君と歩く、くり返しの行き先
Ⅰ-ⅰ
■4716 + 2回目 の 2027年 2月1日(月)
「アレ?! 私は、さっき、死んだんじゃ…」
つい口から出る。あたりを見回した。変なことを言った自覚はある。とりあえず、誰も不思議そうにこっちを見てたりしない。気に留められてないようで安堵する。
電車のようだ。向かい合う座席にはスーツでコート姿の女性。ごわごわと膨れたジャンパーを着こんだ大学生らしき若者たち、だいたいスマホを眺めている。背後の車窓を流れる見覚えのある街並みがやけに懐かしい。小田急線だと思う。
なんでここに座っているのか、記憶が繋がらない。さっきまで何してたっけ。自分に問うてみる。
初夏の交通事故で一命を取り留めた。だが、数週間で容態が急変した。右側の手足が動かせなくなり、緊急入院してたはずだ。妊活中で子供もまだ授かってない。数日、それを申し訳ないやら、負担を掛けずにすみそうやら、頭を悩ましていた。ヨシミツくんが握ってくれてた左手の温もり。まだリアルに覚えている。
「こうやって終わるのは悪くない」
そう思って、ついさっき目を閉じたのだ。我に帰り、膝上の荷物を隣に置く。自分の服装を確認した。紺のスカートと、少し厚めのストッキング。上半身には、高校時代に着ていた腰丈のコート。ポケットからどこかの予備校の名前が入ったシャーペンが出て来る。前を開けると、ブレザー。その下はブラウスに赤いスカーフをリボン結びしていた。これは通っていた公立高校の制服である。衿に懐かしい校章が止まる。正面の車窓に映る姿を見上げた。昔やってたショートヘアだ。急にさっきの荷物が気になり手を伸ばす。
「あっ、やっぱり、これスクールバッグだわ」
呟きながら中を確認した。参考書や赤本、筆記具。バインダーの中にはさらに、アイドルアニメの推しキャラのクリアファイル。開けばN大学の受験票が入っている。書かれている名前は深倉ユイカ。自分だ。受験したの、十五年は前なのに。
「つまり、これは…」
「たぶん、思っているとおり。アナタは、今日、入学試験を受けたばかり」
急に話しかけられて、顔を上げる。目の前に立っていたのは前世の親友、桜樹リツコである。長い黒髪にトレンチコート。下はセーラー服。
「りっちゃん!」
彼女は口の前に人差し指を立ててから、静かに顔を寄せて耳に囁いた。
「ワタシたちはループしている。二度目の人生にようこそ。深倉ユイカ」
彼女の提案で、さほどひらけてはいない途中駅で下車した。直後に人身事故のアナウンスが流れ、ぎょっとする。だが前世でも車中で30分ほど待たされたのを思い出した。
駅近くのファーストフード店に入る。窓側の席を取った。もともと落ち着いた子だった。今日はよりいっそう、年長者のような雰囲気がする。「元からか」と考えて気にしないでおく。トレイに乗ったアイスを使い捨てスプーンで口に運ぶ。十五年後には無くなっているお気に入りのフレーバーなので嬉しい。
「私、慢性硬膜下血腫って病気だったらしくて、事故のあと、だんだん手足動かなくなったじゃない。だから、お見舞いに来てくれた後のメッセージに返信送れずじまいでごめんね」
彼女は長い髪をかき上げ、すまし顔で口元だけ笑う。
「前世では、りっちゃんと知り合ったの、大学入ってからだったけど、受験の帰り、同じ電車に乗ってたなんてびっくりしたよ!」
そのあとも、私が、ペラペラまくしたてるのを、いつものように黙って聴いて、ここちよい相槌をくれた。彼女が変わってない感じがして安心する。落ち着いてきたので、話しながら考えてたことを口に出した。
「私ね、彼とまた付き合って、今度こそ、その気持ちにちゃんと向かい合いたい。何もかも尽くしてばかりもらっちゃった。最後は看取らせちゃった。今世では、私がヨシミツくんを幸せにしてあげたいの」
しばらく、どれだけ、彼がいい人で、素敵で、私が、どれだけ好きなのか、ながながとまくし立てた。
ブラックコーヒーを一口飲んだ彼女が口を開く。
「もし、ヨシミツくんが、前世の記憶を持ってなかったらどうする?」
なんで、そんなこと言うんだろうと訝しんだが反射的に前世どうようの調子で返した。
「大丈夫、きっとまた好きになってくれる。そうでなくても、また付き合いたい。協力してくれるよね。りっちゃん!」
桜樹リツコは私の目を覗き込みながら言う。
「禁止されてる。彼と交際するのが、記憶を持ち越す条件。貴方には二度目でも、既に4718回目。記憶保持者は六千人にのぼる。ループ参加者の互助組合から出発した統合管理機構ジェネシスは、いまや世界を制御している。参加を歓迎する。ユイカに拒否権は無い」
冷ややかなセリフに私は取り残される。理解が追いつかない。
「ちなみに、彼が記憶を持ち越した事例はない。いままでもそうだし、これからも多分そう」
そう言う彼女の顔を夕日が照らした。
「貴方の配属は、交際運用特務機関エデンに内定している」
「配属? 交際を運用?」
「そうね、当面の職務は、大学生活に紛れ、友人として接しながらヨシミツくんに決められた相手と付き合ってもらう。あとは護衛よ」
「護衛って、ヨシミツくん狙われているの?」
「最近は少ない。偶に時々よ」
その時、通知音がした。「ワタシだと思う」と言って、彼女がスマホを確認する。
「統合政府の『新規参加・記憶保持者 生活ガイド』と貴方に所属してもらう、エデンの『研修資料』の復元が完了した連絡よ。グレートリセットから1時間。早いわね。友達申請するよ」
今度は私のスマホが鳴る。メッセージアプリに通知が来ており承諾した。フレンドリストに現れた桜樹リツコからファイルが二つ送られて来る。
「ループで世界が新たに始まると、記憶は持ち越せても、記録は無くなってる。いろんな資料も全部。だから毎回復元してる。人の手で。渡した資料は入学式までに読んでおいて。いいわね」
「ええっと、よくわかんないけど。今世でもよろしくね、りっちゃん。それから、バイトも紹介してくれたのよね? いろいろありがとう」
自分でもズレたこと言った気がした。頭の中の整理が追いつかない。
「確かに、賃金の名目で金銭や相当するものは手に入る。振り込まれるのは先になるハズ。それに様々な便宜が図られる。家族にも」
「べんぎ…」
口にだしてから、「便宜」かと思い直す。ピンと来ない。桜樹リツコは再びコーヒーに口を付けて、目を伏せる。
「拒否権ないんだっけ」
「でも、ヨシミツくんに会いたいでしょ」
私は頷いた。
「はい、良くできました」
「ワタシはこの後行くところあるから」
そう言って、あわただしく、タクシーを呼んで立ち去ったのだった。既に日は暮れている。駅の改札に行くと、遅延はあるものの、動き始めていた。ホームでコートのポケットに手を入れる。さっきのシャーペンだ。そうかこれ入学試験のあと、駅までの間で配ってたんだと古い記憶を思い出せた。
Ⅰ-ⅱ
間違えずに、実家のマンションに帰宅した。前世では事故にあったせいで、ヨシミツくんだけじゃなく、両親を悲しませた自覚がある。二人は覚えていないのは分かってた。だが、チャイムを鳴らす時に躊躇はある。罪悪感から、とがめられるのではないかと考えてしまう。玄関で靴を脱いでいると、リビングから駆けてきた母の顔が曇る。チクりと胸に刺さった。
「あんた、試験が難しかったの? 自信ないの?」
第一声につい笑ってしまう。私の不安が伝わってしまったのだ。それはそうだ。第一希望のN大学の試験を受けて帰って来たところなのだ。私は笑みを作って答える。
「大丈夫よ。多分。自信はあるの」
幸い試験の後からだ。今もう一度、受かる自信はない。
「そう、それはよかったけど。なんか一日で随分大人びたじゃない。あんた入学を確信すると性格も落ち着くのね」
「私、そんなに変わった?」
母は笑いながらいう。
「気にしないで、おやつを用意しているわ」
「じゃあ、着替えてから、リビングに行く」
そう言って自室へ入った。懐かしい。あの頃の漫画や小説。好きだったアロマの残り香。ベッドに横になって、前世を思い返した。見覚えのある天井の細かなパターンに目を遊ばせた。
実家に残して捨てられた、枕元にあるペンギンのぬいぐるみを抱き寄せる。
「ぷにちゃん、久しぶり~」
両手で持ち直して、左羽を上げ応じさせた。
リビングで母と会話しながらお茶ができて、なんだかほっとした。また自室に戻る。とりあえず、自分の置かれた状況を理解するために、桜樹リツコからもらった資料を、スマホで開く。表紙には、デカデカと『統合管理機構ジェネシス、新規参加・記憶保持者ガイダンス用資料』と記載されており、右上に赤字で斜めに「Level-1 機密資料」と記載されている。
細かい字を小さなディスプレイで読むのはツラそうだ。ファイル共有サービスを利用して、机に出しっぱなしのタブレットにコピーして開いた。
目次を眺める。「統合管理機構ジェネシスとは?」、「新規参加者、8か条と、こころえ」、「最初の一週間にすべきこと」、「記憶保持者社会の歴史」。などと並んでいる。次のページをめくる。
「統合管理機構。Global Enhanced Network for the Establishment & Supervision of Integrated Systems。頭文字を取り、ジェネシスと呼称されています。互助組合から生まれた、ループを生きる記憶保持者のための最高行政機関であり、議会制民主主義を敷いています」
格式ばった文面に、予想外の手ごたえを感じる。20ページほどあった。改行も少なく情報密度も高い。正直これを全部はツライ。興味の持てそうな所を斜め読みする。「8か条」を飛ばす。もともと規則や校則の類はきらいなのだ。「こころえ」に入る。
「死んでも大丈夫。個人の死はリセットと呼びます。貴方が死んだ後にヨシミツくんがいつか亡くなられた時、グレートリセットが起こり、彼の誕生日、N大学入学試験当日に巻き戻ります。その時、記憶を持って蘇れるのです」これが一番目だ。次に気に止まったのは、五番目である。「ループ開始初期は社会状況の予想はしやすい。だが、記憶保持者が自由に行動するため時間経過とともに今や遥かな過去である0回目の歴史と乖離していく。あなたの記憶している歴史とも変わります」
前世と同じようには、ヨシミツくんと知り合いになれない。そう言いたげだ。一般教養の社会学だった。授業初日に隣の席になった。まだ教科書を買ってない彼に頼まれ、見せてあげた。大事な記憶だ。もう一度くり返せると期待してんだけどな。口をつい尖らせる。毎回、同じように世界が動くわけではないのか。
「新規参画者は10ループの間、ジェネシスより割り当てられた職務遂行の義務を負います。永遠の生という特権を与えられた対価として、ささやかな貢献と、その社会の仕組みを知るまたとないオリエンテーションを担っています」とされている。
モノは言いようだなと感じた。職業選択の自由はどうなっているのだろう。でもメリットを完全否定もできなさそうに思える。とはいえ釈然とはしない。ベッドに仰向けになった。
「だけど、ヨシミツくんと付き合えないんだよねぇ」
ぷにちゃんを手に取って、また左羽を上げさせた。
その日の夕飯は、高そうなステーキで、両親はワインも開けた。尋ねると父の昇進の内示が出たらしい。前世では出世は遅かったが、今世では早く報われた。やりくりをこぼしてた母の心労も減る。私も喜んだが、リツコの言葉が引っかかった。
「便宜ねぇ。便宜か」
料理を口に運びながら、モヤモヤと考えた。
Ⅰ-ⅲ
4月2日、大学のオリエンテーションに前世を思い起こしながら参加した。そのあとで、生命科学科のある理学部棟七階に、知永シオネ教授の個人研究室を訪ねる。英米文学専攻なので、前世では足を踏み入れた記憶がない。もらった案内どおり「岩手県に国際リニアコライダーを!」とか書かれたポスターの隣だ。扉は開け放たれており、笑い声がもれる。戸惑っていると、後ろから肩に手を置かれた。
「入ればいい」
「り、りっちゃん!」
押しやられる形で室内に入る。学生らの中央に、白衣の女性。下は黒い革のタイトスカート、襟の空いたシンプルなブラウス。根本に少し黒い色が出てきている金髪の髪。前世でも学内で時々見かけた、目立つヒト。こちらを見て笑う。
「ここが交際特務機関エデンの学内拠点よ。私が知永シオネ」
