梗 概
インフルエンサー×SFの連作短編集 『ひろげる人たち』
<概要>
拡散の種をコンセプトに入れ込むSF連作短編集。
インフルエンサーたちを主人公にし、インフルエンサーのSNSで取り上げていただくことを狙う。
タイトル案『ひろげる人たち』。
<連作の構成>
以下のようにインフルエンサー×SF設定で短編を用意。
■短編1 崩壊世界で配信を続けるVTuber (詳細後述)
■短編2 リアルゾンビに挑むFPSゲーム実況者
ゾンビが溢れはじめた世界。FPSの腕を活かし射撃し、スーパーからの脱出行をはじめる。幼い子供を恐怖から守るための、明るい実況とともに。
■短編3 改変に抵抗する書評系インフルエンサー
電子書籍やサイトは、歴史修正主義で暴走したAGIによって知らぬ間に改変されるようになった。主人公は陰謀論者のように笑われながら、紙の本の紹介を行う。
■短編4 AIに嫉妬していたインスタグラマー
港区女子。嫉妬が癖の彼女がライバル視していたアカウントは、AIモデルによる試験的なものだった。
<短編1 「ワールズ・エンド・バーチャルフレンド」あらすじ>
崩壊した世界。ビルの瓦礫、わずかな人類。
ネットは分断され少数サーバが独自に動くのみ。YouTubeクローンの中で、いまだ更新される唯一の動画チャンネルの主はVTuber『空名ミア』。
「おいしい缶詰の食べ方」 「あえてイマジン歌ってみた」「絶望的すぎる悩みへの明るすぎる人生相談」「ばえる廃墟MV」……彼女は、可愛らしい2Dモデルで能天気な配信を続けていた。中の人が誰かも、どこからの配信かも謎。
配信内容と進行する物語を交互に展開。
「私」はトーキョーの避難所で更新を楽しみにしていた。周りも元気づけられている。皮肉っぽい「先輩」はやけに明るい様子を見て「AItuberじゃねーの」とバカにする。でも、私は人じゃないかと思う。きっとかわいい女の子だ。
ある日、『空名ミア』の疲れた変調を画面の向こうに感じる。
私と先輩は動画をヒントに、廃墟を旅し発信場所へ。チャットしてヒントを引き出すうちに、VTuberの心に近づいていく気がする。
辿り着くと病気の中年女性がいた。世界崩壊時、女性の弟が行方不明になっていた。弟が好きだった、更新が止まったVTuberの2Dモデルと声設定をハッキングで取得、「中の人=魂」を勝手に継いでいた。
女性の最後の日々、私と先輩は話を聞く。
「最初は、また弟がコメントしてくれる、見つかると願って、弟の好きな歌を歌ったりゲームをしたりしてた」
「もう弟は亡くなってるって気づいてる。けど、配信を待ってる人がたくさんいた。生きる理由になってた」
息をひきとる彼女に、私は「魂」を継ぐことを約束する。
だって私は、『空名ミア』らしい盛り上げ方をよく知ってる。「慰めでもいいじゃねーか。やろーぜ」と手伝ってくれる先輩。
終わる世界に、今日もVTuberミアの声がこだまする。
貨幣経済が崩壊した今、意味を成さない1億のスパチャが届いた。
文字数:1200
内容に関するアピール
<企画の背景>
■マーケティング的な拡散への視点を導入。
狙うは拡散の「核」。押さえればウェブで広がりやすい、レバレッジが効くポイント。
■そこでインフルエンサーに注目。
彼らのSNS上(YouTubeやXなど)での紹介や帯の推薦文は大きな影響力を発揮する。
例:
・にじさんじのVTuber栞葉るりさんが推薦し「不純文学」が即重版
・書評系TikTokerのけんごさんが「残像に口紅を」を紹介し11.5万の増刷
・YouTuberのTERUさんが「世界でいちばん透き通った物語」を絶賛し50万部のヒットへ
<戦略>
■インフルエンサーの興味や共感を向上させるコンセプトをインストール。
あらかじめSNSで紹介しやすい、されやすいものを目指す。
■インフルエンサーに「自分ごと」として感じてもらう。
主人公は、VTuberやゲーム実況者など、すべて「インフルエンサー」。彼らならではの気持ちにフォーカス。ノイズだらけの中、がんばる支えになっているやりがい。代替されるかもしれない、戦いのルールが変わるかもしれない、という危機感……そうした感情を、SF的なギミックで際立たせていく。
<プロモーション展開案>
インフルエンサーやデジタルプラットフォームを絡めた販促がしやすいことも本企画のメリット。
■インフルエンサーへの手紙付き献本
……本を送るだけでなく、その方の肩書きを意識して、読んでいただきたい短編に焦点を当てた手紙をセットに。SNSで取り上げていただくことを丁寧にお願いする。その内容を帯でも活用。
■コラボコンテンツ
……プロモーション予算がある場合は、ぜひインフルエンサーを協力者に。一緒に得意なメディアでコンテンツをつくる。例えば、VTuberとコラボする場合、小説の配信場面を再現してもらう動画を制作したり。ASMR的な喜びを提供するようなもの。こういったコンテンツは繰り返し観られ、聴かれる広告として機能する。
■SNSの投稿が集まる特設サイト
……本の紹介サイトも工夫を。こちらサイドからの発信だけでなく、YouTubeやXなどの関連投稿を集めてサイトを構成。UCG的に開かれた「育つサイト」で注目を集める。
<短編1 「ワールズ・エンド・バーチャルフレンド」ポイント>
VTuberはキャラクターになりきっている。それが演技であろうが、作りものであろうが、救われる人がたくさんいる。救われる心や元気づけようとする心は本物。そこに、VTuberの本質があるのではないか。その本質を、極端なSF的状況だからできるやり方で描く。
こうした設定で本質を追求する考え方は、いずれの短編でも共通。
文字数:1080
ワールズ・エンズ・バーチャルフレンド
「こんにみあ〜!!!! 今日もみんな、楽しく絶望してる?
