土産バトラーひな子

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梗 概

土産バトラーひな子

 私は鷺宮ひな子、二五歳。明日は初めての出張の日。それはすなわち、土産バトラーとしてデビューするということを意味する。
 土産バトラーとは、出張の際に所属部署に対し、限られた原資でいかに満足される土産を買ってこれるかを競う競技者のことだ。ここで言う土産物とは一口サイズの食品類のことである。しかも配って終わりではない。価格、満足度、土地ならでは感、必要配布数と封入数の差の少なさなどで評価される。この評価によって出世の有無が判断されると言われている。つまりわが社では、上に行けば行くほど強豪の土産バトラーたちと戦わねばならないのだ。
 購入に使える原資にも条件がある。すなわち、会社から出る出張費と実際に出張で負担した金額の差。当社は交通費は実費が支給されるものの、宿泊費は定額で支給される。さらに日当まで出る。つまりいかに安く泊まって差額を出し、日当を足した額で適切なお土産を買って帰るかが問われる。
 他にもルールはたくさんある。複数日程ならより高額な土産が必要だし、出社人数の把握は必須技能ですらある。
 同時に、会社の定める出張規則も厳守する必要がある。もし出張費の清算時に規則違反が判明すれば、出張費そのものが減額されることにも繋がり、バトルにおいては致命的な失点になりかねない。
「鷺宮さん。明日は出張なのだから、定時でお帰りなさい。先方とはオンラインで顔見知りだけど、失礼のないようにね。印をもらう書類も忘れずに」
 部署の大先輩である尾張夫人が声をかけてくれる。
「がんばるのですよ……」
 そう言って自席に戻っていく尾張夫人の背中に向け、私は心の中で礼を言った。

 

 出張は開始された。
 往路の東海道新幹線の中で、私は現地の土産物を検索していた。何度も繰り返した行為だ。目星はつけ、試算も行ってはいる。しかし土産というのは現地で見て初めてわかるものらしい。探し、吟味する時間の確保もまた重要なのだ。
 懸念もあった。最近ホテルの代金が高騰しており、駅近の宿では差額の捻出どころではない。そのため私が予約した宿は、人里離れた怪しげなものとなった。精神力や体力、時間のロスがなければいいのだが。
 先方の会社に到着し、いざ挨拶を交わそうとして問題に気づいた。名刺を忘れてきた。さらに契約書もない。これでは土産バトル以前の問題である。私はデビュー戦に浮かれていたのだ。しかし、尾朝夫人が困ったときにと持たせてくれた花柄の糸閉じ書類袋があることを思いだした。中には私の名刺と予備の契約書があった。私は心の中で感謝した。
 出張の業務部分はこうしてなんとか終了した。
 これからが土産バトラーの戦いである。
 私が幼い頃に、無謀な土産物探しで行方不明になった父。私は土産バトルでのし上がり、私の家庭をどん底に突き落としたこの仕組みに復讐する。
 ホテルの売店に並べられた土産の品々。これを見定めるのが、その第一歩となるのだ。

文字数:1200

内容に関するアピール

 

 出張。それは血で血を洗う行為。
 移動。それは命をすり減らす行い。
 清算。それは己の誠実さの証明。
 その中で、戦士は土地の土産を買って持ち帰らねばならぬ。
休んだのではない。出張に行ってきたのだと、仕事だったのだと示すために。
 これは、未来における恐るべき出張の姿なのだ。

 

文字数:135

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土産バトラーひな子

「行ってきます」
 出社準備を終えた私は、玄関に急ぎながら母に言った。
「今日の帰りは何時くらい? 夕飯は?」
「あ、ごめんなさい。私、今日から明日まで出張なの」
 廊下に置いていた大き目のカバンを持ち上げながら、母に伝え忘れたことを詫びる。
「……出張。そう」
 母が目を伏せた。その理由は私にもわかっている。
 父は十年前の出張中に、いや、土産バトラーとしてお土産探しをしていた際に行方不明になった。穂高岳山中に分け入って、それっきりだったという。
 そして娘の私が出張に行くという。
 母にとって喜ばしいことでないのは理解できた。
「お土産買ってくるね」
「私のお土産なんて考えなくていいから、無理しないでね」
「うん。行ってきます」
 改めてそう言うと、私は玄関を開けて朝日の中に飛び出した。初夏を予感させる強い朝日の中に。

OPテーマ
 未来の展望なんかないし
 世界はせわしなくぐるぐる回ってるし
 どうせなら君とワルツでも踊りたいのに
 空のペットボトルが三日くらいカバンに入ったまま
 今日も会社に行って一日が終わる けれど
 雲よ 嵐よ 天まで届け
 私のお土産受けてみろ
 私の来季のボーナスが いや 世界の平和がかかってる
 土産バトラーひなこ

