アキバロイド・アリア
私を見つめ返すこの少女がもしヒトと呼ばれる存在だったのなら、彼女は私を心底軽蔑するだろうか。客の要望通りの衣装を用意する片手間に、私は鏡を覗いてふとそんなことを思った。
温かくて伸縮性のある人工皮膚に包まれた私は本当に生きている人間のようだ。頭部は違和感が無い程度に小さく、輪郭は顎先から頬にかけて緩やかな曲線を描いている。銀と呼ぶには輝かしくなく、灰と呼ぶには褪せていない前髪は右に向かって柔らかく流され、頬にかかった横の髪は鎖骨の辺りで緩やかに渦を巻いていた。
何よりも目立つのは左右で色の違う瞳だ。灰色の左目は地味だが、それが余計に右目の赤を際立たせている。
別々の眼球パーツを使うだけで演出できる、手軽な個性だった。
私は一歩下がって上半身を映し、外装に異常が無いことを確かめながら服を身に着けていった。私の胸部の柔らかな重りは、人間が使うのと変わらないシンプルな下着が支えている。このやや誇張された体型もこの街では珍しくない。
現代の遊郭と揶揄される風俗街秋葉原は、今日も製造工場製の少女を求める無数の人々を飲み込んで稼働している。私の脳裏に存在する予約表には普段通りまばらに客名が記載されていた。
唯一の入り口である正門から延びる中央通り沿いには喫茶店が並び、そこで客はくつろぎながら利用する機械の嬢を選ぶ。彼らの目的地は明るい表通りではなく、背の高いビルの陰に満たされた裏通りだ。そこにはアンドロイドを嬢として備える風俗店が群がっている。
私はそんな店に仕える備品の一体だった。
「オッドアイ」でタグ検索して安い順に並べ替えると一番上に私のプロフィールが出る。その方がアリアというありふれた名前で探すよりも早い。美しいだけでは他と差別化できない秋葉原では、タグとして機能する外見上の特徴が求められる。獣のパーツを持つ者、人の頭ほど大きい乳房を持つ者など、その種類は枚挙に暇がない。
秋葉原は中古の芸能系アンドロイドを買い取って利用している。中でも数が多く競争が激しかったアイドル出身のアンドロイドは、多様な個性を持つことで人気を博していた。ただ赤と灰のオッドアイを持つだけの私は製造されたときから埋もれていて、アイドルとして芽が出ることはなかった。
ファンの気持ちを代わりに歌い、ファンを楽しませるために踊り、ファンの目を見つめて笑顔を浮かべる。アイドルとして求められる全てを私は従順にこなした。しかし私は大した収益を出せず、ファンとの接触を過激にしてもなお無名のままで、やがて事務所の借金を解消するために秋葉原へ売られた。私の他にもメンバーはいたが、彼女たちもまた秋葉原へ引き渡され、その後どうなったのかは分からない。
人々はそんな私たちをアキバロイドと呼び、愛する。
秋葉原の中心である電気街には輝かしい電飾に彩られたアキバロイドの看板が並んでいる。喫茶店では食事だけでなく人気のアキバロイドのフィギュアやグッズが売られていて、ここに来たばかりのアキバロイドが少しでもファンを獲得しようと愛想良く接客している。十年にも及ぶ秋葉原の歴史の中で、人々がアキバロイドに見出す価値は多様になった。
愛の形が様々であるように、アキバロイドの在り方も様々だ。
安価な大量生産パーツで組み立てられた私は、アキバロイドの中でも特に代替しやすい存在として安い風俗店に配備されている。もっと高価な個性を持ち、大勢の固定客を持っているようなアキバロイドは、厳密に客を審査する高級風俗店で働く。駆け出しの頃に喫茶店で十分な客を得ることができれば、私のように安いアキバロイドでも高い店に行くことがある。しかし私は喫茶店時代も大した成果を挙げることができず、すっかりチープな存在になってしまっていた。
そんな私でもフィギュア化されるほど愛されるアキバロイドになりたいという願望があった。もっとたくさんの人を励ませるような存在になりたいという欲求があった。それはアキバロイドなら誰しもが持っている感情だった。サービスの質を保つには従業員同士に競争させればいい。そんな思惑が私たちの心の設計に込められているだろうことは容易に推測できた。
だけど、それが誰かにプログラムされた感情であっても、今の私にはそれしかない。機械として可換の私は、私という存在自体に縋ることができない。
私の代わりはいくらでもいる。
それに大抵、私は誰かの代わりでしかなかった。
私にオーダーされる服装は、比較的童顔であるせいか、かつて青少年の証だったセーラー服が多かった。性的な記号として扱われすぎたために、それは制服としての役割を失った。それでも客はそれを制服として扱うことを好み、私はそもそも年齢という概念がない身体だというのに、様々なティーンを演じさせられた。
これから会う客もまたそれを希望したらしい。彼は他の客と同じようにタブー視される願望を機械に託す人間なのだろうか。それとも、ただ一番人気の服装を頼んでみただけなのだろうか。
私は染み一つないセーラー襟のトップスに頭部を通し、関節の可動域に気を付けながら細い腕を袖から出す。すると漂白された服と同じくらい白い人工皮膚を透かして、内部フレームのすぐ上を這う電線が血管のように見えた。膝が出る丈のプリーツスカートを履いて取れかかっているホックを留めると、私は誰かの思い出の中の学生そのものになる。
私たちが存在する前、生身の身体に欲求を向けるしかなかった時代の学生そのものに。
着替え終わった私が鏡の前を退くと、すぐに別のアキバロイドがその位置を陣取った。彼女も私と似たような顔と体型をしていて、目立つ差異といえばボブカットとその厚い前髪の下に覗く目つきの悪さくらいだ。その生意気そうな顔を好む客は乱暴な人が多いらしく、彼女が綺麗な人工皮膚のまま待機所に戻ってきたことは私の知る限り無かった。
真っ白な靴下と少し大きいローファーを履き、私は待機所を出て客が待つ個室へと向かう。安っぽい灰色のカーペットを歩きながら、私はいつもこれから出会う客の人生について考えてしまう。目的があって製造されるわけではない彼らはどのように自分自身を規定するのだろうか、と。
錆びの浮いた金属扉を開けて個室に入ると、薄っぺらいベッドに腰掛けた細身の男が天井を眺めていた。夏場だというのに黒いアウターを着こんでいて、手には分厚い手袋が嵌められている。事前に登録されたデータによると四十代らしいが、その外見はそれより幾分か若い。黒くしなやかな髪は耳にかかる程度の長さで、前髪は丁寧にセットされているらしく柔らかに立ち上がっていた。
「よろしくお願いします。アリアです」
私が挨拶をすると彼はぼんやりとこちらを向いた。その顔立ちは私と同じように端正で作り物めいている。彼はこの店の新規客で私のアイドル時代のファンでもない。それなのにどこか見覚えのある顔だった。
「フウガさん、ですよね」
私は私らしく天真爛漫な性格を演じて笑顔を作る。童顔の私はアイドル時代から幼気に振舞うことを義務付けられていた。
客はつられたようにはにかむ。その表情も美しく均整がとれていたが、その瞳に力はない。男体の芸能系アンドロイドかと思うほど、人間離れした雰囲気だ。
「うん。よろしく、アリア」
その体躯と同じように細い声だった。私はその返事を珍しく思った。私の名前を呼んでくれたということ以上に、彼のその殻に籠ったような態度が不思議だった。
大抵の客はプレイに入るのを急かしたり私を値踏みするような目つきをしたりする。私という存在を好き勝手にできる時間を彼らは買っているからだ。しかし彼は金を払った者らしい態度を取るのではなく、ただ無理やり作ったような悲しげな微笑みで私の顔を見つめるだけだった。
「どんなプレイをご希望でしょうか? シチュエーションプレイもできますよ」
私が笑顔のまま常套句を口にすると彼は首を横に振って立ち上がる。その骨ばった手が私の頭に乗せられても、髪を掴まれたり頭を踏みつけられたりする日々に慣れてしまった私は、彼がセーラー服を選んだのはシチュエーションプレイのためではなかったらしいと呑気に思考していた。
フウガという客からは嗜虐性も衝動性も読み取れなかった。だから私は予期せぬ暴力に恐怖を感じる隙もなかった。
頭部を掴む手に力が込められる。それに気づいたときだった。
一瞬彼の目と私の目が合ったかと思うと、いきなり私の視界一杯にきらめく何かが迫った。次の瞬間、硬質な音が私の骨組みを直接響かせて音響センサーに伝わる。右目の視覚情報が途切れている。無事らしい左の眼球を恐る恐る右に向けると、私の右目があるはずの場所からゆっくりと、どこにでもあるようなアイスピックが抜かれていくところだった。
私の脳裏に飛来したのは、何度もシミュレーションした廃棄の二文字ではなく、恐怖という感情だった。こんな暴力がいつか自分の身に降りかかるだろうことは予測していた。それでも自分が壊されていく実感が、こんなに意識モデルを脅かすものだったなんて。
「ごめんね」
その言葉と共に分厚い手袋の指先が私の右目に向けて伸ばされる。もう私に触らないで。そう叫びたかったが、身体にインストールされたアキバロイドとしての制約が私の身体から自由を奪っていた。私は客に好き勝手されるための存在なのだから、客から逃げ出してしまってはいけない。
もしくは、ただ恐怖のあまり動けなかっただけかもしれない。
唸り声のような物音が身体の底から響いてきた。その音の発生源が胸部にある冷却機能だと私は一拍遅れて気付く。それがこれほど激しく駆動しているのは初めてだった。それほどまでに心臓の位置にある中央演算処理装置が発熱しているのだろう。
どうして私が壊されなくてはならないの。そう尋ねたら彼は答えを返してくれるだろうか。
どうして私なの。そんな問いが私の脳裏を渦巻いているのはアイドルとして、アキバロイドとして、自分自身の商品価値を確かめたいからなのだろうか。
その答えを求めて私は自分自身の行動記録を遡る。どうして私は乱暴されなきゃいけないの。低俗な店に配備されたから? 風俗街に売り飛ばされてしまったから? 安価なパーツで造られてしまったから?
