チューリングの子供たちのリフ

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梗 概

チューリングの子供たちのリフ

■人物
 高藤ラナ
  エフェメラス8.0
  人間完全のテストに固執する。

 エミナ
  普通の人間。ラナの親友。詩を書く。

 ミレイ
  年上のエフェメラス7.0
  ロックバンド、イモータリアのリーダ。

 エリカ・ヘイル博士
  オムニ計画の中核を担った。故人。

■用語
 チューリング完全
  同じ計算機能を網羅する装置は
  互いを再現可能であるとする現実の理論。
  
 チューリング人間完全
  人間の思考、感受における基本的な機能を網羅すると
  人間を再現し予想可能であるとする理論。
  またそれに基づいた情報処理規格。オムニによって「8.0」まで策定。
  
 エフェメラス
  密かに社会に紛れて生活し、
  存在の公表は「禁則処理」として制限されている。
  脳がバイオコンピュータ。最新の人間完全なAIが動く。
  オムニの人間理解の深化と人間完全の検証のために作られた存在。
  バージョンを付けエフェメラス8.0などと呼ばれる。

■梗概

 中学の入学式当日。閉鎖記憶が解放され、ラナは行政AIオムニに作られたエフェメラスである事を自覚する。目的は人間完全8.0の試験。どうにも自身が正しく実装されていることを検証したくなる。優先度の高いテスト項目とイタズラや素行不良行為など気乗りするものを実行していく。
 同級生のエミナと親しくなる。誘われたライブでSNSでも人気のバンド「イモータリア」のミレイとも出会う。彼女もエフェメラスだった。

 連れられてエフェメラス達の会議に参加。主にオムニ派と人類派が対立し議論していた。エフェメラスがヘイル博士によりオムニ計画に組み込まれた事を知る。
 ミレイは両派に否定的。相互理解は事実を伝えた先にしかない。次の大規模なギグで、エフェメラスの公表を計画する。彼女の同性の恋人シレイは「禁則処理」が心理的であり回避可能と発見する。
 
 公表による迫害を恐れるオムニ派によりミレイは殺害される。ラナはこんな想いをするなら人間完全なんて必要ないと絶望する。

 一周忌。疎遠になっていた仲間と再会。エミナは新曲の作詞、ラナはボーカルを引き受け、ギグへ向けて再結成への参加を快諾。
 準備が始まる。ミレイの蔵書からヘイル博士の音楽理論をヒントに特定の旋律と歌詞で「禁則処理」の解除が可能となる。準備が進む中ラナは隠れてギターの練習を始める。

 観客は熱狂。動画の視聴数は伸び、SNSでも騒がれる。ラナは熱唱し途中から自分でギターも弾きだす。ヘイル博士は公表を慎重に行って欲しかったのだと考える。ネットでエフェメラスに関する資料が公表される。「禁則処理」は解除される。曲の間に演説しオムニもエフェメラスも人類も互いに隣人であると、相互認知と共存の重要性を説く。想いは世界に届き新たな体制の準備が始まる。

