梗 概
ついさっきの思い出
タイムトラベル技術が実現した近未来の日本。過去への干渉が現実に与える影響が計り知れないため、私的なタイムトラベルは厳しく制限され、失われたウイルス抗体の採取や絶滅危惧種の遺伝子保全といった公益目的以外ではほとんど行われていない。
主人公である12歳の少女・明日佳は、この時代に生まれながら「過去」を生き続けていた。彼女はタイムトラベル中に妊娠した母親から生まれたことにより、「先天性逆転記憶障害」を患っていた。彼女にとって、最新の記憶は最も古く、幼い頃に母に撫でられた温かな記憶だけが鮮明だった。一方で、昨日の出来事はおぼろげな最古の記憶として追加されていくため、明日佳は常に過去へと遡るように生きていた。
明日佳の母は、仕事上のタイムトラベル中に過去の人間と私的な関係を持った門で収監されていた。精神を病んだ母は、次第に明日佳へ辛く当たるようになり、獄中で病死する。だが、明日佳にとっては幼い頃の優しい母が最新の記憶であり、虐待の記憶は時間と共に「過去」へと遠ざかっていた。ある日、ふと母の死を思い出し、彼女はようやく母がもう存在しないことを理解する。その時から、明日佳は一層無気力になり、言葉を失い、日々を惰性で消費するようになった。
明日佳の障害は稀なものであったため、特例として研究者たちは治療と研究を兼ねた計画を提案する。それは、タイムトラベル中に受精卵として発生したことが障害の原因であるならば、再びタイムトラベルを行えば時間の体感が通常に戻るかもしれない、という仮説に基づくものだった。
タイムトラベル先は、未来への影響を抑えるため、10日後に死を迎える予定の孤独な老人の隔離病室が指定された。彼は余命宣告を受け、投げやりになっていた。
明日佳は10日間にわたって老人を訪れる。初日の時点で彼女は、10日目までの会話や出来事をすべて知っていた。しかし、タイムトラベル中は彼女の体感時間は順転し、初めて「今日」という時間が新たな記憶として蓄積されていった。知っている会話をなぞるだけだったはずが、日ごとに変化する老人の表情や言葉が明日佳にとっては新鮮なものとなり、その時間はかけがえのないものへと変わっていく。
やがて、明日佳は老人に愛着を抱くようになる。しかし、彼女は10日目に老人が死ぬことを知っていた。彼女は変えられない運命に抗うように、予定された会話の流れを逸脱し、ある行動に出る。老人が「実は自分は明日佳の生物学的な父だ」と明かす前に、明日佳が先に「あなたが私の父だと知っている」と伝えてしまったのだ。
父は、明日佳が未来から来たのだから当然知っているだろうと思いながらも、それでも自分の口から伝えたかったと静かに告げる。彼女は謝罪し、「あなたにとっては初めての時間を共に過ごす」と誓う。明日佳にとっては未来で見た時間だったが、父にとっては一度きりの現実なのだ。その瞬間、明日佳は「今」を生きることの意味を知る。
最終日、明日佳は父の死を見届ける。彼女は10日間のタイムトラベルを終え、現代へ帰還する。治療計画の仮説は外れ、彼女の障害は完治しなかった。しかし、父と同じ歩みで過ごした時間は最新の記憶として刻まれ、明日佳の孤独を癒やし、彼女は再び日常へと歩き出す。たとえ時間が逆転しても、心に刻まれた「一度きりの時間」は決して失われることはなかった。
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内容に関するアピール
タイムトラベルものに一度挑戦してみたかったので。つじつま合わせがかなり難しいので、理屈を整理するよりはストーリーの方に重きを置いて執筆しようと思っております。
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