梗 概
東尋坊の用心棒
「推し」が消えた。ある日突然、SNSにたった一言、「さよなら、楽しかったよ」という文字を残して。
三崎の「推し」は、『神がかり』という地下アイドルグループの「白鷺みくる」だ。親も兄弟もなく何の取り柄も不良になる根性もない孤独な三崎が、空虚なままに生きていた三崎が、二十歳で「白鷺みくる」という存在に出会い、推し活という生き甲斐を得た。あれから9年、「推し」のためだけに生きてきた。推しを推すことだけが、生きている証だった。「推し」が消えたということは、生きている証が消えたということで、三崎は死んだも同然ということになる。三崎は虚無に包まれた。毎日部屋に引きこもり、これまでの『神がかり』の動画を見て買いためたCDを聞いて過ごした。そして、『GOGO!東尋坊』という楽曲の「会いたくなったら、東尋坊!GOGO!東尋坊」というみくるの歌声に導かれるように東尋坊までやってきた。生きている証がないのなら、死んだも同然ということ。みくるの歌声に包まれて、虚無な現実とおさらばしよう。ありがとう、みくる。みくると出会って幸せだったよ。三崎が崖の上に立ったその時、「ちょっと待った!」と声が。ゲートキーパーと呼ばれる自殺防止ポランティアの人に見つかってしまったのだろうか。振り返ると、妖艶な(胸の大きな)美女が腕組をして立っている。三崎の人生において、女性から、しかもこんな美女から話しかけられた記憶はない。ピンヒールの足音を響かせて美女が近づいてくる。そして、三崎の腕をグイっと掴み、三崎の体を引き寄せて耳元で言った。「どうせ死ぬ気なら、生まれ変わったつもりで私の用心棒にならないか?」
女性は商店街のカフェでカフェラテを上品に飲みながら、「わらわは、ミミ王女じゃ。タコ星のペペ王の長女にして王位継承者である」と話し出した。自己紹介の内容からして、ちょっとヤバい系の人かもしれないと警戒する三崎。すると、女性の腕が伸びてきて指先が三崎の顎を撫でた。その指先がにょろりとタコの足に変化した。ミミの正体は、人に擬態した宇宙人だった。
タコ星でクーデターが起きた。ペペ王の弟で軍組織のトップであるケケの反乱だった。ミミ王女は、たった一人地球に逃れた。「地球に来たのは、十年前に地球へと旅立った婚約者・ルルを探すためじゃ」。地球の東尋坊に不時着した際、ミミ王女テレパシーでルルに東尋坊の座標を送っている。故障した宇宙船を修理しながら、ミミ王女はルルの訪れを待っている。群衆のアイドル的な存在だった武将・ルルを連れてタコ星に戻り、ミミは叔父でもあるケケを討つ。それまでの間、ひとりでは心もとないので三崎を用心棒として召し抱えたいというのだ。報酬は宇宙船で寝泊まり三食付きと「なりたい自分に生まれ変わる」こと。なりたい自分というのは、タコ星のテクノロジーで、三崎に新しい肉体を与えてくれるということらしい。三崎は、これまでの人生を振り返る。早逝した両親、たらいまわしの親戚の家、透明人間のようだった学生時代。幸せだったのは、みくるに「神の子たち」と呼ばれてファンとして愛された時間だけ。愛されたい。もっともっと自分は愛される存在になりたい。だが、運動神経ゼロで特技も何もない三崎に用心棒など務まるのだろうか? 「適した体を与えてやるから大丈夫だ」とミミ王女。みんなから愛される自分は、きっと大谷翔平のようなアスリートにしてベビーフェイスな容姿なのだろう。素晴らしい。新しい愛される自分に生まれ変わって、人生をやりなおそう。三崎は、ミミ王女に従者の誓いを立て、ミミ王女の宇宙船で肉体改造を受ける。しかし、王女が与えた「愛される自分」の姿は、愛される大谷翔平ではない。犬だ。三崎は愛くるしいコーギーの姿にされてしまったのだ。「地球で女王の犬といえば、コーギーなのだろう?」とミミ王女は満足気だ。
