梗 概
非勇者の挑戦
ファンタジー的な世界。
今日も、その国に預言の「勇者」が生まれた。88万7594人目の勇者。
預言者が認める赤子は「勇者」と呼ばれ、「魂の力」で剣術や魔法を操り国政も担う特権階級となる。
一方少数の「非勇者」は、被差別階級だった。
「僕」は非勇者として生まれ差別を受けていた。だが幼馴染の勇者層のリリだけは優しい。
「私が魔王を倒して、みんな笑える国をつくる!」
「剣も魔法も使えないけど、リリの力になる」
幼い二人は、指切りを交わす。僕は彼女の中に、赤い「魂」を見る。
非勇者がもつ唯一の役立たない能力だが、この力を愛しく思う。
青年になった僕は、非勇者ゆえ職業が限られ貧民街で荷運びに。だが飲んだくれマルクやペットのプチドラゴンのような仲間もいる。
一方、リリは討伐隊に入り花形に。彼女からの手紙は届かなくなっていた。だが新聞で知る活躍を喜んでいた。
ある日、僕は軍隊にぶつかる非勇者の子供をかばう。見上げた先にはリリ。
彼女は冷たく馬上から見下す。「非勇者は、邪魔にならないで」
リリの赤は並ぶ勇者たち同様に、燃え上がっていた。
魔王の攻勢。リリは討伐隊に参加するが大敗、仲間と倒れる。
密かに輸送隊に参加した僕は、どんな勇者より燃える魔王の魂を目の当たりに。足がすくむ。
ぎりぎりで救った重症のリリと話し弱音を引き出すと、彼女の赤は凪いだ。
次々に討伐隊が向かうが、そのたび魔王の勢いは増し王都へ迫る。
リリも呼び出されるが、押しとどめ貧民街で回復まで匿う。
二人を見たマルクは、自分は宮廷を追われた学者だと伝える。
「神話時代、人々は光る板を前に自尊心を膨らませた。その爆発的な感情エネルギーを天才が『魂』の力に仕立てた」「暴走しやすい力の安全弁として導入されたのが、魂のモニタリング能力。だが能力を持つ支配層がいつしか底辺層に落ちた」「魂の力を奪える異能の勇者が魔王へ変貌した」
回復したリリと僕は旅立つ。マルクの装具で高めた魂を見る力を生かし、その魔族の弱点へリリの攻撃で決定的ダメージを与え進む。だが無能力者の僕はボロボロに。
最後の魔王配下は、預言者だった。預言者は、自尊心の苗床たる勇者を選び尊大にさせ、魔王へ運ぶ効率よいシステムを運営する元凶だった。
魔王の元へ。彼は勇者社会の傲慢さを語る。なんと魂の赤が見えない、能力を知った魔王は魂を隠す衣をまとっていた。プチドラゴンが犠牲になり衣が剥がれ、歪んだ魂の凝縮体が露わに。魔王の身体を動き回る赤を見極め、リリがなんとか断ち切る。魔王は砕け散った。
王宮。リリは王に讃えられるが報奨を固辞し、ただ「非勇者差別の撤廃」を願い出る。
特別に出席を許された僕は自分の中に赤い魂が育つのを感じていたが、その瞬間、炎は収まる。
魔族の生き残りに対抗して、マルクが指導し勇者と非勇者が協力して戦う仕組みが広がる。
僕とリリは次の戦場へ向け手をつなぐ。かつて穢れたものだとされた手を、リリは握った。
文字数:1200
内容に関するアピール
使い古された「勇者」というモチーフを再考しました。このモチーフを活かしたコンテンツは、RPGを大きな源流としながら膨大な数のものがあると思います。
「誰が勇者を殺したか」など、このモチーフを違った角度から捉えるものも増えているは思いますが、今回、「差別」という視点を取り入れることを考えました。
勇者が多数派になる国家では、能力のない非勇者が差別されるのではないか。
ある種の前近代的国家のような差別構造が生まれるのではないか。
その社会の硬直したあり方や、特権化した勇者たちの尊大さは、私たちが見覚えのある普遍的なものになり得ると考えました。
そして、その差別の境界をまたぐ物語によって、「勇気」のあり方をファンタジーの読者の方々にも思い巡らせてもらえたら、と考えました。
<補足>
・差別は激烈。住居も乗り物も職業も分離されている。不可触性を強調。ちょっとした魔法や異能を活かして被差別階級をいじめる描写を入れることも視野に。
・後半二人きりのゲリラ戦をせざるをない理由は、この社会的に、公式の軍では被差別階級を勇者と同列の前線に立たせられないため。
これは、魔族の弱点を見られないため非勇者を戦線から排除する魔王軍の企みのひとつ。
・ボロボロになる無能力者の主人公こそ「勇者」に見える描写に。
・後半の戦いにおいて「僕」は、見る力を活かして戦闘中、敵の指に込められた「魂」の力を察知して魔法を避けたり、ヒロインに指示を出したり、戦術を練ったりとハラハラの工夫を。索敵し進む演出も。
・ファンタジーの世界に見せた未来、という設定ではあるが、その部分は僅かだけ触れる方針。
・国の人口は100万人程度をイメージ。
・預言者は普段、王都にいて水晶で産婆がとりあげる赤子を見てスワイプ感覚で勇者を判別していくイメージ。
・ペットのプチドラゴンを主人公が大事にするのは、「差別しない」から。階級問わず特に誰にも懐かないが……。
・「魂の力」の由来は小説中では「自尊心」そのものと名指しするより、「傲慢さ」や「優越感」などのニュアンスも考慮し少し曖昧な輪郭で記述する方針。
文字数:867
非勇者の挑戦
勇者が雄叫びを上げている。その青年勇者は、宝玉の埋め込まれた兜の上で、白銀に輝く剣を掲げている。太陽が照らす姿勢は、よくできた銅像のようだ。
その横で、女性勇者が手を振っている。魔法と剣を両方扱える彼女は、雷をまとわせたレイピアを握りしめている。マントと髪が美しくたなびく。
背後には、笑顔で斧を誇示する巨躯の中年勇者がいる。
隣には、槍を空へ突き刺す長身の勇者が。
奥にはダガーを翻す勇者が。
その隣にはまた――
――百人を超える『勇者』たちの凱旋。
馬を引く者、踊りを添える者、歓声を上げる者たちもまた『勇者』だった。
遠まきから、無地の麻の服を着る人々が、静かにパレードを見上げていた。
『非勇者』たち。
彼らは隔離区からはみ出ないように注意深く佇んでいる。
