転送される男

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梗 概

転送される男

 誰でも気軽に物質の送受信ができる未来。各家庭には物質転送装置が普及している。
 個体・液体・気体、どんな状態の物質も転送可能。生命体の転送は禁止されている。ネズミで動物実験を何度やっても転送後は体の一部が劣化したり奇形になってしまう。原因不明。
 その原因を突き止めるために、転送技術の開発者である久遠マサルは人体実験を試みる。目的は技術を他国に売りつけて金儲け。久遠は被験体になる人間を求人サイトで募集する【シーン1久遠マサル視点】

 その求人サイトを見ている浅井カズマ(三十五歳独身男性)。カズマは失業中。突然の倒産だった。来月には結婚する予定なので再就職を急いでいる。体力だけは自信があるカズマは、今見ている企業の応募条件『心身ともに健康で丈夫であること』に注目している。給料もかなりの高額だ。これなら婚約者の間宮アリサも喜んでくれるだろう。カズマはその企業に応募して翌日には採用が決まる。アリサに、再就職決まったよー!と電話で報告する【シーン2浅井カズマ視点】

 カズマとの通話を終えて間宮アリサはほくそ笑む。アリサは久遠マサルの姪っ子。二人で共謀してカズマを人体転送実験の被験体にしようと企んでいる。その理由は、お金。アリサは結婚後は豪華な贅沢な暮らしがしたかった。でも、今のカズマでは絶対無理だ。そこで、久遠と画策した。まず、カズマの勤めていた会社を倒産させて失業に追い込み、再就職しなければ結婚しない!と脅迫して、この求人サイト(アリサが作った偽サイト)を見て早く再就職先を決めて!とカズマの尻を叩く。思惑通りカズマは応募した。でも、アリサはカズマを本当に愛しているので「カズマの躰は本当に大丈夫なんだよね!」と久遠に念を押す【シーン3間宮アリサ視点】

 カズマは指定された場所へ行く。久遠マサルがいる。「五回転送を繰り返して躰の検査データを記録する簡単な作業です」と久遠に言われて、自分が人体転送実験の被験体になることを初めて知る。
 実験初日 転送距離 十メートル 躰に異常なし【シーン4カズマ視点】
 二日目  転送距離 百メートル 躰に微妙な違和感がある【シーン5カズマ視点】
 三日目  転送距離 千メートル 髪の一部が透明になる【シーン6カズマ視点】
 四日目  転送距離 一万メートル 髪は完全に透明。皮膚は一部が透明、一部が硬化している。顔のパーツも位置がずれている【シーン7カズマ視点】
 最終日  転送距離 三十八万キロメートル(月面)デジタル化→転送→再構築を繰り返したカズマの躰は劣化・変形して、もはや人間ではない【シーン8カズマ視点】

 異様な生命体となったカズマはアリサに会いに行く。変わり果てたカズマを見たアリサは、カズマと一緒に転送装置に入り久遠マサルの元に転送する。カズマとアリサは融合して一体の生命体になり「約束が違う!」と久遠に襲い掛かる【シーン9カズマとアリサ視点】

文字数:1200

内容に関するアピール

 視点人物を変えてスムーズにシーンを切りかえるようにしました。
 実作は、読者さんを置いてきぼりにしないで、ストレスも感じないように、各シーン
に没頭できるように書きたいと思います。後半は、主人公のカズマ視点を多くして、転
送されるごとに変化していく躰の恐怖感を、シーンが切りかわるごとに増していくよう
に描写したいと思います。

文字数:160

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転送される男

 
 空気が圧縮されたような音がして転送完了の青色LEDが点灯した。久遠マサルは転送受信機の扉を開ける。そこには、数分前まではネズミだった生命体が、変わり果てた姿で蠢いている。「また失敗か」久遠はそう呟くと、その異様な生命体を生ごみ処理機の中へ放り込んだ。

