機械みたいな人権審査官と人間っぽい補佐官AI

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梗 概

機械みたいな人権審査官と人間っぽい補佐官AI

 世界条約で、生存上必須な身体体積の五〇パーセント以上が機械、或いは他の生物遺伝子由来である場合、人権を認定しないと定義されてから三十年が経つ。但し審査の結果、相応の事由が確認されれば、五〇パーセント以上がホモ・サピエンス由来でなくとも人権が認定される場合があり、世界連合職員の審査官達が世界中に派遣されて、その審査に当たっている。カヲルコ・リドフはその人権審査官であり、補佐官AIのマサを従えてユーラシア東部地区を担当している。世界連合からカヲルコに貸与されてまだ一ヶ月のマサは身長一八〇センチメートルで細身の人間型機体を有しているが、人権を持たない装備品。しかし初対面の相手に人間の審査官とAIの補佐官だと名乗ると、十中八九マサのほうが人間でカヲルコのほうがAIだと誤解される。銀髪で琥珀色の双眸をしたカヲルコは完璧に整った容姿をしている上、表情に乏しく事務的な印象を与える三十代の女性で、社交的なマサの悩みの種である。
 審査でマサを伴い、東京拘置所に収監中の被疑者を調査したカヲルコは、医学的な根拠のみで無慈悲に被疑者の少女の人権を剥奪処理しようとする。マサが慌てて、少女が病気でやむを得ず身体体積の五〇・一パーセントを豚由来の臓器や機械に交換した経緯や、審査期間が充分に残されていることを説明して慎重な検討をするよう求めると、カヲルコは少女に、人権が剥奪されようとも金銭的に豊かな家族の所有物として今までと同じ生活ができると告げた上で、それでも人権を望むなら審査期間の残り三ヶ月間、髪を伸ばし、太るようにと助言。両親の好みで髪をショートボブにし、ほっそりと痩せていた少女は、カヲルコの言う通り髪を切らず、たくさん食べて三ヶ月を過ごす。マサが計測すると、髪が伸び、太った少女の身体は体積の五〇・一パーセントがホモ・サピエンス由来と判定され、問題なく人権が認定された。カヲルコはしかし嬉しそうな顔一つせず、人権を持つに相応しいかは少女の生き方に掛かっていると言って立ち去る。その乱暴な言い分にマサは困惑する。
 次の審査のため沖縄に赴く途上、カヲルコはマサにAIらしからぬ振る舞いについて尋ねてくる。マサが人間の幸福を守るためのAIの在り方について熱弁すると、カヲルコは遺伝子組み替え治療や機械化を忌避する家族から逃げた自分の生い立ちを語った。カヲルコはアルビノで、遺伝子組み換え治療で今は視力や皮膚病の問題は改善されたが、未成年の間は大変だったという。そう明かした上で、カヲルコは人間の定義と幸福についてマサに問うてくる。答えに窮したマサにカヲルコは、一緒に考えていってほしいと真面目に請うてきた。翌日、面会した審査対象に地球外生命体の寄生疑惑が持ち上がる。訪れた混迷の時代の中、幸福追求の人権審査を続けるカヲルコにも同様の疑惑が持ち上がるが、マサは地球人も宇宙人も人間だと説いて彼女を守り切る。

文字数:1200

内容に関するアピール

この小説が売れそうと思う理由

・対照的な二人のバディもので、相性が悪そうなところから徐々に互いへの理解や親愛の情を深めていくところ。カヲルコが感染される形で幼少時から地球外生命体に寄生され、地球人ではないものと化している事実を認める過程も織り交ぜ、築かれた信頼関係が揺らいだのち、より強固になり、人生のパートナーとなっていく物語にする。

・人体の機械化や遺伝子組み換えが社会的にどう扱われていくかを描くところ。対照的な問題として、純粋なホモ・サピエンスで人権が保障されているはずの人間でも最底辺の生活をして違法に臓器を売っている例も描く。

・地球外生命体を登場させることで人間の定義を広げていく物語にするところ。最終的には世界連合が地球政府へと変革されて、AIであっても地球人として人権が認定され、地球外生命体=宇宙人の人権も認定されていく展開にする。葛藤する世界を主人公二人の視点で見ていく。