 私は鷺宮ひな子、二五歳。
 今日は、私が会社に勤めて初めて出張に行く日。
 それはすなわち、土産バトラーとしてデビューするということ。
 土産バトラーにとって、出張から帰った際のお土産が全てを決める。賞与も昇給も昇進も。それが私が勤める弥栄いやさか商事株式会社の社員であるということ。それほど重要な初の出張に、今から挑むのである。
 出張先は茨城県常陸太田市。水戸より北にあり、日立市に隣接している場所である。
 今日は一緒に出張に行く灯櫻子あかりさくらこ先輩と東京駅の銀の鈴で待ち合わせしていた。吐きそうなるほど混雑する総武線内で、灯先輩からメールが届いた。待ち合わせ場所に着いたのかと思ったら、そうではなかった。
『ごめんね。出張に行けなくなりました。咳がひどく感染症の可能性があるからです。リモートでフォローするので、そのまま現地に向かってください』
 メールの文面は灯先輩らしい気遣いがあった。しかし初出張なのに一人でいかなくてはならなくなった。しかたなしに私は一人、常磐特急に乗り込んだ。
 とはいえ、特急電車に乗ってしまえば、二時間余りでトラブルもなく到着した。出張先最寄り駅の常陸太田駅までは迎えの車が来ていた。
 現地の工場に、弊社が大型機械を納品、設置する予定であり、今回の出張は納品予定場所の設置スペースの大きさや配線距離、必要電源、そして接地面の当社確認だった。
 私はおぼつかないながら、測定データや必要箇所の写真を撮り、目視確認をして、先方の担当者さんたちに挨拶をした。灯先輩の遠隔からの助けもあり、これらは特に問題もなく終わった。
 明日も軽い打合せがあるが、問題は土産調達だ。私はとりあえず、担当者さんにアドバイスを求めてみた。
「お土産ですか。弥栄さんのところはその辺大変ですね。……いや、失敬。このあたりだと干し芋が名産なんですが、配るのに向いてないですし。水戸駅の土産物屋で適当なものを見繕った方がいいかと」
 もっともな意見である。ただし、駅の土産物屋で買えるようなものは、事前に調査が済んでいた。
 例えば水戸の梅。各種納豆。笠間パイ饅頭。吉原殿中。納豆味のうまい棒。梅サブレ。アントラーズサブレ。おおみか饅頭。
 しかし、これらはインパクトが弱いか、一長一短がある気がする。バトルに挑むには、まだ一手足りない。
「あれで行くか……」
 私は心に秘めた案を実行に移すことにした。

