梗 概
時をかける朝子
1980年代後半。主人公は、北関東の田舎町で暮らす女子高校生・近藤朝子。一件どこにでもいる普通の女子高校生に見えるが、子どもの頃から言葉よりも先に手が出るタイプで、『電撃の朝子』と呼ばれて強きを挫き弱気を守る女番長だ。高校に入って朝子は毎日が不機嫌だった。何をしても楽しくないのだ。充実感を得られるのは、悪いヤツをぶちのめしているときだけ。街の交番に赴任したての若い警察官・石原勇一朗は、朝子の顔をみるたびに「ケンカよりスカッとするぞ」と自分が開いている剣道教室に誘ってくる。それもまた不機嫌の原因の一つだった。
ある放課後、イライラしていた朝子は、駅前で中学生をカツアゲしていた肉屋の大輔に、飛び蹴りを食らわせた。面子を潰された大輔は、自分の彼女である順子(ヤンキー)に朝子をシメてくれと泣きついた。ブチ切れた順子は、待ち伏せして、仲間とともに朝子を襲撃。電撃の朝子も多勢に無勢ではかなわない。そこへ、剣道の稽古に向かう途中の勇一朗が通りかかり、朝子を助ける。
剣道教室の場所は、山寺だった。そこには朝子の幼なじみで舎弟のイヌッチの家でもある。勇一朗は、本堂で朝子の傷を手当する。朝子を諫める勇一朗。「手当てしてくれてありがとう。でも、アンタには関係ない」と出ていく朝子。
イヌッチに愚痴ろうと、庫裡へと向かう。朝子は違和感を感じる。いつも線香の香りとは、違う香りがするのだ。次の瞬間、朝子は意識を失くす。
目が醒めると、朝子は見知らぬ場所にいた。どうしていいかわからず戸惑う朝子を助けたのは、トシと名乗る朝子と同い年の薬の行商人だった。トシの話をまとめると、朝子はどうやら百年前にいるらしい。トシも喧嘩が好きだと聞き、意気投合する朝子。トシから剣の手ほどきを受け、二人で薬を売り、売られたケンカを買い、旅を続ける。毎日が充実していた。
ある山寺で朝子はイヌッチそっくりな僧侶と出会う。僧侶は朝子が未来人だと見抜き、ここにいるべきではないと伝える。朝子には使命があるというのだ。やがてあの香りが漂ってくる。意識が遠くなる朝子。最後にトシが朝子に言った。「おれは武士なる。おまえの時代に名を残すような武士に」
気が付いたら朝だった。なんだか今朝は気分がいい。朝子は、肉屋に向かう。大輔に「飛び蹴りはやりすぎた。ごめん。でもカツアゲはダサいからやめな」と詫びを入れる。「なんだよ、素直に謝るなよ。順子やる気だぞ、どうすんだ」と大輔。二人で河原に向かい、コロッケで手打ちとし、順子たちと打ち解ける。帰りに山寺に立ち寄り、剣道教室を覗いていると、イヌッチがやってくる。「姐御、なんだか今日は機嫌がいいな」と声をかけられ、ちょっとね、と朝子。「夢を見たんだ。時を遡る能力者になって、イケメンと薬を売り歩く夢」なんだそれ、とイヌッチ。「私、剣道やるわ」と本堂へと入っていく朝子。その背中にイヌッチがつぶやく。「おかえり、姐御」
文字数:1202
内容に関するアピール
もう、「時をかける僧侶シリーズ」は講座では書かないつもりでいたのですが、
今回の課題のテーマを受けてやるしかないと思い、「時をかける朝子」です。
侍JKの母の登場です。
長編『時をかける僧侶』の第二章でもあるかな?