VTuberの空名ミアだよ! ぱちぱちぱち!
みんなどこから見てる?廃墟の中かな? 心まで廃墟にならないようにね!
さて、今日の配信はおなじみ『おいしい缶詰クッキング』! ――本日の主役は賞味期限がいつ過ぎてるか分からないトマト缶と怪しい国の言語が書いてる缶詰ソーセージ!
まずお湯を沸かしたいんだけど、水も貴重なんだよね、だから雨水を再利用!
消毒したから大丈夫、たぶん!
次は、トマト缶。んー酸味というか酸化! “サビみたいな味” になってるね!ソーセージ缶をオープン。これ何の肉……? まあ煮込めばなんとかなるっしょ? 麺を引き上げて、ソースと混ぜて。
――ラスト、その辺で拾った雑草、じゃなかった、ハーブを刻んで載せて仕上げ! 笑うしかない仕上がり! まさに “草草草” ! ぎゃはは!
はいっ、ミアのパスタもどき、完成〜!!
ほら、外の廃墟の灰色と血みたい赤が戦争映画みたいでいいコントラスト!
味?……ちょっと刺激的かな。舌がしびれるくらいエキサイティングだね!
って感じでここからは雑談配信してく。みんなチャットちょうだいね。生きてる証を打ち込んじゃって。さーて、何人がこの配信見てるんだろ。おー、書き込みありがとう。AIのBotも結構いるっぽいなあ。
え、わたし?AITuberじゃないよ! ほんとだよ! そういう振りじゃないって! このやりとり定番になりつつあるな?
まあいっか、死にそうな思いも遠慮なくチャット欄で吐き出してね。
んなわけで最後までよろしく! じゃ雑談コーナーへ行ってみあ〜!!」
◇
配信を見ながら、私は苦笑いとマジ笑いの中間くらいの笑い声を上げる。
画面には、かわいらしいライブ2Dモデルの女の子。が、はしゃぐたび揺れるピンクのツインテール。ボイスチェンジャーのアニメ声。背景は、もうこの日本には存在しそうにない、ガーリーでハッピーな部屋。
空名ミアは、イカれていた。いい意味で。
「よくもまあ、こんな無駄口ぽんぽん叩けるよな」
隣からのぞきこむ先輩が、茶々を入れる。
長い髪の先が、焦げたように傷んでいる。大火から避難してるときに出会った先輩は(たぶん)二十代の男。
いろんなサバイバルハック&デジタルハックを教えてくれたから、勝手に先輩と呼んでいた。細い目が皮肉っぽくて、でも笑うとやたら子供っぽい。
「この明るさがいいんじゃないすか」
私は、なんだかんだ言って結局配信を一緒に見る先輩に、口をとがらせた。
ここは奇跡的に残った地下のシェルターだ。かつて商業ビルの地下倉庫だった場所を、生き残ったみんなで無理やり住処にしてる。生きてるのは、病人怪我人も入れて全部で五十人くらい。金属の商品棚をベッド代わりにしたり、非常用電源をハックしてギリギリまで電気をいただいたり(先輩がやってくれた)、野良ドローンが飛び交う地上から雨水を汲んできたり。しんどいけど地上よりずっと安全だ、いまのところ。
ネットは世界規模で随分前に分断された。どういにか動いている小規模のサーバがローカルネットワークでつながってるだけだけど、野良化したジャミングボットの妨害でしょっちゅうダウンする。
そんなうちのローカルネットには、昔のYouTubeをまんまパクったクローンサイトが残ってた。違法アップロードの古い動画が申し訳程度にあるくらいのものだ。
ところが、このインチキ “YouTube” で唯一いまも更新が続いているチャンネルがある。
――それが、「VTuber 空名ミアちゃんねる」。
「エモい廃墟MV」とか「あえてイマジン歌ってみた」とか「ここにきてFPS戦争ゲームやってみた」とか「ドローンからの逃げ方講座」とか人生相談とか特に名前のない雑談とか……といったコンテンツを能天気に配信し続けている。
「やっぱAItuberだろ。こんな世界で毎日更新なんて、ふつうできるか? なんか昔使ってたAIエージェントの、無駄に明るい感じに似てるんだよな。何言われてもヘコまないっていうか」
先輩は私の隣に腰を下ろし、脱法ドラッグをぷかっとくわえた。先日、元政治家の豪邸だったらしき廃墟に『遠征』したときの数少ない収穫だ。
私は首を振る。
「んー、AI説ありますけど、私は中の人がいると思うですよ。あの微妙なギャグセンスとか、陰キャが無理して陽キャやってるっぽい間とか。人間くさいですよ。そこがいいんだけど」
ミアは、人だと思う。かわいい女の子だ。教室では目立たないんだけどネットで元気になる、黒髪で、胸がミアのアバターより大きくないのを気にしてる、でも笑顔がミアによく似たタイプの女の子だと勝手に思ってる。我ながらキモい。
「じゃ、お前は、ミアがどこかの廃墟から毎日生配信してると思ってんのか」
「です。そう考えるとすごいっすよね」
「根性は認めるけどな。野良ドローンがいるところで配信したり、ガバナンスAIに目をつけられるぞ、あれ」
「私も気になるんすよね、大丈夫かな」
先輩は、脱法ドラッグを一息吸ってから、皮肉っぽく笑った。・
「AITuberじゃないってんなら、中にどんなやつが入ってるか気になるわ。もはやちょっと狂ってんじゃないかな、こないだ裸でシェルターから飛び出したスズキさんみたいに」
「心配っすよね。会いに行っちゃいます? ……って言ってもどこから配信してるか分かんないし無理か」
「そりゃ危険すぎるし、迷うに決まってんだろ」
あらゆる看板や案内板は、ドローンと無人戦車とナノヒューマノイドに搭載された「文字破壊アルゴリズム」によって優先的に爆撃され、ぶち壊されていた。場所が分かるものは失われ、地域はなんといか匿名的になっていた。ミアの動画にも地名が分かるものが映ってなかった。
奴らは地下鉄や地下街の入口も爆破して埋めた。この地下シェルターを奇跡って言ったのはそれが理由だ。
「映ってる瓦礫とかはげ山の風景なんて、トーホク一帯どこでも一緒ですもんね」
私は薄く笑った。
「まあ、相当がんばれば背景の断片から場所特定できるかもな。ほら、さっきの『廃墟クッキング』、背景に大きめの横断歩道の残骸が見えただろ? そういう微かなヒントを集めて古い地図と照らし合わせれば分かるかもしれない」
「先輩そういうの好きですよね。情報解析とか、ハッキングとか、ネットストーキングとか」
「最後のはおかしいだろ」
そんな風に、空名ミアの配信を見ながらくだらないやりとりをしているときは少し現実を忘れられた。つうか、忘れないとやっていけない。だって、いつビルが倒壊するか、ドローンがフル戦闘モードに戻るか、保存食を食べきるか、新型の奇病にかかるか分からない世界だから。
◇
「こんにみあー!!!!! 今日もみんな、楽しく絶望してる?