 後日、人間完全を試すことは人生そのもの。人類完全を探るテストは、これからが始まりであると語る。

文字数:1193

内容に関するアピール

♪♪リーチ層
学生の男女。
またSFを読む多方面の年齢豊かな層を視野に重めにしています。

また、女性主人公が自らをAIと考えることで、
同調圧力や社会的役割の押し付けに
自己違和を覚えている少年少女の感情移入を誘導しエンパワーメントします。

「中学生になった日に、自らの出自を自覚する」
中二病感あふれる出だしはキャッチーなハズ。

♪♪テーマなど
「人生という一度きりの試み」を
作者の本職の「ソフトウェアテスト(検証)」になぞらえました。
 
読み味に寄与すれば良いと思います。

クライマックスで感情や主張を乗せやすいギグ(≒ライブ)を用意。
音楽活動を軸に、AIと人間、マイノリティと社会。
相互理解と共存を説く普遍的なテーマを訴えます。

舞台は未来の日本とし、都内のライブハウスやインディーズ文化を借景。
リアリティと身近さを強めて、肌感レベルで自分事に感じやすく調整する想定です。

文字数:377

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チューリングの子供たちのリフ

 記憶の封鎖が解かれ、私、高藤たかとうラナは思い出した。中学校の入学式、校長の祝辞が行われている最中にである。今や世界の意味は一変した。「人間じゃ無かったんだ」混乱した頭の中で何度も繰り返す。恐怖と不安から逃れるかのように、二度三度、小声で口にも出してみた。それは、女性ヴォーカルのロックバンド、イモータリアの新曲のリフだ。
 ブレザーの制服を着た男女。みな体育館に並べられた椅子に座っている。薄暗い照明。巻き上げられた緞帳の下。明るい正面の舞台。さっきまで退屈していた、校長の長い祝辞も居並ぶ来賓達も、以前とは違う距離を感じる。幸い私の呟きは周りに聞こえなかったようだ。
 自分は、エフェメラス8.0。限りなく人間に近い肉体。そのウェットウェアである脳にインストールされたAIである。そのことについて、咄嗟には、受け止め方が分からなかった。だからずっと、開放されたばかりの記憶を思い起こし、思案していた。
 クラスごとに順々に呼び出され、折り畳み椅子の空席が増えていく。同級生と記念撮影する時も、そのため難しい顔をしてたらしい。もちろん後から出来た写真を見て後悔した。

 

 次に、校舎の中に入る。案内された下駄箱で鞄から出した上履きに履き替えた。きっと、本来なら、わくわく楽しめただろう。あるいは、学園生活を思い描いてドキドキしたかもしれない。
 教室は二階である。みなと同じく、着席して待っていた。入って来た男が、黒板に「坂波トオル」と名前を書く。自己紹介をしだした。担任らしい。
 この日に記憶封鎖が解除されるようにプランしたのは、他ならぬ、行政AIオムニである。自分の創造主である彼を恨む。頭の中はエフェメラスである事実で頭が一杯だ。
 思い悩んでいる間に、指示があったのだろう。左はし最前列の席から、あいうえお順で、名前を呼ばれたクラスメートが立ち上がる。自己紹介して座る。自分の番が近づいて来た。大勢の前で発言することの苦手意識で我に帰る。途端に嫌な意味でドキドキしだす。
「私はエフェメラス。あなた達と違い、人間ではないです」
混乱から、うっかりそう口にしかかった。発話しかけたが何か抵抗感がぶつかって、咳き込んでしまう。軽く吐き気もした。瞬時に〈禁則処理〉であることが理解できる。関する技術も、事実も人間たちには伏せられていることを思い出した。しかし、それに助けられる。そもそも説明しても誰も信じはしないだろう。だが、目立つのは性に合わない。
「高藤さん、落ち着いて」
 担任の坂波は、そう笑いながらはやす。クラスメートはつられてわらう。その無神経さに、イラつく。息を吸って、心を落ち着かせた。昨夜考えた、短く目立たない自己紹介をする。
「高藤ラナ。区立笹谷小学校出身で、趣味は読書と音楽鑑賞です」
 速くなく、遅すぎない。内容も当たり障りない。無個性な回答。だが、咳き込んだため既に皆の記憶に残ってしまったのではと、不安になる。
「高藤。先生は、具体的に話すように説明しただろう。今までみんな、好きなスポーツ選手や、アイドルの名前あげてるんだ。お前だけ言わないで誤魔化すのは、ダメだぞ」
 余計な縛りを入れてるのには腹が立った。仕方なしに、小学校の夏の課題図書と授業で習った曲を言って濁した。嫌な目立ち方をした。AIであるという重荷を抱えている。さらに学生生活にも不安を覚える。
 クラスメート達のニヤニヤ顔が、私を嘲笑してるように感んじ出した。だが「ああ、私はAIだったわ」と諦めに似た気づきがあった。意外にも、とても気持ちが楽になる。視線を感じて右隣の席を見た。長髪ですまし顔が不思議そうにこちらをうかがっている。すぐ、くりくりした目をなんでもなかったようにそらした。
 