続けて部屋にいた、鈴木琴葉、佐藤美月、山口紗枝、他数名を紹介してくれた。
「わかっていると思うけど、みんな記憶保持者だから」
タバコを口に咥えて煙を吐き出す。「大人の魅力あふれた女性とヨシミツくんが付き合ってたんだ。自分より前に」そう感じ強く嫉妬にかられた。しかも、他にもこんなに沢山の女の子達に手を出すなんて。ひどい。頭がぐるぐるしだす。
「あー、分かっていると思うけど、他にも六千人いるからね。ヨシミツくんと交際した女性は」
内心を言い当てられて、咄嗟に、頭の中を覗かれたのかと訝しんだ。
「何度もくり返していると分かるモノよ。そんな反応する子、多いの。座りなさい。お茶とお菓子でもどう?」
驚きながら腰かける。知永シオネはタバコをくゆらせながら言った。
「アンタたちは、仕事にもどりなさい」
みな、雑談を続けながら、ばらばらと出ていく。最後に桜樹リツコが私を一瞥してから続いて退室した。
「じゃあ、オンボーディングになるのかしらね」
知永シオネは私に向き直って、唐突にスマホで写真を撮る。
「名簿に顔写真を載せるから必要なの」
「あっ、はい」
「それと、お父さん昇進したでしょ? おめでとう」
横にあったノーパソにスマホを繋ぎながら言う。そこで、アレは「便宜」だったんだなと分かる。職務から逃れられなさそうに思った。
「それと中高と陸上部なのよね」
「えっと、はい、そうです」
「逸材ね、きっと助けになるわ。体力のいる仕事だから」
「ありがとうございます」
「あー、緊張しないで、リラックス。私まで顔がこわばってきちゃう」
彼女は柔らかくほほ笑んだ。
最初は、桜樹リツコに共有された資料の内容を理解しているか確認された。ヨシミツくんは通例、70歳前後まで生きる。だが、50歳を過ぎると、ループに参加条件を満たす可能性が統計的に下がる。なので、それまでの三十年の間に、友人として接しながら三人の女性と交際させ、必要な護衛もするのがミッションである。そのあいだ、交際が条件って不思議だなと思っていた。
「まぁ、記憶保持者なんだから、アンタも察していると思うけど、大丈夫よね」
知永シオネが念を押すが、ちょっと頭が追いつかない。
「あら、意外とうぶ子ちゃんなの?」
「どういうことです?」
「あっそ。まあいいわ。説明してあげる。交際と言っているけど、正しくは同棲が好ましいの。ようはアレの回数だから」
私の顔は真っ赤になったはずだ。彼女は気にせず続ける。
「優先順の高い女性と上手く交際させるの、なかなかノウハウが必要なの。ああ見えて、警戒心つよいじゃない彼」
タバコをもみ消しながら言う。私は強い引っ掛かりを覚え、つい口にだす。
「ヨシミツくんは好きな人と交際出来るんじゃないんですか?」
「それは禁止されているのよ」
「彼の自由意思は尊重されないんですか!」
声を荒げてしまった。
「あらやだ。ユイカちゃん。そんなこと言って、彼が自分で相手を選べば、もう一度アナタと交際してくれるんじゃないかって考えているでしょ。それ戦争になるわ。正確には何度かなっている。必ずしも純粋な気持ちからばかりではなかったんだけどね。みんながそう思えば取り合いになる。そのための統合管理機構ジェネシス。交際運用特務機関エデンなのよ」
自分の本心に気づかされ、押し黙ってしまう。
「それにね、前世の記憶を持っている人間がヨシミツくんと交際するのは、彼の自由意志の尊重に適っていると思う?」
さらにそう問われ、次の言葉が見つからない。自問する。すると今度は優しく言った。
「ごめん、言い過ぎた。まぁそんな感じなのよ」
見慣れぬタバコの箱から、一本取りだし咥えて火を付けた。
「様々な利害を持つ組織が、野放図に記憶保持者を増やして混乱した状況が続いてた。10ループの間、監禁して効率的に増やした連中もいるわ」
そう言って吸い、煙を吐き出す。
「なんでそんなに、増やしたいんですか?」
「そうね、みんな、ループのもたらす永遠の生に色んな期待をしている。その為の強い組織にはやはり人員がいると考える人間が多かった。そんなところなんでしょうね。そうそう、過去には男性と交際させてみたり、ヨシミツくんのクローンを育てた事例もあったわ」
「それ、どうなったんですか?」
「昔の記録によれば、ウケ、セメ、ニューハーフどれも失敗。彼のクローンと交際してもループには加われなかった」
私が引いているのが分かったのだろう。取り繕うように言う。
「ああ、ごめんしゃべり過ぎたわね。貴方には刺激が強かったでしょ。だから、エデンによる交際の管理は、ヨシミツくんの為でもあるのよ。ちゃんと倫理規定が定められて、彼の幸せを損なわないようにしているわ。まぁだけど、逆に他の男性に使用する目的で、性転換するレトロウィルスの研究はしているハズよ。前世に読んだレポートではまだまだ研究中のようだったけど」
それはフォローを意図していると察せられたが、まったく私の気持ちを楽にしなかった。
しばらくして、オンボーディングを終える。スマホに指定のアプリを入れた。エデンのグループチャットに招待してもらう。口頭で桜樹リツコとの合流を指示されていた。だが、我慢していたごちゃごちゃな感情が溢れて来る。
怒っていいのやら、悲しんで良いのやら。頭を左右に振って落ち着く。いや落ち着かない。トイレに隠れてガラにもなく、さめざめと泣いた。「私の知っているヨシミツくんは笑ってた。いつも笑ってたんだから」気がついたら、そう何度も口にしてた。
外に出ると桜樹リツコからメッセージがある。生協でエデンが用意したノーパソを受領するようにとのことだ。顔を見た瞬間、無言で平たいダンボール箱を渡された。メーカーのロゴが書いてある。それから指示通り404教室に向かう。
この時期なので、どこも使われてなさそうだ。箱を抱えショルダーバックを揺らしながら中に入った。彼女は隅の机でノーパソを眺めながら、時々キーを叩いている。
「りっちゃん」
呼びかけると顔を上げる。咄嗟に駆け寄ってハグして言った。
「ヨシミツくんが、かわいそうで、かわいそうで、私もう…」
終わる前に、被せて応じた。
「シオネはメトセラだから。ワタシたちとは、倫理観もズレが大きいもんね」
私の肩を数回叩いて体を離した。仕方ない。とりあえず、無理に落ち着いて聞きなれぬ、その語を調べようとすると、ノーパソへ目を戻し続けた。
「語源は、聖書に登場する人類の最長寿人物。もっとも、彼女達はそれ以上に生きてるけど」
「どういうこと?」
「つまり、すごく昔から記憶保持している人たちを意味する。少なくとも2000回はくり返している。ざっと八万年」
「えー冗談」
つい笑って返す。にわかに信じられず、あとから顔がひきつってくる。そんな私を一瞥して言った。
「更にその上は始祖世代って呼ばれているんだけど。まぁ、いいわ。とりあえず、ノーパソを見て」
見知らぬ女性の写真が映っていた。赤毛のショート。黒縁の眼鏡、太めのイヤリングに、Tシャツとズボンは黒だ。上からデニムジャケットを着ている。
「誰だっけ、彼女?」
「三浦音羽。4月から二年生になる。軽音楽部所属。近くのチェーンの古書店でバイトしている。ライブハウスに入り浸って、授業にはほとんど出てない」
なんのこっちゃ、ピンと来ない。つい、桜樹リツコの顔を見る。
「来世の新しい記憶保持者の候補。つまり、今世のヨシミツくんの交際相手の一人目」
つい、画面に向き直ってマジマジとその顔を眺めた。何かを察したのか、リツコは言う。
「ユイカ。あなた、幸せにしてあげたいんでしょ。その一歩よ」
私が頷くと、彼女の詳細なプロファイルが画面に映し出された。
Ⅰ-ⅳ
学生たちが本格的にキャンパスに通うようになる前に、三浦音羽と友人になる必要がある。そう言って作戦行動を指示された。履修登録期間のある日、駅前で桜樹リツコと落ち合う。大学までの商店街にある、チェーンの古書店に向かった。
「音羽さーん」
彼女は自動ドアをくぐるやすぐに、朗らかな声を出して、ショートの赤毛女性に駆け寄る。候補者のようだ。
今世になって、私に見せなくなった、打ち解けた表情で、すこし寂しく思う。しかし、すぐにそのほほ笑みを私に向け、手招きする。
「この子、私の友達で、ユイカっていうんです」
「こちら、音羽さん。私が最近お世話になっている先輩」
「よっ、よろしくお願いします」
すこし、緊張して挨拶する。その様子を見た二人は、顔を見合わせ笑った。
「はじめまして。こちらこそお願いね」
赤毛の彼女はそう微笑み、続けた。
「あなたも、今晩ライブハウスでやる、新歓イベントに来てくれるのね。ありがとう!!」
私の両手を掴んで上下に振った。
ようは軽音楽部で知り合った数名でイベントサークルを立ち上げたらしい。興味の無かった私も、轟音の中、雰囲気に当てられて、興奮はする。トリのN大学出身の有名インディーズ・ロックバンドの演奏は盛況だった。
深夜まで打ち上げに付き合わされた。コロナを境にライブイベントの多くがデイタイムに行われるようになって嘆かわしい。だから今回は夜にした。夜を盛り上げて行きたい。力説を聞きながら、結局始発で帰宅した。この日を境に私たちは、三浦音羽のサークルの溜り場になってる喫茶店に出入りするようになった。
4月21日が近づく。私はソワソワしていた。前世でヨシミツくんと知り合った、昼前の二限、一般教養の社会学が待ち遠しかった。履修登録を出し、それぐらい許されるだろう。そう言い訳した。そして、彼が私を覚えている。あるいは前世の記憶がうっすら残っていて、私に惹かれて、恋に落ちる。そんな空想が頭をよぎるのだ。
当日はエデン・メンバーに義務付けられてる、商店街の柔道教室での訓練を早めに終えて大学に戻った。雛壇状に机の並ぶ広めの大教室の中ほどの席に座る。記憶通りなら、この右側に彼が来るはずだ。頬杖をついて、教壇の向こうのホワイトボードを眺める。授業の時間が近づき、生徒が少しずつ入ってくる。
教室の前方の扉から、ヨシミツくんが現れた。だが二つ前の机に座る。私はつっぷして、自問した。
「どうして…」
「いいことを教えてあげる。自分の行動は相手に影響を与えて変えるよ。ユイカ」
声の方、左隣りを向くと桜樹リツコが座っていた。
「大丈夫、ヨシミツくんとは、すぐに知り合いになれる。仕事だもの。手筈は整えてある」
その日の夕方、サークルの溜まり場の喫茶店の奥の座席から、人通りを眺めて落ち込んでいた。向かいに座る桜樹リツコはブラックのアイスコーヒーを口に運びながら、ノーパソでエデンの事務作業をしている。たまりかねたのか話しかけて来た。
「ユイカちゃんと設定した? 交際運用班への連絡はスマホで確認できる。でも一部資料はノーパソからしか閲覧できない」
桜樹リツコは私の隣に移動して、画面を見ながら操作を指示する。知永シオネから共有されてたアカウントで、エデンが契約してる、クラウドサービスへのアクセス設定を終える。
「活動に必要な資料やレポートは自由に目を通して。見れないモノは権限が無い。必要なら相談して」
疑問に思って尋ねた。
「前世から持って来れるのは記憶だけなわけよね。起点になる時間の肉体に戻るんだから。言ってたみたいに、ここのたくさんの資料全部が復元されてるの?」
何を今更という顔で桜樹リツコが口を開きかけた。そこに三浦音羽がサークルのいつもの二年生の他に数名を伴って店に入ってくる。
「ごめんごめん、遅くなって。この子たちが新歓コンパに来てくれる約束してた一年生」
その中にヨシミツくんの姿があった。彼の肩に両手を置いて三浦音羽が言った。
「この子、もう入部届け書いてくれたよ!」
場所は駅近くの居酒屋の座敷席。意外と盛り上がり2時間は歓談した。だが、私の席は彼と離れており、二、三言しかしゃべれなかった。正直がっかりした。でも時々目が合い嬉しかった。
帰りの電車の中、いろいろと腑に落ちないので桜樹リツコに尋ねる。
「どうなってるの。ジャーナリズム研究会に入るはずなのに」
「ワタシが、昨日、勧誘したのよ」
彼女は、ホームの自販機で買ったペットボトルから水を飲んで言葉をつづけた。
「定型化した誘導のパターンよ。彼が入りやすいサークルに合致してたから。割り振る勧誘用のテーブルの場所を記憶保持者である大学職員が恣意的に決めたの。位置も鍵になる」