 出張の翌日の出勤日。いつも通り総武線で川を越え、丸の内にある会社ビルに向かう。
 灯先輩は季節外れのインフルエンザの診断がされたそうで、しばらく出勤できないそうだ。
 私は先輩に、業務連絡と合わせて「今回の出張土産、かなり自信があるんです!」とメールしておいた。『吉報を楽しみにしているわ』という返信がうれしかった。
 私が所属するのは所属は営業部機械販売課大型特機三係。出社して課長と係長に出張完了の報告をすると、同僚からこの二日間の業務連絡を受ける。急ぎのものはない。
 出張報告書の作成を終え、急ぎ出張費の清算手続きを専用システムにて行う。これを怠ると、土産バトラーとして壇上にすら上がれない。
 そして通常業務に移ろうとしていると、課の室内に六人のスーツ姿の人たちが入ってきた。
 これは、当社の人間にとっては見慣れた光景。土産バトル、すなわち土産審査が始まるのである。
 彼らのスタンバイが完了する前に、私は用意した出張土産を課内の一人一人に配り始めた。
 評価を下すのは土産審査委員からランダムに選出された五名。プラス、出張費精算のエキスパート田中さん。彼ら六人が、室内に常設されている土産審査委員会の審査委員席に横一列に並んだ。
 私は審査委員席にも土産を配って歩く。
 今日のうちの課の出勤人数は二十六名。審査委員が六名。土産と同数。まずはポイントの一つはクリアだ。
 そして、私が今回買ってきたのは……干し芋!
「ほう」
「茨城だからといって、納豆関連のものを買ってこなかった点はいい。しかし……」
「確かに干し芋は名産だが」
「茨城なら、吉原殿中などでは?」
「いや、あれは噛み切りにくい」
「問題は、だ。干し芋の大きさにはばらつきがあるし、うなぎパイほどのサイズになる。しかし、これは違う。しかもこんな風に、小袋に分けられたものなど聞いたことはない」
 土産を受け取った委員たちが口々に感想を漏らし始める。だが、委員席の中央に座った総務課の越野課長の咳払いで、委員たちはおしゃべりを止めた。
 そして、ジャッジタイムが始まった!
「では、鷺宮ひな子の土産バトル審査を始める。審査は昭61土審第003号土産審査委員会通知により行われる」
「通知第一条 弥栄商事(以下当社とする)社員が業務出張に行った場合,所属部課局の人員に対し出張土産を持ち帰ることとする。
 第二条 出張土産及びそれに対する審査に係る一切は各社員の自主的な行為とし,社内レクレーションの一つと位置付ける。
 第三条 出張土産を用意する際の費用については,出張における支給額から実使用額を差し引いた金額を上限とする。
 第四条 第一条にある所属部課局の人員の範囲は,出張者が課長級以下の場合は所属課,部長級の場合は部,局長級の場合は局,役員の場合は秘書課及び総務課とする。
 第五条 当該土産は,社内の何人もこれを蔑ろにしてはならない。
 第六条 審査は土産審査委員から選出された五名により行うものとする。なお,必要がある場合は旅費担当部署の職員を加えることができるものとする。
 第七条 審査は,これを受ける社員が所属部課局の人員及び土産審査委員に土産を配り終えたことを持って開始する。
 第八条 選出された審査委員が審査するにあたっては,出張土産の形,大きさ,味,香り,価格,希少さを五感および持ちうる知識によって測り,適正な審査をすることとする。
 第九条 土産バトルの審査結果は,当社人事,管理部局と共有するものとする。
 第十条 土産を破壊された者は失格とする。
以上に則り、審査にかかる!」
 越野課長が開始を宣言し,続いてその隣の営業第三課山口課長が通知内容を読み上げる。会社の規則ではなく社内の自主組織が行っているという体面のためだ。
 審査員たちは一口サイズに個包装された干し芋の封を見つめ、同時に私が配布した資料を手に取っている。
「紅はるかの干し芋……。芋農家兼干し芋業者である大和田農業の直売所から直接購入した、と」
「細切りのものなら見たことはあるが、個包装とは前代未聞だ」
「資料を見るに、細切り加工も封入も彼女自身で行ったようだ」
 審査員たちは私が配った土産物に驚いている。
 干し芋は、北茨城では大袋に入れられたものばかり売られている。なぜか。疑問に思って現地で尋ねたところ、こう回答があった。これで十分売れるのだ、と。生産が間に合わないほどであるらしい。となれば、設備投資が必要な切り分けや個包装などを行う訳がない。私はそこに勝機を見出した。
「同じく資料を見てください。この鷺宮という社員、食品衛生管理者資格を持っているようです」
「味の方は……?」
 資料を読み終わった委員たちは、干し芋のビニール包装を開き、五センチほどの長さのそれを口に入れていく。
「……うまい」
「甘味も歯ごたえも十分。しかも、それなりに満足感がある」
「しかし、これをどう評価するか、だ」
「赤福などのような個包装されていないものと類似では。手間暇をかけているので、そこにはプラス評価をしてもいいが……」
「しかし、評点はそれだけではない。購入金額と加工費、そして出張費支給額と実費額については?」
 出張費清算のエキスパート田中さんは眼鏡の位置を直しながら、審査員全体を見渡した。
「今回の鷺宮さんの出張費ですが……。まず交通費が、定期区間を除いて東京駅から常陸多賀駅までJRの運賃プラス特急料金の往復で、8,440円。それに二日分の日当と一泊分の宿泊料で、それぞれ4,400円と10,300百円。日当と宿泊費は定額支給で、それぞれ一日2,200百円と一泊10,300円。すなわち、今回の出張費の合計支給額は23,140円!」
「土産代使用可能額は?」
「交通費に関しては、片道運賃2,640円は変わらず、常磐特急も東京駅でも上野でも、また水戸駅と常陸多賀駅でも変わらず1,580円です。また、土産金額審査用に提出されたホテル代の領収書は7,200円。宿泊費の支給額との差額は10,300-7,200=3,100円。これに二日分の日当4,400を加えた額、すなわちは、7,500円! これが土産購入に使える額となります」
「提出された干し芋購入代金の領収書に記載された金額は7,200円。金額内に収まっている」
「いいや、まだだ。彼女は自ら個包装を行っている。手数料はなくても包装にかけた消耗品費は計上せねば」
 委員会での話が進みつつある中、スーツ姿の男性がそっと審査委員席に近づき、審査委員にA4のペーパーを手渡した。
「今、評価委員会調査部門から報告が入りました。鷺宮ひな子が包装に使用したのは岩山工業製Hguc‐0084という汎用梱包機器です。専用の包装材1ロール六十メートルの単品購入価格は780円。納品先や購入量によって単価は変動しますが……」
「鷺宮君。梱包機はどうしたのかね? レンタルかい?」
 審査委員の一人が私に尋ねてきた。まさか包装部分に指摘が及ぶとは考えていなかった。
「いえ、家にありました。昔、父が研究用に買ったものだと……」
「そういえば、君は源五郎の娘さんだったな。機械がある理由はわかったが、包装材はどうかな?」
「それは……今回のために購入しました」
「金額は?」
 瞬間的に、体温が下がった気がした。致命的なミスに気づいたからだ。
 しかし、質問は不当なものではない。私はスマートフォンに残るメールの履歴を呼び出し、金額を確認した。
「……780円です。さらに、配送料が200円かかっています」
 つまり、この土産には980円が余計にかかっているのだ。
「今計算してみたが、配送料を含めた包装材の金額は一センチ辺り1円80銭。この干し芋の包装は一個当たり七センチ。すなわち、ひとつ当たり12円60銭の増額となる。今日配布した三十二個であれば、403円20銭。干し芋の領収金額7,200にこれを加え、7,603円20銭。使用可能金額オーバーだ」
「……金額オーバーは、大きいマイナスだな」
「それにだ。そもそもブランドがわかりにくい」
「ひとつ当たりの封入量も個体差が大きい。奇をてらい過ぎだ」
 金額の指摘を皮切りに、次々と辛辣な評価が加わる。
 そして、田中さんを除く審査委員たちが手元の用紙に評価を書き、中央の越野課長がとりまとめる。審査委員たちの各評価が出そろったようだ。
 評価はA~Eにそれぞれ+と-が加わり、十五段階評価で行われる。読み上げられた評価は、Cが二人、C+が一人、B-が二人。評価はこれの平均となる。
「鷺宮ひな子の土産バトル評価、C+。以上」
 C+。それが私の初の土産バトルの結果だった。
 一般的に、駅の売店などで買った土産でも、加点が多ければB-までなら取れるらしい。その中で、工夫を凝らした結果のC+は負けといってよかった。
「C+か。初めてにしては頑張ったんじゃん?」
 私より二期上の越野日出彦がそう声をかけてきた。声には自信とも嘲りともつかない喜色が見て取れる。
 同じ課に所属しているが、彼は大ロットの部品を担当する係ですでにエースと目されている。
「越野さん、先ほどはご不在のようでしたけど……」
「ああ、ごめんごめん。喫煙所に行っててさ。それより、これ! 俺の出張土産」
 渡されたのは長崎は心泉堂のカステラだった。高そうなこれを部署全体に買ってくるには、よほど出張にかかる実費を切り詰める必要があるはずである。
 彼がゆうゆうと歩いていく背を見送りながら、私は自分のデスクに戻った。土産バトルが無残な結果で終わっても、仕事はしなければならない。今回の納品予定機器に関わる社内の技術部署と搬入と据え付けを担当するロジスティック部署への連絡を社内システムに入力していく。
「越野日出彦の土産バトル評価、A! 以上」
 私がキーボードに向かっている間に、越野のバトル審査は終了していた。高級カステラにふさわしい評価であった。
 私はため息をつき、オフィスチェアに座り込んだ。そして先ほど渡された高級カステラを口に運ぶ。それはどこかパサついた味がした。