文字数:394

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機械みたいな人権審査官と人間っぽい補佐官AI

 ウィーンン。微かな微かな機械音がマサの鋭敏な聴覚に響く。音と連動して、琥珀色の双眸がこちらに焦点を定めた。完璧に整った顔には、無感動な表情が浮かんでいる。それが、長く相棒となるカヲルコ・リドフとの出会いだった。

     ◇

「予約していた人権審査官と装備品の補佐官AIです」
 マサがホテルの受付で名乗ると、高級ホテルの受付係は、カヲルコには一瞥をくれたのみで視線を戻してきた。
「承っております。リドフ様ですね」
 また誤解されたのだ。中級ホテル以下なら受付はAIなので逆に間違われなかっただろうが、高級ホテルの受付を張るこの年若い女性は、どう判定しても人権を有する人間だ。
「ええと」
 暫く滞在する予定なので誤解を解こうとしたマサの隣に、ずいとカヲルコが踏み出してきた。
「すみませんが、すぐに審査へ向かいたいので、荷物を部屋へ入れておいて貰えますか」
 淡々と頼んだ直後にはもうエントランスへ歩き出している。マサは足元に残されたカヲルコのスーツケースを示し、年若い人間が聞き取れるであろうぎりぎりの早口で説明した。
「カヲルコ・リドフ人権審査官は彼女のほうで、わたくしマサがAIです。彼女あんななので本当によく誤解されて困るのですよ。決してあなた様の落ち度ではありませんから絶対に気に病まないで下さいね。それではこのスーツケースを宜しくお願い致します」
 最後に相手を一番安心させるであろう笑顔を作ってから、マサはマナー違反にならない限度いっぱいの速度でカヲルコを追い、ほぼ同時にホテルを出た。
「カヲルコ、勝手に一人で行動しないで下さい。わたくしはあなたの護衛も担っているのですよ」
 苦言を呈すれば、人権審査官は肩を過ぎる銀髪を寒風に乱されながらマサを振り向き、頭の天辺から足の先までじろじろと見てきた。その琥珀色の双眸が動くたび、微かな機械音がマサの聴覚に届く。カヲルコの眼球は両方とも精密な電子機器なのだ。
「何ですか」
 全身を見られる意味を測りかねてマサが問うと、カヲルコは不思議そうに答えた。
「護衛なら、何故こんな弱そうな外見にしたのかと。強そうにしておいたほうが、そもそも向かってくる相手を減らせるだろうに」
 一理ある。マサは身長一八〇センチメートルでカヲルコよりは上背があり、男性的作りにはなっているが、細身の体型で撫で肩、顔は童顔で全く強そうではない。しかし、この優しげで気弱そうな外見には大いなる使い道があるのだ。
「それはきっと、あなたのような人権審査官を補佐するためですよ」
 マサが言い切ると、カヲルコは考え深げに前を向いた。その横顔は作り物のように美しい。マサの容姿も端正なものだが、カヲルコには劣ると分析してしまう。けれど、この人権審査官の性格は難ありだ。
「確かに、わたしよりおまえのほうに気を許す人間が多いことは認めるが、それはおまえがAIで、気を遣う必要性を感じないからじゃないか?」
「多少はそうかもしれませんが、他の人権審査官の皆様を念頭に置けば、一概にそうとは言えません。補佐官AIなどより寧ろ人権審査官の皆様のほうにこそ、心を許して頼ろうとなさる人間が多いように分析します」
「見解の相違だな」
 ぼそりと呟き、カヲルコは薄く笑う。
「彼らは心を許してなどいない。ただ、世界連合から派遣されている人権審査官の情けに縋ろうとしているだけだ」
「それこそ、あなた方の意義でしょう。わたくし達AIのようにデータのみに頼らず、自分自身の人間としての基準で人権の有無を判定できる」
 柔らかく反論したマサに、カヲルコは前を見据えた目を細めた。
 世界条約で、生存上必須の身体体積の五〇パーセント以上がホモ・サピエンス由来でない場合、人権を認定しないと定義されてから三十年が経つ。但し相応の事由が確認されれば、身体体積の五〇パーセント以上が機械、或いは他の生物遺伝子由来となっていようと人権が認定される場合もあり、その審査のために世界連合から各地区へカヲルコ達人権審査官が派遣されるのだ。
 カヲルコ・リドフは三十四歳。五年間の研修期間を含めて十年間の経歴を持つ人権審査官である。担当地区はユーラシア東部で、装備品のマサが彼女に貸与されたのは今年から。即ち、まだ一か月と三日の付き合いである。だから、カヲルコが沈黙した意図もまだ掴めない。
「東京拘置所へは、電車で行くつもりですか?」
 話題を変えたマサに、カヲルコは呆れた眼差しを向けてきた。
「何のために急いでホテルを出てきたと思っているんだ。タクシーのほうが早いだろう?」
「そうですね。七分間ほどの差があります。では」
 マサは基本的に常時接続しているインターネットで検索してAIタクシーを呼んだ。