 物質の転送技術が飛躍的な進歩をとげて、2112年の現在では物流のほとんど全てが数秒から数分で希望する場所へ届けられるようになっている。地球上だけでなく宇宙空間にも月面上にも届けることができる。しかし、それは非生命体の物質に限られている。人間はもちろん、犬や猫など小動物のペットも、小さな虫さえも転送することはできなかった。何度もネズミを使って動物実験が繰り返されたけれど、悲惨な結果を招くだけだった。最悪だったのは、ある一人の転送技術開発者が、自らの体を実験体として転送したときだった。
 転送された技術者は、とうてい人間とは思えない生物に変貌してしまい、自ら命を絶ってしまった。それ以来、生命体の転送は禁止されている。
 久遠マサルは、命を絶った技術者と共同で実験をしていた。その技術者の名前は霧島レイ。学生のころから久遠と同じ研究室で転送技術の研究開発をしていた。そして、レイは久遠マサルの婚約者だった。あの日の惨劇を久遠は毎晩夢に見てうなされている。

 冷たい雨が降る十一月下旬の真夜中過ぎ。久遠はレイを説得しようとしていた。
「レイ、やっぱり俺がやるよ。その躰じゃ無理だ」
「大丈夫。心配しないで。私がこの躰でやらないと意味がないの」
「どんな意味があるって言うんだ?」
「生命体の転送は人類が未来に向かって進歩していくのに絶対に必要な技術。何処へでも好きな場所へあっという間に行くことができる。地球だけじゃなくて宇宙にもね。私がこの躰で転送を成功させれば、同じ病気で苦しんでいる人にも希望を持たせてあげられる」
「転送が成功しても、レイの躰を蝕んでいる癌細胞が消える保証は、現状では全くないんだよ」
「全くないなんて嘘でしょ。ほんの少しだけれど可能性があるじゃない」
「ああ、訂正するよ。たしかにわずかな可能性はあるよ。転送は、躰の全細胞をデジタルデータ化して、そのデータをネット上に送信して、受信した先でデータを再構築して元の細胞に戻す。その時に」
「そう、その時に、必要のない悪い細胞は再構築されずに消滅する。人間が持っている自浄作用が働く」
「そんな実証は今までないんだ。理論上だけで想定できる机上の空論だよ」
「だから私が実証して見せる」
 そう言うとレイは卵型をしている転送送信機の中に駆けこんでドアをロックしてしまった。
「やめろ、レイ、出てくるんだ」久遠は転送送信機のドアをたたき叫んだ。
 転送送信機は唸るような音を発して微かに震えだした。久遠が叩き続けるドアは熱をおび始めLEDランプが点滅して、震えと音が急速に増大して、小さな窓から見えるレイは微笑みながら何かを言うように口が動いて、次の瞬間、転送送信機内がまばゆい光に満たされた。
 静寂が訪れた。冷たくなった転送送信機のドアに久遠は拳を叩きつけた。小さな窓から見える内部は空っぽだった。
 数分後、十メートルほど離れて置かれている転送受信機が起動した。大きなため息をつくような音を発して転送受信機の内部に光が満ちて、転送完了を知らせる青色LEDが点灯した。
 久遠は転送受信機のドアにゆっくり近づいて、期待と不安が入り混じる思いで小さな窓から内部を見る。そこにいたモノはレイではなかった。

