梗 概
時をかける僧侶
登場人物
乾洋一郎(16) 歴史だけは古い山寺の跡取り息子なのだが、ロックに目覚め高校を中退して家を飛び出し、現在ロックバンド「クロックス」のドラマーをやりながらラーメン屋でバイトをしている。
近藤朝子(17)洋一郎の幼なじみで姉のように慕っている電気屋の一人娘。「電撃の朝子」とよばれ、弱気を助け強きを挫く女番長。
竹橋和樹(16)通称・タケやん。洋一郎の幼なじみ。朝子の隣に住んでいる。両親が共働きで忙しいため、家事全般を任されている。
乾総一郎(46)洋一郎の父。山寺の現・住職。檀家を持たず、依頼があれば法事を行う。時々ボランティア活動で長く家を空ける。朝子の父・誠一郎とは将棋仲間。
石原勇一朗(20)新しく町の交番に赴任してきた警察官。マイケル・ジャクソンの大ファン。
物語の構成
・洋一郎の現在地点。幼なじみのタケやんと共に姐御を探す。やがて「時の監視者」として覚醒する。
・『時をかける朝子』(『時をかける少女』オマージュ。朝子目線で朝子に何が起きたのかを描く)
・目覚めた能力で朝子を探し出す洋一郎。五次元人として「時の監視者」として生きる覚悟。
五次元人の設定
西暦2300年。突然変異で生まれた五次元人。並行世界を移動できる能力を備えた彼らには、決定的な身体的な欠陥があった。それは、繁殖能力が低いこと。性欲という本能が欠けている。闘争本能も弱い。平和主義者の五次元人は、自らの能力を活用してより良い未来を築こうとしていた。だが、三次元人たちは五次元人の能力を警戒し、被害妄想に陥り、敵対視するようになる。やがて大規模な五次人元狩りが始まる。このままでは、五次元人は絶滅する。残された五次元人たちは、未来の技術で自らのクローンを作り、子どもとして過去に連れて帰る。こうして五次元人の血を繋げている。なるべく三次元の人類たちと馴染むように、五次元の能力は「覚醒」するまで現れない。覚醒の発動は、初めて時の分岐点に立ち会った時となる。
<第一章のあらすじ>
乾洋一郎には、幼い頃の記憶はあまりない。けれど、物心ついたときには、母親はいなかった。父親はおだやかな人物で、どんなにやんちゃをしても笑って許す人だ。時々「ボランティアに行ってくる」といって留守にするこがあるが、特に洋一郎に何かを言いつけることもなく、自由にさせてくれた。洋一郎は、幼なじみで鍵っ子のタケやんの家にいりびたり、その隣の電気屋の娘・朝子と一緒に過ごすことが多かった。面倒見の良い朝子をタケやんと洋一郎は「姐御」と呼び、金魚のフンさながらついて回った。中学の頃、洋一郎はタケやんの兄が持っていたビートルズのCDを聞いて、衝撃を受ける。ロックという音楽に一気にのめりこんだ。洋一郎は、高校を中退し、家を飛び出した。ミュージシャンになるためだ。父親は、「やりたいことをやればいい」と放置。貧しくもロックな日々を満喫していた洋一郎の元へ、タケやんがやってくる。「姐御が消えた」とタケやん。姐御は強い。そう簡単に拉致誘拐されるわけがない。姐御に何が起きたのか? 洋一郎はタケやんと共に朝子を探す。朝子が何者かに狙われていたという痕跡はない。しかし、タケやんによると最近の朝子は様子がおかしかったという。。探しながら感じる違和感。やがて洋一郎は「時の分岐点」に立ち会う。そして、眠っていた「五次元」の力が覚醒する。
文字数:1383
内容に関するアピール