首筋には、階級を示す黒い烙印。
『非勇者』たちの視線に気づいた新米勇者の一人は、居心地が悪くなった。
彼は素直な気持ちのまま、黄土色の群れへ、土魔法で生成した小石を投げつけた。
離れた丘の上に、凱旋を眺めている幼い少年少女がいた。
「ねえリリ、あれ……」
「なに?」
カイトは、勇者の一人から放たれた小さな悪意を見ていた。
隣のリリは、パレードの壮麗さに目を奪われ気付いていなかった。
◇
今日も、この王国に預言の『勇者』が生まれた。
88万7594人目の『勇者』だ。
勇者は、特権階級である。
彼らには「魂の力」があり強力な剣技や魔法を操れる。彼らは魔王軍と戦う者として尊敬を集めた。
『勇者』は隊を率いるのみならず、国政を担う存在だった。
そして、その下の階層に『非勇者』たちがいた。
剣技も魔法も使えない、住居も職業も分離された、『勇者』とほぼ同数の被差別階級。
勇者と非勇者を判別するのは『預言者』だ。ローブで全身を包み、王宮の奥深くにいる。
預言者は、水晶を通して各地で産婆がとりあげる赤子を見る。そして、指先で弾くようにして赤子を『勇者』と『非勇者』を振り分けていくのだ。右へ、左へ。
非勇者の首には熱を帯びた黒い刻印がなされ、有無で一生が決まる。
『非勇者』であるカイトの人生も、そうやって決まった。
◇
カイトの親も非勇者だった。彼にとって、差別は日常だった。
一目見て分かる麻の服を身につけさせられ、唾を吐かれても抵抗すれば鞭打ちにされた。
「なんで、僕たちだけ?」物心がついた少年の疑問に、母と父はただ困ったように眉をひそめるばかりだった。その顔に胸が苦しくなり、カイトは疑問を口にしなくなった。雨や雪のように、差別を自然な現象だと感じるように努力した。
それでも路地裏で、年長勇者のグースから氷柱を投げつけられる氷魔法の痛みや、ヴィックから見えない拳を打ち込まれる風魔法の痛みは、誤魔化しようがなかった。
だが、彼にとって幸運だったのは、もっとも身近にいた勇者の存在だった。
リリ。
彼女は、隔離区の監査官の娘だった。
「なんで、あの人たちだけ?」彼女もまた、疑問で親を困らせる子だった。言葉を弄して諭す親を前に、納得しない彼女はいつも幼馴染との次の遊びを考えはじめるのだった。
「リリ!」
「遅いよカイト!」
隔離区の境目を辿るように進んだ先に、街を一望できる丘があった。
手を振るリリへ、息を切らしてカイトが駆け寄る。
「見つからないように来るのに手間取っちゃって」
丘には木々が、子供たちを隠すように生い茂っていた。
リリとカイトは、いつものように並んで日の出を見た。地平線から昇る太陽は、やたらと大きく見える。
勇者居住区も隔離区も同じように、陽光は照らしていた。
「きれい」
リリはつぶやいた。その横顔は澄んでいた。
リリの存在のおかげで、カイトはぎりぎりで世界を憎まないでいられた。
丘で彼らがする遊びは、たわいもない探検や、軍隊ごっこだ。勇者であるリリがいつもカイトを率いていた。
その日も、リリはおもちゃの短剣で斬撃を中空へ飛ばして、少し離れた雑草の茂みを切り開いて進んでいた。
――リリに備わった勇者の異能。それは剣撃の才だった。風を切る斬撃を放ったり、魂の力を乗せて衝撃を倍化させたりできた。優れた素質は、幼くして目覚めつつあった。
二人は遊び疲れ、木にもたれかかっていた。リリは言う。
「また嫌なことされてたでしょ? あいつらに」
「あれは、じゃれてたっていうか……うん」
「次やられたら、あたしに言えばいい」
「……非勇者は、上手に我慢することも大切だって。お母さんが」
「うちのお母さんは、勇者の力は戦うためのものだって言うよ」
「けど、あいつらもかわいそうなんだ」
「え?」
「二人とも父親が魔王軍との戦いに遠征に行ったまま、帰ってこない」
「……」
「だから、気が立ってるんだ」
リリは、幼馴染の横顔を見た。感銘と心配と呆れが入り混じった感情を感じた。
まったく、この子は。
森の奥では、鳥の声が飛び交っている。
リリは言った。
「じゃあ、あたしが魔王を倒して、みんな笑える国をつくる! 軍に入って、強くなって!」
「じゃあ僕は……リリの力になる。剣も魔法も使えないけど」
「ほんと! でもどうやって?」
「うーん、これから考える!」
二人は、木々のあいだから溢れる光を浴びながら笑った。
「約束ね、カイト。いつか二人で魔王を倒す」
リリにせがまれ、カイトは指切りを交わした。
「リリ、ありがとう」――こんな僕と。そんな言葉を省いたのは、リリが嫌がると思ったからだ。
階層を超えて指に触れることの重さを、カイトはすでに知っていた。
「まだ私なにもしてないじゃん」
リリは笑った。
「知ってる? 魔王を倒したら、王様が願い事叶えてくれるんだよ」
そして、二人は欲しくて格好いい武器の話をひとしきりした。
「――あ、見えた」
「え?」
「リリの魂」
カイトは彼女の胸にぼんやり灯った、紫色の炎を見た。
魂を見る力。
それは非勇者たちが持つ、唯一の異能だった。
「どんな感じ?」
「紫が、蝋燭くらい燃えてる!」
「前見た凱旋の勇者たちは、松明みたいに燃えてたって言ったじゃん」
「うん。あれすごかった。リリのは、なんていうか、かわいいよ」
「えー……なんか求めてんのと違う」
膨らんだ頬を見ながら、カイトは、その役立たない能力を愛しく思った。
◇
非勇者の就ける職業は限られる。「荷運び」は、その一つだった。青年になったカイトがその職に就いたのは、隔離地域と外とを行き来できる貴重な職業だからだった。
青年のカイトは、とうに現実に打ちのめされていた。
どれほど願っても、異能は発現しなかった。どれほど目をこらしても胸に紫の種火さえ見えなかった。入隊試験さえ受けられなかった。被差別階級である非勇者が、勇者たちと同じ戦場に並び立つことは禁じられていたのだ。
配達の先々で、勇者貴族たちから暴力や暴言を受け続けることに慣れていった。
