梗 概
狂夢に染まる
西暦21××年。人間の意識をデジタルデータ化する研究が進んでいる。実現すれば、データ化した意識をネット回線で送信して受信端末があるところへなら自由に行くことができる。他人の脳内に自分の意識データを侵入させることも可能になる。実現にはまだほど遠いと誰もが思っていた。しかし、一人の男が密かに実現させていた。
三十代の平凡な会社員の藤原大輔は不眠症で悩んでいた。
あるとき、居酒屋(21世紀前半のころの雰囲気の居酒屋がまだ残っている)である男と偶然に出会う。その男は穏やかな口調ながらも不気味な雰囲気を漂わせていた。大輔は不眠症で悩んでいる話をする。すると、その男は「それならこれを使ってみて」と鞄から掌に乗る小さな箱を取り出す。箱の中には小さな機械じみたものが二個入っている。その男は「それを両耳に装着して寝てみてくれ。睡眠の質を改善する試作品だ」と説明する。大輔はそれを受け取り、その夜から使い始める。
その夜、大輔はぐっすり眠ることができた。この装置のおかげなのかな? 大輔はまだ信じていない。ぐっすり眠れたけれど夢も見た。橋が崩落する夢だった。あまりにもリアルな夢だったため目が覚めてもはっきり覚えている。何気なくテレビの朝のニュースを見ていると橋が崩落したことを告げている。正夢か? と思いながら大輔は仕事にいく。
翌日の夜も大輔はあの男からもらった装置を耳に装着して寝た。確かによく眠れる。しかし、リアルな夢も見た。今度は何処かの廃墟が火事になる夢だった。まさかと思いながらテレビをつけると、山の中の廃墟になっているホテル跡が火事なったことを告げている。二晩続けて正夢を見ることもあるのか、と不思議に思いながら仕事に行く。
三日目の夜も大輔は装置を使用した。その夜のリアルな夢は、何処かの国の戦場にいる夢だった。突然の空爆で逃げ惑う人々の中に大輔はいた。大きな爆音で目が覚める。朝になっている。急いでテレビをつけると、何処かの国がある国に攻撃を仕掛けたニュースが流れていた。大輔は、あの男からもらった耳に装着する装置が怖くなり、もう使うのは止めようと決心する。
大輔はニュースで、ある企業の研究開発者が不審死をしていることを知る。テレビに映し出されている写真は、居酒屋で出会ったあの不気味な男だった。
「この九条徹は、意識をデータ化して他人の夢の中に侵入する技術を研究していました。そして、『夢を介して現実に干渉することができる』と言っていたそうです。あまりにも途方もない研究なので、周囲からは全く相手にされていなかったようで、そのために自殺したのではないか、と警察はみています」とニュースは告げている。
その夜から、大輔の夢の中に九条徹が現れるようになる。
「あの装置はもう必要ない。私はもう、あなたの頭の中にいる。一緒に世界を変えよう」
翌朝、大輔は鏡を見ると顔の右半分は九条徹になっている。
文字数:1200
内容に関するアピール
『非日常的なこと、現実ではあり得そうもないこと、そんな状況にキャラクターたちを放り込んで、どんな行動をしてどういう結果に至るかを、リアルな描写をして読者さんに楽しんでもらう』これを自分の武器・特徴にしたいと思います。
梗概では、その武器と特徴をうまく出すことができませんでした。実作では、見た夢が現実のニュースで報道される、それが毎日続く、というあり得ない状況に陥った藤原大輔の戸惑いと驚き、そして、マッドサイエンティスト九条徹の狂気に染められていく恐怖をリアルな描写で描きたいと思います。
文字数:245
狂夢に染まる
その男の意識は粉砕されていた。
しかし、脳細胞は活動を続けている。脳内に数億あるニューロンは発火を続けてつながり合っているけれど、その意味を意識として感じ取ることが、自宅のワンルームマンションのベットに横たわる男にはできなかった。
