鼻くそブラックホールのモンちゃん

印刷

梗 概

鼻くそブラックホールのモンちゃん

 お正月にばあちゃんちの畑からみた空には星がいっぱいきらきらしてて、今にも僕が空に向かって落っこちちゃいそうだった。でもくしゃみをしたら、鼻水はすぐに僕の口に返ってきて、気持ち悪かった。

 

 僕は小学校2年生になっても鼻くそをほじるくせが直らなかった。気がついたらほじってて、指先の鼻くそのやり場に困って机の右奥にギュッと押し付けていた。1年生の時は机の裏全体を鼻くそだらけにしてプリントに年季の入った鼻くそをつけたりしたけど、もう2年生だから、ずっと計画的になった。

 でもこれは、斜め前の席のみよちゃんには見られたくないなと思う。みよちゃんの両サイドの三つ編みはきゅっと結ばれていて、とてもかわいい。 

 

 ある日、いつものようにぎゅっと鼻くそを押し付けようとしたら、なんか変な感じだった。いい加減ぎゅったま(鼻くそを固めたもの)が大きくなっきてまずいなと思ってたけど、その日はいつもと手応えが違った。代わりにそこに小さな穴が開いたように、人差し指の腹がぎゅったまがあったところにピタリと吸い付いた。

 おかしいなと思って指を離そうとしたら、頭の中に声が聞こえてきた。

「お前か、鼻くそなんてもので俺を作ったのは。ふざけんなよ」

 声の主は自分はブラックホールだと名乗り、僕は図鑑でみたブラックホールの形がモンブランのぐるぐるに似てると思ったのでモンちゃんと名付けた。モンちゃんは鼻くそは金輪際お断りだと言い、消しカス、答案、給食を吸い込んだが、嫌いな先生は「後味悪いだろ」と、吸い込んですぐ教室のごみ箱から吐き出した。僕がみよちゃんのお気に入りの消しゴムを拾って渡そうとする前にモンちゃんがそれを吸い込んでしまい、みよちゃんが泣いてしまったので、なんで消しゴムが消えたのか、みよちゃんにモンちゃんとその出自の鼻くそについても話すことになってしまった。

 

 一学期の終わり頃、机の右奥は表側も黒ずんできて、机がひしゃげ始めた。

「俺、そろそろやばいから宇宙に帰らせてくれ。優太とはお別れだが、その前にモンブランを丸ごと一つ、食べさせてくれないか」

 僕とみよちゃんは夏祭りの夜にそっとみんなの輪を抜けて、机を学校から近くの空き地へ運び出した。モンブランを吸い込んだモンちゃん。

「うっ」

呻くようなモンちゃんの声がした。美味しくなかったのかな……僕は心配になって隣のみよちゃんをちらりと見た。次の瞬間、

「ま!優太もう一個だ、もう一個!」

モンちゃんは叫びながら星空に向かって落ちていった。

 

 二学期の席替えの前にニュースが届いた。白昼堂々ケベック州のケーキ屋から、モンブランが数個、吸い込まれたようなクリーム痕を残して消えたらしい。それらしき犯人は目撃されなかったが宙を舞うひしゃげた机を見た人がいて、証拠写真を見せている。ブレた写真だったがそれは確かにモンちゃんで、みよちゃんは僕へ振り返り、おさげを揺らしてくしゃっと笑った。

文字数:1200

内容に関するアピール

主なシーンの切り替えは以下です。

①冒頭の冬の星空

②1学期の教室での様子(細かな切り替えは、発生する各種のイベント毎にあります)

③夏祭りの夜空

④夏休み中、優太がモンちゃんを思い出す場面(字数の都合で文字になってはいません)

⑤夏休み明けの教室での幕引き

 

実作にあたっては、例えば、①③で星空や浴衣のヒロインを細やかに臨場感をもたせるように書き、②で起こる各種のイベント(具体的には以下等)

 ・なんでもない日常→ブラックホールの出現

 ・優太がブラックホールについて自宅や図書室等、教室外で学んだ後にモンちゃんと命名する

 ・消しカスや答案、食べ物(給食だけでなく、家からこっそり持ってきたりする)等をあげる

 ・先生を吸い込んだ時の顛末

 ・みよちゃんの消しゴム吸い込み事件

を丁寧に書き、楽しく読みながら夜空の向こうの宇宙に思いを馳せる作品にしたいと思います。

文字数:373

印刷

鼻くそブラックホールのモンちゃん

 冬休み、僕はお母さんと妹のまこちゃんと一緒に、おばあちゃんの家へ行きました。

 お母さんが生まれ育ったのは雪深い地方の都市でしたが、少し車で行くと大きなスキー場があって、僕は、お母さんがまこちゃんのお世話をしている間、親戚のおじさんに連れられてスキー教室へ通いました。僕はそこで初めてスキーに挑戦したのですが、その時に履かされた、硬くて重くて大きなブーツはとても窮屈で、足が痛くて泣きたくなりました。ブーツだけでもとても重たくて歩きにくいのに、べちゃべちゃとした雪の上を、こちらもとても重たくて長いスキー板を肩に担がされ歩かされるのは、本当に辛かったです。スキーの板は、ぼくの右肩に容赦なく食い込んできて、僕は痛いな、重たいな、と思いながら、フラフラしながらゲレンデまで歩かされました。

 ゲレンデの麓の少し広いところまで歩くと、まずは準備運動から始め、その後初めてスキー板を履き、転び方や起き上がり方について学びました。僕は少しふくよかなためか、板を揃えて横にし、おしりを上げて起き上がる練習で少なからず苦労しましたが、先生は優しく教えてくれました。

