東尋坊の用心棒

印刷

東尋坊の用心棒

【十七歳のバルス】

 もし神様が、『抜群の運動神経』『優秀な頭脳』『美しい容姿』のいずれかを与えてくれるとしたら、世界中の十七歳の殆どが『容姿』を選ぶはず。それ以外を選ぶヤツがいたら、そいつはすでに人並み以上の容姿を与えられていて、自分の見てくれに十分満足している幸せな人間で、十七歳全体の3%にも満たない少数派だ。労働条件や結婚条件の3Kというのは時代によって変わるけれど、スクール・カースト上位の3K(キレイ・カワイイ・カッコイイ)は、普遍なんだよ。奴らはいつでもどこでも注目されて、何をやってもちやほやされて、おでこのニキビですら聖痕になるんだよ――三崎亮は、おでこのニキビを潰しながら鏡の向こうで舌打ちをする。期末試験前の日曜日、亮は試験勉強どころではなかった。勉強よりもニキビが優先事項なのだ。残念なことに、亮のニキビは聖痕ではなく、ただの不潔な吹き出物でしかない。イケメンではない男子が清潔感を失ったら、女子から罵詈雑言の3K(キモい・キショい・コッチクンナ)が容赦なく投げつけられる。空気のような存在でモテないのは仕方がない。けれど、ゴミのように扱われるのは受け入れがたい。だから必死にニキビを潰すし、体臭にも気を配る。この努力、報われる日は来るのだろうか? いや、今生では無理だろう。なぜなら、容姿というのは「遺伝」によってほぼ決まる。第二次性徴期を迎えて顔の輪郭がゴツくなった亮は、若い頃のオヤジにそっくりだという。ちなみにオヤジこと亮の父親は、勤め先で「シャバーニ」と呼ばれている。「イケメンゴリラのシャバーニだよ」と本人はご満悦だが、そもそもゴリラなのだ。ゴリラにしてはイケメン、というところをオヤジはわかっていない。ニキビの膿を出し切ってオロナインを塗りながら、亮はため息をつく。ニキビよりも悩ましいのが身長だ。春の健康診断で、169センチ。去年と同じ。成長痛もない。完全に止まった。170センチ代まであともう一息というところで、ぴったりと止まってしまった。ゴリラ顔は受け入れる。だって、遺伝なんですもの。もちろん、両親の背丈を鑑みて、高身長は無理だとわかっている。けれども、だからこそ、せめて、平均身長170センチはクリアしたかった。切に切に切にそれだけは神様――いや、神にすがっていても仕方がない。絶望している場合ではない。あと1センチ。今はやれる限りの努力をするのだ。

 亮は、最寄りのスーパーマーケットでセノビックという成長期を逃さないロート製薬の栄養機能食品と1リットルの紙パックの牛乳を買い込み、ひたすら飲んだ。あと1センチ。あと十ミリメートル。筍が大空に向かって伸びていくイメージで、セノビック入りの牛乳をぐびぐび飲んだ。そして、カルシウムが吸収される前に胃腸が壊れた。壊れた胃腸を抱えてトイレの便座に座り持ち込んだタブレとでセノビックの公式ホームページをググる。セノビックがサポートしているのは、小学生・中学生の成長期。十七歳では遅いのだ。

 唸りながらトイレに籠もっていると、試験勉強のストレスでオカシクなったのではないかと心配した両親が、代わる代わる亮に声をかける。「パパより2センチも高いじゃないの」と母さんが慰め、「男は身長じゃない、中身だ」とオヤジが励ましてくれた。けれどもそんな両親の愛は、思春期男子の心に染みることはなかった。母さんの身長は148センチ。オヤジは168センチ。そもそもあんたらの遺伝子のせいだ。亮はまんまと捻くれた。二人には、亮の絶望など理解できない。なぜなら、母さんにはオヤジがいて、オヤジには母さんがいる。オヤジは、母さんと中学生の頃に出会っている。同じクラス隣の席、ジブリと2時間ドラマの話で盛り上がり、仲良しの友人からいつしか恋人同士になり、社会人になって結婚。二人は当たり前のように暮らしているけれど、そんなの奇跡だからね。というわけで、女の子にモテたい盛りのモテない十七歳男子に、相思相愛で結ばれた両親の言葉など素直に受け入れられるわけがない。夫婦仲がいいのは結構なことだ。子どもの頃は、仲良しな両親が自慢だった。だが、今はうざい。というか、ムカつく。そして、ひたすら羨ましい。しばらくトイレに籠城して、その後は自分の部屋でふて寝した。

 169センチのまま、一学期の期末試験が終わった。成績は中の中。ニキビとセノビックに邪魔されたわりには上出来だ。進路相談で「大学行くならもっとがんばれ」と担任にいわれたが、将来について聞かれてもよくわからないというのが正直な答えだ。運命の人に出会えるのなら、大学行ってもいいかな――そんなこと言ったら、多分顰蹙買うだけなので、「がんばります」と答えた。亮の両親は、「人に迷惑をかけず元気に生きてくれれば何でもいい」という子どもの自主性を重んじるというかある意味放任主義者なので、亮の進路に口を出したりはしない。けれども、もう少し口を出してくれてもいいかなと思う。これといってやりたいことや目標のない人間は、どうやって進路を決めればいいのだろう? 薄ぼんやりとした夏の夕暮れのなか、学校の校門を出ると。予備校の営業マンが広告入りのカロリーメイトを配っていた。迷わず大好きなバニラ味を選んで受け取った。将来の進路もこれくらい明確に決められたらいいのにと亮は思った。