*

「ごめんなさいね。私が一緒に行っていれば……」
 灯先輩が頭を下げた。インフルエンザによる出勤停止が明けて出勤するなり、私の席に来てくれたのだ。
「いいえ。バトルは個人戦ですから!」
 そうなのだ。普段の土産バトルの様子は話に聞いている。先方での用務が済むと全員別行動をするのが常だという。
 灯先輩は、私より六期も先に入社した大先輩である。その貫禄からかあるいは凝った髪型のためか、一部社員からはお灯婦人と呼ばれているが、私にとっては背が高くモデル体型でハイヒールの音を響かせて歩く憧れの先輩である。
「次の出張は近場だし、私も関わっていない業務だから、また一人だわ。日帰りでね。大丈夫?」
「はい!」
「仕事もそうだけど……日帰り出張は土産バトルの難易度も高いの。無理をしないでね」
「ありがとうございます」
 その日帰り出張は数日後。行先は町田。直行直帰だから、気が楽ではある。
 町田市は東京都であるものの、なぜか周り三方を神奈川県川崎市、横浜市、相模原市に囲まれているせいでへき地扱いされている。
 そして当日。
 しかし私は三浦しおんファンであり、聖地巡礼のために町田に何度も訪れたことがある。自信があった。お土産を買える店だって、当時土産バトラーを志していた私としては当然チェック済みである。
 とはいえ、この街には名産品と言えるものはない。それでもお土産としての条件に合えば十分である。今回は奇をてらうつもりはない。そしてこの街で土産が買える店は数少ない。一軒は市の巨大駐輪場の一階部分にあったが、駅から遠い上に早めに閉まってしまう。もう一軒、駅からすぐの位置に専門店がある。しかし、これが人通りも少ないペストリアンデッキ下にあり、まったく人目に付かない立地である上、五時半閉店という所あった。
 私はこの専門店で購入しようと決めていたが、業務の打ち合わせの後では閉店している恐れが強い。そのため先に購入しておいた。買ったのは単なる小粒の粒桜餅。個包装されているが、賞味期限は短い。一日の日当の範囲内で買える安物。
 仕事である打ち合わせは夜遅くまで続いたものの、問題もなく終了した。
 夜の早い町田では飲み屋以外は閉まっている時間だ。でも、お土産はすでに購入してある。あとは帰るだけ。
 そう思って小田急線に乗ろうとしたのだが、駅は帰宅ラッシュの真っただ中だった。新宿に向かう上り電車は混んでいないだろうと油断していたが、駅構内がひどい混みようだった。
 改札内では帰宅を急ぐ人々が秩序なく足早に歩いていた。その中の一人が私に強くぶつかった。そのとき、お土産の入った紙袋がつぶれる感触がした。私は周りを見回すが、ぶつかった人はすでにどこかに消えていた。
 壁際にあった長椅子に退避し、包装紙を破いて中身を確認した。箱が潰れ、粒桜餅がいくつか潰れていた。これでは配布必要数に足りない。
 明日の土産バトルの開催時刻は、既に通知が来ている。これをずらすことはできない。明日朝に買い直す不可能だった。
 私は考えた末、一つの手立てを考えた。その場で電話をかけると、相手はすぐに応答した。
「あ、真野さん? まだ会社にいる?」
「いるけど……」
 真野さんは納品前の機械の動作チェックを担当する社員だ。私は彼に力を借りる必要があった。