 浅井カズマは途方に暮れていた。
 朝、いつものように出勤したら、十年間勤めていた会社から解雇を言い渡されたのだ。昨日まで何事もなく日常業務をこなしていた。クビになる理由はまったく心当たりがない。「どうしてクビなんですか?」と上司にちょっと強めに問いただしてみたけれど、謎の笑顔を浮かべながら「十年間、がんばってくれて、ありがとう。これからも元気にがんばってくれ」と言うだけで退職の書類一式を渡された。「解雇を言い渡す場合、たし
か三十日前に予告しないといけない、という規則がありますよね。これって不当解雇じゃないんですか?」と大声をだして抗議したけれど、上司はまったく聞く耳を持たない。この件はもう終わった、とでも言うようにスマホで仕事の話をしながら逃げてしまった。周りの同僚たちも無視して
業務に集中している。カズマは、昨日までは自分のものだった机の中を片付けて、十年間通い続けた会社から立ち去った。
 公園のベンチに座って、カズマは大きくため息をついた。自分の身に起こったことに、まだ納得できない。なぜ無職になってしまったのか? 何か理由がある筈だ。しかし、考えても全然分からない。とりあえず失業保険はもらえるようだ。上司から渡された退職書類を持ってハローワークに行って手続きをすればいいみたいだ。スマホでハローワークの場所を調べていると着信した。スマホ画面にアリサと出ている。カズマは胃が痛くなった。アリサになんて言えばいいんだろう? と考えているうちに着信が切れる。十秒もしないうちにまた着信。言うことを考えていると、着信が切れる。そして十秒もしないうちにまた着信。考えをまとめている時間は無い。この着信にでなければ、きっとアリサはカズマのことを不信に思って関係に亀裂が入ってしまう。カズマは応答の電話マークを人差し指でスライドした。

 間宮アリサはイライラしていた。婚約者に急ぎの電話をかけているのに全然応答しないからだ。リダイアル八回目で狼狽えているようなかすれた声が聞こえてきた
 「やあ、アリサ、げ、元気?」
 「何とぼけたこと言ってるのよ。どうして、もっと早く応答できないの?」
 「ああ、ごめん。ちょっと忙しくてさぁ、出られなかったんだよ」
 「嘘。カズマ、会社クビになったんでしょ」
 「え、アリサ、どうして知ってるの?」
 「今、カズマの会社に電話したら、退職したって言われたから」これは嘘だった。
 「あ、そうか。どうやって話そうか迷ってたから、助かったよ」
 「全然助かってないでしょ」
 「あ、そうだね」カズマは笑う。
 「笑ってる場合じゃないでしょ。どうするの? これから」
 「うん、しばらくは失業保険がもらえるみたいだから、ゆっくり次の就職先を探すよ」
 「何のんびりしたこと言ってるのよ。私たち来月には結婚するのよ。それまでに就職先、絶対見つけてね」
 「うん、そうだね。努力するよ」
 「努力だけじゃなくて、結果を出して」
 「全力でがんばるよ」
 「結婚式までに働き口が見つからなかったら、結婚は無かったことにしましょう」
 「え、そ、そんな」カズマは驚いているようだ。思った通りだ。
 「良い転職サイトがあるから、それを見て早く再就職先を見つけてね」
 アリサは転職サイトのURLをカズマに送信した。そして、別な人に電話をかける
 「おじさん、上手くいきそうよ。今日にでもカズマから連絡がいくと思うから、上手くやってね」
 アリサはほくそ笑みながら言う。

 姪のアリサとの通話を終えて久遠マサルは不敵な笑みを浮かべた。
 久遠は、婚約者の霧島レイが自らの躰で人体転送実験をして亡くなってから、会社を退職して個人の実験室で生命体の転送実験を繰り返している。久遠はどんな手段を使ってでも人体の転送を成功させたかった。それが、無残な死を遂げたレイの供養になると妄信していた。そんな戯言を久遠に信じ込ませたのはレイが残した忘れ形見だった。あの日、転送受信機に転送されていたモノは生きていた。そしてそれは、いつの間にか久遠の背中にへばりついて耳元で囁き続けている。そのモノが、どんな方法で久遠の背中にくっ付いたのか久遠は記憶になかった。「転送実験用の人間を一人用意しろ。そいつを使って転送を繰り返せ。どんな結果になっても、何度も何度も何度も転送を繰り返すんだ。止めてはいけない。成功するまで転送し続けろ。止めたら、おまえを殺す。母さんと同じように細胞を粉々にしてやる」そのモノの囁き声を聞いて、久遠はレイが妊娠を秘密にしていたことを知った。
 久遠はアリサが作った偽の求人サイトを見ている。よく出来ている。これなら誰でも騙されそうだ。久遠はアリサの婚約者を転送実験の被検体に決めた。特に理由はなかった。身近にいる手ごろな人間を選んだだけだったけれど、自分の婚約者があんなことになったので、アリサの婚約者も同じ目に合わせてやろう、という邪悪な心がそうせていた。そのことに久遠は気づいていない。背中に密着しているモノの囁き声に操られていた。