こうしてコーギーになった三崎の第二の人生、東尋坊での用心棒生活が始まった。毎日のパトロール、王女の警護。そして、東尋坊に身を投げにやってきた人間たちを崖から引きずりおろす作業。崖下には王女の宇宙船が特殊フィールドで隠されている。投身者が落ちてくるとフィールドが損傷してしまう。自殺志願者を必死に引き留めるコーギーの姿は、たちまちSNSなどでネットに拡散され、テレビ取材が訪れる。たちまち三崎は人々から愛され人気者に。「どうじゃ、そなたの願いが叶ったじゃろう」とミミ王女はご満悦だ。でもなんだか違う、何かが足りない。「推し」だ。「そなたの推しは、わらわじゃろう?」とミミ王女は言うが、ちょっと違う。契約によりミミ王女を命を懸けて守ると誓ったが、ミミ王女は三崎の「推し」ではない。
そんなある日、三崎は東尋坊の崖の上で、「推し」・白鷺みくると再会する。
文字数:1955
内容に関するアピール
すみません、「結末」がまだ決まっていません。いつも、書きながら結末を考えています。毎回実作では、一度書いてみて、結末が決まったら書き直す、という作業をしています。効率が悪いなと思います。まずタイトルを考えて、キャラクターと設定を考えて、それからストーリーという工程が間違っているのかもしれないとアピール文を書きながら思いました。次の課題は、結末から考えてみようかな。
今回のテーマ「シーンを切り替える」ですが、脚本を書く時は「ハコ」というものを作ってシーンの構成を考えます。ですが、小説を書く時は、地の文を書くことに必死でシーンの切り替えがおろそかになっているような気がします。まだ結末すら決まっていない今回の作品ですが、シーンの切り替えを意識しながら実作に挑みたいと思います。
文字数:338
東尋坊の用心棒
高校二年の7月、169センチで三崎亮の身長は止まった。170センチ代まであともう一息というところで、ぴったりと止まってしまった。まだまだ伸びるはずだとセノビックの牛乳割りを一リットル飲み、お腹を壊してトイレに籠る亮に、「パパより2センチも高いじゃないの」と母さんは慰め、「男は身長じゃない、中身だ」とオヤジは励ましてくれたけれど、母さんにはオヤジがいて、オヤジには母さんがいる。女の子にモテたい盛りの17歳男子に、相思相愛で結ばれた両親の言葉など素直に受け入れられるわけがない。そもそもの遺伝子だ。母さんの身長は148センチ。父さんは168センチ。どちらの祖父母もすでに他界していて二人とも一人っ子同士。母さんが北海道出身でオヤジが沖縄出身ということもあり、関東在住の我が家は昔から叔父叔母従姉妹含めて親戚づきあいはほぼないのだが、どちらの親族も似たり寄ったりの背格好だという。「多分、亮が我が一族で一番の背高のっぽよ」と母さんが必死で励ませば励ますほど、亮の落ち込みは深くなる。二人の馴れ初めは、子どもの頃から嫌というほど聞かされている。母さんは、オヤジの太陽のように明るいオーラに吸い寄せられたと言い、オヤジは、母さんは幸せのオーラを纏って現れたといいやがる。子どもの頃は、仲良しな両親が誇りだった。だが、いざ第二次成長期に突入すると、亮の見解は変わった。思春期の学校でのヒエラルキーは残酷だ。頭の良さ・運動神経の良さ・顔の良さのどれかを持ち合わせていないヤツは、面白い・楽しい・お調子者という属性を身に着けていないと全く持って異性から相手にされない。母ちゃんは、頭の良さと楽しさ。オヤジは、楽しいとお調子者の属性を持つ。そして亮に至っては、何も持ち合わせていない。だからせめて、身長は170センチを超えたかった。170センチを超えたら、もう少し自分に自信が持てると思ったのだ。170センチを超えたら、「空気」なんていわれないはずだ。亮の悩みは、その「存在感の無さ」だった。いつでもその他大勢。いてもいなくても気づかれない。モブキャラとわれるそれだ。良くも悪くも噂になることはない。虐められもしない。友だちはいるけれど、似たようなモブ同士でつるんでいるだけ。それでどうやって運命の彼女に出会えるというのだろう? せめて、170センチになれば。背は高い方という属性が与えられれば。だから、必死のセノビックだったのだ。せっかく飲んだセノビックを尻から垂れ流しつつ、「友だちと予備校の夏期講習を受ける。旅行はいかないよ」と亮は、トイレの中から親離れ宣言をした。幼いころから、夏の家族旅行は三崎家の恒例行事なのだが、1センチの壁が亮の心を頑なにさせた。「え、何で?