 翌日。
 今日の土産審査委員会は、半期に一度、予告なしで行われる社長が委員に加わるものであった。社長が審査委員となるのであれば、他のメンバーも必然、役員達が居並ぶ。
 審査委員たちはそれぞれ、常盤社長、坂東副社長、大豆生田専務、有本専務、越野総務課課長、そして出張費のエキスパート田中さんだ。
 本日最初の土産バトル、つまり土産審査の対象は当課の越野日出彦だった。総務の越野課長とは別人だが、血縁らしい。その越野日出彦がつい先ほど、バトル開始時刻ギリギリに駆け込んできた。
 汗まみれになり、いつもの自信に満ちた尊大な態度は鳴りを潜めている。むしろ顔色が悪いくらいだった。
 そして私はその訳を知っている。彼は裏バトラーだ。そして裏バトラー達の秘密のひとつが昨日失われた。彼の慌て様はそのせいだろう。
「食い倒れ太郎サブレか。これ、おいしいんだよ」
「ああ。大阪らしさがあっていい。賞味期限も長いし」
 審査委員たちは硬い表情で、口々に褒めている。
 その時、影のような男が、A4の用紙を委員席の端に座る総務課長に手渡した。
「……今、評価委員会調査部門から報告が入りました。土産の数が一つ不足しているそうです」
「あ、違うんです。何かの間違いで」
 越野日出彦はうろたえたように言ったが、課内に配り終わっている以上、足りないことはわかっていただろう。
「残念だが、足りないという点は無視できない。土産という考え方そのものに関わる問題であり、減点せざるを得ない」
 急遽土産を用意しなければならなかった越野日出彦は、機械販売課庶務係の寄田さんが今日から復帰することを見落としたのだろう。数が足りなくなるなんて初歩的な問題の原因など、そう種類はない。
「越野日出彦の土産バトル評価、B!」
 それでも、前回の私の干し芋より評価が二段階も高い。裏バトラーを役員たちが特別評価している、という疑念が私の中で大きくなってくる。そして灯先輩が昨夜語った話が頭の中で大きく反響していた。

 昨日、お土産の一部を損なった私は、本社技術部の真野さんを訪ねた。
 多くの社員が帰宅してしまっている遅い時間であるが、真野さんは一人残ってくれていた。
「急にどうしたんだい」
「あの、もうすぐ常陸太田に納品する高密度多色成形3Dプリンタのチェックをしてると思うんだけど……」
「うん。うちの社では先方の仕様に沿った細かい部分だけね。って知ってるか」
「ええ。それで、私にも3Dプリンタと立体スキャナーを使わせてほしいの」
 私は言葉と共に、一部が潰れた粒桜餅の箱を取り出して見せた。
「これって土産バトル用のお土産だよね。……まさか、鷺宮さん」
「そう。潰れて足りなくなった分を3Dプリンタで作成します」
「いやいや! これ、食品用のプリンタじゃないからね! 材料はポリプロピレンだから!」
 真野さんの言葉は、私も先刻承知の話だ。だがその慌てぶりも理解できる。弥栄商事に勤める人間は、土産バトルの重要性を知っているのだから。
「……審査委員に渡る分が無事なら、数個程度外見のみの偽物でもなんとかなるはず!」
「作るのは可能だろうが……。まあそう急がずに。君が来ることを知って、待ってた人がいるんだ」
「私のことを誰かに話したんですか!?」
「安心して頂戴。聞いたのは私だけよ」
 技術部内に、私たち以外の声が響いた。聞き覚えのある澄んだ声。
「灯先輩!」
「ごきげんよう。鷺宮さん。さっそくだけど、ご一緒願えるかしら?」
 突然現れた灯先輩は、消灯された廊下を進んで行ってしまった。慌てて追うと、中央エレベータに乗って待ってくれていた。
「一体どうしたんです」
「あなたに見せたいものがあるのよ」
 エレベータに乗り込んだ私に先輩はそう告げると、操作ボタンの下の制御パネルを開き、そこになんらかのカードを差し込んだ。エレベータは降り始め、表示にある一番下のB3階を過ぎても降下を続ける。
 そして表示されていない、地下階らしきところで扉が開いた。
 扉の先は、照明が落とされたオフィスの廊下然としたところだった。暗いせいか、変わったところは見つけられない。しかし、エレベータでの下降感を信じれば、ここは見知らぬ地下階のはずだ。
「こんな場所があったなんて」
「この階は、会社の経営層を含む裏土産バトラー専用ですからね」
「裏バトラー? なんですか、それ?」
 裏土産バトラーなんて不吉な響きだが、ここに来れるということは、先輩も裏バトラーということになってしまうではないか。
「よく見てごらんなさい」
 灯先輩が示した先ほどのカードは、白髪頭の男性の写真が載った社員証だった。
「これはある役員のものです。といっても名ばかりで、ほとんど出社してきませんが。この間、自宅のパソコンを設定してくれと呼び出された折に、隙を見て失敬してまいりました」
「そんなことまでやらされるんですか、この会社は」
「ええ。しかもセクハラまでしようとするのです。仕方なく小指を逆に折り曲げて、逃げてまいりましたの」
 私は壮絶な話を聞き、その恐ろしさに身が震えた。それと同時に、灯先輩の強さに感激もしていた。