 カズマの心に一筋の光がさしていた。
 ハローワークで失業保険の手続きを終えてから、先ほどの公園のベンチに戻って、アリサから送られてきた求人サイトを見て、最良の再就職先を見つけたのだ。『誰にでもできる簡単な作業。明るい職場。心身ともに健康で丈夫であれは、誰でも応募可能』カズマは難しい仕事は苦手だけれど、簡単な作業と健康と体力だけは自身がある。給料も今までいたところより数倍も高額だ。ここに決めた! ここならアリサもきっと喜んでく
れる! この給料ならアリサが望む贅沢な暮らしができる! カズマは即座に応募用のエントリーシートに記入して送信した。即断即決がカズマの長所であり短所でもある。それにしても、この応募要項、短期アルバイトの募集みたいだなぁー、とカズマは一瞬思ったけれど、ま、いいか!と気にしないことにした。物事を深く考えずにいい面だけを見る、これもカズマの長所であり短所でもあった。
 カズマは一人暮らしのワンルームマンションに帰る。部屋に入ると、転送受信機の着信LEDが点灯している。カズマが受信機のドアを開けると大量のジャガイモが転がり出てきた。新ジャガの季節かぁー、とつぶやきながらカズマは散乱したジャガイモを見下ろす。カズマの実家は北海道の農家だった。転送容量十キロをギリギリ超えないくらいの大量のジャガイモだ。一人じゃ食べきれないな、と独り言を言いながらカズマは半分くらいをアリサに転送した。アリサ、ジャガイモ好きだから喜んでくれる! とカズマは満悦していると受信機の着信LEDが光る。追加のジャガイモが送られてきた。

 アリサは憤慨している。
カズマの奴、こんな大量のジャガイモをどうしろって言うんだ! わたし一人でこんなに食べられるわけないだろ! しょうがない! ポテトサラダとコロッケを大量に作って、カズマに食べさせるか! 
 着メロが鳴る。カズマからだ。
 「アリサ、仕事決まったよ。クビになってよかったのかもしれない。今までより簡単な仕事で、給料は今までの何倍ももらえるんだよ」
 上機嫌のカズマの声がアリサの耳に飛び込んでくる。予想通りの展開だったけれど、カズマのあまりの脳天気ぶりにアリサはちょっと不安になった。
「よかったね、それじゃあ、式は予定通りにしようね」アリサは不安をさとられなように明るい声を無理やり出した。
「うん、そうしよ。楽しみだね。さっそく明日から仕事なんだよ。朝早いからもう寝るね。おやすみ」
一方的に喋ってカズマは通話を終了した。カズマの声の余韻を耳に残しながらアリサは大きくひとつため息をついた。アリサの心に不安の黒い影が差しこんできた。叔父の久遠マサルから「人体転送実験用の人間が必要だ。適当な人はいないか? 金は出す」という話を聞いたときアリサは即座にカズマを推薦した。カズマは何も言わないが、今の会社の仕事を辞めたがっていることを、アリサは感づいていた。十年間勤めている会社だけれど、辛そうな顔をしたりため息をついているカズマを、アリサは何度も目にしていた。だからと言ってカズマは本当は何をしたいのか、アリサには分からなかった。それとなくカズマに訊いたことはあったけれど、「そんなものは無いよ」と笑って言うばかりで本心を打ち明けてくれなかった。
カズマのことをきいた久遠は「よし、カズマ君にしよう。彼を誘導する偽の求人サイトを作ってくれ」
「え? 偽の? どうして? 人体実験になってくれって、言えばいいんじゃないの?」
「これは極秘の実験なんだ。彼にも実験当日まで秘密にしたほうがいい。大丈夫、約束の金はちゃんと出すよ」
そう言われてアリサは納得した。そのときは。でも、時間が経ってゆっくり考えてみると、なんか変じゃないか? という思いがむくむくと起き上がってきた。どうして極秘にしなきゃいけないんだ? そもそも人間の転送は禁止されている。動物実験を何度繰り返しても成功しなくて、何年か前に起こった事故が原因で禁止されたとアリサは認識していた。その事故って、確か無理やり人間を転送して、その人が怪物に変貌して死んでしまった! と都市伝説ように人々の間では噂されている。叔父は事故の真相を知っているのだろうか? 「人体転送は禁止されているけれど、人類発展のためには必要な技術なので、国のある機関が極秘で事件を続けている。自分はそのメンバーの一員だ」と叔父は言っていた。本当のことだろうか? お金は欲しかった。カズマと結婚して二人で贅沢な暮らしをしたかった。もしかしたら私は、お金に目がくらんでカズマを危険な目に合わせてしまうだのろうか? あー、わたしもカズマと同じ能天気すぎたんだろうか? 不安な思いに押しつぶされそうになりながらアリサは久遠マサルに電話をかける。