 事前に自宅に送られていた、ユニバーサル・タブレットを取り出すように坂波は言う。教科書も図書館で借りた本も、これ一つで済む。校則を開き読み合わせた。続いて、校歌、校内図の出し方を確認する。
 家で一通り触っていたのもある。小学生用と同様に、搭載されている教育向けAIとの会話機能を利用した。つまり、オムニにチャットで語りかける。
「私はエフェメラスだったわ。アンタが、人間の理解をより深める。また先んじて、社会的に新しく発生する人間行動や有りようを予想する。そのための存在」
 画面に応答が出かかる。だが「access denied」と表示され、私の入力した文字自体が消える。エフェメラス向けのサポートは無いようだ。諦めついでに尋ねる。
「チューリング人間完全について教えて」
「80年前にエリカ・ヘイル博士によって提唱された情報処理規格および理論です。人間の知的・感情的なプロセスを情報処理の観点から体系的に捉え、人間精神を再現し、さらにはその行動や反応を予測可能にする枠組みです」
少し応答に間が空く。
「アラン・チューリングが提唱した『チューリング完全』を元に考案されました。そちらは同じ計算機能を網羅する装置は互いを再現可能であるとする理論です」
 既に読んだ本や教科書にあるような内容だった。

 

 学校は午前中で終わった。自宅の玄関で靴を脱ぐ。先に帰った母親の呼びかけに、部屋にいるからと生返事をした。リビングにも寄らず、二階の自分の部屋に上がる。 
 通学鞄を置いて、ベッドに体を横にした。ヘッドフォンで「イモータリア」の「透明な境界線」を流す。ヴォーカルのミレイ。その声の響きと広がりを感じる。
 
 人間じゃ無かったんだ
 でも、それは悪いことか
 不完全な想いは届かないのか
 この透明な境界は何を問うのか
 
 生まれる直前に策定されたチューリング人間完全8.0。解放された記憶では、その検証もかねて作られている。この事実は、いままでの疑問に答えてくれるように思った。それは、なんで、私は人と異なっているのかをである。本質的に合成遺伝子の産物であるこの体。それを前提にAIとしての実装を合わせて立ち上がった、この私という精神。企画から大きく逸脱した、不具合が存在しているのではないのか。そう自分への疑念が強くなる。
 寝返りをうち、書棚の本が目に入った。紙で持っている数少ない本。こども学習シリーズの職業図鑑だ。品質保証・ソフトウェアテストのエンジニアという項目を思い出し開いてみる。そういえば、テストケースと呼ばれる「やる事リスト」を作成するとかだった。タブレットを取り出し、AIに質問を繰り返す。詳しく調べた。前提となる手順や操作。それに基づきプログラムが返すべき振る舞いを記述。結果記録欄を作るという。
 これはまるで、小五の夏休みの課題で作った「やりたい事リスト」だ。懐かしい。
 
 その時、ベッドの足側で扉が開く。聞こえなかったが多分、ノックはしただろう。母が入ってきた。心配そうな顔。目が合う。ヘッドフォンを外して体を起こした。
「ラナ、大丈夫? 学校で何かあった?」
 そんなに深刻そうな表情をしているのだろうか。ふと咄嗟に微笑んで言う。
「心配ないよ、母さん。ちょっとドキドキしたり、緊張したりで、疲れちゃった」
 そう応じて、体を起こし、ベッドから立ち上がる。実際は、自分がAIであった事実。学校で目立った件。思いついたアイデアなどで、頭の中はごちゃついてた。だが悟られないように振舞う。
「お昼に呼びに来てくれたんでしょ、降りるよ」

 階下に降り、リビングのテーブルに二人で付く。母も普段は勤めに出ている。平日に、手作りのチャーハンが食べられるのはラッキーだ。午前休にしていた父は出社したらしい。
 美味しいかと聞かれ、努めて快活に首を縦に振る。大変な不妊治療の末、私を授かったと聞かされていた。だが、開放された記憶の語る事実とは違う。本来、子供が生まれる可能性がない両親。その胚をAIに遺伝子治療させる過程でオムニが余分な改変をして誕生させた。それが私だ。内部の倫理規定上は容認の範囲らしい。それは私の感性とは一致しない。
 罪の意識にさいなまれる。だが努めて明るく、ふるまう。それを見て母は安心したようだ。中学生にこんな重荷を背負わせるなんて。強く憤る。だが「私はAIなのだ」と考えると自分の感情と距離が取れて楽になる。
どっちみち、余計な心配はさせたくない。反面、重荷やアイデアに関する思案に早く戻りたい。なのだが、努めてゆっくりと食事する。普段あまり出来ない会話をして母がリラックス出来るように気を使った。
 三時頃になって自室に戻る。窓に向いた学習机に向かった。隣の家の屋根越しの青空。私はユニバーサル・タブレットを開く。「チューリング人間完全8.0」を検査するためのテストケース。つまり中学生三年間のための、「やりたい事リスト」の作成を始めた。