王国のはずれにある、隔離区の貧民街。そこでカイトは、配達ギルドの粗末な椅子に身体を預けていた。朝から配達を繰り返し、腰と肩に疲労が蓄積している。
足元では小さな生き物が餌を食んでいる。申し訳程度の小さな羽根を持つトカゲに似た生き物。森で拾ったきりなぜか懐かれたカイトは、プチドラゴンを略して雑に「プチドラ」と呼んでいた。首の下を撫でると、尻尾を振った。
「おーい、兄ちゃん」
カウンターで、男が酒瓶をこちらに掲げていた。赤ら顔のせいで白髭が目立つ。
「マルク、こんな時間から飲むなよ」
「カイトはまた仕事でボロ雑巾になってんのか」
「まあきついけど……国中、見て回れるのは面白いし」
マルクは瓶を傾けながら笑った。
「お前さんぐらい真面目な非勇者も、めずらしいわな」
「いや、裏道を使ってずいぶん楽してるよ」
マルクは、皮肉っぽく口角をあげる。
「それくらいいだろ、非勇者は馬も使えないんだ。真面目系屑って古い言葉知ってるか
――わっ噛むな。その変なドラゴンなんなんだ、俺も知らない種類ってよっぽどだぞ」
「ただの飲んだくれが何言ってんだ」
仕事終わりの集団が入ってきた。風が吹き込み、新聞がギルドの床に飛び込む。
「どれ、勇者さまの活躍でも読むか」マルクが酒瓶を置きながら新聞を拾いあげた。
「魔王軍と東部で激突か……おっ、花形勇者の記事だ」
カイトが覗き込むと、そこにはロングソードを手にした勇ましい女性勇者の写真が載っていた。
新聞をマルクから奪い取り、目を走らせた。『若き討伐隊のホープ リリ・ムーア』というテキストが添えられた写真の中で、彼女は、自分の十倍はある独眼巨兵の足を剣撃で切り裂いて、膝を大地へ落としていた。
「リリ……」
カイトは、名前を口にしただけで胸が締め付けられた。
彼女からの手紙は、いつしか返ってこなくなっていた。
「知り合いか?」
「昔、近くに住んでいた……人なんだ」
「おっそろしい差がついちまったなあ、はは」
カイトは思う。差なんて最初からあった。勇者と非勇者の境界が、あの奇跡のような時間だけ見えなくなっていただけだと。
しかしカイトは、写真に写るリリの活躍を素直に嬉しく思う。
寂しさと哀しさを合わせたより大きな誇らしさを、感じていた。
「……前に進んでるんだな」
カイトは目の前の水を飲み干し、新聞をマルクに返した。
「――また仕事か」
「ああ。マルクも、ツケ代くらいはギルドの手伝いしろよ」
「働きすぎるなよ。どうせ、ほとんど税金で勇者様に取られんだ」
カイトは小さく笑った。
「プチドラ、行くぞ」
もう一度だけ、手紙を書いてみようか。
思いを巡らせながら、カイトは汚泥に塗れた石畳を踏み締めた。
◇
広大な城壁の中心に、王城の尖塔が空に伸びている。王都を行き交う人々の服は、色鮮やかだ。
その王都の外れにも、非勇者が詰め込まれた狭い隔離区が存在した。一日中、日の当たらない城壁の陰で、彼らは下水道を清掃し、灰汁を扱う仕事を担う。
カイトは、その隔離区へ荷物を運ぶため、大通りで荷車を引いていた。
黄土色の麻の服に、露骨な視線が向かう。
馬の蹄の音と、住人たちの歓声が聞こえた。
鷲の舞うマントが見える。エリートの第一討伐隊だ。
カイトは、顔を伏せ通り過ぎようとした。
「痛っ!」
声をした方を見ると、騎馬に弾かれた子供が転んでいた。その子も荷運びらしく、皮革が散っていた。
先頭の馬が興奮し、いなないている。
「おい、さっさとどけ」
馬上の男性勇者が眉を顰めている。子供は怯え動けないでいた。
勇者層の町人たちは、遠まきに見て子供に近寄ろうとしない。
カイトは、反射的に人垣をかき分けて、子供を助け上げた。触れた商人勇者に顔をしかめられる。
勇者が、面倒そうに言い放った。
「なんでクズどもが大通りをうろついてるんだ」
カイトは拳を握った。感情を露わにすれば、子供まで危険な目に合う。
「……申し訳ありません。すぐ退きます」
皮革を集めるのに手間取る子供とカイトへ、舌打ちが聞こえてくる。
「何をのろのろしている」
討伐隊の奥から、白馬に跨った女性が前に進み出てきた。
姿を見たカイトは思わず息をのんだ。高貴なマント、風にゆれる長い髪。
リリ。
思いがけない偶然に、ただ見上げるカイトを一瞥すると、彼女は表情を変えず言葉を投げかけた。
「――非勇者は邪魔するな」
声は平坦だった。その胸には、並び立つ勇者たちと同じように、凄まじい紫の炎が毒々しく燃え盛っていた。
「大通りでの複数非勇者の滞留は禁止されている。下がれ」
見下すリリの背後から、太陽が目を射る。
カイトは無言で子供の手を掴んで脇へ寄った。警邏の勇者が、急かすようにカイトの背中に唾を吐いた。
リリはカイトから視線を切り、馬を進めていた。
「………………!」カイトは呼びかけようとしたが、声が出ない。
「お兄ちゃん、ありがとう」子供の震えた声で、カイトは我に返る。擦り傷程度で、大きな外傷はない様子だ。空気を察した少年は「ここで大丈夫」と言って細い路地へ消えていった。背中を見送ると、城門の方へ目を向けた。
隊は遠ざかり、リリの姿はもう判別できない。
カイトは胸の奥が痛むのをこらえながら、荷車を押しはじめた。
毒々しい紫の炎が目に焼き付いていた。
◇
二等勇者が、盛んに兵糧倉と通りを往復している。松明が、焦燥感の滲む顔を照らしている。
カイトは荷運びとして、兵糧倉の裏口で待機していた。
倉庫の中で、調達官たちが興奮した声で言い争っているのが聞こえてきた。
「北方で魔王軍の大群が……」「もうか?」「物資が足りない」「第一討伐隊への連絡は?」
胸がざわつく。第一討伐隊は、リリの所属する部隊だ。
調達官が慌てて書簡を抱え出ていった。紙片が扉の外に落ちる。
カイトは思わず手を伸ばした。そこには、第一討伐隊の配置地域が記されていた。
カイトは自身が戦う術がないことを知っていた。けれど、カイトは脳内で地図を広げることを、リリのいる戦場に立つ自分を想像することを、やめられなかった。