東尋坊、楽しみにしてたじゃない」と母さんが寂しがると、「そうだよな。高校生だもんな。夏休みは、親より友だちといたいよな」とオヤジがしみじみと理解を示し、「そっか、亮ちゃんも大人の階段昇ってるんだね」と母さんがあっさりと諦めた。大人の階段なんて、親がいうなよ!と思いつつ、亮はホッとしていた。別に友だちといたいわけじゃない。高校生にもなって、親と旅行なんてかっこ悪いと思っただけだ。もしかしたら予備校で女子とお知り合いになって、「今俺んち親いないけど、来る?」なんつって、アメリカの青春ドラマみたいな展開も怒り得るかもしれない。169センチで身長は止まったけれど、「親が留守」というシチュエーションが足りない身長を割り増してくれるかもしれない。ひと夏の経験が待ち受けているかもしれない! お盆休みになると、亮は笑顔で旅立つ両親を見送った。そしてそのまま二人は自宅に戻ってこなかった。東尋坊に向かう途中、高速道路で事故に巻き込まれ、亮は、永遠に親と離れることになってしまったのだ。
「高校生で両親を亡くして、大変だったね」とみんな言うけれど、実際はそれほど大変ではなかった。親の貯えや両親の保険金や事故の慰謝料などで金銭面での苦労はなかった。面倒を見ると名乗り出てくれた親戚もいたけれど、もう子どもではなかったし、マンションのローンは、共働きの両親ががんばってくれたおかげで完済していたので、そのまま自宅で一人暮らしを続けた。三崎家の家訓に、家事はみんなで協力する、というのがある。だから、炊事洗濯も子どもの頃から手伝っていた。一人になっても、日常生活に何も大変なことはない。朝起きて、「おはよう」と声をかけてくれる母さんがいないだけだ。夜寝るときに、「おやすみ」と笑ってくれるオヤジがいないだけだ。ひとりぼっちになっても、日常生活は淡々と過ぎていく。亮は、寂しさに足を掬われるほど子供でもなく、己の運命を呪うほどナルシストでもない。母さんはよく『家族にならいいけれど、他人に迷惑をかけてはいけない』とことあるごとに言っていた。だから、亮はそれに従った。真面目に誠実に暮らしを続けた。
二十歳になっても、亮は169センチのままで、彼女もできないままだった。高校卒業後二年ほど専門学校へ通い、システムエンジニアとしてIT関係の仕事に就いた。起きて働いて帰って寝る。それが亮のあたりまえになっていった。休日は溜まっていた家事をこなし、買い物に行く。時々同僚と飲みに行く。母さんの「おはよう」とオヤジの「おやすみ」がなくても人生は続いていく。自分がいなくても世界が続いていくことを知っている。自分がいなくても悲しむ人がいないことも分かっている。スポットライトが当たったとすれば、両親を亡くした直後の「可哀そうな子」だったひとときだろうか。時が流れれば、亮は再び誰にも注目されないモブキャラになっていた。
「大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」
飲み会の帰りだった。亮は、巫女のコスプレをした若い女性に声をかけられた。確かにちょっと飲みすぎたかもしれない。
「大丈夫です。飲みすぎただけなんで」
すると、その女性は亮に言った。
「よかったら、神の子になりませんか?」
宗教の勧誘だろうか? 「そういうの、興味ないんで」と言って立ち去ろうとすると、その女性が亮の腕を掴み、自分の腕に絡みつかせた。あまりにも鮮やかで軽やかな動きだったことと、女性からふんわりとシャンプーのいい匂いがしていたことで、亮はボーっとなってしまった。
「ここで出会ったのも何かの縁! さあ、迷える神の子よ、私の社へ詣でなさい!」
芝居がかった誘い文句は、宗教でなければ、ぼったくりバーか何かの客引きか? さらに女性は亮に顔を近づけて言った。
「私の名前は白鷺みくる。『神がかり』っていうアイドルグループのメンバーです。はーい、あなたのハートに神さま降臨!」
みくるが、人差し指で亮のオデコをこつんと振れた。銀髪にくりりとした瞳。通った鼻筋とかわいらしい唇。神がかりの可愛らしさ。みくるに後光が差して見えるのは、通り過ぎていく車のヘッドライトなのか? そして、亮の心臓が「ずきゅん」と鳴った。