     ◇

 東京拘置所に着くと、話は通してあったので、すぐに面会室へ入れた。次いで、透明な繊維強化プラスチック板の向こう側に、華奢な少女が看守に連れられて入ってくる。並んで座ったマサとカヲルコの正面に座らされた少女は、怯えた表情でこちらを窺ってきた。癖のない黒髪をショートボブにして、色白な頬をほんのり薔薇色に染めた少女は、拘置所の服装規定に従った簡素なワンピースを着ていても人形じみて見える。年齢は十二歳だと資料にあった。だが未成年だろうと、人権の判定が下されるまでは拘置所に拘禁されることになる。
「人権審査官のカヲルコ・リドフです。こちらは補佐官AIのマサ。あなたはキシノ・サクラですね?」
 事務的に接見を始めたカヲルコに、サクラは大きな両眼を潤ませて訴えた。
「わたしは生まれた時、両脚に大きな変形があって、両親が機械の義足に替えてくれたの。それで成長するのに合わせて義足も大きくしていったら、身体体積の中で義足の割合が大きくなっていったの。ただ、それだけだったら大丈夫だったんだけれど、二年前に肺の病気になって、人間の遺伝子を組み込んだドナー豚から両方の肺を貰ったの。人間の遺伝子を組み込んだ豚だから大丈夫だってお母さんもお父さんもわたしも思ってたの。でも、それがやっぱり豚由来だからって言われて……」
 全て資料の通りだ。キシノ・サクラは先天性脛骨欠損症で生まれ、十歳でウイルス性肺炎を患った。一時は重篤な状態に陥り、彼女の両親は早い移植の可能なドナー豚からの肺移殖を決めたという。ぽろりと涙を溢してから、サクラは震える声で問うてきた。
「わたし、それでも人間よね……?」
「遺伝子の一部で組み換えがなされていようと、ドナー豚の遺伝子の大部分は豚です」
 カヲルコは冷然と説明する。
「よって、現在のあなたの両肺は九九・八パーセント豚由来なのです。そして機械の両脚と合わせて身体体積の五〇・一パーセントが非ホモ・サピエンス由来となった。これは紛れもない事実です」
「たった〇・一パーセント超えただけよ?」
「何事にも、どこかに線引きが必要です」
 カヲルコの返答に、サクラは両手で顔を覆ってしまった。
「カヲルコ」
 マサは堪りかねて柔らかく口を挟む。
「難しい微妙な事例だからこそ、あなたが派遣されている訳です。審査期間は審査開始の今日から三か月間ありますし、丁寧に検討しましょう」
「一つ、簡単な解決法があります」
 カヲルコはマサを無視してサクラに言った。泣き顔を上げた少女に、人権審査官は淡々と告げる。
「手術をして義足の神経接続をなくし、日常的に取り外しができるようにすれば、義足は眼鏡や車椅子と同じ道具の扱いとなり、生存上必須の身体の一部とは判断されなくなります。つまり、あなたの生存上必須の身体は両足のない状態で定義されることになり、八五パーセント以上がホモ・サピエンス由来と判定されるでしょう」
「嫌」
 サクラは俯いて首を横に振った。左右の手でそれぞれの膝頭をぎゅっと掴む。
「これは、わたしの両足よ。あなただって、その目、神経を繋げてるんでしょう? それをただのガラス玉の義眼に替えられるの?」
「不便なのでしませんね。わたしのこれは身体体積の一〇パーセントにも満たないでしょうから」
 にべもなく答えてカヲルコは接見は終わりとばかりに席を立った。椅子の音に、サクラがびくりと肩を震わせ、恐る恐るといった様子でカヲルコを見上げる。人権審査官が自分を見捨てるとは予想していなかったのかもしれない。
「泣いても医学的事実は変わりません」
 椅子を元の位置に戻すカヲルコにマサが説得を試みようとする寸前、サクラが叫んだ。
「待ってよ! 足のないわたしなんて、お母さんにもお父さんにも嫌われてしまうわ! 何とかしてよ!」
「何とかするのは、わたしではなくあなたです」
 カヲルコは呆れたように応じる。
「別に人権が剥奪されようが、あなたはそのまま愛らしくいれば、裕福な御両親の愛玩物として今までと同じ生活を送れるでしょう。けれど、どうしても人権が欲しいと言うのなら」
 カヲルコは少女の顔を真っ直ぐに見下ろした。
「残り三か月の審査期間中ずっと髪を伸ばし、たくさん食べて運動をせずに太りなさい。食べ物の差し入れは許可されますから、どんどんと御両親に要求しなさい。問題は単純に身体体積に占めるホモ・サピエンス由来のパーセンテージです」
「でも、太ったら、お母さんとお父さんが醜いって言うかも……」
「どうするか決めるのはあなたです。では、以上で第一回接見を終わります。マサ、人権審査接見規定に基づく動画記録は撮ったな?」
「はい、撮りました」
 マサ達補佐官AIは接見の様子を全て録画するよう義務づけられている。両眼で撮影して電脳で録画するので被疑者には撮影の有無など分からないが、カヲルコはサクラに敢えて動画記録があることを知らせたらしい。接見内容に文句があれば言ってこいということだろう。
「サクラ、わたしは今日から三か月間、東京に滞在しています。わたしとの接見を望むなら刑務官に言って下さい。特に連絡がなければ審査終了日に確認の検査と接見をして審査は終了です。何か質問はありますか?」
 カヲルコの確認に少女は硬い面持ちになり、目を伏せて、小さく首を横に振った。