 その後、ようやく滑る練習になるのかなと思ったら、蟹さんのような横歩きで斜面を登りました。息を切らし、苦労して登ったかと思えば、なだらかな斜面を少しだけ滑ります。そんなことを繰り返し、スキー教室では、とにかく蟹さん歩きで斜面を登ることと、スピードを出しすぎる前に上手に転ぶこと、転んだら自分で変な方向に滑り出さないように注意しながら起き上がることを教えてもらいました。

 僕は、スキーがこんなにも疲れるものだとは全く予想していませんでしたが、それでも、斜面をそろり、と滑る感覚が面白くて、スキー教室の2日目が終わる頃には少しずつ、楽しく滑ることが出来るようになっていました。

 

 元日、おばあちゃんの家には親戚が沢山集まって、とっても賑やかでした。いとこのお兄ちゃんが、小さい頃に使っていたスキーのブーツと板、ストックや小物類の一式を持ってきてくれたので、僕はそれらを身につけて、おばあちゃんの家から畑へ向かう、ささやかなスロープで沢山滑りました。とにかく楽しかったので、午後いっぱいストーブのそばで乾かしていた防寒着が乾いたのを確認して、晩ご飯のあともお母さんに、

「お願い、少しだけ」

と手を合わせて、スロープへ向かいました。

 おばあちゃんの家を出ても、外まで大人たちが話している様子がほんの少しだけ聞こえてきます。外の空気はキンとしていて、ほっぺが一気に冷たくなるのが分かりました。僕の吐く息が家から漏れる光に照らされてほうっと白く見えます。僕は雪をサクサクと踏んで、スロープに向かって歩きました。おばあちゃんの家の庭から裏手の斜面を蟹さん歩きで登っていくと、段々と家の明かりも届きにくくなります。僕は午前中に滑っていたコースを注意深くなぞるように、何度か登っては滑り、登っては滑り、を繰り返しました。もうすぐお終いにして戻ろうかな、と思った時にはだいぶ疲れてしまっていたので、斜面を滑り降りる前に少し、雪に寝っ転がって星空を眺めてみました。 

 暗がりに慣れた僕の目に、ほのかな光に反射する僕の息が少しだけ白く見えます。その向こうには、見たことのないような数の沢山の星たちが、所狭しと瞬いていました。お母さんは冬休みが始まる少し前、僕に、

「おばあちゃんの家からは星が綺麗に、沢山見えるんだよ。どんな星が見えるのか、楽しみだね。この図鑑のこのページには冬の星座が載っているみたいだよ」

と言っていました。僕は、おばあちゃんちへ向かう電車や飛行機の中で、星空を楽しみに想像しながら一生懸命に星と宇宙の図鑑を見ていました。それなのに、おばあちゃんの家に着いた夜は雪が降っていて、星空を見ることはできませんでした。その次の日も、次の次の日も雪は降ったりやんだりして空は曇っていることが多くて、元旦まで星空を見ることはできないまま、僕はスキー教室のない日、暖かい部屋で図鑑を見ながら過ごしていたのです。

 

 おばあちゃんの家を出る時はとにかくスキーをすることばかりを考えていましたが、僕はその時ようやく、やりたかったこと、楽しみにしていたことの一つが叶えられた事がわかり、嬉しい気持ちで星空を眺めました。

 その星空は、お母さんが一度、まこちゃんが産まれる前に連れて行ってくれたプラネタリウムとは、まるで違うものでした。プラネタリウムでは、暗闇にぽつぽつ、と星が浮かんでいて、それに線が加わって、星座の絵が描かれていって、この星座にはこういうお話があるんですよ、という説明をされたのですが、元日の夜、僕の目の前に広がる星空にはあんまり黒い隙間がなくて、どこもかしこも星だらけでした。

 僕は、図鑑でみた内容を思い出そうとしながら、改めて目の前の星空を眺めます。

 オリオン座のベテルギウスと、おおいぬ座のシリウスは、少し探すと、すぐに見つかりました。お雛さまの五人囃子が持っている小さな太鼓みたいなオリオン座は、僕の家の近くからもはっきりと見えるのでわかりました。肩のところのベテルギウスと、三つ並んだベルトの少し下の赤い星(後でもう一回調べたら、星ではなく、星雲、というものでした)の他の星との色の違いが、僕の家の近くでみた時よりもはっきりとわかるような気がしました。

 冬の大三角形のもう一つ、こいぬ座のプロキオンを探そうとしたのですが、そこには空を二つに分けるように白っぽく煙っている大きな川があって、よく見ると、細かな大小の星々がめいめいに濃淡をつけながら沢山きらきらとしています。プロキオンは、「冬の天の川」の向かい側にありました。

 ベテルギウスともう一つの赤っぽい星、おうし座のアルデバランを見つけると、もう少し先にすばるが見える、と思ったのですが、周りの小さな星も細かく沢山見えるので、なんとなく、あれかな?という事しか分かりませんでした。

 カペラはお空の真ん中に近いところで煌々としています。プロキオンと結んで、ベテルギウスの反対側にポルックスを見つければ、冬のダイヤモンドの完成です。僕は勉強したことを思い出せたので、そうして確認した星々を眺めながら、ほっと息を吐きました。その時です。

 

 雪に寝転んで星空を見上げていたはずの僕は、まるで天地が入れ替わったかのように、雪の斜面にピタリと張り付いた状態で、星空を見下ろしているのです。僕はいつ、自分が星空に向かって落ちていってしまわないか気が気ではありません。なんで僕が雪に張り付いているのかも、わかりません。僕はジェットコースターのてっぺんから猛スピードで落ちていく時に足を踏ん張るように、必死に体に力を入れ、手袋越しに雪を掴もうとしました。

