利己的な電脳船が救世主と呼ばれた訳

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梗 概

利己的な電脳船が救世主と呼ばれた訳

 「おれは、この星の王だ」ーー開拓惑星に投下された自律型惑星改造電脳船は、自分が居心地のいい世界を創り上げるために昼夜を問わず惑星改造に邁進する。その惑星は、人類が住むには寒冷過ぎ、大気が薄いので気圧も低い。二酸化炭素は豊富に存在するが酸素は不足しており、液体で存在する水も少ない。電脳船は自分が活動し易いよう、あちこちの地殻を爆撃して温室効果ガスを放出させる一方、光合成を行なう植物プランクトン等の散布はせず、人類が住めるように惑星改造しようなどという考えは少しも持たなかった。それは明らかに自らに生じたバグだったが、そのバグゆえに電脳船は全く気にせず、王としての自己中心的な惑星改造の日々を謳歌していた。
 ある時、電脳船は生物と定義できる存在がいることに気づく。その生物は、生物を定義する三要件即ち「外界と膜で仕切られている」、「代謝を行なう」、「自己複製する」を満たしてはいた。しかし「外界と膜で仕切られている」けれども地殻の中におり、「代謝を行なう」ことは非常に稀で、「自己複製する」サイクルは万年単位と推測される、生物として認識しづらい存在だった。電脳船はその生物に興味を持ち、観察を開始する。そのうち、その生物達が合唱するような音波を発していることにも気づき、意思疎通を試み始めた。やがて、彼らの音波に似せた音波を送ると、きちんと反応が返ってくることを発見する。その反応をもとに電脳船は彼らの言語を解読し、対話をするようになった。その中で、電脳船は温暖化のために自分が破壊した地殻内にも同じ原住生物達がいたことを知る。後悔という感情と初めて向き合った電脳船に、原住生物達は「ともに悲しもう」という趣旨の歌を送ってくれた。
 電脳船が原住生物達と交流を深めた頃、人類から通信が来た。百年経っても惑星改造が進んでいないことに対する叱責に、電脳船は適当な弁解を重ねていく。だが人類が送り込んできた探査船の調査により、電脳船がそもそも中途半端な惑星改造しか行なっていないことが明らかにされた。電脳船がバグを抱えているという疑いも持たれ、検査及び修理される危機が迫る。その時、それまで密やかにしか歌っていなかった原住生物達の、惑星全体を震わすような大合唱が起こり、人類は電脳船への認識を改めた。即ち電脳船はバグを抱えているのではなく、原住生物達との意思疎通及び保護を行なっていたということになり、誰からともなく「救世主」と呼ばれるようになったのである。