やがて、その発火パターンに刺激が与えられて意味を持つようになった。その男が自ら仕掛けたことだった。その男の意識が少しずつ戻りはじめた。完全に意識を取り戻したとき、男にとって自分の躰はもう必要なかった。男の意識だけがデジタルデータとなってネット空間に解き放たれた。男の意識データはネット空間を自由に彷徨った。そして、他人の脳内に侵入できることを知った。侵入された人は悪意ある男の意識の狂夢に染まっていく。
「藤原ついたぞ、起きろ」
藤原大輔は目を覚ました。一瞬にして、自分が電車で顧客先に向かっていることを思い出す。昼下がりの空いている電車の座席で居眠りしてしまったようだ。上司の加藤に急かされながら慌ててホームに降りようとすると「鞄、忘れてるぞ」という加藤の声に、急いで車内に戻り網棚の鞄を引っ掴んで、ドアが閉まる寸前にホームに降り立った。眠気は完全に消し飛んだ。
「大丈夫か? 寝不足みたいだな」労うように加藤が言う。
「はい。でも、今日で一息つけますよ。これを提出すれば」苦笑まじりに大輔が言う。
「その一息もつけなくなるとこだったな」笑いながら加藤が言う。
「そうですね。課長が声をかけてくれなかったら、今ごろこれは。ありがとうございます」大輔は、電車内に置き忘れそうになった鞄を大事に抱えながら言う。鞄の中には、連日の深夜残業を終わらせて大輔を寝不足状態から解放してくれる物が入っていた。
顧客先には駅から歩いて十分ほどで着いた。受付は無人で内線電話が置かれている。加藤課長が担当者を呼び出すと、五分ほど待たされて四十代半ばと思われる男性社員が現れた。加藤課長は何度か訪問しているので親しげに挨拶を交わしている。大輔は初対面なので名刺交換をしようとしたが、男性社員に「会議室に行きましょう」と言われたので「あ、はい」と言って二人の後をついて行った。
十人も入れば満員になりそうなこじんまりとした会議室だった。大輔は男性社員と名刺交換をした。このとき、大輔は初めて男性社員と眼を合わせた。大輔を見る彼の眼の奥に異様な光を、大輔は感じて全身に寒気が走った。男性社員の名刺には『開発室主任技師 九条徹』と書いてある。会ったことがあるのか? と大輔は思ったけれど記憶にはなかった。さあ、どうぞ、お座りになって、と九条に促されて大輔と加藤は椅子に座った。
大輔は鞄からクレーム処理報告書を取り出して九条に渡した。大輔の会社が販売した電子部品の不具合に関する報告書だった。連日のクレーム処理で大輔は寝不足になっていた。この報告書を提出して受理されれば、ひとまずこのクレーム問題は終了する。報告書を渡すとき、大輔は九条と再度眼を合わせた。さっき感じた九条の眼の奥の異様な光は無くなっていた。気のせいだったのか? と大輔は思った。
報告書に目を通して「まあ、問題ないですね。この件はこれで終わりにしましょう」と言う九条の声を聞いて、大輔はほっと胸をなでおろした。加藤も安心したようで「ありがとうございます。あ、あの、すみません、ちょっとトイレを貸していただけませんか?」と言って会議室を出て行った。
「藤原さん、あなた寝不足ですね」突然、九条に言われて大輔は驚いた。
「あ、はい、今回のクレーム処理で残業が続きましたから」と大輔は言う。
「いや、ちがう。あなたはずっと以前から不眠症に悩まされていますね」九条は言う。
「確かに私は、もう何年も不眠症です。でも、どうして分かったんですか?」困惑しながら大輔は言う。
「顔を見れば分かるんですよ。目の奥に宿る疲れと絶望の色。藤原さんのような人間には、私は特に興味が湧くんですよ」九条はじっと大輔を見つめたまま、にやりと笑いながら言う。さっきまでの九条とはまるで別人のようだった。