やりたかったのは、❝時をかける少女×燃えよ剣❞です。
ラストは、夢オチにしましたが、実作では変わるかもしれません。
新奇かどうかは?ですが、とにかく実作がんばります。
文字数:185
時をかける朝子
大地が揺れ、山が火を噴いた。ソテツの森でシダの若芽をのろのろと食べていた一匹の剣竜が、一瞬動きを止めた。剣竜の頭上で、翼竜が金属的な鳴き声を上げながら通り過ぎる。と、剣竜の目の前に、金色に輝くゲートが現われた。中から出てきたのは、見慣れない生物だった。新顔の有袋動物でもなく、手足の名残がある蛇でもない。ましてや自分のような竜でもない。二本足の変な生き物。つるりとした頭のその生き物と剣竜の眼が合った。すると、そいつは「へ? 恐竜? マジか。やべえ、飛びすぎた」と鳴いて再び光の中に戻っていった。光が消えると、再び大地が揺れた。白亜紀の日本のソテツの森で、剣竜は、体よりもはるかに小さな頭を少し傾げて、再びシダの若芽を食べ始めた。と、ソテツの森に「ジリリリリ……」というベルの音が鳴り響いた。
※ ※ ※ ※
「ジリリリリ……」
目覚まし時計の音で、目を覚ました私は、自分が寝ていたという事実に愕然とした。眠るつもりはなかったのに。寝ないで朝を迎えるはずだったのに。枕もとには、濃いめのコーヒーを淹れたポットがおいてある。コーヒーをがぶがぶ飲んで、ラジオで6月9日特番の『薬師丸ひろ子のオールナイトニッポン』を朝の三時まで聞いて、早めの朝ごはんを食べながら日の出を迎える——予定だった。それなのに、眠ってしまった。今の時間は午前六時。6月10日の午前六時でありますように——祈る思いで一階の茶の間に向かった。祈りながら、茶の間の掛け時計の下にかけてある商店街の日めくりカレンダーを見る。そして、私は「やっぱり」とため息をつく。カレンダーの日付は、1984年6月9日土曜日。三回目の1984年6月9日土曜日だ。
私の名前は、近藤朝子。実家はさびれた商店街にあるパッとしない電気店。埼玉のはしっこにある県立高校に通うどこにでもいる普通の16歳。だと思っていたのに、17歳の誕生日を明日に控えた1984年6月9日を三度繰り返している。
昨日、というか二回目の1984年6月9日は、私はワケが分からず混乱した。一度経験したことが、目の前で繰り返されるのだから当然だ。オヤジは、町内会のゴルフに「遅刻だ遅刻だ」とわめきながら出かけ、母さんは「暇なら店を手伝って」と私にいいつけ、店の前を掃除していると隣のタケやんがいつもより少しオシャレな格好で歩いてきて、「おはよう、姐御。おれ、これからデート!」と嬉しそうにスキップで歩いていった。何もかもが同じだった。違うのは、戸惑う私のリアクションだけ。そこで思い出したのが、去年タケやんとイヌッチと見に行った映画、原田知世ちゃんの『時をかける少女』。途中で眠ってしまったので詳細は覚えていないが、確か主人公が同じ日を繰り返すという話だったような。その日の夜、デート帰りでルンルンなタケやんをつかまえて、私は協力を要請した。
私はタケやんを家に呼び出し、「信じられないかもしれないけれど、私は1984年6月9日を繰り返している」と伝えた。そして、その証拠として、タケやんが今日の映画デートでチューをしたこと、観た映画が『晴れ時々殺人』だということを話すと、単純なタケやんは、「まるで時をかける少女じゃん!」とすぐに信じてくれた。四度目の1984年6月9日を回避すべく、私は今夜こそ徹夜で朝を迎えたい。共働きのタケやんの両親が、それぞれ泊りのゴルフと出張だということも知っている。だから、タケやん、今夜はタケやんの家で一緒に朝までゲームをしよう――「姐御のためなら」とタケやんは承諾してくれた。ちなみに私にはタケやんの他にもう一人幼なじみがいる。山寺の一人息子、イヌッチだ。三人の中で誕生日の早い私は、彼らから「姐御」と呼ばれている。イヌッチもタケやんと一緒に私と同じ高校に進学したのだが、ロックバンドをやると言って一月に自主退学して上京。今は、下北沢で友だちと同居し、ラーメン屋のアルバイトに明け暮れているという。まあ、イヌッチのことは今はいいや。
というわけで、三回目の1984年6月9日夜、私はこれまでとは違う行動に出た。両親に「タケやんちで勉強教えてもらうから」と親に伝えると、中間テストで酷い成績だった娘を心配する母さんは、「ちゃんと教えてもらうのよ」と夜食のおにぎりを持たせてくれた。タケやんとは兄弟同然で育っているため、お互いの家を泊り合うことは両家で承認されている。持つべきものは、頭のいい幼なじみである。私は、おにぎりとポットに入れたコーヒーと、店からこっそりもちだしたファミコンの本体と、タケやんのリクエストである任天堂のゲームソフト『テニス』と『ゴルフ』を抱えて、タケやんの家に向かった。