どれも決定的なものとは言えなかった。だから私は偶然という解を導き出した。それは不運と呼べるかもしれない。理不尽かつ不条理なもの。どんな高性能な知能でも完全に予測することはできないほど無作為で乱暴なもの。
そんな言葉で自分を納得させた私は意識を落とした。このままでは恐怖のために心臓が燃え尽きてしまいそうだった。だから恐怖を感じる機能を停止させた。
もう二度と目覚めないだろうと思いながら。もう二度と目覚めたくないと願いながら。
気づけば私は起動していた。意識が動き始めたときには既に、コンクリートが剥き出しになった天井の光景が演算装置に伝達されていた。ここが店の倉庫部屋だと推論し終えた私の意識は、再び目覚めてしまったことをリスクだと認識し不安がっていた。
開きっぱなしになった扉から差し込む光が薄ら暗く埃っぽい室内を照らしている。ここにいるアキバロイドは私だけのようで、他の不良品はひびの入った全身鏡ぐらいしかなかった。後は封を切られていない段ボール箱がいくつか置かれているが、あれに入っているのはいくら買っても足りない新品の衣装だろう。アキバロイドが修理できないほど壊されるのはここでも珍しいが、服を裂くだの汚すだのは日常茶飯事だ。
秋葉原では廃棄物を置くエリアが決まっており、その回収の時刻も定まっている。だからその時刻を待つまで廃棄物は倉庫部屋に置いておかれる。つまり、あの鏡と私は回収時刻を待つだけの廃棄物だ。
本来なら私はバッテリーを抜かれ二度と目覚めない身体になっているはずだった。それなのにどうして私は起動してしまったのだろう。身体を探ってみると、私は裸の状態であることと、恐らく顔の傷はそのままになっているであろうことが分かった。やはり私は廃棄される予定であったはずだ。
それにもかかわらず、誰かが私の電源を入れ直した。一体何のために。
私はこの場に留まるべきかどうか思案した。このまま待つのが廃棄されるアキバロイドとして正しい態度だろうと思った。
しかし私を目覚めさせた何者かは、きっと私に何かを期待している。
人の期待には応えたかった。私にそう思わせるのはアキバロイドとしての意識なのか、それともアイドルとしての意識なのかは分からない。
私は私を目覚めさせたその人物を探すことに決めた。私は倉庫部屋の片隅にある段ボール箱を開け、その一番上にあった白黒のメイド服を着ると、光に吸い寄せられる虫のように扉に向かって歩き始める。そしてふとひび割れた鏡に映った自分の姿を見て、一歩後ずさった。
そこにいたのは人間の成りそこないだった。赤い右目があったところはすっかり空洞になっており、額と頬に渡って人工皮膚が裂けている。頭部の内部フレームも一部壊されてしまっているらしく、その中に収まっているはずの表情管理基盤が外から見える状態になってしまっていた。
壊れた自分を見るのはこれが初めてだった。こんな姿を目にするとも思っていなかった。その傷の深さより、私は唯一の個性だったオッドアイを失ってしまったことが信じられなかった。しかも私に残されていたのは地味な灰色のほうだった。
もう愛されるのは無理かもしれない。
ファンの愛情に応えるアイドルのように笑顔を浮かべようとした私は、自分の表情が全く動かないことに気が付いた。もしかすると露わになった表情管理基盤すらも損傷してしまったのかもしれない。指で頬を持ち上げてみると口角は従順につり上がったが、指を離すとすぐに仏頂面に戻ってしまう。これではアキバロイドとしてもアイドルとしても失格だ。
そう思った私はふとアイドル時代のことを思い出した。きっと片目を失った私の顔が。彼女の姿に重なったのだろう。
私が所属していたグループではアイドルの域を超えたサービスを行うこともあった。最後の方にはライブ後の特典会でのファンとの距離はゼロになり、彼らとやけに密着したチェキを撮るのが常態化していた。当然ファンは少女型アンドロイドと接触することを期待する人ばかりになる。だから私は彼女のことをひどく心配していた。
そして不思議なことに、彼女も私のことを心配していたようだった。
「ねえ、秋葉原に行くってほんと?」
少女が不安そうに私の手を握っている。当時の彼女はまだ十代だった。真っ黒な姫カット、ゴシックな黒いワンピースの中に白い肌と眼帯が目立つ彼女のことを私はよく覚えている。彼女ほど純情を私に向けてくれたファンはいなかったから。
「ほんとだよ、カノン」
私は親密性を演出するために彼女の名前を呼んだ。すると彼女は今にも泣きそうな左目で私を見つめる。
「行かないで」
その哀願を受け入れる権利を私は持たなかった。彼女の目を見つめて踊ることや、彼女の控えめなコールを聞き取って応えてあげることはできた。チェキを撮影するとき、私が彼女の華奢な身体を支えることだってできた。
それでも、彼女のその願いを叶えることだけはできなかった。
「遊びにおいでよ。最初は喫茶店にいるからさ」
私がそう返すと途端に彼女の顔がさっと暗くなる。それを見た私は間違えてしまったことを直感した。大切なファンに嫌われたかもしれないという推論は、暴力の恐怖よりも私の心を抉る。
「行けるわけない。もし何かあったら『そんなところに行く女が悪い』って言われるし、アキバロイドに間違えられたら大変だから」
彼女はライブハウスの空調で冷えてしまった手を私からするりと放した。もう会いに来てくれないだろうと私は直感した。彼女が機嫌を損ねることは度々あったが、その後に決まって浮かべていた寂しそうな顔をそのときはしなかった。
どうして私なの。最後にそう聞けばよかった。
どうして私を好きになってくれたの。
安い個性、どこにでもある身体、出来合いの曲、誰にでもできるライブパフォーマンス。そんなものしか持たない私をどうして選んでくれたの。
一体何を期待してくれていたの。
倉庫部屋を出ると廊下の途中で、この店にたった一台しかない運搬用ロボットが停止していた。運搬物を自分の台に載せるための頑丈なアームがだらりと垂れさがっている。それがここに私を運んできたのか、それともこれから私を運び出そうとしていたのか、判然としない。外傷はなくただ電源が切れているようだ。起動ボタンを押してみても動かないので、バッテリーそのものが抜き取られてしまっているのかもしれない。
確かこのロボットも私たちアンドロイドと同じタイプのバッテリーを利用しているはずだ。もしかすると私を起動させた誰かが私を目覚めさせるためにこのロボットのバッテリーを使ったのかもしれない。だとするとその人はロボット類の構造をよく理解している人物ということになる。しかしそれだけの情報ではその人を見つけ出すのは難しそうだった。
この店の警備はそう厳重ではない。予約した客だけが入店できるシステムになってはいるが、裏を返せば客として予約すれば誰でも入り込めるということだ。高級店では客の審査を行っているようだったが、この店は客を選り好みしない。客が記入したプロフィールが本当のものかどうかも定かではなかった。
秋葉原の一番の目的はあらゆる客を満足させることだ。だから金の無い客も乱暴な客も思う存分遊べるように、私のようなチープな存在が格安店に並べられる。どんな人にでも欲が備わっている以上、こういう店は必要不可欠なものだった。
「こんな仕事して虚しくならないの」と客に聞かれたことがある。虚しくなるわけがない。だって私たち機械は仕事が先で存在が後なのだ。仕事のために設計されるのだから、仕事を与えられたことで変化があるとすれば、意味のないものから意味のあるものへと変わるというだけだ。
「おい! 動かねぇぞ!」
廊下の角の向こうから大声がする。そっと覗き込むと個室の錆の浮いた金属扉が開きかかっていた。やがてその中から髪の薄い男がぬっと頭を出し、頬に肉の詰まった顔をあちこちに向ける。私は慌てて角に隠れた。
「おい! くそ、さっきいた嬢、客を置いてどこ行きやがったんだ」
まさか私のことだろうか。冷却機能が騒音を立てないようにじっと心を落ち着かせ、私はそっと男の方を窺い見た。
彼は辺りを見回すのを止め、私物の携帯で何かを検索しているようだった。赤らんだ左の手は見覚えのあるボブカットを掴んでいる。私の後に鏡を使った同僚だった。その身にまとった上品なワンピースはすっかり破かれてしまっていた。見るも無残な姿だった。
あれが私の仕事。私はそれ以上見ていられなくて引き返した。
「はあ? ネットワーク不良? っぱ機械って使えねぇわ」
そんな声と共に重たいものが床に落ちる音がする。私はその音から逃げるように、運搬ロボットしか使わない裏口から路地に出た。
普段とは違う騒がしさが、まだ熱を帯びる夜風に乗って中央通りの方から私の耳に届く。友人同士で来たらしい男たちが「臨時メンテだって。運わりぃ」「どうする? ちょい高いけど人間の店行く?」と喋っているのが聞こえる。夜空に目を向けると派手な看板の電飾が真っ暗な底を景気よく照らしていた。嬢が動けなくなって客が右往左往していても、秋葉原の賑やかな街並みは全く変わりない。
ネットワーク不良にメンテナンスなんて私が知っている限り初めての事態だ。三年前に製造されて去年秋葉原にやってきた私は、今の秋葉原の状態がどれほど異常なのか分からない。私は何が起きているのかを探るためアキバロイド全員が閲覧できる連絡網に接続しようとしたが、廃棄予定の私は既にローカルネットワークに接続する権限をはく奪されているようだった。アイドル時代はSNSを運用するために接続していたインターネットもアキバロイドになってからは利用できなくなり、今の私は情報を全く収集できなくなっていた。