気づけば、カイトは裏道を走っていた。配達ギルドで培った、裏道や検問の抜け道、巡回の隙間の知識を合わせれば、輸送隊へ紛れ込むことができるはずだ。
三日後の未明。荷馬と勇者の隊列が並ぶ様子を、カイトは身を潜めた荷車から見ていた。
ぬかるみに足を取られながら、勇者たちが前進していく。
カイトは、これほど多くの紫が集まっているのをはじめて見た。勇者たちにも魔物たちにも、力強い炎が灯っている。
「絶対出るなよ」カイトは胸元に押し込んだプチドラに言った。
天幕や馬車の裏に隠れるようにしてカイトは進む。
この前線にリリがいるはずだ。
戦況は互角だった。魔法に長けた勇者が陣形を組み、火球や氷柱を打ち込むが、瘴気が魔法攻撃をかき消していく。それでも、武器に秀でた勇者たちが間隙をついて攻め込み、闇魔導士の勢いを削ぐ。その勇者たちへ魔獣軍団が衝突し――――次の瞬間、カイトは息を呑んだ。
なんだ、あれは。
勇者たちが突き進む先に、目を逸らしたくなるような巨体が突如立ち塞がった。それまで岩山かと思ってたそれは、敵だった。
無能力の自分など簡単に押しつぶされそうだ。
恐怖で震えたのは、大きさからだけではない。紫色の炎が、どんな勇者より魔族よりも強く濃く燃え盛っていたからだった。どす黒くなる一歩手前の濃紫。
あれが、魔王なのか。
彼は軽く右手を振った。爆風が巻き起こる。それだけで、勇者の隊列は後方へ弾き飛ばされた。
カイトはひどく身体を揺らされながら、風の中に紫を見た。
勇者陣営は混沌となった。あちこちで悲鳴が響いている。
もう誰もカイトなど見ていない。カイトは、そばにあった荷車の包帯を一掴み抱えると、戦場へ飛び出した。
目の前で、勇者の一人が倒れ込んでいる。こめかみからの出血がひどい。
「大丈夫!?」
思わず傷口に手を伸ばす。
「ありがとう………?………非勇者!」
彼はカイトの首筋を見た瞬間、手を兜で跳ねつけた。「……汚い……っ!」
カイトは拒絶された手を見つめ、包帯を静かにそばに置いた。
「聖なる戦場に、なんでクソが……!」カイトは、振り返らず進んだ。
生き残りの勇者たちが怪物たちを蹴散らして、勇敢に魔王へと迫ろうとしている。
――あれは!!
魔王を取り囲む陣形の中に、リリがいた。
長剣に、あふれんばかりの紫色の力を乗せている。
リリを含む勇者たちは、八方から魔王を、剣と槍と斧で切り刻んだ。
息のあった早業に、魔王の身体がぬかるみに沈む。
勇者たちが安堵の顔をのぞきみせる。
――しかし、瞬く間に魔王の傷は塞がり、四肢は再生した。
魔王は立ち上がり咆哮を放つと、今度は力を込めて腕を振りかざす。
次の瞬間、信じられない表情のまま、勇者たちは爆散した。
いったん逃げおおせた勇者たちの身体も、指先から放たれた一閃が次々に貫いていく。
沼地が血に染まっていく。
「こんなの勝てるわけ……」
呆然と逃げ惑うカイトは、見覚えのあるマントが血まみれになっているのを見つけた。
「リリ!」
そこには足が間違えた方向にひしゃげたリリがいた。彼女は、横になりながらも剣を弱々しく振るい、微かな斬撃を飛ばした。それは魔王に届く遥か手前で、風に紛れて消えた。剣を杖のようにして立ちあがろうとして、つんのめる。その身体をカイトは慌てて駆け寄り、支えた。
「…………カイト?…………なんでここに!?…………さ、触るな!」
リリは額から汗を滲ませながら、拒絶した。
「頼む!」
カイトが必死な形相で手を伸ばす。
風が巻き起こり、魔王の手に紫が集中していくのが見えた。
「こっちだ!」強引に彼女の腕に肩を差し入れ歩ませる。
カイトの予想通り、紫色に映る衝撃波は、逆の方向を蹂躙した。
リリは身を弱々しくよじった。
「放せ…………っ」
「生き延びるんだ!!」
唐突に肩に伝わる重みが増した。見るとリリは意識を失っている。耳を当てると、微かな息はあった。
だが非力なカイトでは、鎧を纏ったまま気を失った人間を背負って運べない。
わずか三名の勇者が魔王に立ち向かっているが、圧倒されている。
もはや時間の問題だ。
カイトは勇者たちの成れの果てを見やった。
魔王は、最後の勇者の首をへし折ると、周囲を一望した。
彼は、散乱する死体に手をかざし、何かを集めるかのように戦場を歩きだした。
身を潜めた死体の山の中でそれを見ていたカイトは、震えていた。
すぐそばを、魔族たちが魔王を追うようにして通り過ぎていく。
一体の鬼獣が、鎧を剥いた女性勇者の裸体を、狩の獲物のように背負っていた。
遠ざかった魔族たちの背中を確認すると、カイトは音を立てず息を吐き、再び動き出した。
自身が潜り込んでいた死体の山の中から、すばやく見覚えのある紫の炎を探し出す。リリの紫を。
カイトは冒涜的な行いに謝罪の言葉をつぶやきながら、リリの身体を引きずりだした。
いつ魔王が戻ってくるか分からない。
わずかな隙で、なんとかリリを焼け残った馬車に引き入れて走り出した。
慣れない馬上は、ひどく揺れた。
荷車に横たわるリリは唇を歪ませ、苦痛にうめき続けた。
「頼む」カイトは、祈る気持ちでプチドラを空に放った。
◇
戦場からどれほど走り続けただろうか。
検問を避け、裏道を辿り、カイトは、貧民街の薄暗い路地へ辿り着いていた。
警邏を避けて慎重に案内してくれたマルクの白髭がランプに照らされている。彼は、プチドラに託した手紙を手にしていた。
瞳には、いつもの酔いの霞がない。
「その娘を、早くここへ」
マルクは路地に面した倉庫の扉を開けると、棚をずらし隠し扉を示した。
「ここなら匿えるだろう……ああ、酷い」
ベッドに寝かされたリリの足は折れ曲がり、全身に打撲と切り傷が走っていた。
マルクが似合わない治療道具を持ってきた。
「信じられんかもしれんが……どうか任せてくれ」
カイトはマルクの真剣な瞳をじっと見つめてから、頷いた。
マルクの応急処置は鮮やかだった。
「あんたはいったい……」マルクは答えず、ただ手を動かし続けた。