講座に申し込み振り込みを完了させたときに、売れない脚本家歴十数年の私は、SF小説を書くという無謀な挑戦をするにあたり、自分へのお題を設定しました。それが『時をかける僧侶』です。もちろん、名作『時をかける少女』をモジっただけの思い付きですが、一年を通してきっと私は毎回出された課題に思い悩み筆が止まる。それならば、課題が出る前に自分でお題を作ってしまえばいいじゃない!と思ったのです。これを軸にして、課題に立ち向かう。軸があれば、迷子にはならないだろうという措置でした。しかも、課題をこなしていくうちに、単なる思い付きであった『時をかける僧侶』の詳細設定も決まっていく。一年後には、長編『時をかける僧侶』の草稿が出来上がる。一石二鳥の課題二段階認証システム……の予定でしたが、なんと三つ目の課題で「長編」チャレンジ。とりあえず今ある材料で登場人物と構成と第一章のあらすじだけを考えました。今後、どうなるかはわかりませんが、『時をかける僧侶』ワールドで進めていく所存であります。
あ、今回のテーマ『売れそうな企画』ですが、売れていない歴十数年の私に聞かないでください(苦笑)と初見で思ったのは事実です。すみません。でも、『売れそうな企画を考えて売り込む営業努力を怠っていた』から売れていないのも事実です。営業力は大事。痛感しています。この課題は、無茶ぶりにしてとても重要な課題です。売れなくてもいい、逞しく端っこで粘っていこうを決意した作家からは以上です!
文字数:625
時をかける僧侶
プロローグ:2034年7月
じいじの爺ちゃんは、酔っぱらうといつも戦争の話をしたんだ。東南アジアだったか南方の島だったかは忘れてしまったけれど、今のおまえと同い年くらいのじいじに、じいじの爺ちゃんは戦地での苦労を淡々と語るんだ。じいじはおまえと同い年くらいの子どもだったから、話の内容はほとんど覚えていない。ただ、「なぜ爺ちゃんは何度も同じ戦争の話をするのだろう?」と思っていたことだけは覚えている。けれど、今はなんだかあの頃の爺ちゃんの気持ちが分かるんだ。たぶん、じいじが爺ちゃんになったからなんだろうな。じいじの爺ちゃんが何度も同じ戦争の話をするのは、戦争を知らない孫に戦争の悲惨さや愚かさを伝えなければいけないと思ったからではないと思う。ただ、続いていたんだ。実際の戦争が終結して時代が変わってしまっても、じいじの爺ちゃんは戦争の続きを生きていたんだ。じいじに戦争の話をする時の爺ちゃんは、戦争に行った時のままの爺ちゃんだったんだ。そんな風に、人は時間のどこかに心を残してしまうことがある。過去に心を残してしまうというのは、文字通り心残りというやつだ。令和生まれのおまえにとって、じいじの昔話は古臭い思い出話にしか聞こえないだろう。それでいいんだ。聞き流してくれ。そして、おまえがじいじと同じ爺さんになったときに、思い出してくれればいい。心残りは、決して恥じることではない。心残りな過去は、未来にとって大事な分岐点だったのだから。
第一章:1984年7月
♪とーきーをー、かーけーる少女♪
午前七時。静まり返った築三十年の『日の出荘』の202号室四畳半の室内に、原田知世の歌声が響き渡る。昨年大ヒットした映画『時をかける少女』の主題歌だ。布団から手を伸ばし、乾洋一郎は頭上にある スヌーズ・デュアルアラーム録音充電機能付き多機能デジタルスマート目覚まし時計を叩いて知世の可憐な歌声を止める。この目覚まし時計は、洋一郎が高校を中退し故郷の街を出るときに、幼なじみのタケやんが「オレだと思って」と涙ながらに渡してくれた餞別だ。「オレだと思って」だなんていうからきっとタケやんの声が録音されているのだろうと思ったら、原田知世だった。