「さあ、ここです」
 金属製両開扉の電子セキュリティにその役員の社員証を通すと、赤く光っていたLEDが色を緑に変えた。
 先輩が扉をゆっくりと開く。その途端、急激に冷たい空気が襲ってきた。中は保冷庫になっているらしい。中に踏み入ると、緊急脱出用なのか、近くの壁に赤く塗られた手斧まで備わっていた。
 照明は赤く天井が高い。まるで倉庫か図書館の地下書庫のように棚が続いている。
 入り口近くにはPCが二台。一台には妙な形のプリンターが複数台繋がれていた。よく見るとプリンターには製造年月日用のシールがセットされていた。
「ここはいったいなんなんですか?」」
「裏バトラー達のための、土産物保管庫ですわ。全国の名産や珍しい高級菓子などが未開封のまま保存されています」
「……そんな。一体なんのために」
「もちろん、土産バトルのため。出張時に頑張って現地でお土産を探すより、ここから持ち出す方が効率的だし、確実にいいお土産を手に入れられます。そう、例えば越野日出彦君も、裏バトラーですよ」
 確かに彼のお土産はパサついていた。
 しかし、裏バトラーというものがなぜそこまでするのかが理解できなかった。土産バトルそのものの否定ではないか。
「言いたいことはわかりますわ。だからこそ裏バトラーなのですよ、こんな場所を利用するのは。結社を組み、上層部と通じて土産バトルで結果を出す。そして出世を手に入れる」
「それじゃ、私が、会社のみんなが今までやってきたことは……」
 そんなの、あんまりじゃないか。
 無意味な土産バトルのために行方不明になった父さんは。その父さんを探すために弥栄商事に入社までした私は。
 いつの間にか、私の頬を涙が伝っていた。
「こんなものが知れ渡れば、役員や管理職の立場も社員の士気も、会社の今後も危うくなるでしょう。だからこそ、こんな地下深くのセキュリティに守られた部屋で守っているのです」
「先輩。どうして私にこんなことを教えたんですか?」
「私は、この弥栄商事を健全なものにしたいのですわ。そして楽しく憂いのない土産バトルをしたい。そのためにはまず、裏土産バトラー達をどうにかするべきだと思ったの」
「まず、ですか」
「お土産の本質ってなにかしら?」
「……報告と、挨拶。こんな地域に行ってきましたよっていう」
「……そして、勝負? それが土産バトラーだもの」
 確かに、改めて考えると異様かもしれない。しかし、この会社の出張土産であれば、私の答えこそ本質のはずだ。
「でもね。お土産って本当にそんなものなのかしら? 誰かに受け取って欲しくて、その人を想って用意するものではなくて? それが土産バトルみたいに歪められてしまうというのは、ディストピアではないかと思うの。ディストピア社会ならぬ、ディストピア会社ね」
 そう言って、灯先輩は悲し気に微笑んだ。
「私が目指すのは、土産審査委員会の介在しない、土産バトラー同士の純粋なバトル。その一歩として、ひな子さんには裏土産バトラーに対抗する同士になってもらおうと思ったの」
 私は続く言葉が出なかった。灯先輩の志と、それを語る美しい横顔に魅せられていたから。
「それに、今日という日はタイミング的にも面白いのです。明日は、土産審査委員のメンバーに社長が入る日だから」
「どうして先輩がそれを知っているんです? 土産審査委員は非公開。しかも社長が審査に加わるのは半期に一度」
「役員のアカウントなら審査委員のスケジュールだってわかるのです。いえ、裏バトラーにはそれが公開されている。だから彼らは、審査委員の好みの土産を用意することもできるの」
 社長が土産審査委員として審査に来るのなら、父の行方について直に問うこともできると一瞬考えた。しかし役員たちが裏と繋がっているというのなら、正面から尋ねたところで教えてくれるはずもない。社員が土産バトルに関連して行方不明になったという、会社にとっても土産審査委員会にとっても明かしたくないことなのだから。
 だとすれば、私が今やるべきは。
 灯先輩の言う通り、裏土産バトラー達を倒さねば。
「闘志が出てきたようですね。明日は、私とひな子さんにも土産バトルがあります。それに裏バトラーの越野君も。彼はこの部屋のような絡繰りを利用するでしょうから、今は負けても恥ではありません」
「いいえ!」
 その前にやれることがある。
 私は決意と共に、緊急脱出用の手斧が収まった壁のアクリル板を叩き破った。
「なるほど。ひな子さん、やる気ですわね?」
「……はい!」
「ここが会社公式の施設ではなくても、無茶をすればタダでは済まないですわよ」
「私、土産バトラーになるために、土産バトラーになって父を探すためにこの会社に入りました。出世するためでも社内でうまくやっていくためでもない。こんな場所は、あっちゃいけないんです」
 私はその手斧で、灯先輩は部屋の片隅にあった土産用の、京都の焼き印の入った木刀を持って、保冷庫にあった土産物に振り下ろして回った。心の中で、人の口に入ることなく無駄になった土産たちに詫びながら。