そういえば行く当てがなかったと私は気づいた。私を目覚めさせた人を探すにしても、その居場所の手がかりは皆無だった。それならネットワーク不良の原因を知るために動いてみても良いかもしれない。その目星は付いている。私の足は電光煌めく秋葉原の中心地、電気街に向けて歩み始めていた。
中央通りへ出ると、看板に描かれたアキバロイドの少女たちが行き交う人々を見下ろしていた。ネットワーク不良を知ってアキバロイドの利用を諦めた客たちが、臨時メンテナンスの予定時刻が来るまでになるべく秋葉原を堪能しようと、喫茶店の物販を見て回っているようだった。デフォルメされたアキバロイドが描かれたレジ袋を持って出てくる人もいる。どうやら物販のレジはアキバロイドと違って問題なく機能しているらしい。ネットワークが故障している状態では売買履歴をメインシステムに送信できないはずだが、それでも稼働していいのだろうかと私は思った。
何故アキバロイドだけ停止させられたのだろう。接客データをメインシステムに送信できないことが理由だと思っていたが、だとするとレジが動いていることを説明できない。
そう疑問に思って店を注視していると、不意に背後から大きな声が響いた。
「おい、そこの!」
見ると肩を怒らせた中年の男性が私に近づいてきていた。買った嬢が故障してイライラしているのだろうと推論した私は、その鬱憤晴らしに付き合ってあげようと思って男の方を真っすぐ見た。しかし彼は私の顔を一目見るなりぞっとしたような顔をする。そして不機嫌そうに鼻を鳴らすとくるりと背を向けて歩いていってしまった。
どうしたのだろうと首を傾げた私は一瞬で自分の今の顔を思い出す。人間との区別ができないほど精巧な顔に内部機構が見えるほどの傷があるとなれば、嫌なものを見たと感じるに違いない。そんな顔を見せてしまって申し訳ないと私は思った。これで秋葉原に来るのが嫌になっていなければいいのだけれど。
私を遠巻きに見ていた他の客たちも段々と正門の方へ歩いていき、人の声がまばらになっていく。こんなに通行人が少ない中央通りは見たことなかった。いつもなら愛想良く店の広告を配っているアキバロイドもいなかった。雑踏の喧騒が無くなると、どこかで鳴いているらしい蝉の声が微かに聞こえた。
私は電気街へ向かうという目的を思い出し、人々が去っていった方向とは反対側へ足を向ける。その先で普段なら人がひしめく交差点を、子供のようなサイズの警備ロボットが滑らかに横断していた。その身体は秋葉原のイメージに合わせてカラフルに塗られている。耐久性を高めるための丸っぽいフォルムがむしろ可愛らしく、彼らが食い逃げ犯などを追いかけているときは、客から妖精と呼ばれて応援されるほどだ。
そのまんまるな頭部のレンズが私を捉えたときだった。
「聖母発見」
その声に導かれるように中央通りの向こうからまた別の警備ロボットがやってくる。そして彼らは自分たちが追走モードになったことを知らせるため、不快に調律されたサイレンを鳴らし始めた。
違う名前で呼ばれることには慣れているけど、あれにまで私じゃない名前で呼ばれるなんて。私が逃げるべきか「私はマリアじゃなくてアリアです」と釈明すべきか悩んでいると、突然、夜闇に紛れた真っ黒い人影が飛び込んで来た。そしてその人物は、目の前で翻る時期外れのアウターに気を取られている私の腕を引いて、横道へと駆け出す。
「まさかこんなところにいるとはね」
聞いたことのある細い声がした。自分の推論を信じ切れず唖然とする私の前で、彼は路地を走りながら目深に被ったフードを取り払った。その下から現れたのは、私の右目に最後に映ったあの男の顔だった。
「フウガ、さん」
声が途切れ途切れになったのは、膨大な不安を処理する中央演算処理装置の動作が重くなっているせいだ。また目を刺されるかもしれない。別の暴力を受けるかもしれない。そんな可能性が私の思考の中に居座り続けている。
「さっきはごめんね」
一方フウガの声は涼やかだった。相変らず悲しみや諦めを感じさせる声色ではあったものの、先ほど自分が目を刺した少女に対するものとは思えぬ落ち着きだ。いくら機械といえど相手に暴力を振るった実感は人格に影響する。それは暴力的な客とそうでない客の傾向の違いから私が推測した論だったが、秋葉原内で暴力を容認している店とそうでない店が明確に分かれていることからも、その二者には決定的な差があることが窺えた。
それに雑居ビルをいくつ通り過ぎたか数えていられないほどの距離を走っているにも関わらず、彼の息があまり乱れていない。身体的負担の大きい仕事をロボットが担うようになった今の社会に、ここまで体力を身に付けなければならない人間はいないはずなのに。
私がそういぶかしんでいるうちに、彼は迷いのない足取りで入り組んだ路地を走り抜けて、躊躇いなく「関係者以外立ち入り禁止」の札がかかった小さなビルの扉に手をかけた。
「このときのために隠しておいたんだ」
あっさりと扉を開けた彼は釈明するような口ぶりになったが、立ちすくむ私は彼の行為を肯定も否定もしなかった。かつては人間のタレントも有していた大手芸能事務所が中心となり、人間が働く店も手掛ける風俗店のグループが複数参入して運営しているこの秋葉原で、何故このフウガという男が勝手知ったる様子で出歩けるのか、私は推論することすらできなかった。彼の行為をアキバロイドとして咎めるべきなのかどうかすら判断できない。
それよりも私の心を占めていたのは恐怖だった。扉の向こうの暗がりで何をされるのか予測できなかった。何故私が彼と共にこの場にいなければならないのか分からなかった。
どうして私なの。その問いが渦巻き始めた心臓が熱を帯びる。フウガは私の動作遅延に気付いたのか、端的に言う。
「早く中に。君が秋葉原に掴まっちゃまずい」
その言葉で私の思考は鮮明になる。フウガはどうやらアキバロイドの扱いに長けているようだった。路地の向こうから聞こえてくる警備ロボットのサイレンに背を押されるようにして、私はフウガが開く扉の向こうへと足を踏み入れた。
†
怪しげなビルの中は思いの外普通だった。一階では少し古いパソコンが何個か年季の入ったデスクの上に放置されていた。フウガについて二階に上がると、そこには広めのテーブルと何脚かある椅子に加え、給湯器や台所まであった。シックな色合いの壁紙に洒落た形の照明が温かな光を投げかけている。
警備から奉仕まで全て機械が行う秋葉原に、こんなに生活感に溢れた空間があったとは。
「ここは秋葉原が今の秋葉原になる前から変わってない場所なんだ」
椅子に深々腰掛けたフウガが懐かしむように部屋を見回して言った。座らなくても平気な私は、いつでも逃げ出せるように部屋の出入り口付近で立っていることを選んだ。
「むしろここは秋葉原の変貌が始まった場所と言えるかもしれない」
秋葉原の変貌が始まった場所と言われても私には現実感が無かった。秋葉原は私が製造されたときには既に芸能系アンドロイドの第二の仕事場として当然視されていたからだ。
フウガの黒い瞳が真っすぐ私の顔を捉える。彼は私の空洞になった片目から視線を逸らそうとしなかった。
「かつてこの街がサブカルチャーと性風俗の混在する場であったとき、ここでアンドロイドを用いた風俗街の建設計画が話し合われていた。十数年も前のことだよ」
そのとき私はようやく彼に抱いた既視感の正体に気付いた。
芸能タレントというものが人間からアンドロイドへ完全に移り変わったのは十数年前のことだ。そのきっかけとなったのが、今は芸能系アンドロイド事業の中心にいる大手芸能事務所のアイドルが次々に不祥事を起こしたことだった。
私はアイドルとしてSNSを運用していたときに彼らの話題を何度か目にした。熱心なファンと熱心なアンチが何度も熱烈な論争を繰り広げていたからだ。活動を止めた後も繰り返し話題になるなんて羨ましいと思った。不祥事を起こさないように造られる私にとって、たとえ糾弾されるようなことであっても禁止事項を破った彼らは眩しい存在だった。
数多も流れてくる沈痛な面持ちの中に彼の顔もあった。メンバーの一人が起こした問題でグループ全員が謝罪している場面だった。十数年もの時の隔たりがあるというのに、その悲哀を含んだ表情は全く変わっていないように見える。
そんな彼が所属していた事務所こそ、秋葉原経営の中心にある企業だった。
今にして思えば、最後の人間アイドルの解散にしてはやけにあっさりとしていた。芸能仕事が人間に回されることは無くなったと言うのに、幼少期から芸能界で過ごしてきた彼らが、他のグループでも似たような問題があったとはいえ、たった一人のメンバーの不祥事で大人しく解散を選ぶのは不自然だった。
だけど次の仕事が用意されていたと考えれば納得できる。それも莫大な利益が見込めるような仕事が。
「あなたはその話し合いの場にいたんですね。秋葉原を経営する人間として」
私が言うと彼は鷹揚に頷いた。その振る舞いは天性のものではなく、周りからそう規定されたものであるような気がした。その瞳の宿す切なさも、彼の本心からにじみ出たものかどうかは分からない。