二人でゲームをするのは、大晦日以来だった。例年大晦日になると、私とタケやんは、イヌッチの山寺で日付が変わるまで寺の手伝いをして、イヌッチの部屋で年越しそばを食べて朝までゲーム大会、というのが恒例になっていた。イヌッチが学校を辞めると私たちに伝えたのは、今年の元旦の朝だった。私は反対した。けれども、イヌッチは行ってしまった。いや、イヌッチのことは、もういいんだ。
三回目の6月9日夜は、タケやんと二人でゲーム対決。夜食を食べる。コーヒーを飲み、日付が変わったことを確認して、ひと安心——いつの間にか寝てしまった! 「タケやん、起きて!」と床に転がって寝ているタケやんを起こし、テレビを点ける。ちょうどNHKの『日曜美術館』が始まるところだった。
「やった! 今日は日曜日! 6月9日じゃない、6月10日だ! 繰り返しじゃない!」
すると寝ぼけた顔でタケやんが言った。
「姐御、誕生日おめでとう」
※ ※ ※ ※
あれ以来、私の身に不思議な出来事は起きていない。何事もなかったかのように時は流れ、日々は過ぎていく。タケやんは、「よくわからないけれど、ゲームならいつでもウエルカム」とタケやんらしく私に身に降りかかった奇妙な出来事を受け流し、テニスと塾とデートで忙しく生きている。私も「気のせい」だったのかもしれないと最近は思うようにしている。きっと、体調不良の一種だろう。
17歳になって一か月経ったが、私は全く変わっていない。相変わらず周りからは『電撃の朝子』なんてあだ名で呼ばれて、変人扱いされている。「電撃」、というのは電気屋の娘ということと、言葉より先に手(撃)が出てしまうことからついたあだ名。でもね、私が手を出すのにはそれなりの訳がある。闇雲に暴れている訳じゃないんだ。誰かが弱いものをいじめていたり、誰かが私に失礼なことをしたり、とにかく「理不尽!」と感じた瞬間に体が動いてしまうんだ。手を出す前に話し合えと大人たちは言うけれど、言葉が通じない相手だから手が出るわけで。ケンカをすると、「女のくせに」なんて言われるけれど、「くせに」って何なのさ。母さんからはしょっちゅう「女の子らしくしなさい」なんて言われるけれど、「らしさ」って一体何なのさ。大体ね、子どもの頃から不満だったんだ。「女の子だからピンク」とか「女子は赤いランドセル」とか。中学の制服は、ひざ下10センチのひだスカート。女はスカートって、誰が決めたんだ? それは高校生になっても変わらなくて、私はなるべくスカートの下にジャージを履いている。だって、スカートってスース―するし、回し蹴りしたらパンツ見えちゃうし。女子がスカートなら、男子もスカート履けよ。女の子は体を冷やしちゃいけないというのなら、ズボンをはかせろよ。というわけで、子どもの頃からその手の決めつけ押しつけと闘ってきた私であるが、近頃とてもげんなりしていることがある。生物学的に言う、第二成長期というやつだ。自分の体の変化に絶望すら感じている。そんな娘の気持ちもしらず、中学の時に、母さんが「スポーツ・ブラ」という下着を買ってきやがった。「そろそろ朝子もそんな年頃だからね」とか嬉しそうに。もちろん、断固拒否。ブラなんかつけたら負けだと本気で思っていたからね。とはいえ、ブラブラさせても動きにくい。ということで、そこで思いついたのがサラシ。商店街の祭りで神輿を担ぐ時、父ちゃんが腹に巻くあの布を胸に巻けばいいと思ったんだ。胸の揺れも抑えられるし、なんかちょっとカッコいい。というわけで、私は胸にサラシを巻いている。学校ではブラジャーをすると体が痒くなるアレルギー、ということで通している。母さんはもちろん納得していないが、ノーブラでブラブラされるよりマシだと渋々受け入れている。最近は、17になっても初潮がまだ始まらない娘の発育具合を心配しているようだ。そんなもん、気合で止めてんだよ! 体つきの変化だけでもうんざりなのに、生理なんかきてたまるかっての。
そんなこんなで、このところの私は人生で最も不機嫌だ。毎日がつまらない。部活も入っていないし、塾にも通っていないから、早い時間に学校から帰宅する。部屋着のジャージに着替えて、家の茶の間で煎餅を齧りながら『明日のジョー2』の再放送を見る。将来何がやりたいかなんてわからないから、大学にも行く気がない。なんとなく、店を継ぐのかなと思ったり。そんな私を置いてけぼりにして、タケやんやイヌッチは遠くへ行ってしまうのだろう。つまんないな。