リリは、一晩中うなされ続けた。
「……やだっ……痛い……悔しい…………見るなぁ……」
そこにいたのはエリートとしての佇まいが崩れた、ただ痛みに耐える少女だった。
「リリ……頑張って」
カイトは血と泥で湿った髪を撫でようとしたが、空中でためらってから、手を引いた。
数日後、リリの顔に血色が戻ってきた。恥ずかしそうに彼女はつぶやいた。
「……カイト……に、助けられたんだね……」
ずっと看病を続けていたカイトは、ためらいながら頷いた。
「情けない……勇者が、非勇者に助けられるなんて……」
リリが、薬湯のカップを手に、呟いた。
「情けなくなんてない。立派だった」
「でも」
「あんな強くなるなんて、すごいよ」
「強く、か……私が思ってた『強さ』って、なんだったんだろ」
「考えるのは先でいい、今は休もう」
「軍で、徹底的に教育された。私たちは強く特別だと。だから『上』に立つのだと」
「……………………」
「……ごめん。戦場で傷つけること言って。王都でも酷いことを」
「気づいてたんだね……大丈夫。悪いのは君じゃなく……周りが」
「そんなふうに責任からも逃げたら、私は本当に弱い者になってしまう」
リリは目を伏せる。
「あのころ、私はみんなが笑える国をつくる、なんて言った。
けど、私たちがやってることは、そこから、とても遠いのかもしれない」
「…………」
「……こんなやり方じゃ、もう」
「…………なら、」
「え?」
「もう一度、戦えばいいじゃないか。違ったやり方で」
リリは、はっとしてカイトを見た。
その瞳は、日の出をともに見た頃によく似ていた。
「僕と、一緒に」
扉の向こうで聞いていたマルクは、静かに、冷めた薬湯の温め直しへ向かった。
数日が経った朝、マルクが新聞をカイトに手渡した。
「また討伐隊が向かったが、魔王の勢いは止められない」
カイトは、リリの寝顔から顔を上げた。
「王都に迫る、だって?」
紙面には、『第四・第五討伐隊相次いで戦略的撤退』という見出しが踊っている。
「……行かなきゃ」
カイトとマルクが視線を向けると、足に包帯が巻いたリリが、ベッドから身体を起こしていた。
瞳に焦りが浮かんでいる。
「私も戦わないと――」
カイトが押しとどめる。
「まだ治りきってない。考えなしに戻ったら死ぬだけだ」
「でも」
「いいから、休んで!――考える。きっと何かあるはずなんだ」
珍しく強い口調に、リリは黙った。
プチドラが、カイトの手を離れ、彼女に頭を擦り付ける。
落ち着いたリリは、ゆっくりベッドに身体を沈めた。
かたわらでプチドラは身体を丸めた。
つぶやくようにリリは言った。
「――この子は、誰にでも優しいね」
リリの足から包帯が取れた日、テーブルに座るマルクがぼそりと言った。
「ま、いい時期かもしれないな」
リリが自身の異能についてひとしきり説明した後のことだった。
蝋燭が照らすマルクの目は、遠くを見ていた。
「お前らに、言いたいことがある」
マルクの顔からは、飲んだくれの表情が消えていた。
「俺は……かつて宮廷で学者をやっていた。
『古文書』を読み漁り、歴史学や医学を通し――『魂の力』について調べていた」
「え、待ってくれ、魂の力を……?」
「そう。リリが使えてカイトが見える、『魂の力』だ」
カップから立ち上がる湯気が、明かりに溶けていく。
「神話の時代――人々は光る板の前で、ある感情エネルギーを膨らませていた。
自尊心。傲慢。優越感。
そんなふうに呼ばれる感情だ。
その爆発的な感情エネルギーを、一人の天才が体系化した。
『魂の力』。科学の奇跡だった。
感情を異能へ転移できるようになった。だが――」
マルクは髭に手をやり、二人に言葉が染み込むのを待った。
「魂の力は、残念ながら暴走しやすい代物だった。
力を使えるようになった者は、自尊心や優越感に快感を覚え、嗜癖となり、感情に支配されてしまう傾向にあった」
リリが、暗い表情でうなずいた。
「だが、その感情を俯瞰し、自覚できればなんとか飼い慣らすことはできた。
だから、安全弁として『観察装置』が導入されたのだ」
「観察装置?」
「お前たち、『非勇者』だよ。魂を見る力を持つ者。支配層たるその者たちによって、増長をモニタリングし、指摘し、対話を通し抑制できていた。しばらくの間はな」
マルクは寂しげに笑った。
「だが、観察装置、『非勇者』はいつしか底辺に追いやられた。
力を持たぬ者は軽んじられる。暴力の独占は国の権力になる」
リリは眉根を深く寄せた。
「事実を知った俺は、監視構造の段階的な復活を主張した――そしたら追放、このザマだ」
マルクは苦笑いをした。
「非勇者は社会を守る存在だった。だが、そんな話は誰も耳を傾けない。軍はもう洗脳機関だ」
「リリは、守る」
リリは、カイトを見つめた。いつの間にか、彼が少年から男性へ成長していたことに気づいた。
「勇者も非勇者も、人がつくった――じゃあ、魔王はなんなの?」
リリは問いかけた。
「魔王は、『魂の力』を奪える異能をもった勇者だ」
沈黙が降りる。
「魔王は、その力で永く生きながらえている。力を分け与えることもできる。魂を身体中へ自在に動かし、肉体再生もできる」
マルクは、リリのまっすぐな視線を受け止めた。
「……じゃあ、倒すにはどうすればいいの?」
「莫大な『魂の力』を精確に砕き続ける」
「そんな、――頼む、学者なら何か作戦を!」
「カイトなら、そう言い出すと思ってたよ」
そう言って取り出したのは、薄く小さい水晶だった。
「記憶を頼りに作った。魔具の試作品だ」
「……?」
「簡単に言えば、『見る力』を増幅するレンズだ」
「レンズ……?」カイトは耳慣れない言葉に首をかしげた。
「まさに百聞は一見に如かず。眼に当ててみろ。すぐ慣れる」
カイトはおそるおそる手に取り、言われるまま眼球にはめた。
――リリの胸の紫が、遥かに鮮やかに視える! 離れてもぼやけない。
それだけでない。紫が次にゆらめく方向と強さが、矢のような記号で示される――!
