ、大気圏に突っ込ませて除去する技術の中核データを“担当者の過失に見せかけて削除”していた。
――えげつないことするねぇ、夜姉。
――アジア上空に端を発するケスラーシンドロームが起きるのは確実ね。でも、核に代わる衛星高度からの質量自由落下兵器を作り出すよりはずっといいでしょ?
夜の言うことは尤もだったが、夕はそれによって職を失い、シリコンバレーを去ることになった何の罪もない優秀な担当者が、宇宙ビジネスに復職できないよう徹底的に彼の業界復帰を阻むよう、彼と協力者の縁を次々に断ち切るしかないことを悔やんだ。
数十もの人々と若者の間に構築されていた縁をその指で切り、それでもしぶとく足掻き続ける若者を苛め抜くような所業に、夕の心は痛んだ。
どうして、こんなになるまで介入できなかったんだろうか。
他に方法はなかったのだろうか。
そして……
「夜姉、彼を何か慰める方法は無いのかな?」
失意のうちにホームレスにまで転落していく元技術者のビジョンを眺めながら、夕は夜に問いかけたが、夜は静かに首を振るだけだった。
「強い運命を引き寄せる人間に活力を与えては駄目。人類を破滅させたいの?」
その言葉を出されると夕は折れるしかなく、陽が“それにしたって言い方ってものがさぁ~”と言い出すのを宥めなければならなかった。
勿論、ここに至るまで優先度の高い介入先は山のように存在し、時にはこうした強引な介入が発生することは避けられなかった。
一方で、独裁国家とその周辺国との国境付近では、数えきれないほどの紛争の種となる民族衝突や宗教対立が数限りなく起きていたが、夕達はその殆どに介入せず、国家間のパワーゲームにその舵取りを委ねた。
絶望的なことに、ある対立を回避すれば別の地域で対立が発生し、紛争を防げば防ぐほど発条を押さえつけるように様々な場所での戦争への圧力は強まるのだった。
「私達が防げるのは、国家や社会全体の力学で生まれる軍事対立ではなく、その中で活用される兵器や技術、被害を拡大させる思想が個人を起点にして生じるケースだけ。蝶の羽ばたきの最初の微風を抑えることで、世界を襲う嵐を抑えるようなもの」
今では聞きなれた言葉を、残り少なくなったハイビスカスティーを飲みながら夜が言い、夕はその限界に思いを寄せた。
世界中に無数に介入すべき事象はあり、蝶の翅をむしり続けるような作業は気が滅入った。
米国の新型原子力潜水艦の修理を行う整備要員が操作した工作機械によって、ボルトの接合部を溶接する際に起きる僅かな振動を回避することで、海中でのメルトダウン事故によって起きる核廃絶論を回避し、世界のパワーバランスを維持することを決定した。
その結果、新エネルギーの台頭で豊かな暮らしを築くはずだった数百もの家族を、惨めな生活に叩き落した。
某国の難民キャンプに隠れたゲリラが胃の中に隠すことになる信管の腐食を薬剤で早めておき、それによって爆殺されることになっていた国連親善大使の安全も確保した。
代わりに、別の場所で爆発に巻き込まれることになった現地の無関係な親子の命までは、どうしても救う方法が無かった。
某地域に設置されたハドロン型粒子加速器の電気系統を接続する際の工事担当者に対して、彼が病院で処方を受けていた薬を操作して手元の狂いを導き、クォーク・グルーオンプラズマの生成と制御に関する応用理論を導出する実験を防いだ。
それによって、新たな大規模破壊をもたらす戦略兵器の発展を防ぐことには成功したが、その反面、次世代核融合の技術発展と普及は数十年単位で遅れることになった。
確かに、魔女の見えざる手によって無数の災厄、無数の嵐は防ぐことができたように思われた。
夕は、人と人の関係を断ち切り、人とものの関係を断ち切り、あるいは結びつけることでそれを実現した。
少なくとも、夜と陽と力を合わせて演算した未来の予測の範囲では、それらが最適な選択であったと信じるしかなかった。