すると、怠惰な娘を見かねた母さんがちょっかいを出してくる。「そんな前髪ぱっつんのひっつめ髪じゃなくて、前髪ふんわりさせて、ポニーテールにしてみる? 日曜日、お母さんとかわいい洋服買いに行こうか?」——スポブラの件以来、母さんの『可愛らしく女らしい娘化計画』が容赦ない。ほんとうにそういうの、うんざりだし、げんなり。そんな時は、無性に誰かをぶっとばしたくなる。あ、私は闇雲にぶっとばしたりはしないのだけれど、最近はちょっと「理不尽」と感じるハードルが下がっているかなあ。ああ、ぶっとばして、スカッとしたい。
そんなある放課後、ぶっとばしチャンスが私に訪れた。駅前でツッパリ風情の不良もどきが中学生をカツアゲしていたんだ。カツアゲ、良くないね。これは鉄拳制裁しないとね。その不良もどきのニキビ面には見覚えがあった。中学まで一緒だった肉屋の大輔だ。私は、軽く助走をつけて、思いっきり短ランと呼ばれている丈の短い学生服の猫背に飛び蹴りを食らわせてやった。「ほえっ」と前のめりに倒れた。大輔がリーゼントのひさしを揺らして、怒鳴りながら振り返った。
「何すんだてめー」
中々威勢がいいじゃないか。こいつは昔から弱いものに強く、強いものに弱く、長いものに巻かれる情けないヤツだった。だが、不良もどきになって、ちょっとは骨のあるヤツになったのかな。いいねえ、思いっきり殴れるねえ。やんのか? と拳を構えると、私の顔を見て、「あ、朝子」と小声でつぶやくとみるみるうちに顔が青くなった。まあ、保育園時代から私に殴り蹴られて泣かされてきた記憶が走馬灯のように蘇ったのだろう。やんのかポーズのまま大輔に、「カツアゲしてねーで、トンカツでも揚げてろ」と挑発してやると、
大輔は立ち上がるなり「覚えてろよ」とチープな捨て台詞を残して走り去っていった。ケンカもできないへなちょこめ。なんだあのズボンは。ボンタンというズボンらしいが、腿のあたりがだぼだぼで走りにくそうだな。なんて思っていたら、背後からパチパチと拍手の音が。振り返ると、若い警察官が「見事な飛び蹴りだね!」と手を叩いて笑っている。ヤバい。補導される?と身構えた。だが、その警察官は、
「心は折れるがケガはしない。タイミングも蹴りの力加減もバッチリだ。いや、いいもん見せてもらったよ」
とひたすら感心して頷いている。「ども。じゃ、失礼します」と私が立ち去ろうとすると、警察官がポケットから名刺サイズのカードを取り出し、無理やり私に握らせた。カードを見てみると、『剣道教室 場所;山寺本堂 指導者:石原勇一朗(七段)』と書かれている。「ケンカもいいけど、剣道もいいぞ。ストレス発散できるぞ。指導者は、おれ。あと、無料だから! 明日の夜七時ね!」未成年の暴力的行為の現場に居合わせて、指導も説教もなく剣道教室の勧誘をしただけで警察官は去っていった。剣道なんて、かったるい。「これ、あげる」と、勧誘カードをカツアゲされていた中学生に渡し、私は家路を急いだ。今日の『明日のジョー2』の再放送は、泣ける回なのだ!
『明日のジョー2』に泣かされて、しみじみ煎餅を齧っていると、母さんから「みそ汁の豆腐を買ってこい」との指令が出た。豆腐屋は二軒隣にある。私は、お使い用の財布を手に、サンダルをつっかけて家を出た。すると、テニスラケットを抱えた制服姿の女子が店の前でウロウロしている。タケやんの「映画館でチュー」の子だ。
私をみるなり、その子が泣きそうな顔で駆け寄ってきて言った。
「先輩、タケやん先輩を助けてください!」
※ ※ ※ ※
テニス女子に財布を渡し、みそ汁の豆腐を頼んで私は河原へと走った。彼女がいうには、タケやんと河原を歩いていたら、南校の怖いお姉さま方に絡まれたのだという。南高、というのは、ちょっとガラのよくない生徒が多い、いわゆるヤンキーな高校で、ヘナチョコ大輔も在籍している。南高のヤンキー女子に恨まれるような覚えはないのだが、久しぶりに『電撃の朝子』の血が騒ぐ。女子を殴るのは幼稚園以来だが、人質を取るなんて卑怯なヤツは許さない。私は女だからって手加減しない。男女平等にぶっ飛ばす。「少しずつだがよ。おりゃ、燃えてきたぜ」と矢吹丈のセリフを呟き、私はダッシュで河原に向かった。
