進化論談義

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梗 概

進化論談義

 夕方の通勤電車。珍しく定時に上がって家路を急ぐ。いつもの電車よりは空いているが座ることはできない。吊り革につかまって車窓を眺める。夏のこの時間はまだ明るい。川を渡った頃から、前で座っているおじさんの2人組が交わす言葉が激しくなってきた。

「じゃあ、擬態はどうなるの?どう説明するの、今の進化論では」
「だから、それも突然変異と自然選択ですよ。どんなに不思議な進化でも、長ーい時間をかければ可能なんですよ。その長さが桁違いだから、たかだか寿命が100年程度の人間には認識できないだけで」
「目的とか方向とかを認めない、寂しい立場だよね、それって。ランダム発生とセレクションだけってことでしょ?もしかしたら、かなりのことはそれで無理やり説明するのかもしれないけど、擬態はおかしいじゃない。明らかに目的とか方向があるじゃない」
 擬態の特異性を主張するおじさんの目は見開かれている。話す勢いが強くてマスクが浮くときもある。主張からこの人をラマルクと呼ぼう。相手のおじさんは少しゲンナリしているようだ。表情もメガネも曇っている。こちらはダーウィンだ。ドーキンスでもいい。
「目的があるように見えても、無いんですよ。セレクションの神秘です」
「だって、自然選択に耐えるためだけであれば、あんなに精巧に、例えば木の葉の葉脈や虫食いまで似せる必要は無いじゃない。虫食いだよ?」
「たしかに、森に紛れるだけであれば、色だけ似せれば良いのかもしれない。コストをかけてまで完璧な擬態を行う必要は無いのかも」
「そうでしょう?捕食者の目をある程度ごまかせればいいだけなんだから。だからね、私はデザイナーがいると思ってる」
「あー、デザイナーですか。神様みたいな」
 ダーウィンが遠い目をした。
「そんなに呆れないでよ。神様じゃないよ。その種自身だよ。個体自身だよ。生殖時に減数分裂させるときに、個体自身が何らかデザインに関与していると思うんだ」
「はあ」
「そう考えた方がいいじゃない。だからさ……」
 今度は突然、ラマルクが遠い目をした。
「じゃ、ここで降りるわ」
「あれ?いつもは3つくらい先の駅じゃ?」
「悪いね。また明日」
 と言って、ラマルクは電車を降りて行った。

 私も続いて電車を降りた。急がなくては。改札を抜けてタクシー乗り場へ向かう。列には3人並んでいた。もしかして、とは思ったが、やっぱり先頭にはラマルクがいた。
 数分後、大きな地震が起きた。これから列は長くなるだろう。この、限定的な予知能力は使い道が難しい。少し安全な場所に逃れたり、こうしてタクシーの列に早く並ぶくらいしか有効利用できない。本来なら、能力者はみんなのために能力を使うべきなのだろうが、どうしても利己的になってしまう。こんな私はドーキンスなのかしら。列の先頭のラマルクは私の仲間なのかしら。

文字数:1160

内容に関するアピール

 梗概ではなくショートショートになりました。シーンの切り替え、という課題から、電車内で口論しているおじさんたちの場面と、タクシー乗り場の場面が浮かんできました。進化論の口論の内容は、常々私が思っている疑問をラマルクおじさんに付託してみたものです。よろしくお願いいたします。

文字数:136

課題提出者一覧