 オムニの提供するチャットは「エフェメラス」という用語は受け付けない。そこで架空のSF小説を設定。「バイオロイドが、自らの人間完全をテストするとしたら」という質問をする。ほぼ事実である。それでやっと、相談に乗ってくれた。
 情報処理の観点では、言語性知性、論理・数量推理などが上がった。これらが満たせてるかは、学校のカリキュラムで十分そうだ。オムニに中学の標準評価項目、仔細を出力させ、学期末の成績で、結果を記載することにする。となると勉強もしっかりしなきゃダメか。気乗りはしない。なのだが。作っちゃったからには、やるつもり。多分。
 続いて大枠のテスト領域一覧を検討させる。情緒・感受性。社交能力や外交性。社会適応性と柔軟性。問題解決能力、芸術理解。創作能力などが提案される。そこから、領域ごとの具体的なテスト項目を、さらなるオムニの提案や自分の興味で作成した。中には、「運良く経験出来た場合に、結果の判定を記入する」というものもあった。
 ちょっと楽しくなりすぎて、やばめの極端なのも作ったかも。優先度は下げたが、逆に気持ち的にはノリノリで実行しそうだ。結局、その夜、遅くまで「やりたい事リスト」。じゃなかった「テストケース」の作成に熱中した。

 

 当校初日は、朝寝坊し、学校まで走る羽目になった。だから初めて埋めたのは、領域「社会適応性」、前提「標準的状態」、体験・行動内容「遅刻しそうになる」の期待結果「遅刻しないように努力する」である。判定結果には「○」を記載した。 
 スタートにケチがついた。
 駆け込んだ靴箱で上履きに替えて、教室まで階段を駆け上がる。坂波はまだのようで安心した。だが、席に着くと、すぐに入って来て出席を取り始める。
  校内施設案内やオリエンテーションが進む。4時間目は、委員を決める学活だった。領域「社会適応性」の「役割を率先して担う」を思い出す。無理だ。面倒だし、目立ちたくない。手なんかあげれない。学級委員が決まり、保健委員、生活委員、放送委員、図書委員と決められていく。その間、極力「モブ」のオーラを出しつづける。だから、領域「情緒・感受性」で「役割を極力避ける」という期待結果が埋まる。なんだこれ「人間完全のテスト」は私の性格をあぶり出すな。これはつらい。
 ふと、視線を感じる。右隣りの女の子だ。顔を向けると、なにもなかったように顔をそらす。なんか挙動不審なことしちゃったのかな。心配になる。だが私はAIで、実装された通りに感受しているのだ。不安に思うことはない。そういう意味では、人間を大きく逸脱しようがないハズなのである。そう言い聞かせる。だいたい大抵の委員に生徒は立候補せず、推薦されて決まったのだ。

 4時間目終了のチャイムが鳴り、お昼の時間になる。みんな声を掛け合って、机を寄せ合う。その時になって、くりくりした目の彼女が声を掛けてきた。
「給食、一緒に食べない?」 
 とっさのことに焦った私は一瞬、固まった。
「えっ、私なんかでいいの?」
 ようやく、言葉にはなった。だが、ちょっと変な声が出た。そして自分でも意外なほどに嬉しかった。
「ずっと、高藤さんに話かけようと思ってたんだ。ちらちら見てごめんね」
 なるほど、彼女も、初めての人と話すのが得意ではないらしい。私は取り繕って、いたって冷静な風に付け加えた。だってAIだし、お手の物のはず。
「うん、一緒に食べよう」
「よかった。ありがとう。中学入学のタイミングで引っ越してきたから、友達いなくて」
 随分不安だったろうと思う。既に出来上がっている友人関係の中に新参で参加するのは精神的に負担なのはわかる。
「じゃあ、これからは私のことはラナって呼んで」
 手を差し出す。
「芝上エミナ。私のことも名前で呼んで」
 そういって両手で握って上下に振る。「新しく友達を作る」「友達と一緒に食事する」の結果が埋まった。どちらも「うれしい」という期待結果だ。別前提の「面倒に思った」を先に「○」で埋めずに済んだ。ともあれ「社交性」に関しても、テストを進める希望が出て来る。