河原に着くと、遠くの空で雷の音がし始めた。しばらくすれば、夕立になるだろう。さっさと終わらせて、タケやんと家に帰って、かわいいテニス女子を安心させてあげよう。相手が指定した場所は、河原の橋の下。そこは、ヤンキーたちの喫煙所でもある。土手を下りて橋の下へと向かうと、背後から足音が。待ち伏せだ。振り返るや否や強烈なタックル。仰向けに転がると、誰かが覆いかぶさってくる。私は両足でその腹を思いっきり蹴った。長いスカートを翻してそいつが尻もちをつく。反撃にでようと立ち上がったその時、草むらに潜んでいた二つの影が動き、私の両腕をがっちりととらえた。左がちょっと太めの長スカートで、右が背の高い長スカート。つまり、相手は三人。尻もちをついていた長スカートが、身動きの取れない私の方へ、ゆっくりと近づきながら言った。
「近藤朝子、あたしの男に手をだすんじゃねえよ」
ん? と私は思った。
「人違いじゃない? 全く心当たりがないんだけど?」
すると両サイドが「ふざけんじゃねーぞ」とハモる。
「大輔が、おまえに手を出されたっていってんだよ!」
大輔、と聞いて、この前肉屋の大輔に見舞ったみごとな飛び蹴りを思い出した。大輔が、彼女にその事を愚痴ったのかもしれない。そして、この長スカートは何か勘違いをしている。
「いや、手は出していない。出したのは足だ」
「うるせえ。おまえの話は聞いてない。あんたのこと、前から気に入らないんだよ!」
つまり、ヘナチョコ大輔が何をいったかはしらないが、この長スカートは私をボコらないと気が済まないのだ。と、左頬に強烈な張り手が飛んできた。脳が揺れた。おいおい、ヤンキーの常識として、顔はやばいんじゃなかったか? グー・パンチじゃなくてまだ助かったか。それを合図に、両サイドが私を地面に転がした。次々と蹴りが飛んでくる。さすがに多勢に無勢で反撃は無理だった。とにかく受身でなるべくダメージを減らす作戦。とはいえ、一方的にやられるのは惨めだった。長スカートたちは、気に入らないからという理由で私を殴っている。理不尽だ。けれども、私だって同じじゃないか。未来に希望もなくて、退屈や不平不満を誰かをぶっ飛ばすことで紛らわせている。やがて雨が降ってきた。それを合図に気が済んだのか、長スカートたちは、「調子に乗んなよ」と言い捨てて去っていった。私は起き上がれなずにいた。痛みよりも情けなさで涙が出てきた。私など、矢吹丈の足元にも及ばない。ただ反抗するだけで何もできないつまんない存在だ。雨と汗と血と泥と涙だらけになりながら、私はこのまま自分の体が粉々に崩れて消えてしまっても構わないと思った。そして、意識を失った。
※ ※ ※ ※
遠くで「めーん!」という子どもの声。そして、木魚の音。線香の匂いに目を開けると、懐かしい板張りの天井があった。イヌッチの部屋だ。
「姐御、大丈夫?」
板張りの天井がタケやんの顔になる。
「塾にみどりちゃんがやってきて。とんでもないことをしたって。彼女、南高のスケバンに脅されて、嘘ついて姐御を呼び出したって」
映画館チューの子の名前は、「みどりちゃん」だったのか。
「それで、河原に向かう途中で石原さんに会ったから、一緒に来てもらったんだ」
うー、体のあちこちがズキズキする。骨は折れていないようだけれど、しばらく痛むなア。
「あいつら、もういなくて。姐御が倒れていて。とりあえず、山寺に運ぼうっていうことになって」
イヌッチの父ちゃん、つまり山寺の住職が手当てをしてくれたのだ。子どもの頃、喧嘩をする度に、私はここの住職に傷の手当てをしてもらっていた。
「ジャージ、濡れてたし泥だらけだったから。石原さんの剣道着を借りてね。いま洗濯している。あ、着替えは、おれ、見てないから。石原さんがやってくれたけど、警察官だから!」
いや、そういう問題ではないだろう、とツッコみたかったがしんどいのでやめた。私の胸のサラシをみたところで、あの変な警察官が欲情したりはしないだろう。あの「めーん」という声は剣道教室の子どもたちの声だったんだ、と私はひとりごちた。
「姐御はバカだ。おれが人質だなんて嘘信じて。おれ、テニスで鍛えてるんだよ。背だって姐御より高いし、力だって姐御より……昔の弱っちいおれじゃないんだよ」
分かってる。でも、昔みたいに、舎弟に頼られる強い自分でいたかったんだ。こんな弱い自分はいやなんだ。女だからって、守られて当たり前とか、嫌なんだ。
「これからは、おれが姐御を守るから」
その一言だけは、聞きたくなかった。私は目を閉じて、深くため息をついて、そして言った。
「昔に、戻りたいな」