『神がかり』は、いわゆる地下アイドルというものだった。メンバーは五人。定期的にライブハウスで活動しているが、まだ結成したばかりでファン(信者)が少ないため、ライブ前にメンバー自ら街角で客集め(迷える子羊の救済)をしている。亮は、まんまと救済され、「神の子」(ファンクラブ会員)になった。そして、熱烈な推し活が始まった。何が素晴らしいかと言えば、ファンクラブ特典の「お社アプリ」。このアプリで、いつでも推しと会話(AI対応)ができる。朝起きてアプリを立ち上げるとみくるが「おはよう」と声をかけ、夜寝るときは、パジャマのみくるが「おやすみ」と笑ってくれる。自分が求めていたのは、大好きな人と交わす「おはよう」と「おやすみ」だったのだと亮は思った。直接推しから勧誘された亮は、みくるからしっかりと顔を覚えてもらい、握手会やファンクラブイベントなどでは、「りょうたん」という愛称で呼ばれた。最高だ。部屋はみくるのグッズでいっぱいになり、携帯の待ち受けもみくるの巫女姿。飲み会を控えてライブに通い、みくるのブログも毎日欠かさずチェックする。みくると共に喜び、笑い、時には怒りや悲しみも共有する。みくるの誕生日は、七月七日で、好きな食べ物はカニカマ。嫌いなものは、虫と裏切り者。ライブの時に、「神の子のみんな、愛してるよ」と言われるたびに、握手会の時に「りょうたん、いつもありがとね」と言われるたびに、亮は死んでもいいと思えるほどの多幸感に包まれる。会社で嫌なことがあっても、「神がかり」の歌を口ずさめば忘れられる。みくるのブログを読むと生きる力が湧いてくる。みくると同じ時間、同じ地球で生きている奇跡に涙さえこぼれてしまう。推しを愛し、推しに愛される。推しがおばさんになっても、推し続ける自信が亮にはある。このままずっと、推しとともに生きていこう。身長が169センチのままで永遠に両親と会えなくても、永遠に彼女が出来なくても、推しさえいれば問題ない。みくるのおかげで、コロナ禍も乗り越えられた。世界情勢の不穏な空気もみくるの明るい歌声で紛らわせることができた。推しがいれば、マインドは最強に保たれる。推しさえいれば、世界はバラ色だ。
そして、2025年の元旦の朝。亮はみくるに新年の挨拶をするために、スマホの「お社アプリ」のアイコンをクリックした。今年はヘビ年だから、蛇柄のワンピースであけおめかなあ、などと楽しく妄想していた亮に衝撃が走る。スマホの画面にでてきたのは、蛇柄ワンピのみくるではなく、『運営からのお知らせ』というゴシック系フォントのテキストだった。そのお知らせによると、みくるは諸事情により『神がかり』を脱退し、それ故に「お社アプリ」のキャラクターからも削除されたとのこと。亮は慌ててみくるのブログにアクセスする。最新の更新は、一時間前の午前五時。『神の子のみんな、今まで楽しかったよ。ありがとう』という一文が記されているだけだった。公式サイトでは、『一身上の都合により脱退』としか書かれていない。それから亮は、元旦の一日を情報収集に費やした。その結果、『理由はわからないけれど、白鷺みくるは引退した』ということが確定した。
推しが消えた三日後、亮は、東尋坊にいた。なぜ東尋坊なのかといえば、みくるが年末にネットで配信した最新曲が『GO!GO!東尋坊』という曲だったことと、亮の両親が東尋坊に向かう途中で事故に巻き込まれて死んだのだということがリンクして、「そうだ、東尋坊に行こう」という気持ちになったからだった。あと二日で正月休みが終わる。亮の大事な推しが消えたというのに、両親が死んだときと同じように、世間はどうでもいいゴシップやくだらないニュースや終わることのない戦争を切り取りながら、各々の日常を続けていく。
「いや、さすがにもう無理」
と寮は思った。「おはよう」と「おやすみ」を奪われるのはもうたくさんだ。両親がいた日常、推しがいた日常、亮のささやかで大切な日常を続けさせてくれないのなら、こんな人生はもういらない。推しが消えた世界線で生きていく意味がみつからない。どうせ自分がいなくても地球は回り続ける。そして亮は、決めた。この世とおさらばすることに。
