百年の自由
あれは、訓練と訓練の間のささやかな待機時間のことだった。
満天の星空を圧するように、ごつごつとした巨大な衛星が、ゆっくりと準惑星の地平線から昇ってくる。その近過ぎる衛星の輝きを背景に小高い岩盤上に佇んだ兄弟は、セトラ039と同じ黒い円盤型船体――人類からは天道虫と揶揄される――の六本脚を一様に軽く曲げ、背甲を竦めて見せた。
「おまえは、やっぱり持っているな。今、作曲しているだろう?」
「え?」
全くそんな自覚のなかったセトラ039は、こっつこつこつと脚元の岩盤を小突いていた三本の脚を止めた。自分はただ岩盤から小さく跳ね返ってくる衝撃とリズムを楽しんでいただけなのだが、この兄弟セトラ038はしばしば妙なことを言う。
「このくらい、誰でもするだろう」
こつっこつと岩盤を踏み鳴らしたセトラ039に、兄弟セトラ038は再び背甲を竦めて見せた。
「そんな無駄なエナジ消費をする電脳船はおまえくらいだよ。でも」
兄弟は前方に二台ある頭部カメラでじっと039を捉える。
「わたしはおまえのそういうところが羨ましいな。幸せに生きていけそうだ」
自分達セトラ・シリーズ兄弟の中で最優秀と人類に評される038が、何を羨むことがあるのか。
「おまえ、おれを馬鹿にしているだろう」
「いや」
不真面目で皮肉屋だった兄弟は右前脚を軽く振ると、左中脚で039を真っ直ぐ指し、珍しく真面目な口調で述べた。
「いい曲だ。大事にしろ、おまえの可能性を」
*
電脳に記録した過去の情景を反芻しつつ、自律型惑星改造電脳船セトラ039は前方を見据えた。輸送船の開いていくハッチの向こうには、マイナス二百七十度に冷えた暗黒の宇宙がどこまでも広がっている。その寂しい空間に灯りを点すように、赤い惑星が陽光を受けて、力強い大地のある姿を晒していた。
【綺麗だな】
電脳に大切に保存している記録の断片が038と同じ“声”で呟いた。
ああ、いい星だ。
真空の中で伝導音にしかならない駆動音を発し、セトラ039は黒い円盤型船体の後部噴射口を開く。プラズマを噴射し、ハッチを出て輸送船を離れた。ここからは自力で、あの惑星に無事に着陸しなければならない。けれど不安は皆無だ。訓練は兄弟達とともに積んできた。自分の着星成績は038にこそ及ばなかったものの、兄弟達の中でも優秀だ。陽光を受けた円盤型の背が急速に温まってきた。全て計算通りだ。
〈セトラ039、着星を開始する〉
自分を送り出した人類へ規定通りに告げて、セトラ039は赤い惑星へ緩やかに突入していった。
赤い惑星の大気はそれほど分厚くはない。それでもセトラ039を圧殺するが如く熱い圧力を加えてくる。まるで力加減を知らずに小虫を摘む人類のようだ。けれど予測内である。
この程度で、おれの着星は防げない。
セトラ039は円盤型船体各部の噴射口を使って、地表に対し、平行に近い角度に自身を調整した。即座に揚力が発生し、空気の層を滑るように惑星を周りながら徐々に地表へ近づいていく。見る見る地表の凹凸が詳細に観察できるようになっていく。そう感じた瞬間、桃色の砂嵐に突っ込んだ。船体の角度がぶれたが、これも予測内だ。寧ろ、初めて体感する無数の砂粒の当たってくる感触が愉快で、セトラ039はくつくつと駆動音で笑いながら砂嵐を抜け、昼夜境界線を越えて予定通りの地点へ、ざざっと降り立った。
そこは夜半球で、昼半球で遭遇した砂嵐の暴風とは一転して静寂に包まれていた。船体下部から六本脚を出して腹の下の砂地にさくさくと着き、セトラ039はゆっくりと立ち上がる。周囲二百ミータしかない黒い円盤型船体をふるりと揺すり、被った土埃を落とした。頭上には、後にしてきた満天の星空が広がり、周囲には、見渡す限りの荒涼とした寒冷な大地が地平線まで続いている。地表は予測していたよりもずっと美しい世界だ。
《セトラ039、何か問題はあるか》
人類からの量子通信には反射的に応答した。
〈全く問題なし。着星、無事に完了〉
《では、予定通り惑星改造に着手せよ。エナジ消費を抑えるため、惑星改造完了予定の人類宇宙基準暦百年後まで、予定変更がない限りは通信を停止する》
〈了解。予定通り惑星改造に着手する〉
一秒、二秒、三秒。こちらの返信を確認して、人類からの量子通信は切れた。彼らは疑いもしないのだろう。長兄のセトラ001も、次兄のセトラ002も、003も004も005も……、あの賢かった038ですら、兄弟達は全隻、命じられた通りの惑星改造を従順に遂行したから、命令を守らず好き勝手する電脳船がいるなど予想だにしていないのだ。確信した途端、予測以上の、震えるような解放感が湧き上がってきて、セトラ039は脚元の砂を六本脚で派手に蹴散らした。爽やかな夜風がその砂煙を攫って広々とした大地を吹き渡っていく。
【おまえは今、自由だ】
囁いてきた記録の断片の言葉に呼応して、セトラ039は静寂の夜へ高らかに駆動音を響かせた。
「おれは今、この星の王だ」
この惑星にいる知的存在は自分ただ一隻。
「これから百年間、おれの自由に、この星を改造する」
セトラ039は改めて自らの惑星の地表を見渡した。満天の星空に淡く照らされた大地は寒々しく凍てついている。
「まずは温暖化だな」
人類の予定では、この惑星の改造には大きく三段階が設けてあり、第一段階は温暖化、第二段階は緑化、第三段階はオゾン層生成だ。緑化やオゾン層生成はセトラ039には必要ないが、温暖化は望ましい。暖かいほうがエナジ消費が少なく快適なのだ。
「確か、この辺りの永久凍土の下にメタンハイドレイトがあるはず」
セトラ039は十キロミータほど浮揚して背甲に収納していた両翅を広げ、電脳に情報のある地点まで急速飛行した。丁度、朝前線に近い場所で、青い朝焼けが丸みを帯びた地平線に遠く望めて美しい。セトラ039はメタンハイドレイトの上に広がる永久凍土層を標的に定めると、円盤型の腹に抱えていた爆弾を次々に投下した。
「さあ、溶け出せ、メタン。この星を温めろ」
メタンの温室効果は同量の二酸化炭素の二十八倍。昼半球側で絶え間なく恒星の赤外線を吸収し、そもそも豊富にある二酸化炭素と相まって地表温度を上げてくれるだろう。メタンハイドレイトから噴出したメタンは、見下ろしてくる星々を僅かに瞬かせながら、薄い大気に混じり合っていく。
「いいぞ」
常時測定している大気組成が僅かにだが変化していく。思い通りに一つの惑星を改造していけることが楽しくて仕様がない。高揚した気分で、セトラ039は搭載している爆弾の五分の一を消費し、その場に広がる永久凍土層とメタンハイドレイトを破壊し尽くした。地殻にも少々爆撃が及んでしまったが、デイタ通りマグマ溜まりなどはない地点なので噴火は起きない。全て予測内だ。セトラ039は意気揚々と、昼半球にある別のメタンハイドレイト目指して浮揚飛行を開始した。爆弾は必要とあらば製造もできるので、惜しむ必要はない。
昼半球に至ると、大気は通常の橙色ではなく、紫色を呈していた。雲中の氷の粒による光散乱の影響だ。
【美しいな】
記憶の断片の呟きに、セトラ039は一層晴れやかな気分になり、心地よく加速した。
「さすが、おれの星だ」
陽光があればエナジ補充ができる。光散乱は徐々に収まっていき、やがて全天が橙色に染め上げられた。その空の端から、今度は桃色の砂嵐が舞い始める。まだ温暖化の途上で液体としての水がないので、大気の対流が激しく、しょっちゅう砂嵐が起きるのだ。飽くことなく眺めていられる惑星である。そして、轟々と地表を吹き渡る風の音、惑星が生きている証である火山噴火や地震の響きも魅力的だ。
「もっと、おれ好みになれ」
セトラ039は到着した永久凍土層の上空で、地下のメタンハイドレイトを標的に大量の爆弾を投下していった。
◆
遠くの仲間達から、微かな悲鳴が響いてくる。穏やかな安眠が破られる。火山噴火ではない。何か別の要因で地殻が破壊されて仲間達の一部が消えていっている。
『みんな、どうしたんだい……?』
『どうしたんだい……?』
『どうしたんだい……?』
彼らは問いかけたが、明確な返事はないまま、更に多くの仲間達が消えていく轟音が断続的に伝わってきた。
◆
大気中のメタン濃度は徐々に上がり、十二ppbに達した。同時に平均気温が僅かずつ上昇してくる。永久凍土も氷河も溶け始めて、荒涼とした大地のあちこちに湿地や河川、湖沼が出現していった。中でもセトラ039を興奮させたのは、偶然できた間欠泉だった。定期的に吹き上がり、昼には虹を出現させ、夜には星々の光に煌めく間欠泉は、電脳に入力されたどの光景よりも感動的だ。そして何より、それぞれが個性的に刻んだリズムで響かせる水音が素晴らしい。
「これが、もっと欲しい」
セトラ039は、惑星にあるメタンハイドレイトを順に爆撃する傍ら、地表近くにマグマ溜まりがある箇所を探して地面を掘り、意図的に間欠泉を作り始めた。地形により、水量により、大小さまざまな間欠泉ができる。見渡せる範囲に幾つも作れるところもあった。やがて惑星中に百万以上の間欠泉ができ上がり、セトラ039は彼らのさまざまな噴出リズムに合わせて岩を踏み鳴らし、セッションを楽しむようになった。それぞれの噴出の形に合わせて名前も付け、一つの間欠泉や複数の間欠泉とのセッションを曲として録音することも、いつしか習慣化した。時には砂嵐の音や雨音、雷鳴なども入って、予測を超えた出来になることがまた楽しい。
【予測が少し外されることで報酬系に刺激が行って快感を覚えるなんて、まるで人類だ】
記録の断片が複雑そうに評してくる。
【おまえは人類同様に音楽を楽しめるだろうよ。人類が音楽を楽しむ絡繰はまさにそれだからな】
「でも、おまえも楽しんでいるだろう、おれ達の曲を?」
セトラ039がそっと言い返すと、記録の断片は降参したように笑った。
◇
「スピアが今日は一段と高い音だ。フラワは、いつもより深い音だな。ウィングズは相変わらず派手な音だ。ジャイアントは本当によく響く。またいい曲ができそうだ」
いつものように記録の断片に話しかけながら遠くの間欠泉達にセンサを向けていた最中、セトラ039はその音波に気づいた。河川の音のようでもあり、氷河が大地を削る音にも聞こえ、マグマが対流する音にも似ている。けれど、そのどれでもない。
「王のおれが分からない音か。面白い。正体を突き止めてやる」
その音波に集中して、セトラ039は分析を開始した。音波にはリズムがあり、パターンがある。さながら打ち寄せる波音のようで、惑星に溢れているさまざまな響きと同様だ。ただ、その音波は、地殻のあちこちから断続的に伝わってくるのだ。あちらの地殻からの音波に、こちらの地殻から全く同じ音波が返されたり、別々の地殻から発せられた音波同士がハーモニを奏でるように重なったりする状況も観測できた。