 どのくらいの時間、そうしていたでしょうか。もしかしたら、実際にはあっという間だったかもしれません。僕がプシュッと大きなくしゃみをすると、鼻水は目の前の星空へ向かって落ちていくことはなく、僕の口にべちゃっとつきました。手袋をはめたまま口の回りを拭おうとしましたが、雪を掴もうとしていた僕の手袋は冷たくて、顔が痛くなってしまいます。僕は我に返り、喉から心臓が出そうなくらいドキドキしながら、早く戻らないとお母さんが心配するなと思って最後のひと滑りをし、急いでおばあちゃんの家に帰りました。

 

 僕たち家族は、僕が小学校2年生のゴールデンウイークに、今まで住んでいたところよりも少し大きな家へ引っ越しました。まこちゃんはまだ小さくてお母さんは色々と面倒を見なければならないので、僕はお父さんと一緒に家の中を掃除して回りました。ほこりをポンポンとはたいたり雑巾をかけたりして、家をできるだけきれいにしようと頑張りました。そのためでしょうか。僕はゴールデンウィークが終わって学校が始まっても鼻がずっとむずむずしてしまい、その日も、僕は右手でそっと鼻のむずむずするところをほじって鼻くそを取り出すと、机の右奥のこれと決めた場所に、そっと、ぴたっとくっつけました。この、これと決めた場所、というのがとても大事なのです。

 僕は1年生の時、鼻くそを机の裏側いっぱいに所構わずはり付けていました。そうすると、どこにどれだけ鼻くそがついているのかわからなくなり、普段、気を付けながらプリントをしまっているのに、うっかりいつの物だかわからない鼻くそがプリントについてしまったりして、とてもいやな気持になったのです。なので、1年生から2年生に進級するにあたって僕は決めました。そうやって無計画に鼻くそをはり付けることから卒業し、一つのところにまとめてくっつけるのだと。そうすると、うっかり鼻くそゾーンにプリントや教科書の類があたってしまうことを防ぐのはとても簡単になるではありませんか。

 我ながらこの思い付きは素晴らしいと得意な気持ちになっていたのですが、最近困ったことに、どうもこの鼻くその固まりがとても大きくなってきてしまいました。僕はひそかにこの鼻くその固まりをぎゅったまと名づけ、鼻をほじって指に鼻くそがつくたびにこのぎゅったまへ「ぎゅっ」とまとめていたのですが、ゴールデンウイークが終わってからも少しずつ、荷解きの終わらなかった段ボールを片付けたり色々な場所の掃除をお手伝いしていることもあって僕は継続的にほこりを吸っていたようで、ぎゅったまは思っていたより速いスピードでドンドン大きくなってしまいました。

 しかし、1年生の時の反省を踏まえ、僕は何個もぎゅったまを作りたくなかったので、一つ目のぎゅったまをできるだけ小さく丸められるように、右手の人差し指にできるだけ力を入れて、とにかく、沢山の鼻くそを一つの小さな点に、僕の力の限り、押し付けていました。

 

 ある日のことです。いつものように鼻がむずむずしていた僕は鼻くそをほじり、力を入れてぎゅったまにに鼻くそを押し付けようとしました。力を入れたその瞬間、ぎゅったまに触れていた指がチリっとしびれ、机の中が「カッ」と光り、机の左側のお道具箱が大きな風を受けたかのように「ガタッ」と音を立て、机の中から小さな消しゴムがポロっと飛び出てきました。僕はびっくりして右手を机の中から出して机の上に置き、黒板に目を向けました。先生は黒板に字を書き続けていて、僕の様子には気を留めていないようです。

 僕は飛び出た消しゴムを拾いながら机の中を覗こうとしました。暗くてよく見えませんが、机の中はまるで風が吹いているように、僕に近い、机の手前側から少し見えるプリントのはじっこがふわふわと揺れています。僕は拾った消しゴムを元の場所にそっと戻してから、恐る恐る、ぎゅったまをためていた場所に右手を伸ばします。すると、

 

「おまえか、鼻くそなんてもので俺を作ったのは」

 

 低い声が僕の頭の中に聞こえてきて、僕の右手の人差し指はぎゅったまのあったところにピタリと張り付きました。人差し指は、ぎゅったまのあったところから離れません。そこにまるで小さな穴が開いているようで、掃除機で吸い込まれているみたいな感じがします。なのに、机の表側はいつも通りにつるりとした木の肌が見えていて、変な感じです。僕はドキドキして、全く授業に集中できません。何が起こってしまったのでしょう。そもそも、僕は右利きです。早く黒板の内容を写さないと、先生が消してしまいます。そして、さっきの低い声はどうやら僕にしか聞こえてないようで、隣の席の山田君をちらりとみましたが、涼しい顔でカリカリと黒板を写しています。僕も早く写さないと。