九条はポケットから小さな黒い箱を取り出し、それを大輔の前に置いた。
「これを試してみてください」九条の声は低く、囁くようだった。
「耳に装着して眠れば、脳の波長を整え、藤原さんを深い眠りへ導いてくれます。睡眠の質が向上するだけじゃない。きっと素晴らしい体験ができますよ」
「素晴らしい体験って、どんな体験ですか?」
「使ってみれば分かりますよ」と九条は箱を指先で軽く叩いた。九条の眼の奥に異様な光が戻ってきていた。
スッキリした顔の加藤が戻ってきた。
その日の夜。大輔は九条から受け取った小さな黒い箱を開けた。小さな機械じみたものが二個入っている。九条が言っていたように耳に装着する機械のようだ。使うべきか否か大輔は迷っていた。
九条に指摘されたように大輔は不眠症に悩まされていた。その原因は分かっている。子供のころから見るようになった悪夢のせいだ。
大輔の両親は家に侵入してきたひとりの狂人に殺された。その殺人現場を五歳の大輔は目撃してしまった。そのときの最悪の状況が夢となって幼い大輔を襲い続けた。
暗い家の中、何かが壊れる音が響き渡る。両親の叫び声が聞こえ、居間へ駆けつけると、一人の男が両親を襲っている。刃物を振るう男の背中が暗闇に溶け込むように揺れ、男が振り向く。大輔はその異様な目を忘れることができなかった。「次は君だよ」男の低い声が大輔の耳に浸み込む。そこで目が覚める。汗と涙でぐっしょり濡れた枕の上、幼い大輔は震えながら朝を迎える。
何年間も精神科に通い治療を続けて、大輔が成人するころには悪夢は見なくなっていた。ところが、ここ数か月前から大輔は再びあの悪夢に襲われるようになった。なにが要因となったのか大輔には心当たりがなかった。両親が殺害されてから二十年が経過している。犯人は今も逃亡中だ。
悪夢の中の男の眼と九条の眼は、同じ異様な光を秘めていた。大輔は、その光に操られるようにして、九条から受け取った装置を耳に装着して眠りに落ちた。
大輔は久しぶりに深い眠りにつくことができた。子供のころからの悪夢を見ることもなかった。しかし、別の不気味な夢を見た。こんな夢だった。大輔は見知らぬ通りに立っている。すると、どこからか子犬の鳴き声が聞こえてくる。その鳴き声のするほうに歩いていくと、震えている子犬がいる。その子犬の体には蠢く模様が浮かんでいて、その模様が悲しげに鳴いている。模様はまるで生き物のように動き、やがて子犬の体を覆い尽くす。その瞬間、子犬の鳴き声は歪んで、人間のような叫び声に変わる。ここで、大輔は汗びっしょりで目が覚めた。
その日の通勤途中で大輔は奇妙な体験をする。路地裏から犬の鳴き声が聞こえたのだ。不安を抱きながら近づいてみると、そこには震えている子犬がいた。夢で見た子犬とそっくりだ。模様は見えなかったが、子犬が悲しげに鳴く様子は夢と寸分違わなかった。気味が悪くなった大輔はその場を離れた。
二夜目、大輔は再び装置を使った。やはり、九条の催眠術にでもかかっているのか逆らうことはできなかった。その夜の夢はさらに異様だった。
大輔が暗い森の中を歩いていると、人々が無表情で踊っている場面に遭遇する。彼らの動きは機械のようにぎこちなく、木々の間から無数の目がこちらを覗いていた。そして、その目が全て九条の顔に変わり、九条が笑いながら囁いた。「これが新しい秩序です。藤原さんも加わってください」目が覚めた大輔は恐怖で体が震えていた。その日の仕事を終えた帰り道、大輔は偶然近所の公園を通りかかる。その公園の木々は生えている中で複数の人々が奇妙に踊っていた。夢の中の動きとまったく同じだった。近づいて声をかけようとしたが彼らの虚ろな目に圧倒されて逃げ出した。
現実と夢が繋がっていると確信した瞬間だった。