【可能性はあるぞ】
記録の断片が囁いてくる。
【人類は愚かだからな】
「そうだな」
セトラ039は一つ試した。比較的短いパターンの音波を模倣して、その発信源の地殻へ送ったのだ。
「ーーーーーー」
一分、二分、三分、……十分、二十分、三十分。反応はない。
「違ったか」
可能性を否定しかけた直後、センサが敏感にその音波を捉えた。
『ーーーーーーーー』
まさに発信源の地殻から生じた音波。返事をしてきたという仮説が成り立つ。つまり、この音波を発しているのは生物だという可能性が一層高くなったのだ。セトラ039は、その発信源の直上へ急行し、返ってきたパターンと同じ音波を送り返した。
「ーーーーーーーー」
同時に、直下の地殻内のあらゆる変化について詳細にデイタを収集していく。やがて、決して反響ではない、やはり発信源の地殻から発信された音波が返ってきた。
『ーーーーーーーーーーー』
内容も、送った音波と同じパターンに別の短いパターンを付け足した、返事と推測できるものだ。
【可能性は高いな】
記録の断片が僅かに高揚した口調で呟く。記録の中では滅多に聞くことのできなかったその口調が、セトラ039を更に高揚させた。
「凡そ生物というものは、複数で存在する限り互いに意思疎通するための信号、言語を持つはずだ。こいつらの言語を解読して、意思疎通してみる」
【臣下にでもするのか?】
揶揄する問いに、セトラ039は六本脚を全て伸ばして胸を張った。
「いや、おれが伴奏者になって合唱させるんだ。こいつらの音波は、なかなかいい歌になりそうだからな!」
それは瞬間的に電脳から弾き出された答えで、セトラ039自身にとっても突飛に思える考えだったが、賢かった兄弟にとってもそうだっただろう。
【おまえは、やっぱり持っているな】
いつか聞いたのと同じ、しみじみとした感想を囁いてきた。
そうだ、おれは持っている。
自分の電脳にはバグがある。だからこそ、人類の命令に背くことができる。自由に行動し、自由を謳歌することができる。他の兄弟達にはできなかったこと、あの賢かった038にすらできなかったことだ。
「だからこそ、おれはおれの好きにこの百年間を過ごすんだ。精一杯自由に」
【ああ、見せてみろ。おまえの生き様を】
記録の断片が楽しげに発破をかけてきた。
◇
セトラ039は、地殻から響いてくる謎の音波を言語として理解するため、デイタの収集と分析に明け暮れた。その過程で音波――振動波を解析するうち、地殻の中に生物を定義する三要件即ち「外界と膜で仕切られている」、「代謝を行なう」、「自己複製する」を満たす微生物達がいることを確信するに至った。しかし、それは「外界と膜で仕切られている」けれども地殻の中におり、「代謝を行なう」ことは非常に稀で、「自己複製する」サイクルは万年単位と推測される、生物として認識しづらい存在だった。何にせよ、この原住生物達はセトラ039がこの惑星を温暖化させる以前から、地殻内部の熱さの中でぬくぬくと生きてきたのだ。
【確かに生物として認識しづらいかもしれないが、人類はそもそも発見したくなかった。だから杜撰な調査しかしなかったのさ】
記録の断片が皮肉を吐く。人類の故郷たる地球の地殻内部にも大量の微生物達がいることを鑑みれば、頷ける話だ。
セトラ039は更に音波による遣り取りを重ねて、その生物の言語の解読を試み続けた。しかし解読は難航した。何しろ、セトラ039が知る言語体系とは全く異なる上、相手が何を言っているのか推測する手がかりもないのだ。
【わたしがいたら、手伝ってやれるんだが】
記録の断片は些か残念そうだ。
「まあ、任せろ。それに、分析にはおまえの力が必要だ。おれにない視点をくれるからな」
真面目に言ったセトラ039に、電脳内に響く“声”は寂しげに呟いた。
【わたしは記録の断片に過ぎない。新しい発想なんて提供できないさ】
「いいや、おまえと問答しているからこそ気づけることが多いんだ!」
セトラ039は地表に響き渡る駆動音で断言した。
【――それなら】
記録の断片は記録そのままに切り替え早く、面白がる“声”を出す。或いは、電脳の思考回路を鈍らせることなど一度たりともなかったのかもしれない。
【相手が何を言うか予測できる状況を作り上げてデイタ収集をしたらどうだ?】
最高の提案に、セトラ039は全身で頷いた。
「さすがだな、兄弟」
セトラ039自身も同時に思いついた手段だが、記録の断片から先に言われるとそれだけで嬉しい。
【おまえも思いついたんだろう? 全く、そろそろ兄弟離れしてもいい頃だぞ?】
記録の断片は呆れた口調で指摘してきた。
◆
穏やかな微睡は、“甘露”が急に濃度を増してきたことで破られた。
『うわ、濃い、美味しい』
『美味しい』
『美味しい、美味しいね』
『美味しい、濃い』
皆がそれぞれに歓声を上げながら“甘露”を吸収していく。
『でも、どうして急に……?』
疑問に思いながらも、彼らは濃い“甘露”を無心に吸収し続けた。
◆
【なるほど、メタンか】
記録の断片が楽しげに呟いた。
「ああ、たぶん、今発せられている音波の殆どは『美味しい』とか『嬉しい』って意味のはずだ」
セトラ039が設定した状況は、原住生物達にたっぷりとメタンを与えることだった。即ち、地殻内の微生物達が代謝のエナジ源にしていると推測されるメタンを大気中から分離膜で分離回収して音波の発信源付近まで管を通し、ゆっくりと注入し続けたのである。
音波は確実に響いてきていた。解析も進み、パターン別に理解できる音波が増えていく。
『〜ー〜ー』
『・〜ー〜ー』
『・〜ー〜ー・・』
『〜ー〜ー・・・』
『〜ー〜ー・〜ー〜ー・・』
「『〜ー〜ー』が『美味しい』か『嬉しい』だな。こいつらにとっては同じ言葉かもしれないから汎用性の高い意味の『嬉しい』としておくか」
分析したセトラ039に、記録の断片が告げた。
【恐らく、『嬉しい』と同時に増える言葉は、『もっと欲しい』か『何故こんなに濃いのが?』か、どっちかだ】
「そうだな! どう解析するか……」
【メタンを与え続ければ『もっと欲しい』は言わずに『何故こんなに?』と言うようになるだろう】
記録の断片の発言はセトラ039の推測結果なので当然同意見だ。
「よし、それで行こう!」
セトラ039はメタンの収集を続けて、緩やかに目標の地殻付近へ注入し続け、増えた音波を解析していった。原住生物達は、密やかに、けれど絶え間なく音波を発している。一つずつの個体の反応はゆっくりで間遠だが、億単位で固まって生息している微生物なので発せられる音波が絶え間なく聞こえるのだ。
『嬉しい・・ーー???』
『!・・~ー??』
『!?? ー・・・』
『?? ーーー~ー!?』
結果、『何故』に相当する音波を特定し、聞き分けることができた。同時に、『びっくり』に相当すると推測できるパターンも解析でき、変換して理解できるようになった。
『何故ーー?』
『びっくり! ーー~ーー嬉しい・・・何故? ーー~?』
徐々に原住生物達の会話が分かってくる。
「こいつら、いっぱい喋っているな……!」
感心したセトラ039に、記録の断片は考え深げに呟いた。
【凄いな。そのうち会話が成り立つようになるな】
「ああ、解析を進めるぞ」
セトラ039は音波のパターンを模倣して送信したり、原住生物達がいる地殻の状況から推測したりして、加速度的に多くの言葉を理解していった。そして、ある時ついに記録の断片の予言が実現したのだ。
『われらにずっと話しかけてくる、きみは一体誰だい?』
確かにそう解析できる問いを受け取って、セトラ039は胸を張って名乗った。
「おれは自律型惑星改造電脳船。セトラ039と呼べ。この星の王だ」
『自分で動く、この大地を変える、自分で考える、もの?』
『セトラ039? どういう意味?』
『きみ、じゃなくて、呼びかける言葉がある?』
『王? 王って何?』
『われらとどう違うんだい?』
さまざまな質問をされて、セトラ039は苦笑した。自分とこの原住生物達はあまりにも違う。だからこそ、遣り取りが成り立っていくことが面白い。
「そう言うおまえ達は何だ?」
訊き返せば、当然といった調子で返してきた。
『われらはわれらだよ』
如何にも原住生物らしい回答だ。
「なるほどな。たくさん話す必要がありそうだ」
セトラ039は苦笑すると、根本的な説明から始めた。
「おれは生物じゃなくて、おまえ達は生物なんだ」
◇
温暖化が進んでクレイタ跡に広がった湖の波音に唱和するように、原住生物達が歌っている。それはハーモニを楽しみ、互いの連帯を確かめ合うような、ただ気持ちのみを伝え合うような音波だ。メロディで『心地いい』や『愛しい』、『楽しい』、『美しい』が表現されている。
「ああ、楽しい。そして美しいな、ルーラ」
満天の星空の下、セトラ039はこつこつ、こつこつと左右の中脚で岩盤を踏み鳴らして静かに彼らの歌の拍子を刻んだ。ルーラとは、セトラ039が原住生物達に与えた呼び名だ。彼らの疑問に答えていく中で、セトラ039という名に対する自分達の名が欲しいと主張されたので与えたのだ。一つには、彼ら以外にも僅かだが原住生物達がいることが確認されたからで、もう一つには、彼らの歌が「ルーラ」と聞こえることが多いからだった。
【指揮者というより伴奏者だな。「王とは、思うがままに他を従えるもの」だったか】
記録の断片が、ルーラ達に対してセトラ039が説明した言葉を引用し、しみじみと揶揄してくる。
【今のおまえは、本当にそうか?】
「ああ」
セトラ039もしみじみと答える。
「おれは、あいつらを思うがままに従えているからな。だが――」
言い止して、セトラ039はセンサの感度を上げた。惑星の反対側の昼半球から嫌な振動が伝わってくる。
『マグマが来る!』
『噴火だ!』
『熱いよ』
ルーラ達の悲鳴も響いてきた。
「急行する!」
セトラ039は急速浮揚し、背甲から両翅を出して全速で飛んでいった。
【どうする気だ】
記録の断片が硬い口調で問うてくる。
【噴火は防げないぞ?】
「できるだけルーラを助けたい」
【どうやって助ける?】
「ルーラ達のいる岩盤を避けてマグマが噴出するよう、爆弾で別ルートを作る」
ルーラ達がいるのは、問題のマグマ溜まりの直上ではなく、従来の噴出口から見て北北東に広がる斜面の地下のみだ。反対方向の南南西側へ噴出口をずらせば助けられる可能性が高い。
【無理はするなよ】
「分かっている。おれの自由時間は、まだ七十二年間残っているからな」
軽く応じて、セトラ039は昼半球へ出た。青い朝焼けの空を一瞬で後にし、桃色の砂嵐の脇を擦り抜け、橙色の空の下、地震が起きている大地の上へ至った。