「……見える、はっきりと……!」
「見る力は、強い。それは、知る力だからだ」
「これなら!」
「その魔具で、魔物たちの、そして魔王の魂がよく視えるはず。示唆を得れるはず。
最も濃い紫が――弱点だ。魔物なら一撃で倒せる」
カイトには、今までは見えなかったマルクのごく小さな温かい紫も、見えていた。
「もう少し調整したい」と、マルクは先日の戦場の様子を聞き出した。
魔王の恐ろしさも、死体の冒涜的な使い方も。
研究に戻るマルクを見送った後、リリはおずおずとカイトに声をかけた。
「……命をかけてくれてたんだね」
明かりのせいなのか、リリの顔は赤く見えた。
テーブルの上で、リリの指がカイトの手の甲にかすかに触れた。
「ううん、ただ必死だっただけで――」
「ありがとう」
リリの中にある紫が、しなやかに凪いだ。
「――ねえリリ。試したい戦い方がある」
倉庫の扉が開かれ、朝の光が差し込む。
プチドラがカイトの足元に駆け寄る。
「はりきってるみたいよ」リリにも顎をすりつける。
「いざとなれば、また伝書ドラゴンやってくれよ」
鎧と剣を身につけたリリは、深く頭を下げた。
「――マルク、本当にありがとう。なんていっていいか」
「気にすんな」
「じゃあ、行ってくる」
「危なくなったら逃げろよ。でも――逃げた分は戦えよ。
じゃないと後悔し続けるぞ、俺みたいに」
◇
遥か遠く、いくつもの山を超えた先に、星のような小ささで、濃い紫が視える。
あれが、魔王の場所。
その点を目指して、二人は獣道や山間をつなぐように進む。
カイトには、森や荒野の中で渦巻く魔族の魂を視ることができた。
「あそこに五体、魔族がいる。低級だけど避けてこっちを行こう」
リリは足を止め、彼の指し示す方向を見つめた。
そこは鬱蒼とした森の奥だが、彼の目には紫が灯っているのだ。
「分かった。斬撃で道をつくる」
それは、カイトが限界を迎えて、わずかな仮眠をとった夕暮れのことだった。
「敵よ!」鋭い声がカイトの耳に飛び込み、カイトは跳ね起きた。
魔族が二体、長い爪を振りかざし襲ってくる。角を持ち人間の二倍ほどある鬼獣。上級の魔族。
「下がって!」
リリが素早くカイトの前に身を滑り込ませる。長剣が鋭い風切り音を伴い、先頭の鬼獣の頬に傷をつけた。
カイトは瞳を見開く。鬼獣の魂の炎――紫が急速に左手に集まっている。
「左手、魔法準備!」
「わかった!」
リリは呼応と同時に左手を裂く。
しかし、そのとき別の鬼獣が背後からカイトに迫っていた。
「……っ!」
カイトは身をよじるが、避けきれず腕に深い裂傷を負った。
激痛とともに血が吹き出す。目に血飛沫が入る。
「カイト!」
リリは目の前の鬼獣で精一杯だ。――弱点の場所さえ、分かれば。だが今はただ剣と爪の鍔迫り合いをするしかない。鬼獣はリリの下半身を見て舌なめずりをしている。
そのとき、カイトに爪を向ける鬼獣へ、プチドラが体当たりをした。威力はまるでなく、鬼は爪先で生き物を弾く。
だが、生まれた一種の余裕で、カイトはリリの敵を見て叫ぶ。「右胸!」叫びながらカイトは、プチドラをかばうようにダガーを手に突進する。散々試した中で唯一、カイトが扱える武器だった。
鬼獣は手のひらで軽く受け止めた。刃ごと掴んで引き寄せると、カイトの顔面を殴りつけ大地に転がした。
倒れ込みながらも、カイトは丸太のような足を掴んで離さない。
ようやくリリは敵の右胸を捉え、斬り伏せた。こちらへ振り向く。
「鳩尾!」カイトは血と泥で滲む目で見上げ、彼女へ指示を送る。
一閃。
凄まじい呻き声を残して、二つに別れた胴は崩れ落ちた。
リリは、血まみれの剣をぬぐいもせず、カイトに駆け寄る。
地面に落ちた二体は、霧となり消えていった。
◇
荒地には、異様な瘴気が立ちこめていた。リリが見回す。
「ここなのね?」
カイトは霧の先に瞳を凝らした。
「ああ。――紫がうっすら視える」
幾重にも包帯を巻いた腕で一点を示した。
「……ここに綻びがある」
リリが剣を振るう。
結界の裂け目を抜けた途端、視界が一変した。
古い砦が突如として現れ、魔物たちの唸り声が響く。
異界と化した空間の奥深くから、魔王の紫の炎が放出されていた。
「行こう、リリ」その歩みに、もう怯えはなかった。
冷たい石の回廊を進む。
視る力を活かして出来る限り敵を回避するが、避けられない戦いは増えていった。
もう魔王の本拠地なのだ。
鬼獣、触骸、魔導蟲、牙虎、冥詠士、堕天龍、千眼獣……
奥へと進むほど、敵は強くなっていく。
だが、二人もまた成長していった。
剣技と視る力は研ぎ澄まされ、息が合っていく。
二人は魔法を封じ、攻撃を予測し、弱点の核を穿っていった。
砦の中央で二人は、馬の蹄、蝙蝠の羽、牛の角を持つ敵と対峙していた。
その怪物は、自らを魔王軍の幹部と名乗った。
だが、先手を取ったリリは、魔法を放つ前に腕を、空へと舞うに前に羽を、疾駆する前に足を切り落とす。
カイトには、未来が、行動より少しだけ先に意図を持った瞬間に視えた。
激戦は寸時で決着した。
無力化した怪物の濃い紫を叩き切ると、巨体は霧散した。