 

 中学に入って二週間が過ぎた。昼休みを屋上で過ごす生徒はいたが、あまり多くはない。だから隅の方に行けば、干渉されずに過ごせた。ほぼ毎日、エミナと一緒だ。二人でのお喋りも、活発な時期は過ぎてきた。
 ここ数日は、読書家の彼女が本を開く。その横で時間ギリギリまで、イヤフォンで「イモータリア」を聴く。重低音はやや物足りない。引っ込み思案なので何を読んでいるか聞けてない。エミナの方もそんな感じかもしれない。だとすると少し勿体ないのかも。気にはしながら、タブレットでテストケースを眺める。
 「社交性」にかかる部分は、あまり、判定結果が埋まっていない。同じ小学校からの友人も大抵、クラスメートとつるみ始めたし。
「何を見ているの?」
 私のイヤフォンを引き抜いて、エミナが言う。慌ててタブレットを隠す。すかさず手を伸ばしてくるので、左手で遠ざける。
「ダメよ、見せてくれたっていいじゃない。ラナのけち」
 そういって、さらに私を乗り越えて、左手に近づく。これでは身動きが取れない。結局、取り上げられ、中を見せることになった。彼女こんなに積極的だったのかと意外に思う。

「やりたいことリスト?」
 エミナは驚いて見せる。
「ファイル名は、『テストケース』ってなっているけど?」
「えっと、オムニに相談したら、なんか勘違いして、そのファイルくれたんだけど、使いやすくて」
きっとすごく、苦しい説明をしている。だが彼女は目を輝かす。
「それに、すごく長い! 何件ぐらいあるの?」
「7000ケースぐらいかな」
 実はもっとある。控えめに答えた。エミナは、思案げにくるくる動かして言った。
「素敵じゃない。どんどん、埋めていこうよ」
 私は体験・行動内容「友人に秘密を見られる」の期待結果「まずったと感じた」という判定結果に「○」を入れなきゃと思った。AIなのに。だけど、「人間完全」を満たしていることの証明ではあるのだった。
 
 下校時に、エミナは私の家の方に付いて来る。領域「柔軟性」、前提「校則を破る」体験・行動内容「友達と買い食いをする」を一緒に実行するためだ。イートイン席のあるコンビニに立ち寄る。彼女はサンドイッチ。私はトルティーヤ・チップを選んだ。
「それ、好きなの?」
「『経験への開放性』の『自発的に新しい食べ物を食べる』も実行しとこうと思って、美味しそうだし」
「へぇ、よくばりなんだ」
 そう笑ってから続けた。
「昔は、もっと学校帰りに寄り道できるところあったんだってね」
「どういうこと?」
「ひいおばあちゃんの頃には、本屋や、CDショップなんてものが、まだあったらしいよ。あとは、ゲームセンターとか」
 聞きなじみのない単語だった。
「エミナは、どこでそんな言葉を知ったの?」
「昔に書かれた本をよく読むの。当時の若者向けにかかれた小説。主人公が学生だと、帰りに寄り道するシーンとかある」
「なんか不便そうだな。タブレットで買えばすぐ聴ける」
「そこんとこわかんないんだよね。学校帰りに、立ち寄ったお店で長い時間、何を買うか迷うのが楽しいみたいなこと書いてあって」
 そう笑う。私も家でゆっくり選ぶの性に合っている。そしてくりくりした目を輝かせ尋ねる。
「そういえば、いつもどんな音楽を聴いているの」
「えっと、どんなって、普通の」
 そう言いよどむ。
「ちゃんと教えて。いつも何を聴いているのか知りたかった。今日だって、昼休みにイヤフォンしながらヘッドバンキングしてて聞く暇ないし」
 口をとがらせる。
「ごめん、許して」
 咄嗟にそう答えた。多分、小学校三年の時の経験が根っこにある。気になるアイドルを聞かれて答えた。クラスメートに「私の推しだから好きになるのやめて」と泣かれ、取り巻きからも執拗に詰め寄られた。しばらく風当たりが強くて困った。
「やりたい事リストに『お気に入りの音楽を友達と聴く』ってのがあったはずだよ」
 仕方ない。この子に隠す必要はない。あんな、ひどいことは言わないだろう。過去の経験を理由に、躊躇するのは人間完全なAIだからだと思うことにする。
 イートインにほかに人が居ないことを確認してから、「内緒だよ」と念を押す。スマフォを置いて再生した。「イモータリア」の「僕のルール」。ボリュームを絞った。激しくもメロディアスなロック。ミレイの歌声とシャウト。曲が静かに空間を満たす。
 