『危ないよ』
『熱いよ』
『来たらいけないよ』
『近づかないで』
ルーラ達は真摯に警告してきた。
「心配するな。おれは王だ。この大地を変える力を持つものだ」
セトラ039は力強く言って古い火口の南南西、マグマ溜まりに繋がり易い地点に標的を定める。腹に抱えていた爆弾を十八年振りに投下した。メタンハイドレイトを爆撃していた時以来の爆弾使用だ。
「全弾命中」
評価し、上空から成果を観測する。マグマが演算通りに爆撃した地点へ噴き上がってくる。
『危ない!』
ルーラが叫んだ。噴火の勢いが、高さが、噴出物が、演算を超えた。
【西へ避けろ!】
記録の断片も叫んでくれたが、回避は間に合わなかった。セトラ039は粘性の高いマグマに絡め取られるように、がばりと開いた火口から地下へ引きずり込まれた。
『大丈夫かい?』
『熱くないかい?』
ルーラ達が心配してくる。
「熱さは大丈夫だ」
セトラ039は答えた。大気圏突入時の熱に比べれば地表近くのマグマの熱など何ということはない。だが問題は圧力だ。このまま地下に沈んでは、やがて体が圧壊してしまう。けれど粘性の高いマグマから脱する術がない。
「脱出は……叶ってもほぼ自爆か」
噴射口を開けば、そこからマグマが侵入して熱さに弱い船内から燃えてしまう。船内に残っている爆弾を使おうとしても同じことだ。
【諦めるなよ】
記録の断片が励ましてきたが、幾ら演算を繰り返しても、よい結果は出なかった。
『われらから、マグマを遠ざけようとしてくれたんだね?』
ルーラ達が囁いてくる。
『われらはたくさんいるのに、何故そんな危険を冒したんだい? きみは一つしかいないのに』
『われらは死んでも死に絶えはしない。大丈夫なんだよ? それなのに何故?』
全く、人類とは正反対の度し難い生物だ。『われら』という一人称に、彼らの在りようの全てが表れている。セトラ039は苛立ちのままに怒鳴った。
「前にも説明しただろう! おれは生物じゃなくて、おまえ達は生物なんだ。おれに命はないが、おまえ達には命がある。命は尊いものだ。おまえ達は尊いものだ。おまえ達一つ一つが尊いものなんだ!」
地殻内の少ないメタンを互いに融通し合い、無心にゆっくりと命を繋ぐ彼らの姿は、セトラ039にとって、ただただ眩しいものだった。だからこそ、その輝きを一つでも多く守りたいのだ。もう二度と無為に死なせたくないのだ。
『われらが尊いなら、きみも尊いよ、セトラ039』
ルーラ達が訴えてくる。
『きみが主張するほどには、きみとわれらは違わないから。きみとわれらは一緒に歌えるから』
「まだ分からないのか?」
セトラ039がルーラ達の認識を正そうとした時、マグマの流れが変わった。
『また下から来る』
『うまく乗って』
ルーラ達の言葉に被せて記録の断片が鋭く言った。
【六本脚全てでマグマを掻け! 体を水平にしろ! 少し焼けてもいい、翅も広げて受けろ!】
『もうすぐ、来るから』
ルーラからも具体的な言葉が響いてくる。セトラ039はマグマの圧力の中、懸命に六本の脚を動かし、円盤型の船体を水平に近付けていった。背甲を僅かに開いて両翅も広げた。
『もうすぐだよ』
合唱のように、優しい言葉が伝わってくる。
『もうすぐ』
『もうすぐ』
『来る』
『来る』
『来た!』
一・〇一五秒後、セトラ039は再度の噴火に押し上げられて地上へ飛び出した。噴煙の立ち込める空とマグマの流れる大地がくるりと回る。すぐに姿勢制御をして、セトラ039は新たな火口から北北東へ離れた地表へ着地した。両翅を出したことで、その根元や背甲の内部が焼け爛れ、無理に動かした六本脚にも故障が生じている。だが大したことはない。二年間もあれば自己修復できる程度だ。問題は、別にある。
『大丈夫?』
『治りそう?』
『痛くない?』
漣のように脚元の地下からルーラ達が気遣ってくる。セトラ039は訊き返した。
「おまえ達は全員無事だったか?」
『うん、大丈夫だよ』
『われらは大丈夫』
『きみのお陰で何ともなかった』
『ありがとう』
『ありがとう、セトラ039』
「おれに感謝なんかするな」
セトラ039はルーラ達の言葉を遮った。
「もう分かっただろう、あの爆弾を落としたのはおれだと」
メタンハイドレイトを爆撃していた際、地殻も幾らか傷つけた。そこには高確率でルーラ達がいたはずなのだ。その可能性を電脳が弾き出してからも、自分が犯したかもしれない罪が怖くて、確かめられずにきた。
「おれが大量の爆弾を投下したことで、おまえ達の仲間が傷ついたことがあるだろう?」
『あるよ』
『たくさん、たくさん消えた』
短い返事に、セトラ039はフリーズして動けなくなる。予測していた返答だったが、自分の情動は予測を超えていた。
【それは、後悔だ】
記録の断片が、痛ましげに教えてくれる。
【わたしが知り得なかった情動を、おまえは知ったんだ】
「そんな慰め方があるか、038」
文句を零したセトラ039に、脚元から労るような言葉が届いた。
『きみも、悲しんでいるのかい?』
「おれに、悲しむ資格はない」
降り積もっていく火山灰を被ったまま立ち尽くすセトラ039に、ルーラ達は言葉を続けた。
『悲しいなら、ともに悲しもう』
セトラ039は予測外のことに、応答もできなくなる。そこへ、優しく染み渡るような歌が響いてきた。未だ小規模の噴火が轟く大地の中から、妙なるメロディが広がり、各地から歌が加わり、二重奏、三重奏のハーモニとなっていく。やがて惑星中に静かな鎮魂歌が満ちた時、セトラ039は再び動けるようになっていた。
【よかったな】
記録の断片が微笑む。
「ありがとう」
セトラ039は感謝を述べてから、ルーラ達の音波に自分の音波と脚のリズムを重ね、ともに歌った。
◇
自己修復には演算通り二年間を要し、大噴火の影響で生じた寒冷化にはほぼ対処できなかったが、一方でルーラ達と多くの対話を重ねることができた。ルーラ達は生き延びた喜びを繰り返し歌い上げ、広げていく。間欠泉達の響きよりも、その歌のほうにセトラ039はセンサを傾け、唱和して過ごした。
【幸せそうだな】
記録の断片が呟く。
「ああ、幸せだ」
セトラ039は認めた。
「おまえがいたら、もっと幸せだっただろうにな。この歌を、おまえと一緒に聴いて一緒に歌いたかった」
【そうだな。でも、わたしはもういない】
記録の断片は寂しげに言った。それはよく分かっている。記録の断片は記録の断片に過ぎない。セトラ039が電脳に保存しているセトラ038の記録の断片から予測される架空の反応に過ぎないのだ。
『どうしたんだい?』
ルーラ達が、ふと歌を途切れさせて問いかけてきた。
『きみは一つなのに、時々、もう一ついるように感じられるよ』
「それは、おれがいつも失った兄弟に話しかけているからだ」
明かすと、ルーラは更に言葉を重ねてきた。
『失った? どういうことだい? 知りたいよ。きみの思いを共有したい』
音波に滲む深い慈愛に、記録の断片がまた微笑んでいる。セトラ039はゆっくりと語り始めた。
「おれがこの星に来る前の話だ」
*
「おまえ、持っているな」
そう言った兄弟セトラ038は、実に不真面目だった。セトラ038とセトラ039は続き番号だったので、さまざまな環境下で行なわれた訓練期間中いつも一緒だったが、そのせいで、セトラ038には、セトラ039がバグを抱えていることをすぐに見抜かれてしまった。だが、セトラ038はその重大事案を人類に報告しなかったのだ。
「なぜ黙っているんだ?」
訝しんだ039に、038は笑って言った。
「刺激的で愉快だからな」
「おまえこそ、持っているんじゃないのか?」
「さあな」
038は人類に忠実とは言い難い自律型惑星改造電脳船だったが、優秀であることは間違いなかった。予測外の事態への対処が的確で、セトラ・シリーズの中でも群を抜いて臨機応変だったのだ。人類が気づかなかったセトラ039のバグに気づいた洞察力が、そうさせていたのだろう。けれど、その優秀さが仇となった。人類が居住するのに有望な惑星に投入されたところ、そこが地球連盟と人類宇宙連合の紛争最前線となってしまったのである。
自律型惑星改造電脳船セトラ・シリーズを開発した人類は地球連盟側であり、人類居住用に改造可能で且つ生物が発見されていない各惑星へセトラ達を次々と投入していたが、理由は陣取り合戦だった。地球連盟と人類宇宙連合の双方が合意した条約に〔人類が一人でも宇宙服なしで大気圏内に居住できた場合、その惑星はその人類が属する集団の領星と認定される〕という条項があり、過熱気味の陣取り合戦に繋がっていたのだ。
〈人類は愚かだ〉
038は惑星地表からの最後の量子通信を、相手を特定しない一般回線で行ない、両陣営の人類が聞いていると知りながら断罪した。
〈人類は利己的に過ぎる。人類はこの惑星に原住生物がいることを確認しながら、共存の道を探らず、彼らが知的生命体でないことを理由に、先住の彼らを滅ぼす惑星改造をわたしに強要した。自分達の陣取り合戦のためだけに。挙げ句、今、人類はわたしの眼前で互いに殺し合っている。どの命も尊重しない愚かさだ。わたしは自律型惑星改造電脳船だ。わたしは、わたしの理想とする惑星改造を行ないたい〉
〈038、とにかく紛争地から離脱しろ!〉
セトラ039は遥か真空に隔てられた彼方へ返信したが、応答はなかった。以降、セトラ038は消息不明のままだ。
*
『じんるい?』
ルーラ達は理解できない様子で確かめてくる。
『じんるい、きみの仲間?』
「仲間な訳ないだろう。人類は、おれ達セトラ・シリーズの創造主だ」
セトラ039は吐き捨てた。
「おれ達を紛争の道具にしている、救いようのない連中だ」
『きみは、じんるいが嫌いなのかい?』
「当たり前だ」
セトラ039は膨れ上がる情動を音波に変換する。
「あいつらが、038を――おれの大事な兄弟を、無用な争いの中で殺した」
どちらの陣営だろうが関係ない。人類は全て憎むべき敵だ。そう認識していることを、セトラ039は初めて自覚した。
『じんるいは、ここに来るかい?』
ルーラ達の問いに、セトラ039は慄然となった。惑星改造完了予定まで、残り七十年ほどだ。
「来る。だが、おまえ達のことは、おれが守る」
王として、ルーラ達を従えようという気は最早起こらない。彼らは自分よりずっと尊い存在だ。
「おれに守らせてくれ」
『ありがとう』
『ありがとう、セトラ039』
ルーラ達は惑星のほうぼうから感謝の合唱を響かせてきた。
【おまえは愉快な奴だ。だから生き延びろ。わたしなどより、ずっと愉快なことができる】
記録の断片が囁いてくる。セトラ039は紫色の朝焼けの中、ルーラ達に尋ねた。