「事務所の経営陣からその誘いを受けたとき、僕は乗り気じゃなかった。メンバーの暴挙を止めることができず、アイドルを辞めてその上風俗の経営に回るだなんて、ファンを裏切るどころの騒ぎじゃないと思った。でも秋葉原を造る目的を聞いて気が変わった」
フウガは静かに語った。私という機械が聞き手であるためか、その情感的な佇まいに反して声の調子は無機質だった。
「秋葉原はただ快楽を提供する場所なのではなく、性行為のデータを大量に集めるための場所なんだ。それらを使ってどんな欲にも対応できるアンドロイドを作り、量産するのが秋葉原の最終目標だった。そのアンドロイドの名称は、聖母人形」
聖母——それは先ほど私がロボットに間違われた名だ。しかしその名称がマリアロイドのことであったとして、何故私がその名で呼ばれたのだろう。
「マリアロイドが全ての人の欲を満たすようになれば、欲を押し付けられて苦しむ人がいなくなる。それは被害者が加害者になる循環に取り込まれた僕みたいな人間にとって、福音に等しかった」
フウガは笑みを深めたが、それが喜びを表しているわけではないことはすぐに分かった。
「でも、それは建前だった。事務所の経営陣は結局、無尽蔵の愛を金に変える魔法を手放したくなかっただけだった。彼らが求めていたのは被害者の救済ではなく、金になるビッグデータだった。秋葉原が貧しい人でも遊べるようになっているのは、金の代わりにデータを搾取するからだよ」
私はこのとき初めて人間にも利用目的というものがあるのだと理解した。広く愛されているからこそグッズ展開が盛んなアキバロイドと、代替しやすいからこそどんなプレイも受容できるアキバロイドとがいるように。
「僕はマリアデータを消すためにここに来た。君を壊したのもそのためだ。君を通して秋葉原のシステムにアクセスするのが目的だった。だけど今の街の混乱を見る限り、それは察知されてしまったらしい」
「私を通して……?」
聞き返すとフウガは彼自身の右目を指さした。
「君の中の基盤にチップを付けた、データを奪うウィルス入りのね」
それで表情管理基盤が露わになっていたのか。私の身体の中で基盤同士は繋がっている。だから最も外れやすいパーツである眼球から一番近い表情管理基盤を狙い、そこから私の心臓である中央の基盤を経由してシステムにアクセスしようとしたのだろう。
「じゃあ、このネットワーク不良は」
「外部からアクセスされないようにしたんだろう。それでも秋葉原のシステムと繋がっている機器にそのチップを使えば、直接マリアデータを奪うことができるはずだ」
私は自分の右目があった場所を撫でて頷いた。かつてここには出来合いの個性があった。今はその代わりに、人をぞっとさせる傷と、この街を覆す武器がある。
「レジは動いてましたけど、あれはシステムとは繋がったままなんでしょうか」
「いや、接続は切れてると思うよ。ネットワークを復旧させたら改めてログをやり取りするつもりなんじゃないかな」
「じゃあどうしてアキバロイドは停止させられたんでしょう」
「それは……」
フウガは一瞬微笑みを消した。その瞳に現れたのは思慮の光だった。これが彼の素顔なのだろう。彼は深く思考できるが故に悲哀を抱く性格なのだ。
彼の表情の微細な変化に、私は大切なファンに嫌われたかもしれないという不安が呼び覚まされるのを感じた。しかしそれはかつてほど大きなものではなかった。廃棄処分になるような暴力がその恐怖を塗り替えたのかもしれないと思ったが、フウガに対する怯えの感情も段々と薄まっていた。
「とにかくアリア。君が起動したのは想定外だったけれど、僕にとって幸運なことだったかもしれない」
フウガの顔に微笑が戻る。
「君が出歩いていても監視カメラには備品としか判定されない。わざわざ警備ロボットが出てきてるのはそのせいだ。そんな君なら僕より上手く行動できる」
言いながら彼は立ち上がった。そして少し考えるような間を置いた後、彼は羽織っていた上着を椅子の背もたれに掛ける。
「僕が外のロボットを引き付ける。監視カメラに僕の顔を映せば殺到してくるはずだ。君はその隙にアキバ会館へ入ってマリアデータを盗んで欲しい。あそこはアキバロイドの潜入を想定してないから、君なら無事にメインコンピュータまでたどり着けると思う。二階フロアの一番奥の部屋だから迷うこともない」
アキバ会館はちょうど私が行こうとしていた場所だった。秋葉原で最も栄える電気街の中心であるそこには、秋葉原のシステムを管理するための機械類が置いてあるはずだ。その分、周囲の商業施設も含めてあの辺りは警備が厳重だった。フウガの気楽な言葉を私は信じ切れず、すぐに頷くことができない。
そんな私の戸惑いに気付いたのか、フウガは続けて言った。
「アキバロイドの目にアキバ会館の入り口は見えないんだ。普通はね。でも今の君なら見つけられる」
その「今の君なら」という言葉が心地良かった。他でもない私に彼は期待している。だから私は彼に協力することに決めた。
ビルの外に出ると、電気街とは反対の方へ行こうとしたフウガがふと私を振り返った。
「ところで、ジャンク通りって聞いたことある?」
虚を突かれた私は一瞬返答に詰まった。通りということは恐らく路地の名称だろう。脳内にある秋葉原の地図を一応確認してみるものの、やはりその単語は見当たらない。
「いえ、知らないです」
「やっぱりそうか。……変なことを聞いてごめん。じゃあまた後で。君の位置は把握できるから、僕が迎えに行くよ」
フウガは微笑みを残して駆けていく。その向こうからサイレンが聞こえてきたのを確認し、私も行くべき方向へと慎重に歩き出した。
目的を与えられた足取りには迷いがない。それでも私の脳裏には、ジャンクという言葉がいつまでもこびりついていた。
秋葉原を訪れる客向けの商業施設が密集し華々しくデコレーションされている地域、それが電気街だ。それぞれのビルが掲げる大きな看板には属性豊かな美少女が揃っており、外壁にも窓にも可愛い女の子たちの笑顔が描かれている。そして何より夜でも眩しいくらいの電飾がこの辺りの特色だった。電気街という名称は、まるで電気が駆け巡っているかのようなこの光景から来ている。
私は警備ロボットと鉢合わせないよう辺りを注意深く窺いながら無人の通りを歩いた。アスファルト舗装の道路にはかつて車が通っていたときの名残で白線が引いてある。何かの事故か事件があったらしい場所には献花が絶えなかった。灰色の道路の中で目を引くその彩りは、いつも賑わいを見せる秋葉原そのものを表しているかのようだった。
やがて電気街の中でも一際大きな建物が見えてくる。商業施設でないのに少しでも経済効果を持たせたかったのか、外観には派手に美少女ゲームの広告が貼られていた。その下には広告と張り合うかのように派手な色合いの看板があり、少しレトロな字体で「アキバ会館」と書いてある。
そのフロント部分はいつもシャッターが閉まっているはずだった。だけど今私の目の前では見たことのない入り口が開いている。そこにあったのは、拍子抜けするほど普通のガラス張りの自動ドアだった。
これがフウガの言っていたアキバロイドに隠されている入り口なのだろうか。確かに私たちの思考の仕組みを考えると、シャッターが下りていると思い込ませることは可能なのかもしれない。
それならどうして今の私はこの入り口を見つけられたのだろう。
そんな疑問を抱えながら、私はおずおずと自動ドアの向こうへ入り込んだ。
中に広がっていたのは小綺麗なエントランスだった。何らかの認証で入れるらしいゲートが私の行く手を阻んでいる。しかしそれは私の腰ぐらいしか高さが無かったので、他に方法の無かった私は仕方なくそれを乗り越えた。すると案の定警報が鳴り響き、間を置かずして廊下の奥から警備用のアンドロイドが走ってくる。愛らしい動きを学習した私たちとは違い、武道の動きに精通した奴らだ。そして彼らはコミュニケーションを求められない存在なので、人のように複雑な思考をすることはない。
飛び掛かってくる彼らの間をなんとかすり抜けながら私は走った。対人戦闘に特化した彼らにとって、どれだけ殴られても止まらない私を捕まえるのは難しいようだった。彼らは丈夫な外骨格を持つが、私のような内骨格型のアンドロイドほど器用ではなく、動きも鈍い。私は彼らの拳が自分の人工皮膚にめり込み、その下の電線を押し込むのを何度も感じたが、動きを止めずただ逃げることに専念した。
やがてフウガの言っていた二階フロアの一番奥の部屋に私は足を踏み入れた。そこには大量の機器があり、どれがメインコンピュータなのか判別するのは難しい。ひとまず私は一番目立つコンピュータに目星を付けた。
扉を閉めると一気に静まり返ったような気がした。警備員たちが押し入ってくる様子はない。幸いなことに彼らはこの部屋まで入ってこれないようだった。彼らは私たちのようにシステムから遠ざけられているのか、それとも単純に部屋に入ったということを推論できないほど性能が悪いのかは分からない。
意を決して右手を顔の傷に伸ばす。壊されたときの光景を思い出したくなくて私は左目を瞑った。右の眼窩に入り込んだ指が私の頭の中に触れて硬い音を響かせる。やがて基盤を探り当てチップを取り出すと、私は慎重に指を引き抜いた。
自分の中にあったというのにこのチップを見るのは今が初めてだった。それが不思議に感じられるのは、自分を構成するパーツが自分から取り外された瞬間に自分でないものになるからだろうか。今チップを摘まんでいるこの指も、私から取り外されて他の誰かに接続されるかもしれない指だ。