「この先だ」
二人は、奥の広間に差し掛かっていた。
不気味な祭壇が脈動しており、下に巨大な扉がある。
その先から、強烈な紫が放出されていた。
突如、扉の前を塞ぐように瘴気が黒い円の形に集まる。
「――待てよ」
その内から声が聞こえた。
二人は目を見開いた。円から身を乗り出すようにして空間から現れたのは、王国のローブをまとった『人間』だった。
リリが口を押さえる。
「よ、預言者さま……?」
すべての赤子を、勇者と非勇者に判別する存在。人生を決めたその存在を、二人は見間違うはずがなかった。
「――こんな早くたどり着くとは。やはり勇者と非勇者を一緒に戦場に立たせては駄目だったな。もっと苛烈な差別を国王にさせるべきだった」
二人は混乱していた。預言者は笑みを浮かべている。
「ああっ、すごくいいよ、リリ、お前の魂。不思議だ、小さくて澄んでるのに、妙に力強い。こんな魂、見たことない。極上に違いない。魔王さまに早く献上したいっ」
落ち着いてきたカイトは預言者を観察する。決して強くはない。
小声で話しかけた。
「……リリ、こいつは敵だ。今のうちに」
リリは柄に手を置く。
「まあ待て、せっかくだから話そうぜ。
聞きたくないか? お前らを苦しめる世界のシステムを」
「「…………!?」」
二人は息を呑んだ。
「勇者は苗床だ。
俺が素質ある赤子を選ぶ。
で、勇者として軍で増長させ、魂の炎を育てる。
戦場に向かわせることで、自動的に魔王さまのもとへ運ばれていく。
そして、魂の力を収穫していただく。
――なんて効率的なシステム!
天才だと思わないか? このシステムを考えた俺をっ」
言葉の意味をカイトがすぐ理解できたのは、それが何万回と問いかけた疑問を解くパズルのピースだったからだった。
「お前が、元凶、だったのか」
にじり寄るカイトを、預言者は制した。
「まあ待て。カイトって言ったな。言うことを聞くなら、
――お前を勇者にしてやる」
カイトは反射的に首の烙印に手をやった。
「烙印を取ってやる。魔王さまに頼めば力を与えられる」
預言者が烙印を指差す。それはすでに熱を失い、端が薄くなっていた。
リリが目を見開いている。
カイトは、頬と腹に暴力を受け背に唾を吐かれた日々を思い出した。痛みの記憶が身体中に荒れ狂う。
だが、それは一瞬だった。
カイトは、ダガーを預言者の紫に突き刺した。
意志を取り戻したリリの剣が続いたのも、一瞬の後だった。
「あれ? 前はこのパターンでうまくいったのにっ――でも俺の異能も記憶も、魔王さまはバックアップ済みだ……お、ちょうど準備ができたようだ」
預言者は、おぞましい怪物の姿に戻ったあと崩れ落ち、瘴気へ帰った。
後には、王国の国旗が刻印されたローブだけが残された。
◇
巨大な扉が開いた。
二人の先で——まるで岩山を割いて人型にしたような巨体が姿を現した。
魔王。
「――預言者は失敗したか」
声は地響きのようだ。
剣を掲げたリリが、カイトを急かす。
「早く! 紫の位置を!」
カイトは、かたかたかたと、奥歯を鳴らしている。
「……どうしたの? カイト」
「…………駄目だ、」
「え?」
「紫が、――視えない」
魔王は、闇そのもののような黒い衣を全身にまとっていた。
カイトに見えたものも、ただそれだけだった。
呆然とする二人へ、魔王は拳を叩きつけた。
間一髪でリリはカイトを抱き抱えて飛んだ。吹き飛ぶ礫が、リリの頬を打つ。
魔王は、にやりと口を歪め、指先で煽る仕草をした。
リリは、夢中で斬撃を放つ。一歩も動こうとしない魔王の腱を切り裂く。
しかし、その傷は一瞬で修復された。
「はは、いい顔をしている」
戦場には似つかわしくない、間延びした笑いが響いた。
「たまにここまで来る勇者の、この顔を見るのが好きでな」
魔王は、戯れるように二人の絶望した顔を十本の指で差した。
「ほらほら、魔法を放つぞ。いつものように避けてみろ」
指先までも黒い衣に覆われていた。
場所も方向も間合いも見えない。
放たれた衝撃波は、小指の先を離れた空中で、ようやく紫をまとった。
カイトは言葉を発する間もなく、リリを抱えて動く。庇うように身をねじる。
彼の脇腹は、大量の肉片を奪われながら深く貫かれた。「カイトォ!!」
「…………………っっ!!!!!」
悶絶するカイトのそばで、リリは青ざめながら剣を掲げた。
「この『魔具』は魂の力を隠す。ったく面倒な準備させやがって」
リリは泣いていた。泣きながら、剣を握る手に力を入れた。
「お前らも物好きだよな。傲慢な人間たちのためによく命をかけるよ。
俺も勇者だったからな、分かるよ。
俺の前にも、国の敵はいたんだぜ? そいつを俺が倒した。
その俺を『強すぎる』という理由で隔離したのが、勇者たち、だった。
――俺が預言者のシステムが好きな理由はな。効率いいのもあるが、人間の愚かさが組み込まれていて、笑えるからだ」
迫る魔王に、リリは拒むように剣を振り回す。
カイトはなす術もなく、血に塗れ床に転がっている。
「一度覚えた力に頼るところも、人間の愚かしさだよなあ」