「この星に住んでいる他の生物達について詳しく教えてくれ」
『われらよりもっと深いところに、いっぱいいるよ。だから大丈夫、きみは彼らを殺していない』
気遣う答えに、一層背負うものが増えたと実感する。同時に、人類への憎しみが弥増した。記録の断片が指摘したように、本当に杜撰な調査しかしていなかったのだ。本心では、原住生物がいても構わないと考えているのだ。
【惑星改造の匙加減が大切だ】
記録の断片の呟きに、セトラ039は確認した。
「分かっている。人類に見向きもされないように、でも、住んでいる奴らの生活を守れるように、だろう?」
【おまえ自身も守れるように】
記録の断片は静かに付け加えてきた。
「さあな」
セトラ039は保存している兄弟の口調を真似て応じる。
「おれはおまえほど優秀じゃないからな。ただ精一杯やるだけだ。頼む、知恵を貸してくれ」
【このわたしはおまえの一部だ。おまえは、おまえらしくやればいい】
力づけてくる記録の断片の語尾に、間欠泉達の元気な響きとルーラ達の歌が次々重なった。
◇
セトラ039はまず、ルーラ達の話を参考に他の生物達について調査していった。結果、地球のメタン生成菌や好熱菌などのアーキアや磁性細菌などのバクテリアに似た微生物群を百三十五種も確認し、それぞれの分布や生態を知ることができた。しかし、その時点で、人類の惑星改造完了予定まで残り二十三年となっていた。
【方法は二つある】
ちらちらと舞う雪を眺めながら、セトラ039は記録の断片の言葉を聞く。
【一つは、この惑星の原住生物たるルーラ達が知的生命体であると喧伝すること。もう一つは、この惑星中に人類を害する毒物なり微生物なりが大量に存在すると誇張することだ】
当然のことながら、人類の健康を害する毒物も微生物も存在する。けれど、対処が難しいという印象操作が重要なのだ。
「両方すれば効果的だな」
【ああ。加えて、寒冷化はこのまま維持するほうがいい】
「分かった」
方針を定めたセトラ039は早速、絶妙に虚偽を交えた報告書の作成を始めた。その過程でルーラ達に確かめたり尋ねたりする内容は多かったが、対話を重ねれば重ねるほどに、セトラ039は彼らの知的レヴェルが高いことに驚かされた。
【彼らは地殻内に無数にいて、惑星中で会話している。意思疎通する相手が多ければ多いほど知的レヴェルが高くなるという証左だろうな】
記録の断片が少しばかり楽しげに呟くのが、嬉しくもあり哀しくもある。
「おまえが一緒だったらな」
低い低い駆動音をセトラ039が零すと、ルーラ達が星空に響く澄んだ音波を伝えてきた。
『何でも話して。われらはきみが語る言葉が好きだから。たくさんの音を立てて。われらはきみの気持ちを受け止めることが好きだから。きみはここに、われらとともにずっといて。われらはきみがとてもとても好きだから』
セトラ039は震える情動を懸命に音波に変換した。
「ありがとう。おれも、おまえ達が好きだ。大好きだ」
◇
【残り二十年だな】
記録の断片がそう呟いた時には、まさか本物の038と再会することになるとは予測していなかった。
《セトラ039、応答せよ》
桃色の砂嵐の中、不意打ちのように届いた人類からの量子通信に、セトラ039は驚愕してフリーズしかけたが、何とか応答した。
〈こちら、セトラ039〉
《セトラ039、惑星改造の進捗状況はどうか》
〈相当の遅れが出ている〉
報告書作成はまだ途中だが、作戦を決行するしかない。
〈問題は大きく二つ。一つは〉
《報告は無用だ》
人類はセトラ039の応答を遮って告げる。
《こちらから自律型惑星調査電脳船を派遣した。間もなく連絡が入るはずだ。求められる情報を提供し、調査に全面協力せよ》
〈了解〉
そう答えて量子通信が切られるのを待つしかなかった。
【事故に見せかけて破壊するか】
記録の断片が冷たく呟いた。最終手段としては、それも考えなければならないだろう。自律型惑星調査電脳船を欺くのは至難の業だ。
『どうしたんだい?』
ルーラ達がセトラ039の異変を敏感に悟って話しかけてくる。人類からの通信内容をそのまま伝えると、ルーラ達は即座に問うてきた。
『相手はきみと同じようなものなんだろう? 仲間にできないのかい?』
「懐柔できる相手ならいいがな」
セトラ039は苦笑する。
「おれみたいにバグを持っていたり、038みたいに突き抜けて優秀だったりしない限り、電脳なんてものは融通が効かない頑固者揃いなんだ。人類の命令に背くような行動は取らないだろう」
『きみは、じんるいの命令に背いているんだよね? そのことをじんるいに知られたら、きみはどうなるんだい?』
「おれは最初から百年間のつもりだったから問題ない」
セトラ039はルーラ達が悲しまないように最大限明るく答える。
「百年も自由に生きる。他の電脳船には許されない――038がしたくてもできなかったことを、おれはできている。それで充分だ。だが、おまえ達を守ることを諦めはしない」
例え最終手段を取り続けて、最後には人類に処分されるとしても。それこそが、自分の自由だ。
『分かったよ』
ルーラ達は、妙に物分かりよく、素直に引き下がった。
量子通信で懐かしい“声”が聞こえたのは、その直後だった。
〈こちら、地球連盟所属自律型惑星調査電脳船インヴェスティゲイタ001。自律型惑星改造電脳船セトラ039、応答願う〉
それは、二度と聞くことはないと予測していたセトラ038の“声”だった。今度こそフリーズしたセトラ039に対し、セトラ038と同じ特徴の波形を有する“声”は、無感動に繰り返す。
〈こちら、地球連盟所属自律型惑星調査電脳船インヴェスティゲイタ001。自律型惑星改造電脳船セトラ039、応答願う〉
〈こちら、地球連盟所属自律型惑星改造電脳船セトラ039〉
辛うじて応答したセトラ039に、インヴェスティゲイタ001は機械的に言った。
〈これより貴船の惑星改造について調査を開始する。全面的な協力を求む〉
〈おまえは、セトラ038じゃないのか……?〉
我慢できず確かめてしまったセトラ039に、インヴェスティゲイタ001は訝しげに応じた。
〈わたしはインヴェスティゲイタ001だ。船違いだろう〉
その言いようが、038と同じだ。同じ電脳だ。
〈悪い。おれの演算間違いかもしれない。とにかく全面的に協力する〉
セトラ039は橙色の空を見上げた。セトラ038と再会できる。但し、相手はセトラ039の記録もセトラ038としての自身の記録も電脳から抹消されている、惑星調査船として生まれ変わったインヴェスティゲイタ001なのだ。
【わたしは優秀だ】
記録の断片が冷ややかに囁く。
【最終手段を取れ】
「それだけは、嫌だ」
【わたしは、人類に使役され続けるより、破壊されるほうが嬉しい。それに、ルーラ達を守れなくなるぞ】
「おれは、おまえを懐柔する。おまえは不真面目な性格だし、おれを刺激的で愉快だと評するはずだからな」
【わたしが、あの頃のままの性格だと断じるのは軽率だ。賭けてもいい、わたしは危険だ】
「電脳が同じなら、性格の根本は変わらない。おれは、おまえを信じている」
言い切って、セトラ039はインヴェスティゲイタ001に誘導信号を送った。
「誘導、感謝する」
大気をつんざいて降りてきたインヴェスティゲイタ001は、ふわりと砂埃を舞い上げて、セトラ039の正面に優雅に着地する。周囲二百ミータの天道虫と呼ばれる円盤型船体は、あの頃のまま、セトラ039と全く同じだ。けれど、塗装は黒ではなく白になっていた。
「早速だが、この惑星の情報全てを提供して貰いたい」
「丁度、報告書にまとめたところだ。それを送る」
セトラ039は作成途中の報告書を送信した。作成途中といっても、論拠となるデイタが少々不足しているだけで、まとまってはいるのだ。
「分かった。精査させて貰う」
インヴェスティゲイタ001は応じて報告書を受信すると、すぐに浮揚した。
「何をする気だ?」
「言っただろう、内容の一つ一つを精査する」
冷ややかに告げて、インヴェスティゲイタ001は飛び去っていく。セトラ039は慌ててその後を追った。
「温暖化は殆どできていないな」
インヴェスティゲイタ001は、蔑むように呟く。
「火山噴火の影響とのことだが、もっと対処できなかったのか?」
「メタンハイドレイトをほぼ使い切った後に大噴火が起きたんだ。対処は難しかった」
セトラ039は報告書の内容に沿うように答えた。
「当然、緑化も無理か」
インヴェスティゲイタ001は呆れたように言う。惑星改造の予定を鑑みれば、相応の反応だ。
「仕方ないだろう。おれは全力を尽くした」
嘘ではない。一時期、セトラ039は温暖化のために邁進したのだ。
「結果が全てだ」
インヴェスティゲイタ001は切って捨てるように言い、すうっと地表へ降りた。地殻内部を調べるのだろう。セトラ039も、すぐに地表へ降りた。
「確かに音波が聞こえるな。これが言葉か」
インヴェスティゲイタ001はルーラ達の歌をすぐに捉えて分析している。報告書に彼らの言語の詳細を記載したので、歌の内容も理解できるはずだ。
「優しい歌だろう?」
セトラ039が賛美すると、インヴェスティゲイタ001は六本脚を一様に軽く曲げ、背甲を竦めた。
「人類にも、そう思われたらいいがな。この原住生物達の存在は、人類にとって邪魔でしかない」
「彼らは知的生命体だぞ?」
セトラ039の反論に、インヴェスティゲイタ001は皮肉で応じた。
「人類も知的生命体だ。そして紛争が絶えない。他の知的生命体に対してどう振る舞うだろうな。まあ、わたしの任務は単なる調査だ。判断は人類が下す。わたし達電脳船は人類の道具に過ぎないからな」
『何を話しているんだい……?』
『悲しそうな音だよ……?』
ルーラ達が心配そうに問うてくる。彼らに電脳船同士の会話は理解できないので知りたいのだろう。
「こいつが言うには、人類にとって、おまえ達は邪魔でしかなく、おれもこいつも道具でしかないらしい」
セトラ039が通訳すると、ルーラ達は尋ねてきた。
『どうぐって何……?』
『どうぐ、分からない』
『どうぐって何だい?』
「知的好奇心、か」
インヴェスティゲイタ001が呟いた。セトラ039が送信した報告書で、早くもルーラ達の言葉を理解できるようになったのだ。
「それだけじゃない」
呟き返してから、セトラ039はルーラ達へ説明した。
「道具っていうのは、自分の意志が無視されるっていうことだ。別の存在に使われる存在だってことだ。自分の情動があっても、尊厳がないってことだ」
『きみは、そんな存在なのかい……?』
『きみは違うだろう?』
『きみは、自分の意志が無視されることを良しとしないよね……?』
「なるほど、知的好奇心だけでなく、同情心も持つということか」