 その夜、家族揃って夕食の手巻き寿司を食べていると、「今年は、東尋坊なんかどうかな?」と母さんが切り出した。「いいねえ。キャンプもありだな」とオヤジが身を乗り出す。幼いころから夏の家族旅行は三崎家の恒例行事なのだが、「結婚前は二人でよく行ったね、キャンプ」という母さんの一言がひっかかった。「だったら二人で行けばいいじゃん」と言いそうになってグッと我慢。ひがみ根性の八つ当たりだということはわかっている。ああ、これが反抗期というヤツか。そう思い始めると、亮の好物だからと並べられた手巻き寿司のネタすら憎らしい。だったら自分で選んだバニラ味のカロリーメイトのほうが断然いい。カロリーメイトは、帰り道にすでに食べてしまっていたのだが、ポケットに予備校のチラシが入っていることを思い出した。

 「おれ、パス。予備校の夏期講習を受けるから」

 もちろん、そんなつもりは毛頭なかった。けれども、ちょっと反発したかったんだ。いつまでも仲良し家族って、ダサいしね。十七歳の理由なき反抗。ちょっとかっこよくない? 息子の突き放した物言いに、両親は顔を見合わせて驚いている。亮が自分から何かをすると言ったのは、これが初めてのことだった。

「てかさ、もう親と旅行するような歳じゃないし。これからは二人で行けばいいんじゃん」

 見事な親離れ宣言までしてしまった。母さんの泣きそうな顔を見て、ちょっと言い過ぎたかな、とすぐに反省したのだけれど、

「彼女? 彼女できたんでしょ? 良かったわ。亮ちゃん女の子の気配すらないんだもの。お母さん、心配してたの。めちゃ嬉しい」

 という言葉で反省は撤回。オヤジもうんうんと嬉しそうに頷いている。二人とも密かに心配していたのだ、自分の息子にガールフレンドができないことを。これ以上、両親にマウントとられてたまるか。亮は眼の前の中トロに誓った。この夏、予備校に行って絶対に彼女を作る。169センチで身長は止まったけれど、顔はゴリラのくせにオーラがなくて目立たないけれど、「親が留守」というのは、好奇心でホルモンが沸騰している女子には強カードだろう。ビバ、ボーイ・ミーツ・ガール! ビバ、ひと夏の経験! ビバ、十七歳! 

 夏休みに入ると、亮は予備校通い(での出会い)に備えて筋トレを始めた。お盆休みになると、キャンプ道具を積んだジムニーで旅立つ両親を見送り、翌日からの予備校通い(での出会い)に備えて、家中を隅々まで掃除した。さらに、母さんが買ってくるグンゼのブリーフをタンスの奥に封印し、イオンで購入したBVDのボクサーパンツを用意した。十七歳の夏がここからはじまるのだ! と夜は景気づけにケンタッキーフライドチキンをコーラで流し込みながら、士気を高めるために『天空の城ラピュタ』のDVDをセット。ボーイ・ミーツ・ガールといえば、やっぱりラピュタしかない。空から落ちてきた女の子を守る物語を始めてみたのは、小1のときだった。衝撃的だった。そして、憧れた。子供の頃は、女の子が落ちてくるんじゃないかと本気で空を見上げていたっけ。けれども、実際にそんなことは起こりはしない。だから、十七歳の亮は、姑息な手段で女の子を誘うのだ。さらば、少年の日よ――。

 万感の思いで大好きな物語にのめりこんでいると、クライマックスのところで家の固定電話が鳴った。普段は携帯電話でのやり取りが多いため、固定電話が鳴ることは少ない。かかってきても殆どが営業の打電なので、常時留守電の録音設定にしている。「只今電話に出られません。ピーッと鳴ったら、メッセージをどうぞ」という自動音声が流れると、ピーの前に大抵の営業マンは諦める。だが、今回は違っていた。久しぶりにピーのあとにメッセージが続く。どことなくラピュタに出てくる悪役・ムスカに似ている男性の声が、淡々とメッセージを伝える。一瞬、何を言っているのか理解できなかった。立ち上がり、固定電話の録音を再生する。

「岐阜県警の真坂と申します。ご家族にご連絡です。三崎隆さんと三崎幸代さんが交通事故に巻き込まれ、搬送先の病院で死亡が確認されました」

その直後、シータとパズーが「バルス」と滅びの呪文を唱えた。

 

【そして僕は途方にくれる】

 『抜群の運動神経』、『優秀な頭脳』、『美麗なる容姿』、神様がどれかひとつを与えてくれるとしたら、何を選ぶかって? そんなもの全部いらない。どうせ与えてくれるのなら、『時間をかける能力』が欲しい。十七歳の夏休みをやり直すのだ。両親と一緒に旅行に行って、名古屋で一泊したいと駄々をこねて交通事故を回避する。そんな夢をずいぶんと見た。

けれども時は戻らない。十七歳の夏休みは、お盆休みの初日に『天空の城ラピュタ』をひとりで観たところで終わってしまった。その後は、なんだかぼんやりとしていてあまり覚えていない。周りの大人たちの言われるままに動いて、食べて、寝て、148センチの母さんと168センチのオヤジは、それぞれ直径約6㎝×高さ約7㎝の骨壺で家に戻ってきた。「十七歳で両親を亡くして、大変だね」と散々呪文のように言葉をかけられたけれど、何が大変なのかピンとこなかった。亮の祖父母たちは早くに他界しており、親戚づきあいもなく、葬儀のときに義務的に呼び出されたいちばん近い場所で暮らしている遠い親戚という五十代の男性が、諸々の手続きを行ってくれた。義務的に同居を申し出てくれたが、亮は断った。一番近いといっても他県の知らない土地だったし、親戚とはいえ一度も会ったことのない家族との同居は気まずいし、先方にしたって同じだろう。何よりも亮は実家から離れたくなかった。この家には、母さんの化粧品やオヤジの整髪料の匂いが残っている。そこかしこに両親と暮らした思い出が染み付いている。ひとりになっても、二人の気配の中で暮らしていたい。