東尋坊が夜の静寂に包まれた頃、亮は、吹雪の中を岸壁の先端まで歩いていった。岸壁には誰もいなかった。昨日から寒波が訪れ、天候が悪化して観光客たちが早々に撤退していったことも助かった。夜の海は暗く、さらに雪のために視界が悪く、断崖から海面までの距離が曖昧なのもありがたかった。ここから一歩、踏み出せばいい。イヤホンからみくるが「GO!GO!東尋坊」と歌っている。歌声にあわせて、亮も「GO!GO!」と口ずさむ。みくると出会ってから、亮は生き返ったのだ。生きがいを得て、「おはよう」と「おやすみ」が言える日常を手に入れることができたのだ。みくる、楽しかったよ、ありがとう。みくるの幸せを祈っている。母さん、オヤジ、すまないけれど、おれはここまでだ。「GO!GO!」
亮が飛び降りようと右足に体重を乗せたその時、「ちょっと待て!」と背後から声がして、誰かに抱きつかれた。背中に柔らかな感触。そして、いい匂い。
ライフセーバーとかいう、自殺防止に貢献している地元のボランティアの人だろうか? 亮を抱きしめているのは、亮より五センチほど背が高い女性だった。さらに女性は亮をくるりと振り向かせ、顔を近づけて言った。
「ここで出会ったのも何かの縁! おまえ、私の用心棒にならないか?」
女性の顔をよく見ると、金髪に切れ長の瞳。通った鼻筋と魅惑的な唇。そして、厚手のコートの上からでもわかるほどの巨乳。自分よりも背の高いグラマラスな女性に抱きしめられて、亮の体の敏感な部分がズキュンと疼いた。
そして、数分後。亮はそのグラマー美女と終夜営業のファミリーレストランにいた。カフェラテを上品に飲みながら、
「私はミミ。タコ星のペペ王の長女にして王位継承者だ」と自己紹介をする。
美人でグラマーだけれど、ちょっとヤバい系の人かもしれない。亮が体を強張らせると、ミミの腕が伸びてきて指先が絶妙なタッチで三崎の顎を撫でた。「あふん」と声が出てしまった亮だが、次の瞬間、その指先がにょろりとタコの足に変化した。驚きのあまりに、亮は「ほえ!」と声を上げてしまった。
「騒ぐな地球人。私は、タコ星人だ。今は、地球人のメスに擬態している。なんでそんな姿なのかって? それは、私の気分が最も上がる容姿がこれだったのだ。で、今から私の話をするぞ」
普段の亮なら、このシチュエーションにフリーズしていることだろう。だって、タコ星人だよ。手足がにゅるっとするんだよ。だが、今の亮は、推しが消えてしまうという非常事態を味わった亮は、通常のメンタルではない。タコでもイカでもどんとこいだ。これから世界が崩壊するとしても、きっと亮だけは冷静でいられる自信がある。日常が崩壊するということは、そういうことなのだ。それにしても、自殺しようとしていた人間に、強制的に自分の話を聞かせるというのは、タコ星人というのは、いったいどんなメンタルの持ち主なのだろうか。
「どんなメンタルって、私たちほど柔軟なメンタルの持ち主はいない」
げ。心を読むのか? それはずるい。
「誰かれ構わず声をかけているわけではない。ちゃんと人を選んでいる。つまり、おまえは私に選ばれたのだ。名誉に思え」
上から目線なのは、王女だからしかたがないとして、亮は大人しくミミの身の上話を聞いた。
タコ星は、地球から何億光年も離れた銀河にある。時々近隣のイカ星やらカニ星の脅威にさらされたりはするが、タコ星人たちは王を敬い、王は民衆を心から愛し、とても平和で高度な文明のある星だ。だが、そんなタコ星でクーデターが起きた。イカ星人侵略の危機を脱した十年後のことだった。ペペ王の弟で軍組織のトップであるケケの反乱だった。王宮が軍によって陥落する直前に、ペペ王は、ミミを宇宙船に乗せ、地球に向かわせた。
「地球には、十年前にケケの陰謀でタコ星から追放された武将・ルルがいるのだ。ルルはイカ星人との戦いで活躍した勇者であり、タコ星の英雄。そして、私の婚約者でもある」
ペペ王が監禁され人質となっているため、誰もケケに抵抗できない。だが、民衆のアイドル的な存在のルルがミミと帰還すれば、民衆も蜂起するだろう。ケケを倒すカギは、ルルなのだ。