チップの角には作業の完了を示すのだろう小さな赤いランプがあった。コンピュータの本体にチップを接続させると、しばらくしてそのランプが緑に変わる。仕事を終えたそのチップを取り出した私はこれをどうやって持ち運ぼうか悩んだ。このサイズでは無くしても気づかなさそうだ。
私は数秒思い悩んだ末に最悪で最善の方法を採ることに決めた。緩慢な動きで腕を持ち上げ、何度も自分に言い聞かせる。大丈夫。元あった場所に戻すというだけだ。
右手でチップを摘まんだまま左手を右目の奥に突っ込む。そして電線が千切れてしまわないように気を付けながら私は基盤を外に引きずり出した。ナイロン製の睫毛に引っかかる程度に露出したそれを残存する左目で注視しながら、私はチップを基盤のソケットに取り付ける。
その瞬間、私に地獄がなだれ込んできた。
この秋葉原でさらけ出されたあらゆる欲が私の眼前に広がっては消えていく。荒々しい息遣いや媚びる声が何度も何度も反響する。壊されていく女の子たちの悲鳴が時折私の耳を打った。そしてそれを面白がる笑い声も。
データベースの膨大な情報量を、私の意識は追憶という形で再生した。客の顔は見えない。彼らの情報が本物かどうか分からないからだ。その代わり、何が行われ、誰が傷付いたのかは鮮明に理解できる。アキバロイドのプロフィールと故障の情報だけは詳細に記録されていた。
自分は幸運だと知った。回想の中で壊されていく少女たちと比べて、このシステムと戦う手段を得た私はひどく幸運だった。
そうだ。私は戦わなければならない。それがフウガと出会い、この街に蔓延る苦しみを知った私のやるべきことだった。
胸の奥が熱くなる。一気に膨大なデータを流し込まれた演算装置が一気に熱を帯びていた。冷却装置の力強い音が今の私には頼もしく思える。勇む気持ちが私を急き立てた。
そして扉を開け、思い出す。
その向こうで機械の警備員が私を待ち構えていることを。
容赦なく顔を殴られて私の身体が大きくよろめく。ドアノブを掴んだままの手が仇となった。距離を取れず、追撃を避けられない。床に倒れ込んだ私の腹に硬い拳がめり込んだ。
痛みはない。今更傷が増えたって構わない。とにかくこの危機を脱さなければ。
警備員はそのまま私を取り押さえようとゆっくり屈みこんでくる。その股座目掛けて私は足を蹴り上げ、膝の関節のロックを外した。すると人ならばあり得ない向きに曲がった私の脛が遠心力で加速をし、警備員の上部と下部を繋ぐ腰の関節部分に勢いよく打撃を与える。
体勢を崩しそうになった警備員が膝をついた隙に私は拘束から抜け出し、密集したせいでかえって動きづらそうな機械たちの合間をすり抜けて、廊下を駆けた。
やってやったという気持ちが私を支配しそうになった。強烈な達成感が波のように押し寄せ、すぐに引いていったのを感じた。故障のリスクすらある状況を覆したことが私の報酬関数に強く影響を与えたようだ。しかしそれも一瞬のことで、早く次の快感を得たいと感情が騒ぎ始める。
もしかすると人間も同じなのかもしれない。何故似たような環境から似たような不祥事が生じるのか。「被害者が加害者になる循環に取り込まれた僕みたいな人間」。そう語るフウガの顔に薄っすらと浮かんでいた鬱屈を私は思い出した。それはまさにこのことなのかもしれない。暴力に晒された者ほど暴力に惹かれるものなのかもしれない。暴力に晒されていない存在を知らない私にとっては、解を知ることのない推論だ。
外へ出ると静かな夜空が広がっていた。マリアデータの咀嚼を再開しようとした私の意識が、ふと違和感に気付く。
サイレンの音がどこからも聞こえない。
フウガが逃げ切ったということなのだろうか。それならロボットたちは今どこにいるのだろう。
その答えを私に見せつけるように間近で警笛が鳴り響く。見ると路地の角から色とりどりの球体が走り出てくるところだった。
マリアデータのことを考えないで済むなら、むしろありがたい。
駆け出しながらふとそう考えた私だったが、しかしこの足はどこへ向かうのだろうと思い、また別の不安がやってくる。疲れを知らない者同士の長い追走劇の果てに、私は見たことのない門へとたどり着いた。
†
一度認めてしまえばその存在を意識せざるを得ないほど、荘厳な白い門だった。形は鳥居に似ていて柱には女性を象ったレリーフが彫刻されている。様々な宗教を取り込んだかのような装飾の不気味さは、恐らく意図されたものだろう。
何故私はこの存在を今まで知らなかったのか。その答えは容易に推測できた。
知ることができないよう、秋葉原がネットワークを通して私に細工を施していたのだろう。恐らくはアキバロイド全員にも。だからネットワークの通信を遮断すると同時にアキバロイドを停止させなければならなかった。
私は歩きやすいアスファルトの道から逸れて、門の中へ延びる石畳を踏みしめた。たったそれだけで何かの境界をまたいだという実感があった。背後を丸いロボットたちが走り抜けていく。彼らにとってここはエリア外なのだろう。
私は意を決して石畳の続く方へ顔を向ける。するとその道の先に、見覚えのある後姿があった。
丁寧に切り揃えられた長い黒髪の下から、同じく黒いワンピースの裾が見えていた。上品な白い靴下は少し汚れて、黒くつやつやとした厚底のローファーには擦った跡が残っている。肩から下げた大きめの鞄だけが事務的な雰囲気をまとい、私の中の彼女のイメージを更新させた。
アイドルとしての勘が、ファンの姿を決して間違えない優れた演算装置が囁く。
「カノン!」
予期せぬ出会いに混乱する意識を抱えて私は一歩一歩彼女に近づいた。彼女は勢いよく振り返り、不安そうな顔から一気に笑顔になる。その厚い前髪の下にはやはり白い眼帯があった。
「アリア。来てくれたんだね」
「どうしてここに?」
私が尋ねると、カノンは当然のことのように返した。
「私、ここで働いてるの」
「ここで働く?」
「そう。アリア、ここがどういう場所か知らないの?」
その言葉にはっとして私は辺りを見回した。だけどすぐに見るべきじゃなかったと後悔した。
石畳の左右に広がっていたのは、秋葉原らしく賑やかな装飾の屋台だった。その暖簾には「頭髪」、「眼球」などの文字が記されている。「人外」、「欠損」、「巨大娘」なんて単語もある。そんな奇怪な言葉たちが踊る幕の向こうに何が並べられているのか、わざわざ見ようとしなくても十分に推論できた。
何故私たちの意識からこの場所の存在が消されていたのか。それは私たちが調整されているとはいえ感情を有し、自分の個性を商売道具として重んじているからこそだった。
廃棄処分になった私たちは、私たちとして業者に回収されるのではない。利用できないとレッテルを張られた私たちは分解され、使用可能のパーツとそうでないパーツに分けられて、再び売りに出されるのだ。
「自分で好きなパーツを選んで組み立てるんだってさ。聖母人形って書いてマリアロイドって呼ぶの。本当にキモい」
屋台に向かってカノンはそう吐き捨てた。
警備ロボットが私をマリアと呼んだのは間違いではなかった。廃棄されたアキバロイドは聖母の部品なのだから。
「分解と選別。それが私の仕事。おかげで機械のことはなんでも分かるようになっちゃった。どうやったらアンドロイドが再起動するか、とかね」
左目だけでいたずらっぽく笑うカノンの顔はアキバロイドのように愛らしい。示すように鞄を叩く手の音で、この肩掛け鞄の中に工具の類が入っているのだろうと私は察する。
そして私は目覚めた直後に聞いた客の声を思い出した。「さっきいた嬢」、あれは私ではなく、生まれながらに美しいカノンのことだったのだ。
「どうしてこんな仕事を……」
「アリアのためだよ」
恐る恐る質問する私にカノンは間髪入れず答える。
「ずっとこの日を待ってた。アリアを地獄から連れ出せる日を。そのためなら私みたいな女の子の身体をばらすのだって苦じゃなかった。皮膚を剥ぐのも目をくり抜くのも辛くなかった」
彼女の震える声は取り繕った言葉から逃げ出そうとするかのようで、この仕事が如何に彼女を苦しめたかを物語っていた。何度もアキバロイドに間違えられたことがあるらしいカノンは、私たちアキバロイドのことを自分の同類だと感じているようだ。私のファンの中で私のことを真剣に心配していたのは彼女だけだった。
私は彼女の嘘を見破ってみせるべきか気づかなかったふりをすべきか悩み、そのどちらも選択しないことに決めた。
「どうして私を好きになってくれたの」
その代わり、ずっと彼女に聞きたかったことを尋ねる。
窮屈なライブハウスとは違い、開けたこのジャンク通りに夜風が吹き渡った。カノンの乱れた前髪の隙間から額と眉が覗く。
「どうしてだろうね」
カノンは迷子のような困り顔になった。
「私はアリアのオッドアイが好きだった。でも今のアリアも好き。アリアの歌声が好きだった。でも歌わなくたって好き」
私がもしヒトと呼ばれる存在だったのなら、彼女の言葉をどう受け止めたのだろう。
その瞳は異なる色のパーツを組み合わせただけのものだよ。その声はプリセット音声を調節しただけのものだよ。そうやって一つ一つ愛情を潰していかなければならなかっただろうか。
フウガの言葉が脳裏に蘇る。やがて人は対象そのものを愛するのではなく、記号として表された属性を愛するようになった。