「知世じゃ、目が醒めん。ヴァン・ヘレンの『ジャンプ』に変えよ」と隣で寝ていた古賀康人がぼやく。
洋一郎も、できれば原田知世ではなく力強い8ビートで目覚めたい。しかし、貧乏暮らしの二人の部屋には、テレビもラジカセもヴァン・ヘレンの音源もない。康人の「変えようぜ」は、ヴァン・ヘレンの『ジャンプ』を出だしのイントロからアカペラとでたらめの英語で康人が歌って吹き込む、ということを指す。そんなテキトーなヴァン・ヘレンで目覚めたら、一日調子が狂ってしまう。というわけで、二人の朝は『時をかける少女』で始まる。
洋一郎は、この築三十年風呂無し共同トイレ四畳半家賃二万円駅から徒歩ニ十分の202号室に康人と二人で住んでいる。というか、居候している。この部屋の借り主は康人なのだ。洋一郎が康人と知り合ったのは、半年前。渋谷に遊びに来た際に、本屋でたまたま同じ音楽雑誌を手にしたのが康人だった。「あ、これって恋に堕ちるパターン?」と洋一郎が話しかけ、「じゃ、茶でもしばく?」と康人が答えたのがきっかけだった。マクドナルドでコーヒーを飲みながら、二人は音楽の話で意気投合。さらに、「一緒にバンドやろうぜ」ということになり、「おれんちこいや」と誘われ、現在に至る。まさか「おれんち」がエアコン無しの四畳半のボロアパートだとは思わなかったのだが。狭くて暑くて汗臭くて貧乏でも、康人との同居生活は中学生の頃学校行事で行ったキャンプのように楽しかった。
むっくりと起き上がり、「雨雨フレフレ!」と叫びながら康人がカーテンを開ける。炎天下の現場作業は、かなりしんどいらしく、七月に入ってから毎朝この「雨フレ」の儀式をやっている。雨が降ると仕事が休みになるのだ。
「くそ。今日もお日様ギンギンじゃねえか。梅雨が恋しいぜ」
と舌打ちまでがワンセット。梅雨が恋しいと行っているが、雨続きの梅雨時期は「おまんま食い上げや。今月どないしてくれんねん」となぜか関西弁で文句をいっていた。
確かに今日も朝から東京は暑い。ほんの少し、実家のひんやりとした朝の気配が恋しくなる。洋一郎の実家は、北関東の小さな町の丘の上にある寺だ。地元の人たちからは「山寺」と呼ばれ、檀家も持たず歴史だけは古い貧しい寺だが、エアコンも扇風機も必要にならないほど夏は涼しい。
「おれ、今度の給料で、扇風機買うわ」
と洋一郎が言うと、空を睨んでいた康人が「バカ、おまえのバイト代は、ドラムセットを買うための資金だろ」と洋一郎を叱った。「じゃあ、康人が立て替えて買ってくれよ。ドラムセット買ったら、その後扇風機代返すから」と洋一郎が提案すると、
「扇風機なんか必要なか。現場に比べたら部屋の中は全然涼しか」
と汗だくの体をぼりぼりとかいて、枕もとに置いてあった飲みかけの缶コーラをぐびぐびと飲んだ。康人の出身は佐賀県だ。普段は標準語だが、都合が悪くなったり嘘をついたりすると、九州弁が出る。必要ないわけではない。立替える金がないのだなと洋一郎は察した。
気前が良くて優しくていい奴なのだが、金の使い方がガキなのだ。家賃や生活費以外のバイト代は、「ストレス発散のための必要経費」といいながら、ゲーセンや駄菓子代に消えていく。金遣いが荒いというよりも、無駄なことに金を使うことがとても好きというタイプのようだ。扇風機を買えば、ゲーセンや駄菓子に使う金が減る。それなら扇風機などいらん、という思考回路に説教をしても仕方がない。洋一郎は、今度の粗大ごみの日に、直して使える扇風機が捨てられることを祈った。