今日はダラダラトークね。
昨日、瓦礫の中をあさってたら、なんと! 雑誌を見つけちゃったんだよね。
貴重じゃない!?だって文字が印刷されてる本とかボットに片っ端から燃やされたもんね。 あと大火事もあったし。 で、その雑誌が『SPA!』っていう若いサラリーマンが読みそうな感じ? のやつ。どうせならもっといい本拾いたかったー。
開いてみたら「AIが人間の仕事を奪う!」みたいな記事が載っててさ、もう笑っちゃったよね。人間の仕事どころか、地球そのものが奪われてるんですけど!? ってツッコんだ。あ、でも奪ったのはAIじゃなくてAIを暴走させた誰かかな? もう誰が犯人かわからないけど! いい時代もあったねえ。遠い目。
面白かったのが「理想のデートコース!」っていう、これまた浅い感じの特集「夕焼けの中、海辺のレストランでディナーでムードつくって、うんたらかんたら」とか書いてあるの。それで『夕焼け』ってあったわーって思い出しちゃった! なんか、写真がきれいでさ。 いまってずーっと灰色の空だもんね。『夕焼けの中』どころか、全店舗が瓦礫の中だよ! という適当なオチで、次のコーナーいってみあー!」
◇
最近、私と先輩が空名ミアを視聴していると、いつの間にか周りに人が集まってくる。
今日は、避難所のミナトちゃん、ゲッコウくん、エドワード、モナじい、そしてマツダさんまでもがPCをのぞきこんでいた。
空名ミアのボケはちょうどいい感じのIQで、世代を超えた突っ込みの声が重なった。
「なんじゃそれ!くだらなすぎる!」
といいつつゲッコウくんが幼い顔で吹き出しているのがかわいい。
モナじいは、顔をクシャっとさせて、しみじみつぶやいた。
「孫に似てるんだよなあ」
「ピンクのツインテールのロリ巨乳の孫がいてたまるか」
私は突っ込んだ。先輩どころかマツダさんまで笑ってた。
「このスパチャってナニ?」
エドワードが聞いた。
「昔通貨があったときのシステムの名残ですかね。盛り上げたり自分のコメントを注目させたり配信主に感謝したりするときに送る投げ銭機能でしたけど、いまじゃーー」
私は説明しつつ、試しにスパチャを送ってみることにした。
「ミア最高!」と書いて100万円ほど指定して送る。「こんな感じすね」
ぴこん、とチャット欄のなかで私のメッセージが華やかに表示された。
「わたしもやりたい!」
横からミナトちゃんが勝手にボタンを連打する。
この世界では、円もドルも通貨は意味をなしていない。使えるのは一部の仮想通貨だけ。
最後の頃は、卵一個の値段が「垓」とか「京」とか聞いたことない単位になってたのは笑った。
だから、ほんと意味はない、ないんだけど、なんか楽しかった。
ミナトちゃんの真似して、エドワードもゲッコウくんもふざけて指を伸ばしてはスパチャを送りまくる。いくら送っても、残高は一桁も減らなかった。
スパチャを喜ぶミアは、画面の向こうから私たちの談笑に加わってるみたいに、元気よく笑い続けていた。
◇
「こんにみあ〜!!!! みんな、今日も楽しく絶望してる?
今日は恒例の『絶望につけるヤク中相談室』! ぱちぱちぱち!
はい、ずらずら悩み流れてくるねえ。みんな大変だー、って私も他人事じゃないんだけど!
この相談いってみよー。
『シェルターの人間関係がストレスすぎて、誰とも話したくないです。プライベートあんまりないし、まわりもイライラしてるし。でも誰とも話さなかったら変な奴認定されてもっとストレスたまりますよね」
うわー、わかる。崩壊した世界で人間同士が助け合うのって、密度濃くてしんどいよね。でも、 “ほどよい距離感” を探すのは大事だと思う。挨拶はして深くは干渉しない、とか。そういうコミュニケーションでも、ゼロとは違うから。あと、おすすめは “相手を勝手にアバターだと思う”っていう脳内設定。目の前にいる人がイラッとする態度をとっても、「あー、これ何かのキャラ設定かもね」って流すと、意外と割り切れるかも。
無理に仲良くしろとは言わないよ。最低限の繋がりは確保しつつ、深追いしないってスタンスがおすすめ。繋がってる感覚あれば、ギリギリ健康な頭を保てる気がするよ!
え、わたし? みんなと繋がってるから大丈夫! ほんとほんと!