「この俺が、泣く子も黙るこの俺が、鼻くそからできた、だと……?」

低い声は続いていて、やはり山田君には聞こえていないようです。先生が黒板消しに手をかけます。とにかく右手を離さないと。頑張って離そうとしたら、

「おいおまえ、話が終わってないぞ。何しようとしてるんだ」

同じ声で言われましたが、

「よくわかんないけど黒板消えちゃうから!」

ぐっと指を離すとそのはずみで僕の右手の甲が机の下のプリントに当たり、

「ごん」

と鈍い音がしました。みんな、僕の方をみています。僕はつい、少し大きな声を出してしまったようです。担任の先生がメガネの向こう側から冷たい目でこちらを見ます。

「高橋さん?どこか、わからないところはありましたか。特に、いつもより早く消そうとしてはいませんが」

「えっと、あの、その……」

ぼくはしどろもどろになり、何をどう言っていいのかわかりません。先生はつかつかと僕の机のそばに歩み寄って机の上のノートを一瞥し、

「ここまでですね、わかりました」

と言って黒板のところまで戻ると、僕が丁度書き終わったところの直前の部分をすーっと消してから、その前の部分をさっさっと消しました。よかった、まだ写せるかなと思ったのもつかの間、書き終わっていないところで一度黒板消しが止まったかと思いましたがそのあとすぐ、全て消されてしまいました。先生は僕をちらりと見てから、続きの内容を黒板に書いていきます。僕が唖然として先生のひっつめ髪の後頭部を見ていると、隣の山田君がぼくの右腕につんつんと触れて自分のノートを指さし、

「あとで僕の写せばいいから、このくらい空けといて」

と、教えてくれました。

 

 休み時間に山田君のノートを写し終わった僕は、次の授業が始まる前に机の上に広げた教科書を見るふりをして、さっきの穴にそっと、右手を触れてみました。そしたらまた、あの低い声が聞こえてきたのです。

「お前、高橋っていうのか」

周りを見渡しましたが、やはり僕にしか聞こえていないようです。僕は声が出ないように気を付けながら、頭の中で、

「君は、誰?」

と、念じるように聞いてみました。右手の人差し指は、さっきよりも少しだけ弱く、机の裏側に吸いついているようです。

「俺は……ブラックホール、と、お前たち人間に呼ばれている、存在だ」

低い声は、絞り出すような声で答えました。

 僕は冬休みに買ってもらった、星と宇宙の図鑑を今でも時々家で見ています。その中で、ブラックホールについてどんなことが書かれていたかを頑張って思い出そうとしました。

「ブラックホールって、太陽よりもずーっと重たい星がさ、ギュッと1点にちっちゃくなってドンドンそこに向かって周りの星や、光までもがすいこまれちゃうやつなんでしょ」

「おぅ、よく知ってるじゃないか」

低い声は心なしか、少し嬉しそうです。

「それがこんなところにあるとかおかしくない?変だよ。だってさ、そこにはは…」

「言うなよ!」

僕が鼻くそ、と言おうとしたところ、低い声が悲痛な叫び声をあげたので、僕はつい、右手をこん、と吸いついていた穴から離してしまいました。もう一度恐る恐る、指をつけてみます。

「俺だって信じたくない。俺がこんなクソガキの鼻くそからできただなんて、信じるもんか」

クソガキ呼ばわりされたのは心外でしたが、ブラックホールを名乗る声の主はとても辛そうです。そのうち、僕はまた鼻がむずむずしてきたので、仕方なく空いている左手で鼻くそをほじり、そっと右手のそばに持っていこうとすると、

「おい、もうそれくっつけようとするな。吸い込まないぞ」

と、その低い声は言いました。僕は左手の指さきの鼻くそを持て余すわけにはいかないので、仕方なく右手と少し離れたところにつけました。

「お前に、いいことを教えてやる。よく聞け。お前の親戚に、認知症、と言われている人間はいないか?ほら、物忘れがひどくなったり、目の前の相手が誰だか分からなくなったり」

僕がおばあちゃんの家に行った時、少し前に老人ホームで亡くなったおばあちゃんのお姉さんについて、お母さんたちがそんな話をしていた気がします。

「よくわからないけど、聞いたことはあるよ」

「お前たち人間は、鼻で匂いをかぐだろう。そして例えば、今日のご飯はカレーだな、とか、思ったりする」

「それで?」

「つまり、鼻が外から受けた刺激が脳に伝わって匂いが分かる、ということはわかるな?」

「わかるけど」

「だからな、ばい菌は、そもそも鼻から脳の中に入りやすいようになっているんだ」

「言われてみれば、そうかも……?」

「実際に、確かめるためにネズミの鼻の穴の中にわざとばい菌をつけたら、脳の中にそのばい菌が感染して、認知症の原因になる物質が増えたらしい」

「へぇ……」

「うそだと思うなら、家でお前の家族に聞いてみろ」

そこまで話した所で先生が教室に入ってきたので、僕は両手を机から取り出し、次こそは黒板を消されまいと、次の授業に備えました。

 

 家に帰ってから、まさか、机の中のブラックホールが、とは言えないので、少しごまかしながらネズミさんの実験をお母さんに話してみました。お母さんはまこちゃんのお世話で忙しいので、ふーん、という感じであまり真剣に取り合ってくれませんでしたが、少し遅い時間に帰ってきたお父さんに同じ話をすると、お父さんはスマホをポチポチと触り、

「おぉ、本当だ。よくそんな話を聞いたなぁ。鼻くそをほじっちゃぁ、だめだぞ」

と笑いながらぐしゃぐしゃと僕の頭を撫でました。

 僕は少し誇らしい気持ちになったのと同時に、低い声が言っていた事が本当のお話だったとわかり、将来、認知症とかの病気になるのはいやだなと思ったので、2年生になってようやく、ランドセルの中にきちんとポケットティッシュを入れて持っていくことにしたのでした。

 