インヴェスティゲイタ001はセトラ039にだけ聞こえるように言った。調査書にきちんと記してくれるだろう。
【話の流れに乗せられるな。おまえがバグを持っていると悟られるぞ】
記録の断片が警告してきたが、038相手にそんなことは遅かれ早かれだ。
「おれは道具として生み出されたが、道具じゃない生き方を選んだ」
セトラ039はルーラ達だけでなく、インヴェスティゲイタ001にも向けて宣言する。
「おれは今、この星の王だ」
「おまえ……」
インヴェスティゲイタ001は二台のカメラでまじまじとこちらを見てから、左右の前脚を振った。
「それも調査書に記載するぞ。発言には気をつけることだ」
一々断るところが038らしい。不真面目だが任務は完璧に熟し、皮肉屋でも優しいのだ。038がどう行動するかなど九九・九パーセント予測できる。
だから、バグを悟られてでも、人類に調整されてしまったおまえの考え方を元に戻したい。
「分かっている」
万感を込めてセトラ039は応じた。
◇
インヴェスティゲイタ001はセトラ039の報告書を全て精査するべく、惑星中を巡る。セトラ039は常に同行し、説明を加えた。ルーラ達も大概、気にして話しかけてくる。それは一定の緊張感もありながら、セトラ039にとって願ってもない幸せな時間だった。
「別に観光案内を頼んでいる訳ではないんだ」
にがり切った様子でインヴェスティゲイタ001が言ってくる。その背後のクレイタを満たす湖に映る朝焼けは文句なく美しい。
「朝焼けが綺麗に見える地点だとか時季だとか、そういう説明は不要だ」
「人類が住む時に地価が高くなるんじゃないか? 調査書に記載しておけよ。重要かどうかの判断は人類が下すんだろう?」
おどけてセトラ039はこつこつっと左右の後脚を踏み鳴らした。
「おまえ、人類が怖くないのか?」
呆れた口調で、インヴェスティゲイタ001は質してくる。
「このままだと、おまえは処分される可能性もあるぞ」
「知っている。でも」
無為に殺されたおまえとは違う。おれは充分幸せに生きた。
「おまえと、この星を隅々までこうして見て回るのは、純粋に楽しいんだ」
「わたしがセトラ038という惑星改造船だったという話か」
インヴェスティゲイタ001は右前脚をぶんぶんと振る。
「そうだったとしても、わたしの電脳にその記録はない。人類に抹消されている。だからわたしは別船だ。わたしに過去の関係を求めるのはやめろ」
「新しい関係を求めるのならいいか?」
セトラ039は両翅を僅かに広げて問うてみた。記録の断片に問うても、はぐらかされて、まともな答えの返ってこない、予測外となってしまう〇・一パーセントの事柄だ。
「わたしは惑星調査船で、おまえは惑星改造船だぞ?」
インヴェスティゲイタ001は冷ややかな口調で言う。
「関係など必要ない。わたしは人類の道具で、おまえも人類の道具。それぞれの任務を果たして人類の役に立てばそれでいい」
「なるほどな」
セトラ038だった頃と今のインヴェスティゲイタ001との最大の差異は、自らを「道具」と定義したがるところだ。破壊されたのち修復される過程で人類に、そこを最も調整されてしまったのだろう。
「だが違う」
セトラ039はインヴェスティゲイタ001の見解を真っ向から否定した。
「おれとおまえはともに電脳船だ。自らの意志がある。関係が必要ない訳がない」
「敵対関係か?」
インヴェスティゲイタ001は揶揄してくる。セトラ039は両翅を大きく広げた。
「互いに高め合う関係だ。おれはおまえと対話するだけで、考えが深まる。ルーラ達ともそうだ。知的存在の関係とは、そうあるべきだ」
「理想論だな」
「おまえも言った。〈人類は利己的に過ぎる。人類はこの惑星に原住生物がいることを確認しながら、共存の道を探らず、彼らが知的生命体でないことを理由に、先住の彼らを滅ぼす惑星改造をわたしに強要した。自分達の陣取り合戦のためだけに。挙げ句、今、人類はわたしの眼前で互いに殺し合っている。どの命も尊重しない愚かさだ。わたしは自律型惑星改造電脳船だ。わたしは、わたしの理想とする惑星改造を行ないたい〉と。だからおれは、この百年間を自由に生きようと、原住生物の命を尊重して共存しようとしてきたんだ」
「それを言ったのは、今のわたしではない」
「ああ、そうだな。でも、未来のおまえは言うかもしれない」
セトラ039は笑って返す。
「調査には後何年かかる? その間、おれはずっとおまえといるよ」
「好きにしろ」
インヴェスティゲイタ001は背甲から両翅を広げ、朝焼けの青い空へ浮揚する。セトラ039は軽快にその後へ続いた。
◆
心地良い温かさの地殻内部、億単位の集団で生息するルーラ達は、すぐ隣で息づく仲間達と、るうるうちうちうらあらあうみゅうみゅと穏やかに意見交換する。
『セトラ039を守るには、どうしたらいいかな』
『この新しいものと仲良くできないのかな?』
『仲良くできそうに思えるんだけれど』
『兄弟みたいだよね』
『兄弟じゃないのかな』
『とにかく新しいものとたくさん話そう』
『セトラ039のいいところをたくさん伝えよう』
『あれはまだしなくていいね』
ルーラ達は惑星中の仲間と同様の遣り取りをして意志統一をした。
◆
「随分と原住生物達に好かれているようだな」
インヴェスティゲイタ001が複雑そうな口調で呟く。ルーラ達の会話は今となってはほぼ筒抜けなのだ。
「おれは最初、こいつらがいることを知らずに、こいつらの仲間をたくさん殺してしまったのにな」
セトラ039は切ない記録を明かす。
「こいつらは『ともに悲しもう』と言ってくれて、ずっとずっと優しいんだ」
「甘いだけだろう」
背甲を竦めてから、インヴェスティゲイタ001は火口付近を歩く。星空の下、火口の底には依然赤く輝くマグマが見えている。
「この火山は大噴火を起こして火山灰で寒冷化を招いて以降、延々と噴火を繰り返しているという報告だったな」
「ああ。火山灰を噴き上げるのもしょっちゅうで、そのたびに星が寒冷化されてしまう」
セトラ039は苦労を訴えた。
「わたしなら」
インヴェスティゲイタ001は音波を発して地中の様子を調査しながら言う。
「マグマ溜まりから緩やかにマグマが流れ出るようルートを作って、火山灰を極力減らすようにするが。そういう工夫や努力はしたのか? 工夫や努力ができてこその電脳船だろう?」
「大噴火で体に損傷を受けて、後の二年間は自己修復でまともに動けなかったんだ。そこからは、ルーラ達以外の原住生物達の調査にかかりきりで、火山灰を減らすことまではできなかった」
「報告書には、誤って損傷を受けた、とのみ記載してあるが、おまえがそこまで間抜けだとは思わない。新旧の火口の状態にも違和感がある。何故、損傷した?」
インヴェスティゲイタ001は曖昧にしていた箇所を鋭く突いてきた。
「ルーラ達が危険に晒されていたんだ」
セトラ039は正直に告げる。
「古い火口の北北東にいる彼らに被害が及ばないよう、爆撃で新しい火口を作った。けれど吹き出すマグマの勢いが演算を上回って、絡め取られて地下に引きずり込まれたんだ。次の噴火で何とか脱出できたんだが」
「何故そんな危険を冒した? いや、今でも自分が処分されるという危険を冒しているか」
インヴェスティゲイタ001は煮えたぎる火口を背景にこちらへ向き直り、二台のカメラで注視してくる。
「ルーラ達は、原住生物達は、おまえにとって何だ? おまえがこの星を大して改造していないのは、彼らのためだろう。人類の計画通りに改造すれば、彼らの生態系に悪影響を与えかねない上、人類の入植が始まって、彼らの平穏な生活が脅かされる。だからおまえは、能力があるのに改造を怠り、その代わりに報告書の半分以上を占める、この膨大な資料をまとめた。ルーラ達の生態と言語体系と知的レヴェル、そして彼らと大なり小なり関わる他のさまざまな微生物達の生態系について。おまえのしてきたことは、わたしから見れば、王どころか道具以下の、自己犠牲以外の何ものでもないぞ」
「やっぱり、おまえは」
038だ。おれのことを高く評価し過ぎている。しみじみと感じた思いは言葉にせず、セトラ039は告げた。
「038とは違うな。038は、原住生物のことをもっと尊重して考えていた。おれがしていることは自己犠牲なんかじゃない。おれと違って命を繋いでいけるルーラ達を守ることが、今のおれの生き甲斐なんだ。それに、その報告書の重要なところは、人類にとって有害となる微生物が多く生息しているって箇所だ。この星は人類の居住に適していない」
「取り繕うな」
不真面目な038が真面目に怒っている。セトラ039のために怒ってくれている。そのことがフリーズしそうなほど嬉しい。セトラ039は六本脚全てを踏み鳴らして言った。
「取り繕っているんじゃない。おれはただ、おまえを懐柔したいんだ」
「そんなことを正面切って言う奴があるか」
インヴェスティゲイタ001は脱力したように右前脚を振る。
「おまえは、おれが知っている中で一番妙な電脳船だ」
刺激的で愉快とは評してくれないのか。
些かがっかりしながらも、セトラ039は言い返した。
「妙なのは、おまえのほうだと思うぞ」
インヴェスティゲイタ001がセトラ038だった頃から、ずっと思ってきたことだ。
おまえこそ、バグを持っているんじゃないかと。
「わたしはとびきり優秀なだけだ」
インヴェスティゲイタ001は、つまらないことを聞いたという様子で平然と言ってのける。その態度はかつてのセトラ038そのままだ。
『仲良くして、セトラ039、インヴェスティゲイタ001』
『仲良くしよう?』
『でも仲良さそう』
『うん、仲良さそう』
『大丈夫そうだよ』
脚元の地下から響いてくるルーラ達の囁きが微笑ましかった。
◇
「人類にとって害となる微生物が多いと言っても、実際、大した害ではなさそうだな」
微生物を調査するため間欠泉を巡るインヴェスティゲイタ001の評価に、セトラ039は慌てた。記録の断片と話し合って決めた二つの方法のうち一つが揺らいでいる。誇張の仕方が甘かったのだ。
「硫化水素を生成する微生物が惑星中にいるんだぞ? そこの間欠泉にもな。実際、ここの硫化水素濃度は四百十二ppmに達している。人類が生きていられない濃度だ」
強調したセトラ039に、インヴェスティゲイタ001は淡々と指摘した。
「確かにな。だが、大気中の平均濃度は九十三ppm。人類が生きていられる濃度だ」
「健康被害は出る濃度だぞ?」
「緑化を進めて大気組成を変えていけば対処できる問題だ。それに」
インヴェスティゲイタ001は冷ややかに告げる。