「あと二件、審査があります。急ぎめで進めませんと」
「そうだな……ん?」
 実は先ほどから、オフィス内には濃厚な匂いが漂っていた。醤油と味醂で肉を煮込んだような匂い。昼食前のこの時間であれば、空腹を覚えずにはいられない香りだ。
 匂いの元は、灯先輩が持つ大きなビニールの袋だった。
 喋りかけた社長の前に、先輩が両の手のひらに収まらないようなスチロール容器を力強く置いた。
 あれは見たことがある。牛丼チェーンの持ち帰り容器。そして灯先輩は息もつかせぬ速さで残りの審査委員の前にも置いていく。
「なんだ、これは」
「私の出張土産、松屋の牛めし(並)です。すでに課内には配り終わっております。さあ、審査をしていただきますわ!」
 そう、松屋の牛めし。つまりは牛丼だった。
「馬鹿な!」
「土産審査委員通知第七条。配り終えた時が審査の開始です。無視をするなら、あなたの地位も危うくなりますわよ、総務課長」
「困るぞ! この後、他社との昼食会なんだ!」
 社長が文句をつける一方で、総務課長は言葉を詰まらせていた。
 灯先輩は不敵な表情を崩さない。
「ランチの予定があるですって!? 常盤社長はそんな覚悟で審査委員を引き受けてらっしゃったの?」
「しかし! 出張土産に牛丼とは常識から外れているではないか」
「常識から外れていたからどうしたといいますの。会社の近くで買ってはいけないなどという決まりはありませんわ! そもそも、さっき審査された食い倒れ太郎サブレは、東京駅の土産物センターで買われた物。そちらが遠くて、松屋が近いということもないでしょう」
「そんなことはない」
 さすがに越野日出彦が反論した。
 しかし、灯先輩は彼が放り出してい土産用の紙袋を手に、中からレシートを拾い上げる。
「脇が甘いですわね。こんな証拠を放置するなんて」
 実際、さっきB判定を受けた越野が持ってきた食い倒れ太郎サブレは、ありふれたものだった。保存庫の破壊で高評価につながる土産を持ち出すことができなかったため、急遽近場で用意たのだろう。
「……確かに、近くで買ってはいけないという決まりはない。これは入手場所の問題ではなく、土産バトルの権威にかかる問題なのだ」
 社長が低い声で冷静に断言した。
「土産審査委員会規則第五条!」
「……なんだとぉ!?」
「土産バトルにおける土産は、何人もこれを蔑ろにしてはならない。ですから、私がお配りした牛めしも、蔑ろにされては困ります。もし審査されないというのであれば、あなた方は土産バトラーとして、審査委員として失格。矜持を失っては、社内の立場を堅持することも難しいのではなくって?」
「その言い草、誰かを思い出す……!」
 社長の声は、先ほどと違って舌打ちが混じるような響きがあった。
「誰かとは、例の消えたバトラーのことですか」
 審査委員が社長にそうささやいている間に、灯先輩の表情がさらに笑みを増していった。
「……ようやく思い出したようだな。鷺宮源五郎のことを」
 それまで慎ましやかにしていた灯先輩が足を大きく開いて立ち、腕組をしてそう言った。
 灯先輩の上品に巻かれていた赤いスカーフの結び目が緩み、激しくはためいていた。
 彼女は確かに鷺宮源五郎と言った。父の名を口にした。
「それが君となんの関係がある」
「私が、その鷺宮源五郎本人だ! この狂気じみた土産至上主義を崩す、その機を待つために別人として社に潜んでいたのだ!」
 そう言い放った灯先輩だったが、先輩は父とは明らかに別人だ。確かに婦人は背が高い方ではあるが、顔も声も体つきも、私の父源五郎とはまるで異なっている。
「くだらない冗談はよしなさい、灯君。君があの豪傑のような源五郎なわけはないだろう」
「ところがぎっちょん! 俺が源五郎なのさ、社長。あんたたちの目を欺くために、俺は全身の改造手術を受けた。心当たりがあるだろう。この改造手術を可能とする器材と施設を! なんせうちの会社の大型契約だったんだからな! そして俺はこの体になって、再び弥栄商事に潜り込んだ」
「付き合いきれん。君は土産バトル失格だ。去りたまえ」
「いいや、そういう訳にはいかねえ。土産審査委員会通知には、俺が失格になる根拠がないからな」
 返された社長は反論できないらしく、ただ歯噛みをしている。
「しかし、鷺宮源五郎は出張先で行方不明になったままのはずだ!」
「行方不明にした、の間違いじゃねえか。当時、裏バトラーたちの尻尾を掴みつつあった俺を、お前たちは疎ましく思っていた。そこで長野と岐阜の県境、その山中に出張に行かせて抹殺を計った。真冬の穂高連峰だ。だがあの頃は危険な出張が続いていたからな。山から無事に帰ったとしても、再び別の出張を命じられただけだろうが」
「だから、自ら姿を消したということか?」
「そうだ! そして姿を変え、何年も耐え忍び、再びこうして名乗るに至った!」
「バカな! 身元詐称……懲戒だぞ!」
「ほう。それはこの姿……灯櫻子としてか? どちらにしろ、懲戒には裏付けや本人の言い分の聞き取り、法と規則への照らし合わせなど何段階も必要だ。その前に目の前の審査だな」
 社長と灯先輩の殴り合いのような言い争いに、課内の部屋中が黙って見守っていた。もはや電話を取る人もいない。
「……田中君! 出張費計算だ! 牛丼が安いとはいえ、数を揃えて土産の額に収まるとは思えぬ!」
「あ、はい。灯さんの出張費は……これはっ!」
「どうした!?」
「宿泊料が二千四百円です! あまりに安い! これは……ユースホステルに泊っています。地方都市の、しかも中心部から離れた所なら、この金額もあり得る」
「それで、土産の金額は……」
「交通費を考えなくとも、宿泊費の差額、定額支給費の10,300円から宿泊の実費2,400円を差し引いた7,900円。これに二日分の日当4,400円を加えて、12,300円。これが土産の購入費に使える額です。一方で、牛めし弁当(並)は、五個セットで税込み1,850円。三個セットで1,170円。今日から休職明けの寄田さんの分も含め、三十三個で12,270円。金額は問題ありません」