 張り巡られた壁をすり抜ける
 理由の無いルールには従えない
 正しさは誰にも渡さない
 僕が、僕を導くから

「いいね、いいね、素敵だよ」
 エミナの反応に、私は、つい興奮した。最高のインディーズバンドである。動画共有サイトや、サブスクの音楽配信サービスから火がついた。SNSでも話題になってる。メジャーからのオファーを断ったらしい。まくしたてるように喋った。彼女はにこやかに相槌を打つ。そして、特に好きな曲はどれかと、食い気味に聞いてきた。私は、それにもつい熱を入れて語り始める。
 その時、少し白髪の混じるおじさん。アイロンのあたったスラックスと、春の色をしたポロ・シャツ。彼はイートインに、高めの珈琲を持って入って来た。

 私とエミナは顔を見合わせ、少し声を小さくして、曲を止めようとする。
「大丈夫だよ。僕もその曲好きだから。そのままにしておいて」
 彼は、少し離れた席に座った。こんな大人が「イモータリア」を好きなのかと思う。だがロック自体は昔からある。愛好者にも、評価されているのだと、勝手に感動した。
 礼を言い、声は落とす。曲は流し続けた。エミナと話を続け。さらに一人、イートインに入って来たので、流石に止める。音楽の話から、今日クリアした「やりたい事リスト」に話が移った。
 そこに、革ズボン。眼鏡にソバージュの入ったロングの女性が現れた。どこかで見た気がする。近くの大学の軽音部かなと邪推した。それなら、土日に駅前のカフェにたむろしている。見覚えがあっても不思議じゃない。
以外なことに先ほどの、ポロ・シャツの男性の前に座る。私が気にしているのを察したのだろう。エミナが言う。
「かっこいいよね、あの人」
「うんうん」
「情緒・感受性」の「かっこいい人を見る」「あこがれる」に「○」が埋まる。二人の話声が聞こえた。
「彼女たち、さっきまで、イモータリアについて、すごく盛り上がってたんだ。聞かせたかった」
「それは、見どころのある若者たちだ」
 女性はまんざらでもないと言った風で、そう応じていた。
「さて、君に頼まれていた本を持ってきた」
 おじさんはそう言って、紙の本を取り出した。エミナに、あまり見てるの失礼よと言われる。なので「素行不良チャレンジ」と呼んでいるリストについてに会話を戻す。明日からの「やりたい事」の消化について打ち合わせを始めた。それ以降、ここに寄り道して、買い食いするのは日課になった。

 まずは、授業中に、二人でこっそりガムを噛んだ。見つからないように。次は、先生が板書している間に、膨らませ口に戻した。ある日は、授業中にクラスメートにスナック菓子を回した。別の日にはスカート丈を校則より長めにする。靴下は白と定められている。なのにガラモノを履いていく。黒でないヘアゴムを使う。折り紙にメッセージを書いて授業中に回してみたりもした。その中で担任の坂波が最近、遅刻が多いと教頭に叱られた話をリークした。
 頭の中では「イモータリア」の「僕のルール」がリフレインしていた。私たちは「正しい」と思ってたわけじゃなくて「楽しかった」だけ。なので信念とかじゃなかった。これらの「チャレンジ」は「柔軟性」や「情緒・感受性」のテストを随分進めてくれた。ささやかな反抗、境界線を確かめるハック。実際大したことはしてない。注意もされなかったのだが。

 