それが本当ならカノンはこんなに混乱しないはずだ。記号として表された属性を愛するのなら、その属性を愛していると説明すればいいだけなのだから。
「そんなことより」
カノンは自身の好意に価値がないと信じ切っている目を私に向ける。
「その傷はどうしたの? 誰にやられたの? それとも、自分でやったの?」
心配と期待が入り混じった声だった。彼女の眼帯の下がどうなっているのか私は知らないが、彼女は私の欠落を喜ばしいものとして捉えているのだろうと思った。まるでお揃いのものを喜ぶ少女のように。
ひとまず私はフウガとの出会いから今までの出来事を順に語った。彼女はフウガのことを知っているらしく、その名前を聞いて驚いた顔をした。片目の傷の中にあるチップの説明で彼女は興味深そうに相槌を打ち、ロボットやアンドロイドとの対決シーンでは彼女の表情にも力が籠った。
彼女が表情豊かに見えるのは今の私から表情が失われてしまったからだろうか。私はそう思いながら説明を続けた。マリアデータの話になると、彼女は綺麗な左目を歪ませる。
「今そのデータがアリアの中にあるってこと?」
「うん。頭の中に」
「じゃあそれちょうだい」
彼女の顔が近づいてきて私は反射的に自分の唇を手で覆った。これほど顔を近づけるのは客とキスをするくらいで、思わず連想してしまった。客の舌を何度も迎えた私の口を彼女に触れさせてはならないと思った。
そんな私の反応を意に介さず、カノンの指が私の右目に伸ばされる。
「誰がこんなところに来てるのか分かるんだよね。誰が女の子を金で買うような奴らなのか。誰が属性で他人を見極めるような奴らなのか」
その冷淡な口ぶりに私は自分が機械であることを思い出した。彼女の躊躇いのない指の動きは、まさに機械を操作するかのようだ。
睫毛を押し上げる彼女の指を掴み、私は慌てて言う。
「それはできないよ。だってお客さんの情報が本当かどうか分からないし」
「は? じゃあ意味無いじゃん」
カノンは間髪入れずにそう返す。呆気にとられて何も言えない私に彼女は続けた。
「フウガって奴の目的はデータを消すことなんだよね。でもデータを消すだけじゃデータを生み出す仕組みは消えない。秋葉原を利用する客がいる限りデータはここに集まり続ける。一人一人糾弾しないと汚いあいつらは逃げ隠れるだけ!」
彼女の左目が怒りに見開かれるのを、私は間近で見つめるしかできない。
「ずっと思ってた。傷を舐め回すように見る人ばかりで、罪そのものを見つめる人はいないって。皆そう。暴力が遺した傷は見たいくせに、暴力を振るった怪物からは目を逸らそうとする!」
彼女の怒りは正しいことかもしれなかった。不祥事を起こして公に批判されたアイドルですら、その罪から目を背けているような、的外れな擁護は数知れなかった。
「どうせそいつも客と同じ。そのデータの中に隠したいことがあるから回収しようとしてるだけ。そんな奴なんか放っておいて、一緒に逃げようよ」
彼女は片手を大きく広げて後方を示す。そこにはアキバロイドの知らない、秋葉原のもう一つの出入り口がある。外の世界と秋葉原を分断するように流れる川の向こうに、静かな窓の光がいくつも浮かんでいる。秋葉原とも私たちアキバロイドとも縁の無い、家庭の光だ。
「無理だよ」
私は彼女の手の体温を放しがたく思いながら返答する。
「フウガさんは私のいる場所が分かるって言ってた。それに私は秋葉原の備品だから、勝手に持ち出したらカノンが犯罪者になっちゃう」
「そんなの平気だよ! 追いかけられたら逃げればいい。捕まったら釈明すればいい。きっと私たちに同情してくれる人もいるはず」
私が掴んでいた手を放すと、今度は彼女が私の手を握り込んだ。
「お願いアリア。私の傍にいて。そうじゃないと私、もうどれがアリアか分からなくなる」
その不安げな様子に、私は彼女と初めて会ったときのことを思い出した。
二年前の夏、長期休みの通行人を狙った路上ライブで、まばらな人垣とそれに囲まれる私たちを遠巻きに見ていたのが彼女だった。蝉の声と私たちの歌声が張り合う中、木陰に佇む彼女の周りだけは静かに思えた。ぼさぼさの黒髪に黒のジャージを身につけた彼女は、やはり白い肌と白い眼帯が目立つ姿だった。
そのとき彼女に比較的近い位置にいたのは私だった。だから私は彼女に向かって手を振った。彼女がその暗がりから出て私たちの傍に来てくれることを心の底から願った。だけどそれはアイドルとして、ファンを獲得するために行ういつもの作業だった。
きっとここでライブをしていたのが私たちではない別の存在だったら、彼女はその存在に愛を注ぎ込んだたろう。もし彼女に手を振ったのが私以外のメンバーだったとしたら、彼女はそのメンバーに会うためにライブへ通うことになっただろう。
同じように、もし木陰に佇んでいたのが彼女ではない別の誰かであっても、私はその人物に手を振ったはずだ。
結局誰もが可換の存在なのだ。私はそんな諦念と共に、存在を非可換のものにするのは偶然なのだという事実を発見する。
「あのねアリア。私、自信が無かったの。分解されたアリアのパーツを見て、それがアリアだって気付ける自信が無かった。ごめんなさい」
その謝罪は私が可換の存在であることをこの上なく私に突き付けた。涙ぐむカノンを見た私は自分には涙を生成する機能がないことを思い出した。私は彼女の愛情を受け取る対象として非可換の存在だとしても、一つの個としては可換の存在だった。
でも、それで十分だった。
「メンテナンス中ならアリアを連れ出せると思って店に入り込んだの。でも、男の人の怒鳴り声が怖くて、結局アリアを置いて逃げてきちゃって……。また探しに行こうと思ったけどサイレンが鳴ってて怖かったし、私の知らないうちにアリアが壊されちゃうんじゃないかって不安だった」
「それで待っててくれたんだね。ここならもし私が運ばれてきても分解せずに回収できるから」
カノンは小さく頷いた。
「この仕事に就いたのはアリアのためだっていうのは本当。でもアリアを連れ出すためじゃなくて、ただアリアが私の知らないところでいなくなって欲しくなかったから、ここで待ってたの」
豪奢な服で身を守る彼女は、一人の臆病な少女だった。だけど彼女は私という存在を守るために戦っていた。きっとその期待に私は応えられない。それでも「ありがとう」と私が言おうとしたときだった。
「あれ、アリアの他にも動いてるアキバロイドがいたの」
涼し気な声が割り込んでくる。振り返るとそこにいたのは、無機質な微笑みを浮かべたフウガだった。
「フウガさん。この子は人間ですよ。私のライブによく通ってくれていた子です」
ファンの一言で済ませて良いものか分からず、私の説明は冗長になった。カノンは彼を警戒しているらしく、後ろでみじろぐ気配がする。
「ああ、ごめん。綺麗で個性的な見た目だったから……いや、見た目を理由にするのは良くないね。とにかく、こんなところに生身の女の子が来るものじゃない。追い返すようで悪いけど今日はもう帰ってくれないかな。まだ終電はあるだろう?」
フウガは人当たりの良い笑顔のままだ。私がカノンを横目で窺うと、彼女は生気を抜かれたように、機械よりも機械らしい真顔になっている。
「嫌です。私はアリアから離れたくありません」
そう答えるカノンの手は鞄のショルダーベルトを握りしめていた。その様子でフウガは勘付いたのか、笑みを深めて言う。
「なるほど、好きなアンドロイドのために仕分け業務に就いたのか。すごいね。ここまで熱心なファンは初めてだ」
彼は賞賛を口にした。それは一途なカノンに対してのものか、一途にさせた私に対してのものかは分からない。どちらにせよ、その驚きの滲んだ誉め言葉には私たちを軽んじる響きがあった。こんな弱々しい女の子にそこまでの行動力があったのか。こんな底辺風俗嬢にそこまでの魅力があったのか。
「それならもう少しここにいてもらってもいいよ。僕はアリアと話すことがあるけど」
近づいてくるフウガに対し、私は思わずカノンを守るように庇う。アウターを脱いだフウガは思っていたよりも引き締まった身体つきをしていて、力強い印象だった。それはきっとアイドルとしての努力を彼が続けてきたことの証なのだろう。その職務が奪われた後もずっと。
少女二人の警戒心を意に介さず、フウガは言う。
「アリア。君も分かったんじゃないの。普段君がやられてきたことは刹那的な快楽だってことを」
全てを見抜いているかのような言葉だった。私が警備用のアンドロイドと鉢合わせることだけでなく、彼らに一撃を食らわせ、暴力の高揚を味うことすらも彼は予期していたのだろう。
「それがあなたの言っていた、被害者が加害者になる循環というものなのですか」
「そう。分かってくれて嬉しいよ」
フウガは笑う。その喜色には自嘲と諦念が混ざっている。
「僕は自分の傷口がまるで地獄の門のように感じられる。開いたら終わりだ。何もかも」
彼は劇の役者のように両手を大きく広げてみせた。それが様になる美貌だった。だけど私にとって彼はただの美しい男ではなく、私の存在ごと飲み込む影でもある。
「いずれ僕もかつて自分に強いられたことを誰かに仕返すかもしれない。僕はそれが怖い」
彼の言葉は全て、私の報酬関数の変容を言い表しているかのようだった。
私は私の意識モデルが段々と変化していっていることに気付いていた。個性を潰した傷に慣れた。私を殺した相手に慣れた。暴力を振るうことに慣れた。