「そんな簡単に行くの?」
「以前にメンタリストを名乗ったマジシャンがいたの覚えてる? 手品の世界ではフォースって呼ばれてる。自由な選択をしてると思わせながら、意図した選択肢を選ばせるテクニック。些細だけど、その積み重ねが結果を大きく左右する。身近にはスーパーの商品陳列もこのような誘導に基づいてる。相手は一人だもの。何回ものループを積み重ねれば、それはね」
酔いもあり食ってかかった。
「自由意志や個人の尊厳ってどうなってるの?」
「そんなの、法哲学が要求する近現代の社会に必要な詭弁に過ぎない。ヒトは環境に構築され、社会的に流通してる知識で自らを組織する。われわれは非保持者からそれを顕著に読み取ってしまうようになる」
「りっちゃん、酔ってる? なに言ってるか分かんない」
ふくれて見せる。彼女は一瞬、私を見つめて、息を吐きだしてから呟いた。
「ワタシがこう言いたくなる気持ち、そのうち分かると思う。必ず」
次の瞬間の彼女は、うつむいて歯を食いしばってるように見えた。
翌日、桜樹リツコと溜まり場の喫茶店でランチを食べる。形ばかりのサークル活動として皆と歓談した。大学生に戻った気がする。正しくは戻った自覚が出てきた。そして、内心では今日こそヨシミツくんとゆっくり話せるかも。そう思って、ドキドキしてた。
そこに、三浦音羽が入って来る。続く彼は昨日と同じ服を着ていた。ついさっき一緒になった。そう言い訳する。しかし、これには鈍い私もピンと来た。
「思い出した、午後の授業に行かなきゃ」
努めて何気ない顔でそう言い残した。喫茶店を後にして、大学までの道を歩きだす。
ヨシミツくんは、会ってすぐの女性と関係を持つような短慮な人じゃない。三浦音羽が強引に迫ったに違いない。いろんな言葉で気持ちを整理しようとした。どんどん涙が溢れてくる。そのまま泣きながら商店街を進む。校舎が見えて来た。
べつに午後一の授業なんてない。人気のない空き教室でも、図書館で大勢のなかに隠れても、いまよりも落ち込みそうだ。彼女と話しても気分が好転しそうに思わない。だが自然と生命科学研究室に足が向いた。
壁際に設置された白い機器に囲まれた作業代。籐で編んだ籠に、クッキーや煎餅にマフィンや塩昆布が入れられている。緑茶とコーヒーのペットボトルの間に灰皿と缶ビール。それらを囲んで、知永シオネと院生らしい数名がいる。彼女らは、エデンのメンバーとはまた違うみたいだ。
「ユイカちゃん、やっぱり来たのね」
「先生は休憩中ですか?」
「四六時中、実験しているとでも思った? なんて言ったものの、長いこと研究なんてしてないのよね。ずーっとお茶会。これまでのループで大概の気になるテーマ済ませちゃってんの。やることなくて。退屈してるわ。今世もこの研究室、記憶保持者ばかりだしね」
煎餅を齧って、咀嚼しながらタバコを咥える。煙を吐いたらビールで流し込んだ。
「美味しいんですか、その食べ方」
「そんなことより、聞いて欲しいことがあるって顔してるわよ」
「新規参画者には、よくある行動ですか?」
「そりゃね。だいたいは。この先の話は、二人きりの方がいいんでしょ。これもよくあるパターンなんだけど」
うなずくと、彼女が机の上のタバコのケースを手に取らずに、器用に一本取り出す。それを合図に院生達は、かしましく喋りながら出て行った。私の顔を見ながら、咥えて火を付ける。イライラしていたので、つい伝えた。
「煙、ちょっと苦手です」
「あらそう、ごめんなさい。ループが長いと、こんなものでもないと、やってられなくてね。この世に拘禁反応がでちゃうのよ。みんなそのイライラをエネルギーに仕事してる。アタシは、することないから、これで誤魔化してるワケ」
私は、つい困った顔をしたのだろう。笑いながら、急いで二くち吸って灰皿で消した。
「真に受けないで。冗談よ。彼が他の人と付き合うの許せないのよね」
黙ってうなずく。
「分かるわ。いい男だものね。優しかったし」
言われて思い出す。ヨシミツくんは、六千人を越える記憶保持者みんなと付きあったのだ。
「簡単な方法としては、誰か別の人と付き合うと良いわ」
「辛くなかったですか?」
「恋愛して付き合ったんじゃなかったから。ジェネシスも出来たばかりでね。記憶保持者に誘われたの。時間さえあれば君のテーマにも手が届くんじゃないか。ついぐらっと来ちゃったってわけ」
驚いて、質問を浴びせかけると、細かく当時の心情を答えてくれた。
「気持ちを忘れろとは言わないわ。アタシが言えたことでもないけど、とりあえず、生きがいや目的を持つのね」
言われて思い出した。
「今度は私がヨシミツくんを幸せにしてあげる番なんだった」
理学部棟を出たところで、スマホに連絡が入る。重要な会議だそうだ。気をとりなおしたつもりになってた。つい前世で社畜だった習い性もあり、素直に足を向ける。図書館に予約してあるらしい小視聴覚室の一つに入る。そこには、鈴木琴葉や佐藤美月、山口紗枝ら、エデンのメンバーがいた。
「ユイカ座って。始めるわ」
そういわれ、席に付き、皆に倣って自分のノーパソを開いた。
「議題を説明するわね。ヨシミツくんの次の交際候補について検討します」
私は、彼が幸せになれる相手を選ばなきゃと、力が入った。桜樹リツコが、三浦音羽との交際への進展を軽く報告してから、据え置かれた大型テレビに、候補を映し出す。数行の簡潔なプロフィールが並ぶ。学生だけではなく、職員や、近所のアルバイト。あまり接点のなさそうな、会社員。中には来年留学してくる、ドイツ人や中国人の留学生まで含まれる。それぞれに優先度がある。交際候補のプロフィールを眺めながら、皆の口から、ちょっとした嫌味や、不快を示す言葉も出る。四年続いた場合と、続かなかった場合、双方の条件をもとに、誰と交際させるか議論していく。もともとのリストへの選出や優先度は、別の部署や機関が担っているのだろう。だんだん分からなくなってくる。頭で言葉がぐるぐる回る。
「ヨシミツくんの為には、本当にこれでいいのかな。幸せなんだろうか」
その時一瞬真っ暗になった。
Ⅱ-ⅰ
■4716 + 3回目 の 2027年 2月1日(月)
気が付けば電車の中のようだ。向かい合う座席にはスーツでコート姿の女性。ごわごわと膨れたジャンパーを着こんだ大学生らしき若者たち。
「ここって、小田急の中?」つよい既視感。スクールバッグからは、N大学の受験票が見つかる。
後部車両との扉が開いて、桜樹リツコが駆け足でこっちに来た。
「グレートリセットよ。人身事故が起こるから、前と同じ駅まで待たずに下車する。タクシーで大学に戻るよ。ユイカ」
ホームに降りた途端。駅舎にアナウンスが流れる。前回より早い。
「電車止まる時間、前回とこんなに違うの? 始まったばかりなのに」
改札への階段を駆け下りながら聞いた。
「毎回自殺しているのが、記憶保持者だから」
「永遠の生を持ってるのに??」
「みんなが、永遠の生に適応できるわけじゃない。それに、蘇るから気楽に死ねるって訳」
外に出るが、タクシー乗り場らしい物はない。
「こっちよユイカ」
国道沿いをしばらく行くと、桜樹リツコがスマホアプリで呼んだタクシーが到着した。
スマホのメールに、グループチャットへの招待が届く。参加すると。タイムラインに知永シオネからのアナウンスがある。早期護衛班が、特異点の元に向かっており、連続グレートリセットの回避に動いているそうだ。
「りっちゃん、どういうこと?」
「反ループ派の中に過激な団体がある。従わぬ者たちとか、解き放たれた者たちとか、フランス語やドイツ語の名前使っている。いけ好かない連中」
「じゃあ、特異点ってヨシミツくんのこと?」
「そう。ワタシたちは、リブートプロセスを済ませて、速やかに事態対応を引き継ぐ必要がある」
甲州街道を走る間、桜樹リツコが現状を確認していた。私は言われた通り、グループチャットに共有されるたび、誰かのアカウントや連絡先に、招待を投げ続ける。まず2時間でエデンのヨシミツくん護衛部の機能を再構築する必要があるそうだ。
タクシーを降りて、街灯を頼りに理学部棟に走った。エレベータに乗り込む。
「このまま、すんなり戻れるといいけど」
「どうして?」
その言葉が頭の中で反響する。真っ暗になった気がした。
「なにこれ、また小田急線じゃない。何が起こっているの」
電車の中、皆が怪訝そうに、私を見る。桜樹リツコと次の停車駅で降りる。駅舎に流れる人身事故のアナウンスを聴きながら、国道に出て、タクシーに乗った。
「これが連続グレートリセットよ」
「ヨシミツくん、二度も殺されてる!!」
「ユイカ泣いている暇はない。出来ることをするよ」
車中グループチャットへの招待を送り続けた。大学の目の前でタクシーを降りた途端、真っ暗になって、小田急線に戻った。
再び電車を降り、改札を出た瞬間桜樹リツコが言う。
「考えがある。行き先を変える。ここからなら調布の方が近い」
タクシーの中で話す。
「ヨシミツくんの実家ね。犯人は帰宅を襲ってるはずだものね」
「改札を出るのは、通常どおりなら、18時52分ちょうど。ギリギリ間に合うハズ」
「なんでそんなこと知ってるの?」
「ユイカ、エデンの資料読んでないんだ。試験当日の彼の行動は、必須記憶事項」
「早期護衛班に加わるのね。分かった」
話しながらスマホを見ていた桜樹リツコが言う。
「知永先生には連絡済み。根回ししてくれるみたい。これで多摩川を越える検問は抜けられる。あと犯人達の目的は、彼の誘拐ではなさそう。反ループ過激派で決まり」
そこに運転手が割り込む。
「お嬢ちゃん達、何者なんで?」
「察して。でも急いでくれたら弾むよ」
「へぇ、面白そうですな」
バックミラー越しに初老の男性が顔をしわくちゃにして笑う。タクシーが加速した。
検問は徐行して通り抜ける際に顔を見せるだけでスルーだった。警官にも記憶保持者が複数人いるようだ。夜の街灯り、調布駅南側のバスロータリーの手前で止まる。桜樹リツコが支払いをする。その間に車道側から降りた。歩道に戻り、見回して彼を探した。
「ユイカ、こっち!」
後から降りた彼女が駆け出す。大通り、三車線の車道を挟む、洒落たガードレールのある右手の歩道の先に見える。
背格好にあの頭の形、肩幅、歩き方。制服のズボン。大学でも着てたダッフルコート。間違いない。
「ヨシミツくん!!」
私は叫んだ。雑踏の中、ゆっくりと振り返る。彼だ。
桜樹リツコが、咄嗟に制止するが、もう遅い。
「君たちは?」
「わ、私たち、貴方のファンで!」
我ながら、どうしようもない言い訳をする。
「運動部じゃないから他校との交流もない。なんで僕を知ってるの?」
そこに制服の警官二人が現れる。どちらも女性だ。少し離れてパトカーが路駐してる。
ポニーテールの婦警が言う。
「あなた達、ちょっと良い?」
つい睨む。桜樹リツコが、私の肩に手を置く。
「協力して欲しいの、お願い」
シニオン頭が私の目を見て付け加えた。少し離れてもう一組、ソバージュとウルフの婦警が、あたりを警戒しているようだ。
ユイカが承諾する。なるほど、彼女達は早期護衛班なのだろう。
「僕もですか?」
「近くで高校生を狙った連続暴行が発生しているの。学校経由で早退を依頼してる。送らせてくれる?」
強引な説明に桜樹リツコがテンション高めにのっかる。
「嬉しい。ユイカ、バス代うくよ!」
後ろにいた別の二名の婦警が何か叫んで、急に路地に走りだした。
「さあ、早く三人ともパトカーに乗って」
婦警はまず、ヨシミツくんを乗せようとする。
「危険ならまず、女の子達から乗った方が」
その時雑踏から、スーツを着た女性が、吸い寄せられるようにヨシミツくんに近づいた。誰も咄嗟に反応出来ない。次の瞬間。
歩道に、ポタポタと血が滴る。トレンチコートの中のセーラー服に刺されたゴツいナイフが捻られる。崩れて、膝をついてうめく。倒れてもがく。スーツの女は雑踏に消える。
「誰か、救急車を呼んで! 早く!!」
人だかりの輪が出来ていくなか、ヨシミツくんがスマホを取り出す。婦警達はそれを取り上げて、無理やりパトカーに乗せようとした。
駆け寄って、しゃがみ込み、圧迫止血しようと、傷口を抑えようとする。手が血だらけになるだけで、どこなのか分からない。
「りっちゃん、なに? なにが言いたいの?」