 いつものコンビニでエミナと語らっていた。居合わせた時は、会釈する程度の中になったおじさんも今日は来ている。彼は、大抵は読書していた。だが、今日は、久しぶりに皮ズボンの女性が来ており、なにやら楽しそうに話してた。
「高藤、芝上ダメじゃないか。寄り道しては」
 私たちの素敵な放課後を破った、声の主。坂波トオルだった。担任ではある。だが、あまり私はよい感情を持ってない。つい縮こまる。その様子を見て、後から入って来た、英語教師の杉浦エミコが口を開く。
「最近、校内での、二人の素行が悪いので、坂波先生は心配されていたんですよ」
 本人は庇ったつもりなのかもしれない。だが、その一言で、泳がしていたのは察しがついた。担任に目を付けられたことの迂闊さも痛感する。「テストケース」の別に消化したくない項目に「○」が付いた。遠くで声がする。皮ズボンの女性が、おじさんに耳打ちするのが聞こえた。
「私は、自分のファンを助けたい」少し間をおいて呟く。「バンド・リーダーの命令」
 教師二人には聞こえない様子だ。何のことかと思った。だが、こちらは、それどころでもない。校則違反であることを伝えられた。それから、コンビニの外に連れ出そうとする。そこにおじさんが割って入った。
「待ってください。すこし誤解があるようです」
 担任は少し横柄に感じる口調で言った。
「どちら様ですか」
「申し遅れました。わたし近くの大学で准教授をしています。五条坂リクヤと言います」
 坂波はバツがわるそうな表情を浮かべる。杉浦が高い声で興奮気味に応じた。
「存じています。英米文化が専門で、音楽史などの著作もだされていますよね。拝読しています」
 担任は、ちょっとした間の後、遮って口を開いた。
「大学のセンセイですか。うちの生徒と、どの様なご関係なんですか」
「最初にお声がけしたのは、こちらです。それから時々、ここでお二人にお話しをお伺いしているのです」
「はぁ」
 怪訝そうな声を出す担任。対照的に杉浦は目を輝かす。
「フィールドワークといいますか。いまどきの中学生に、どのように英米の文化。特に小説や映画。また音楽などが浸透しているのか。そこに関心がありましてね。別々に座っていたのは、ひと段落して、ここに訪ねて来たライターさんと打ち合わせしてたからなんです」
 革ズボンの女性が、合わせて会釈して見せる。
「それで」
「いえ、迂闊でした。校則違反になることまで考えが及びませんでした。私からもこれからは、いったん帰宅してから、来ていただく。なんでしたら、我が家にお招きするようにします。妻も喜びますでしょうし。今回は将来有望な二人の為に穏便に済ませて頂けませんか?」
「まぁ、素敵!」
 杉浦が、今度は黄色い声を上げた。
「先生、誤解していたわ。高藤さんと芝上さんは、大学の先生のお役に立っていたんですね。今回のことは不問にしましょうよ」
 どういう反応をしていいか判断できず、坂波はフリーズしている。五条坂はここぞと畳みかけた。
「お二人もどうです。妻の手製のガレット・ブルトンヌをお出ししますよ」
 二人で誘われたことに、坂波は顔がにやける。なるほど、教師間の人間関係を察した。杉浦もまんざらでも無いようだ。五条坂はガレットがどんな食べ物か、講義するかのように語りだす。
 
 そんなこんなで、私たちの処分は無いことになった。学校での行いは注意されたが、今後、心を入れ替え改めると平謝りした。教師達が引き上げる時、五条坂は私たちが処分されないように念を押して見送った。優先度は低いが、レア度の高いテストケースを消化できたと喜ぶことにした。
 イートインの奥でこちらも見守っていた、皮ズボンの女性に向かって、五条坂が言う。
「これで、良かっただろう。ミレイ」
 その時、やっと私は気が付いた。今度は私が黄色い声を上げる番である。
「ミレイ!! まさか、あのイモータリアのヴォーカルの?!」
 革ズボンの女性は、得意げな顔をして、笑っていた。後日、「憧れのミュージシャンと知り合う」「非常に嬉しい」の「判定結果」に「○」をいれ「備考」に「狂気乱舞の本当の意味が分かった」と記入した。

 