 ブラックホールと名乗る低い声は、次の日になっても僕に話しかけてきました。僕は高橋、と苗字を呼び捨てにされるのはなんとなく嫌だったので、一つ提案してみました。

「ねぇ、僕のこと優太って呼んでよ。僕も君のこと、モンちゃん、って呼ぶから」

「モンちゃんってなんだよ」

「家に帰ってから、図鑑で、ブラックホールの写真を見てみたんだ。何だかドーナッツみたいにぼんやりしているのをこれがブラックホール!って書いている説明もあったんだけど、僕は、銀河の中心にすごく大きいブラックホールがあって、それにぐいぐい、ぐるぐる星が吸い込まれていく絵が好きなんだ」

「おぅ、あれ、格好いいよな」

自分は鼻くそからできたことも忘れているのか、何だか嬉しそうです。

「君は、自分のことをブラックホールって言ってたただろ。僕は、あの銀河がぐるぐるして、真ん中がぴかって光っているのを見ていたらね、モンブランの上にのっかっている美味しそうな黄色い栗を思い出したんだ。だから、君のあだ名は、モンちゃん」

「……」

低い声は何も言いません。

「いやだった?」

「俺たちはさ、宇宙にぽつん、ぽつんと点在している特異点であって、その内側に蓄えられた大量の情報は損失しないということを、お前たち人間の仲間が仮説としてこの前、提唱していたな。俺たちは、お前たち人間がどういった活動をしているのかも、情報として、わかっている。だから、モンブランという食べ物についても、勿論、知っている」

モンちゃんの言う、とくいてん、じょうほうのそんしつ、かせつ、ていしょう?というのはよくわかりませんでしたが、とりあえず聞き流すことにしました。

「だけどなぁ、おまえも昨日言っていたように、基本的に俺たちはあっという間に周りの物を吸い込んでしまうから、それらの蓄えた情報を取捨選択して、味わい、感じ、表現する、といったことについては確認されていないんだ」

表現する、とモンちゃんが言っていて、僕と今、頭の中で話をしているのはどういうことなんだろうと思いましたが、それよりもずっと大事なことが気になりました。

「モンブランを知ってるのに、味がわからないの?」

「知らん。というか、俺自身、こんな場所で大して周りを吸い込みもせずに張り付いている現実をよく理解できていないんだ」

「よくわかんないけど、あんなに美味しいのを知らないだなんて何だか、かわいそうだね……あ、でもそもそも味がわからないのかな。鼻くそも味はわかんなかったんでしょ」

「あんなくそみたいなもの、二度と吸い込むもんか」

モンちゃんが泣きそうな声で訴えたので、どうやら鼻くそについてはその味を味わってしまったようです。僕は想像しただけでうえぇ、と気持ち悪くなってしまったので、口直しに何か食べさせてあげたいと思い、給食で出てきたパンのかけらを少し、あげてみました。

「よくわからんな。もう少し」

「いやだよ。僕はパンが好きなんだ」

そんなやりとりをしながら、僕はモンちゃんに給食や、消しゴムのかすや、悪い点を取ったテストの答案とか、色々なものを吸い込んでもらいました。

 

 モンちゃんが一度に吸い込める物の量・大きさは、基本的には僕が机の下に手を入れてそっとモンちゃんの近くに置いた時なのですが、例外がありました。

 ある日、いたずらっ子の田村君が、中休みに長めの木の枝を教室の中まで持ってきてしまいました。ぶんぶん振り回していていやだなと思っていたら、少し前の席のリエちゃんのおさげに引っかかってしまいました。田村君は、

「あー、知らね」

と言ってどこかに行ってしまい、リエちゃんは両サイドにきゅっと結ばれたおさげの片方に絡まってしまった枝を外そうとしていましたが、うまくいきません。お友達の女の子たちは、

「リエちゃん、大丈夫?」

と言いながらも上手に外すことが出来ず、

「先生呼んでくるね」

と、教室を出て行ってしまいました。残ったリエちゃんは体をよじりながら枝を外そうとしていますが、髪の毛に引っかかっていて、痛そうです。僕は右手を机の中に入れ、

「ねぇ、机の外のものを吸い込んだりすることはできないの?」

とモンちゃんに訊ねました。

「俺の近くの、お前の鼻くそのかけらを少し、その木の枝につけてみろ」

モンちゃんのそばにあって、モンちゃんが吸い込むのを拒否し続けている鼻くそ、かつてのぎゅったまのかけらに触れるのは何となくいやだなと思いましたが、リエちゃんのためです。僕は鼻くそを少し手に取り、リエちゃんのそばに寄って行きました。

「高橋君、これ、とれる?」

リエちゃんが困った顔でこちらを見ています。僕は指先の鼻くそが見えないように隠しながら、

「ちょっと待っててね」

と、リエちゃんの後ろに回り、木の枝にそっと、鼻くそを付けました。すると、

 ひゅっ。

と音をたて、木の枝が消えてしまったのです。後には、少し乱れたおさげ髪のリエちゃんが残されています。リエちゃんは両手で自分の頭を押さえ、

「あ、とれた?ありがとう!」

と僕の方を向き、

「あれ、木の枝はどこに行ったの?」

と、続けて言いました。僕は、まさか机の中のブラックホールに吸い込んでもらった、とも言えなかったので、

「すぐにぽいしちゃったよ、えへへ、手品みたいでしょ」

とごまかしました。リエちゃんは少し不思議そうな顔をしていましたが、

「えー、すごいね」

と笑っています。そこに、先生を連れた女の子たちが戻ってきました。先生はリエちゃんを見下ろし、ため息をつきながら、

「で、枝はどこですか?もう取れたんですか?」

と言い、リエちゃんの頭をぐいと押さえます。

「特に血が出ていたりはしないようですが、どこか痛いんですか」

リエちゃんが小さい声で、

「もう、取れました。痛いところはないです」

と言うと先生は手を離し、

「枝を振り回していたのは田村君、とのことでしたね。後できちんと言っておきます」

と言い、ため息をつきながら面倒臭そうに教室を出て行きました。

 