じゃあ次の相談いってみあ〜!」
◇
「くそ、思ったより見つかんねーな」
先輩がコンクリ片を放り投げる。足元には割れたタイルやガラスが散乱していて、踏むたび不穏な音がした。
私たちは、夜の闇に紛れて地上に出て、ビルの廃墟に『遠征』していた。狙いは、発電機の一つの修理に使うケーブル。場所を変えながら、手あたり次第探している。
「さっきの配信もよかったっすね」
手を動かしながら、私は話をふった。
「やっぱ空名ミア、人間かもな」
ふっと先輩は言った。煤けた顔が緩んでいた。
「だから言ってるじゃないすか!」
私は胸を張った。「でもマジで一人だったとしたら、だいじょうかな。気のせいかもだけど、最近たまにキツそうに見えるんすよね」
「この世界でキツそうに見えない奴はウソだろ」
「そういう意味じゃなくて! まあ先輩みたいな機微を察知できないキャラは分かんないか」
私はコンクリ片をのけて、それらしいケーブルを見つけた。
「おっ、これ使えそうじゃないっすか?」
先輩は拾い上げ、目を細める。
「まあこれでいっか」
私は瓦礫の奥からケーブルを引っ張りあげる。
「痛っ!」
ガラスの破片が飛び出していた。腕についた赤い傷から、思ったより多くの血が滴った。
先輩があわてて消毒液をかけ、がさつに包帯を巻いてくれる。力任せだが、妙に手際がいい。
「鈍臭いなお前、座ってろ」
私は瓦礫の小山に座って、他にめぼしい収穫がないか周囲を見渡した。自衛隊の補給トラックでも横転してないかな。
「なんかここ、ミアの廃墟MV第9弾に出てきたとこっぽいすね」
「そうか?」
「ほら、こう手を上下に振ってシュールに踊るやつあったじゃないですか、 背景にこういうタイルの瓦礫映ってた気が」
「あー、あの慣れると妙に癖になるやつな。んー、そうだったか?」
「先輩言ったじゃないすか、ミアが心配ならいる場所のヒント探せって」
「微妙に俺が言ったのと違うし、俺はそんなウェットには言わねえよ。探してんなら、お前がヒント覚えとけば」
先輩は空を見やった。曇り空越しの朝焼けの中に、数台のドローンが周回しているのが見えた。
「そろそろ明るくなってきた。カメラに映るとやっかいだ。……でも、こっちにまるで気付いてないな」
先輩はノートPCを開き、「ファイヤーウォールが」「チャンス」「これだと痕跡残るか」「デプローイ」とか何とかぶつぶつと言ったかと思うと、高速タイピングを始めた。ぱっと見ヤバい人だった。こういうときの先輩の目は、ただでさえ細い目が、もっと鋭くなる。
帰り道、先輩はドローンの軌道らしきものが映る画面をチェックしながら、ときどき足を止めたり、わざと変な路地を選んだりした。標識が全部破壊されているうえ、ドローンにもそうやって気をつけたりするから、シェルターに帰るのは一苦労だった。
◇
「じゃあ次の質問! そら民ネーム『先輩の後輩』さんから。
『ずばり、どこにいるんですか? トーホク内ですよね?』
んー……たぶんトーホクではるけど。実はしょっちゅう移動してるんだよね。前にさ、ドローンに顔とか身体とか学習されちゃったみたいで、追われるから場所変えてんの。
というわけで、今いるここ、どこ? あははは。
まあ、ドローン追いかけられたときちょっと足くじいちゃったんで、しばらくはここで休むつもり。『大丈夫?』ってチャットいっぱい来てるね、ありがと。ぶっちゃけ痛いけど大丈夫!
配信は休まないよ、視聴者増えてるしね。こんな世界なのにすごくね?
じゃあ次の質問に行ってみあ〜!」
◇
「ほんとミアって突き抜けてるよな」
先輩がぽつりと言った。
「いい意味で、ですよね」
私と先輩はいつものようにPCを開いていた。PCの蓋にあるリンゴのマークには焦げた跡があって、それがまるで焼きリンゴみたいに見える。
「ミアちゃんに薬、あげられないかな。あの痛み止め効いたっすよ」
私は、ほとんど治った右腕の傷跡をさすりながら言う。
「ここ数日、なんか顔色わるいような気がするんすよ」
「なんで2Dアバターで顔色がわかるんだよ」
「私には分かるっす、先輩。毎日観てる私には分かるっす」
「相手が見せてないものまで見ようとするな。先輩からのアドバイスだ」
◇
「こんにみあ〜!!!
今日も楽しく絶望してる?
ゴホッ……実は、ちょっと風邪? ひいちゃったかも?
え、『ミアは風邪ひかないはず』? おい、ナチュラルにディスるのやめろ。あはは。
ちょっと熱あるっぽいけど、まあ平気。 『何度?』、体温計ないんだよね……ゴホッゴホッ。
あ、いまのマジ、振りとかじゃない、あははは、ごめ、
ゴホッ…あっ!」
◇
画面が大きく揺れ、画像合成のアルゴリズムが外れた、
一瞬、カメラを止めようとする細い指が映った。私は、そういう指をシェルターで亡くなる前の人たちの寝床で見てきた。
「先輩、ミア、やばくないっすか」
私は、PCを見ながら落ち着かない声を出した。
「……本人が風邪っていってんだから、風邪だろ」
「怪我もしてるんすよ。いる場所がわかれば、薬渡せるのに。こないだの『遠征』で見たのとか、映像とか、ヒントになる気がするんすよ」
「行ってどうすんだ。相手は身バレしたくないんだろ?
「薬置いてすぐ帰ってくればいいじゃん」
「……はっきり言うぞ、危ないんだよ。『遠征』にいくとき、どれだけ慎重にやってると思ってんだ。ドローンに学習されたらシャレになんねえぞ」
「…………」
「お前、家族探したいって言って遠くへ出てって、帰ってきた奴いねーの知ってんだろ。勝手に行くのだけはやめろ」
「……でも私は、V豚だから」
そう私が言うと、先輩が基盤をいじる手を止めた。
「――配信聞けなくなるの嫌なんですよ。私は探しますよ、ミアのいる場所」
「おせっかいだと、こういう世界は生きにくいぞ」
先輩は背中を向けて、電源室の方に向かった。
私は顔をしかめて、その背中に向けて、ぶーと鳴いた。
◇
「次のチャットは……え、『薬渡したい』?