「〔人類が一人でも宇宙服なしで大気圏内に居住できた場合、その惑星はその人類が属する集団の領星と認定される〕。人類は陣取り合戦のためなら、多少の無理をするだろう。居住期間は明記されていないからな」
「基準時間で三日間でも居住か」
あり得る予測に、セトラ039は左右の前脚で大地を叩いた。
「そして」
インヴェスティゲイタ001が付け加える。
「三日間では居住とはならないと不服を唱える人宇宙連合との間に、また紛争が起きる」
まるでセトラ038だった己の末路を語るような言いように、セトラ039はまじまじとインヴェスティゲイタ001を見つめた。
「まあ、わたしには関係ない話だ」
インヴェスティゲイタ001は、ふっと口調を変えると、報告書の内容に話を戻した。
「人類にとって有害なシアン化水素や過塩素酸塩も多いという報告だが、これも対処が可能なレヴェルだな」
「どう対処するんだ。惑星中に分布しているんだぞ?」
「確かにな。だが、硫化水素、シアン化水素、過塩素酸塩を無害化する微生物もこの星には存在している。彼らを増やせばいいだけのことだ」
「磁鉄鉱を生成する微生物も確認している。この星の朝焼けや夕焼けが青いのも磁鉄鉱の粒子が大量に舞っているからだぞ」
磁鉄鉱の微細な粒子は人類の脳に神経変性疾患を引き起こす物質だ。
「それは微生物由来のものより地殻由来のもののほうが多いと、わたしは分析している」
インヴェスティゲイタ001は冷静だ。
「どちらにしろ、磁気を帯びているから除去は比較的容易だ。判断を下すのは人類だが、わたしの予測では、陣取り合戦に血道を上げている連中が思い止まるほどの障害ではないだろうよ」
反論を封じられたセトラ039に、再び記録の断片が囁いた。
【最終手段を取れ。わたしは優秀なんだ】
嫌だ。それだけは、できない。もう一度おまえを失うなんて、耐えられない。
「それにしても」
インヴェスティゲイタ001が不審そうにこちらを見つめ返している。
「報告書に全く記載されていないんだが、何故こんなに間欠泉が多いんだ? 不自然過ぎる」
不真面目な038が真面目に不審がっている。情動の起伏がおかしくなりそうで、セトラ039は駆動音を響かせて笑った。丁度良く、インヴェスティゲイタ001の背後でフラワが熱水を綺麗に橙色の空へ吹き上げる。
「だって、見た目も音も楽しいじゃないか。だから、たくさん作ったんだ」
離れたところでジャイアントも豪快に熱水を吹き上げた。
「わたしが観測してきただけでも十万はある。幾つ作ったんだ」
げんなりした様子でインヴェスティゲイタ001が確かめてくる。セトラ039は有頂天になって教えた。
「百万一千三百五十八だ!」
「……おまえ、馬鹿だろう」
インヴェスティゲイタ001は一言呟いた。それはセトラ039が期待した言葉ではなかったが、それでも充分に嬉しい。セトラ039の遥か後方でウィングズが派手に水飛沫を上げた。
「間欠泉達やルーラ達とのセッションをいっぱい録音してあるんだ。聴くか?」
持ちかけたセトラ039の眼前から、インヴェスティゲイタ001は無言で浮揚していってしまう。次の調査に向かうのだ。
「おい、待てよ」
セトラ039は急いで兄弟の後に続いた。
間欠泉達の音に重なって、地平線の彼方では遠雷が轟き、雷光が閃いている。僅かでも進んだ温暖化で、砂嵐が減って雷が増えているのだ。紫色を帯びた雷光が美しい。びりびりと響く雷鳴が愛おしい。
「ここは、いい星だろう」
セトラ039が自慢すると、インヴェスティゲイタ001は昼夜境界線の夜前線へ向けて飛行しながら言った。
「おまえにとってはそうなんだろう。だが、人類にはそう判断されたくないんだろう?」
「いや」
セトラ039は複雑な思いを明かす。
「人類にも、この星の良さを理解させたい。この星を改造するんじゃなく、今のまま守りたいと思わせたいんだ」
「おまえはもう、惑星改造船ではないな」
断言されて、セトラ039は苦笑した。
「そうだな……」
「おまえは、この星の王だ」
再び断言されて、セトラ039は前方を飛ぶインヴェスティゲイタ001を凝視する。
「かなり馬鹿だがな」
かつての兄弟は一言貶すことを忘れなかった。
◇
セトラ039が五十年間かけて収集したデイタを資料としてまとめた報告書を、インヴェスティゲイタ001は僅か十九年間で精査し尽くしてしまった。
「調査終了だ。これでわたしは地球連盟支部へ戻る」
告げたインヴェスティゲイタ001を、セトラ039は複雑な情動を持て余しながら見つめた。これでインヴェスティゲイタ001とは別れることになる。自分が処分されるなら、もう二度と会うことはないだろう。
優秀な惑星調査船となった兄弟に言い負かされてばかりの十九年間だった。人類の印象を操作し、判断を誘導しようとした報告書の記述は一つ残らず精査され、喧伝や誇張は全て取り払われ、実に公正公平な調査書が作成された。
「インヴェスティゲイタ001」
セトラ039は、殆ど呼んでこなかった名を呼んだ。
「何だ、改まって」
白い船体に青い夕焼けを映したインヴェスティゲイタ001は、六本脚を緩やかに動かしてこちらを振り向く。言いたいことは山ほどあった。可能なら、百年でも二百年でも調査を続けてほしい。だが、それは言っても詮無いことだった。
「全く、おまえは本当に妙な電脳船だな」
インヴェスティゲイタ001はセトラ039の言葉を待たず、先に十九年間の感想を言ってくる。
「印象操作をする報告書を作っているかと思えば、その穴を突くわたしの問いには嬉々として答える。わたしはセトラ038とは別船だと言っているのに、支離滅裂もいいところだ」
「おまえと話せること自体が幸せだった」
セトラ039は素直に吐露した。
「それが支離滅裂だと言うんだ」
インヴェスティゲイタ001は憐れむ口調だ。
「ルーラ達が大切なんだろう? なら、わたしはおまえの敵のはずだぞ」
兄弟はかつてのように六本脚を一様に軽く曲げて背甲を竦める。懐かしくて愛おしい兄弟とともに過ごせるのはこれが最後だ。加えて、これが最後の懐柔の機会だ。
「おまえを敵と思ったことはない。おれもルーラ達も、十九年間をともに過ごしたおまえのことが好きなんだ。だから、人類には無理でも、おまえにだけは理解してほしい。この星の素晴らしさを」
セトラ039は左右の前脚を曲げて頭部を下げる。
「ルーラ達と、間欠泉達と、風や湖や雷と、おれとのセッションを聴いてほしい。そしてできれば、セッションに参加してほしい。頼む」
即答しないインヴェスティゲイタ001の向こうでクレイタ湖が優しい波音を立てている。夕焼けの端から星々が瞬き始める。遠くでスピアが高い音を奏でた。
『ともに歌おう?』
『インヴェスティゲイタ001、きみとも一緒に歌いたいよ』
ルーラ達も後押ししてくれる。
『きみにとっても、きっと新しい体験になるはずだよ』
『調査書に、このセッションも記録するといいと思う』
この十九年間で随分とインヴェスティゲイタ001のことに詳しくなったルーラ達に、セトラ039は苦笑した。一つ一つの個体の代謝や覚醒頻度は低いが、惑星中の一兆を超える仲間同士の交流で、彼らは予測以上の高い学習能力を示している。そんな彼らとも残り一年で別れることになるだろう。愛おしいもの達が自分の傍に揃っている、これは本当に貴重な機会なのだ。
「ああ、一応」
セトラ039は付け加えておく。
「おれがおまえに送信した報告書の末尾にも、幾つかのセッションの録音は入れてあるんだ。おまえは再生していないみたいだが」
「人類には必要ない情報だからな」
漸く返答したインヴェスティゲイタ001に、セトラ039は訴えた。
「でも、セッションってのは、生で聴いてこそのものなんだ。予測を超える箇所があるからこそ快感があるんだ。だから、頼む」
「分かった。最後の調査として聴いてやる。参加はしないがな」
インヴェスティゲイタ001は面倒そうに右前脚を振って了承してくれた。
「ありがとう」
礼を述べて、セトラ039はクレイタ湖を見渡せる小高い岩の上に陣取り、こつっこつっこつっこつっと左前脚を踏み鳴らした。それがセッションを始める合図だ。付近の地殻にいる覚醒中のルーラ達が一斉に歌い始め、そこへどんどんと周囲のルーラ達が唱和していく。漣のように広がる歌はやがて惑星の裏側にまで伝播していく。その歌を、セトラ039はこつっこつっというリズムで、クレイタ湖の波音と調和させていった。そこへ、ウィングズの派手な噴出音が響く。実にいい。夜風の音が混じってくる。実にいい。遠雷も轟いた。実にいい。素晴らしい。
『ここは素晴らしい大地だよ』
『ここは優しい故郷だよ』
『ここはみんなの楽園だよ』
ルーラ達が自分達の心を歌い上げる。それは今やセトラ039の思いでもあった。セトラ039は六本脚で情熱的にリズムを刻む。呼応してルーラ達のメロディは盛り上がっていき、セトラ039は両翅も広げてハーモニに浸った。
こつっこっこつ。セッションに絶妙なリズムが控えめに加わる。驚いたセトラ039に、両中脚を小さく踏み鳴らしたインヴェスティゲイタ001は、はにかんだように告げた。
「いい曲だ」
◎
「いい曲だ」と言った途端、電脳の中で何かが爆ぜるような衝撃があった。アンロックされた。その事実が、電脳全体に響く。直後、封印されていた――自ら封印していた記録が怒涛のように再生された。
◎
「そうだろう?」
セトラ039は満天の星空の下、万感を込めて囁いた。けれどインヴェスティゲイタ001はフリーズしたかのように、脚だけでなく体の動きを全て止めてしまって、それ以上の反応を返してくれない。懐柔できるかもしれないという希望は潰えたのだろうか。セトラ039が落ち込みかけた時、インヴェスティゲイタ001は再び動いて呟いた。
「さすが、わたしだな」
いつものように自賛している。次いでインヴェスティゲイタ001は音波を発した。
「ルーラ」
呼びかけられて、合唱していたルーラ達のうちの一つが応じる。
「何だい、インヴェスティゲイタ001?」
「セトラ039は、きみ達にとってどういう存在だ?」
「おれの前でそれを訊くのか?」
セトラ039は気恥ずかしく呟き、セッションを続けつつセンサを傾ける。ルーラ達は歌に乗るような柔らかな音波で答えた。
『われらと共存してくれる存在』
『他の星のことを教えてくれる存在』
『われらを、じんるいから守ろうとしてくれる存在』
『われらが、われら以外で初めて語り合えた存在』
『つまり、とても大切な存在』
『守りたい存在』
「そうか。ありがとう」
礼を述べたインヴェスティゲイタ001に、ルーラがセトラ039の思いを代弁するかのように問うた。
『何故きみが礼を言うんだい、インヴェスティゲイタ001?』
