ふえる
都心へ繋がる地下鉄の終点から一つ前の駅で降りたあさみは、帰り道をとぼとぼ歩いていた。日が暮れたばかりの空はまだ薄く明るかった。今日、職場で投げつけられた嫌味が頭に浮かんでくる。なんであんなこと言われなくちゃいけないんだろ。考えても仕方ないとわかっていても、気持ちを切り替えられないまま、重い足を運んで家へ向かう。途中、見慣れない花屋が目に入ってきた。
オレンジがかったあたたかみのあるライトに、店先に置かれたバケツの花や鉢植えが照らされている。ガラス越しに見える店内には、切り花も鉢植えも、様々な植物が所狭しと置かれているようだった。
「花、すぐ枯らしちゃうんだよね」
あさみはつぶやいて、店先のバケツの花と鉢植えを眺めていたが、ふと、こんもりと緑の細長い葉を茂らせながら、一本の肌色の茎のようなものをすっと伸ばしている鉢植えが目に留まった。茎のようなものの先には、ミニサイズの細長い葉の固まりが付いている。親子みたいだな、と、あさみが眺め続けていると、ゆらり、と生い茂った葉が動いた気がした。手を触れようとしたその時、声をかけられた。
「おりづるらん、お好きなんですか?」
いつの間にか店の外に現れた、店主と思しき初老の女性があさみに声をかけた。
「あ、すみません。これ、おりづるらん、って言うんですね。植物について詳しくないんですが、先っぽに小さいのがついてるの、可愛いなと思いました」
あさみは手を引っ込め、きまりが悪そうに返事をした。
「これ、伸びてるのがランナーで先にくっついているのを子株って言うんですけど、割とすぐに殖えていくんですよ。かわいいですよね」
店主はそう言って笑った。あさみは、目の前の相手から屈託なく笑いかけられ、返す言葉に詰まった。話し相手が笑っているのを見たのはいつ以来だろう。
「よかったら、お家で育ててみませんか。これまで植物を育てたことのない人でも、育てやすい品種だと思います。あっという間に殖えちゃうかも」
「私でも、育てられるでしょうか」
「育て方について、簡単にメモを書きますから、よかったら、お家に連れて帰って下さい。お買い上げでよろしいですか?」
あさみが小さくうなずくのを確認した店主は鉢植えを手に取り、
「では、お会計をお願いします」
と、店内へいざなった。
オリヅルランとあさみの共同生活は、順調なすべり出しを見せた。
「うちの植物をお迎え下さって、ありがとうございます。大切に育ててもらえたら、嬉しいです。できれば朝に、おはよう、寝る前もおやすみ、って、声をかけてもらってもいいですか。また、あなたにもし、誰かにきいてもらいたいことがあったら、まずはこの子に話してみて下さい。誰かにきいてもらうことで、頭の中が整理されることってあると思いますから。植物って、私たちが思っているよりずっと、人の話を聴いてくれているんですよ」
あさみは店主からの言いつけを守り、毎日オリヅルランに声をかけ、メモを見ながら大切に育てた。ほどなくして、子株も葉を多く茂らせ、あさみはメモの通り、適切なタイミングでランナーを切り、子株を切り分けた。根を生やさせ、子株を鉢に移し、最初の一株と同様に育てるとランナーが伸びてきて、更に子株が、、と繰り返すうち、あっという間にあさみの家の中は、オリヅルランで溢れかえった。
あさみは相変わらず職場で周囲から冷たくあしらわれていたが、家では沢山のオリヅルランがあさみの帰りを待っている。あさみは、みんなに話を聞いてもらおう。早く会いたいと、できるだけ仕事を早く片付け、足早に会社を出ることが習慣となっていた。
ある時、会社のデスクにそのうちの一つを置くことを思い立ち、鉢植えの中で最も小振りなものを持ち込むことにした。小振りな鉢に植えられたオリヅルランたちは、自分こそを連れて行ってくれと、我こそはと葉を揺らしていたが、あさみはその中で最も小さいが葉のツヤのいいものを選び出し、職場へ連れて行った。
あさみのデスクの片隅に置かれたオリヅルランは、もう何代目のオリヅルランかは判らないがつやつやと愛らしく、あさみはいつも以上にすっと背を伸ばしキーボードを叩いていた。そんなあさみのデスクへ部内の先輩がつかつかと歩み寄り、乱暴にファイルを投げつけてきた。
「あんたが昨日作ったこの資料、おかしいんだけど。そんなダサい植物とか飾ってないで、まじめに仕事してくれる?」
鼻の穴を膨らませながら言い放ち、背を向け立ち去ろうとした。あさみは立ち上がり、
「この植物はダサくないですよ。資料ですが、一昨日の先輩の更新に、履歴をわかるようにして修正しました。この前もご自身のミスを、そのままにしてましたね。直した内容がわからないなら、わかるまでご説明します」
と、一息に言った後で顔を青くした。デスクのオリヅルランが、つややかな葉をふわりと揺らしたように見えた。
文字数:1999
内容に関するアピール
以前、ベランダに放って手をかけずにいたのにあたりかまわず殖えていったオリヅルランで書こうと思いつき、最後まで書きました。ただ、記憶だけだと心許なかったため、久しぶりにホームセンターに行って小振りなオリヅルランを買って帰り、観察しながら書きました。
実作にあたっては、第一回講義が始まる前にご紹介頂いた
・読んだら最後、小説を書かないではいられなくなる本(読了)
・プロだけが知っている小説の書き方(まだ途中)
を参考にしました。
来週は移動や待機時間の長い予定があるので、鞄に
・スクリプトドクターの脚本教室・初級編
と、参考書・課題図書を書店で探す中でみつけた
・脳が読みたくなるストーリーの書き方
・エモい古語辞典
の三冊を(+何か読みたいものを思いつくままに)入れて、うろうろして参ります。
第二回の講義でもどうぞ、よろしくお願い致します。
文字数:362