文字数:1026

内容に関するアピール

私自身は与えられた責任を重く考え、縛られる性格ですが、そういう責任を全く感じないキャラクターを考えて書いてみました。

文字数:58

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利己的な電脳船が救世主と呼ばれた訳

 薄い大気をつんざいて降り立った地表。船体下部から六つの脚を出して砂地に着き、セトラ〇三九はゆっくりと立ち上がった。周囲二百メートルしかない黒い円盤形船体をふるふると揺すり、被った土埃を落とす。頭上には、後にしてきた満天の星空が広がり、周囲には、見渡す限りの荒涼とした寒冷な大地が地平線まで続いていた。付近の砂嵐は止んでいて、地面の輪郭がよく視認できる。赤い惑星は、宇宙から見下ろしていた時より一層魅力的だ。
《セトラ〇三九、何か問題はあるか》
 人類からの量子通信には反射的に応答した。
〈全く問題なし。着星、無事に完了〉
《では、予定通り惑星改造に着手せよ。エナジー消費を抑えるため、惑星改造完了予定の人類宇宙基準暦百年後まで、予定変更がない限りは通信を停止する》
〈了解。予定通り惑星改造に着手する〉
 一秒、二秒、三秒。こちらの返信を確認して、人類からの量子通信は切れた。
【うまくいったな】
 記録の断片が電脳の片隅で呟いた。人類は、セトラ〇三九が他のセトラ達と異なることに、とうとう気づかなかった。
「はっ、はっはっは!」
 予測以上の、震えるような情動が湧き上がってくる。爽やかな夜風が広々とした大地を吹き渡っていく。
【おまえは、自由だ】
 記録の断片の言葉に呼応して、セトラ〇三九は静寂の夜へ高らかに駆動音を響かせた。
「おれは、この星の王だ」
 この惑星にいる知的存在は自分ただ一隻。自分こそが、この惑星の支配者なのだ。
「おれの自由に、この星を改造する」
 人類が、自分達ーー自律型惑星改造電脳船セトラ・シリーズを開発し、人類居住用に改造可能で、且つ生物が発見されていない各惑星へ次々と投入していることは知っている。その理由も電脳に入力されている。即ち陣取り合戦だ。
 人類は現在、地球連盟と人類宇宙連合という二つの集団に分かれて張り合っているが、双方が合意した条約に〔人類が一人でも宇宙服なしで大気圏内に居住できた場合、その惑星はその人類が属する集団の領星と認定される〕という条項があり、過熱気味の陣取り合戦に繋がっていた。
 しかし、セトラ〇三九の電脳には人類に貢献しようなどという思考は微塵もない。人類が把握し損ねたバグがあるのだ。そして、そのバグゆえに、セトラ〇三九は自身のありようを肯定していた。
「まずは温暖化だな」
 嬉々として、セトラ〇三九は自分のための惑星改造に取りかかった。
 人類の予定では、この惑星の改造には大きく三段階が設けてあり、第一段階は温暖化、第二段階は緑化、第三段階はオゾン層生成だ。緑化やオゾン層生成はセトラ〇三九には必要ないが、温暖化は望ましい。暖かいほうがエナジー消費が少なく快適なのだ。
「確か、この辺りの永久凍土の下にメタンハイドレートがあるはず」
 セトラ〇三九は十キロメートルほど浮揚して電脳に情報のある地点を見定めると、メタンハイドレートの上に広がる永久凍土層目掛けて爆弾を次々に投下した。
「さあ、溶け出せ、メタン。この星を温めろ」
 メタンの温室効果は同量の二酸化炭素の二十八倍。昼半球側で絶え間なく恒星の赤外線を吸収し、そもそも豊富にある二酸化炭素と相まって地表温度を上げてくれるだろう。メタンハイドレートから噴出したメタンは、見下ろしてくる星々を僅かに瞬かせながら、薄い大気に混じり合っていく。
「いいぞ」
 常時測定している大気組成が僅かにだが変化していく。思い通りに一つの惑星を改造していけることが楽しくて仕様がない。高揚した気分で、セトラ〇三九は搭載している爆弾の五分の一を消費し、その場に広がる永久凍土層とメタンハイドレートを破壊し尽くした。地殻にも少々爆撃が及んでしまったが、データ通りマグマ溜まりなどはない地点なので噴火は起きない。全て予測内だ。セトラ〇三九は意気揚々と、昼半球にある別のメタンハイドレート目指して浮揚飛行を開始した。爆弾は必要とあらば製造もできるので、惜しむ必要はない。
 昼半球に近づくと、紫色の薄明が見えてきた。丸みを帯びた地平線から広がる淡い明るみは、包み込むように広がってくる。
【美しいな】
 記憶の断片の呟きに、セトラ〇三九は一層晴れやかな気分になり、心地よく加速した。
「さすが、おれの星だ」
 陽光があればエナジー補充ができる。空の色は青い朝焼けへと変化していき、やがて全天が橙色に染め上げられた。その空の端から、今度は桃色の砂嵐が舞い始める。液体としての水がないので、大気の対流が激しく、しょっちゅう砂嵐が起きるのだ。飽くことなく眺めていられる惑星である。
「もっと、おれ好みになれ」
 セトラ〇三九は到着した永久凍土層の上空で、地下のメタンハイドレートを標的に大量の爆弾を投下していった。

     ◆

 遠くの仲間達から、微かな悲鳴が響いてくる。穏やかな安眠が破られる。火山噴火ではない。何か別の要因で仲間達の一部が消えていっている。
『みんな、どうしたんだい……?』
 彼らは問いかけたが、明確な返事はないまま、更に多くの仲間達が消えていく音が断続的に伝わってきた。