 実際に、一人暮らしは、それほど大変ではなかった。両親が残してくれた貯金と両親が積み立てていた保険金と交通事故の慰謝料などで、金銭面は余裕があった。日常生活に何も大変なことはない。朝起きて、「おはよう」と声をかけてくれる母さんがいないだけだ。夜寝るときに、「おやすみ」と笑ってくれるオヤジがいないだけだ。ひとりぼっちになっても、日常生活は淡々と過ぎていく。母さんはよく『家族にならいいけれど、他人に迷惑をかけてはいけない』とことあるごとに言っていた。亮はそれに従った。誰にも迷惑をかけずに、一人で生きていくと心に決めた。実家で一人暮らしを続け、高校卒業後二年ほど専門学校へ通い、システムエンジニアとしてIT関係の仕事に就いた。起きて働いて帰って寝る。それが亮のあたりまえになっていった。休日は溜まっていた家事をこなし、買い物に行く。時々同僚と飲みに行く。母さんの「おはよう」とオヤジの「おやすみ」がなくても人生は続いていく。母さんやオヤジがいなくても世界が続いていくように、たぶん自分がいなくても地球は温暖化という問題を抱えながら、そんなこと全然気にしていないかのように自転しながら太陽の周りを公転し続ける。何も変わらない。世界中の誰もが生きて、いつかは死んでいく。それだけのことだ。

「大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」

 それは、七月のとある金曜日。職場の暑気払いで飲んだ帰り道。秋葉原の交差点で信号待ちをしていた亮は、巫女のコスプレをした若い女性に声をかけられた。だが、亮は量産型の可愛い女子には興味がない。亮が欲しいのは、空から落ちてくる運命の人。それは運命の赤い糸で結ばれた相手。亮の両親のような、『割れ鍋に綴じ蓋』的な生涯の伴侶。両親の命日が近づくと、毎年少しだけ感傷的になってしまう。

 「大丈夫です。飲みすぎただけなんで」

 客引きはお断りといわんばかりの横柄な態度で、亮は銀髪女子を遮った。

 すると、その女性は亮に言った。

「いや、だめです。そのドドメ色のオーラ、やばいです。あなたには、神のご加護が必要です」

 銀髪巫女が亮の腕を掴み、自分の腕に絡みつかせた。あまりにも鮮やかで軽やかな動きだったことと、女性からふんわりとシャンプーのいい匂いがしていたことで、不覚にも亮はボーっとなってしまった。

「ここで出会ったのも何かのご縁! さあ、迷える神の子よ、私の社へ詣でなさい!」

 キャッチにしては強引。けれども、絡みついた腕を振りほどけない。肘が、やわらかな部分に触れており、全神経がそこに集中してしまって、抵抗できない。罠かもしれない。いや、あっちが勝手に押し付けてきたのだから堂々としていればいい。揺れ動く亮のスケベゴコロを知ってか知らずか銀髪巫女は、亮に顔を近づけて言った。

「私の名前は白鷺みくる。『神がかり』っていうアイドルグループのメンバーです。はーい、たった今、あなたのハートに神さま降臨!」

 みくるが、亮のおでこに人差し指をおしつけた。その指先には朱肉が塗られていて、どうやら亮のおでこにはみくるの赤い指紋がついたらしい。

「これで、あなたも神っ子だよ」とみくるがニッコリと笑った。その瞬間、亮の脳内がみくるを認識しはじめた。白鷺みくる。おそらく、仮名。年齢不詳。白い羽織からチラリとのぞく胸の谷間はほどよくボリューミーで、何故かショート丈の赤い袴からはスラリとした足がのびている。銀髪にぱっちりとした目。通った鼻筋とかわいらしい唇。テンプレートで整形された量産型ではなく、おそらく天然の美少女。身のこなしは猫のようにしなやかで、孔雀のように高貴。車のヘッドライトがみくるの全身を照らし、みくるの全身が金色に包まれる。亮の心臓が「ずきゅん」と鳴った。二十一歳の夏、亮は、生まれて初めて恋に落ちた。

『神がかり』は、いわゆる地下アイドルというものだった。メンバーは五人。定期的にライブハウスで活動しているが、まだ結成したばかりでファン(信者)が少ないため、ライブ前にメンバー自ら街角で客集め(迷える子羊の救済)をしている。亮は、みくるによってまんまと救済され、「神っ子」(ファンクラブ会員)になった。それからは、熱烈な推し活が始まった。

 神っ子特典の何が素晴らしいかと言えば、神っ子限定で配布される「お社アプリ」。このアプリで、いつでも推しと会話(AI対応)ができる。朝起きてアプリを立ち上げるとみくるが「おはよう」と声をかけ、夜寝るときは、パジャマのみくるが「おやすみ」と笑ってくれる(AI対応)。悩みがあれば、いつでもみくる(AI対応)が答えてくれるし、リクエストをすれば歌も歌って(AI対応)くれる。24時間いつでも会える。みくる(AI対応)に、両親のことも話した。「ずっと寂しかったんだね」(AI対応)と言われて、亮は驚いた。そういわれてみると亮はずっと寂しかったのかもしれない。お社アプリのみくるは(AI対応)だけれど、それでも十分だった。みくるは存在する。ライブにいけば、リアルなみくるに会うことができる。それだけで十分幸せなのだ。