……でもここがどこか分からんしなあ。あはは。ありがとう…………気持ちだけで嬉しいよ。
いい子はあんまり遠くまで出歩かないように! お姉さんとの約束だ。
――今日は短くてごめんね、チャンネル登録・高評価よろみあー!」
◇
とにかく、やれることをやるしかない。
私は、配信アーカイブを見直した。タイルだとか横断歩道だとか路面表示だとかグラフィティだとか、『ヒント』らしきものを紙に書き出す。そこに、『遠征』で見た情報も加える。
先輩は、全然手伝ってくれなかった。顔合わせづらいのか、どこかに引きこもったままだ。いい歳して子供なのだ。あのくそナード。
それでも私は、数少ない手がかりを、関係性や時系列で並べて仮説を組み立てていった。
ようやく、ミアいそうな場所が、シラカワ市を中心とした半径50kmほどに絞られてきた。
だが、夜を数十日使っても回りきれない広さだ。
決め手が足りない。早くしないと。
頭が知恵熱でふらふらする。私の(結果として)中卒の頭脳では限界だ。
すげー悔しいが、奴に頼むしかない。
先輩を探してシェルターを進んでいたら、ばーん!という爆発音が配電室の奥からした。
のぞいてみると、なんと先輩がドローンの残骸らしきものをいじっている。
「ちょっ!! 先輩、なにしてるんですか!?」
「ちっ、もう来たのか……まぁいい、ちょうどわかったとこだ」
先輩は、ドローンから抜き取ったらしいメモリチップを見せびらかす。
「ドローンをおびき寄せて捕獲した」
「……は?」
「ほんとはガバナンスAIの層まで入り込んで、ここら一帯のドローン全部止めたかったんだがな」
「じゃあ『遠征』でドローンにガチャガチャやってたのは」
「あのときバッグドアから仕込んだプログラムが作動してくれた……けど、くそ、リアルタイムであいつらデバッグしやがった。一台だけガバナンスAIのネットワークから切り離して、このビル入口に引き寄せるので精一杯だった」
「ってことは、ミアの」
「足取りが分かる」
「……!」
先輩は軽く顎をしゃくる。
「ドローンたちが『ミアの中の人』を学習して、共有して追跡してるのは分かってた。
なら、そのログを逆手にとればいい。予想通りメモリチップには、どのドローンがいつどこで対象を認識したかのログがあった」
私とは別ルートで、先輩はミアを探そうとしていたのだ。
「お前が多少ヒントを見つけてくれていたから、『中の人』のIDはすぐ推測できた。それを辿る形で最終的な移動先も割り出せそうだ」
「スーパーハカー!」
「まあ、無理やりドローンからチップ取り出そうとしたら本体に自爆されけどな、はは」
そう言って、先輩はさらにチリチリになった髪をつまんだ。
「解決策が浮かんだのにコード書かないのはクソだからな」
「先輩……やっぱり心配してくれてたんですね」
「そういうのいいから、メモリを解析するの手伝えよ」
先輩は、私の肩をグーで叩いた。私は苦笑しながらも、めちゃくちゃ嬉しかった。
私たちは、空名ミアの歌を作業用BGMにして、メモリの解析作業と作戦会議をした。先輩がPCでログをデコードし、私が古い解析情報をマッピングしていく。
気づくと地上では朝になってる時間だった。
「なんか、青春っぽいですね」
ふと私が言うと、先輩は手を止めて鼻で笑う。
「お前はこんなのでいいのか青春」
「高校は半年しか行けなかったっすからね。
『あれ』が起こったせいで……。
こういう文化祭の前日みたいの、憧れたんですよ」
「じゃあ、もうずっと青春っぽくていいよ……んなもん続けさせてやる」
「え? 最後、よく聞こえなかった、なんかキモいこと言いました?」
「なんでもねえよ」
◇
「『今日の生配信は休みます(おじぎの絵文字)』」
◇
「共有PCに、空名ミアのブックマーク、入れときましたからね!」
シェルターから出発するとき、それぞれが、ミナトちゃんとゲッコウくんとエドワードとモナじいと、マツダさんまでもが見送ってくれた。ミアへの手紙と、隠し持ってた桃缶と、おしゃれな防弾チョッキと、レトロな方位磁針と、薄く血が残ったハンカチをくれた。
「大丈夫。場所は分かってるから。順調に行けば2日で着く」
先輩は、そう言って、みんなを安心させるようにうなずいた。
ボットが侵入しないように、シャッターはすぐに下ろされた。
◇
「昨日は休んじゃってごめんね!
えー、ちょっと思うところあって、消してた動画、復活させました!
初期の悩み相談とか『謎すぎる謎解き配信』とか……昔恥ずかしくて消したんだけど、いいかなーって思って。
もし、もしもだけど、いきなり生配信が止まったら、しばらくこれ観て時間つぶしてね。え?メンヘラってないって。あはは。まだまだやる気だから!