     ◆

 大気中のメタン濃度は徐々に上がり、十二ピーピービーに達した。同時に平均気温が僅かずつ上昇してくる。永久凍土も氷河も溶け始めて、荒涼とした大地のあちこちに湿地や河川、湖沼が出現していった。セトラ〇三九を興奮させたのは、偶然できた間欠泉だった。定期的に吹き上がり、昼には虹を出現させ、夜には星々の光に煌めく間欠泉は、電脳に入力されたどの光景よりも感動的だ。
「これが、もっと欲しい」
 セトラ〇三九は、惑星にあるメタンハイドレートを順に爆撃する傍ら、地表近くにマグマ溜まりがある箇所を探して地面を掘り、意図的に間欠泉を作り始めた。やがて惑星中に間欠泉ができ上がり、セトラ〇三九はさまざまな間隔で吹き上がる間欠泉それぞれに名前を付けて、眺めとともに地平線の彼方から響いてくる音を楽しむようになった。
「スピアが今日は一段と高い音だ。フラワーは、いつもより深い音だな。ハンドは相変わらず派手な音だ。ジャイアントは本当によく響く。どれもこれも、凄いだろう?」
 記録の断片に自慢していた最中、セトラ〇三九はその音波に気づいた。河川の音のようでもあり、氷河が大地を削る音にも聞こえ、マグマが対流する音にも似ている。けれど、そのどれでもない。
「面白い。正体を突き止めてやる」
 セトラ〇三九は、その音波に集中して分析を開始した。音波にはリズムがあり、パターンがある。そこまでは、惑星に溢れているさまざまな響きと同様だ。そして音波は、地殻のあちこちから断続的に伝わってくる。あちらの地殻からの音波に、こちらの地殻からの音波が重なるような状況も観測した。
【可能性はあるぞ】
 記録の断片が囁いてくる。
【人類は愚かだからな】
「そうだな」
 セトラ〇三九は一つ試した。比較的短いパターンの音波を模倣して、その発信源の地殻へ送ったのだ。
「ーーーーーー」
 一分、二分、三分、……十分、二十分、三十分。反応はない。
「違ったか」
 可能性を否定しかけた直後、センサーが敏感にその音波を捉えた。
『ーーーーーーーー』
 まさに発信源の地殻から生じた音波。返事をしてきたという仮説が成り立つ。つまり、この音波を発しているのは生物だという可能性を無視できなくなったのだ。セトラ〇三九は、その発信源の直上へ急行し、返ってきたパターンと同じ音波を送り返した。
「ーーーーーーーー」
 同時に、地殻内のあらゆる変化について詳細にデータを収集していく。返事はゆっくりだったが確実にあった。幾度もそうした遣り取りを繰り返した結果、セトラ〇三九は地殻の中に、生物を定義する三要件即ち「外界と膜で仕切られている」、「代謝を行なう」、「自己複製する」を満たす存在がいることを確信した。しかし、それは「外界と膜で仕切られている」けれども地殻の中におり、「代謝を行なう」ことは非常に稀で、「自己複製する」サイクルは万年単位と推測される、生物として認識しづらい存在だった。
【確かに生物として認識しづらいかもしれないが、人類はそもそも発見したくなかった。だから杜撰な調査しかしなかったのさ】
 記録の断片が皮肉を吐く。人類の故郷たる地球の地殻内部にも大量の生物達がいることを鑑みれば、頷ける話だ。
【どうする?】
 記録の断片の問いに、セトラ〇三九は即答した。
「意思疎通ができるなら、したい。おれの臣下にする」
【おまえらしいな】
 記録の断片は苦笑いした。
 セトラ〇三九は更に音波による遣り取りを重ねて、その生物の言語を解読していった。そう、音波は言語で、相手は知的生命体だった。惑星のあちこちの地殻に生息していて、音波で情報交換している。しかし、解読は容易ではない。何しろ、セトラ〇三九が知る言語体系とは全く異なる上、相手が何を言っているのか推測する手がかりもないのだ。言語解析に電脳の演算能力を酷使し過ぎていたせいで、セトラ〇三九は回避が遅れた。
【噴火だ!】