「金額も範囲内。数もちょうど。さあ、いかに?」
「……そうだな。確かに、決まりは守っている。しかし、お前の土産には欠けているものがある。土産を受け取る側の気持ちだ!」
「言うじゃないか。土産バトルも会社も私物化した人間が。それで土産そのものではなく審査が目的となって、身内ばかり優遇するようになって!」
「一面からだけで組織を語るな! 経営の苦労も考えず!」
「その自己目的化が、硬直だと言っている。確かにお前の言う通り、俺が牛めしを持ってきたのは受け取る側のことを考えてのことではない。だが、こうして議論にはなった!」
「社長……。ご予定があります。どうかその辺りで」
 激論の途中で、ついに有本専務がなだめる。
「審査は終わらせてくれよ?」
 苦々しい顔で腰を浮かせかけた社長に対し、灯先輩が言った。
「E-だ」
 座り直した社長は、それだけ言った。
 暗黙の審査基準に照らせば、最低限の基準、個数や金額はクリアしている。E-が低すぎるのは新米バトラーの私でもわかる。
 土産審査を雑にすれば足元を掬われかねないが、さりとて社長とズレた評価をするのも躊躇われる。残った審査委員たちの戸惑いの顔の理由は、そんなところだろう。
「……灯櫻子。土産審査結果はE+」
 越野課長が評価用の用紙をまとめ、苦々しく言った。評価が社長がつけたE-より上なのは、他の委員にDをつけた者がいたからだろう。
 しかし、私にとってはそんなことは些細なことだった。それどころではないのだ。
「……先輩! 本当に父さんなんですか? 私、父さんが無茶なお土産探しに行って行方不明になったって聞いてて」
「ああ、ひな子。俺はお前の親父だ。帰ってきていたのさ。それに、冬の穂高山中に土産なんか売ってない」
 そうなんだ。父さんは生きて、ずっとこの会社にいたんだ。私のそばに。
 そして私は灯先輩の、いや父さんの顔面に拳を叩きつけた。
 鈍い音が響き渡る。
「それならそれで、どうして母さんと私に連絡しなかったの! 何年も家族を放置して! ふざけんな!」
「すまん……。しかし、母さんには言ったぞ?」
 頬を押さえながら、灯先輩と思っていた父は済まなそうに言った。
「え?」
「だから、母さんは知ってる。年一くらいでメールしてたし……」
「あー……そう」
「ああ」
「じゃ、なんで私知らないの?」
「わからん」
「父さんを探すために、土産バトラーにまでなっちゃったし……」
「……一度、家族会議を行った方がいいな。互いの認識のズレを感じる」
「パパ主催ね」
「ああ」
「会話は終わったかね」
 社長が私と父の会話に割り込んだ。
「次は君の土産審査だろう」
 越野課長の言葉に、私は状況に気づき、赤面した。そして課内と審査委員に慌てて土産を配っていく。
「これは、キーホルダーか?」
 私は昨夜の灯先輩、父との会話で、お土産の意義について考えざるを得なかった。
 そして土壇場で、私は見た。お土産が本来どういうものなのか。渡す人の願いを。可能性を。
「土産は人と人を繋ぐもの。出世や個人のエゴの為になんて使っちゃいけないのです」
「このキーホルダー、社章と私の名前が刻まれている……」
「こっちのは俺の名前だ。それぞれ個別になっているのか!」
「だが、これが町田出張の土産と言えるか?」
「私が買ったお土産は、雑踏に潰されてダメになりました。土産審査委員会通知の第十条で、失格です」
「……土産を破壊されたものは失格とする、か」
「でも、失格でも、何も持ってこないなんて寂しいじゃないですか。みんなに、出張に行ってきたんだよって伝えたい。その間、留守を守ってくれたことを感謝したい。だから、納品予定の3Dプリンタを使ってこれを作りました。一応、機械の制御プログラムを組んだのは、私が出張に行った町田の企業さんなんですよ」
「…………」
 審査委員たちの目が、彼らの手の中のキーホルダーに向けられている。
「私、聞いたことがあるんです。昔は土産バトルなんかなくって、出張土産は若い女性社員がみんなの分まで配らされていたって。土産バトルには、そういうものを止めた優しさもあると思うんです。だから今からだって、自分の都合を挟み込まずにお土産を持ってくるのであれば……」
 そこまで言って、私は口ごもってしまった。
 審査委員たちも、しばらくはなにも言わなかった。
 突然の父の出現に混乱したけれど、私が言いたかったことはなんとか言えた気がした。
「鷺宮ひな子。土産審査の結果は失格。……ただし、納品予定の機械と素材を無断で使用した件は不問とする。以上」
 常盤社長はそれだけ言うと、キーホルダーを懐にしまって立ち去った。他の役員たちと越野課長もそれに続いて行った。
 気づくと機械販売課の課内はいつものざわめきを取り戻していた。大声で電話に応対する声が聞こえる。
 同期の子たちが数人、私にキーホルダーのお礼を言って、仕事に戻っていった。
 私は今回、何事かなせたのだろうか。わからないけれど、みんなの心に何かを残せたのではないかと思いたい。
 それに私の目的だった父の行方は分かった。
「……やっぱり灯先輩が父さんだなんて、納得できない」
「本当なんだから仕方なかろう」
「今日はどこに帰宅するの?」
「自分の、つまり灯櫻子のマンションだが」
「ダメよ。家族会議なんでしょう。家に来て、納得できるまで説明してもらいます。私にも母にも」
 父は肩をすくめてから、気づいた様に席に戻って鞄をあさり、戻ってきた。
「お前にも土産があったんだ」
 そう言って渡してくれたのは、穂高連峰の刻印の入ったドラゴンソードのキーホルダーだった。
「あ、ありがとう」
 私自身、社長たちにキーホルダーを渡した以上は、これに文句をつけるのは難しかった。それに、笑顔で受け取るくらいの分別を持つ大人にはなれたつもりだ。
「さ、父さん。まだ仕事は終わってないよ。がんばっていこう」

 

次回予告

土産バトラーひな子は今回で終了です。

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