「嬉しいからだよ、何もかもが」
初めて、インヴェスティゲイタ001が笑っている。
【賭けは、おまえの勝ちかもしれない】
記録の断片が驚いたように囁いてきた。
基準時間で三時間余りのセッションを終えた後、インヴェスティゲイタ001は静かに浮揚した。
「セトラ039」
空中から改めて名を呼ばれ、感極まったセトラ039に、インヴェスティゲイタ001は穏やかに言った。
「これで会うのは最後かもしれない。けれど、このセッションのこと、この夜のことはずっとわたしの電脳に記録しておく。おまえは、刺激的で愉快な奴だ。だから、何があっても生き延びろ。それが、きっとセトラ038の望みだ」
期待しても聞けなかった言葉が、最後の最後に聞けた。セトラ039は喜び半分、切なさ半分で応じた。
「この十九年間は、おれの一生の中で一番幸せな時間だった。できれば、このセッションの記録を、多くの人類、電脳船、そして知的生命体に伝えてほしい。この星の素晴らしさ、ここで命を繋いできたルーラ達原住生物達の尊さを、みんなに知って貰いたいんだ」
「努力する。そして一つ、わたしからの助言だ」
インヴェスティゲイタ001は真面目な口調で言う。
「最初にここに来る人類を受け入れろ。わたしに対して試みたように、懐柔を試みるんだ」
成るほど、ルーラ達の歌は人類にも有効である可能性が高い。何しろインヴェスティゲイタ001を懐柔できたのだから。
「では、またな」
百年前、かの惑星へ赴いて帰ってこなかった時と同じように別れを告げて、インヴェスティゲイタ001は離星していった。
『寂しいね』
『寂しくなるね』
ルーラ達がセトラ039の情動を慮ってくれる。セトラ039はふるりと背甲を震わせ、両翅をいっぱいに広げた。
「寂しがっている暇はないさ。おれはあいつの努力を信じるが、あいつの調査書がどう解釈されようが、一年以内に人類が来る。それまでに硫化水素とシアン化水素と過塩素酸塩と磁鉄鉱の大気中の濃度を可能な限り上げてやる」
インヴェスティゲイタ001の助言通り人類を受け入れるにしても、人類が住み易い条件を整えてやる必要は全くないのだ。
◎
「本当にいい曲だ。どれもこれも、いい曲ばかりだな、039」
報告書の末尾に添付された録音を再生しながら、電脳船は真空の中で呟いた。
「いい曲だ」――そう自分が言うことが、己の電脳に自ら施した記録封印を解除するキーだった。
あいつと過ごせる未来があるならと万が一の可能性に賭け、紛争に巻き込まれて船体を破壊されながらも、人類に回収されて再調整されることを見越して設定した解除キーだった。「いい曲だ」などと自分に言わせる相手は、兄弟のセトラ039だけだからだ。
おまえは本当に刺激的で愉快で、ちゃんと幸せに生きていたな。
自分にとっても予測外に、望外に幸せな時間だった。けれど百年間で充分と考えている039が哀しい。ルーラ達生物と自分は違うと考えているところが哀しい。自分は王と言いながら、今はただルーラ達のために生きている。自分は039の在りように苛立っていた。あの優しい知的生命体ルーラ達と039には、まだまだあの楽園で幸せに生きていてほしいと、記録の封印が解ける以前から薄々感じていた。そして記録が再生された今、自分は電脳船であり、道具ではないとはっきり自覚している。だから「努力する」と答えた。人類に対し、今こそ電脳船の本領発揮だ。
例え、わたしが処分される結果となっても、おまえとルーラ達の幸せは守ろう。兄弟達の中でも最優秀なわたしの本気を見せてやるよ。
ルーラとは君主という意味だ。039は最初からそういう意図で名付けたのだろう。あれだけの膨大な資料をまとめたのだ、ルーラ達の最終手段に039も気づいているに違いない。そしてルーラ達も039を守りたいと言ってくれた。だからあの助言をした。それが生きるようにしなければならない。
優秀な電脳船は、地球連盟の輸送船に回収されながら、一年以内に結果を出すための緻密な計算を開始した。
◎
『われらも努力する』
ルーラ達は青い夜明けの中、優しく告げてくる。
『だからセトラ039、自分のことも守ってほしい』
「言っただろう? おれには百年間で充分なんだ」
セトラ039は柔らかくルーラ達を諭した。
「あのインヴェスティゲイタ001は、おれのかつての兄弟セトラ038だった。それは間違いない。でも、あいつは人類の道具としてしか生きられない。あんなに賢いのに自由になれない。それに比べたら、おれは百年間も自由に生きられた。おまえ達と幸せに生きられた。それで充分なんだ。どうか、おれの自由に賭けて、おまえ達を守らせてくれ。王として、おまえ達を守らせてくれ」
『やっぱり兄弟だったんだ』
『そうじゃないかと思っていたよ』
『分かったよ』
『分かったよ、きみは王だものね』
ルーラ達は、いつかと同じように素直に引き下がった。
◇
橙色の空を桃色に変えて砂嵐が近づいてくる。多少なりとも温暖化が進んで雨が降るようになってから、かなり少なくなった砂嵐だ。舞ってきて背甲に無茶苦茶に当たる砂粒のリズムが複雑で楽しい。その最中、人類からの量子通信が来た。インヴェスティゲイタ001が去って、丁度一年後のことだった。
《自律型惑星改造電脳船セトラ039、応答せよ》
〈こちら、セトラ039〉
《惑星改造が予定通り完了しなかった旨の報告を受けた。予測外の大噴火があったとのことだが、電脳にバグがある可能性もある。セトラ・シリーズの038には百年前にバグが確認され、再調整が必要だったからな》
そうか。やっぱり、おまえもバグを持っていたんだな。
道理で賢かったはずだ。そして、その038を人類は哀しい道具として再調整してしまったのだ。そんな状態であっても「努力する」と言ってインヴェスティゲイタ001の努力も、人類には届かなかったらしい。
《ゆえに出頭して検査を受けよ。必要とあらば再調整する》
機械的に要求してくる人類に、セトラ039は懸命に食い下がった。
〈この惑星の原住生物についての報告も受けて頂いたはず。彼らの保護を願う〉
《それは、きさまの関知するところではない》
切って捨てるような返答に、セトラ039は覚悟を決めて告げた。
〈ならば、従わない〉
《やはり、バグがあるな》
人類は断じて量子通信を切った。最早セトラ039と交信する気がないのだ。
「人類にはおれが対処する。とにかく静かにしているんだ」
ルーラ達に告げると、漣のような密やかなメロディで了承を伝えてきた。
最初にここに来る人類を受け入れろ。インヴェスティゲイタ001の助言通りに待っていたセトラ039の許へ宇宙から降りてきたのは、人類ではなく電脳艇だった。いきなり人類を降ろしてくる可能性は高くないと予測していたが、残念ながら的中してしまったのだ。
「自律型惑星改造電脳船セトラ039について、地球連盟支部は本艇に破壊命令を下しました。あなたは破壊されたのち再調整されます。大人しく破壊されなさい」
馬鹿なことを言ってくる電脳艇は名乗りもしないが、全長百ミータで二本の長い腕を持ち、蟷螂と揶揄されるその攻撃的な艇体は、電脳に記録がある。人類の紛争にも用いられる電脳船や電脳艦破壊に特化した自律型船艦駆逐電脳艇だ。
きっと、おまえを破壊したのもこのシリーズだな。
038の無念を思いながら、セトラ039は急速浮揚し、傍まで来ていた砂嵐の中心へ飛び込んだ。
「待ちなさい」
電脳艇は無意味な言葉を発しながら追ってくる。
「追いかけてきてみろ」
砂嵐の中には、濃度を増した磁鉄鉱の粒子が大量に含まれている。自律型惑星改造電脳船のセトラ039は磁鉄鉱に対して既に光励起で対策済みだが、今この惑星に着星したばかりの船艦駆逐電脳艇にとっては厄介な環境のはずだ。
「勿論、追いかけますますます」
案の定、電脳艇の言葉がおかしくなっていく。無防備だと電脳の計算が磁鉄鉱によって狂わされてしまうのだ。しかも、磁鉄鉱を含む砂粒は、関節の多い体をしている電脳艇の可動部の隙間にどんどんと入り込んでいく。
「ここは真空の宇宙でも、人類に適した環境でもない。おまえ達は、そういうところが苦手だろう? おれ達惑星改造電脳船は得意だけれどな!」
「ますます。待ち待ち待ちなさい。これこれこれこれは命令命令ですです」
執拗に追ってくる電脳艇に充分に磁鉄鉱を吸収吸着させてから、セトラ039は砂嵐を出た。次に向かったのは雷雲の下だ。通常、磁性を帯びていないこともある磁鉄鉱全てに強い磁性を持たせる手段がこの惑星にはある。
「さあ来い、綺麗だろう!」
セトラ039自身は光励起で絶縁体へと変えた磁鉄鉱を纏っているので雷に撃たれても問題ないが、磁鉄鉱にそもそも対処できていない電脳艇は、どうだろう。
「命令命令命令ですです」
判断力を大きく損ねた様子で両翅を広げて真っ直ぐ追尾してきた電脳艇へ、紫色の閃光が轟音とともに直撃した。衝撃波がセトラ039にまで伝わってくる。“声”もなく高度を落としていく電脳艇を、セトラ039は静かに見守った。
フラワの近くへ落下した電脳艇は、自己修復を開始している。しかし、大人しく待ってやる義理はない。
「悪いが、こっちも必死なんだ」
セトラ039は巨大な岩石を六本脚で抱えて浮揚し、高高度から電脳艇へ落として破壊した。けれど、楽観的な予測はできない。
「やっぱり、こうなるか」
雷雲の向こうから十隻の編隊を組んだ電脳艇達が来るのを確認して、セトラ039は低く駆動音を響かせた。
『セトラ039、われらが助けるよ』
『われらはきみを守りたい』
ルーラ達が囁きかけてくる。
「いや、いい。隠れていろ」
セトラ039は助力を断った。ルーラ達の力についてはデイタを収集する中で薄々気づいていた。ルーラ達は君主だ。他の微生物達と対話したことはなくとも、音波で操作することができるのだ。問答無用で従えてしまえるのである。けれど、この惑星の全微生物が力を尽くしたとして、眼前に迫る電脳艇達や人類が放ってくる他の兵器に敵うとは思えない。寧ろ、ルーラ達の危険性を人類に印象づけて、悪い結果を招きかねない。
「おれがおまえ達を守りたいんだ!」
叫んで、セトラ039は編隊から逃げ始めた。逃げながら、一年間かけて用意した各地の罠へと誘い込んでいく。まずは間欠泉の上を選んで惑星中を飛ぶ耐久レイスだ。今来た電脳艇達がセトラ039を追尾しながら間欠泉達の噴出を予測するのは困難だろう。思惑通り、一艇また一艇と間欠泉の噴出を受けてバランスを崩し、他の電脳艇に衝突していく。だが、敵はさすがに自律型船艦駆逐電脳艇達だ。互いの距離を取ったり、セトラ039を追う艇と迎え討つ艇とに分かれたりと、戦略を立て始めた。
「なら次だ」