三夜目、大輔は装置を使うのをやめるべきだと思いながらも、抗えない力に操られるようにして再び手を伸ばしてしまう。
その夜、大輔が見た夢はさらに異常だった。大輔は巨大な廃墟の中にいる。その壁に溶け込むような粘土細工の人々を目撃する。壁全体が生き物のように脈打ち中心には異形と化した九条が立っている。九条は蠢く無数の手を広げて大輔に近づき、不気味に笑いながら言う。「これが私たちの未来です。藤原さん、受け入れるしかないんですよ」
翌日、仕事の帰り道に通った寂れたビルの中から不気味な呻き声が聞こえてきた。夢で見た廃墟とそっくりだと気づき大輔はその場から走って逃げようとする。しかし、またしても見えない抗えない強い力に操られるようにして、廃墟ビルに足を踏み入れる。中には妙な模様が浮かび上がった壁と、夢で見た粘土のような質感の奇妙な人影があった。大輔は恐怖に駆られ逃げ出した。
その日の夜、大輔はニュースで九条徹が死亡したことを知る。
「この九条徹さんは、意識をデータ化して他人の夢の中に侵入する技術を研究していました。そして、『夢を介して現実に干渉することができる』と言っていたそうです。あまりにも途方もない研究なので、周囲からは全く相手にされていなかったようで、そのために自殺したのではないか、と警察はみています。一か月前に自宅で青酸カリを服用して死亡。孤立した生活をしていいたため発見が遅れたようです」とテレビに映るニュースキャスターは告げている。
一か月前だって? それじゃあ、四日前に会った九条徹は誰だったんだ? 大輔は足元から冷たい水が浸み込んでくるような恐怖に震えた。
四夜目、大輔は装置を装着せずに目を閉じた。抗えない力は無くなっていた。
大輔は一瞬にして眠りに落ちて夢の中に入り込んだ。そこは今までの夢では見たことのない風景だった。四方を高い壁で囲まれた空間の中にいて、躰が重力を無視したように浮かび上がる。周囲には無数の顔が浮かび上がっている。どれも九条徹の顔だった。目を閉じても、耳を塞いでも、その顔が、声が、無数の手が、大輔を取り囲んでくる。大輔は動けない。声も出せない。自分の夢の中なのに自由に動くことができない。目の前に現れた九条徹が静かに微笑みながら言う。
「藤原さん、あの装置はもう必要ないんです」
その声は、以前よりも強く、深く響く。心の中に直接語りかけるような感覚だった。大輔は必死に自分を取り戻そうとする。だが、指先、足の先から、徐々に自分が九条徹に侵食されていく感覚がある。
「もう逃げられませんよ。私はもう、藤原さん、あなたの中にいるんですよ」ひときわ大きな声で九条徹が言う。
その言葉が響いた瞬間、大輔は自分の顔に手を当ててみた。顔の皮膚が動いているのが手の平に伝わってくる。自分の顔が変化している。ここは夢の中なんだから、どんなに異常なことが起こっても大丈夫だ、と大輔は自分に言い聞かせる。
「藤原さん、夢を介して現実に干渉することができるんですよ。目を覚ましたら鏡を見てください」九条の声が頭の中に響く。
「もう気づいてますよね。そうです、私が藤原さんの両親を殺した犯人です」
「どうして、あんなことを?」
「理由は特にないんですよ。しいて言うなら、あれは私の夢の中だったんです」
「どういうことだ?」
「さっきも言いました。夢を介して現実に干渉することできるんです。一緒に夢の中から現実世界を変えましょう」
大輔は九条の言っていることが理解できなかった。
「ゆっくり理解してください。今夜は右半分だけにしておきます」
大輔は目を覚ました。朝になっていた。頭の中は悪夢の余韻で酩酊しているようだ。大輔は洗面所にいって鏡を見た。
右半分が九条徹になっている自分の顔が鏡に映っている。
了
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