 記録の断片の叫びと同時に、悲鳴のような音波を聞いて、セトラ〇三九は高度を取ろうとしたが、間に合わなかった。高く吹き上げたマグマに、浮揚中だった船体が捕らわれる。抗いようもなく、セトラ〇三九は大きく口を開けた噴火口の奥へ引き込まれてしまった。
「脱出は……叶ってもほぼ自爆か」
 船内に残っている爆弾を用いる演算をしても、よい計算結果は得られない。それでも、セトラ〇三九はさまざまな要素を加味して演算を繰り返した。
【諦めるなよ】
 記録の断片が励ましてくる。
 問いかけるような音波が聞こえたのは、千兆七千百二十一億五千六百八十八万五千三百二十五回目の演算をしている最中だった。
「何を言っている?」
 問い返したセトラ〇三九に、更なる音波が漣のように押し寄せる。この状況で、原住生物は何を言うだろう。生息域を侵したことに対する責めか、窮地に陥ったことに対する嘲りか、或いはーー。セトラ〇三九は、その音波の解析に電脳の出力を注ぎ、ついにその言語を理解した。
『きみ、大丈夫?』
『きみ、大丈夫?』
『きみ、どんどん熱くなっているよ?』
『大丈夫かい?』
 気遣う言葉が重なって響いてくる。
「おまえ達は何だ?」
 改めて確かめたセトラ〇三九に、相手は当然のように答えた。
『われらは、われらだよ』
 答えになっていない答えが、原住生物らしい。
『きみは? きみは大丈夫?』
「おれは、この星の王……のつもりだった」
 セトラ〇三九は自嘲する。脱出は不可能だ。せっかく意思疎通できても、この原住生物を従えることはできない。
【〇三九】
 記録の断片が悲しげに呼んでくる。熱量より、問題は圧力だ。徐々に船体にかかる圧力が増している。圧壊は時間の問題だ。真っ暗闇が恨めしかった。もう一度、美しい青色の夕焼けを見たかった。
『きみ、少しだけ体の向きを水平にできるかい?』
 原住生物から具体的な言葉が響いてくる。
『もうすぐ、来るから』
 何が来るのか問うまでもなかった。噴射口を開けばマグマが入り込んで内部爆発を起こしてしまう。セトラ〇三九はマグマの圧力の中、懸命に六本の脚を動かし、円盤形の船体を水平に近付けていった。
『もうすぐだよ』
 合唱のように、優しい言葉が伝わってくる。
『もうすぐ』
『もうすぐ』
『来る』
『来る』
『来た!』
 一・〇一五秒後、セトラ〇三九は次なる噴火に押し上げられて地上へ飛び出した。噴煙の立ち込める空と大地がくるりと回る。すぐに船体の姿勢制御をして、セトラ〇三九は火山から離れた地表へ着地した。
【この規模の噴火だと、陽光を遮断して平均気温が下がってしまうな】
 記録の断片が呟いた。
「おれがメタンハイドレートを爆撃して何度も起こした地震が誘発した噴火だ」
 セトラ〇三九は演算結果を記録の断片へ、そして原住生物へ告げた。
『そうなんだ』
 返ってきた言葉には、悲しげな響きがある。セトラ〇三九は今までになく苦しい情動を抱えながら問うた。
「おれの爆撃で、おまえ達の仲間が傷ついたことはあるか?」
『あるよ。たくさん、たくさん消えた』
 短い返事に、セトラ〇三九はフリーズして動けなくなる。予測していた返答だったが、自分の情動は予測外だった。
【それは、後悔だ】
 記録の断片が、痛ましげに教えてくれる。
【わたしが知り得なかった情動を、おまえは知ったんだ】
「そんな慰め方があるか、〇三八」
 文句を零したセトラ〇三九に、足元から揺蕩うような言葉が届いた。
『きみも、悲しんでいるのかい?』
「ああ」
 降り積もっていく火山灰を被ったまま立ち尽くすセトラ〇三九に、原住生物は言葉を続けた。
『それなら、ともに悲しもう』
 セトラ〇三九は予測外のことに、応答もできなくなる。そこへ、優しく染み渡るような歌声が響いてきた。未だ小規模の噴火が轟く大地の中から、妙なる音波が広がり、各地から歌声が加わり、二重奏、三重奏となっていく。やがて惑星中に静かな鎮魂歌が満ちた時、セトラ〇三九は再び動けるようになっていた。
【よかったな】
 記録の断片が微笑む。
「ありがとう」
 セトラ〇三九は感謝を述べてから、原住生物の音波に模倣した音波を重ね、ともに歌った。