久遠マサルは苦悩している。背中にへばり付いているモノは自分の息子もしくは娘でもあるわけだ。レイが無謀にも転送実験を試みたとき、胎児と癌細胞が融合して怪物となってしまった。レイの健康な細胞は再構築されることはなかった。生命体の転送時に、デジタルデータ化した細胞の中に、邪悪な意思を持っている細胞があると、善良な細胞を始末して、再構築されたときは邪悪な細胞だけの怪物になってしまうってことなのか? そんな突拍子もない、空想の世界だけで起こりそうなことが、現実に起こりえるのか? 眼の前で起きて体験しているのだから信じるしかない。しかし、背中のコイツの目的はなんだ? なぜ、それほどまでに人体転送実験をやらせたいんだ? このまま続けても結果は同じだ。コイツと同じ不気味な生命体を生み出すだけ、あ、もしかしたら、コイツは自分の仲間を作りたいのか? 久遠がそこまで考えたとき、スマホが振動していることに気がついた。画面にはアリサと出ている。 
「カズマの躰は大丈夫なんでしょ。転送実験をしても危険はないんでしょ」アリサの声が久遠の耳に飛び込んでくる。
「もちろんだよ、アリサ。技術的にはほとんど完成してる。最後の確認のための安全な実験だよ」
「うん、わかった。叔父さんを信じます」
 アリサとの通話を終えた久遠は、背中にいる奴に話しかけた。
「おまえが欲しがっていた実験体が見つかったよ。さっそく明日から転送実験を開始する」嬉しそうに笑っている声が久遠の背中に伝わってきた。