三人でザリガニ釣りにいって、缶蹴りして、トランプして、テレビ見て、笑い合って、時々けんかして。男も女も関係なくて、ただ、一緒にいるだけで楽しくて。子どもの頃のことを思い出していたら、なんだか体が熱くなってきた。金色の光に包まれて、意識が遠くなる。遠くでタケやんが呼ぶ声が聴こえたけれど、目を開けることができなかった。
※ ※ ※ ※
どれくらい眠っていたのだろう。目を開けると、暗闇の中だった。体の痛みはまだ残っていたが、私はゆっくりと立ち上がった。「タケやん?」と呼んでみたが応答がない。家に帰ったのだろうか? 山寺が静かなのはいつものことだが、それにしても様子が変だ。イヌッチの部屋のシングルベッドで寝ていたはずなのに、目が醒めると板張りの上で横になっていた。体を起こしてみると、そこは山寺の本堂だった。「すみませーん」と声を出してみたが、自分の声がこだまするばかりで返事はない。あけ放たれた扉に向かうと外に藁で編んだ草履がいくつかころがっている。朝子のスニーカーはどこにいったのだろう? とりあえず、草履で外に出る。七月の蒸し暑さはなく、涼しい夜風が吹いている。敦での剣道着を着ていても、丁度良いくらいの涼しさだ。空を見上げると、見たこともないほどの星が輝いていた。虫の声やカエルの声。車の音は聞こえないけれど、自然の音が賑やかだ。境内の灯りがひとつもない。停電なのだろうか? 本堂の裏手に庫裡があるはずだが、それもない。住職へのお礼と挨拶はまたにして、とりあえず家に帰ろう。私は、慣れない草履に苦労しながら、寺の石段を下りていった。
山寺はその名の通り、小さな古墳のような山の上にある。石段を下りれば左手に川があり、道を右手に進めば自宅のある商店街に出る。道に出て、私はハッとした。道が、舗装されていないのだ。おまけに、町の灯りが全くない。それどころか、寺の周りにあるはずの住宅が1件も見当たらず、田んぼが広がっている。どういうことだろう? 誰かにここがどこなのか話を聞かなくては——民家を求めて右手に進もうとしたその時、河原から「おい、待て!」という声が響いた。誰かがいる。私は、草履を脱いで裸足で声の方へと走った。
河原の土手はいつもより低く、川面は星空を映して美しくきらめいていた。生い茂った草むらの中で、蠢く何かがいた。月の光に照らされた人影が四つ。浴衣の裾を絡げた小柄な人影を、大柄な三つの人影が襲っている。喧嘩だ。しかも、三対一。小柄な男は、二人の男に押さえつけられ、一番大柄な男が木刀のようなものを振り上げた。長スカートに襲撃された時の記憶が蘇り、私の傷が疼いた。と同時に、なんだかとてつもなく頭にきて、走り出していた。「てめえら、卑怯だぞ!」と叫んで木刀の男の背中にドロップキック。男は木刀を落として前につんのめった。想定外の乱入者に驚き、小柄な男を押さえつけていた二人が怯んだ。と、小柄な男が見事な素早さで二人から逃れ、木刀を拾い上げて駆け出す。
「おい、一緒に来い!」
小柄な男に言われて、私も走った。必死に走った。三人の男たちは、追うのを途中であきらめたようだった。雑木林に逃げ込み、小柄な男と私は倒れこんだ。
「助かった。礼を言う」と男は私に笑いかけ、竹の水筒に入った水を分けてくれた。私はそろそろ覚悟をしていた。周囲の景色と男たちの着衣。竹の水筒とか、藁で編んだ草履とか。時代は分からないけれど、多分大昔の日本のどこか。
「おまえ、どこから来た? その道着、百姓じゃねーべ。こんな時間に、ガキが何してる?」
男には私が子どもに見えるらしい。
「迷子になったらしい」
「おれの名前はトシ。石田散薬っていう薬を行商している。トシって呼んでくれ。小僧、名前は?」
男は私が子どもで男だと思っている。
「近藤アサ。気が付いたら、この先の山寺にいた。一文無しだ」
「おまえ、家は何やってんだ?」
「えっと、道具を売っている。生活に便利な道具」
電気のない時代と言うことは明白だったので、電気屋という言葉は伏せた。
「商人か。なるほどね。かどわかしかもな。声変わりもしてねえ角前髪のガキに、ひどいことしやがる。近藤という姓なら、知り合いが何か知っているかもしれねえな。よし、アサ坊、ついてきな!」
トシという男は爽やかに笑った。それから私とトシの旅が始まった。
トシという男と旅を続けていくうちに、私は今の時代が江戸時代の末期であると知った。一日前に戻るどころか、百年以上も昔に戻ってしまったのだ。確かに過去に戻りたいと願ったが、これは戻りすぎだ。戻りすぎたけれど、トシとの毎日は楽しかった。池でザリガニを取って食べ、川で魚を取ってたべ、村の子どもたちと一緒に缶蹴りをして遊び、輩に絡まれた時は共に戦った。女だと知られない限り、トシは私を女扱いしない。それがたまらなく心地よかった。女だとバレないように、「人に見せたくない痣がある」と言って、着替えや水浴びや風呂はひとりで済ませた。