口元に耳を寄せる。辛うじて聞き取れた。
「来世で会おう」
彼女の頭から急に力が抜けた瞬間、背中から温かな飛沫を浴びる。そういえば、今、乾いたパン、パンという音を聞いた気がする。振り返ると、ヨシミツくんが倒れたところだった。真っ暗になった気がした。
■4716+ 6回目 の 2027年 2月1日(月)
電車の中のようだ。私は金魚のように口をぱくぱくさせていただろう。現れた桜樹リツコは耳元に口を近づけて言う。
「ようこそ、五回目の人生へ、深倉ユイカ」
そして顔を離して、聞いた。
「四回目は、ワタシが死んだ後、どれくらい続いたの?」
「ヨシミツくんが、ヨシミツくんが」
くり返す私に返す。
「ならぐずぐずしてられないね」
「20時まで粘れば、リブートプロセスで護衛体制が再構築される。再トライよ」
電車が次の駅に向けて、速度を落とし始めた。
調布に向かうタクシーの中で説明してくれた。試験から帰宅中のヨシミツくんに接触できる記憶保持者はジェネシスで全数が把握されてる。新たにループに参加させるのも事実上禁止されてる。
グレートリセット加担者は、開始直後に無力化されるそうだ。長く膠着を保った。だが、何ループも掛けて、ジェネシスやエデンが把握してない、新たな加担者を用意したのだろう。
チャットで、知永シオネも、予定外の因子である。私たちが上手く立ち回れば、ヨシミツくんを助けられるハズだと言っていた。
調布駅南口の手前で降りて、彼を見つけた。気を利かせて通りすがりの女の子の振りをする。
「ねぇねぇ、君。今、高校生を狙った、無差別な刺殺が発生してるから、警戒した方が良いって婦警さんが言ってるよ。怖いから、そこのお店に入るんだけど、一緒にどう?」
ヨシミツくんが、前世以上に、腑に落ちなさそうな顔をする。やっぱり、失敗したかも。
「ごめん、ナンパよ。この方が気が引けるかもと思って、ユイカと考えたんだ」
桜樹リツコのフォローで軌道修正できた気がする。彼が口を開きかけたとき。
「あなた達、なにしてるの?」
ポニーテールの婦警が声を掛けてきた。そのまま、彼に向き直り、話しつづける。
「この辺りの文具屋で、万引きが発生したわ。犯人は高校生で逃走中なの」
彼女の後ろから、シニオンの婦警はこちらに目配する。
「怖がらないで、少しパトカーの中で話せる? 人違いだとは思うけど仕事だからごめんね」
すこし難色を示すのをなだめて、後部座席に、彼と乗り込んだ。
「さっき雑踏に前世の刺殺犯の顔も見えました。彼女が最後の新規因子だわ。手配しておく。二人ともありがとう。我々は早めに現場から移動します」
シニオンの婦警も、そう言ってパトカーに乗り込む。
見送ってから、路上で、グループチャットの知永シオネに報告を打つ。
その後、しばらくカフェで折り返しを待っていた。
雑談の途中で、桜樹リツコが、スマホを指さす。現場待機の解除許可と共に状況共有がされていた。今回のグレートリセット顕在因子を無力化したと記されていた。
Ⅱ-ⅱ
直後に母には、電車の遅延を言い訳に友人とお茶して帰ると伝えてあった。だから、遅くなったのは咎められなかった。
「あなた、余裕ね。そんなに試験自信あるの。お母さん期待しているわよ」
出迎えの言葉は、1回目とも2回目とも違った。
「任せてよ、母さん」
ほほ笑んで応じた。続く他の大学の試験を受けても、うかるとも思えない。なのだが、N大学の合格は、ループの起点より前。確定した過去である。
「あなたの希望にあったアノ大学も今から挑戦してみる?」
あちらは、学費が高めで、希望の専攻が微妙だった。さて、この話が出るならばと邪推した。
「父さん、出世でもしたの?」
「あらやだ。まだ内示が出ただけよ。でもユイカも鋭いわね。びっくり」
母に部屋で休むと伝えて、自室にひきこもる。主観的な時間経過が把握できない。それでも一日にはなるまい。しかし、数年が経ったような心労に襲われる。
「今世のヨシミツくんは幸せになるかな」
自分の何かが鈍って行くように思える。ベッドに座り、枕元のペンギンのぷにちゃんを抱える。片手で左羽を上げさせる。ぎゅっと抱きしめる。ループ起点日に、父に内示を伝えたのだ。その役職者は関係者である可能性が高い。
「どーなってるのよ。ヨシミツくんの交際関係」
スマホを開いて、グループチャットで共有されている、内部向けの連続グレートリセットの簡易報告に目を通す。
「予想外の殺害から、婦警を含む早期護衛班がリブートプロセスとして警護にあたった。反ループ過激派の無力化の進行中に事態が急変した。今回の顕在因子は一五名。そのうち新規因子三名により、従来の均衡が崩れ、2回目のヨシミツくん殺害に繋がる。
予備人材も投入したが、当該敵対因子の特定に時間がかかり、4回の連続グレートリセットを許す事態になった。エデン・メンバーの協力により、苦慮していた三人目の新規因子の顔の判別が早まった。ヨシミツくんの保護を成功し事態の収束に至った。
今後も引き続き、起点日での無力化以外にも、説得を通じ、反体制派からの転向を受け入れ、維持の省力化を行う。早期警護体制のリソース確保を進める必要性を再確認した。
最後に、今回の件については、反ループ過激派「従わぬ者たち」。と、「解き放たれた者たち」から連名で犯行声明が出されている。また当該メンバーには、聞き取りを行いたい。二日後に出頭を願う」
ざっくりそんな内容である。自分たちの貢献が微々たるものなのは察しがつく。「時間を稼いで、新規因子の顔が早めに分かった」つまり、あと何度かグレートリセットが起これば自然と収束したのだ。そう考えて頭を振る。「ヨシミツくんの命が救えたんだ」そう言い聞かせる。彼女たちはなぜ、彼をそんなに憎んでるんだろう。
スマホで桜樹リツコに犯行声明が共有されてない理由について尋ねた。リンクだけが送られてきた。そこは、私も聞き知っている昔流行った大型掲示板である。タイトルは「【初心者歓迎】もし世界がループして4722回目だったら?【Q&A】」。読み進めてみると見つかった。
「519.ループ世界は彼の人間としての尊厳を損なわせ、記憶保持者を閉じ込める。この永遠の牢獄を脱出するために、我々は今回4回の連続グレートリセットを実施した。この事実は皆も観測しているだろう。あと1000回行えば、カンストして、世界は正常時間軸に復帰する。ループ推進派のみで構成された、統合管理機構ジェネシスは欺瞞である。即刻解体せよ。反ループを志す同士よ来たれ。彼の尊厳を守り、世界に終わりという大団円を必ずもたらす」
ヨシミツくんの為に、彼を殺していると主張するのだった。その後にも投稿が続いている。拾い読みしてみた。
「527.名無し@記憶保持ゼロ:ジェネシス解体とか滅茶苦茶言ってて草 内ゲバで勝手に爆散してくれよな~」
「536.ループ初心者歓迎(´▽`):ヨシミツくんの尊厳問題は前からスルーされ過ぎてた。ふたたび声を上げたの評価するわ。対話の場だけは残してくれよな」
「543.sage進行推奨:前も、その前にも、あと1000回で終わるとかほざいてたよなw 何周同じテンプレ使ってんだよ」
「551.名無し@記憶保持ゼロ:乙、こいつらは、分かりやすい目標とゴールを設定して説得力を出そうとしてるけど、恣意的だから失敗してるのよ。つられちゃいかんな」
解消のしようの無い事態の複雑さに目がくらみそうだ。
グループチャットで受けた指示に従い、翌々日に生命科学研究室を訪ねた。気は重い。入っても前回お茶会してたテーブルに、どころか部屋自体に誰もいない。奥に続く戸口を目隠しするカーテンの下から、後姿の黒いストッキングとヒールが覗く。近づくと、カタカタと音の重なりが聞こえる。髪の根元から綺麗な金髪の、知永シオネが振り向いて顔を出した。
「来たわね。今はリブートプロセス中よ。とりあえず見学しておきなさい」
言われるまま室内に入る。鈴木琴葉、佐藤美月、山口紗枝の三人が、後付けのキーボードをノーパソの前に置いて指が見えないような速度でタイプしている。打ち込まれてるのは、数字や英字である。
「知永先生、そろそろ限界です」
鈴木琴葉に言われ、タバコを咥えたまま口を開く。
「わかったわ。ユイカちゃん、そこの一つ取って」
示された方には、キーボードが詰まれた机がある。脇には梱包してたらしい箱が、積み上がってた。一枚取ってきて渡す。使ってたのを足元に置いて受け取った。
「何してるんですか?コレ」
「ループ開始時のリブートプロセス。その一つ。モネムシュネの再臨。記録の復旧よ。りっちゃんから聞いてない?」
「記憶は持ち越せるけど、記録は無理ってアレですか?」
「そう。なので、記憶術に長けた要員六人によりRAID-5を構成し、資料や記録、文書を前のループから持ち越してるの」
「なんですかそれ」
「あら、知らない? 古代、シモニデウスに遡る場所法などで構成する技術よ。歴史上は、中国で活動したマテオ・リッチ。架空の人物としては、ホームズや、レクター教授も使うのよ」
「あー、なんか高校の先生が話してたかも。でもRAIDってなんです? それに、ここにいるのは、三人ですよね」
「もともとは、コンピュータのデータのバックアップの考え方なんだけど、記録を複数に分割し、損失を防ぐ方法なの。残りは、ジェネシスが拠点を置く、赤坂のエデン分室で同じことしてるわ」
「でも、打ち込んでるの英数字だけですよね」
「ええ、そう。計算可能にするためよ、32ビット化して覚えてもらってるから。それを複合すれば正しいデータになるわ。二人が欠けたり間違っても方程式が正しい記録を再現できる仕掛けよ」
感心してみせたが、理解出来なかった。なんで、こんな常人を超えた記憶と作業が可能なのだろう。
「記憶術は競技として世界選手権がある。まぁ、彼女たちも、グレートリセットされたのを省くと、31ループ、千二百年ぐらい、この仕事してる。それだけあれば、この程度の芸当は可能って訳」
知永シオネが考えを読んで先回りするのにも慣れてきた。
「先生、こんどは、こっちです!」
佐藤美月が言う。私は咄嗟にキーボードを取る。
「渡してあげて」
言われて差し出す。受け取ると彼女は壊れたのを床に置いた。
「それで、本題なんだけど、昨日のこと聞かせてもらうわね」
タバコの匂いのこもる個人研究室に移動する。まだ咲かぬ桜の木が見えた。名簿の為の写真を撮影して、聞き取りに入る。型ばかりに感じたが、割に細かく尋ねられた。ノーパソも生協で受領して帰宅した。
Ⅱ-ⅲ
2月の中頃の土曜日。その日は、桜樹リツコと赤坂を訪ねる。ジェネシス議会で交際運用関連担当の鞘山詩枝議員に面会する予定があった。地下道から出ると、頭上に後ろから前に首都高が架かる。脇の橋を渡ると巨大なビルがあった。私でも知っている有名ホテルである。
「ユイカ。これから会うのは、ジェネシスの管理職や議会議員の大半を占めるメトセラと呼ばれる人たち。極端な人が多いけど驚かないのよ」
迷路のように入り組んだ中を進み、行き着いたエレベーターホールから一六階に上がった。
「このフロアは貸し切りになっている」
中に入る前から、タバコの匂いに混じり嗅いだことのない柑橘系の甘い香りがする。天井は高く4メートルほど。いくつものシャンデリアが瞬く。グラスや皿を持った、沢山の女性が、驚いて見せたり、作り笑顔し立ち話をしていた。テーブルには、美しく名前の分からない、豪勢な料理が並ぶ。
臆せず進んで行く彼女を追う。先にはテーブルの前に何脚かのソファが並べられた空間がある。ピリッとしたピンクのスーツを着て、バレッタで髪を止めた女性の目がこちらを捉えた。左隣には耳や唇、鼻に複数のピアスを開け、革ズボンの女性が肘をついて腰かけている。右の赤いチャイナドレスを着た眼鏡の子は、目が合うと舌を出して見せた。スプリットタンである。話題はリブートプロセスでの資金形成やパテント再取得の進捗についてのようだ。前に立つとパレッタの彼女は二人に合図してから言った。
「ありがとう。よく連続グレートリセットを止めてくれました。掛けてください」
ピアスとチャイナドレスの二人が席を空ける。
「結構です。鞘山さん」
「すこし長めに話したい。座って貰った方がいいです」
諦めた様子で桜樹リツコが黙って腰を下ろすのに倣う。
「吸わない?」