     ◇

 三か月間、キシノ・サクラからの連絡はなかった。その間、カヲルコは次の審査対象についての検査指示を出したり、キシノ家について調査を重ねたりしていた。キシノ家への訪問にはマサも同行したが、長女サクラの人権を認めてほしいと請う一方、義足の神経接続を切る案には難色を示し、更には同席させた次女スミレの愛らしさに言及するなど、少々不思議な両親だった。しかし妹のスミレは、マサ達の帰り際、さっと玄関の外まで来てカヲルコに囁いた。
――「サクラを助けて。サクラはスミレが守るから」
 マサの鋭敏な聴覚が捉えた九歳の言葉は、充分に理解できるものだった。
 最後の接見に臨んだカヲルコは確認の検査を終えたキシノ・サクラに、事務的に宣告した。
「最終検査の結果、生存上必須の身体体積の五〇・一パーセントがホモ・サピエンス由来と判定されましたので、キシノ・サクラ、あなたの人権は認定されました。以後、あなたの身体に新たな手術が施されない限り、あなたの人権は保障され続けます」
 透明な板の向こうの、ぽっちゃりと太った少女は、肩に掛かる髪を揺らして大きく息を吐いた。
「本当に、ただの線引きなのね」
「ええ。単なる数値の問題です」
 面白くもないというふうにカヲルコは肯定する。
「ですから、髪の毛と体脂肪でホモ・サピエンス由来の体積を増やせれば、それでいいのです」
 膨らんだ頬を更に膨らませて、サクラは愚痴を零した。
「ありがとうなんて言わないから。こんなに太って、お母さんにもお父さんにも何て言われるか」
「それでも、食べ物の差し入れを続けてくれたのでしょう?」
 カヲルコは、さらりと返した。その事実はマサが拘置所に確認済みだ。
「うん。スミレが頼んでくれたって」
 頷いて俯いたサクラに、カヲルコは椅子から立ちながら冷ややかに言った。
「人間としてどう生きるか、御両親に頼らず、あなたが決めていきなさい。あなたが人権を有するに相応しいかどうかは、今後のあなたの生き方に掛かっています。以上であなたの人権審査を終了します」
「カヲルコ」
 マサは記録撮影を続けたまま確かめる。
「人権は法律や条約に反しない限り、保障され続けるものです。あなたが仰るのは、そういうものに抵触しない生き方という意味ですよね? そうでなければ、それこそサクラの人権を傷つける暴言です」
「どう受け取るかは彼女の自由だ」
 カヲルコは意に介さず、接見室を出ていった。マサは撮影を続ける両眼でサクラを振り向く。しかし少女に気分を害した様子はなく、ただ何かを決意したような表情でカヲルコが開けた白いドアを見つめていた。