そんなこんなで、洋一郎たは朝の支度に取り掛かる。台所のシンクで顔を洗い、Tシャツを脱いでそれを水ですすいで体を吹く。さらにすすいでハンガーにかけて干し、隣に干してあった昨日のTシャツを着る。ワンドアの小さな冷蔵庫から紙パックの牛乳と食パンを取り出し、燃えないゴミの日にゴミ置き場から救い出した夫婦茶碗に牛乳を注ぐ。夫婦茶碗というのは、なぜ大きさが違うのか。手の大きさを考慮したデザインとかいうけれど、姐御なら「ふざけんな。勝手に妻が小だと決めんなバカ野郎」と怒りまくるだろうなと思いながら、居候の手前大きい方を康人に渡す。冷えて固い食パンに、砂糖をふりかけて二つに折り、それも康人に渡す。康人考案の『砂糖サンド』というものだ。もう一枚も自分用に砂糖サンドを作る。「冷たくてうめー!」と砂糖サンドを牛乳で流し込みながら康人が吼える。一緒に暮らし始めた頃に、洋一郎は、食パンに砂糖を挟まずに砂糖入りの牛乳に食パンを浸して食べた方が食べやすのではないか?という提案を康人にしたのだが、「おれは、朝食に牛乳とサンドイッチを食べたいんだ。これは、砂糖サンドという立派なサンドイッチの仲間なんだ。つまり、おれは毎朝サンドイッチを食べているんだ」と熱く語られ、それ以来、この朝食に異議を唱えることはやめた。ちなみに、寒くなると牛乳は鍋で温められ、食パンは常温のままで砂糖がサンドされる。
朝食を終えると、康人が「ったく、あちーぜ」と文句をいいながら作業着に着替え、「ほんとにあちーぜ」とため息をつきながら仕事にでかける。洋一郎は、康人を見送ったついでに玄関を開け放ち、簡単に室内を掃除する。掃除と言っても、四畳半しかないので五分で終わる。実家にいるときは、毎朝寺周辺の掃き掃除とお堂の拭き掃除をやらされていたので、202号室の掃除など朝飯前だ。すでに朝飯は食べ終わっているけれど。九時になると洋一郎もバイトにでかける。アパートの前で打ち水をしている101号室の大家のお婆ちゃんが、「お仕事、いってらっしゃい」と声をかけてくれる。もちろん、原則アパートは同居不可なのだが、お婆ちゃんは洋一郎と康人の区別がついていないらしい。ちなみに隣の201号室は大学生のカップルが同棲しているが、そちらも特に注意はされていないようだ。
洋一郎のバイト先は、アパートから徒歩ニ十分のラーメン屋だ。通勤の友は、姐御から餞別に貰ったウオークマン。イヤフォンを耳にツッコみ、中に入っているカセットを再生する。120分メタルポジションのカセットの中身は、姐御とタケやんがセレクトした楽曲が入っている。A面が姐御セレクトの演歌とムード歌謡。B面がタケやんの好きなアイドル歌謡曲。重低音だって高音だってクリアなサウンドのメタルテープなのに、ロックが一曲も入っていない。けれども、二人の友情と愛情が込められたカセットだ。毎日こうしてありがたく聴いている。ちなみに、姐御の家は商店街の電気屋で、「身内でも割引なし」というオヤジさんに「土日は、タケやんと無償でバイト」という交渉を成立させ、売れ筋最新機種のウォークマンを洋一郎のために贈ってくれたのだった。おしゃれでポップなデザインの本体には、油性ペンで『ハンパやったら承知しねえ』という、姐御の殴り書きがある。イヤフォンから流れる鳥羽一郎の『兄弟船』が、心に染みる夏の朝だ。