「地球の東尋坊に不時着した際、ルルには、テレパシーで東尋坊の座標を送っている。私は、不時着の際に故障した宇宙船を修理しながら、ルルの訪れを待っているのだが、困ったことがある」
ミミはため息をつきながら、にょろりとした舌で唇についたカフェラテの泡をなめた。
「東尋坊は、自殺の名所というではないか。地球人が飛び降りるのは勝手だが、崖の下には私の宇宙船がある。もちろん、地球人の眼に見えないようにシールドで隠しているのだが、飛び降りた地球人が激突するたびに、シールドがダメージを受けるのだ。宇宙船の修理にはまだしばらく時間がかかる。だから、おまえに頼みがある。私の用心棒になって、地球人たちの飛び込みを阻止してくれないか? もちろん、タダとはいわぬ。報酬は、おまえをなりたい姿に生まれ変わらせてやる。なりたい自分になって、生きなおしてみないか?」
ミミの宇宙船にはタコ星の最新テクノロジーが搭載されている。それを使えば、新しい体を生成し、そこに今ある脳のデータを移植することができるという。つまり、新しい自分に生まれ変われるわけだ。「どんな姿にもなれるぞ。地球人は、容姿にこだわるようだからな」とミミ。タコ星人は、老若男女みな同じ姿をしているため、ルッキズムは存在しないのだという。
「タコ星人にとって大事なのは、覇気じゃ。私の父は、覇王色の覇気を纏っていた。私の覇気は今は緋色だが、王位を継承すればきっと覇王色になるはずだ」
覇気? 覇王色? どっかのマンガのパクリか? ともかく、ミミの用心棒になれば、新しい自分が手に入る。悪くない条件だ。
「さあ、おまえは、どんな自分に生まれ変わりたい?」
亮は考えた。まず浮かんだのは、身長。180センチくらいあると嬉しい。手足が長くて、バランスの良い筋肉。そして、顔は、いわゆるイケメンでなくてもいい。大谷翔平のように誰からも愛されるベビーフェイスがいい。そう、愛されたいんだ。両親が愛してくれたように、自分がみくるを愛したように、ファンとしてみくるに愛されたように。
「おれは、誰からも愛される自分に生まれ変わりたい」
契約成立じゃ、とミミがパチンと指を鳴らすと、亮の目の前が真っ暗になった。
「おはよう、用心棒」とミミの声がする。目をあけると、まばゆい光の中にいた。いい匂いがする。ベーコンとトーストと目玉焼きの匂いだ。そういえば、めちゃくちゃ腹が減っている。亮は、首を左右に振った。光になれてくると、自分がどこかの床の上で寝ていたことに気が付いた。「どうだ? 新しい自分の体は」とミミの声。ミミがベーコンの切れ端を亮の鼻先にもってくる。よだれが溢れ出す。我慢できず、そのままパクリ。うまい。もっと食べたいな、と体を起こして立ち上がろうとしたのだが、何かが変だ。両足がふらついて、すぐに四つん這いになってしまう。ミミの形のいいふくらはぎが目の前にある。やけに目線が低いな。どういうことなんだ?とミミを見上げると、ミミが亮を抱き上げ膝に乗せた。視界が広がる。そこは、ミミと話をしていた終夜営業のファミレスだった。客の視線を感じる。どの眼差しもハートマークだ。「ほら、みんなに愛されてるぞ」とミミが亮の頭を撫でた。ミミの膝の上に乗って、頭を撫でられている? 嫌な予感がする。振り返って、ミミに「おい!」と話しかけた。だが、口から出たのは「わん!」だった。
※ ※ ※ ※
「今日は、東尋坊の用心棒こと、コーギーの亮くんの取材に来ています! まずは、飼い主のミミさんにお話を聞いてみましょう。ミミさん、亮くんが沢山の命を救っているということですが、どういうことなのでしょう?」
マイクを突きつけられて、ミミは優雅に微笑んだ。
「どういうことって、それが亮の仕事なのだ」
「海に飛び込もうとする人を見つけると、洋服を引っ張ったり、体当たりしたり、可愛く甘えたりしてやめさせるそうですね」
「だから、それが亮の仕事なのだ」