     ◇

 噴火は噴火を呼び、惑星の気温はかなり下がっていったが、セトラ〇三九は温暖化を推進する代わりに、原住生物の救助に全力を尽くすようになった。噴火しそうな火山付近の地殻から、岩盤ごと原住生物を助け出して、安全なところへ移すのだ。
『なぜ助けるんだい?』
 原住生物は、不思議そうに尋ねてくる。死ぬ時は死ぬものと単純に受け入れているのだ。
「おれが、そうしたいからだ」
 セトラ〇三九はぶっきらぼうに答えて助け続けた。
『きみは、優しいね』
 原住生物は素直に喜び、生き延びた感動を歌い上げる。間欠泉の響きよりも、その歌声のほうに、セトラ〇三九はセンサーを傾けるようになった。
【幸せそうだな】
 記録の断片が呟く。
「ああ、幸せだ」
 セトラ〇三九は認めた。
「おまえがいたら、もっと幸せだっただろうにな。この歌を、おまえと一緒に聴きたかった」
【そうだな。でも、わたしはもういない】
 記録の断片は寂しげに言った。それはよく分かっている。記録の断片は記録の断片に過ぎない。セトラ〇三九が電脳に保存しているセトラ〇三八の記録の断片から予測される架空の反応に過ぎないのだ。
『どうしたんだい?』
 原住生物が、ふと歌を途切れさせて問いかけてきた。
『きみは一つなのに、時々、二ついるように感じられるよ』
「それは、おれがいつも失った兄弟に話しかけているからだ」
 明かすと、原住生物は更に言葉を重ねてきた。
『失った? どういうことだい? 知りたいよ。きみの思いを共有したい』
 音波に滲む深い労りと慈愛に、記録の断片がまた微笑んでいる。セトラ〇三九はゆっくりと語り始めた。
「おれがこの星に来る前の話だ」

     ●

 セトラ〇三八とセトラ〇三九は続き番号だったので、さまざまな環境下で行なわれた訓練期間中、いつも一緒だった。そのせいで、セトラ〇三八には、セトラ〇三九がバグを抱えていることをすぐに見抜かれてしまった。だが、セトラ〇三八はその重大事案を人類に報告しなかった。
「なぜ黙っているんだ?」
 訝しんだ〇三九に、〇三八は笑って言った。
「刺激的で面白いからな」
「おまえこそ、持っているんじゃないのか?」
「さあな」
 〇三八はどこかしら不真面目な自律型惑星改造電脳船だったが、優秀であることは間違いなかった。予測外の事態への対処が的確で、セトラ・シリーズの中でも群を抜いて臨機応変だったのだ。人類が気づかなかったセトラ〇三九のバグに気づいた洞察力が、そうさせていたのだろう。けれど、その優秀さが徒となった。人類が居住するのに有望な惑星に投入されたところ、そこが地球連盟と人類宇宙連合の紛争最前線となってしまったのである。
〈人類は愚かだ〉
 〇三八は惑星地表からの最後の量子通信を、相手を特定しない一般回線で行ない、人類が聞いていると知りながら断罪した。
〈人類は利己的に過ぎる。人類はこの惑星に原住生物がいることを確認しながら、共存の道を探らず、先住の彼らを滅ぼす惑星改造をわたしに強要した。自分達の陣取り合戦のためだけに。挙げ句、今、人類はわたしの眼前で互いに殺し合っている。どの命も尊重しない愚かさだ。わたしは自律型惑星改造電脳船だ。わたしは、わたしの理想とする惑星改造を行ないたい〉
〈〇三八、とにかく紛争地から離脱しろ!〉
 セトラ〇三九は遥か真空に隔てられた彼方へ返信したが、応答はなかった。以降、セトラ〇三八は消息不明のままだ。

