おやすみなさい、よい夢を

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おやすみなさい、よい夢を

いま話題の地球とニクスコロニーが合同で開発した「無重力でも気持ちよく眠れる」寝具が、部屋に届いた。
棺の形をしていて不安を覚えるが、何事も試してみないと分からない。
蓋を開けると、搭載されているサポートAIが「こんにちは、眠りの手伝いをさせていただきます」と心地の良い声で話しかけてきた。

「よっちゃん、見てよ!」

定位置のキャットタワーの頂上でくつろぐ愛猫「よる」に声をかければ、興味なさそうに尻尾を振る。

「よっちゃん、どんな骨格をしていても、ベッドが合わせてくれるんだって」

寝具の機能に電源を入れながら、夜に説明する。
仕方なさそうに視線を寄越してくれたが、またすぐにそっぽを向いてしまった。
夜の興味は、爪とぎとおやつしかない。
添い寝を夢見ながら、寝間着として使っているTシャツとズボンに着替え、棺の中に横たわる。

「う、わ……!」
思わず声が零れる。
横たわった瞬間にマシュマロのような柔らかさが全身を受けとめ、シルクのように滑らかな肌触りが、皮膚を包み込むように撫でていく。
露天風呂に浸かった時の心地よさを思い出させ、ゆるゆると微睡みが降りてくる。
これは確かに気持ちよく眠れそうだ。
高まる期待を胸に抱え、寝具の蓋を閉じる。
蓋の裏は液晶パネルになっていて、「PM 22:30」と時刻が表示されている。

「おやすみなさい、よい夢を」

低すぎず、高すぎず、心地の良いなめらかな音声に囁かれると同時に、瞼が重くなった。

「おはようございます」

サポートAIの音声と共に目覚めた。体はすっきりしていて、いつも感じていた疲労感は一切ない。
寝付きの悪さ、中途覚醒が悩みの種だったが、これなら質の良い眠りを手に入れられる。

「最高の買い物したなあ」

『気持ちよく眠れる寝具』を使い始めてから、四日経った。

「おかしいだろ、どう考えても」

希望だと縋りついた寝具が、いまは拷問具にしか見えない。

一日目は、特に何も起きていない。
だが、異変は二日目から起きた。睡眠時間は、一六時間。授業には出られず、アルバイトも遅刻した。
次の日も十六時間眠ってしまうのでは、と不安に苛まれた俺は、アルバイトには休みの連絡を入れ、友人にモーニングコールを頼んだ。
寝具に充電器と端末を持ち込み、三日目に臨んだ。
結果は、三日、四日と二日間ぶっ通しで眠った。それなのに、目覚めはすっきりとしていて、肉体に一切の疲れがなかった。
何より、音量を最大にしているのに、起きられなかった。

睡眠はレム睡眠、ノンレム睡眠を繰り返している。必ず眠りが浅くなるタイミングがある。
デュアルデバイスでつけている睡眠記録を確認するが、なんらおかしなところはなかった。

「会社に問い合わせるしかねえよなあ」

結果は、解決に至らなかった。現状を説明しても、お調べしますの一点張り。
ならば、SNSで同じ悩みを抱えている者がいないかと探せば、あった。
使用者のほとんどが同じ体験をしていた。
そのなかで、リアルタイムに感想を投稿しているアカウントがあった。記録を遡ってみると、六日目に「ずっとここにいたい」と投稿して以降、一度も更新されていない。

「つまり、このまま使い続けると……」

メディアも注目し始めているようで、ネットニュースに記事があった。
その記事によると、心配した家族や友人が寝具を返品しようとしても使用者が反対したり、寝具のなかに閉じこもり、トラブルになっているという。

「俺も、寝具の引きこもりになっちゃうってこと……?」

それは嫌だ。
部屋に引きこもっていれば、確かに心が安らぐ。自分を悪く言う人間がいないから。
だが、漫然とした不安はどうやっても無くならないし、卑屈な心は肥大していく。

「返品しよう」

もう一度会社に問い合わせるべく端末を手に取るが、充電が残り少ない。
充電器は、運悪く寝具の中に置きっぱなしだ。
横にならなければ大丈夫と言い聞かせ、寝具の蓋を開ける。充電器が枕元にあった。
手を伸ばす。

「おやすみなさい、よい夢を」

すべての不安を取り除いてくれる。そう思わせる声音が、脳に染み渡っていく感覚が広がる。
瞼が重くなる。頭も、体も、眠りにつこうとする。
微睡みが心地良い。

にゃーん。

夜の鳴き声。ごはんをねだる時の甘えた声だ。
そう、俺には守りたい者がいる。引きこもってはいられないのだ。

「おまえが! 寝ろ!」

寝具の縁に手をつき、力一杯、電源を長押しする。
ぷつん、という音が聞こえると、全身をやさしく包み込み、現実のすべてをシャットアウトさせる感覚が、忽然と消え失せた。

呆然としていると、にゃーん、と夜がひと鳴きしたあと、寝具のなかに入ってしまった。
ふくふくと豊かになった体を丸め、目を細める。

寝具の機能が無効化されたおかげで、夜との日々を守ることができた。
ようやく目が覚めたような気分だ。

「まあ、よっちゃん専用にしてもいいか」

地球人には気持ちよすぎるが、猫には丁度いいかもしれない。

文字数:1992

内容に関するアピール

目覚めがすっきりした質のよい睡眠が取りたい……と常々思っているので、気持ちよすぎるパーフェクトベッドがあったらいいなあ、という思いつきで、気持ちよさが過剰なベッドの話にしてみました。

棺の形にしたのは、眠りが短い死と例えられるのと、安楽死マシンが棺の形をしているので、「SFで気持ちよすぎるベッドならそういうのかも」というふわふわ連想で決めました。

猫を出したのは、AIで管理される人間と自由気ままな猫の対比にしたかった……というのは後付けで、猫が好きだから出しました。猫の太腿は気持ちよすぎるので、巨大化した猫に膝枕してもらって寝たいです。

文字数:269

課題提出者一覧