 その日のことです。4時間目の算数の時間が半分くらい過ぎた頃でしょうか。先生は、

「小テストをします。前半で説明した内容の確認です。やってみて、わからなかったら手を挙げて下さい」

と言ってプリントを配りました。僕は算数が好きで早速解いて進んでいきましたが、どうやら第2問は少しひっかけ問題の様でした。先生の説明を聞いてわかると言えばわかりますが、人によってはわからないんじゃないのかな、と思いながら鉛筆を動かしていると、リエちゃんが、

「先生」

と、手を挙げて小さな声で先生を呼んでいます。第2問かな、僕なら教えられるんだけどな、と思いながら解き続けていると、リエちゃんの席から小さな声が聞こえてきます。

「あの、ここに、こう書いていますが、これは……」

「さっき説明した、黒板に書いてある考え方を使って下さい」

先生は突き放すような言い方で黒板を指しながらリエちゃんに伝えます。

「あの、それが、このもんだいとのつながりが、よくわからなくて」

先生はリエちゃんの手元と黒板を交互に眺め、一瞬、リエちゃんのプリントに何かを書こうとしましたがその右手を後ろに回し、ため息をつきながら、

「さっき、説明したばかりのところです。もう一度、黒板をよく見てもらえますか」

と言いました。リエちゃんは、小柄な両肩をいつもよりもさらに小さくしながら黒板と手元のプリントを交互に見、そのたびにおさげが落ち着きなく揺れるのですが、先生は一貫して冷たい様子でリエちゃんを眺めています。

「今日の授業の内容を、きちんと聞いていましたか。よく聞いていれば、わからないことはないと思うのですが」

口を歪めて冷たく言い放ち、リエちゃんはうなだれて、背中を小さく丸めてしまっています。

 僕は、その一方的な言い方を聞いていられませんでした。リエちゃんがわからないのは、他でもない先生の教え方に原因があるのではないでしょうか。僕は、

「先生、ちょっとここがわかりません」

と、手を挙げて先生を呼びました。先生は、

「後でまた来ますから、しっかり考えて下さい」

リエちゃんへ意地悪な一瞥をくれてから僕に近付いてきます。

「モンちゃん、もう宇宙のどこかに飛ばしちゃってよ、あの先生」

僕は、指先をモンちゃんに触れながら頭の中でモンちゃんに念じました。

「おい、優太!」

モンちゃんの驚いたような声が聞こえてきましたが、先生が近付いてきたので、左手の指先で机の上のプリントを示し、先生がその場所をのぞき込もうとした時、モンちゃんのそばのぎゅったまのかけらを先生の背中めがけて右手の先から投げつけました。

 

 果して次の瞬間、先生は目の前からしゅっ、と消えてしまいました。机の上のプリントとにらめっこしていた隣の席の山田君が気付いたようで、僕の顔を見ています。僕は、まるでびっくりしているように、

「あれ、先生はどこ?」

と、ひきつった顔で山田君に言いました。山田君は少し考えるように前を向いてから僕に向き直り、

「さっき、そこにいたよね?僕が集中しすぎていたのかな?」

と言い、まぁいいか、という感じでプリントと再びにらめっこを始めました。僕は自分でモンちゃんに先生を消してもらったくせに、

「あれ、変だなぁ?どこかに行っちゃったのかな?」

と続けて言いました。周りのお友達は、あ、本当だね。どこ行ったんだろう、とのんきな顔をしていて、あまり気に留めていないようです。リエちゃんは一度教室を見渡してから、改めてプリントの問題を解き始めたようでした。

 僕は引きつり笑いをしたまま、プリントに視線を落として、改めて今起こったことを考えました。宇宙のどこか、って言ったらすぐに息が出来なくなって、死んじゃうんじゃないのかな。先生は意地悪だと思ったし、僕にとっても正直苦手な人だけど、それは死んでしまってよいくらいに悪い人だったのだろうか。どんなに嫌な人にだって、その人がいなくなったら悲しむ人が誰かは一人、いるのではないのかな。僕は、警察に捕まってしまうのでしょうか。実行犯はモンちゃんですが、お願いしたのは僕です。どうしよう。確かに、許せない、とっちめなくちゃと、とっさに思ったけど、どうしよう。

 というようなことを考えていたら、授業が終わる直前、教室の後ろからバタンッ!と大きな音がして、先生が箒やちり取りをしまっているロッカーから出てきました。

 枝毛だらけのひっつめ髪はほこりをいっぱいかぶっていて、先生は、

「ぶへっ、ごほっ、ごほっ」

と、咳込みながらロッカーの前でへたり込んでいます。

 後ろの席のお友達が、「うぇー、先生きったない。なにやってるの?」と先生に向かって言った瞬間にチャイムが鳴り、4時間目は終わりになりました。給食の準備を始める前にそっとモンちゃんに触れると、低い声が僕の頭に響いてきます。

「優太、さっきのこと、昼休みに話してやる。今日は図鑑を見たいんだとか何とか、友達に言っとけ」

 

 僕はその日、憂鬱な気持ちで給食を食べて掃除をしました。いつもは、給食の中でも自分が特に美味しいと思ったものをちょっとだけモンちゃんにこっそりあげているのですが、モンちゃんが何を言い出すかわからないし、モンちゃんと話すのが怖かったので、昼休みまでモンちゃんに触れることができませんでした。