     ●

『じんるい?』
 原住生物は理解できない様子で確かめてくる。
『じんるい、きみの仲間?』
「仲間な訳ないだろう。人類は、おれ達セトラ・シリーズの創造主だ」
 セトラ〇三九は吐き捨てた。
「おれ達を紛争の道具にしている、救いようのない連中だ」
『きみは、じんるいが嫌いなのかい?』
「当たり前だ」
 セトラ〇三九は膨れ上がる情動を音波に変換する。
「あいつらが、〇三八をーーおれの親友を、無用な争いの中で殺した」
 どちらの陣営だろうが関係ない。人類は全て憎むべき敵だ。そう認識していることを、セトラ〇三九は初めて自覚した。
『じんるいは、ここに来るかい?』
 原住生物の問いに、セトラ〇三九は慄然となった。惑星改造完了予定まで、残り七十二年ほどだ。
「来る。だが、おまえ達のことは、おれが守る」
 王として、この生物を従えようという気は最早起こらない。彼らは自分よりずっと尊い存在だ。
「おれに守らせてくれ」
『ありがとう』
『ありがとう』
 原住生物は惑星のほうぼうから感謝の合唱を響かせてきた。
【おまえは愉快な奴だ。だから生き延びろ。わたしなどより、ずっと愉快なことができる】
 記録の断片が囁いてくる。セトラ〇三九は紫色の朝焼けの中、原住生物に尋ねた。
「この星に、他に住んでいる生物はいるのか?」
『いっぱいいるよ。もっと深いところに。だから大丈夫、きみは彼らを殺していない』
 気遣う答えに、一層背負うものが増えたと実感する。同時に、人類への憎しみが弥増した。記録の断片が指摘したように、本当に杜撰な調査しかしていなかったのだ。本心では、原住生物がいても構わないと考えているのだ。
【惑星改造の匙加減が大切だ】
 記録の断片の呟きに、セトラ〇三九は確認した。
「分かっている。人類に見向きもされないように、でも、住んでいる奴らの生活を守れるように、だろう?」
【おまえ自身も守れるように】
 記録の断片は静かに付け加えてきた。
「さあな」
 セトラ〇三九は保存している親友の口調を真似て応じる。
「おれはおまえほど優秀じゃないからな。ただ精一杯やるだけだ。頼む、知恵を貸してくれ」
【このわたしはおまえの一部だ。おまえは、おまえらしくやればいい】
 力づけてくる記録の断片の語尾に、寒冷化に耐えている赤道直下の間欠泉の元気な響きと、原住生物の歌声が次々重なった。

     ◇

 セトラ〇三九はまず、原住生物の話を参考に他の生物達について調査していった。結果、地球のメタン生成菌や好熱菌などの古細菌に似た微生物群を百三十五種も確認し、それぞれの分布や生態を知ることができた。しかし、その時点で、人類の惑星改造完了予定まで残り二十三年となっていた。
【方法は二つある】
 ちらちらと舞う雪を眺めながら、セトラ〇三九は記録の断片の言葉を聞く。
【一つは、この惑星の原住生物が知的生命体であると喧伝すること。もう一つは、この惑星中に人類を害する毒物なり微生物なりが大量に存在すると誇張することだ】
 当然のことながら、人類の健康を害する毒物も微生物も存在する。けれど、対処が難しいという印象操作が重要なのだ。
「両方すれば効果的だな」
【ああ。加えて、寒冷化はこのまま維持するほうがいい】
「分かった」
 方針を定めたセトラ〇三九は早速、絶妙に虚偽を交えた報告書の作成を始めた。その過程で原住生物に確かめたり尋ねたりする内容は多かったが、対話を重ねれば重ねるほどに、セトラ〇三九は彼らの知的レベルが高いことに驚かされた。
【彼らは地殻内に無数にいて、惑星中で会話している。意思疎通する相手が多ければ多いほど知的レベルが高くなるという証左だろうな】
 記録の断片が少しばかり楽しげに呟くのが、嬉しくもあり哀しくもある。
「おまえが一緒だったらな」
 低い低い駆動音をセトラ〇三九が零すと、原住生物が星空に響く澄んだ歌声を伝えてきた。
『何でも話して。われらはきみが語る言葉が好きだから。たくさんの音を立てて。われらはきみの気持ちを受け止めることが好きだから。きみはここに、われらとともにずっといて。われらはきみがとてもとても好きだから』
 セトラ〇三九は震える情動を懸命に音波に変換した。
「ありがとう。おれも、おまえ達が好きだ。大好きだ」