ミミとテレビのリポーターとのかみ合わないやり取りを聞きながら。亮は後ろ足で耳を掻いた。あれから一か月。まさか犬にされるとは思ってもみなかった。「愛される自分になりたい」という亮の願いを聞いて、ミミは宇宙船の人工知能に「王女の用心棒・愛される存在」と指示を出した結果、吐き出された答えがウェルシュ・コーギー・ペンブロークだったらしい。確かにコーギーは、愛される。誰もが亮の頭を撫で、抱きしめてくれる。体高48センチに生まれ変わったら手放しで愛されるなんて、身長169センチで悩んでいた思春期の自分が聞いたらどう思うだろうか。犬暮らしは、慣れてしまえば悪いものではない。風呂に入らなくても困らないし、トイレも食事も雇い主のミミが世話をしてくれる。まるで王様のような生活だ。用心棒の仕事も順調だ。崖から飛び降りようとする人間を阻止するのは大変な仕事だったが、五人目くらいから「可愛いコーギーが健気に自殺者を引き留める」と、口コミで話題になり、今では飛び降りる人間よりも亮に会いに来る人間の方が圧倒的に多い。
「あの、最後に亮くんを抱っこしてもいいですか?」
とレポーターは、もう辛抱たまらんと言った様子で、ミミの返事も待たずに腕を差し出してきた。もちろん、いいに決まっている。体重14キロの亮を抱き上げ、
「案外重いんですね」
と言いながら、「んー、かわいいでちゅね」と仕事を忘れて、レポーターが亮のおでこにキスをする。お返しに亮も彼女の頬をペロリと舐めた。ちなみに、男に抱っこされた場合は、ペロリのサービスはしない(15歳以下の子どもを除く)。「今度はプライベートで会いにきまちゅね」と、レポーターは名残惜しそうに帰っていった。
外国からの観光客も増え、東尋坊は賑わっていた。そんな様子を眺めながら、ミミがぼやいた。
「地球というのはおかしな星だな。自殺の名所が観光地だったり、いつもどこかで戦争をしていたり」
タコ星は、地球よりも小さな惑星で、単一種族で言語も一つ。惑星まるごとがひとつの国であり、軍はあるが、それは他の惑星との戦いに備えらえたもので、タコ星人に武器が向けられることはない。ミミの叔父であるカカがクーデターを起こしたという話だったが、それもペペ王を酔わせて覇気を鈍らせ、タコ糸で縛り付け、タコ殴りにして牢獄に監禁したという程度の暴力なのだ。クーデターというよりも激しめの兄弟喧嘩のような気がするのだが、「我が星で、暴力は最も下品で下劣な行為とされている。カカは、我が父への嫉妬から、己の品格すらも貶めてしまったのだ」とミミは怒りを漲らせる。ちなみにタコ星は、全体が海に覆われている。宮殿は海の中にあり、毎日民衆のために賑やかな宴が催されていたという。「カカは、歌も踊りも下手くそで無粋なヤツだからな。宴も禁止しているのだろう。民衆のためにも、早く元の日常を取り戻さねば」
日常、と聞いて亮はミミの心情に初めて共感した。ミミもまた、突然日常を奪われた人間、じゃないタコ星人なのだ。海の中にある竜宮城のような世界。誰もが同じ姿形で、暴力を嫌い、歌や踊りに興じている。タコ星の日常は、地球よりも平和に満ちているような気がする。宇宙船の修理が終わり、武将・ルルが現われたら、亮もいっしょにタコ星に連れて行ってはくれないだろうか。ミミと夜のパトロール(散歩)をしながら、亮はそんなことを考えていた。ふと、ミミが崖の前で立ち止まった。
「おい、亮。久しぶりの仕事だ」
ミミが指さした崖の上に、人が立っている。若い女性だ。崖下の海を見つめている。暗くて顔は見えないけれど、背中に緊張感が漂っている。観光客ではない。亮は、まず、身を伏せ、足音をしのばせてそっと近づいた。そして、ダッシュで女性のスカートに噛みつき、ぐいぐいと後ろへと引っ張った。バランスを崩して女性が倒れる。その上に覆いかぶさる。女性なので、顔をベロベロと舐める。ここまですると、泣き出したり、惚けたり様々だが、大抵の人間は心が萎えて飛び降りる気を無くす。亮が必死に女性の顔をペロペロなめていると、
「もしかして、りょうたん?」
と女性が話しかけてきた。りょうたん、と呼ぶのはあの人しかいない。ふわりと懐かしい匂いがする。女性の顔をよく見ると、銀髪にくりりとした瞳。通った鼻筋とかわいらしい唇。まさに、神がかりの可愛らしさ。みくるだ、間違いなく本物の亮のたったひとりの「推し」だ。亮の心臓が「ずきゅん」と鳴った。いや、ちょっと待て。亮は昔の亮ではない。今は、犬だ。なぜ推しは、犬の自分を見て亮だとわかるのだ?