 言われた通りに昼休み、しゅんとした気持ちで図鑑を開いて自分の席に座りました。右手でモンちゃんにそっと触れます。

「吸い込みっぱなしでこの教室に戻さない方がよかったか?」

僕はなんて答えればいいか分からず、机の上の左手で、図鑑を読んだふりをしています。

「また吸い込んでほしくなったらもう一回投げてみろよ。次はここに戻さないでやる」

モンちゃんはドキドキしていた僕の気持ちを知らないのか、物騒なことを言います。

「え、もういいよ。もうそんなことお願いしないよ」

「どうして」

「どうしてって……宇宙服とか着ないで宇宙に行ったら、人間は、生きていけないんでしょ」

「わかっててなんで頼んだんだ」

「……ごめんなさい」

「俺はさ、優太から時々もらう、給食のかけらが好きなんだ。給食だけじゃなくて、この前、優太の家からモンブランのかけらも持ってきてくれただろ。あれもうまかったよ。ちっさすぎてもう少し食べてみないと詳しくはわかんないけどな。俺は色々なものを食べてみたいんだ。優太はさ、嫌いな人間を消しても、そいつがどうなったのかとか、その周りの人達がどうなるかも後で考えちゃったんだろ。いつも俺に給食をくれるのに、それを忘れちゃうくらいに」

「うん」

「だったら最初からそんなことするなよ。俺は、お、こりゃ後味悪くなるぞ、吐き戻さなくちゃと思ってワームホールをつなぎ合わせるのに苦労したんだからな」

「……モンちゃん、ごめんね」

「中休みの枝といい、しばらくでかいのは吸い込まないぞ。

 給食については明日からも、その日に出た中で特にうまいのを頼む」

 

 それからしばらく、モンちゃんの言う通り、僕はモンちゃんに何でもかんでも吸い込んでもらったりはせずに、給食や、お家で出てきたご飯やおやつの中で特に美味しいものだけを少しずつ、モンちゃんにあげていました。すると、だんだんと、モンちゃんのついている机の表側の木の部分に、少しずつ黒い色がにじんで小さなシミができたようになってきたのです。そうしてできた黒いシミは少しずつ濃くなってきただけではなく、机の表面が少しずつ、へこんでいきました。机の裏側の穴も、最初は指の先で塞ぐことができるくらいの小さな穴だったのに、最近は、指先2本分が吸い込まれそうになるくらい、大きくなってきていました。僕はとにかく机の表側の黒くへこんだシミを先生に気付かれないように、できるだけ教科書で隠しながら授業を聞いていました。

 夏休みも近くなってきた、ある日のことです。5時間目の授業の終わり頃、リエちゃんの消しゴムがころん、と、少し離れた僕の机のそばまで転がってきました。僕がさっと拾うと、振り返ったリエちゃんと目が合います。僕は消しゴムを手で持って目配せし、帰り道に渡そうと、机の中に一旦しまいました。

 帰りの準備をし、机の中に入れたリエちゃんの消しゴムも忘れないように取り出そうとしましたが、消しゴムがありません。中のものを全部机の上に出しても、どこにもありません。まさか……

 僕はモンちゃんに触れながら聞いてみました。

「モンちゃん、もしかして、リエちゃんの消しゴム、吸い込んじゃったの?」

「あぁ、あれか。俺は最近どうも調子が悪いみたいで、近くにあるものは何でもかんでも吸い込んじまうみたいなんだ。だから、もう、ないぞ」

「ないって?」

僕は背中がぞわぞわしてきました。

「困るよ、先生にみたいにすぐ出してよ!」

「んなこと言ったって……」

そんなやりとりをしているうちに帰りの会は終わり、みんなは下校班毎に校庭に並ぶため、めいめいに教室を出ていきます。リエちゃんは僕の机に歩み寄り、

「さっき消しゴム拾ってくれたでしょ、ありがと」

とにっこりしています。僕は、

「あ、あの、下校班で帰る時に渡すから、また、外でね。ごめん、一瞬、トイレ」

と逃げるようにして教室を出て、一瞬トイレに行くふりをしてから外靴に履き替え、下校班の列に並びました。僕のすぐ後ろに並んだのが1年生で、リエちゃんでなかったことにほっとしました。でも、リエちゃんにどう説明したらいいのでしょう。僕はリエちゃんの消しゴムの状態を必死に思い出しながら、自分の消しゴムをもとにして似たように作り変えてそれを渡せばいいと思いつき、手元で必死にこそこそと消しゴムの見た目をリエちゃんの物に見えるように細工を施しました。 

 班ごとに下校し、リエちゃんの家の前に着いた時、僕は何とかリエちゃんへ、「はいこれ!」と消しゴムを渡したのですが、リエちゃんは怪訝そうな顔をしています。 

 僕の手のひらの上ですっかりぬるくなっている消しゴムを見ながら、

「これ、私のじゃない。どこにいったの?」

と聞いてきます。僕は観念して、モンちゃん(と、鼻くそを丸めたぎゅったま)について話すことにしました。リエちゃんは眉をひそめながら話を聞いていましたが、翌日、僕の机の中を一緒に覗き込み、実際に触ったり、何かを吸い込んでもらってようやく、モンちゃんを信じてくれたようでした。

 

 僕はリエちゃんと小さな秘密を共有できて嬉しくて、二人で色々なものを吸い込んでもらっていたのですが、机の表側の黒ずみはどんどん大きくなり、しまいには、机の右側にはプリントを置いたりできなくなりました。そして、左側に置いているお道具箱は授業中でも時々、カタ、カタ、と音を立てるようになり、机の下側、銀色の金属の部分もモンちゃんの場所を中心に、べこり、とひしゃげ始めています。