というわけで今日は 『復活メドレー』と題して、昔の動画からダイジェスト流しながら雑談するよ。まずは 廃墟MVの第3弾かな。これ撮ったとき、ナノヒューマノイドにロックオンされて泣きそうになったけど、逃げながら踊り切った自分を褒めたい! ははは、いま考えると頭おかしいよね……ま、いいか……ゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホ、やば。ちょっと咳止まんないごめゴホ、いったん休憩……(マイクがミュートになる)……じゃあ気を取り直してダイジェストいってみよー!」
◇
シャッターが閉まった瞬間、汚れた空気が鼻を刺激した。ここから先は、何も守ってくれない。
「さて、行きますか。先輩、準備いいすか?」
「おう、ドローンの航路予測出す。お前こそマップは頭に入ってるよな」
先輩がタブレットを叩く。夜の地上は黒々として、雲越しの月明かりに照らされて大きなビルの残骸が威圧してくる。
闇に目が慣れてくると、遠くにドローンが浮かんでいるのが見えた。胸がぎゅっとなるが、進むのだ。
なんとしてもミアに薬を届ける。私は、先輩と相談し、痛み止めや風邪薬、インフルエンザや肺炎の特効薬のほかにも――思い当たる薬を多めに持ってきていた。
あらゆる看板や標識はぶっ壊れていて何も読めない。
「ここは遠回りする。ドローンが集中巡回してるから」
「了解っす」
私たちは、今までの『遠征』でも行ったことのないエリアへと踏み込んだ。
行かなかった理由ははっきりしていて、危険地域だと分かってるからだ。ボットがうようよいる。でも短期間でミアまでたどり着くには、このエリアを通るしかなかった。
突如、金属的な羽音が大きくなった。先輩が「伏せろ!」と合図を送る。私たちは慌てて車の残骸の下に潜り込んだ。
上空にはおかしな動きをするドローンが飛んでいる。まるでオカルト番組のUFOみたいに上下左右に不規則に動いては、思い出したように地上を爆撃していた。
「あんなタイプ見たことないぞ……?」
汗ばんだ先輩がタブレットを叩く。
「バグってるんすかね」
「そうみたいだな。あれ何するかわかんねえぞ……くそ……ジャミングボットのせいか裏から入れねえ」
瓦礫の山を旋回したドローンは、いきなり速度を挙げてこっちに向かってきた。私と先輩は声を揃える。
「「やべえ!」」
ドローンはガクガクしながら低空に降り、なにか砲門らしきものをこっちに向けている。
「まずい!」 先輩が叫ぶ。私たちは車の下から這い出て、路地裏へ一気に駆けだした。背後で破裂音が響き、アスファルトがめくれるような爆風が広がる。
「があっ」「ううっ」
破片が飛んできて、肩をかすめた。先輩は、爆風に背中を向け、私を隠すようにしていた。彼が着ていたおしゃれな防弾チョッキは、傷だらけになっていた。
「……大丈夫すか」
「なんとかな」
先輩は脇道へ滑り込み、私も遅れないように着いていく。地面がでこぼこで転びそうだ。
「くそ、バグってるから予測役に立たねえ」
「先輩、走って!」
後方でモーター音が暴れるように唸って、乱れ撃ちをはじめた。
何かが引火したのか激しい爆風が起こって、一瞬あとで爆発音が響いた。
私と先輩は思わず抱き合いながら、焦げた電柱の影に伏せる。砂埃で息ができない。
数秒後、モーター音は遠ざかっていった。別の対象を見つけたのか、それとも本格的に制御不能で去ったのか――私と先輩は息を切らしながら顔を見合わせる。
「ぜえ……ぜえ……マジ死ぬかと思ったすね。おい、いつまで抱きしめてんですか」
「アホ。薬、吹き飛んだりしてないか?」
「大丈夫っす、大事なんで」
そう言って私はバッグをぎゅっとした。先輩もケガはなさそうだ。やばい、こんな調子で無事にミアに辿り着けるのか?
「先は長いですよね……」
「近道したかったけどダメだな。大通りを回避しよう。無人戦車までいたらシャレにならん」
私たちはドローンの気配が遠ざかrのを待ち、瓦礫を踏みしめ細い路地を慎重に進む。あたりには爆煙が漂っていた。
崩れた壁に誰かが何かをペンキで書いた跡があるーー家族へのメッセージなのか、危険地域の注意なのかーーけれど、文字は爆破されて判読不能だった。
「徹底的に壊してますね」
「ほんと地理がわかんねえんだよな」
「先輩がパクったログと方位磁針が頼りっすよ」
「ああ、死なねえようにいくぞ」
◇
「『ミアちゃん生きてたか!』って、失礼な! ちゃんと生きてるよ、 拍手ありがとね。うん、まだ頑張れる!
えっと、今日は軽く雑談。足とか咳とかあと……色々治りきってなくてさ。
『いいから休め』ってコメント多いね。ありがとう。でも止まるのって怖いんだよね。この世界で、一緒に笑ってる時間が途切れると、一気に何もかもどうでもよくなりそうで……あ、ごめん、ちょっと重い?
そう、この世界、正直辛いこといっぱいあるよね。あった。
でもさ、そういうことから逃げるのも悪くないよ。
逃げるから、狂った世界で狂わずにいられると思うんだよね。
バカやってるときは、暗い現実を忘れられるじゃん?そのあいだにエネルギーが、ちょっと復活するじゃん?だったら、少し寄り道して、ふざけた時間作ったりするのもアリだよね。この配信みたいに。
“バカみたい”が、本当にバカになんないために大事なんだと思うな。
人には、逃げながら立ち向かう方法があると思うんだよね。
あたしはみんなと一緒に逃げれる『ここ』があるから、また戦おうって気になれるんだよね…………あー、これあんまり正面から言うもんじゃないのかもね。まあいっか!