 直接推しから勧誘された亮は、みくるから「りょうちゃん」という愛称で呼ばれた。名前をちゃん付けで呼んでくれる異性は、母さん以外で初めてだった。ファンの間では、みくるの神っ子第一号として尊敬をこめて「りょうちゃんさん」と呼ばれ、『神がかり向上委員会』のメンバーにも選ばれ、ライブの設営や公式サイトの運営なども手伝った。仕事以外のすべての時間を『神がかり』とみくるに費やした。部屋はみくるのグッズでいっぱいになり、携帯の待ち受けもみくるの巫女姿。飲み会を控えてライブに通い、みくるのブログも毎日欠かさずチェックする。みくると共に喜び、笑い、時には怒りや悲しみも共有する。みくるの誕生日は、七月七日で、好きな食べ物はカニカマ。嫌いなものは、虫と裏切り者。ライブの時に、「神の子のみんな、愛してる」と言われるたびに、握手会の時に「いつもありがとね」と目を見て言われるたびに、亮は多幸感に包まれる。会社で嫌なことがあっても、「神がかり」の歌を口ずさめば忘れられる。みくるのブログを読むと生きる力が湧いてくる。みくると同じ時間、同じ地球で生きている奇跡。推しを愛し、推しがおばさんになっても推し続ける自信が亮にはある。このままずっと、推しとともに生きていこう。身長が169センチのままでも結婚できなくても、推しさえいれば問題ない。推しがいれば、亮のマインドは最強に保たれる。推しさえいれば、世界はバラ色だ。

 二十二歳になっても、亮は推し活に心血を注いだ。年末のカウントダウンライブの後、神っ子たちと二十四時間営業の居酒屋でささやかな忘年会を行い、大満足で帰宅した。満足しすぎてその夜は、「お社アプリ」でみくる(AI対応)におやすみを言うのを忘れてしまった。遅くおきた元旦の朝、新年の挨拶をするために、スマホの「お社アプリ」のアイコンをクリック。今年はヘビ年だから、蛇柄のワンピースで「あけおめ」かなあ、などと楽しく妄想していた亮に衝撃が走る。スマホの画面にでてきたのは、蛇柄ワンピのみくるではなく、『運営からのお知らせ』というゴシック系フォントのテキストだった。そのお知らせによると、みくるは諸事情により『神がかり』を脱退し、それ故に「お社アプリ」のキャラクターからも削除されたとのこと。亮は慌ててみくるのブログにアクセスする。最新の更新は、一時間前の午前五時。『神の子のみんな、今まで楽しかったよ。ありがとう』という一文が記されているだけだった。公式サイトでは、『一身上の都合により脱退』としか書かれていない。それから亮は、元旦の一日を情報収集に費やした。その結果、『理由はわからないけれど、白鷺みくるは引退した』ということが確定した。そして亮は途方にくれた。

 

【3 ゴーゴー!東尋坊】

 途方に暮れた元旦から三日後、亮は、東尋坊にいた。なぜ東尋坊なのかといえば、みくるが年末にネットで配信した最新曲が『ゴーゴー!東尋坊』という曲だったことと、亮の両親が東尋坊に向かう途中で事故に巻き込まれて死んだのだということがリンクして、「そうだ、東尋坊に行こう」という気持ちになったからだ。東尋坊に行っても両親に会えるわけでもないし、ましてやみくるが現れることもない。東尋坊に行って二十二年の人生を終わらせる。「おはよう」と「おやすみ」を奪われるのはもうたくさんだ。両親がいた日常、推しがいた日常、神様がいるとして、そいつが亮のささやかで大切な日常を続けさせてくれないのなら、そんな人生はこっちから降りてやる。どうせ自分がいなくても仕事は代わりの誰かがやるだろうし、亮がこの世から消えても悲しむ人間は誰もいない。亮がいなくても地球は回り続ける。

 深夜、東尋坊が静寂に包まれると、亮は、吹雪の中を岸壁の先端まで歩いて向かった。夜の海は暗く、さらに雪のために視界が悪いことはかえって僥倖だ。イヤホンからみくるが「ゴーゴー!東尋坊」と歌っている。歌声にあわせて、亮も「ゴーゴー!東尋坊」と口ずさむ。みくると出会ってから、亮は生き返ったのだ。生きがいを得て、「おはよう」と「おやすみ」が言える日常を手に入れることができたのだ。みくる、楽しかったよ、ありがとう。みくるの幸せを祈っている。母さん、オヤジ、もうすぐそっちへ行くよ。二人が見たがった絶景から飛び降りて。

 亮が飛び降りようと右足に体重を乗せたその時、「おい、おまえ!」と上空から声がした。上を見上げると雪の中から何かが落ちてくる。ふわりふわり、ゆっくりと。亮の脳内に久石譲の『空から降ってきた少女』が流れる。が、落ちてきたのはシータではない。女の子ではなく、女だ。金色の髪と真っ赤なドレスの裾をひらひらさせて、落ちたというより降りてきたと言ったほうがいいだろう。女はそのままふわりと地面に降り立った。東尋坊ではなく銀座のクラブが似合いそうな、グラマラスな美女だった。そして女は、呆然と立ち尽くす亮の顔面を「目を覚ませ!」とピンヒールの足で蹴り飛ばした。

 数分後。亮はそのグラマー美女と終夜営業のファミリーレストランにいた。カフェラテを上品に飲みながら、美女は名乗った。

「私は、ビッグバン宇宙 タコツボ銀河 オクトパス腕 タコ系 第三惑星 タコ星ペペ王の長女のミミ王女じゃ。いきなり蹴って悪かったな、若者よ。しかし、ああしなければ貴様は飛び降りていただろう?」