「りょうたんだよね。その覇気の色、間違いなくりょうたん!」
推しが亮を抱きしめる。推しに抱きしめられる日がくるなんて幸せすぎる、じゃない、ちょっと待て。推しは今、覇気とか言ったか? どっかで聞いたぞ、覇気の話。いや、少年ジャンプの『ONE PIECE』じゃなくて。
「ルル、ルルではないか。間違いない、その眩い黄金の覇気は、ルルだな!」
ミミが亮の後ろから抱き着いてきた。亮は、推しとミミに挟まれる形で抱きしめられている。美女二人に抱き着かれて最高なシチュエーション、だがちょっと待て。ミミは今、推しをルルと言わなかったか? ミミと推しの間で亮は嫌な汗をかいていた。とはいえ、犬なので、実際に汗はでないのだが、ハッハッと舌を出して呼吸を荒くしていただけだ。すると、推しが、さっと後ろに下がり、片膝をついてうやうやしく頭を下げた。
「ミミ様、ご無事で何より。カカの追手をまくために、遅くなりました」
ミミが推しの手を取り、握りしめ、うるんだ声で言った。
「ルルこそ、無事でよかった。宇宙船の修理はもうすぐ終わる。さあ、一緒ににタコ星に戻ろう」
二人の周りをぐるぐる走りながら、亮は吠えた。
「ワンワンワワン!(だから、ちょっと待てって!)」
※ ※ ※ ※
そして、亮はミミと推し(ルル?)と終夜営業のファミリーレストランにいた。ミミはカフェラテを上品にのみながら、推し(ルル?)にこれまでの亮との出来事を話し、推し(ルル?)は、カニカマサラダを食べながら、亮に自分は実はタコ星から追放された武将・ルルだと説明した。カカの追手を欺くために、アイドルの姿に擬態した。
「地球人のアイドルは、黄金の覇気を持っている人が多いから。紛れていたの」
と推し、いやルルは言った。ちなみに亮の覇気は薄緑に黄土色が混じっているという。
「黄土色って、そもそも死に取りつかれた覇気なんだけど、りょうちんは、さらに幸うすい薄緑色だから、初めてであった時、ゾンビかもと思って声かけちゃった。生きてる人間で薄緑色なんて、めちゃレアケースなんだよ」
ああ、推しとの運命の出会いがまさかのゾンビ疑惑だったとは。聞かなきゃよかった。
去年の暮れに、ルルはミミのテレパシーをキャッチした。ミミの元へと向かうために、ルルは亮たち神の子の前から姿を消した。王女の婚約者ということは、ルルは男なのか?という亮の疑問に、ミミが呆れた顔で言った。
「これだから地球人は。タコ星人に性別などない。ただ、王女と名乗った方が気分が上がるから王女なのだ」
他にも聞きたいことが山ほどある。ルルは武将という話だったが、暴力が下品で下劣とされるタコ星で、武将という職業で民衆の人気者になれるのか?とか、性別のないタコ星人はどうやって子孫を残すのか?とか。亮の思考を読み取って、ミミがかいつまんで説明する。武将というのは、剣を使って舞う剣舞の使い手のこと。タコ星人同士は覇気を同調させてダンスを踊ると、互いの体の一部が分裂して合体し、もう一体のタコ星人が生まれること。
「時間だ。出発するが、亮はどうする? 一緒にくるのであれば、タコ星人に生まれ変わらせることもできるぞ。政権を取り返した暁には、正式に我が家臣として迎えてやる。おまえに、リリという名を授けよう」
ミミの言葉は嬉しかった。二人と共にカカを倒し、ペペ王を救う。タコ星は、老若男女同じ姿形で、戦争がなくて、歌や踊りに明け暮れて、ミミがいて、推し(ルル)がいて。賑やかで楽しい日常がまっているに違いない。遠い星で、命尽きるまで二人に尽くす。でも、もう一度、生まれ変われるのであれば……亮はミミに聞いた。
「ワン、ワワワンワン?(あの。覇気の色って、変えることできます?)」
※ ※ ※ ※
「大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」
飲み会の帰りだった。おれは、犬耳の若い女性に声をかけられた。確かにちょっと飲みすぎたかもしれない。
「大丈夫です。飲みすぎただけなんで」
すると、その女性はかわいらしく微笑んで、おれに言った。
「よかったら、犬の子になりませんか?」
宗教の勧誘だろうか? 「そういうの、興味ないんで」と言って立ち去ろうとすると、その女性がおれの腕を掴み、自分の腕に絡みつかせた。あまりにも鮮やかで軽やかな動きだったことと、女性からふんわりとシャンプーのいい匂いがしていたことで、おれはボーっとなってしまった。
「ここで出会ったのも何かの縁! さあ、迷える子犬よ、私の犬小屋にハウスなさい!」
宗教でなければ、ぼったくりバーか何かの客引きか? さらに女性はおれに顔を近づけて言った。
「私の名前は三崎りょう。『犬まみれ』っていうアイドルグループのメンバーなんです。あ、りょうちんって呼んでね!」
りょうちんは、まばゆい黄金色のオーラを放っていた。おれは、彼女を推すことにした。
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