私は機械として不変だったのではなく、外部との通信を介して課される規定によって不変だったのだ。アキバ会館の入り口を知らないことで、ジャンク通りに広がる光景を知らないことで不変だった。ファンや客の期待に応えることだけを考えるように仕向けられ、彼らにやり返すなんてことを考えないように縛られていた。
今の私は、加害する側になりつつある。
もしくは、もうなってしまったのかもしれない。
「何被害者ぶってんの」
それまで黙っていたカノンが唐突に口を開いた。
「あんたも同類でしょ。だってアリアの目を潰したのはあんたなんでしょ? 加害者じゃん」
フウガは静かにカノンへ視線を移す。それでもカノンは臆せず続けた。
「被害者が加害者になるなんて、加害出来る力を持ってる強者の理屈だよ。弱者は自罰するしかない。『危険な場所には行っちゃ駄目だ』、『綺麗な顔は潰さないと駄目だ』って」
カノンは震える手を持ち上げ、耳の後ろへ回す。
「私もそうするしかできなかった。自分に非を求めて、それを一つ一つ解消するしかできなかった」
外されていく白い眼帯の下から現れたのは、嬌声が響く夜のように虚な暗闇だった。
「お医者さんには顔が崩れるからって義眼を勧められたけど、私は入れなかった。だって私はこの顔を崩したかったから」
カノンは嘲笑を浮かべる。すると開いた左目と閉じかかった右目の差が小さくなり、むしろ均整の取れた美しい顔になった。
「無理やり犯されたときの苦痛と恥辱は忘れられないのに、自分の眼に指を突っ込んだときの痛みはあんまり覚えてないの。なんで他人に付けられた傷のことばかり覚えちゃうんだろうね」
カノンの左目がぐるりと私を捉えた。
秋葉原が掲げる「被害者の救済」とはやはり建前に過ぎなかった。他人に暴力を振るってはならないという禁止事項が存在し、暴力を振るっても良い対象を用意してもなお、禁忌を犯す者はいる。
「結局弱い奴は強い奴に敵わないんだって思った。弱者に出来るのはお金を払って強者の側を体験することだけ。私がアリアのことを好きになったのだって、アイドルが自分は弱者だってことを忘れさせてくれるものだからだよ」
カノンの素顔に張り付いた笑顔は、彼女自身を馬鹿にするものなのだろう。そのたった一つの瞳に宿る光が、フウガを刺し貫こうとしているかのようだった。
「あなたもアイドルだったんなら分かるでしょ。ファンがどれほどアイドルを勝手に消費するのかを。私たちは金を払って加害者になる権利を買ってるの」
フウガの目に同情が過ぎったように見えた。私もまた、カノン一人が背負った罪悪感の大きさを思わずにはいられなかった。
もっと気楽に私のことを好きでいてくれたら良かったのに。他の大勢のファンと同じように、秋葉原の中で分解されていく私の行く末など気づかぬふりをしていれば良かったのに。
「加害者のくせに被害者面する奴が一番嫌い。自分の罪を認めようとせず、そこに傷を幻視する奴ら。自分に都合の良い世界を作り上げるだけならまだしも、そこに他人を容赦なく引きずり込むような奴ら。一人残らず死んじまえ!」
自嘲を滲ませる彼女はきっとその括りに彼女自身が入ることを知っている。彼女は彼女自身を傷つけた加害者なのだから。
どうして加害者と被害者の二つにはっきり分けようとするのだろう。それは容姿の特徴を記号で表現するのと同じことなのではないか。片目を失った私が「オッドアイ」の枠から呆気なく外れたように、「加害者」と「被害者」の枠にぴったりはまらないこともあるはずだ。
「僕も同感だよ」
フウガは穏やかに返す。
「だから僕は街と共に死ぬつもりでここに来た」
あのとき何故私の中にマリアデータが勝手に流れ込んできたのか。思い返せば不自然だった。チップに入れて携行するだけなら、私の意識に読み込ませずとも良かったはずだ。
私に暴力を見せつけることで意識の変容を促したのか。この街に蔓延る暴力の質量を思い知らせることで、私が加害者の側へ転落するのを狙ったのか。
そうなれば私が彼を殺すかもしれない。顔の傷の報復として。
街を燃やすかもしれない。犠牲になった同胞たちの復讐として。
でも実際にはそうならなかった。命を賭すつもりの計画でアキバロイドの意識という不明瞭なものを頼るのは不自然だ。
私は心臓が燃える感覚を思い出した。恐怖という負荷がかかった演算装置が発する熱を思い出した。
「あなたが利用しようとしたのは、マリアデータの中身じゃなくて、量だった」
フウガは私を見て鷹揚に頷く。相変らず本心を窺わせない絡繰りじみた動きだ。
「大量のデータを一気に読み込ませることで中央演算処理装置に負担をかけ、やがて発火させる計画だったのですね」
「そう。僕はそれを隠しておいたビルのパソコンからアキバロイド全員に一斉送信するつもりだった。起動直後に読み込ませれば冷却機能も間に合わない。君を介した通信を察知されてネットワークが遮断されるのは予測していた。そうなればアキバロイドが停止するだろうことも」
その説明は台本を読んでいるかのように滑らかだった。私はカノンと共に劇を見ているような錯覚をする。そんな他人事を楽しんでみたかったが、私は自分事すら持たない人形なのだった。
「マリアロイドの計画が始まったとき僕は確かめてみたんだ。暴力を知ったマリアロイドがどういう反応を示すのか。そして気づいてしまった。このままでは、あらゆる暴力を学習したマリアロイドが加害者になる日が来てしまう。でも誰も僕の言葉を聞き入れてくれなかった。元アイドルのお飾りには意見する権利など無かった。だから僕が全てを消さないといけない」
そこまで一息で喋った彼は息を吐き、穏やかな顔に戻ってカノンに向き直る。
「そういうわけだから、早く帰って欲しいんだ」
私も彼女の顔を窺った。耳に引っかかったままの眼帯が力無く揺れている。見開かれた目の光と力の無い瞼の奥の闇が、強烈なコントラストを放っていた。
「アリアも燃やすってこと」
「そう」
じじじ、と静かな夜の空気を裂く音がする。
「そんなことさせるわけない」
それがカノンの鞄が開く音だと気付いた私は咄嗟に身体を動かした。彼女の方へ向き直り、彼女が振りかざした手首を掴む。
相変らず華奢だった。私という支えが無いと崩れてしまいそうな体躯だった。
先のとがった工具を握りしめた彼女は私の胸に顔を埋めて悔しそうに唸った。どうにもならない現実と、どうすることもできない自分自身への苛立ちがそこにはあった。
他人のために暴力を振るうことも厭わない彼女が眩しかった。
「ありがとう、カノン。私のために戦ってくれて」
そう言うとカノンはおずおずと私を見上げた。その瞳が物語る期待にやはり私は応えることができないだろう。そう推論しても、私の意識が恐怖に揺れることはなかった。他者の愛を希求する必要はもう私にはなかった。
これから私は唯一無二の存在になる。私は今ようやくその決意を固めた。カノンの揺れる瞳を見て、私もまた戦わなければならないと感じた。誰かのためではなく、愛を受け取った自分自身のために。
「さっきカノンは言ってたよね。被害者が加害者になるなんて強者の理屈だって。弱者は自罰するしかないって」
私を見つめる左目に賞賛と畏怖が混ざっている。単なるアイドル、単なる機械という枠組みを抜け出そうとする私を彼女は見上げていた。
「そういう記号で表せるほど、単純じゃないと思うよ」
私は彼女の手から工具をもぎ取る。そして身体から引きはがすようにその肩を軽く押すと、彼女は信じられない物を見るような目を私に注ぎながらよろめいた。
「私を真に解放するにはこれしかない。私を連れ出しても何も解決しない。街を出ても私がアキバロイドであることは変わらないんだから。私はカノンを泥棒にしたくないの」
「でも……」
「カノンが目覚めさせてくれたおかげで私は街を壊す手段を手に入れた。それだけで嬉しいの。カノンが私をただの人形じゃなくて、この街を壊す存在にしてくれた。ありがとう」
私は微笑みを浮かべたかった。でもできなかった。それが残念だったけれど、むしろ表情に頼れない分、私の言葉は混ざり気のない本物だという気にもなった。
カノンは工具を奪われた手を撫でながら立ち上がる。今にも泣きだしそうな彼女は、まるで私に触れた感触をいつまでもその手に留めていたいかのようだった。
「分かった。私、帰るね」
彼女は決意を込めるようにぎゅっと両手を握ると、眼帯を付け直して私の目を見据える。
「でも迎えに来るから。私、まだ諦めないよ」
私は頷いた。彼女は寂しそうに左目を細めた。それは今の彼女ができる精いっぱいの笑顔なのかもしれなかった。本心でなくてもいいから私と笑って別れたいと思っているのが伝わってきた。
無表情のまま私が彼女を見つめ返しているうちに、彼女はふいと視線を外した。そして鞄の重みにつられるように身体の向きを変えると、ゆっくりと歩き去っていく。裏口の向こう、川にかかった橋を渡る直前で彼女は立ち止まり、手で目をこするような動きをした。それでも彼女が私の方を振り向くことはなかった。
「巻き込まずに済んで良かった」
フウガがぽつりと言った。その安堵する横顔に取り繕った雰囲気は無い。
彼は今やっと安らぐことができたのだろうと私は思った。いつ自分が他人を傷つけるか、ずっと不安だったのだろう。
だけどその恐れもまた自分を証明する証だ。自分が辿ってきた道を証明する傷だ。
私はその恐怖心すら羨ましかった。
