クレーターの底の小石
薄暗い部屋を照らす青白いディスプレイに、アルファ・ケンタウリ星系の立体映像が映し出された。中央に三つの恒星。そしてその周囲を巡る惑星と小惑星帯。
三つの恒星から放たれた光線は、自転する小惑星たちによって次々に反射され、小惑星帯の間を複雑に結んでいく。
「これが小惑星帯タケナの知性基盤アルベド・ネットワークだ。僕らはこの光通信を”歌”と呼んでいる」
惑星科学者のショウが、私に自慢気に解説する。
ここは惑星シフナキアト。アルファ・ケンタウリ星系の惑星で、タケナに近い。私は、このシフナキアト観測基地の調査員二人のうちの一人として派遣されたのである。
「ミレイの専門分野は?」
「文化知性学。霊長類から社会性昆虫、さらには菌類ネットワークに至る幅広い知性が研究対象だね」
「なるほど。歌の謎を解き明かすには適任ってわけだ。どんな実験をするんだい?」
「まだ内緒」
私は観測機器室を後にして、早速実験の準備に取りかかった。
私はタケナに話しかけてみたかった。これまでの研究は、どれも歌を暗号のように解読する研究ばかりだった。それなら、こちらから声をかけるアプローチはアリだと思ったのだ。
とはいえ反射光の明るさに匹敵するレーザー出力装置なんてない。そこで考えたのが、加工したレゴリスを小惑星に散布する方法だった。加工レゴリスの表面には、私が質問している音声をレコードのように凹凸で彫り入れた。実験が上手くいく自信はなかったが、やってみる価値はあると思った。
それから二週間後には、加工レゴリスをカプセルに詰めてロケットで発送できた。到着予定の明日が楽しみだ。
ところがである。
「歌が消えた」
翌日、ショウは首をかしげていた。ディスプレイには、刈り取ったように平らになったスペクトルが表示されている。
「百二十年前の観測開始以来、初めてだよ。情報エントロピーも増大しているし」
私の実験のせいかもしれないとは、とても言い出せなかった。
「今日、ミレイは調査に行くんだよね?」
「現地を見ておきたくって」
「それならレゴリスの吸光と発光の数値も見ておいて。何かが変だ」
「OK。調べてみるよ。じゃ、行ってきます」
私は足早に発着場に向かって小型シャトルに乗りこんだ。ハッチが閉まって小型シャトルが射出されてから、私はほっと息をついた。
タケナを殺してしまっていたらどうしよう。ああ、せめてショウに相談しておけばよかった。
これから私がすべきことはただ一つ。散布した加工レゴリスをバレないうちに回収して、証拠を抹消するのだ。
散布地点は三箇所。一週間もあれば周れる計算である。
一箇所目は、紡錘形の小惑星。自転速度が速いから、効果が早く現れそうだなと思って選んだ。
予想散布地点に着くと、三重の影を伸ばした巨岩のすぐ近くに、加工レゴリスとカプセルが散らばっていた。早速、シャトルに搭載された探査用ドローンを降下させる。ドローンにはスコップ状のアームがついており、これで小石を丁寧に一つずつ格納ボックスに入れていった。大部分を回収するのに五往復かかった。
次の小惑星に行こうとしたところで、わずかに残った粒子に目が留まった。これも回収すべきだろうか。もし残した塵のせいで捕まってしまったら、私はとんでもない愚か者である。私はさらにドローンを五往復させて周囲の土壌ごとかっさらってから旅立った。
二箇所目は、扁平状の小惑星。ここは反射面が広く、散布効果が大きいので選んだ。
しかし、予想到着地点の近くにカプセルが見当たらない。そもそも散布に失敗したか、カプセルだけ地表に残らなかったのだろう。
候補地点は五つ。私は運命を呪いながら、全ての地点の小石を回収することにした。帰還が遅くなってしまうが仕方ない。あらゆる証拠は丁寧に消しておくべきだ。
三箇所目は、球形の小惑星。ここはクレーターがあるので、何か違いが出たらいいなと考えて選んだ。
カプセルの入射角が斜めだったため、加工レゴリスはクレーター内に広く散らばっていた。荒涼としたすり鉢の底で、小石を一つずつ拾っていく。一つ拾うと、近くにあるもう一つも加工レゴリスに見えてくる。そのそばの小さい粒も。岩の下にある小石も。私は岩も裏返して、とにかく視野に入ったレゴリスを拾った。
帰りのシャトルの中で回収した大量のレゴリスを眺めて、私は満足した。しかし観測基地に入港したタイミングで、ふと気付く。なぜ私は正直に謝らなかったのだろう。まるで行動を操られたみたいに……。
回収したレゴリスがショウに見つかり、ミレイは解雇された。その直後からシフナキアトは急速な寒冷化に見舞われ、ついに観測基地も閉鎖となった。最後の研究員が乗ったシャトルが飛び立った後、小惑星たちは再び歌い始めた。忠実な清掃員を皮肉る勝利の歌を、加工レゴリスにコードされたミレイの声で。
文字数:1982
内容に関するアピール
小惑星型知性の歌を止めてしまった文化知性学者が、証拠隠滅のために過剰に神経質になる話です。
「過剰」というテーマから思い出したのは、過剰な潔癖症の殺人犯をコミカルに描いたレイ・ブラッドベリ氏の短編『鉢の底の果物』でした。本作のストーリーとタイトルは、その影響を受けています。また『ソラリス』の人知を超えた知性のあり方が好きなので、その要素を取り入れました。
私は細胞実験で、よく無菌状態で作業していました。ピペットの先がどこかに触れた可能性があればすぐに廃棄するなど、過剰な衛生管理が当たり前でした。そのせいか、私は過剰に潔癖な登場人物にちょっぴり共感してしまいます。
作中のシフナキアトとタケナは、エスキモーに伝わる『かぐや姫』に似た伝承に出てくる登場人物の名前が由来です。
文字数:339