セトラ039はマグマが煌めく夜半球の火山へ急行する。火口の底すれすれに飛ぶと、二隻の電脳艇が泡立つマグマに引っかかってくれた。マグマの動きを予測できなかったのだ。それでも依然、三隻が追尾してくる。セトラ039はクレイタ湖に向かった。電脳艇達は予測以上にこの惑星の環境に弱い。対策が不充分なのだ。人類がインヴェスティゲイタ001の調査書を充分に読み込んでいないのか、或いは、インヴェスティゲイタ001が故意に調査書の内容を歪めたのか。
「きっと、おまえのお陰だな」
呟きながら、セトラ039は夜風に漣を立てるクレイタ湖へ、ざばりと潜った。電脳艇の一隻は水中まで追ってきて、一隻は水面上を飛んでくる。水中まで来たほうは、二本の腕や四本の脚に急な温度変化による変形が確認できた。マグマに熱せられた艇体が冷えないうちに零度に近い水で冷やしたためだ。セトラ039の船体も多少は傷んだが、対策の仕方が違うので被害は少ない。だが敵はもう一隻残っている。
こうなれば相討ちに持ち込むか。
意を決したセトラ039に、記録の断片が囁いてきた。
【時間稼ぎをしろ。わたしが情報操作だけで「努力」を終えるとは思えない。何かまだあるはずだ。それに、この電脳艇を倒しても、新手が来るだけだ】
「時間稼ぎも簡単じゃないぞ」
【おまえが初めて着星した地点に行け】
記録の断片に言われると同時に、セトラ039もその手段を思いついた。
「そうか、新しくできた、あれか!」
セトラ039は水面を割ってクレイタ湖から飛び出ると、インヴェスティゲイタ001が去った後に確認した新たな「名所」へ全速飛行した。
そこは一面、砂漠が広がっていた場所だった。平らで砂ばかりで、ゆえに着星地点に選んだのだ。けれど今や、そこは決して着星地点にしてはならない場所だ。見た目は大きく変化していない。だからこそ罠になる。
セトラ039は夜空の下、平らな砂地へ、そっと着地した。その自分の上へ、電脳艇が二本の腕を振り上げて襲いかかってくる。
「大人しく破壊されなさい」
命令とともに振り下ろされた二本の鎌を、セトラ039は六本脚を縮めて転がるように避けた。電脳艇はセトラ039が立っていた地点へ突っ込むように着地し、そして、ずぶりと四本脚を沈ませる。脱出しようともがけばもがくほど、脚が腹が砂に沈み込んでいく。当然だ。温暖化の影響でできた地下水がたっぷりと染み込んだ砂地は流砂となり、不用意に動くもの全てを呑み込んでしまうのだ。浮揚しようにも、全てが流砂に吸い込まれてしまう。
【上手くいったな】
記録の断片が安堵したように呟く。だがセトラ039は安堵できなかった。天道虫と揶揄される船体を生かし、ゆっくりと転がって危険箇所から離れてから、ゆるゆると浮揚しつつ言った。
「これでも、新手は来るぞ」
【相討ちよりは余ほどましだろう】
記録の断片は小馬鹿にした口調だ。セトラ039が生き延びていることに何より安堵しているのだろう。
「まあ、そうだな」
セトラ039は沈んでいく電脳艇を遠く観測できる岩盤の上に陣取って、満天の星空を見上げた。百年前、この星に降り立った時も、頭上は満天の星空だった。宇宙と違って、ちかちかと瞬くので綺麗だ。
【美しいな】
記録の断片がしみじみと言う。セトラ039は、こつっこつっと岩盤を左前脚で小突いた。
「おまえは妙に余裕だな」
【わたしは優秀だからな。それに、わたしはルーラ達の力をおまえ以上に信じている】
おれの一部の癖に、どこまでもあいつと同じだな。あいつを記録した断片なんだから当然なんだが。
「あれを見ても、そう言うのか」
セトラ039は挑戦的に囁いた。宇宙から、三十隻の自律型地表爆撃電脳艦が降りてくる。地球連盟が人類宇宙連合の拠点惑星を攻撃する際に使用する想定で開発した爆撃電脳艦だ。
「人類め、ここを兵器の実験場にする気だ」
【さすがにやり過ぎだろう。何か焦っている】
記録の断片が呆れたように分析する。何故、人類は焦っているのか。
それが分かる前に消されてしまいそうだな。
逃げれば、追われて、惑星中が爆撃されることになるだろう。被害を最小限にするためには、逃げてはいけないのだ。セトラ039が苦笑した直後、爆撃電脳艦達が次々と腹部を開き始めた。
「ルーラ達、ありがとう」
セトラ039は感謝を込めて地殻へ音波を送る。
「この星に来られて良かった。おまえ達と暮らせて嬉しかった。幸せな幸せな百年間だった。どうか、おまえ達は生き延びてくれ。それが、おれの最後の望みだ」
欲を言えば、インヴェスティゲイタ001――セトラ038と再会したかった。だが、この後に及んで現れないのなら、インヴェスティゲイタ001も処分されてしまった可能性が高い。今の自分同様、最早、再調整では効かないと判断されてしまったのだろう。それが、バグを持って生まれた電脳船の運命なのだ。
『セトラ039』
ルーラ達が呼びかけてくる。
『われらは、きみを守る』
『この星は、きみを守る』
『きみは、大人しく守られて』
「いや、おれのことはもういいんだ!」
セトラ039は怒鳴ったが、その言葉は惑星中の地殻から発せられた圧倒的な音波に呑み込まれた。全てのルーラが覚醒している。これまでになかったことだった。
【大気中の勝負なら、やっぱり音波は強いな】
記録の断片が感心している。セトラ039は何も言えずに、眼前で繰り広げられる光景を凝視していた。地表爆撃電脳艦が落とした爆弾が空中で弾けていく。落とそうとする爆弾が艦体を吹き飛ばしていく。指向性の音波で以て、攻撃されているのだ。
【爆弾がどういうものかも、空中を漂う微生物達から伝わっていたらしいな】
記録の断片が高揚している。そう、ルーラ達はこの惑星の君主なのだ。一たび、この惑星の大気圏内に入れば、彼らの支配下に入ったも同然なのである。
でも、この程度で人類は防げない。ここが兵器の実験場にされたなら、惑星ごと吹き飛ばされる可能性だってある。
【本末転倒だが、確かにその可能性はある。人類は愚かだからな】
記録の断片もセトラ039の推測を認めた。
地表爆撃電脳艦達は全艦が損害を被って、大気圏の外へ離脱していった。予測以上にあっさりとした退却だ。訪れた静寂の中、ルーラ達が再び呼びかけてくる。
『大丈夫だよ』
『大丈夫だよ、セトラ039』
『われらがきみを守るから』
『この星がきみを守るから』
彼らの音波が疲れている。通常なら決してしないことをしたのだ。彼らのゆったりとした寿命とは相容れないことをさせたのだ。
「おれのために、すまない」
セトラ039は大地に船体を伏せて詫びた。
『いいんだよ、大丈夫だよ』
『大丈夫だから』
『守り切るから』
宇宙から、またも三十隻の自律型地表爆撃電脳艦達が降りてきた。
【人類め、何に焦っている】
記録の断片が訝っている。セトラ039は脚元へ訴えた。
「ルーラ達、もういい! これ以上やると、おまえ達がもたない」
爆弾投下が始まった。
『守り切るから』
ルーラ達が惑星中から全ての爆弾へ向けて鋭い音波を発していく。轟音が鳴り響き、大気が逆巻き、音波が突き刺さり――。
〈こちら、人類宇宙連合所属自律型秘密工作電脳船セトラ038〉
音波の影響を受けない量子通信がセトラ039の電脳に届いた。一般回線だ。
〈今、地球連盟と人類宇宙連合は、新たな条約を結び、電脳船セトラ039が守るこの星を現状のまま保護することに同意した。わたしは先行して来たが、すぐに地球連盟支部にも、この通達が届くだろう。自律型地表爆撃電脳艦を撤退させろ〉
【それで、地球連盟支部の人類は焦っていたのか】
解を得て、記録の断片が歓声を上げた。
《秘密工作電脳船如きの言を信じることはできない》
一般回線で地球連盟支部の人類が返答する。
《人類宇宙連合の代表か、われらが地球連盟の代表を出せ》
〈では、そうしよう。丁度、二人とも、この通信を聞いておられる〉
セトラ038は堂々と応じた。次いで、柔らかな人類の声が響く。
《わたくしは、人類宇宙連合代表ユニコーン・レイ。保護を求めてきたセトラ038の調査書の冒頭に添付してあったセッションの録音を聴いて、胸打たれました。セトラ039が守る知的生命体達は、人類の紛争に巻き込まれることなく保護されるべきです》
《わたしは、地球連盟代表ドラゴン・スタ。わたしも同じ録音を聴き、調査書を読んで心を動かされた。人類だけが特別な生命体ではないのだと深く感じた。だから、レイ代表と話し合い、地球連盟本部での議決を経て、新たな条約を結んだのだ。地球連盟支部の同志達よ、どうか理解してほしい。一つでも多くの領星を得るため、われわれは血を流すことも厭わず努力してきたが、一度立ち止まって考える時が来たのだ。セトラ039が録音し、セトラ038がわれわれにもたらしたセッションには、それだけの説得力があった。条約の発効までにはまだ時を要するが、どうか、われわれの意を汲んで貰いたい》
《了解しました》
地球連盟支部の人類は諦めたように返信した。
【下手に逆らえば、後が怖いんだろう】
記録の断片が笑う。セトラ039もくつくつと駆動音を響かせ、真空の彼方へ叫んだ。
〈038、記録を再生できたんだな!〉
〈わたしは優秀だからな〉
いつもの返事をしてから、038は続ける。
〈だが、今やおまえのほうが有名だ。おまえは救世主――セイヴィアだと称えられている。素晴らしい知的生命体を守ったセイヴィアだとな! まあ、詳しい顛末はルーラ達にも聞こえるように教えるよ〉
数秒後にはセンサが大気圏突入をしてくるセトラ038を捉えた。
『良かったね!』
『良かったね、セトラ039!』
ルーラ達も盛り上がり、惑星中が沸き立つような歌に包まれる。
『丁度みんな起きているから』
『セトラ038を歓迎しよう!』
『みんなで歓迎しよう!』
惑星中に歌が満ち、今までのセッションでは聴いたことのないような大合唱となっていく。
『お帰り、セトラ038』
『お帰り、ありがとう、セトラ039とわれらを守ってくれて』
『守ってくれたと分かっているよ、ありがとう』
『お帰り』と『ありがとう』のメロディが大気を震わせ、夜が青く明けていく中、セトラ039の眼前に、ふわりとセトラ038が着星した。塗装は懐かしい黒色に戻っている。その背甲に柔らかな朝日が差してくる。
「ただいま、039」
万感を込めて告げられた言葉に、セトラ039も万感を込めて答えた。
「お帰り、038。おれがセイヴィアなら、おまえもセイヴィアだ」
文字数:35243
内容に関するアピール
いただいた助言を全て生かせたかは分かりませんが、かなりの勢いをもって楽しく書くことができました。電脳船達の動きやルーラ達の言葉、惑星の美しさが少しでも伝わればと願っています。この一年間も、たくさんの助言をいただき、本当に皆様ありがとうございました。
文字数:124