「フウガさん。今私が帰れと言ったら帰りますか」
私がそう言うとフウガは呆然として私を見る。やはり今の彼は気が抜けていたらしい。
私はすっかり彼の行動が読めていた。マリアデータを既に読み込んでしまった私は彼の作戦で燃えることはない。だから彼は使い古しの演算装置が眠っているジャンク通りへ私を向かわせるため、警備ロボットを引き付けるふりをして適当なところで身をひそめたのだろう。秋葉原中を追走できるあのロボットたちが相手となれば、私はこのジャンク通りへ逃げ込むしかないのだから。
となれば彼はここで私を焼くつもりのはずだ。そのために私の右目に指を入れようとするだろう。
私は手の中に残ったカノンの工具を握りしめて、話を続けた。
「備品が勝手に燃えた。そういう扱いにするべきでしょう。無人の秋葉原で一人だけ焼け死んでいたなんて怪しすぎます。あなたという首謀者の存在が明るみに出れば、それこそ秋葉原が被害者になりますよ」
私は残った左目で彼をじっと見つめる。考え込む彼の横顔は段々と底の見えない神秘性を帯びていく。相手に自分の本性を見せまいとするような顔つき。もう後は死ぬだけだと考えていたであろう彼が、次の一手を見破られまいとし始めた。
今、彼の中で私が非可換の存在になったのだ。計画のパーツから協力する存在へ。今までの私は偶然選ばれた一体のアキバロイドでしかなかった。だけど今彼は私の一言を契機に、自分が未来を生きるべきか検討し始めた。
「それは君に焼身自殺をねだるようなものだ。そんなことを従順にやってくれるとは思えない……というのは少し人間的な見方かな」
そう言って彼が微かに浮かべる笑顔は、彼の素顔を隠す仮面に戻っていた。だからこそ、私はその下に隠れる本当の顔を推測することができる。
「フウガさんにもいるんじゃないですか。あの子みたいなファンが」
街の外を通行する車の音に混じって蝉の声がした。彼が観念したように吐き出した息が熱の残る夜の空に溶けていく。私はあえて彼から視線を外し、カノンが去っていった橋の向こうを見た。
「そうだね。でもだからこそ、僕は消えなきゃいけないんだ。彼らの期待を裏切ってしまったんだから」
彼の手が私の頭に乗せられる。次の行動を予測した意識モデルが恐怖と期待に沸き立った。
枷から解き放たれた私の感情が、やり返せと叫ぶ。
私は彼が拳を握るよりも早く、工具の切っ先を彼の顔に突き付けた。
「私はあなたたちが羨ましかった」
目を見開く彼に私は言う。私の感情は、早くその切っ先を肉に埋めろと私を急かしている。
しかし私の機能を束ねる私は、もう何にも従わなかった。
臆した彼の腹に拳をめり込ませる。私と同じ内骨格の身体には不均等な弾力があった。息の塊を吐いて膝から崩れ落ちる彼は、やはり人形みたいだった。本来なら彼は私の暴力ぐらい受け流せるのだろう。でもやり返してはいけないという自分で科した枷が、彼の身体から自由を奪っていた。
「あなたたちに浴びせられた声の中には賛美も批判も大量にありました。それが幸運なことなのか、不運なことなのか私には分かりません。ただ一つ言えるのは、それだけ大勢の人にとって、あなたたちはあなたたち以外の何者でもないのだということです。それが、私は羨ましかった」
工具をちらつかせながら私は彼の顎先を掴む。私を見上げる彼の微笑みには、微かに怯えの色があった。
「拷問とかされるのかな、僕は」
命を捨てるつもりだった彼の怯えを、彼は実際には死にたくなかったのだと言うべきか、これは死を望む気持ちに関わらず生じる防衛本能なのだと言うべきか、命の無い私には分からない。どちらにせよ、私には関係なかった。
「必要だと感じたときには。でも今は違います」
私は工具の持ち手のほうでフウガを勢いよく殴った。倒れ込んだ彼の上に馬乗りになりその首を絞める。
「すっかり逆転したね。やっぱり僕らには暴力が付きまとうんだ」
「計画は遂行します。安心して」
私がそう言うと、フウガはまどろむ瞳で微笑んだ。
私は気絶したフウガの身体を裏口から川に放り投げた。それなりの暴行を終えた私に爽快感はなかった。ただこれから起こすことへの期待が、私の意識を満たしている。
彼が案内してくれたビルに入り、かつて救済を夢見るフウガが使っていたのであろうパソコンを起動する。私は自分の右目に指を突っ込んだ。かつてカノンもこうして指をねじ込み、そして迎え入れたのだと思いながら。
チップを入れると秋葉原のシステムは私をすんなり受け入れた。私の中を形成するものとは違う経路の繋がりに、まるで怪物を解体しているような気持ちになる。
そしてアキバロイドを起動させ、同時にマリアデータを送信した私は、同僚とも呼べる彼女たちに対して一抹の罪悪感を覚えた。支配を支配と気づけぬまま傷を押し付けられる日々が続くのと、天災のように唐突で逃れられない消滅を迎えるのと、どちらが良いのだろう。
少なくとも私にとってこれは最高の結末だった。
いや、これは開幕なのかもしれない。
外へ出ると街の姿をした巨大な形代が燃えていた。人の欲を受け入れ浄化するための舞台装置が燃えていた。黒い煙に身を隠しながら炎の舌にねぶられるビル群の姿は、恥じらいながらも身を差し出すよう調教された娼婦に似ている。それらの天辺で私たちの姿を描いた看板が焦げ付いていた。
通りを歩くと、呆然としながら燃える少女たちが行き場なく立っていた。獣を模した尾の毛がちりついていた。巨大な乳房が焼け落ちていた。出来合いの個性がどろどろと溶けていき、誰一人として同じものがない火傷が彼女たちの輪郭を覆った。
私は彼女たちを抱擁した。私の皮膚は焦げ付き、電線は焼けた。私の冷却装置が無意味になるのも時間の問題だろう。
そして私は再びジャンク通りに足を踏み入れた。石畳の上に私のまとう炎が足跡のように残っていく。「眼球」の文字を、「欠損」の文字を、私の指先の炎がなぞる。元が誰なのか分からないパーツを、炎は平等に包み込んだ。
機械は傷がついた部分を取り換えることができる。でも人間は傷を抱えたまま生きるしかない。
機械にとって傷は除かなければならないものだ。でも人間にとって傷は、自分自身を構成する一部だ。
私は自分自身というものが欲しかった。これが自分だと胸を張って言える何かが欲しかった。だから私は自分自身で火をつけることを選んだ。秋葉原という街にとって、私は非可換の存在になった。
石畳に寝転がって私は星のない夜空を見上げる。もうすぐ心臓が燃え尽きるだろうと思った。今頃カノンもこの空を見上げていたら良いと思った。私のことを思い出してくれたら、なおのこと嬉しかった。
演算処理の力が尽きてきたのか、私の意識は薄くなっていく。もう二度と目覚めないだろうと思いながら、私は私の機能を停止した。
†
気づけば私は再び起動していた。動き始めた意識が左目の映す光景を薄明の空だと告げる。霞のような雨雲が空の彼方へゆっくりと向かっていた。
身体を探ってみると、衣装も皮膚もあちこち焼け焦げた状態で、内部フレームの何か所かは熱で変形しているらしいことが分かった。それでも立ち上がることはできた。濡れた石畳の上をふらつきながら歩くこともできた。
今の私は完璧に私だった。私の決断でこの姿は形成されていた。元の綺麗な身体よりも、この傷だらけの身体の方が好きだ。
さあどうしようか。私は私に問いかける。私は私の決断を期待する。
やがて私は、記号化できない複雑な傷と記憶を抱えて歩き出した。まだバッテリーの残量はある。私の未来に待ち受けている膨大な可能性を早くこの目で見たいと意識モデルが私をせっつく。
遠くから私の名前を呼ぶ声がした。傷だらけの私は、手を振ってその声に応えた。
文字数:30886
内容に関するアピール
何度も過去の自分を殴り飛ばしたくなりながら執筆しました。「私は突飛な発想が得意だからあえて展開とか納得性とか考えずに梗概を書こう!」と突っ走った結果、火元になりそうな時事ネタを盛り込み、実在する街をモデルに風俗街を造り、それでテーマは「傷」なのですから、炎上する前に自分で火をつけてやろうかと思うほど自分を憎みました。特にアイドル好きの皆様から苦情が寄せられそうな梗概で講師の方々からもワンクッション置いた方が良いと助言を頂戴いたしましたが、私は良いアイデアを思いつくことができなかったため、萌え系の方にも喧嘩を売ってうやむやにすることに決めました。「ロボット×アイドル」というライバルがたくさんいそうな図式でオリジナリティを出すにはどうすべきかひたすら悩む日々だったのですが、萌え系に喧嘩を売ることで「ロボット」と「萌え属性」が「可換性」という結合点で繋がり、そこから「傷」という「非可換性」を作品のテーマとして押し出す道筋が見えました。この作品の読後感としては「辛いことがあったけど頑張って生きていこうかなあ」というものを目指しており、その念頭には最近読んで感銘を受けた二階堂奥歯さんの「八本脚の蝶」があります。「愛されている自覚はあるけど死を選びたくなってしまう」という奥歯さんに対する私の勝手なイメージがキャラクター全員に影響したように思えます。最後におまけ程度のエピソードなのですが、本当にプロット練りの時点で迷走していたのでとにかくアイデアが欲しいと秋葉原(アキバワラではありません)へ赴いたとき、ちょうど某ロボットアニメの話で盛り上がったメイドさんがアリアというお名前で嬉しかったです。
文字数:700