やがて洋一郎は、細川たかしの『北酒場』の軽快なリズムに乗ってバイト先の『来来軒』に到着する。どこの街にでもある普通のラーメン屋だが、バイトの採用条件がちょっと変わっていた。学歴経歴不問で履歴書もいらない。面接で、大将に「夢」を語るだけでいい。なので、大将と調理長の田中さん以外のバイトは全員何かしらの夢追い人ばかり。年齢は、16歳から55歳まで。ミュージシャン志望は、洋一郎の他にもう一人。あとは、22歳の役者志望、34歳の映画監督志望、55歳の脚本家志望など。その中でも今現在フルタイムで働けるバイトは洋一郎だけ。ということで、まだ働き始めて半年だが、洋一郎は店の鍵を預かり開店準備から任されている。シャッターを開け、ラジオとエアコンのスイッチを入れ、掃除と卸業者から食材の受け取りを済ませ、時計を見ると十時十分。店長がくるのは十時半。ニ十分ほど涼しい店内で水を飲みながら休憩を取る。ラジオからシンセサイザーの勇壮なリフとスネアドラムのイントロが流れる。ブルース・スプリングスティーンの『Born in the U.S.A.』だ。ふと、洋一郎は一年前の自分に思いを馳せる。一年前、教室でぼんやりと時計を眺めながら、洋一郎は違和感を感じていた。高校に入っても特に何が変わったわけではない。タケやんは、モテたい一心でテニス部に入ったけれど相変わらずタケやんだし、姐御は制服がセーラー服に代わって少し大人びたけれど、やっぱり口より手が出る方が早い瞬間湯沸かし器だし、毎日は少しずつ変化しながらも大きく変わることなく続いている。今日も明日も代わり映えのしない十時十分が続いていく。続いた先に、未来がある。おそらく自分は寺を継ぎ、誰かと出会い結婚し、子どもを作り、父親のように老いていく。でもなんだか、しっくりこない。その未来に違和感を感じてしまう。そう思った途端、頭が割れるように痛くなった。時計が二重三重にブレていく。いくつもの十時十分が眼の前でぐるぐる回る。そんなことは初めてだった。洋一郎の様子に気がついた教師が、保健室に連れて行ってくれた。保険の先生は、ストレスによるパニックだろうと診断した。その夜、洋一郎はその出来事を父親に話した。父親の総一郎は、「私もお前くらいのときにそんな状態になったことがあるよ。大丈夫だ、遺伝的なものだから」とうなずいて、それだけだった。康人に出会い、高校を中退して東京に行きたいと告げた時も、総一郎はいつもと変わらず「いいんじゃないか? ただし、分かってると思うがうちには金がない。困ったときは相談に乗るが、金は出せないからそこのところは、よろしくね」とまるで反対はしなかった。どちらかというと、姐御とタケやんを説得する方が大変だった。
「放任主義にもほどがある! あんたは息子のことが心配じゃないのか!」
と総一郎に詰め寄ったのは姐御だった。総一郎は、
「心配してくれてありがとう。でもね、朝子ちゃん、洋一郎の人生は洋一郎のものだし、何よりもおじさんは、洋一郎を信じているんだ」
とまるでドラマのようなセリフをぺろりと言ってのけ、朝子を黙らせた。無関心というよりは、誰よりも洋一郎以上に洋一郎を知る父親なのだと洋一郎は思っている。洋一郎もなぜか、父親のことは多くを語り合わなくても理解できた。父親に関しては、子どもの頃からそういうものだと思っていたので、他の人たちの「親との確執・断絶」というのを聞くたびに、そういうものなんだと未だに少し驚いてしまう。
そういえば、少し前に家族の話になり、父親のことを話したら、「うちの親父と取り替えたいね」と康人にいわれたことがある。
康人もまた、両親と断絶していた。両親は公立中学の教師で、真面目で、教育熱心だった。幼い頃から出来の良い2つ上の兄と比べられ、叱られ、中学生になった康人は、テレビで『ベストヒットUSA』を見て衝撃を受け、ロックなバンドのヴォーカリストになるんだと心に誓う。そして、「勉強やってる暇はない」と中学卒業後すぐに東京に出て、土木作業のバイトを始めた。もちろん、両親の了承は得ていない。