三人で汗だくになったシャツを脱ぎ捨て、全開にした部屋の空調で全身を冷やし、ソファの周りで絡まるようになって浅い眠りに付きながら、魔女達の|魔宴<サバト>が終わりに近づいているのを夕は感じた。
間もなく薄明の時刻だ。
世界のどこかには常に朝がやってきて、常に人々は不確実な明日と対峙しなければならないのだ。
それは、夕達にとってもそう変わらない事実なのだ。
――だから、私達はどこまで行っても魔女なんだ。どうして女神に作ってくれなかったの。|造物主<かみ>さま……
薄目を開けて、自嘲的な気持ちで唇を歪ませると、溶け合った三人分のその気持ちが再び分離していくのが分かった。
◆
「でさぁ、結局、なんでこんなことになったわけぇ?」
陽が、もう何度目になるか分からない呟きを漏らして、夜空を仰ぎ見ている。
一面、とてつもなく美しい満天の星空だ。
人間よりも強化された視覚を持っているとはいえ、大気汚染によって発生する星々の瞬きはほとんどなく、かつての日本では見ることのできなかった六等星の星々までが、くっきりと見えた。
「私達の予測も万能じゃないってことでしょ!」
そう言って、横から毛布をかぶった夜が身体を寄せて来るのを、陽が珍しく嫌がって突き放した。
なによ、と言いながらよろけた夜が、そこで膝を抱えていた夕にのしかかってくる。
「お姉ちゃんたち、いい加減にして! 静かにしないと獣が寄って来るかもよ!」
自分でも珍しいと自覚しながら、夕は声を荒げた。
その声が一番大きな音となって、遥か昔に建造された防空壕に反響した。
そこには三姉妹以外の人間の姿は無い。
いや、もはや世界中のほとんどの国々で、人間の姿は減りつつあるのだ。
何故こんなことになったのか、分かってはいる。前回の夕達が決定した未来は、ある程度予測通りに推移していたのだ。
カリムは幸せな家庭を築いたし、その妻になるはずだった女性は、金持ちな老人と思いのほか仲良く暮らしていた。シリコンバレーの技術者は無職のまま気ままなホームレス生活を実は楽しんでいたようだ。
それらの思いがけない幸福の訪れであり、嬉しい誤算を除けば、その他もろもろの事象も、ほとんどが魔女の掌のうえで思ったように転がっていったのだ。
ほんの一年前までは。
「……まぁ、その、私達が、この惨状の原因よね。宇宙開発を軽視し過ぎたから」
夜が、心底落ち込んだという声で、呟く。
「だってさぁあ、太陽フレアで世界中の電子機器群ごと文明が崩壊するなんて、予想できる? 造物主が未来から私達を送り込んだ時に、しっかり情報を持たせてくれれば、こんな苦労はさぁ!」
陽が放つ嘆きも、正論と思えるが、それができなかった理由があるのだろう。
「ねぇねぇ、確かに私達が原因で、この静かで|人気<ひとけ>のない世界はできたかもしれないけどさ、でも人類にとって、この世界って絶対的に不幸なのかな? ……私はそう思わない」
緩やかに崩壊していく文明の中で、夕は呆れる姉達を横目に世界を巡ってきた。
この一年間、人間のように食べ物も水も必要としない身体を生かして、様々な人々が機械や情報技術に頼らず、自然の中で生きることを密かに助け、観察してきた。
彼ら、彼女らの目には、かつての文明人達が抱えていた曇りや鬱屈が驚くほど無くなっていた。
世界の危機を避けることに必死で、世界の危機に自ら対処する人間達の強さを、夕たち三姉妹は見くびってしまっていたのではないか、そう思うようになったのだ。
「だからね、ちょっとだけ文明復興はゆっくりでもいいんじゃないかって思うの」
夕の浮かべた悪戯っぽい表情に、二人の姉達はよく似た顔で苦笑いを浮かべた。
<第二章に続く>
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