 浅井カズマは自分の仕事について説明を聞いている。
 指定されたとおりの朝七時に出社した。大勢の社員がいる大きな会社だと勝手に想像していたカズマの予想ははずれて、廃工場のような不気味さが漂う建造物の中の広い一室に連れてこられていた。ここにはカズマと、カズマが今からする作業について説明をしている男の二人しかいない。カズマにはその男の年齢が全く分からなかった。話をする男を見ていると、自分と同じ歳くらいにも思えるし、中年、もっと歳のいった老人に見えるような気がする時もある。それに、この男の話からすると今から自分がやることって
「やることは分かりましたか?」突然、男から確認されてカズマは答える。
「わかりました。そこの大きな青色の卵型のカプセルのような物の中に入って、深呼吸して心を落ち着かせて眼を閉じる。あとは何もしないで、ただ時間が過ぎるのを待てばいい、ってことですね」そうだ、と言うように男は黙って頷いた。
「それで、どうなるんですか? 僕が予想するに、あそこにあるもう一つの赤色の卵型カプセルに」
「そうです。転送されます」男が言う。
カズマの目の前にある卵型カプセルから、十メートルほど離れて同じ形をした赤い卵型がポツンと立っている。
「僕の認識が間違っていなければ、人間の転送実験は禁止されているはずじゃあ……」
「それは表向きなことです。本当は極秘裏に生命体の転送実験は進められているんです。動物実験は成功したので、いよいよ人間の転送実験が始まるんですよ。その第一号実験体としてカズマ君が選ばれたんです」満面の笑みを浮かべて男は言う。たぶん、いや、絶対、男は嘘を言っている。自分は騙されたんだ、とカズマは思う。このまま逃げ出したい、と心から思うけれどアリサの喜んでいる笑顔が目の前に思い出された。このまま、この男に騙されたふりをしながら、言われたとおりのことをしていれば、アリサと結婚して楽しい幸せな毎日を送ることができる、とカズマは考える。問題は
「報酬は約束通りちゃんと貰えるんですよね」
「もちろんです」笑顔を崩さないまま男は言う。
「分かりました」とカズマは言って「さっそく始めますか?」と男に問いかけた。
「その前にバイタルデータをとります」と男は言ってカズマの脈拍・血圧・体温を測定して記録した。
男がカズマの脈拍をとるために近づいてきたとき、カズマは男とは違う声が聞こえたような気がした。ささやき声のような小さな声で男の背中のほうから聞こえてきた。そして、カズマは男の背中を見た。今まで正面からしか見ていなかったから気がつかなかったけれど、男の背中は異様に膨らんでいた。服を持ち上げるように男の背中は何かを背負っているように見える。ささやき声はその膨らみから聞こえてきた。「早くしろ、早くしろ、早くしろ」と男を急かしているような声だった。