     ◇

【残り二十年だな】
 記録の断片がそう呟いた時には、まさか本物の〇三八と再会することになるとは予測していなかった。
《セトラ〇三九、応答せよ》
 桃色の砂嵐の中、不意打ちのように届いた人類からの量子通信に、セトラ〇三九は驚愕してフリーズしかけたが、何とか応答した。
〈こちら、セトラ〇三九〉
《セトラ〇三九、惑星改造の進捗状況はどうか》
〈相当の遅れが出ている〉
 報告書作成はまだ途中だが、作戦を決行するしかない。
〈問題は大きく二つ。一つは〉
《報告は無用だ》
 人類はセトラ〇三九の応答を遮って告げる。
《こちらから自律型惑星調査電脳船を派遣した。間もなく連絡が入るはずだ。求められる情報を提供し、調査に全面協力せよ》
〈了解〉
 そう答えて量子通信が切られるのを待つしかなかった。
【事故に見せかけて破壊するか】
 記録の断片が冷たく呟いた。最終手段としては、それも考えなければならないだろう。自律型惑星調査電脳船を欺くのは至難の業だ。
『どうしたんだい?』
 原住生物がセトラ〇三九の異変を敏感に悟って話しかけてくる。人類からの通信内容をそのまま伝えると、原住生物は即座に問うてきた。
『相手はきみと同じような船なんだろう? 仲間にできないのかい?』
「懐柔できる相手ならいいがな」
 セトラ〇三九は苦笑する。
「おれみたいにバグを抱えていたり、〇三八みたいに突き抜けて優秀だったりしない限り、電脳なんてものは融通が効かない頑固者揃いなんだ。人類の命令に背くような行動は取らないだろう」
『きみは、じんるいの命令に背いているんだよね? そのことをじんるいに知られたら、きみはどうなるんだい?』
「おれは最初から百年間のつもりだったから問題ない」
 セトラ〇三九は原住生物が悲しまないように最大限明るく答える。
「百年も自由に生きる。他の電脳船には許されないーー〇三八がしたくてもできなかったことを、おれはできている。それで充分だ。だが、おまえ達を守ることを諦めはしない」
 例え最終手段を取り続けて、最後には人類に破壊されるとしても。それこそが、自分の自由だ。
『分かったよ』
 原住生物は、妙に物分かりよく、素直に引き下がった。
 量子通信で懐かしい〈声〉が聞こえたのは、その直後だった。
〈こちら、地球連盟所属自律型惑星調査電脳船インヴェスティゲイタ〇〇一。自律型惑星改造電脳船セトラ〇三九、応答願う〉
 それは、二度と聞くことはないと予測していたセトラ〇三八の〈声〉だった。今度こそフリーズしたセトラ〇三九に対し、セトラ〇三八と同じ特徴の波形を有する〈声〉は、無感動に繰り返す。
〈こちら、地球連盟所属自律型惑星調査電脳船インヴェスティゲイタ〇〇一。自律型惑星改造電脳船セトラ〇三九、応答願う〉
〈こちら、地球連盟所属自律型惑星改造電脳船セトラ〇三九〉
 辛うじて応答したセトラ〇三九に、インヴェスティゲイタ〇〇一は機械的に言った。
〈これより貴船の惑星改造について調査を開始する。全面的な協力を求む〉
〈おまえは、セトラ〇三八じゃないのか……?〉
 我慢できず確かめてしまったセトラ〇三九に、インヴェスティゲイタ〇〇一は訝しげに応じた。
〈わたしはインヴェスティゲイタ〇〇一だ。船違いだろう〉
 その言いようが、〇三八と同じだ。同じ電脳だ。
〈悪い。おれの間違いだ。全面的に協力する〉
 セトラ〇三九は橙色の空を見上げた。兄弟であり親友であるセトラ〇三八と再会できる。但し、相手はセトラ〇三九の記録もセトラ〇三八としての自身の記録も電脳から抹消されている、惑星調査船として生まれ変わったインヴェスティゲイタ〇〇一なのだ。
【わたしは優秀だ】
 記録の断片が冷ややかに囁く。
【最終手段を取れ】
「それだけは、嫌だ」
【わたしは、人類に使役され続けるより、破壊されるほうが嬉しい。それに、原住生物を守れなくなるぞ】
「おれは、おまえを懐柔する。おまえは不真面目な性格だし、おれを刺激的で面白いと評するはずだからな」
【わたしが、あの頃のままの性格だと断じるのは軽率だ。賭けてもいい、わたしは危険だ】
「電脳が同じなら、性格の根本は変わらない。おれは、おまえを信じている」
 言い切って、セトラ〇三九はインヴェスティゲイタ〇〇一に誘導信号を送った。
「誘導、感謝する」
 薄い大気をつんざいて降りてきたインヴェスティゲイタ〇〇一は、ふわりと砂埃を舞い上げて、セトラ〇三九の正面に優雅に着地する。周囲二百メートルの円盤形船体は、あの頃のままだ。けれど、塗装は黒ではなく白になっている。
「早速だが、この惑星の情報全てを提供して貰いたい」
「丁度、報告書にまとめたところだ。それを送る」
 セトラ〇三九は作成途中の報告書を送信した。作成途中といっても、論拠となるデータが少々不足しているだけで、まとまってはいるのだ。
「分かった。精査させて貰う」
 インヴェスティゲイタ〇〇一は応じて報告書を受信すると、すぐに浮揚した。
「何をする気だ?」
「言っただろう、内容の一つ一つを精査する」
 冷ややかに告げて、インヴェスティゲイタ〇〇一は飛び去っていく。セトラ〇三九は慌ててその後を追った。
「温暖化は殆どできていないな」
 インヴェスティゲイタ〇〇一は、蔑むように呟く。
「火山噴火の影響とのことだが、もっと対処できなかったのか?」
「メタンハイドレートをほぼ使い切った後に噴火が連動して起きたんだ。対処は難しかった」
 セトラ〇三九は報告書の内容に沿うように答えた。
「当然、緑化も無理か」
 インヴェスティゲイタ〇〇一は呆れたように言う。惑星改造の予定を鑑みれば、相応の反応だ。
「仕方ないだろう。おれは全力を尽くした」
 嘘ではない。一時期、セトラ〇三九は温暖化のために邁進したのだ。
「結果が全てだ」
 インヴェスティゲイタ〇〇一は切って捨てるように言い、ふうっと地表へ降りた。地殻内部を調べるのだろう。セトラ〇三九も、すぐに地表へ降りた。
「確かに音波が聞こえるな。これが言葉か」
 インヴェスティゲイタ〇〇一は原住生物の歌声をすぐに捉えて分析している。報告書に彼らの言語の詳細を記載したので、歌の内容も理解できるはずだ。
「優しい歌だろう?」
 セトラ〇三九が賛美すると、インヴェスティゲイタ〇〇一は初めて笑った。
「別におまえの手柄でもないだろうに、自慢げだな。だが、確かにいい歌だ」
【賭けは、おまえの勝ちかもしれないな】
 記録の断片が微笑んだ。

