梗 概
滄溟
大地の大半が海に沈んだ遠未来の地球。人類の生活の拠点は築島された浮島に制限され、わずかに残った資源をやりくりしながら社会を存続させていた。
ある日、青年は蚤の市で円盤状の記憶媒体を見つける。それは、かつて土壌時代と呼ばれた時代に生産されたものだった。こうした骨董品は大半の住人にとっては無関心だが、一部の愛好者には垂涎の的だ。青年は普段なら手に取らないが、店主の巧妙な口車に乗せられ、つい購入してしまった。
数ヶ月後、外海から使節団を乗せた大型船が入港した。そこに同乗している学者が考古学調査のために記録媒体の提供を求めているという噂を耳にする。解析可能なものなら高値で買い取るらしい。購入していたことをすっかり忘れていた青年は、自宅で埃をかぶっていた円盤を携え、学者のもとへ向かう。
持参した媒体を見るなり学者は専門用語を交え熱弁をふるう。青年は辟易し、嘘の用事を伝えて立ち去ろうとするが、学者は解析データをぜひ一緒に観てくださいと強引に引き留めた。その押しの強さに抗いきれず青年は渋々応じる。案内された視聴覚室には、液晶モニターやプレーヤーといった土壌時代の機器が設えられていた。
最初に再生されたのは、過去の都市の何気ない映像や会話の断片だった。しかし、それは次第に『映像を見ている』のではなく、『そこにいる』感覚へと変わっていく。まるで自分がその時代に生きていたかのように。皮膚の感覚や匂いまで伴いはじめた。
浮島の建物に過去の情景が重なる。知らないはずの言葉が口をつく。浮島の食事が味気なく感じる。青年は異変を自覚するが、友人たちに相談しても考えすぎだと一笑に付された。しかし、症状はおさまるどころか悪化していくばかりだった。青年は藁にもすがる思いで学者を問い詰める。すると、学者は静かに微笑み、こう説明した。
かつて文明が土の上にあった頃、人類は来たるべき変動に備え、ある実験を行った。未来が荒廃しても過去の文化や知識を継承できるよう、特定の人間の遺伝情報に『記憶の再現機能』を埋め込むというものだ。青年は未来の人間ではなく、土壌時代のある人物を模して作られた存在で、あの映像は青年の中に眠る記憶を呼び覚ますトリガーとして機能する。学者は続けて青年を苛む幻覚は本来の記憶そのもので、過ぎ去った豊穣に対する郷愁と、隆盛の時代はもはや取り戻せないという事実に相克した表象の結果だと分析した。
絶望に暮れる青年に学者は土壌時代はまだ存在していると伝える。それはどこにあるのかと青年は訊ねると、学者は深海だと答えた。土壌時代の終焉とともに失われた知識、文化、そして青年の本当の居場所が海の奥底に保存されている。
翌日、青年の姿は街から消えていた。
住居には何の痕跡もなく、友人たちは彼について語るのをやめた。学者だけが、青年が向かったであろう海を眺めながら、小さく呟く。
「おかえりなさい」
文字数:1197
内容に関するアピール
作中に盛り込んだ主たる「使い古されたアイデア」は「水没」という舞台設定です。気候変動や海面上昇が社会的な関心を集めているので、アイデアとしても汎用だと思います。小説ではJ.G.バラード「沈んだ世界(The Drowned World)」や上田早夕里「華竜の宮」、映像まで視野を広げたら「レミニセンス」や「ウォーターワールド」など多くの先行作品があります。大きな設定のため、物語の中で別の要素を組み合わせたり切り口を変えたりしながら新奇な発想を提示できたらと考えまています。今回は繁栄していた過去という「時間軸とのファーストコンタクト」のような要素を織り交ぜてみました。
補足として、この梗概では物語の構造を書くことに留まりました。物語において焦点人物を青年にするか学者にするか(あるいは不定にするか)そのあたりを悩みながら面白い実作が書けるように詳細を突き詰めたいと思います。
文字数:387