――じゃあ今日はそんなに長く喋れないから、このへんで。
……え、何そのチャット。照れること言うなって。あはは。ありがとう。
みんなも生きろよ! ばいみあ~~!」
◇
次の日中は瓦礫の影でやり過ごした。耳にこびりついたドローンの羽音が、浅い眠りの中でもずっと響いていた。
夜になってから、私たちは廃墟や更地や山火事のあとの中をひたすらに移動し続けた。
幸い隊列型のドローン巡回はうまく回避でき、ほかのボットとも正面から遭遇せずに済んだ。
ときどき先輩がタブレットを起動するが、四方から危険が迫る状況ではチラ見するだけだ。バッテリー残量も少なくなっている。最終的に、わたしたちは方位磁針を信じることにした。
「うし、ここから先は崩落地帯だな。これ越えれば目標のシラカワ郊外に出るはずだ」
先輩が肩で息をしながら確認した。私たちはゲッコウくんからもらった桃缶の残りを食べ、糖分を補給した。
瓦礫だらけで道とは呼べない道を、黙々と歩き続ける。私は先輩の指先をそっと握ってみた。一瞬驚いた先輩が、うつむいて指を握り直した。
やがて、タブレットから顔を上げた先輩が、私を見てうなずいた。
灰色からにじむ朝焼けが、目的の廃屋を照らしていた。
◇
「こんにみあ〜!…………コメント、いっぱいありがとう。あとで全部読む。
今日は声だけね……まあこういう日もあるってことでっ、…………ガッ、ゴホッ、う、うう………………………………………………………………………………………………」「ミアさん!!!!!!!」
◇
私は廃屋へ飛び込みながら叫んでいた。
そこには、床に倒れ込むように横たわった中年女性がいた。痩せこけた体に、ぼろぼろのシャツ。すぐそばでヘッドマウントディスプレイが、床に転がっている。
「……ごほ……っ。誰……」
咳き込む彼女を、先輩があわてて支える。私はバッグをまさぐり、『汎用的』だと確認しておいた痛み止めと抗生物質を取り出して、水と一緒に飲ませた。
「大丈夫、飲んでください。少しはマシになるはず」
彼女は弱々しく身を起こそうとするが、震えてすぐバランスを崩す。
「……誰……ありがとう……配信……途中で……ああ……」
目がとろんとしている。先輩が廃屋の周囲を警戒しつつ、ぎしぎし言うドアを閉めた。彼女は朦朧としているが、薬が回り始めたのか、すぐに眠りに落ちていった。
それからしばらく、私たちは廃屋の中を片づけて、できる限り清潔な環境を整えた。彼女が倒れ込んでいた隣に、発電装置や名前の知らない機材が雑然と散らばっていた。ガタガタの机の上には、配信中に使っていたらしいPC。
「……いったん眠ってくれてよかったですね」
私は手持ちの毛布を彼女にかけながら言う。
先輩は、唇を噛んで小さくうなずいた。
「かなり限界だったんだろうな。この人が『中の人」か」
「……あの状態で、ここまで続けるなんて」
私と先輩は廃屋の窓から外をうかがい、ドローンの巡回を交互に警戒した。
数時間後、彼女は微かな声とともにまぶたを開いた。
まだ視線が定まらないようだが、吐息はさっきより落ち着いている。
上身体を起こそうとするのを、私と先輩があわてて両側から支えた。
「……あなたたちは……?」
「私たちは、あなたの配信を観てたんです……ずっと元気もらってて。でも、あなたが危なそうに見えたから……」
私がそう言うと、彼女は目を大きく見開いた。
「ミア……の視聴者?……まさか来る人がいるなんて……」
「はい……痛みはどうですか?」
「うん……だいぶ楽になった。薬、飲ませてくれたんだね。ありがとう……でも、うつるかもしれない。近くに来ない方がーー」
そう言いながら、彼女は自分の汚れた服を気にするように胸元を押さえる。
先輩は彼女の言葉を遮るように首を振った。
「大丈夫です、空気や飛沫からは、うつりません。調べました」
先輩は、彼女が寝ているうち病気の分析を終えていた。予想通り、『あれ』が起こったときに某国研究所から広がった、傷口から感染する重い病だった。
彼女の表情には、少しだけ安堵が浮かんでいた。
先輩がちらりと私を見る。何か言いたげだ。私は言葉にならないまま彼女を見た。彼女が意を決したように弱々しく笑った。
「……もうバレてるよね。『VTuber空名ミア』は、本当はこんなオバサンでしたーって……悪い冗談だよね」
「そんなことないっ」
「驚いたでしょ……うん、いいの……あたし、本当は『空名ミア』なんてキャラじゃない。モリタサトコ……ただの痛い中年女」
彼女は私の渡した栄養補給のゼリーを、申し訳なさそうにひと口ずつゆっくりと口にする。少し体力が戻ってきたのか、声にわずかながら強さが宿った。
「ありがとうございます。あなたに、それを言いたかった」
「ありがとう。何から話せばいいかな……
あたしには弟がいたんだ……弟はVTuberが好きでね。
特に好きだったのが、駆け出しの空名ミアってVTuber」
「『あれ』が起こったとき、家族みんな行方不明になって……弟も、父も、母も、まだどこかで生きてるって信じて探した。でも探しても探しても、誰も見つからなかった。
壁に書いた家族の名前は、すぐにドローンが壊してた」
彼女の声が少し掠れる。先輩が息を呑む。私は言葉を挟まず耳を傾ける。
「弟のSNSを何度も見直すうちに、弟の好きだったVTuberのチャンネルを見つけた。世界が壊れてからそのチャンネルは更新が止まってた。
最初はおかしくなった頭で考えた思いつきだった。
ライブ2Dモデルと声の設定……それを、ハッキングで引っ張ってきたの。
そんなに難しくなかった。ワールワイドウェブ最後の頃で、いろんなセキュリティがぐちゃぐちゃに崩壊してたから、三流プログラマーの私でも‥…」
彼女は、自嘲気味に笑う。
「そうやってキャラデータを手に入れて、勝手に『中の人』を継いだ。
いつか弟が気づいてチャットくれるんじゃないかって……バカみたいでしょ?」
「そんなことないです」
私が思わず言葉を返すと、彼女はうつむき苦しそうに眉を寄せた。