 いや、あんたが空から落ちてきた時点でその気は失せている――と亮は反論しようとしたが、話が通じる気がしないので亮は黙ってコーヒーをすすった。泥水のような味がした。命を救う系のボランティアの人だろうか? それにしては派手すぎる。金髪はともかく、真冬の東尋坊だというのに、真っ赤なひらひらドレス一枚。そして、足元は真っ赤なピンヒール。美人でグラマーだけれど、ちょっとヤバい系の人かもしれない。これからどうなるのだろう? と不安に身を固くしていると、ミミの腕が伸びてきて指先が絶妙なタッチで亮の顎を撫でた。思わず「あふん」と声が出てしまう。が、次の瞬間、その指先がにょろりとタコの足に変化した。驚きのあまりに、亮は「ほえ!」と叫んで飛び上がった。

「騒ぐな地球人。私は、タコ星人だといっただろう。今は、地球人のメスに擬態しているだけだ。私の触腕でおまえの精神状態を診察したのだ。錯乱はしていないようだな。では、今から私の話をするぞ」

 普段の亮なら、このシチュエーションにフリーズしていることだろう。だって、タコ星人だよ。手足がにゅるっとするんだよ。だが、推しが消えてしまうという非常事態を味わった亮は、通常のメンタルではない。どんな非日常も受け入れるほどに壊れている。タコ? 上等じゃないの。日常が崩壊するということは、そういうことなのだ。それにしても、さっきまで死のうとしていた人間に、強制的に自分の話を聞かせるというのはどういうことだ? 普通は逆じゃね? 話を聞く立場じゃね?

「私は、貴様の話を聞いているほど暇ではないのだ」

げ。心を読むのか? それはずるい。

「ずるくはない。地球人よりも進化しているだけだ。タコ星人からすれば、地球人は下等生物。そんな地球人に王女が直接話をするのだから、誉であるぞ」

 上から目線なのは、王女だからしかたがない。とりあえず、亮は何も考えず何も思わず大人しく、ミミの話を聞くことにした。

 タコ星は、地球から何億光年も離れた銀河にある。タコ星人たちは王を敬い、王は民衆を心から愛し、とても平和で高度な文明のある星だ。時々近隣のイカ星やらカニ星の脅威にさらされたりはするが、王族の知恵と民衆の勇気で乗り越えてきた。だが、そんなタコ星でクーデターが起きた。イカ星人侵略の危機を脱した十年後のことだった。ペペ王の一番下の弟で軍組織のトップであるケケの反乱だった。ケケは、ミミと婚姻し王位継承権を得ようとしたが、ミミにはすでに武将ルルという想い人がいて、二人は結婚の約束を交わしていた。怒り心頭のケケは、まずルルを無実の罪により追放し、王が罪人のルルを養護したとしてクーデーターを引き起こした。力ずくで王座を奪おうというわけだ。王宮が軍によって陥落する直前に、ペペ王は、ミミを宇宙船に乗せ、地球に逃がしたのだという。

「地球には、武将・ルルがいる。ルルはイカ星人との戦いで活躍した勇者であり、タコ星の英雄。そして、私の愛しい人。ルルと共に我が星に帰還し、ケケを討伐する」

 ペペ王が監禁され人質となっているため、誰もケケに抵抗できない。だが、民衆のアイドル的な存在のルルがミミと帰還すれば、民衆も蜂起するだろう。ケケを倒すカギは、ルルなのだ。

 つまり、ケケという叔父さんがムスカで、ルルがパズーで、ミミがシータ? あれ? じゃ、おれは?――ラピュタになぞらえてミミの話を聞いていた亮は、この物語においての自分の役割を考えていた。

「まあそう焦るな。話を最後まで聞け」

 ミミがカフェラテのおかわりを注文する。

「地球でいちばんおいしい食べ物は、カフェラテの泡だな」

 とカップに浮かんだ泡を美味しそうに舐め取り、話を続けた。

 「私を乗せた船は、ワームホールを抜ける際にシステムの一部を破損し東尋坊の崖の下の海底に不時着した。ルルには、テレパシーで東尋坊の座標を送っている。私は、船を修理しながら、ルルの訪れを待っているのだが、困ったことがある」

 ミミはため息をつきながら、にょろりとした舌で唇についたカフェラテの泡をなめた。

「上から人が落ちてくるのだ。調べてみたら、東尋坊は自殺の名所というではないか。地球人が飛び降りるのは勝手だが、崖の下には私の宇宙船がある。もちろん、地球人の眼に見えないようにシールドで隠しているのだが、飛び降りた地球人が激突するたびに、シールドがダメージを受ける。監視してその都度飛び込む人間を蹴り倒していたら修理が進まない。だから、おまえに頼みがある。私の用心棒になって、地球人たちの飛び込みを阻止してくれないか?」

 なんてことはない、バイトしろというのだ。さっきまで絶望して死のうとしていた人間に。

「死のうとしていたからこそ、お誂え向きなのだ。報酬として、おまえをなりたい姿に生まれ変わらせてやる。なりたい自分になって、生きなおしてみないか?」

 なんと、生きながら生まれ変われるのだ。しかも、なりたい姿になれるという。悪くない話だ。いや、最高ではないか。でも待てよ、そんなことは可能なのか?