私の後ろからチャイナドレスの女性が、手巻きしたタバコを勧めて来る。知永シオネが美味しそうに吸うのを見てたので、今世ではいいかもと思った。
「止めときなさい。碌なことにならないから」
制止され、伸ばしかけた手をひっこめる。
「美麓さん、うちの職員に違法薬物なんか勧めないで」
スプリットタンを見せて、一歩下がる。そのやり取りを見ていた、鞘山詩枝が言った。
「はじめまして深倉ユイカさん。情勢の急変に戸惑っていますね。その辺はコントロールが上手く行ってなくて、心労をかけました。申し訳ない」
深々と頭を下げて見せ、顔を上げる。
「ヨシミツくんも貴方に愛されて幸せだったでしょう。いつも笑っていて欲しい。願いは同じです」
「鞘山さんも、彼と交際されたんですよね」
「記憶保持者は、みんなそう。だからきっと分かり合えます。引き続き尽力してほしいです」
会釈して応じたが。ちがうと感じてた。言葉の正しさとは別に、上っ面に想えた。その時、騒ぎが起こる。
「いつもの双子だ!」
「ディアンとティオラだ!」
人だかりが出来て輪になっている。二人は背中を合わせて立って別々の方角を見ていた。彼女らの会話は、皆の歓声にかき消されて聞こえない。どちらも銃を構えている。
「いつもここで決闘するの。リブートプロセスで用意されたばかりの拳銃を使って。馬鹿馬鹿しい」
桜樹リツコが呟く。
「みな楽しんでいます。いい景気づけですよ。どうせ来世で蘇ります。毎世殺し合う形のシスターフッドもありだと思います」
数名がハモって一歩、二歩と数える中、二人は足を進めた。十歩目で銃声と共に同時に振り返った。静まり返る。私は顔をそらす。乾いた破裂音。盛大な拍手と絶叫する声が聞こえる。
「生き残ったのは、あたい、ディアンだ。今世も決闘の挑戦を受け付けている。掛け金は相談に乗る。退屈させるなよ!」
私は胃がムカムカしており。つい呟いた。
「なんてこと。ふざけ半分に殺し合って」
「気に病むことはありません。永遠の生、そして死からの復活が約束されています。ジェネシスの目的は可能な限り、多くの人間に記憶を保持させることなんです。なんなら全人類を」
鞘山詩枝がまっすぐ私を見つめる。つい顔をそらすと桜樹リツコの後ろの革ズボンにピアスの女性が口を開いた。
「決闘も自殺も記憶保持者に与えられた権利なんだ。我々は永遠の生をあまねくもたらして、世界の不平等や搾取を無くせる。みなが、何度もやり直せるんだ」
ここにも欺瞞を感じる。長くループをくり返す人間との間には絶対的な経験や知識の差がつく。それを察したのか、私の背後でチャイナドレスがささやく。
「永遠の前には全て平らかになる」
私は鞘山に目線を戻して言った。
「それなら、貴方たちには毎回の彼の生死は、どうでも良いんですね。時間は無限にある。連続グレートリセットは本質的に無意味。彼らが、ヨシミツくんを殺すのに飽きるまで待てばいいんだから」
「それは、ジェネシスの倫理規定にそぐわない。様々な勢力が、自らを有利にしたり、目標に近づくために利用したがっています。危うい均衡の上に成り立っている。エデンの交際運用能力に疑問を持たれれば付け入られます。分かりづらければ、メンツと思ってもらっていいです」
なんとも変な臭さが漂う。振り返れば、チャイナドレスが、煙を吐き終わり、さっきの手巻きタバコを口に戻した。
その後、桜樹リツコは、グレートリセット直後の早期護衛班強化を進言した。要は、交際運用班、主に彼女と私が参加できるよう。また、加えて通常護衛班の活動に協力して人材交流をしようとの根回しのようだ。だから、帰りの地下鉄で呟いた言葉が記憶に刻まれた。
「メンツは無いだろ。可能な限り彼の幸せを守るためとでも言い切ってくれれば」
聞き間違いかと思ってマジマジと見詰めたが。虚空を睨む顔に声がかけれなかった。
Ⅱ-ⅳ
高校の卒業式頃まで、連日エデンのメンバーでミーティングを行った。スマホでグループチャット越しにである。議題は今世の最初のお相手に関してだ。私は交際実績のある、三浦音羽を提案した。あの日、喫茶店に入ってきたヨシミツくんの恥じらう顔を思い出して、ああいうの幸せなんだろうと思ったのだ。
「私は二人を付き合わせてあげたい。皆もそうでしょう?」
連続グレートリセットでリスク要因が上がった。新たな因子は、中学で三浦音羽の割と仲のいい同級生であり、転居で高校に上がる時点で疎遠になった。そう却下された。
引き下がるしかなかった。桜樹リツコは松山帆波を強く推した。彼女は渋谷にあるA大学の国際政治経済学部。中学高校とサッカー部なのに加えて合気道の経験がある。反ループ過激派が活動を再開した。人員増強のため護衛班に加えたい意向を受けてる。みながすぐに合意に至る。
交際計画についても、下北沢にある、イタリアン・バーでバイトをしているから、飲み会の場所として活用し接触させようと打ち合わせた。そんな簡単なものなのかと半信半疑だったが、難易度は中の下との皆の認識で、正直ついてけない。
4月2日のオリエンテーションが終わり、入学式が迫るある日、自室で、貸与されたノーパソを広げる。この世界をもっと知るために、エデンに共有された資料を漁る。世界のルールについて、今やよく知っている事柄が整理されている。
記憶保持の発生は条件を満たしたあと、グレートリセットを跨ぐ必要がある。いつループが始まったか既に分からない。なので回数のカウントは便宜的なものである。など明記してある。他にも「この世界」は通常の時間線とやらから切り離されて、時間の輪が閉じているのではないかなど、意味の掴み切れない考察が無作為に羅列されている。
さらに仮説を検証した実験について記されていた。記憶保持者や彼を意図的に殺したりしており、これもあまり気分の良い内容ではない。どうやら、エデンの前身となった組織に所属していた研究者の覚書きのようだ。
次に機関の各名簿に目を通す。早期護衛班は「Level-4」の重要機密だが、赤坂に行った翌日に特例で権限が付与されていた。通常護衛班と合わせて、総勢四十人の顔を暗記しなければならないのを思い出す。交際運用班として、知っているメンバーの名前と顔写真も並ぶ。管理層らしき人物には、見知った大学の教員が含まれている。それ以上は私の権限では閲覧できない。
他にもN大学に所属の記憶保持者一覧があった。ジェネシスが把握する範囲であると但し書きがあるが、その数は三千五百名に上る。むしろ、二千五百人以上が学外の人間なのは驚きだ。その中に参加時期不明で住所も未記載の女性が数名いる。兼海和花、天扇一華、九条咲奈、奥峰千歳たちだ。備考には「今世の入学予定なし」との記載があった。
名前に見覚えがあり、記憶保持者に共有されている、行政情報を確認する。エデンのポータルサイトに役員や顧問の記載があり、奥峰千歳の名前が踊る。所属は、世界循環結社リヒト。ドイツ語で光を意味するようだ。大型掲示板のスレッドを探すと、ジェネシス議会の最大派閥だと書かれている。
もしかしてと普通にネットを検索してみた。結果にかかる。「八敦光神社」のウェブページ「お問い合わせ欄」に神社の連絡先に混じり、小さく「奥峰内科医院」「社務所内 世界循環結社リヒト 分室」と並んでいる。メールアドレスだけが併記されていた。
ふと嫌な考えがよぎり、父の勤め先の会社情報を見る。顧問の中年女性のプロフィールに八敦光神社 崇敬会の文字が躍る。いろいろ合点がいった。意を決する。ベッドに横になって、ぺんぎんのぷにちゃんを手に取る。左羽を上げて、勇気を貰った。
翌日、神奈川県S市を通るJR中央本線のある駅で下車した。バス停、処方箋薬局。太く黒い材木と漆喰で真壁造の日本家屋を利用した甘味を扱うカフェ。隣の三階建てビルの一階はシャッターが閉まっており、二階には歯医者が入っている。他に店はなく、庭ばかり大きい低層の住宅が広がる。空地も多い。遠景には、幅広に峰が横たわる。スマホでタクシーを呼ぼうとした。
「ユイカちゃん、そろそろ来るんじゃないかなと思っていたのよ」
声よりタバコくさいので気付き顔を上げる。知永シオネが立っていた。
「先生がメトセラだから、分かるんですか」
直前にどこかで吸ってたんだなと想いながら尋ねる。
「それもあるけど、ノーパソで見てたじゃない。大学所属の記憶保持者一覧。自由に見てもらって良いんだけどね。エデンで把握できるから知っておいて」
「なるほど、分かりました」
「待ちくたびれて餡蜜食べ過ぎたわよ」
そう微笑む。彼女が呼んでおいたというタクシーがすぐ着いた。二人で乗り込む。
「八敦光神社にお願い」
「奥峰内科医院でいいですか」
知永シオネが承諾すると車は滑り出す。盆地を暫く走って、坂道を登る。
「わざわざ、ご自身でここに来たのはどうしてですか」
「奥峰千歳が、ユイカちゃんに何を言うのか気になったのよ」
いまいち分からないが、そんなものかとも思う。左右に緑と木々が増え、山を登り、林の中の未舗装道の途中で止まった。先に降りて見回すと、林の間に石のブロックを重ねた柱に挟まれ入り口がある。門のようだ。奥峰内科医院と縦に書かれた木製の看板が打ち付けられている。
「こっち」
そう言われて一緒に中に入る。
「彼女、何者なんですか」
「メトセラより、昔から記憶を保持している。ジェネシスなんか出来る前から生きている始祖と呼ばれる記憶保持者よ」
白いペンキで塗られた木造の病院だ。中から出て来た巫女装束の女性が、こちらを認めて立ち止まる。知永シオネが声をかけた。
「ご無沙汰してます。まだ彼女と直接話せるかしら」
応じるように頷いて答えた。
「はい。まだ四日です。私もさっき来ました。参りましょうか」
「奥峰千歳の世話係よ」
私に耳打ちする。医院の裏に回る。すこし先に、朱が剥げかけた鳥居がある。だがこちらが内のようだ。振り向くと、拝殿がある。その間をすり抜けて、進んで行くと、森があった。深く奥に進む。急に開けた空間に出る。幅2メートルはあろうかという、大楠が直立し、しめ縄が巻かれている。その幹に白装束の女性が木に埋まるように顔をのぞかせている。
「ご神体です」
根本近くに二つの白い箱と、注射器が転がる。ぎょっとしていると、知永シオネが声を掛ける。
「相変わらず、アメリカのバイオメーカー二社に分けて作らせているのね」
「N大にお邪魔するより早いからね。シオネ」
話をする二人をよそ目に巫女が拾い集めて、何処かへ持ち去った。
「彼女が奥峰千歳、十六万年以上生きてる。始祖世代」
目を閉じたまま白装束の女性が喋りはじめた。
「よく来たね。深倉ユイカ。来ると思っていた。新しい僕の娘よ」
意外な一人称にも困惑していると、知永シオネが、記憶保持者なら誰でも娘と呼ぶと耳打ちする。
裾からでる足や、手は木に溶けて消えており、よく見れば装束も前半分しかない。
「驚かなくていい。以前は、リセットの都度、若返るのに億劫になって何もする気が起きなかった。でも森が考え感じていることに興味を持った。そこで研究を始めてね、1300回ほどで、この技術を発見したんだ。あと一週間もすれば、僕は樹木と心が通じる。少し遅ければ巫女を挟まないと話せなかっただろう」
振り返ると、ここに付いて来てくれた彼女が、すっと頭を下げる。
「近づいてもっと気配を感じさせて」
その言葉に再び向き直り、歩み寄る。厳かな空気が皮膚をピリッと刺す。
「貴方は何かを変えてくれるかもしれないね」
口を開こうとするが、一方的に彼女が続けた。
「その分だと、鞘山詩枝に会ったね。君は彼女に不満をもっている。あの子達もまだ若い。永遠の生に焦燥感を持ってしまう。時間は無尽蔵に続くのに。人の性だね」
背筋を寒いものが走る。心が読めるのだ。
「ご明察。僕は毎回森と交わり、何万年と一体となってくらして、リセットの度にその経験を持ち越した。それで様々な理が分かるようになった」
彼女は目を閉じているのに、あたりから射貫くような視線を感じる。心地の悪いものではない。なのだが、戸惑いを感じていた。
「さて君は人生の目的を見失っているようだ。何を話してあげよう。そうだ。永遠に生が続くと知った時、皆がヨシミツくんの良さと想い出を語りながら、仲良く女子会みたいな世界が続けば良いと思ったんだ。兼海和花は、生を檻だと言った。ある種の人たちにはそうだろう。僕は社会なんて、元々檻みたいなものだから、全人類が檻の中に入れば、正常化する。そう信じている」