 カズマは転送送信機の扉に手を触れる。すると扉はこちら側に向かって自動で開いた。顔だけ中に入れて内部の様子を見る。スイッチやレバーなどの操作をするような機械的な物は何もない。さっき言われた通り何もしないで眼を閉じて立っているだけでいいようだ。転送の操作はすべて外部にある操作パネルでするのだろう。家にある物質転送器と同じだ。中に入るのを踏襲していると「さぁ、早く中に入ってください」と背後に立つ男から催促される。丁寧な言葉使いだけれど逆らえない威圧感が声に含まれている。カズマは意を決して、恐る恐る右足を持ち上げて内部の床におろして次に左足を中に入れて、振り向くと同時に扉が自動で閉まった。扉には取っ手のようなものはついていない。カズマは扉を押してみた。開かない。この中に入ったら外から扉を開けてもらえない限り外には出られないようだ。閉じ込められてしまった、とカズマの不安と恐怖心はますます強くなった
「大きく深く深呼吸をして、心を落ち着かせて、眼を閉じてください」男の声が聞こえる。スピーカーから聞こえてくるような声だけれど、内部を見回してみてもスピーカーは見当たらない。扉についている小さな窓から、笑顔で立っている男が見える。言われたとおりにカズマは深呼吸を三回して眼を閉じた。「それでは、人体転送実験を開始します。十、九、八」男の声がカズマの耳に入る。カウントダウンが長く感じる。そんな、もったいぶったカウントダウンなんかしないで、とっととやってくれ! カズマは心の中で叫ぶ。「三、二、一、転送!」カズマは眼を強く閉じる。それでも、全身が強い光を浴びていることが分かった。次の瞬間、カズマは着ている服もろとも躰が破裂するような感覚が全身を貫いて、意識も弾け飛んだ。意識が戻ってくるのも一瞬だった。カズマはゆっくり眼を開ける。さっきと同じ姿勢で立っている。自分の躰を触って確認する。ちゃんと服を着てどこにも異常は無さそうだ。扉が外側に向かって開くと男が笑顔を崩さないまま立っている。外に出る。カズマが出てきたのは赤い卵型カプセルだった。「転送成功です。バイタルデータを確認させてください」男はそう言ってカズマに近づいてきた。男の背中の膨らみから、ささやき声は聞こえてこなかった。
「明日、また同じ時間にここに来てください。明日は転送距離を伸ばします」にこやかに男は言う。
「今日はもういいんですね。帰ります」とカズマは力の抜けた声で言ってその場を退出した。
 帰り道をとぼとぼ歩きながらカズマは考える。転送時間はどれくらいだったのだろうか? 朝の七時から説明を聞いて転送実験を開始したのが、たぶん七時半ごろだったような気がする。今の時刻はまだ八時になったばかりだから、転送に要した時間はおそらく五分から十分くらいってところか。ここに来てからまだ一時間くらいしか経っていない。けれど、カズマの躰は一日を終えたぐらいの疲労感で満たされていた。疲れているだけで、バイタルデータも正常だったし、躰の健康面は問題ないようだ。しかし、カズマは全身に何とも言えない違和感を持っていた。これだけ短時間であれだけの報酬がもらえるのだから、割のいい仕事を見つけたということにして、カズマは喜ぶことにした。いい面だけを見る、というカズマの長所が発揮された。でも、今は眠い。とにかく早く帰って眠りたい。まだ朝の時間だけれど。カズマが家に帰り着いたのは午前九時ごろだった。ベッドに倒れこみカズマは深い闇の中へ飲み込まれていった。
 カズマは、スマホの着信音で眠りの闇から浮上して目を覚ました。眠気の残る眼をこすりながらスマホ画面を見ると、アリサという文字に焦点が合う。眠気を振り払いカズマは電話マークをスライドする。
「どうだった? 大丈夫だった? 体に異常はない?」アリサの声がカズマの脳内に響き渡る。
「あ、おはよー。大丈夫だよ。僕は元気だよ」
「もう、何がおはよーよ。寝てたの? 今何時だと思ってるの?」
 カズマはベッドサイドの時計を見る。窓からの光を見て、今が朝なのか夕方なのか判断できずに黙っていると
「今は夕方の六時。明日は私も一緒に行くから。朝、迎えに行くよ」それだけ言うとアリサは通話を終了した。
 その夜、カズマは眠れなかった。翌朝、アリサがカズマの部屋のドアチャイムを鳴らすまで眼を開けたままベッドに横になっていた。そして、横になりながら、カズマはあの男の背中から聞こえてきた囁き声について考えていた。

 カズマはアリサと一緒に昨日の朝と同じ廃工場に向かう。いつもはお喋りなアリサが今朝は黙ってカズマの後をついてくる。カズマは心配になってアリサに声をかける。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
「別に悪くない。どうして、そんなこと訊くの?」
「今朝のアリサ、ぜんぜん喋らないからさぁ。こんなに無口はアリサ、初めてだよ」
「わたしは大丈夫。それより、カズマのほうが心配。ホントに躰は大丈夫?」
「うん、元気だよ。昨日は昼間寝て夜は寝られなかったから、ちょっと寝不足気味だけどね」
 カズマの後ろを歩いていたアリサは、カズマの正面にきてカズマの両肩を押さえるようにして立ち止まらせた。正面から見つめてくるアリサを見てカズマは戸惑う。
「カズマ、ごめんなさい。わたし、お金が欲しくてカズマを危険な目に合わせているかもしれない」
「アリサは知ってたんだね。人体転送実験のこと」
「あの求人サイトは私が作ったの。久遠叔父さんに頼まれて」
「あの人はクオンさんっていうんだね。どんな字を書くの?」
「そんなこと、どうでもいい。もう止めよう。わたしが叔父さんに謝るから」
「アリサが謝ることないよ。僕の躰は本当に大丈夫だからさ。それに、昨日の報酬はネットバンクにちゃんと振り込まれてたよ」
「お金はもういらないから。わたしはカズマと一緒に生きていければ、それだけでいい」
「ありがとう。でも、今日も行くってクオンさんと約束したから、行くよ」
「わかった。わたしも行く」