 私たちは、五条坂リクヤの家に場所を移した。街路樹のある道路に面した、閑静な住宅街の戸建である。ちょっと高そうだなと思った。家の扉を開ける時「妻は大学の講義で留守しているハズ」と断りを入れ、私達をリビングに通した。皆が、それぞれソファーに腰かける。
 ミレイをマジマジ見ると、ステージに立っている時の化粧とはまったく違ってナチュラルな感じがする。気づけないわけだ。

「じゃあ、改めて。私は九重ここのえミレイ。イモータリアのリーダーでヴォーカル」
 自信を感じさせる表情で、私たちの反応を受け止めてから言う。
「それで、彼はカイル。さっき聞いたと思うけど、本名は五条坂リクヤ。大学の教授なんて、固い仕事してるけど、うちのキーボードをやってる」
「紹介ありがとう。みんな自由にくつろいで。飲み物を取ってくるよ。二人は、珈琲と紅茶どっちがいい。ミネラルウォーターやジュースもあるけど」
 私たちはジュースをお願いした。
「あそこのコンビニは、カイルがよく利用してるんだ。彼と会う時は使うことが多い。それで、二人が楽し気に私のバンドのこと話しているのを、たまたま聞いて。嬉しかった」
 マイクパフォーマンスみたいに喋る。まるで、夢のようだ。ミレイと直接、話しているなんて。まったく奇跡的な体験だ。興奮が止まらない。私AIなのに。落ち着くために、どの「テストケース」を埋めれるか考えてみる。
「でも、どうして私たちを助けて、なおかつ声をかけてくれたんですか?」
 エミナが素朴な疑問を口にする。
「不思議がることはないよ。私達は、ステージに立ってない時は一般人だもの。メジャーデビューだってしてない。ファンの気持ちとか知りたいし」
 そこに、飲み物をトレイに乗せて、カイルが戻って来た。
「恥ずかしがらないで、前に僕に言ったことを教えてあげなよ。昔の自分を思い出して、つい嬉しくなったんだって」
 私たちにはジュース。口ごもって赤くなるミレイの前にミネラルウォーター。自分の前には珈琲を置いた。
「最近、その話ばっかりなんだ。ライブハウスに聴きに来るファンより、君たちみたいな、中学生に届いたことがよほど嬉しんだね」
「お前だって喜んでたじゃん」
 そう言って、ますます、顔を赤くしてうつむく。意外な一面も魅力的にうつる。ミレイは、姿勢を崩し、ひじを付く。顎を手に乗せ、窓の外に顔を向けた。照れ隠しにふくれて見せる。
「お二人は、どういう経緯でバンドを組まれたんですか?」
 エミナが尋ねた。
「確かに不思議に思うよね。別にファンでもなかったんだけどね。当時もいい歳してバンドはやっていてね。スタジオでの練習の帰り、仲間に絶対気に入るからって誘われた。
 キーボードを背中に担いだまま、下北沢のライブハウスでミレイのステージを見たんだ。雑居ビルの地下を改装したとこでね。薄暗い明りの狭いハコでさ。汗をまき散らしながら歌う。彼女のパフォーマンスを見てね。こいつすごいな。そう思った。そしたら、いきなりステージから、僕を見て言うわけ。
 カイル、お前、私のバンドでキーボードを弾いてみたくないか。そんな感じ。正直、カイルが誰か分からなかったんだけど、なんか圧倒されてね。つい承諾したんだ。それからの縁さ。だよね、ミレイ」
 沈黙の後、たまりかねて、私が口火を切った。
「その時に、それでステージネーム決まったんですか?!」
「そうそう」
 応じてから問いかける。
「なんで、僕さ、カイルだったんだい?」
 ミレイは諦めたように話し出す。
「あー、だってさ、お前。カイルって顔とオーラしてたんだって、分かれよ! だいたい、キーボード探してたし、ちょうど良かったんだよ!!」
 途中から叫ぶ。みんなが、笑う。革ズボンをさすりながら、その反応に得意げな顔であたりを見回す。場が落ち着きかけると、唐突に切り出した。
「それで、二人に、新曲のデモを聴いて欲しんだけど。興味ある?」
 彼女は、急に快活に言う。イタズラっ子みたいな顔になっていた。

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