魔声のアリア

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魔声のアリア

声量の足りないオペラ歌手がいた。

ビードロの小鳥がさえずるような、繊細で透明感のある美声を持ち、ピッチや音程も極めて正確で、実力は確かだった。ただ、声量が足りない。そのため、抜群の声量を持ち、歌よりも世周りが上手な者に、大事な役は奪われ脇役の一人に甘んじていた。

あぁ、私は小さい頃から天才だと思っていた、周りも皆認めてくれていた。なのに、今は大した実力もないデブに、全てが奪われていく。声だけはでかいが、美しさがまるで感じられない、あれの何がいいのか。オペラ歌手は、そんなことを思い、うつむきながら夜道を歩いていた。誰かが肩にぶつかり、よろけた。舌打ちと「前見ろバカ」という中年男性の悪態が聞こえた。再び歩こうとすると、道にチラシが落ちているのが目に入った。「募集:声でお悩みの方」とある。拾い上げた。ボディー・テック新技術で、臨床研究の参加者を募集しているという。ボディー・テックは、ここ10年ほど、急速に伸びてきた分野だ。人口筋肉とレセプターと呼ばれる制御用素子を組み合わせる技術で、レセプターが運動神経から放出されるアセルチルコリンを受け取り、元の筋肉と同期しながら人口筋肉の収縮を行う。「歩行困難な老人がマラソンを走れるようになった」そんな驚きと共に、ボディー・テックは大きな注目を浴び、瞬く間に広がった。この新しいボディー・テックは、声帯と横隔膜に、新型の声帯用筋肉・膜状の筋肉を埋め込むことで、声をより出しやすくする、というものらしい。「大きな声を出して自信を取り戻しましょう!」チラシの売り文句が、焼き付くように目に残った。

数日後、オペラ歌手は悩んでいた。やはり怖い。要はモルモットになるということ。成功は誰も保証してくれない。興味はある。これで声量を手に入れれば、私はようやく相応しい舞台に上がれるはず。でも失敗して、声を失ったら……本当に歌い手として終わる。うん、リスクは取れない。正式な認可が下りて、安全性が確保されてからトライすれば良いではないか。納得したようにオペラ歌手はうなずき、稽古場に向かった。

「次シーズンの配役は以上です。はい、解散」皆が離れていく中、オペラ歌手は呆然と立ちすくんでいた。舞台監督が稽古場を出ようとしたところ、走って呼び止めた。「わ、私は……」舞台監督は残念そうな表情で「声の課題。ずっと言ってたよね。じゃ」そう言い、逃げるように出ていった。オペラ歌手は想像以上に崖っぷちに立っていることに気づき、愕然とした。

オペラ歌手はその晩、臨床研究の申し込みを行なった。「ぼやぼやしてたらダメ。リスクを取らないと」震える手でビールをグッと飲み干した。

手術は2時間45分かかり、1ヶ月間のリハビリ期間を経て、オペラ歌手は稽古場に戻った。首の傷はスカーフで隠している。久しぶりに稽古場に復帰したが、周りの目は冷たかった。リハビリでは声が出ていたが、オペラに耐えれる声が出るかは自信がない。唾を飲む。喉に人工筋肉で補助される感覚が伝わってくる。最初は元々の筋肉の力だけだが、一瞬遅れ、人工筋肉が加速度的に力を伝えてくる。最初は力を持て余し、随分とコントロールに苦しみ、何度もむせた。少しずつ、声を出し始めた。大丈夫。綺麗に出ている。音程を変えながら、徐々に音量も上げていく。す、すごい。これまで精一杯だった大きさを出しても、まだ余力が感じられる。さらに声量を上げていく。周りが驚き、オペラ歌手を見た。皆が歌声に取り憑かれたように動けなかった。

3ヶ月後、オペラ歌手は、舞台の中央に立っていた。馬鹿にしてきた奴、おべっかで役を奪った奴、ザマアミロ。私の天下だ。オペラ歌手は、ほくそ笑んだ。「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」の旋律が流れる。オペラ歌手の歌声は、繊細にコントロールされ、一つ一つの音色がホールの隅々に響き渡る。モーツァルトの悪魔的なアリアを、圧倒的な声量で歌い上げていく。高音が連続で続くパートに差し掛かる。アクセルを踏むように、喉への負荷を高めた。声の出力がさらに上がった。大きな高音に老人客が耳を塞いだ。あれ、止まらない……、声量がどんどん勝手に大きくなっていく。喉の制御が効かない。ホール中に、人が出せる音量を遥かに超えた高音が乱反響する。もう客のほとんどが耳を塞いでいた。

プチン。ゴムが弾けるような音は、オーケストラにかき消されたが、オペラ歌手の頭の中で生々しく響いた。その瞬間、声が消えた。まるで誰かがミュートボタンを押したようだった。口をパクパクと広げるが声が出ない。観客がざわつく。舞台スタッフが異変に気付き、すぐに緞帳を下ろし始めた。オペラ歌手は口を手で押さえ、逃げるように舞台袖に走り去った。

半年後、それは小さな記事だった。声帯テックの開発が、技術的問題が発見されたため、無期限延期になったと報じられた。

文字数:1982

内容に関するアピール

近年、AIの脅威的な進化が世間で注目を集めていますが、個人的に興味があるのが、人体の能力をテクノロジーで拡張する技術です。

例えば、イーロンマスクが脳内にチップを埋め込み、いわゆる「電脳」を実用化するため、ニューラリンクという会社を立ち上げています。おそらく、遠い未来ではなく、きっと手を伸ばせるような時に、スーパーヒューマンと呼べるような力を我々は手に入れているかも。想像するとなんだかワクワクしてきます。

今回、ショートということですので、収まりの良さそうな「声」をトピックに、ちょっと変わった切り口で、未来の技術を書いてみました。お楽しみいただけたら嬉しいです!

文字数:282

課題提出者一覧