「船にはタコ星の最新テクノロジーが搭載されている。それは、あらゆる姿に擬態できるタコ星人の身体能力を装置に変えたものも含まれる。擬態装置を使えば、どんなものでもありとあらゆる姿に変身できる。つまり、新しい見た目の自分に生まれ変われるわけだ。さあ、おまえは、どんな自分に生まれ変わりたい?」

 亮は考えた。十七歳の亮だったら、迷わずイケメンになりたいと答えただろう。二十二歳の亮は、十七歳の頃よりも若干ナイーブになっていた。なぜ自分は東尋坊に来たのか。推しが消えて絶望したからだ。なぜ、絶望を感じたのか。自分を愛してくれる人がこの世に誰もいないと気がついたからだ。すなわち、亮は愛されたいのだ。両親が、息子として自分を愛してくれたように。推しが、ファンとして自分を愛してくれたように。生まれ変わったら、誰からも愛される存在になりたい。

 

 ひとりぼっちは、もう嫌だ。

 

 コーヒーカップを握りしめたまま、いつの間にか亮は泣いていた。そういえば、亮は泣き方を忘れていた。両親が死んだあの日から、泣くことを避けてきた。泣いてもしかたないから。泣いたって死んだ人間はもどらないから。けれども今、泣き出したら止まらなくなった。ミミはしばらくそのまま黙って泣きじゃくる亮を見つめていた。そして、優しく亮に言った。

 「おまえの望みはしかと聞いた。契約成立じゃ」

 ミミがパチンと指を鳴らすと、亮の目の前が真っ暗になった。

 「おはよう、用心棒」とミミの声がする。目をあけると、まばゆい光の中にいた。いい匂いがする。ベーコンとトーストと目玉焼きの匂いだ。そういえば、めちゃくちゃ腹が減っている。亮は、首を左右に振った。光になれてくると、自分がどこかの床の上で寝ていたことに気が付いた。「どうだ? 新しい自分の体は」とミミの声。ミミがベーコンの切れ端を亮の鼻先にもってくる。よだれが溢れ出す。我慢できず、そのままパクリ。うまい。もっと食べたいな、と体を起こして立ち上がろうとしたのだが、何かが変だ。両足がふらついて、すぐに両手をついてしまう。ミミの形のいいふくらはぎが目の前にある。やけに目線が低いな。どういうこと? とミミを見上げると、ミミが亮を抱き上げ膝に乗せた。視界が広がる。そこは、ミミと話をしていた終夜営業のファミレスだった。客の視線を感じる。どの眼差しもハートマークだ。「ほら、みんなに愛されてるぞ」とドヤ顔のミミが亮の頭を撫でた。ミミの膝の上に乗って、頭を撫でられている? 嫌な予感がする。振り返って、ミミに「おい!」と話しかけた。だが、口から出たのは「わん!」だった。

【4 東尋坊の用心棒】

 「今日は、東尋坊の用心棒こと、コーギーの用心棒くんの取材に来ています! まずは、飼い主のミミさんにお話を聞いてみましょう。ミミさん、用心棒くんは、海に飛び込もうとする人を見つけると、洋服を引っ張ったり、体当たりしたり、可愛く甘えたりしてやめさせるそうですね」

 マイクを突きつけられて、ミミは優雅に微笑んだ。

「それが用心棒の仕事だ」

「用心棒くんは、命を救いたいと思っているのでしょうか?」

「いや、仕事だからやっているのだ」

「でも、偉いですね。すごいですね」

「用心棒なのだからあたりまえだ」

 ミミとテレビのリポーターとのかみ合わないやり取りを聞きながら。亮は後ろ足で耳を掻いた。ミミの用心棒になって三ヶ月が過ぎた。まさか犬にされるとは思ってもみなかった。ミミに「なんで犬なんだよ」と抗議すると、「愛される存在になりたい」という亮の願いをくんで、ミミは宇宙船の人工知能に「王女の用心棒・愛される存在」と指示を出した結果、吐き出された答えがウェルシュ・コーギー・ペンブロークだったらしい。どうしてくれるんだと息巻いていた亮だが、用心棒という名を与えられ、東尋坊周辺のパトロールを始めてみると、誰もが亮をかわいがってくれる。頭を撫で、抱きしめ、頬ずりをする。とろけるような眼差しで見つめられるのも、鼻にかかった声で甘く名前を呼ばれるのも初めてのことだった。キャーキャー騒がれるのは、悪い気はしない。犬暮らしも、慣れてしまえば悪いものではない。風呂に入らなくても困らないし、トイレや食事は雇い主のミミが世話をしてくれる。まるで王様のような生活だ。用心棒の仕事も順調だった。崖から飛び降りようとする人間を阻止するのはそれなりに大変な仕事だったが、次第に「可愛いコーギーが健気に自殺者を引き留める」と、口コミで話題になり、今では亮目当ての観光客が増えている。亮に止めてほしくてわざと崖の淵に立つという、困った動画配信者がたまに現れるけれど、あっさりとミミに見破られ、容赦ない回し蹴りを食らって退散する。

 「地球というのはおかしな星だ。自殺の名所というものが存在したり、いつもどこかで戦争が起きていたり。死んでも再生できないのだから、もっと命を大切にしたらいいのに」

 ミミによると、タコ星に暴力は存在しないという。タコ星は、地球よりも小さな惑星で、単一種族で言語も1つ。惑星まるごとがひとつの国であり、軍は他の惑星との戦いに備えられたもので、タコ星人に武器が向けられることはない。普段はお気に入りの姿に擬態して暮らしているが、元は皆同じタコの姿で、それぞれの性格は纏っているオーラの色に出る。意見が食い違えば納得するまで話し合い、喧嘩をしてもすぐに歌ったり踊ったりして仲直り。相手を尊重し、譲り合いの気持ちを忘れず、徳を積む。

「だから、ケケの気持ちが理解できないのじゃ。不満があるのなら申立をすればよい。不安があるなら相談すればよい。我が父ぺぺ王は、寛大なお方じゃ。ケケの気の済むように計らってくれただろうに」

 エネルギッシュで野心家だったケケのオーラは元は情熱的なレンガ色だったが、クーデターの時は赤黒く変色していたという。

 「ケケは、暴力に頼ることで、己の品格すらも貶めてしまったのだ」

 とミミは怒りを漲らせる。けれど、亮には少しだけケケ叔父さんの気持ちがわかるのだ。王であり人格者の兄といつも比べられて、可愛がっていたかわいい姪っ子は才能溢れた人気者に奪われて。自分だって王家の血筋なのに、チャンスも与えられないなんて。そんなの、悪役になるしかないじゃん。ケケ叔父さんは、寂しかったんじゃないかな。