噛みくだけないまま。やはり牢獄なのだと思った。そう考えれば、メトセラ達の乱痴気騒ぎも理解できた。それに応じたのだろう。
「僕と同じ時期に記憶保持者になったのに、兼海和花は生きるのが嫌いだったのだろうか。最近もついそんな疑問を思い出す」
奥峰千歳がそう言った瞬間、辺りが曇って、森の気配が変わる。次の瞬間には元の神々しい雰囲気を取り戻した。
「ヨシミツくんが与えてくれた永遠の愛と生を否定したくない。深倉ユイカ、これは福音なんだ。そう信じて。君はこの『永遠』に何を願う? それが生を檻ではなくす方法だよ。望むことが僕らを未来へ連れて行ってくれる」
駅に戻りホームで缶コーヒーを飲みながら、電車を待つ。知永シオネは、今では、兼海和花は反ループ組織の中核メンバーだと教えてくれた。奥峰千歳と共に、N大学生命科学研究室に所属していた元教え子だそうだ。
「アタシは、彼女らの誘いで記憶保持者になって、不老化を研究したの。300回近くかかったわ」
「ループがあるのにですか?」
「不思議ね」
彼女にとっては、いつかやってみたい研究テーマだった。本来教え子のハズの二人が何を考えていたか、今でも分からないのだそうだ。
その時、既に奥峰千歳は十万年近く生きていたらしい。当時の主要勢力は、ヨシミツくんが永遠に生き続ければ、巻き戻らないと考え、世界の正常化を図ろうとしていたそうだ。
彼に全てを理解してもらい、主要メンバーと不老化の施術を受けた。でも、何度くり返しても、120歳程度で彼は死んでしまった。最初は車に引かれた。次は記憶保持者でもなんでもない通り魔に刺殺された。毎回何か起こった。もちろん、不老だから自然死じゃない。13回目に彼が121歳で自殺したとき、それらを、アトラクタ・フィールド現象と名づけて、三人は諦めたのだという。直後に兼海和花が離反して、反ループ派に転向したそうだ。
「『この世界』はいつ始まったか分からないぐらい続いているのに。みんな、結局ヨシミツくんを好きなのね」
コーヒーを飲み切って空き缶をゴミ箱に捨てながら言った。
「長生きさせた結果として苦しみを強要しなくても、ループは永遠につづくから意味ないのよね。だいたい、グレートリセットが起きないと人は増えないし」
振り返った彼女に不安を伝えた。
「私、メトセラや始祖って呼ばれる、奥峰さんみたいな世代の人たちから、ヨシミツくんを護りきる自信ないです。太刀打ちできる自信ない」
「知識は蓄えられるけど、体の動きはループ開始時点からトレーニング仕直さなければならないわ。そして強い目的意識を持ってないとアタシみたいな諦観が怠惰を生むの。現場仕事なんて勤まらなくなって、ジェネシスの息の掛かった企業で働いて毎ループ普通に暮らすのが精一杯になる記憶保持者が多いのよ」
「でも鞘山さんは、すべての人類を世界に加えれば正常化するって」
「生きる意味は混沌やノイズを理解しようとする試みが生み出すの。つまり生き物が自ら与えている。人が増えれば雑音が増える。時間は十分ある。それが彼らの考えなのよ」
「知永先生のお話し難しくてわからないです」
Ⅲ-ⅰ
最近は柔道教室での訓練をさぼらずやるようにしていた。師範も記憶保持者なので、教え方も卓越しており信頼感がある。相談して相手を可能な限り、封殺できるように、組み合う、あるいは寝技に持ち込む練習を徹底した。
4月21日になる。私は今世も一般教養の社会学を申し込んでいたし、桜樹リツコの言葉を覚えていた。雛段状に机の並ぶ広めの大教室の中ほどの席にヨシミツくんが座ったのを確認する。記憶を頼りに、同じ服を来て隣に座り、教科書とノートを取り出した。ドキドキする。「ねぇ、君。悪いんだけどこの教科書見せてくれない」そう言われるハズ。
「ねぇ、ユイカちゃんだっけ、前に会ったよね」
意外な彼の言葉の意味に悩んだが、次の瞬間に記憶の保持を期待して舞い上がった。
「試験の帰りに、僕を逆ナンしたでしょ覚えている?」
そりゃそうだ。今世の開始から今日まで、いっぱいいっぱいな経験をしたので忘れていた。なんかうれしいのか悲しいのか分からない。はっきり言ってがっかりしたのも確かだ。だが、この席に座って、ヨシミツくんに話しかけられた。感極まって何故か泣き出してしまった。
彼が当惑して逃げ出さないように、めちゃくちゃとっておきの笑みを、咄嗟に作って話しかける。
「ごめん、ごめんなさい。私、てっきり」
顔は涙でぐちゃぐちゃだし、意味不明だし、言葉が続かない。彼は黙って、ハンカチを差し出してくれた。受け取って涙を拭いながら、無理に落ち着いて、教科書を開いて見せてあげた。
授業が終わるころには、落ち着いて、二人で校内のカフェでお喋りした。想いを昔の恋人への気持ちとして語る。ゆっくりと優しくほほ笑んで聞いてくれた。ところどころで、三浦音羽の名前を出したり、匂わせるが反応は薄い。記憶の残滓もないようだ。やはり覚えていない。私の中でそれは決定的だった。
「ループ1回目の彼はあの日死んだ。とうぜん奥峰千歳の彼も、私のヨシミツくんも既に居ないんだ」
帰りの小田急で何度もそれを飲み込もうと思った。1回目の人生で、手を握られて目をつぶった。あの日から、いつの間にか随分と遠くまで来てしまっていた。
ゴールデンウィーク直後、2回目の社会学の授業で、隣に座ったヨシミツくんに声を掛けた。桜樹リツコの立案で、私が彼を合コンに誘う予定である。その計らいに内心、感謝していた。
「ねぇ、英米文学専攻の女子たちと、合コンしない? みんな、経済学専攻の男子に興味あるんだって」
彼はカラッとした笑顔で快諾してくれた。何人か声を掛けてみると言う。その場で連絡先を交換した。二人で日付を調整し決める。いっとき、大学生らしい自分達に心休まった。
5月27日の木曜日は、その講習の後で図書館の視聴覚室に集まった。前回は参加させてもらえなかった、肝心かなめ、候補と彼を恋に導く打合せである。
店のバイトリーダーが記憶保持者であり、松山帆波をテーブルの担当にするよう手配した。店のBGMはどうするか。席の位置をどうして、どのタイミングでハプニングを起こして、ヨシミツくんにフォローさせるか。事前に喋る話題は何が良いか。
大体そんな議論だった。掛かってる音楽で恋に落ちるか決まるなら苦労しないよ。内心そう突っ込んだ。吹き出しそうになる。だが彼女達は真剣だった。それを基点に彼の行動パターンの分岐、次の分岐と、最大16通りの行動をプランニングする。考えを察したのだろうか、桜樹リツコが私に言う。
「みな自分はそんなことで行動が左右されたりしないと考える。それが自由意志で物事を決定してると信じるのに適しているから」
「違うの? ガールフレンドを自分の家に呼ぶ時の、男の子の無駄な努力と変わらない気がする」
「残念ながらそうよ。貴方を引き込んだループでは、ワタシ経理事務してたよね。でも記憶保持者になる前は、ここの院で心理誘導の研究をしていた。卒業後F社でそれを応用し購買行動の操作に関してコンサルをしてたんだ」
経歴を聞いて途端に説得力を感じる。打ち合わせの最後に、佐藤美月がリュックからスタンガンを取り出して、机の上に並べ始めた。
「十分な警護体制が引かれている。でも、不測の事態が起こる可能性はあるからね」
そう言って鈴木琴葉が吟味してから渡してくれた。
下北沢で待ち合わせだ。中央口改札を出た所で、英米文学専攻の友人たちと合流した。みな相応におめかししている。
「名簿に目を通してきた?」
桜樹リツコにそう聞かれて、自信たっぷりに答えた。
「ええ、もちろん」
今世の彼も私のヨシミツくんと同じで、やさしくて、自信があってナイーブなところのある。護って幸せにしてあげたいと思ってた。
カフェのテラス席。行き交う人の中に、護衛班のスタッフの顔を見てとり安心する。目的のイタリアン・バーの奥の席に通された。経済学専攻の男子らしい一団。その端の席のヨシミツくんが立ち上がり、小さく手を振る。
女子が席につく。彼の周りは記憶保持者で固めて、合コンが始まった。店員の松山帆波がコースの説明をして、飲み物のオーダーを受ける。幹事の私と彼は向かい合わせ。隣には桜樹リツコ。
運ばれてきた飲み物に実際は問題ないのに、彼女が軽く責める。彼のやさしさを利用した最初の仕込みだ。
「生ビールの数が足りない。三人はコーラとジャスミン茶だけど四人じゃない」
慌てて確認する松山帆波に被せる。
「乾杯が出来ないから早くお願い」
彼が少し眉を動かしてフォローした。
「一杯目はコーラにしようかなって思ってたから貰うよ」
これで、彼には「庇った」という「先行刺激」がなされる。乾杯して、合コンが始まる。前菜の皿が運ばれてくる。だが、ここでもトラブルが起こる。「救済の主導権」を仕掛けるのだ。
説明を受けていた「小海老とブロッコリーのフリット」ではなく、「辛口ソーセージのブルスケッタ」が六人分並んだ。
桜樹リツコが首をかしげ、私がすかさず声を張る。
「みんなちょっと待って手を付けないで」
松山帆波に向き直って言った。
「これ、料理、間違ってますよね」
テーブルが静かになり、皆の目線を感じる。助けを求めるような彼女と目を合わせて3秒ためて、すぐヨシミツくんを見る。釣られて視線が集まる。
彼は、スマホに目を落としてから、彼女に見せて言った。
「違うコースの料理が提供されていますね」
記憶保持者のバイトリーダーの仕込みで取り違えられているのだ。
「本来のお料理ではなく、下のコースになるか確認してもらっていいですか。そちらの料金で良いなら、特に問題はないです」。
流石に対応にはシェフが出て来て丁寧に頭を下げた。二品目の「真鯛とオレンジのカルパッチョ」から予約通りの料理に代わる。
店は今回、料金はいただけないと言った。だがヨシミツくんが払わせてくれと主張し、当初の半額となった。既に、みな食事にもどり互いに会話を進めている。
「みんな悪いね。そういうこと。でもここ食事は美味しいから」
他人任せの面々に彼がそう伝えた。スマートな対応に感心しつつ、第二段階の達成を確信した。
ひとしきり、宴も終わり、記憶保持者を含む数名は経済学専攻の子らと連絡先を交換したようだ。幹事の私達で支払いする。いつの間にかいなくなった一組みの分はとりあえず立て替えた。レジを打ちながら改めて、松山帆波が謝罪する。
「次回また皆さんでご利用ください」
そう言って、人数分のランチ割引券を渡してくれる。受け取って私に顔をむけるヨシミツくん。微妙な空気が流れる一瞬だ。
「是非お二人でどうぞ」
なんて言葉を彼女がねじ込む。
「あー私は別の人とになるかも」
そう返すと、松山帆波がヨシミツくんと顔を向け合う。
「お似合い、なんじゃない?」
関係暗示を実施した。やりたくもないが、これが仕事なのだ。門限を理由に、帰宅と偽って彼を含む二次会に行く面々を見送った。駅に向かう途中で、私と佐藤美月は、周囲の警戒に参加していた護衛班のメンバー二人と入れ替わった。彼女らは、二次会店内の警護にあたるのだ。
記憶した反ループ組織のメンバーの特徴と街ゆく人を比べながら、通りを警戒した。
Ⅲ-ⅱ
6月下旬には二人は交際に発展していた。一人暮らしの彼女の家に、彼は時々お泊りするが、同棲には至っていない。その日は渋谷の道玄坂にあるカフェで会う。それを交際運用班も混じって護衛していた。
私は正面のガラスの壁の中で笑いあって歓談している二人を見つめる。同じ階の隅の方で、読書を装っていた。耳のイヤフォンは音楽を聴くためではなく、メンバー間のグループ通話用だ。
尾行するとき、背中を見ないとか、複数人で代わりながら行うなどの基礎も教わった。また、エデン護衛班の教本にある変装のテクニックを参考に化粧を変え、服装の襟や袖の合わせ、アクセサリー、小物で目線の誘導を散らしている。あと気配は変えられるモノだと教わったのは驚きである。姿勢や視線の替え方、動作テンポの組み合わせを複数、変装に応じて使い分けている。
鏡越しに松山帆波と目があった気がした。「気付かれてる?」その想像で総毛立つ。いや、まさか。一瞬、彼女がこちらに微笑んだ気がした。すぐヨシミツくんと見つめ合う。急に彼の口を奪う。こんな積極的な子だったろうか? 二人はカフェを出て、道玄坂を上って行く。