「おれの家族は、爺ちゃんだけだ。もう死んじゃったけどね」
康人の横顔は、どこか寂しそうだった。
ぼんやりとそんなことを考えているうちに、「アメリカで生まれた! アメリカでおれは生まれた!」と繰り返すスプリングスティーンのシャウトがいつのまにか終わり、代わりに店長がしゃがれたボイスで「おはよう」とやってきた。今現在、洋一郎の未来は全く想像がつかない。けれども、それが何故かしっくりとくる。時計はブレずに時を刻むし、見えない未来に恐れよりも希望を感じている。「それが青春ってやつだ」ときっと総一郎はうなずくだろう。「洋一郎、今日田中さん遅くなるそうだ。キャベツ頼んでいいか?」と大将にいわれ、洋一郎は調理場へと向かう。今朝届いたとれたてのキャベツ玉をひとつまな板に乗せ、ロックなリズムで刻んでいく。これもドラムの修行だ。最近気づいたことがある。ビートというのは、生活の中にあるものだということを。歩くテンポ、呼吸の緩急、様々な所作に潜むグルーヴ。生きてるだけでロックなんだ。とんとんとーん、とんとんとーんとキャベツを刻んでいると、大将がスープの仕上げをしながらそれに合わせて北島三郎の『与作』を歌いだした。
「与作はきーをきる、へいへいほー。へいへいほー」
しゃがれ声の大将の『与作』は、ロックだった。
ランチ営業の後にまかないを食べ、夜の仕込みを手伝い16時に洋一郎のバイトが終わる。ちょっと回り道をして銭湯の一番風呂に浸かり、再び汗だくになりながら、ウォークマンで松田聖子の『青い珊瑚礁』のリズムに合わせて歩きながら、スーパーマーケットに寄ってお買い得のともやしを買う。洋一郎たちの晩御飯は、冬でも夏でも「もやし鍋」だ。肉はその日の特売によって、豚コマ肉になったり、鶏むね肉になったり変動する。給料日には、卵と豆腐が追加される。この鍋で白米をモリモリ食べる。時々大家さんが、余ったおかずを分けてくれる。時々康人が、買ってきた駄菓子をお裾分けしてくれる。食生活は、それで十分満足だった。
洋一郎がアパートに戻ると、ドアの前に段ボールが置いてある。スイカがまるごと入るくらいの大きさだ。宛名は康人になっているが、送り主は『乾総一郎』――洋一郎の父親からだ。スイカだとありがたいと思いながら、洋一郎は段ボールを抱える。ずっしりと重い。スイカの確率が上がり、洋一郎のテンションも上がる。自分たちの冷蔵庫には入りそうにない。切り分けて冷やすしかないな、などとワクワクしながら部屋の中で箱を開けると、そこには立派な丸いスイカ――ではなく、木魚が入っていた。誕生日カードが添えられている。総一朗の字で『もうすぐ17歳の誕生日なので、これを送ります』とある。確かに誕生日まであと一週間だ。だが、訳がわからない。なぜ木魚なのだろう。誕生日プレゼントにしては、ちょっとおかしい。この木魚は、洋一郎が物心ついた頃から洋一郎の部屋に置いてあった古い木魚だ。なんでも昔から跡継ぎが生まれた時に専用の木魚を拵えるという風習があり、その木魚も洋一郎の誕生とともに作られ、時々父親の真似をして叩いたりしていたものだ。それをなぜわざわざ康人と暮らすこの狭いアパートに送ったのだろう。しばらく木魚をみつめ、それから財布から十円玉を抜き出して洋一郎はアパートの前にある電話ボックスに駆け込んだ。暑いのでドアはあけたままで、コイン投入口に十円玉を入れて実家に電話をかける。
「もしもし、乾です」
とのんびりとした声で総一郎が出た。
「木魚が届いたんだけど。おれの部屋にあったやつ」
と洋一郎が切り出すと、