     ◇

 三か月滞在した東京のホテルをチェックアウトしたカヲルコが向かう先は、次の審査対象がいる沖縄だ。当然、旅路の大半は飛行機である。マサが予約したファーストクラスの個室席に腰かけた銀髪の人権審査官は、肘掛けに頬杖を突いて物憂げに窓の外の空を眺めていた。しかし、その電子機器の両眼が何かに焦点を結んでいるようには解析できない。マサは控えめに話しかけてみた。
「何故キシノ・サクラに、人権を有するに相応しいかどうかなどと未だに彼女の人権が危ういようなことを言ったのです?」
 ウィーンン。微かな機械音をさせてカヲルコはこちらを見る。琥珀色の双眸は、彼女の遺伝的な瞳の色を再現しているとマサは分析していた。
「そのことを本部に通報したか?」
 カヲルコは薄く笑って問いで返してきた。補佐官AIは人権審査官の装備品であるだけでなく、重大な権限を持つ人権審査官の監視者でもある。人権審査官に不適切な言動があると判断すれば、世界連合の人権審査本部に即時通報するのだ。
「いいえ」
 マサは首を横に振った。カヲルコの発言は彼女が述べた通り、キシノ・サクラ自身の受け取り方が要件だった。そしてサクラはカヲルコの発言を問題視しなかったのだ。ゆえに通報はしていない。
「おまえは本当にAIかと思うくらい甘いな。わたしの発言自体を問題視して、一応通報しておくべきじゃないのか?」
 カヲルコは不思議そうに小首を傾げた。
「確かにそういう判断もできますが」
 マサは互いへの理解を深めるいい機会だと捉えて確認する。
「わたくしは、あなたの発言にはキシノ・サクラを鼓舞するための意図があったと分析したのです。あなたは徹頭徹尾キシノ・サクラのために行動し、発言していた。違いますか?」
「人権が認定されたからと言って人間としての幸福が保障される訳じゃない。あの子が幸福になるためには生き方を変える覚悟が要るという、わたしの勝手な判断だ」
 カヲルコの返事はマサの予測以上に人権審査官らしいものだった。マサは微笑み、改めて安堵を伝えた。
「それでも、人権があるとないとでは保障される権利が大きく異なってきます。サクラが基準を辛うじて超えて本当によかったですね」
 人権審査官は感情論だけで、ホモ・サピエンス由来が五〇パーセント以上という基準を覆せはしない。過去には人間よりも善良と謳われたとある僧侶の人権を、五〇・三パーセントがボノボ及びカピバラ由来という検査結果そのままに剥奪処理した事例もある。
「超えなかったら人権を認定できず、恨まれてしまったかもしれません」
 人権審査官は高級ホテルやファーストクラスを経費で利用できるが、それは審査自体が極秘であることと、ともすれば恨みを買って命を狙われる職だからだ。未だ人権審査官の殉職者はいないが、人権審査官を庇った補佐官AIが破壊された例は五件と記録している。
「あの子も、あの両親も、わたしを恨むぐらいだったらいい」
 カヲルコは無表情に呟いた。電子機器の双眸は虚空を見ている。カヲルコ・リドフは時々こういう分析の難しい表情と言動をする。だが意思疎通を拒んでいる訳ではない。
「護衛する立場としては、恨まれたら厄介なのですが?」
 微苦笑を交えて応じたマサに、カヲルコは生真面目に説明した。
「あの両親が、わたしを恨むぐらいサクラの人権を欲しているなら、義足の神経接続を切ることくらい了承し、そうするようサクラを説得したはずだ。或いは、脅すなり袖の下を掴ませるなりしてきたはずだ」
 まさか、そんなことを誘うためにキシノ家をわざわざ訪問していたのか。袖の下を掴ませられて人権を認定していれば、それはそれで通報義務がある。けれどこれまでは寧ろ厳格さが際立つ言動が多いカヲルコだ。その場合、熱意は汲んだという意味だろう。補佐する相手の性格分析を、マサはそっと修正していく。そうと知ってか知らずか、または全く意に介さずに、カヲルコ・リドフは冷ややかな声で続けた。