ラブホ街へ向かってるのは分かる。初回のループなら、それだけで落ち込んだだろう。
脇道から出てきた鈴木琴葉が人差し指と中指を立て見せる。尾行に気づかれぬように入れ替わるサインだ。私は裏路地に入る。次のポイントで交代できるように、服装や化粧を少し変え、印象を変化させる。前から来た佐藤美月と、バッグと上着を交換した。
「大丈夫?落ち込まないでね」
「うん、もう慣れちゃった」
そうおどけてみせる。
「ユイカは、何か不審に感じない?」
「松山さん、こっち見て笑ったような気がした。錯覚だよね」
イヤフォンから別の場所で待機する、桜樹リツコが呟いた。
「嫌な予感がする」
そのまま、30分は何もなく過ぎた。二人の後からカップルを偽装して隣の部屋に入ったメンバーからも不穏な動きは無いとの報告がある。
彼らが出てきた時の護衛と尾行の再開を入念に準備し、待ちくたびれてきた。つい欠伸して、瞬きする。
■4716 + 7回目 の 2027年 2月1日(月)
「えっ!小田急線なの?!」
私は叫んだ。皆が怪訝そうにこちらを見る。桜樹リツコが隣の車両から移動してきた。顔を見合わせ、次の停車駅で降りる。タクシーで調布に向かう途中、つい泣き言が口に出た。
「私が幸せにしようとしたのに、ヨシミツくんが死んじゃった」
「メソメソしない。生き返ったわよ。護らないと」
死んだ彼を惜しむ気持ち、これが上手く言葉にできない。そして通じない。このもどかしさ。
調布に渡る橋で検問が敷かれてた。スマホでタクシーのナンバーを伝えてあり、婦警が誘導してくれてすんなり抜ける。
「お嬢ちゃん達、何者なんで?」
前世と同じ運転手である。
「察して。でも急いでくれたら弾むわ」
桜樹リツコの返事は同じだった。
「へぇ、面白そうですな」
想定より10分早く着いた。タクシーが止まると、桜樹リツコが夜の街に飛び出して掛けだす。私が会計を済ませて追いかけた。二人で決めた段取りだ。経験豊富な彼女を先に接触させる算段である。
行きかう人々の先に、ダッフルコートを着たヨシミツくんの背中が見える。早期護衛班の婦警はまだだ。今世でも頭数が足りず、増えた加担者の封殺に苦労してるのだろう。
追いつくと話し掛けるところだった。私物なのだろう、桜樹リツコはいつのまにか、片手にN大学の赤本を持っている。
「君、これ落としたよ」
うまいと思った。だが納得できなそうだ。
「えっ、ありがとう。どこで拾ったの?」
「改札を出てすぐだよ」
受け取って、仕舞おうと学生鞄を開けてからまた顔を上げる。
「僕のじゃないみたいだよ」
私はそこに乗っかる。息を切らせながら言った
「まって、私のなの」
「あっ、ごめんなさい。てっきり」
「ほんとよ。目の前に落とし主いたのに」
そうふざけて見せた。とんだ小芝居である。
「じゃぁ、ワタシたち、三人ともN大学を受けたんだ」
桜樹リツコの一言で、打ち解けて朗らかに笑いあった。だが警戒を解くわけにはいかない。護衛しながら、この場所を離れないと。私は時計を見る。前回の新規加担者はこのタイミングで来たハズだ。
「こんな偶然あるんだね、春から同じ大学かも。ちょっと話そう。他どこ受けてるの?」
私が目の前のチェーンのコーヒー店を指さす。彼の反応もよい。そのタイミングで人通りの中から、見覚えのあるスーツの女性が近づいてくる。まだ、前世の婦警は誰も見えない。まさか。こちらが劣勢なのか。
「パトカーよ」
桜樹リツコの声を聞いたが、そちらを向いてられない。私は間に立ち塞がる。ぶつかった衝撃。その彼女が笑いながら一歩引く。腹が焼けつくようだ。手で確認するがぬるぬると生暖かい。立っていられず、膝をつく。冷たい冬の歩道。誰かの叫び声、ざわめく人々。乾いた発砲音。目の前に自分のじゃない血飛沫が落ちてくる。
■4716 + 8回目 の 2027年 2月1日(月)
小田急線だった。桜樹リツコが隣の車両から現れる。
「八回目の人生にようこそ」
「りっちゃん。七回目は、私が死んでからどれくらい続いた?」
「状況的にヨシミツくんはすぐ殺されたと見てる。とりあえず調布に向かう中で確認しましょう」
タクシーを拾う。また同じ運転手。車中でグループチャットを確認する。やはり前世はすぐに終わったようだ。つまり事態は継続中である。両親に悲しい思いをさせずに済んだようで安堵する。南口で降りて走り出す。前回と同じ大通り、桜樹リツコの後を追いかける。唐突に立ち止まって、あたりを見回した。追いついて声をかける。
「りっちゃん、ヨシミツくんは?」
「やられた。このルートを通らないように誘導されたんだわ」
そうか、考えてしかるべきだった。調布まで40分はかかっている。パトカーが止まる。ソバージュとウルフの婦警が駆け寄って来た。
「彼は?」
私達も彼女らも、同時に口にした。
「いつものお二人は?」
続けて聞くが、顔を見合わせる。これはよくない。
「いままでの初動では、ここまで安定して来れてた」
ソバージュが言う。
「それが変わった要因は?」
桜樹リツコが聞いた。
「誰かが逆に封じられて、手数が足りてないのね」
「時間はもうないかも」
ウルフが言うが、今世のヨシミツくんを簡単に諦めたくない。
「手分けしよう」
私はそう提案する。
「ツーマンセルは崩せないから二手が精いっぱい」
「りっちゃんと駅の方に戻ってみます」
「我々はこの辺りを引き続きしらべます」
そう言って、別々の方向に駆け出した。
Ⅲ-ⅲ
■4716 + 9回目 の 2027年 2月1日(月)
気がつけば小田急線で桜樹リツコが隣の車両から現れる。タクシーの中は二人とも無言だ。頭の中で考えがまとまりそうだった。調布に着く。南口で降りて走り出す。
「ユイカどこへ行くの!」
いつの間にか、新しい危険因子が増えているんだわ。でも四年経つ前にグレートリセットされてる。記録にない記憶保持者がいるのかもしれない。それはつまり、ヨシミツくんがエデンから隠れて浮気したことを意味する。誰かが仕込んだって訳だ。
じっとしてられない。調布ならどこに行くだろう。ファミレス、本屋、ゲーセン、カフェ。飲食店なんかそこら中にある。どこへなら誘導しやすいんだろう。傍にいるなら、即殺害すればいい。でも、記憶保持者に顔を見られたら、次はやりづらくなるのか。
ひと気のないところ。私は目についたペンシル・ビルのカラオケ店に入っていった。素知らぬ顔で受付を素通りする。店員に声を掛けられた場合の言い訳は三つぐらい考える。一つずつ扉を開けていく。ちがう。ここでもない。そのたびに「すいません間違えました」って顔をしたり実際に口に出した。
三階の奥の部屋である。ヨシミツくんと見知らぬ女性。いや、昔見せてもらった卒業アルバムで見た顔だ。あっけにとられる彼と違い、彼女は先手を取って言う。
「あなた達だれ? なんで入って来たの」
これでは印象最悪である。今世のエデンの活動への差し障りが頭に浮かんだ。その隙をついて風切り音がする。咄嗟に一歩さがった。鋭い振りが喉元を通り過ぎる。どこでも買えそうな、太刃のカッターナイフに見えた。振り抜くその勢いで、彼に切りかかる。彼女の手を抑えて、組み付いた。
「ヨシミツくん逃げて!!」
困惑して、身動きできなさそうな彼にもう一声かける。
「その辺に婦警さんいるから早く!」
唐突に、同級生の女の子に殺されそうになった。それを飛び込んで来た見知らぬ女子高生が止めたのだ。理解が追いつくわけがない。
「逃げなさい!」
扉を開けて出ていくヨシミツくん。だが、途中で背を向けたまま一歩ずつ中に戻ってくる。
「悪いわね。ユイカ」
振り向けば、桜樹リツコの手のゴッついナイフには見覚えがあった。前回のグレートリセットで彼女を刺したものに間違いない。
「これが不思議? 本来の持ち主から借りてきた。彼女は婦警二人がここに来るのを妨害中。ワタシの顔が貴方にしか割れなければ、もう二、三度、グレートリセットできそうだから」
言い終わる瞬間、彼が彼女に組みかかった。私もナイフを持つ手を抑えにかかる。背中に痛みが走る。焼け付くように熱い。だけど今度はコート越しだ。傷は浅い。
「逃げなさい。あなたを護っているの」
私の叫びに、戸惑いを見せる。その一瞬に、背後から風音と共に、太刃のカッターナイフが彼の喉に突き刺さった。倒れてもがくヨシミツくんが目に焼き付いた。
■4716 + 10回目 の 2027年 2月1日(月)
気がつけば電車の中だ。あたりを気にせずに、急いで隣の車両へ移る。桜樹リツコが座っていた。目が合う。
「何で寝返ったの?」
「ここは永遠に続く牢獄だ。彼も記憶が継続しておらず、自由意志が奪われてる。それどころか家畜みたいに扱われている」
「でも、それはヨシミツくんの命を踏みにじっていい理由にはならない」
会話を聞いていた乗客の多くが、席を立って車両を移っていく。遠巻きに好奇な目線を感じる。
「どうせ、何度でも生き返る。仲間になって欲しい。覚えてないのはわかってる。ワタシの最初の人生で親友でいてくれたユイカだから言っている」
そう言って、席から立ち上がって、手を差し伸べてくる。
「本当にあと1000回ループすれば世界が終わると思ってるの?」
言い返したタイミングで電車が減速しだす。
「それは方便だ。実際にはもっとかかるだろう。だけどきっといつか、カンストする。しなくても彼の尊厳を守り続けられる」
この時、知永シオネの言葉を思い出した。記憶保持者は永遠の生の拘禁反応で不安定になり、駆り立てられるように行動する。何かせざるを得なくて理屈をつけているだけに思える。
「別に世界はゲームの中じゃない。プログラムの仕様からのカウンターストップなんてない」
「幸せにするという方便にしがみついて来た。でもワタシを含めて記憶保持者は誰もヨシミツくんを人間として扱えない。前から接触は受けてた。ユイカがワタシの彼への気持ちを思い出させたんだ。最初の人生で一度だけ喧嘩したことがある、私の専門についてよ。彼は誰もが自由に自分を選択できることの意義を私に語ったの」
自分が知らないヨシミツくんの思いを聞き、強く心が揺さぶられる。タクシーのアプリもグループチャットもインストール出来ないまま、本格的にブレーキが掛かり始め姿勢を維持するだけで精一杯だ。
「反ループ組織も、ヨシミツくんの意思を無視してる。それに全員が彼の尊厳の為に活動しているワケでもないんでしょ?」
私は獲物になりそうな何かがカバンの中に無いか思いめぐらせる。
「分かっている。でもワタシは彼の為に戦う」
ちがう、間違っている。言葉にならぬ思考が胸で熱く躍動する。電車が駅に滑り込む。私は慣性を利用してタックルした。車内の床にもつれて倒れ込む。
とっさにコートのポケットにあった、ボールペンを桜樹リツコの右肩に突き刺す。完全に停車し扉が開いた。倒れたまま、傷口を押さえる桜樹リツコのスマホを奪ってホームに踊り出た。背後で扉が閉まる。
改札に向かって階段を駆け降りた。アプリを使わず捕まえたタクシーの運転手は見覚えのない若い男だった。車中でグループチャットに連絡する。
桜樹リツコが内通者であった事実を書く。そして報告の信憑性を疑うなら、私を検問で止めるように続けた。知永シオネは、今回の連続グレートリセットの振り出しが、ラブホテル内での松山帆波による殺害であると分析しており、状況の整合性から、全面的に信用すると返って来た。私はヨシミツくんの掛け替えのない一度きりの人生のくり返しを護ると誓った。
Ⅲ-ⅳ
■4716 + 20回目 の 2044年9月22日(木)
残暑厳しい9月の連休。今回は使わずに済んだ、愛用のマイクロ拳銃、ルガー・マックス9をキュロットの腰にあるウェストポーチに戻した。ハンドバックのスタンガンのバッテリー残量のチェックを終えて路地の暗がりを後にする。気を失っている反ループメンバーの後始末をグループチャットで依頼した。足早に人混みに紛れる。
あれから主観時間で四百年ほど経つ。連続リセットは一度も起こってない。私の権限で交際運用班と護衛班の組織連携はより密接に体制を変えた。今世も大学を卒業後、交際運用特務機関エデンの隠れ蓑である警備会社から給与を貰っている。このあたりはジェネシスの別の機関の管轄なので仔細は分からない。だが、都度ここまで社会に根を伸ばしなおしているのだ。恐れ入る。最近は、ひょっとすると1回目の人生での私の事故は仕組まれていたのではないかと最近は疑ってもいる。