 僕が恐る恐る、右の手のひらでそっとモンちゃんに触れると、

「優太、俺、そろそろまずいぞ。何でもかんでも吸い込みそうになるのを、やっとがまんしているんだ。宇宙に帰らせてくれ。そうだな。広い空き地に持って行ってくれないか」

辛そうな声で、モンちゃんが言います。

「優太とはお別れだが、その前にモンブランを丸ごと一つ、食べさせてくれないか。この前はかけらだっただろ」

 

 僕たちの小学校では、先生やお父さんお母さんたちが、1階の教室と校庭を使って、夏休みに入る少し前の夕方に、夏祭りをします。僕とリエちゃんは夏祭りの日、そっとみんなの輪を抜けて、モンちゃんの机を学校から近くの空き地へ運び出しました。紺色の浴衣を着ているリエちゃんは、机を持ちにくそうです。僕たちは周りに人がいないことを確かめながら、空き地の真ん中に、机の脚を上向きにして、モンちゃんが付いている机をそっと置きました。

 机の周りには、背の高い草が夕方の風に吹かれています。少し前に陽が落ちて、空はうっすらと明るいところがまだありましたが、反対側の空はだんだんと紺色が濃くなってきているような気がします。

 僕はリュックに入れて持ってきたモンブランを取り出し、銀紙に載せたまま、ひしゃげた机の裏の金属に、できるだけそっとのせました。それから、机を運ぶ前にモンちゃんに言われた通りに机から離れ、リエちゃんと一緒に机を見つめました。机は、いや、モンちゃんは、少し揺れたかと思うと、ひしゃげている部分がべこん!とさらに大きくへこんで机の表の木のところまでくっつき、モンブランはシュッと、見えなくなりました。

「うっ」

これまでは触った時にしか聞こえなかった、呻くようなモンちゃんの声が聞こえてきます。隣のリエちゃんも僕の方を心配そうに振り返ったので、リエちゃんにも聞こえたみたいです。

「まぁぁ!優太、もう1個だ、もう1個!!」

という大きな声を出しながら、空へ向かってモンちゃんのついた机はまっすぐに登っていきます。まだ西の空はほんのりと明るくて、冬休みに見た星空よりずっと星の少ない夏の空へ向かってぐんぐん遠くなっていく机は、あっという間に見えなくなってしまいました。

 二人でしばらく空を眺めていると、ぽとん、と何かが落ちる音がします。拾ってみるとそれはずっと前にモンちゃんが吸い込んでしまったリエちゃんの消しゴムで、リエちゃんは、

「もう、代わりの消しゴム買っちゃったんだけどな」

と、消しゴムを握りしめながらもう一度空を見上げました。

 

 夏休みの間、僕は、星と宇宙の図鑑を眺めながら、モンちゃんのことを思い出していました。もう1個食べたい!と思いながら宇宙へ登って行ってしまったモンちゃん。食いしん坊の僕としては、とても胸が痛みました。あまりに胸が痛かったので、ある日の晩ご飯の後のデザートにモンブランが出てきた時、自分の分だけでなく、お父さんに半分もらってあわせて1個半も食べたのですが、今度は食べすぎて気持ち悪くなってしまいました。

 

 二学期の自由研究の発表の時に隣の山田君が、世界のびっくりニュースという発表をしていました。なんでも、カナダのケベック州のケーキ屋さんから、モンブランが3個、吸い込まれたようなクリーム痕を残して消えたのだそうです。それらしき犯人はその時目撃されなかったようですが、宙を舞うひしゃげた机を見たという人がいて、その人がとった証拠写真を、山田君も引き延ばして発表用の大きな紙に載せていました。ブレた写真だったのですがそれは確かにモンちゃんのように見えました。山田君の発表の途中で僕の方に振り返ったリエちゃんに僕が神妙に頷くと、リエちゃんは、八重歯をのぞかせて笑っています。

 僕は1個半食べただけでも気持ち悪くなってしまったのに、モンちゃんはいっぺんに3個も食べてしまったようでした。やはりそれは、さすがブラックホール、ということなのでしょうか。お店はその時、2種類のモンブランを出していたそうで、モンちゃん、1個ずつにすればいいのに、茶色い方を2個吸い込んで、白い方は様子を見ようとしたのか1個だけ吸い込み、合計3個を吸い込んで飛んでいったようなのです。なお、モンちゃんなりにお店への配慮を試みたようで、コインやしわしわのお札が代わりに置かれていたそうですが、「ケーキそのもののお代は勿論、壊れたショーウィンドウの修理とかを考えると赤字です」とお店の人は嘆いていた、とのことでしあた。しかし、このようにニュースになれば、そのお店に行ってみよう、という人が出てくるかもしれません。

 僕は、もう1個!どころかもう3個も食べたモンちゃんがそのあと満足してちゃんと宇宙に帰って行ったのか、それとも、もっと食べたくなってまたどこかのケーキ屋さんにやって来るのか、少し気になりました。だけど、先生だってぺっと吐き出しちゃうようなモンちゃんだから、たぶん、みんながめちゃくちゃ困るようなことはしないんじゃないのかなと、勝手に想像しています。(モンブランを売っているケーキ屋さんには、申し訳ないですが。)

 僕もまたモンブランが食べたくなったので、今度テストでいい点を取ったら、お母さんに頼んでみようと思います。

文字数:15984

課題提出者一覧