数日が経ち、もうすぐトシの実家のある石田村に到着する夜、トシが言った。
「前にも言ったが、近藤勇というおれの義兄弟がいるんだ。その人が今度天然理心流の道場を継ぐ。おれは入門しようと思うが、おまえも一緒にやらないか?」
「入門したら、何が変わるんだ?」
と私が聞くと、トシはフッと遠くを見ていった。
「変えるんだよ、自分の手で。おれはもう、燻っているのがいやなんだ。強くなって、この世界を全部ぶっ飛ばしてやりてえんだ」
「今のままじゃ、だめなのか?」
「だめだね。おれは、今のおれに納得してねえ。おまえだってそうだろ? 今の自分に、納得してねえんだろ? だから女っていうことを隠してるんだろ?」
驚いた。バレていたんだ。分かっていたんだ。私が女だということを。
「女だと分かっていて、どうして私を道場に誘うんだ?」
「女だからって関係ねえ。アサ坊は、強くなりてえんだろ? 強くなりてえ奴を誘って何が悪い」
そうだ。周りのことなんか関係ないのだ。女のくせにとか、女らしくとか、そんなの気にしなければいい。私は私。私のままに、生きればいい。私はもっと強くなる。そして、トシと共に全部ぶっ飛ばす。どうなるか全くわからないけれど、トシと一緒なら、それでいい。
明日は石田村だとつぶやいて、トシは目を閉じた。すぐに規則的な寝息が聞こえてきた。私は、星空を見つめながら、生まれて初めてこの世に生まれてきたことに感謝した。この時代にやってきて、よかった。いや、ここでトシに出会うことが私の運命だったのだ。
「タケやん、イヌッチ、私はこの時代で生きていくよ」
夜空に向かってそう呟いたとき、風が止まった。
「それは、困るよ姐御」とイヌッチの声がした。
驚いて立ち上がると、目の前に金色に輝くゲートが浮かび上がっている。そのゲートの中から坊主頭のイヌッチがひょっこりでてきて、ポリポリと頭を掻いた。
「ごめん、遅くなった。まだ慣れてなくてさ。白亜紀まで飛んじゃったんだ」
半年ぶりの再会だった。でもなんで? なぜここにイヌッチが現われる?
これはきっと、夢だ。いつの間にか眠って、変な夢をみているのだ。
「うーん、気持ちはわかるけどね。おれだって、まだ半信半疑だもん。とにかく、迎えに来た」
イヌッチが手を差し出したが、私はそれを跳ね除けた。
「トシ」と呼んだが、眠っているトシはまるで凍り付いたように動かない。
「えっと、今姐御とおれは、次元の狭間にいるから。その人に話しかけても無理だから」
次元の狭間? イヌッチはまるで私の心の声が聴こえるかのように、私の声にならない疑問に答え続ける。
「うまく説明できないけれど、姐御にはおれと同じ時をかける能力があるってこと。その力は、本当ならずっと先の姐御の子孫で開花するはずなんだけど、まあ、年頃の不安定さというか、そんなこんなで発動しちゃったんだね。ほら、㋅9日を三回繰り返しただろ? あれもそう。でもさ、無自覚のままいきなりこんなに飛ぶなんて、姐御はやっぱりすごいや」
飄々と語るイヌッチは、私が知っているいつものイヌッチだった。右眉毛の横の傷は、鉄棒から落ちたときのものだし、鼻の横のホクロもある。私はイヌッチの頬を思いっきりつねった。
「いてて、夢じゃないってば!」
目の前の出来事が信じられないとき、私はイヌッチやタケやんの頬を抓る。彼らが痛がれば真実だと認めることにしている。この確認作業は、二人には滅茶苦茶評判が悪い。
「とにかく、これ以上過去に干渉すれば、未来が大きく変わってしまうんだ。だから、帰ろう」
納得できない。やっと自分の人生を歩けると思ったのに。元の世界では、生きる意味などみつけられないというのに。
「姐御がこのまま残れば、このトシという人は、実家を継いで、百姓のままで人生を終えるかもしれない。なぜなら、道場で姐御が女であることが問題になり、彼は姐御と一緒に破門になるからね」
イヌッチの言葉が、私の未来予想図を打ち砕いた。結局そうなのか。結局女という性に絡めとられてしまうのか。女だから、強くなっても女である以上、そこから逃れられないのか? 絶望する私を、イヌッチが優しく諭す。
「前から思ってたんだけどさ、自分の性別に拘りすぎじゃないのかな。体の変化はしゃーないとして、女である以前に、姐御は昔から姐御なんだし。おれだって、ミュージシャンになる未来っていうのを描いていたけどさ、生まれつきの宿命っつーか、そういうのがあるわけ。で、それは受け入れるしかないなって思うわけ」