連続グレートリセット自体は防げている。10回のループ中、8回はヨシミツくんの人生を全うさせてあげれたのは満足していた。いつも笑ってた彼の幸せを護れたと思う。反面仕方ないのだが、桜樹リツコを何度かリセットした。戦績は、3勝1敗で勝ち越している。
彼は学生時代の恋人と別れた直後に結婚し、今や六歳児の父だ。護衛ポイントの近所の公園に戻った。ご子息のユウくんが、キリンのブランコを飛び降り、象さんの小山に走る。それを彼が追いかけると、登ってその鼻の滑り台を降りた。楽しそうだ。その様子を奥さんが、ママ友と話しながら遠くで見守る。私が与えてあげられなかった種類の幸福だ。
「まぁ正直、悔しいかな」
ベンチに腰掛けながら呟く。こんなステレオタイプに嫉妬するのを含めてバカバカしいとも思う。持ち歩いている、水筒の麦茶を飲みながら見守る。多くのループでは今や彼の同級生をやってない。イヤフォンから報告が聞こえた。
「路地裏は清掃班がクリアしました。あたりに反ループ因子確認できません。深倉センパイ、交代要員手配しました」
「到着するまで休憩がてら、護衛継続しとくわ。瀬岡ちゃん引き続きオペレータよろしくね」
5回目の人生を生きている後輩だ。私より建設的にループ社会に適応したように思う。
こんな時、知永先生に倣ってタバコが吸いたくなる。正直、2、3のループで喫煙してた。だが合わなかったのだ。ひぐらしが鳴きはじめる。
「今世のヨシミツくんは幸せかな。とはいえ、問題は解決してないし。誰も幸せになってないのよね」
「何か言いました?」
「来世はどうしようかと考えてたの」
「ジェネシスもひどいですよね。10ループに、連続グレートリセットをカウントしないの。だからセンパイ就労義務期間伸びたんですよね。続けるんですかエデンの仕事」
「あーたぶん、退役すると思う。まぁ五百年くらい働いたし、次やりたいこと決まったの」
「何されるんですか」
「内緒よ」
組織の安定や改善にも尽力し、ヨシミツくんに幸せな人生を生きてもらえる体制も安定した。次に手を付けなければならないことのイメージはある。
「分かったんだ。きっと実現してみせる。ループから皆が自由に出ていけるようにする」
「えっ、あっ声が小さくて聞こえませんでした」
「いいの。なんでもない」
桜樹リツコとは、ループ開始の時もあの後、しゃべってない。お互いあの時間は干渉しない不文律のようなものが出来ていた。彼女にしてみれば、検問を抜ける算段がなければ、連続グレートリセットに関わる手段は封じられている。
次の始まり、手始めに彼女と話してみよう。「私達にとって牢獄でも、記憶を持ち越せないヨシミツくんにとっては、掛け替えのない一度きりの人生とその選択だ。くり返しの中での尊厳ではなく、それを大事にすべきなんだ」
今ならはっきり言葉に出来る。あの時伝えられなかった私の考えだ。
Ⅲ-ⅴ
■4716 + 357回目 の 2048年 3月20日(金)
岩手県、花巻空港から、ヘリで北上山に向かう。下界に広がる自然をぼんやり眺めていた。
「もうすぐ、国際リニアコライダーが見えます。ご覧になりたいでしょう? すこし旋回しますね」
パイロットの男性に声を掛けられる。思い起こしていた、いままでの生死のくり返しから我に返った。
窓の外を見る。制御棟や事務施設、長期滞在用の居住区画が遠方に確認できる。地下には、目に見えない陽子や電子、ヒッグス粒子などのふるまいを調べて、宇宙のしくみを明らかにしようとする巨大な直線型素粒子加速器、ILC、国際リニアコライダーが埋まってる。
「ようやくだわね」
「推進協議会の要職でおられるとか。二年経っていますが、ご尽力の成果ですね。感慨深いでしょう」
「そうね。長かったわ」
私は40歳近い。初めてなのは今世でだけだ。感動は彼よりもさらに薄かろう。ジェネシスの力で、日本に誘致し半ば組織で私物化している。N大学の物理学研究室を足掛かりに、タイムトラベルの基礎理論に60ループ。そこで中立移住機関エクソダスを立ち上げた。誘致先の干渉工作に10。ILCを利用しての理論の検証に90を費やした。時間旅行の実現にさらに110回。
移住を開始して、もう67ループである。二年に一人、1ループで最大約八人を送り出していた。まぁ、数えてみると、ヨシミツくん死後の世界への移住を構想してもはや337ループなわけだ。
柄でもない白いスーツを着て、かしこまっているのは居心地が悪い。機関の長たる権威を背負うのであれば、それなりの恰好をとの鞘山詩枝の言葉に従う形となっていた。
さらに30分ほどの飛行を経て、施設のヘリポートへ降り立つ。コパイロットが、後部客席のドアを開けて、折り畳み式のタラップを展開してくれる。回転を緩めつつあるローターの風もまだ強い。隣のシートに座らせていた、ぺんぎんのぷにちゃんを連れて、地面を踏みしめる。端に立っている、出迎えのスタッフの元に向かう。
あらかじめ止めていたが、紐がほどけて舞った。髪が躍り視界を遮る。伸ばすとこういうのが面倒だ。歩きながら再びまとめ直した。
「お待ちしていました。深倉長官」
「それも今日で退官よ」
「リニアコライダーは既に稼働準備に入っています。お急ぎください」
それでも要職達からの挨拶は避けられず、ギリギリまで退屈な話を神妙な顔で聞かざるを得ない。その後、登山服に着替え、スタッフに連れられ、私は制行棟の地下へエレベータで降りる。長い地下トンネルを進む。突き当たったT字路の左右に巨大な筒が伸びる。コライダー本体である。
その脇のクレーンに吊られた卵型の時間転位用カプセルの中へ仮設階段を登って潜り込む。中は狭く、シートの正面にはカウントパネルがある。数字が減っていき1800秒を切る。
「あなたが立案されたのでご存じと思います。これでループの外に出れますが、中に戻れません。時間転位後。空中に投げ出されます。ですがパラシュートが開きます。また前回までと重複しないようにしているので、出現する時間座標と空間座標上に障害物はない想定です」
その他にも細々と念をおされた。シートベルトを締め、ぷにちゃんを抱える。扉を閉める前、サバイバル装備の入ったリュックの固定をスタッフが確認した。外から開閉ハンドルを使って密閉しはじめる。内側にも付いており、転位後外に誰も居なくても自分で開けれるのが分かる。説明通りだ。
クレーンで作動位置に設置される間の、ガタゴトと鳴る揺れにすこし不安を覚える。振動がなくなり、静かに刻まれるカウント。
これを使って、外に移住出来ることになっている。中へ帰るには再び条件を満たす必要がある。戻っても以前の記憶は持っていない。そこは既に確認している。その時、彼の交際を自分の目的の為に運用したので罪悪感はあった。だが、大半の反ループ組織は、この計画に賛同し、ジェネシスで議席を持つに至った。奥峰千歳に兼海和花の気持ちを代弁して見せて、強引に説き伏せた。他の始祖達への接触も試みたが、ループ開始起点時刻にどこにいるか記録も定かでなく、結局消息がつかめてない。なので、反ループ組織への最初の接触などで、桜樹リツコには随分、ツテとして頼った。カウンターの数字が残り360秒を切る。
「60秒前から、音声で読み上げます」
「分かったわ」
以前より、ヨシミツくんの、毎ループ一度きりの人生を護りやすくなっている。世の中をちょっとはマシに出来たと自負があった。
「60、59、58」
ぷにちゃんを抱きしめた。左羽を上げさせる。勇気が出た。間もなく、高エネルギー加速でヒッグス場を強制励起し、時空構造の「基底面」に亀裂を開く。その瞬間、カプセルはクレーンからパージされる。脱出した記憶保持者と連絡を取る手段がない。基本的に一方通行なのである。本当は、転位の結果は存在の霧散かもしれない。だが、移住者の多くは、少なくとも、その時は死ねると考えていた。私もそうだ。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1」
その瞬間、体が軽くなる、0は聞こえなかった。
■?回目 の ????年 ??月??日(?)
金属の擦れる不快な音で意識を取り戻した。カプセルの扉につけられた外側から、誰かが開けようとしている。あの世とやらではなさそう。シートベルトを外して、投げ出されていたぷにちゃんを拾う。
「ごめん、痛かった?」
声を掛けて謝った。内側からも操作しようと思い。シートに座らせようとするが、滑り落ちそうだ。思ったよりカプセルは傾いている。仕方なしに脇に抱えたまま、内側からも開閉ハンドルを体重をかけて回す。
開いた外の青空を背に、私と歳の変わらなそうな、桜樹リツコが微笑んだ。
「最後の人生にようこそ。怪我はなさそうね。ユイカ」
つい、彼女に抱きついた。
山中の森の中をジープで近くのグランピング施設に向かう。移住者団体が営んでいるそうだ。ヨシミツくんを連れてくる案もあったが、人生を無駄にして幸福にも尊厳にも寄与しない可能性から、わたしは却下している。いつか、誰かやるかもしれない。
先に移住しているはずの、佐藤美月や山口紗枝について尋ねたので、知永シオネの話になった。
「先生は、外に来たがると思ってたんだけどね」
「何度も声かけてたね。結局は来ないって?」
「そう、あの生活を実は気に入ってるって断られたわ。意外じゃ無さそうね。りっちゃん」
「うん、多分そう言うと思ってた。不老化を研究するようなヒトだし」
「そう言えばそうね」
自分がそこに気付かなかったので、少しおかしくなって笑った。この世界では、国際リニアコライダーはジュネーブに建築されたという。研究時には、タイムトラベルすれば「くり返し」の外の時間に到達すると予想していた。計算通りヨシミツくんの死後であるようだ。きっと0回目の未来だと考えてる。
一番意外だったのは、ループ内での出発時点の時間差1年で1週間程度しか到着に開きが無いらしい。ざっと計算して、最初の移住者が到着して十八年経過している。前世に移住してきた彼女は一年前にここに付いたらしい。暦的には2142年3月だとか。
今の都市や生活、もちろん世界情勢はおいおい知って行けば良い。ジープがバウンドして、落とさないように、ぷにちゃんを抱きしめた。その柔らかな手触りで、ループの外に出たら、一番したかったことを思い出す。ここに生きた彼は私を知らないかもしれない。だが、ようやく、私のヨシミツくんの為に墓参りが出来るのだ。
文字数:39972
内容に関するアピール
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死を境に過去へ回帰する世界に身を置くことになった深倉ユイカ。
彼女は、愛するヨシミツくんを「今度こそ」幸せにしたいと考えます。
ですが、そこはループを生きる「記憶保持者」が女性ばかり六千人以上おり、彼は記憶を保持して生き返る鍵でした。
互助組合から発展した「統合管理機構ジェネシス」と下部組織「交際運用特務機関エデン」により管理されながら
ユイカは、「永遠の生」や「かけがえのない彼の幸せ」と向き合います。
■登場人物一覧■
深倉ユイカ
交通事故の後遺症でヨシミツくんに看取られながら
若くして死んだはずが、高校生に戻っていた主人公。
エデンに参画する
桜樹リツコ
深倉ユイカの「前世の親友」。
エデン・メンバー
ループ世界のオリエンテーションを行いミッションの多くで共に活動する。
知永シオネ
交際運用特務機関エデンのN大学内拠点 責任者
超長期ループ記憶の保持者、メトセラ。
鈴木琴葉、佐藤美月、山口紗枝
エデン所属の記憶保持者。
鞘山詩枝
統合管理機構ジェネシス議会の交際運用関連担当議員
メトセラ。
奥峰千歳
「始祖」と呼ばれる、メトセラよりもさらに古くからの記憶保持者
ヨシミツくん
彼との交際がループで記憶を保持する条件である。
だが本人は記憶を持ち越せない。
■著者コメント■
作中、一部、横書きでしか、成立しない表現(顔文字)があります。
縦書きViewで読まれる場合はお含みおきください。
後日談とかスピンオフも書きたい。
文字数:666