「おう。すぐ戻ってくると思っていたから、のんびりしていたんだ。気が付いたらもうすぐ誕生日じゃないか。慌てて送ったよ。17歳になったら、また話そう。これからでかけるから、もう切るね」
と一方的に訳の分からない説明をして電話が切れた。
※ ※ ※
「きっと、これでドラムの練習をしろってことだよ。親心だよ」
時計の針は、午後九時半を回ったところだ。洋一郎が用意したもやし鍋の夕食をすませると、康人は食後のデザートと称して炊飯器に残った白米に砂糖をかけて食べながら、洋一郎に言った。だが、洋一郎は釈然としない。木魚は確かにリズムを取るためのものではあるが、ドラムではない。仏具だ。そして神聖なる商売道具だ。現役僧侶の父親が、それでドラムの練習をしろなどと考えるわけがない。
「ちょっと叩いてみてよ」
と康人は目を輝かせている。仕方がないので、同梱されていた専用の桴で木魚を叩いた。ただポクポク叩いているのも芸がないので、リズムに合わせて般若心経を唱える。
仏説摩訶 般若波羅蜜多心経仏教書籍
観自在菩薩行深般若波羅蜜多
時照見五蘊皆空度一切苦厄
舎利子色不異空空不異色色即是
空空即是色受想行識亦復如是
まだ赤ん坊の頃に母親を亡くし、子守歌と言えば父親が唱える般若心境だった。洋一郎は、父親が唱えるお経を耳で覚えていた。母親とは、仏壇で微笑んでいる遺影の写真だけの存在で、思い出も記憶もないのだから、寂しいと思うこともなかった。総一郎も「母さんはそういう運命だったのだから仕方がない」と達観した笑みを浮かべるだけだったのでそういうものだと受け入れていた。運命といのは何なのだろう。母さんは、そんな運命を受け入れて死んでいったのだろうか?
違和感。
そして、目の前の視界がゆれる。木魚が二重三重にブレる。
「おい、洋一郎、大丈夫か?」
康人の声がくぐもったように聞こえる。頭痛と吐き気に襲われ、洋一郎はそのまま前のめりに倒れた。
※ ※ ※
「おい、洋一郎、大丈夫か?」
気が付くと、洋一郎は木魚を抱えて突っ伏していた。起き上がってデジタル時計を見ると、午後九時半を回ったところだ。
「いや、ちょっと眩暈がして……でも、もう大丈夫だ」
康人は食後のデザートと称して炊飯器に残った白米に砂糖をかけて食べながら、
「きっと、これでドラムの練習をしろってことだよ。親心だよ」
と言った。デジャビュ。既視感。
「ちょっと叩いてみてよ」
と康人。まるで同じだ。繰り返している? いや、時間が戻ったのか? 木魚を抱えたまま固まる洋一郎。すると、ダダダダと階段を駆け上る音がして、そのまま202号室のドアがドンドンドンとノックされた。さっきとは違う展開だ。
「夜分にすみません。こちらにイヌッチ、いや乾洋一郎さんはいらっしゃいますか?」
懐かしい声がする。タケやんだ。康人がドアを開けると、ポロシャツにジーンズ姿のタケやんが、汗まみれで立っていた。半年ぶりだけれど、なんだか様子がおかしい。
「どうした? タケやん」
タケやんと聞いて、康人が「おお、あんたが原田知世の!」と突っ立っているタケやんの肩をバシッと叩いて部屋に入れる。タケやんは、叩かれた勢いでそのまま洋一郎の前に正座した。いつもヘラヘラしているタケやんが、真顔だ。どうやら遊びに来たわけではなさそうだ。
「何かあったのか?」
タケやんのことは、幼いころから知っている。何かあれば洋一郎にはすぐわかる。ケやんは日に焼けた丸顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
「どうしよう、イヌッチ。姐御が、過去から戻ってこないんだ」
文字数:8360