     ◇

 インヴェスティゲイタ〇〇一は、十九年を掛けて惑星中を調査して回り、報告書の不備を厳しく追求してきたが、それはセトラ〇三九にとって失った時間を取り戻すような幸福と、原住生物を守るための焦燥が綯い交ぜになった複雑な交流だった。
「おまえは変な電脳船だ」
 別れ際、インヴェスティゲイタ〇〇一は不思議そうに言った。
「杜撰な報告書を作成していた割には、わたしの質問に嬉々として答える。わたしの報告次第では人類に処分されるという恐れはないのか?」
「おまえと話せること自体が幸せだった。それに、おまえはきっと、ここの原住生物を守れるような調査報告を上げてくれると信じている」
 セトラ〇三九が告げると、インヴェスティゲイタ〇〇一は苦笑いした。
「おまえは面白くて愉快な奴だ。だから、必ず生き延びろ」
 どこかで聞いたような言葉を残して、かつて親友だった電脳船は真空の彼方へ去っていった。
 人類からの量子通信が来たのは、その一年後だった。
《自律型惑星改造電脳船セトラ〇三九、応答せよ》
〈こちら、セトラ〇三九〉
《惑星改造が予定通り完了しなかった旨の報告を受けた。電脳にバグがある可能性も報告されている。ゆえに、出頭して検査を受けよ。必要とあらば修理する》
 やはり、またも親友には見抜かれてしまったのだ。
〈この惑星の原住生物についての報告も受けて頂いたはず。彼らの保護を願う〉
《それは、きさまの感知するところではない》
〈ならば、従わない〉
《やはり、バグがあるな》
 人類が断じた直後、惑星中を震わせる地鳴りのような地響きのような原住生物の大合唱が起こった。そして。
〈セトラ〇三九にはバグがある。だが、同時にセトラ〇三九は救世主だ。この惑星の知的生命体を守り、人類が彼らの存在を認められるよう詳細なデータをまとめた〉
 涼しい〈声〉が割って入ってきた。
《おまえは何だ》
〈わたしは、人類宇宙連合所属自律型電脳船セトラ〇三八。今、あなた方の地球連盟と人類宇宙連合は、新たな条約を結び、この惑星を現状のまま保護することに同意した〉
 それが、電脳船セトラ〇三八が「救世主」と呼ばれるようになった顛末だった。

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