 昨日と同じ広い部屋にカズマとアリサは入っていくと、男は既に来ていた。アリサを見て男は驚く。
「アリサ、どうして来たんだ?」
「わたしも人体転送実験を見たいから。カズマには全部話しました。叔父さんとわたしが共謀してカズマを騙したってこと」
 男は、企みがカズマにばれてしまったことに狼狽えていた。それを見かねてカズマは言う。
「あなたはクオンさんっていうんですね。どんな字を書くんですか?」
 久遠はカズマに名刺を渡した。
「あ、なるほど。遠い過去、未来、永遠に続く、ですね」
「カズマ君、すまなかった。君を騙すつもりはなかったんだ。どうしても、この人体転送実験はやらなきゃいけないことなんだよ」
「それは、久遠さん、あなたの個人的な理由ですよね」
「カズマ君、君は何か知っているのか?」
「いいえ、僕は,久遠さんのことは何も知りません。でも、久遠さんの背中に、何かいるってことは知ってます」
 カズマがそう言うと、久遠マサルの躰は震えだした。そして、久遠の背中が大きく膨らみ始め、着ている服を破って怪物が姿を現した。
「なんなのよ! これ!」アリサが叫んで逃げ回る。
「アリサ、落ち着いて。久遠さんはこの化け物にコントロールされて人体転送実験をしてたんだよ」
 カズマは久遠マサルと怪物を観察した。久遠は気を失っているようだけれど立ち続けている。怪物は自分では移動できないようだ。
「久遠さん、聞こえますか? 目を覚ましてください」大きな声でカズマは久遠に話しかける。久遠の眼がゆっくり開く。
「久遠さん、歩けますか?」久遠は苦しそうだけれどカズマの問いかけに頷く。
「転送送信機に入ってください。あなたと背中の怪物を転送します」久遠はカズマの意図を理解したようで、青い卵型カプセルに向かってゆっくり歩きだした。それを阻止するように、背中の怪物は「やめろ! やめろ! やめろ!」と囁き声ではなく大きな声で喚きたてている。カズマは転送器の操作パネルの前に立つ。基本的な操作は家にある転送器と同じだろう。何とかなりそうだ。
「アリサ、転送送信機の扉に触ってくれ。そうすれば自動で開くから」カズマは、パニック状態になっているアリサに無茶なお願いをする。
「えー、無理、できない!」と言いながらも、アリサは久遠と怪物の融合体を交わしながら転送送信機の扉に触れる。扉が開く。
「やめろ! やめろ! その中に入るな! あっちにいる男だ! あの男を転送し続けるんだ! おまえじゃない!」久遠の背中の怪物は執拗に抵抗を続けるが、久遠は転送受信機の内部に入り扉が自動で閉まる。
「よし、閉じ込めたぞ。久遠さん、大きく深く深呼吸をして、心を落ち着かせて、眼を閉じてください」転送器内部に聞こえるかどうかわからなかったけれどカズマは大きな声で言う。そして、
「それでは、人体転送実験を開始します。十、九、八、七、」と昨日の久遠の真似をしながらカウントダウンを開始した。
「三、二、一、転送!」青い卵型カプセルがまぶしい光に包まれる。そして、静寂が訪れた。
 数分後、離れたところにある赤い卵型カプセルが光る。カズマとアリサは恐る恐る慎重に近づいて、扉の窓から内部を覗きこんだ。そこには背中の怪物が消滅した久遠マサルが気を失ったまま立ち尽くしている。
 怪物は何処に消えてしまったのだろうか? カズマには難しいことは分からなかった。ただ、生命体の転送は、人類にはまだ手の届かない、まだやってはいけない技術なんだろうなぁーということは分かった。それから、横にいるアリサを見ながら、再就職先を早く見つけるぞー、と心に強く思った。

                       了

文字数:11200

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