あれ?と思った。見かけはいつものイヌッチだけど、何かが少し違う。イヌッチが、なんだか大人びて見える。
「バンド、諦めるの?」
「今すぐじゃないけどね。いずれは、そうなるのかな。寺を継がなきゃいけないから」
「そっか」
諦めて受け入れて、それも悪い事じゃないのかもしれない。
イヌッチに手を引かれて、私は金色のゲートへと向かう。足を踏み入れた時に、イヌッチが言った。
「あとね、このゲートをくぐったら、タイムトラベルの記憶は消えるから」
最後にそれを言うか。私は振り返り、眠っているトシを見た。
「ジリリリリ……」とどこかで目覚まし時計の音が聞こえてきて、全てが金色の光に包まれた。
※ ※ ※ ※
「ジリリリリ……」
目覚まし時計の音で、目を覚ました私は、一階の茶の間に向かった。茶の間の掛け時計の下にかけてある商店街の日めくりカレンダーを見る。カレンダーの日付は、1984年6月9日土曜日。明日は、私の17歳の誕生日。コーヒーを淹れていると、オヤジが「遅刻だ遅刻だ」とわめきながら起きてきた。今日は町内会のゴルフなのだ。しばらくすると、寝室から母さんがパジャマのまま現れて、「明日の朝子の誕生日パーティの準備があるので、今日は母さん有休ととります。店は、朝子に任せるね」と高らかに宣言。そういわれたら、仕方ない。コーヒーを飲み終えると、私は、外に出て店を開け、掃除を始める。すると、隣のタケやんがいつもより少しオシャレな格好で「おはよう、姐御。おれ、これからデート!」と嬉しそうにスキップで近寄ってきた。
「チューできるといいね!」
と冷やかすと、「そ、そんなフシダラナこと、全然考えてねーし!」と真っ赤になった。考えているな、絶対。朝子の疑惑の眼差しに耐えかねて、話題を変えようとタケやんが言った。
「そうそう、明日の誕生日パーティ、イヌッチもくるってよ!」
イヌッチというのは、半年前に喧嘩別れした幼なじみだ。学校を辞めて、下北沢で暮らし、バンド活動をするためにバイトをしている。私の誕生日のために、わざわざ東京から戻ってくるというのなら、苦しゅうない。「手紙ぐらいよこせ!」とあの坊主頭をひっぱたいて、許してやろう。と、通りの向こうからタケやんとすれ違いに、自転車に乗ったお巡りさんがやってきた。見かけない顔だ。
「おはよう! いい天気だね! 今度駅前交番に移動になった、石原です! よろしくね! えっと、君はここの家の子?」
お巡りさんの声は大きく、あっけらかんと明るくてちょっと私はビビる。
「はい。娘の朝子です」
交番のお巡りさんには、心証をよくしておいたほうがいい。私は、なるべく愛想よく自己紹介をした。
「おお、君が『電撃の朝子』ちゃんか!」
と自転車を下りて、ぐいぐいと近づいてくる。マジか。私のことを知っているのなら、心証とかなんとか気にしなければよかった。
『電撃の朝子』というのは、私の通り名だ。子どもの頃から喧嘩っ早く、すぐに手が出るため、近所の同級生たちからはそう呼ばれている。新任のお巡りさんにその名が知れているのは、ちょっと気まずい。すると、石原が一枚のカードを差し出した。
カードを見てみると、『剣道教室 場所;山寺本堂 指導者:石原勇一朗(七段)』と書かれている。「ケンカもいいけど、剣道もいいぞ。ストレス発散できるぞ。指導者は、おれ」
「女でもいいのか?」
と朝子が聞くと、石原勇一朗(七段)は、にこりと笑った。
「そんなの関係ないよ。強くなりたいなら、大歓迎さ!アサ坊」
「アサ坊? 今、私のことアサ坊って呼びました?」
「あれ? だめ? 初対面なのに、馴れ馴れしい? なんか、朝子ちゃんていうより、アサ坊のほうがしっくりくるなって」
いきなりアサ坊はないだろうと思ったが、それほど悪い気もしなかった。石原の方が年上でもあるし、チャン付けで呼ばれるより、マシだ。
「夜七時からだから、気が向いたら来いよ! アサ坊!」と言って、石原は去っていった。変な人だが、きっとイヌッチやタケやんと気が合いそうな気がする。誕生会が終わったら、二人と一緒に山寺に行こうかな。17歳の記念に、剣道を始めてみるのもいいかもしれない。
六月の風が、ふわりと私を包んだ。ふと、懐かしい匂いがした。高校生になってずっと感じていたモヤモヤやイライラが、今朝は全く感じられない。私の中で何かが変わり始めている。それは、とても良い予感でしかなかった。
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