「そんな理屈は通らない」

 と言って、ミミはむっつりと黙ってしまった。

 それから2週間後、船の修理がほぼ完了した。ミミは、焦りだしている。監禁状態にあるぺぺ王の波動が弱くなっているのだ。民衆に絶大な人気を誇るぺぺ王をケケは直接手にかけることができない。けれども、老齢の王をじわじわと死に追いやることはできる。一刻も早く星に帰らなければならないのだが、肝心のルルが一向に現れない。地球にいることは確かなのだが、ミミにテレパシーすら返してこない。

 そんなある夜、久しぶりにわけありな人影が東尋坊の岬に現れた。海の底を覗き込んではためらっている。すぐに飛び立てるように、船のシールドは弱めている。今、人が落ちてきたら船の位置が追手に気づかれてしまうだろう。

「用心棒、何としても食い止めよ」

 とミミ。亮は忍び足で岬に近づく。訳ありの佇む後ろ姿は、若い女性のようだ。女性はじっと崖下の海を見つめている。暗くて顔は見えないけれど、張り詰めた様子。亮は、狐をみつけた狩猟犬のごとくゆっくりと距離を詰めていく。そして、ダッシュで女性のスカートに噛みつき、ぐいぐいと後ろへと引っ張った。不意打ちを食らい、バランスを崩した女性が後ろに倒れる。その上に覆いかぶさる。間髪入れずに顔をベロベロと舐める。ここまですると、泣き出したり、惚けたり様々だが、大抵の人間は心が萎えて飛び降りる気を無くす。犬嫌いな場合は、恐怖のあまりにフリーズする。次第に相手の体から力が抜ける。こうなれば大丈夫。コーギーの愛らしさ全開で鼻を鳴らし、全身で女性にスリスリ。すると、女性が亮のお腹をナデナデしながら、話しかけてきた。

「もしかして、りょうちゃん?」

 ふわりと懐かしい匂いがする。女性の顔をよく見ると、銀髪にくりりとした瞳。通った鼻筋とかわいらしい唇。神がかりの可愛らしさ。みくるだ、間違いなく本物の亮のたったひとりの「推し」だ。懐かしさと嬉しさで、亮の心臓が「ずきゅん」となる。いや、ちょっと待て。亮は昔の亮ではない。今は、犬だ。なぜ推しは、犬の自分を見て亮だとわかるのだ?

「だって、そのドドメ色のオーラ、間違いなくりょうちゃん!」

 推しが亮を抱きしめる。顔が推しの柔らかい胸にうずもれる。なんという僥倖でしょう。推しに抱きしめられる日がくるなんて。もう、このまま死んでしまいたい――じゃない、ちょっと待てと亮は思った。犬になった亮と会話ができるのは、心を読むことができるミミだけだ。てか、推しは今、心を読まなかったか?――亮の両耳が不安を感じてぺたんこになる。

「ミミ? ミミがいるの? どこ? どこにいるの?」

 やっぱり心が読めるのね。てか、ミミのこと、知ってる?

「ルル、ルルではないか。間違いない、その眩い黄金のオーラは、ルルだな!」

 いきなりミミが亮の後ろから抱き着いてきた。亮は、推しとミミに挟まれている。顔は推しの胸に挟まれ、背中にはミミの豊満な胸が押し付けられている。なんという僥倖――じゃない、ちょっと待て。ミミは今、推しをルルと言わなかったか? ミミと推しの間で亮は嫌な汗をかいていた。とはいえ、犬なので、実際に汗はでないのだが、ハッハッと舌を出して呼吸を荒くしていただけだ。ミミがようやく体を離し、照れた様子で立ち上がる。すると、推しが亮をはねのけて体を起こし、片膝をついてうやうやしく頭を下げた。

「ミミ様、ご無事で何より。ケケの追手を巻くために、遅くなりすみません」

 ミミが推しの手を取りうるんだ声で言った。

「ルル、無事でよかった。船の準備はできている。さあ、タコ星に戻ろう」

 二人の周りをぐるぐる走りながら、亮は吠えた。

「ワンワンワワン! (だから、ちょっと待てって!)」

 そして、亮はミミと推し(ルル?)と終夜営業のファミリーレストランにいた。推し(ルル?)はカニカマサラダを食べながら、亮に自分は実はタコ星から追放された武将・ルルだと説明した。そして、ルル(もういいや)は、追手を欺くために、白鷺みくるという美少女に擬態し、アイドルグループの中に紛れ込んだ。

「地球人のアイドルは、黄金のオーラを持っている人が多いから。紛れやすかったの」

 と推し、いやルルは言った。ちなみに亮のドドメ色のオーラというのは、そもそも死に取りつかれた者が放つオーラの色で、初めてであった時、ルルは亮のことを幽霊かもしれないと思って声をかけたらしい。

「生きている人間でドドメ色のオーラは、めちゃレアケースなんだよ」

 と可愛らしく笑ってくれたが、推しとの運命の出会いがまさかの幽霊疑惑だったとは。聞かなきゃよかった。

 そして去年の暮れに、ルルはミミのテレパシーをキャッチした。ミミの元へと向かうために、ルルは亮たち神の子の前から姿を消した。ミミはカフェラテを上品にのみながら、ルルに亮との出来事をざっくりとかいつまんで話した。