「……ずっと、‘弟がまたチャットしてくれるかも’ って思って、弟の好きな歌を歌ったり、ゲームをやったりしてみた。でも、いくら続けたって、チャットは来なかった……
ほんとははじめからわかってたの。あの子はもう……きっと……」
先輩がそっと尋ねる。
「ほかに弟さんの手がかりは……」
彼女は首を振り、涙を浮かべたまま言葉を呑み込む。もう、事実を受け止めている。「正直、配信なんかやめようと思った。馬鹿馬鹿しいって。……2、3日やめてみた」
「でもね、そうすると、待ってる人たちがいるのがわかった。 『生きる理由だ』 とか 『この世界で唯一の楽しみだ』とか……言ってくれる人がいて。最初は、何言ってるんだろうと思った。でも、そういうチャットを笑うことが、どうしてもできなかった……だから、誰かのために続けたいって思うようになった」
彼女は咳き込んで苦しそうに胸を押さえる。私がそっと背をさすると、彼女はゆっくりと息を整えた。
「ミアさんの配信を、私たちはずっと見てました。元気が欲しいときにコメントしたり、企画に笑ったりして……だから、何とか助けたいと思って」
私が伝えると、彼女――モリタさんは申し訳なさそうに目を伏せる。
「……元気に見せたかったんだ。あのVTuber姿なら、みんなが笑ってくれるから」
彼女の声は弱々しいが、覚悟の響きがした。
「こんな身体でも配信が止まるのが嫌だった。死ぬまで空名ミアを演じようと思ったの。でもボロボロで薬もないし、食糧もほとんどなくて……どのみち限界だった」
「間に合ってよかった。助けになれてよかった」
「……ありがとうね。本当に……あたしは、ここで死ぬつもりだったから。あなたたちが来てくれて、少しだけ……希望ができた」
私はそっとモリタさんの手を握る。あたたかい。だけど、先輩の横目が語っている。――この人の寿命はもう長くない。薬がある程度効いても、根本的な治療はできない。
「私たちこそ、配信に救われてたんです。だからこうやって、お礼を言えてよかった……」
「うん。しばらく眠りたい……もうちょっとだけ、やりたいことがある」
彼女の目線が、転がったヘッドセットを捉える。
見つめる先輩の表情からは、いつもの皮肉っぽさは消えていた。
彼女はもう一度薬を飲んで静かに眠りにつた。深い呼吸。少しは安堵したのだろう。私はその寝顔を見つめながら、配信で元気そうに笑っていたミアの姿とのギャップに胸が痛くなった。
私と先輩は廃屋の窓の隙間から外をうかがい、ドローン巡回を交代で寝てチェックする。
◇
私と先輩は廃屋にとどまり、モリタさんを看病した。
容態は一進一退を繰り返したが、特効薬には程遠いその付け焼き刃の薬では病魔の勢いを覆せず、顔からは赤みが失われていった。
一度、彼女は短い配信を試みようとした。
だが、弱りきった声はボイスチェンジャーも隠すことができなかった。
彼女は静かにマイクを切り、「今日は休みます」の画面を出すことを選んだ。
起きあがろうとした彼女が、もう難しいことを自分で悟ると、彼女は瞳を潤ませて笑った。
「あのアカウントのIDとパスワードをあなたに渡したい」
「……」
「最初のモデルや声データも全部そのPCに入ってる。IDとパスで入れるから……」
書き留めたIDとパスワードを読み上げると、モリタさんはわずかに顔をほころばせた。
私は静かに言った。
「空名ミアは、あなたと出会えて、幸せだったと思います」
やがて、彼女の目がぼんやりと中空をさまよいはじめた。
「弟の……好きだった歌、たくさん歌ったの……もう届かないのに……」
「私もあの歌に何度も励まされました」
わたしは、先輩と作業用BGMにした夜のことを思い出していた。「本当、ありがとうございました」
彼女の呼吸が浅くなる。彼女は、ふらつく手で、ゴーグルを私に握らせた。
持ち上がらない分を、先輩が静かに支えた。
「お願い…… 『空名ミア』を…………」
私は強くうなずき、手をしっかり握った。
その手からすべての力は抜けていったのは、少しあとのことだった。
薄闇の廃屋の中、横たわる彼女を前に、私と先輩はしばし黙祷を捧げる。
外ではドローンの羽音が響いていた。
こうして『あれ』から何億人が消えたのだろう。
何億人が、こんなふうに後悔を残したのだろう。
先輩が細い目をさらに細めて「やんだよな?」と声をかけた。
私はゴーグルを抱きしめながら、うなずいた。
「誰より私が『空名ミア』をわかってますもん。あのイかれた明るさ」
先輩は乾いた笑みを浮かべた。
「慰めでもいいじゃねーか。やろうぜ」
私は先輩の肩をグーで叩いた。
「もちろん手伝ってくれますよね?」
◇
「こんにみあ~~!!!!!!!!!
今日もみんな、楽しく絶望してる?
んじゃ、今日は『おいしい缶詰クッキング』やってみよっか〜!!!」
◇
画面に映るのは、変わらずピンクのツインテールの2Dアバターがはしゃぐ姿。
古参も最近加わった視聴者も、チャット欄で「ミアちゃん完全復活!」「マジ良かった」「マジ天使」「おれもまだ生きてるぞ」と盛り上がっている。
先輩が地下シェルターの片隅で小さくつぶやく。
「さまになってきたじゃねーか」
画面の中の2Dモデルがかわいらしく微笑み、ツインテールが愛らしく揺れる
。
私の身につけたゴーグルは重くて、あたたかい。
VTuberの中の人を、いつしか誰かが、「魂」と呼ぶようになった。
世界がこんなふうになる、ずっと前のことだ。
私は、その呼び方が、なんだかとても好きだ。
この世界が、あとどれだけ続くかは分からない。
でもわたしはずっと、空名ミアの魂を背負う。
バカみたいな企画で、ふざけた雑談で、誰かが笑えるなら。
誰かが、逃げながら戦えるなら。
終わっていく世界に、今日も『空名ミア』の声がこだまする。
猛烈な勢いで流れるチャット欄に、1億円のスパチャが届いた。
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