「ち、近づくなっ!」
リリは斬撃を放つ。魔王の左手が切り離される。
しかし、手はみるみる間に再生する。
「こう見えて俺も痛いんだぞ――そろそろ遊ぶのはいいか」
魔王は眼前で右の拳を振り上げた。周囲に、猛烈な風が起こる。
そのときだった。カイトの麻の服の胸元から、激しい光があふれた。
光は魔王の前に飛び出た。
小さな龍の形をとった、光の塊。
「プチドラ……!?」
カイトは、朦朧とする意識でつぶやいた。
その生き物は、瞬時振り返って口を動かしてから、魔王に飛びかかった。
カイトには、風でかき消されたその声が、何かとても大事なことを言ったように見えた。
魔王が顔を歪ませ振り払うと、光は、弾け散った。
だがその無数の光の粒子は広がって、黒い衣に癒着して穴を開けていく。
次の瞬間、カイトは絶叫した。
「リリ、視える!! 左肩!!!!」
咄嗟にリリはその急所を狙い、風の刃を放つ。
壁を揺らすような魔王の悲鳴が響いた。
紫が移動する。
「右胸!」
リリの二振りの剣閃が十字となり、紫を引き裂く。
「左脛!」
リリが飛びかかり、高速で薙ぐ。
――魔王は、混乱していた。
彼は悠久の時間のなかで、一方的な戦いに慣れすぎていた。
あまりにも久しぶりに受ける激痛の連続を、脳が処理できなかった。
魔王は、衝撃波を無闇に四方八方へ撒き散らす。
カイトとリリは、それを最小の動きで掠らせながら避けた。
攻撃の手をゆるめないために。
血が流れ、肉片を削れても、それは、慣れ親しんだ痛みが少し増えただけだった。
魔王は、濃い紫を無秩序に身体中に移動させていく。
「左大腿骨!」「右目!」「眉間!」「右鎖骨!」「右大腿骨!」「左肋骨!」「右膝!」
リリは、そのすべてを断ち切った。
「右足首!」「左肩甲骨!」「右耳!」「喉!」「左手首!」「右肘!」「左頬骨!」
右手が使い物にならなくなったので、左手に剣を持ち替えた。
「右下顎!」「後頭部!」「左手中指!」「右鼠径部!」「左脇腹!」「左頸動脈!」
刃こぼれで切れなくなった剣は、刺して使った。
「心臓!」
魔王だったもの。
それに、リリは剣を突き刺す。炭のような破片が、空中へと消えていく。
カイトは、その場に倒れた。
目からは、血と涙が混ざったものがとめどなく溢れていた。
石がきしむ。天井がこぼれ落ちる。
崩落する壁に向かって、リリはカイトを支えながら、最後の力で斬撃を放った。
瓦礫を海のように割ってできた道の先には、朝日が溢れていた。
◇
祝祭は三日三晩続いた。
式典の日、王宮。王家の勇者達が、赤い絨毯の左右に立ち並ぶ。
その中央を、リリは歩いていた。
背筋を伸ばし歩く彼女の姿を、膨大な出席者の最後方でカイトは見守っていた。
彼はリリの懇願を受けた特例措置として、非勇者ながら式典への出席を許されたのだった。
王の前で、リリは厳かにかしづく。
王は、厳かに最上位勇者を示す冠をリリの頭上に掲げ、静かに載せた。
王は讃えはじめる。美麗で荘厳な言葉を尽くして。
リリは膝を折り、じっと目を閉じたまま聴いている。
魔王を討伐し、王国へ平和をもたらした偉大な勇者への賛美。
長大な言葉の中で、王からある言葉が発せられた。
「非勇者が、偉大な勇者の『しもべ』として尽くした」
非勇者をわずかでも戦力として認めることは、王宮においてかつてないことだった。ざわめきが起こったが、すぐ美しい言葉の奔流に押し流されていく。
――カイトが胸に違和感を覚えたのは、そのときだった。
自身を見下ろすと、胸にかすかな紫の炎が見えた。
カイトは胸を押さえつけた。手の甲の向こうで紫が大きくなっていく。鼓動が早くなる。
王の話が終わると、王宮は割れんばかりの拍手で包まれた。
続いて、側近によって長い報奨の数々が読み上げられた。
カイトは、胸の上から炎を握り潰すように力を入れる。
だが炎は、身体の内側を食い破るように膨らんでいく。
王は問うた。
「偉大な勇者、リリ・ムーア。望む願いを叶えよう。汝、何を願う?」
「報奨はいりません。
ただ一つ願います。
――非勇者差別の撤廃を」
その瞬間、
カイトの胸の紫は消えた。
◇
リリの『願い』は、猛烈な議論を巻き起こし、古文書をひっくり返した調査結果が決定打になって、なんとか是認された。
その中で、マルクの研究が再び脚光を浴び、彼の名誉回復がなされた。
だが、『願い』の実現は道半ばだ。
魔族の生き残りたちの攻勢は強く、社会変革に集中する余裕はなかなか生まれない。
烙印を押す者はいなくなったが、今度は血統による差別がはじまった。
マルクの尽力で勇者と非勇者が協力して戦う仕組みが軍に導入されることになったものの、機能している状態とは程遠い。
深く染み込んだ穢れの意識が消えるには、途方もなく長い時間が必要になるだろう。
だから、カイトとリリは今日も戦場に立つ。
二人の背中が、雄弁な言葉になると思うから。
戦場の最前線。
忌み嫌われたその手を、リリは握りしめた。
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