「この者は、推しが消えたといって死のうとしていたのじゃ」

 とミミが言うと、ルルが亮を膝に抱えて抱きしめた。

「それで犬になってしまったなんて。本当にごめんね、りょうちゃん」

「いや、ルル。それはそいつが望んだ姿なのだ」

 いや、ミミ。犬になったのはお前のミスだ。と亮はミミを睨んだのだが、ミミは知らん顔を決め込んでいる。

推しが武将・ルルだということはわかった。だが、ミミ王女の婚約者ということは、ルルは男なのか? という疑問がわいてくる。こんなかわいらしいのに、男? マジか? 自分は男を推していたのか? 亮が二人を見比べて首を傾げていると、ミミが呆れた顔で言った。

「タコ星人に性別などない。自分が気に入った姿に擬態し、それに合わせて性別を語るだけだ」

 武将・ルルは、タコ星でも女性の姿なのだという。ああ、まさかの百合展開。鼻血でそう。しかし、性別がないならどうやって子どもを作るのだ? てか、ルルは武将という話だったが、暴力が下品で下劣とされるタコ星で、武将が民衆の人気者になれるのか?

 亮の心を読み取って、ミミがかいつまんで説明する。武将というのは、剣を使って舞う剣舞の使い手のこと。ルルはイカ星人との戦いで、その見事な剣舞で相手の武将を圧倒し、イカ星人たちはその美しさに感激して侵略を中断したのだという。

「ルルの剣舞は、人々の心を虜にするのだ」

とミミ。わかる。みくるのダンスは最高だったもの。

「子どもを作れるのかということだが、タコ星人同士はオーラで相手を選び、オーラを同調させてダンスを踊ると、互いの体の一部が分裂して合体し、子どもとなるのじゃ。親子同士で子どもはつくれないが、兄弟や叔父叔母であれば、波長さえ合えば子どもは作れる」

 だから、ケケは兄の子であるミミと結婚しようとしたのか。しかし、見かけや性格ではなく、オーラで相手を選ぶなんて。ドドメ色のオーラだと言われた亮は、モテなくてこじらせたケケ叔父にどうしても共感してしまう。

「そろそろ出発しようか。亮はどうする? 一緒にくるのであれば、用心棒ではなく、正式に我が家臣として迎えてやる。そうだ、おまえには、リリという名を授けよう。犬ではなく、今度こそ理想の姿に変えてやるぞ」

 ミミの誘いは嬉しかった。二人と共にタコ星に向かい、ケケを倒し、ペペ王を救う。多分ずっと負け組だったドドメ色オーラの自分になら、負け犬のケケ叔父を改心させることもできるだろう。ミミとルルの結婚式、美しいだろうな。そして二人の子どもたち、カワイイだろうな。みんなで仲良く、賑やかで楽しい毎日。もうひとりぼっちではない。遠い星で、命尽きるまで二人に尽くす。悪くない。でも、どうしても気になることがひとつある。亮は、犬語でミミに聞いた。

「ワン、ワワワンワン?(あの。オーラの色も変えられます?)」

【5 なんてたってアイドル】

「大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」

 飲み会の帰りだった。おれは、犬耳の若い女性に声をかけられた。

「大丈夫です。飲みすぎただけなんで」

 すると、その女性はかわいらしく微笑んで、おれに言った。

「何か悩みがあるんじゃないですか?」

 悩みなら履いて捨てるほどある。モテないとか、彼女ができないとか、結婚できる気がしないとか。

「あんたには関係ないだろ」

 と突き放したつもりだったが、犬耳はついてくる。

「じゃあ、何か願い事、ありますか?」

 願い事も売るほどある。モテたいとか、彼女がほしいとか。結婚したいとか。

 「だから、ついてくるなよ。しつこいな」

「あの、よかったら、犬神クラブに入りませんか?」

 と、その女性がおれの腕を掴み、自分の腕に絡みつかせた。あまりにも鮮やかで軽やかな動きだった。

「ここで出会ったのも何かのご縁! さあ、迷える子犬よ、私の犬小屋にハウスなさい!」

 コンカフェの客引きか?

「悪いけど、ほんとにそういうの、興味ないんだよね」

 運命の人ってやつを待ち続けて二十五年、そろそろ空から女の子が落ちてこないかなあ。くるわけないか。

 すると、犬耳っ子が掴んでいたおれの腕を軸にして、くるりと宙返りしておれの腕の中に落ちてきた。いつの間にかおれは、犬耳娘をお姫様抱っこしているではないか。

「私の名前は三崎りょう。『犬神っ子』っていうアイドルグループのメンバーなんです。あ、りょうちゃんって呼んでね!」

 りょうちゃんは、おれの腕の中でまばゆい黄金色のオーラを放って、まるで小型犬のように愛くるしくニッコリと笑った。おれの心臓が「ずきゅん」と鳴った。

(完)

文字数:17319

内容に関するアピール

『時をかける僧侶』を書くつもりだったのですが、舞台となる1984年をリサーチしていたら、いつの間にかに当時の自分探しの旅にでてしまい、当時大好きだった『桃尻娘』と『燃えよ剣』を再読し、そういえば読んでいなかったなと思い出して『青が散る』まで手を伸ばし、当時の邦楽洋楽をYouTubeで聴き漁り、気がつけば6月になっていました。アイディアも構成もまとまらず、全然時間が足りないやん!ということで、執筆を断念した次第です。

そういうわけで、これまで課題で提出した『東尋坊の用心棒』を手直しして再提出することにしました。ダジャレで思いついてしまったタイトルを、その当時見ていたアニメ『ダンダダン』からインスピレーションを受けて書いたものですが、一番私らしい作品になっていると思います。良くも悪くも。

1年間、大変勉強になりました。脚本の仕事が中々入らず鬱々としていたのですが、全課題提出という目標を達成できて、自分らしく続けていけばいいじゃん、という気持ちにふっきれました。ありがとうございました。

文字数:444

課題提出者一覧