「だが彼らはそういう親じゃなかった。だから、サクラが本当に幸福になるためには、あの両親が示す方向性とは異なる生き方を目指す必要がある」
「あのスミレという妹は、いい助けとなってくれるでしょうね」
 頷いたマサに、カヲルコは微かな機械音とともに眼差しを向けてきた。
「おまえは妙なAIだな。わたしの以前の補佐官AIと随分違うことを言う」
「最新型ですから」
 マサは褒め言葉と受け取ることにして胸を張る。
「より人間に近い感性で以て、あなたの補佐を全うし、より多くの人間の幸福に寄与したいと考えています」
「人間の感性とは一線を画すAIだから、おまえ達が補佐官になっている意味があるんじゃないのか?」
 カヲルコの見解にマサは穏やかに反論した。
「人間の感性が重要だと世界連合が考えているから、最新型のわたくしがここにいるんですよ。五〇パーセントという基準で切り捨てず、あなた方人権審査官が判断する余地が残してあることも、同じ意味だと考えます。重い判断を担うあなた方は本当に大変ですから、全力で補佐します」
 最後に決意を付け加えたマサに、カヲルコは小さく溜め息をつき、視線を再び窓の外へ向ける。雲の上を飛ぶ機体の外に広がるのは、ただ青い空だ。その同じ空を眺めたマサに、カヲルコは横顔を見せたまま告げた。
「わたしの家族は、生まれたままの体で生きることを重要視する人達だった」
 初めて聞く話だ。マサは補佐する相手の表情を注視した。
「見れば分かるだろうが、わたしはアルビノだ。視力は弱かったし、皮膚病にも悩まされた。だが、わたしの家族は遺伝子組み換え治療をすることも、体を機械化することも忌避した。お陰で未成年の間は苦労したよ。二十歳になって自分で自分の体を自由にできるようになった直後に、わたしは家を出て遺伝子組み換え治療を受けて皮膚病を改善させ、両眼は機械化した。世界が広がったと感じたよ。無防備に沖縄なんかに行けるのは遺伝子組み換え治療をしたからだし、こんな青い空を見ていられるのも、この両眼にしたからだ」
「機械音を消す調整をしていないのは、何か意図があるのですか」
 マサは気になっていたことを尋ねた。カヲルコはその両眼を瞬き、マサを振り向く。見つめ返したマサに、人権審査官は銀髪を掻きやって淡々と明かした。
「わたしの幼い反抗心に過ぎないよ。このあまりに機械的な両眼を見て、家族はわたしを諦めた。この両眼は、わたしがわたしの人生を歩み始めた出発点なんだ。だから家族を驚かせるために敢えて残した機械音を、そのままにしている。もう慣れたから大して気にもならないしな。おまえは気になるか?」
 真顔で問うてきた顔は、確かに今までよりも幼く見える。マサは微笑んで答えた。
「わたくしももう慣れましたが、大変魅力的な音です。あなたが視線を動かすたびに見ていなくても気づけるのですから」
 途端に人権審査官は眉をひそめ、マサの顔をキュウンと音をさせて凝視してきた。
「おまえが人間の感性をどういうデータから学習したのか調べておく必要があるかもしれないな」
「どういう意味ですか?」
 分析しづらい発言だ。
「そのままの意味だ」
 カヲルコはマサから思い切り顔を背けて、両眼も閉じてしまった。

     ◇

 ボリス。
 カヲルコは瞼を閉じた薄闇の中で懐かしい名を思う。屈強な外見で、ボリス――〈闘い〉という名に相応しい一途さと頑固さを持っていた自分の最初の補佐官。極寒のカムチャツカで、カヲルコを庇って逃がし、木っ端微塵となった相棒。
 ボリス。もしかして、おまえのデータがこのマサに学習されているのか?
 隣にいる補佐官AIは何故、不意にボリスと同じことを言ったのだろう。
――「大変魅力的な音です。あなたが視線を動かすたびに見ていなくても気づけるのですから」
 マサが口にした言葉は、かつてカヲルコの補佐官AIだったボリスが語った言葉と全く同じだった。

文字数:8371

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