あのバーで、私達はヒトをサカナにする

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あのバーで、私達はヒトをサカナにする

 私が彼女に出会ったのは法務省の人権擁護局員として、人類多様性集会の渋谷デモにいた時だ。

 機械式の義肢や、動物の耳や目、表皮を部分的に身体に取り入れた人々は当時まだ少数派だったが、彼ら彼女らが差別撤廃と自由を叫ぶ極彩色の行進は、古典的な身体と自己認識を持つ私には十分に刺激的だった。
 多産ではなく、身体改造による高寿命化で人口減に対抗する世界の副産物達。不謹慎だが、二十一世紀末の百鬼夜行と感じた。
 昔から音と人混みに酔いやすい私の体質は、生体義肢の使用比率が全身の半分を超えても改善しなかった。

 路傍でへたり込む私を助け出し、後に二人で通うことになるカフェバーに導いてくれたのが彼女だった。

 生来の純粋肉体人に見える彼女は、当時まだ珍しかった“オルタネイト”を名乗った。それは、生まれ持った肉体を難病で捨てざるを得ず、自身の細胞から培養した身体へ意識を移し替えた者達の総称だ。
 彼女はその特異性を強みに、急激に分化し始めた人類の各種族を仲介するのが仕事だと言った。
 その業務は、機械の体や脳を得た種族、生身の種族、情報空間上の意識体となった種族を仲介し、相互理解への助言や感覚の翻訳をすることだ。

 彼女は私の公務や知見に興味を示し、私は彼女のビジネスと生き方に興味を持った。
 よって、私達の話題は概ね“人間”だった。
 脳の一部は機械化していても外見上は明確に同種族である彼女と私は、程なく立場を超えた友人となり、関係は交際に変わった。

 だが、結婚はしなかった。
 彼女も婚姻や生殖に関心は薄かったが、そのことに甘える私には罪悪感があった。
 特定種族に肩入れすべきでない職業意識と、延命技術に適性が無くて老衰で逝った元妻への感傷を、私は隠していた。

 私達は週に一度の高潔な逢瀬を重ねていたが、交際三年目のある日、バーで談笑していた私達にスーツ姿の二人が近づき、私達を任意で調査する旨を告げた。

 同僚と農水省の担当者だった。

 彼女と引き離された個室で、詐欺の片棒を知らずに担がされた憐れな共犯者を見る表情で彼らは言った。

「貴方には情報漏洩と有害種への便宜、彼女には複数の公衆衛生法違反と内乱予備罪に相当する嫌疑があります」

 有害種? 相当?

「彼女はヒトではありません」

 動物由来の疑似人類。それが彼女が隠していた身分だと告げられた。
 ヒトに匹敵するまで知能を拡大させた実験動物の意識を、人間の合成身体に移して造られた生物だ、と。

 そんなメリットの無い存在を誰が作ると私は反論したが、突きつけられた調査資料からは、愛玩動物を人間として蘇生させたい欲求を持つ人々は思いのほか多く存在し、その需要を満たすための研究室から逃げ出した彼女が、人間の身分を手に入れたことが読み取れた。

 人間のおぞましい身勝手さに嫌悪感を覚えながら、その欲望の産物である彼女を愛してしまった私は何も言えなかった。

 私は、屈辱的なことに、同時に幸運なことに、彼女の“飼育”許可を特例で取得し、彼女の脳に埋め込まれた違法な補助機械の除去に同意することで、彼女を殺処分から救った。
 長い取調べと手続きから解放され、指定された病院に辿り着くと、術後の傷が残る虚脱した顔の彼女が、病床に固定されて私を待っていた。
 言語と情動の大半を失い、赤ん坊のような声で私との再会を喜ぶ彼女をそっと抱きしめると、彼女は産声を上げるように泣いた。

 彼女の権利と知性を取り戻すには膨大な時間が必要だったが、発達した延命技術に適正があった私は、幸いそれに耐えることができた。

 思い出のカフェバーは、ある時に行かなくなった。
 言葉の不自由な彼女が注文に戸惑うことに不快な態度を取った店員とトラブルになり、結果、身分証明が無い彼女は入店できないと分かったからだ。
 その店は当時、ペット持ち込み不可だった。

 私は法務省の障害者支援部門に転属を願い、様々な種族の発達不全に陥った人々を支援した。
 彼女と同じ、人間として認められない哀れな人々を救うため?

 否、実際は彼女の知能を強化する技術を合法的に獲得し、意識や知能に問題を抱えた人々を人間として認定する法案に関与するためだ。
 長い時間をかけ、彼女が人間に戻れるよう、人間の定義が拡大されるよう働きかけ続けるためだった。

「こうして、あなたとまた食事ができるなんて夢みたい」

 私は今、言葉を取り戻した彼女と、件のバーで魚介のサラダを食べ、人間に関する会話に興じている。

 今や人類の定義は近縁種の生物から機械、演算された情報体、植物や海洋生物、果ては山や川といった環境自体にまで拡がりつつある。

「このお皿に、ひとが載る社会も近いかもね」

 そう語る彼女の復讐に、私は利用されているのだろうか。疑念を払い、彼女への愛を確かめつつ私は言う。

「何とも、人を食った話だね」

 私が人間にしてしまった彼女は声を上げ、したたかに笑う。

文字数:2000

内容に関するアピール

 本作は「人間の定義の過剰な拡張」がテーマです。

 人類は様々な技術で身体機能や知能を拡張していますが、未だ「人間の定義」は多くの人には当然過ぎ、実は曖昧であることに疑問を持ちにくい概念かと思います。

 しかし、今はAIや電子情報に日常の思考や判断を任せうる時代。チューリングテストが意味を失い、哲学的ゾンビ化した人々が溢れる可能性を、私は感じています。

 今後、世間の典型的な「人間の定義」は、その多くが「十分条件であって、必要条件とは言えない」という点で実際的問題となるかもしれません。

 そんな未来を舞台に、このテーマを思考実験の枠から引きずり出し、人の感情と常識を揺さぶる創作を試みました。

 人間の定義を主題に、ヒトの一個体に過ぎないはずの私が物語を書くことに可笑しみも感じますが、そもそも私自身が人間であることは誰にも証明しえないのでした。

 皆様の心に何かが残れば幸いです。

文字数:388

課題提出者一覧