睾猫譚こうびょうたん

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梗 概

睾猫譚こうびょうたん

劇団の主宰に干された挙句、同期の彼女まで寝取られた僕は、俳優を辞めるべきか悩んでいた。四国公演のドライバー要員にさせられ、松山市に2週間滞在することになった。
 憂鬱な日々の中、休演日や合間を見計らって逃げ込むカフェがあった。そこは中心地からほど遠い穴場的な場所で、僕はそのテラス席で、気を紛らわしていた。テラス席にいつもいるササキさんという男性客と親しくなる。見た目は40代のずいぶんと男前な人物で、いつもアイスミルクを飲んでいた。
 何度目かに会った日、ササキさんは打ち明け話をしはじめた。
 それは『猫が睾丸を盗まれる』という話だった。
戸惑う僕に、ササキさんはその奇譚話を語り出す。

✳︎

ある日、ササキさんの家に人間の姿に化けた猫(猫人間)が現れ、ササキさんの睾丸を移植させて欲しいと、訪ねにくる。
 猫人間は理由を話す。
クイユ獣医と呼ばれる男が、野良猫を無差別に襲い、去勢していた。独立した猫の睾丸を食べると、未来の破局が予知可能になるのを知ったQは、政治家やポピュリストに睾丸を高く売り、金を稼ごうとしていた。
 猫人間も数日前に奪われたばかりだった。猫は超能力が宿っており、過去の破局を予知できる力を持っているが、去勢され睾丸を損なうと能力を失われた。

 猫人間はQに仕返しをするため、去勢される間際に、自らの睾丸を片側だけ喰らっていた。それは仕返しを確実に成功させるべく、あらかじめ未来の破局を予知しておくためだった。
 破局の内容は、Qから睾丸の一部を奪い返せるのだが、すべてを回収できず、失敗に終わるという未来だった。
破局を回避するためにはササキさんの協力が必要不可欠と猫人間は言う。なぜなら、ササキさんの睾丸と猫人間の睾丸は、相性が良く、形もサイズも性能もピッタリだという理由だからだった。ササキさんは協力し、猫は睾丸を移植する

2人でQのアジトに乗り込む。力を取り戻した猫人間はQの過去の破局を予知して、全ての睾丸の隠し場所を特定する。Qを倒し、仲間の恨みを晴らすために、猫人間はQの睾丸を両方とも喰らう。
 2人は全ての睾丸を取り戻し、アジトから脱出する。

✳︎

ササキさんの話は、そこで終わる。
その後、ササキさんは猫から睾丸を返してもらったのか。猫は片側だけでも自らの睾丸を移植し直したのか。と、僕は色々と話の続きが気になる。
 けれど「本当に俳優を辞めてしまうんですか?」と唐突に、ササキさんは聞いてくる。
ササキさんに、自分の悩みを話したことなんてなかったので、僕は不思議に思う。
「猫が過ぎ去った破局を予知するワケは、過去に別の可能性を見つける為なんです」と答えるササキさんは、「そうだよね? ササキさん」とカフェのマスターに向かって言う。
 マスターは「このまま正体を言わないままにすると思ったよ」と微笑む。
僕はいままで、猫人間と話していたのだった。僕は猫人間の言う通り、俳優としての破局を振り返ってみた。

文字数:1222

内容に関するアピール

「◯◯の気持ちになってください」 第2期 9回目の課題

僕の知人に無類の猫好きがいます。その人は野良猫を見つけるとオスかメスか、さらにオスの場合、去勢しているかチェックするようで、僕は意味が分からず、ワケを聞けば、繁殖するとかわいそうだから去勢してあげる、との事でした(去勢済みの野良猫は片耳が欠けている、と僕はその時、初めて知りました)。費用も自らで捻出し、野生に返してあげる(または保護する)と。僕は素朴に、野良猫は去勢を望んでいるのだろうか、と思いました。そこで去勢させられる野良猫達の気持ちを、考えてみようと思いました。

あと猫は他人に関心がないようで、とても敏感だったり。田舎と都会では、猫と人間の距離感の違いもあったりして、じつは猫は、何かの能力を秘めているのではないのだろうか、なんて前から思っていました。
 それにしても、去勢された睾丸はどうなってしまうのだろう?

文字数:387

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睾猫譚こうびょうたん

 

なにも考えないことを考えるんだ、ただ呼吸のことだけを考えよう。
 そんなことが大事なのでは、とぼんやり想いながら、僕は松山の商店街を歩いていた。僕はこの土地の人間ではない。そう。たまたま﹅﹅﹅﹅来ていた。いや、来させられた……違うな。連れられてきた、が正しいのかもしれない。なんて言えば、なんだか神秘めいた物言いに聞こえるかもしれないけど、事態は至って最悪だった。いっそ神秘めいていたほうが、もっと色々なことがシンプルに考えられそうな気がした。
 劇団に入って4年が経った。それだけ続けていれば、それなりの配役は与えられたし、出演回数も増えた。最初のうちはエキストラみたいな役ばかりで『なに?』とか『そうだ、あぁ! そうらしいぜ!』と意味のないような事を、意味のある風に叫んでばかりいる新人俳優だったが、いまでは、主役とは言わないまでも、舞台に半分くらいは、続けて出られる役を与えられるようには、なっていた。
 が、ここ数ヶ月で状況は一変した。自分でも何が原因なのか分からない。主宰に干されてしまったのだ。ある日突然、気がついたら、そうなっていた。
 早い話が、役がもらえなくなった。せめて出番が減るなら、まだマシかもしれないが、実際は配役すら無し。つまり僕は舞台俳優ですらなくなったわけだ。では舞台スタッフをやっているのか? 大道具のパネルや椅子や花瓶なんか持って、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり動き回ってるのか、と聞かれれば、それでもない。マイクロバスのドライバーだ。ハンドルを握ってる。東京にある劇団の稽古場から、何時間もかけて劇団員を運ぶドライバーの役に任命されたのだった。
 そんなわけで、四国公演のツアーで着いた初日の今日、愛媛県松山市の街中を歩いていたのだ。
 松山市には2週間滞在予定だった。定宿は大街道の駅から近くのホテルだった。街の中心地だ。近くには商店街も観光地もあるし、路面電車に乗れば、道後温泉だってすぐに行ける。ドライバー以外に何もやる事ない僕は、圧倒的に時間を持て余していたし、正直言って劇団の公演なんて観ていられる精神状況ではなかった。配役がないというのもそうだが、他にも理由はある。同期で付き合っていた女優が劇団にいたのだけど、彼女を主宰に寝取られてしまったからだ。
 ——————寝取られる? そんなことあるのか? と僕は、芸能人のゴシップやらを目にするたびに、あるいはそんな類の小説を読むたびに、一人でツッコんでいた側だったが、あるのだ﹅﹅﹅﹅。『寝取られる』ことは明確に、ある。
 あった。あり続けている。あり続けるだろう。あるに決まっていた。
言い方は何だっていい。とにかく、それは僕の身の上に降りかかり、いまも現在進行形で起き続けている。しかも極めて歪な形で。なぜなら、主宰と彼女が、劇中で恋人同士の役をやっているのだ。O・ヘンリーの短編作品。ニューヨークの公園の設定。張りぼてパネルの前で、それらしいベンチに腰掛けながら。抱き合ったり、抱き合わなかったりしている。これはもう、誰が見たって、僕の被害者的観点に一票を投じてくれるはずだ。
 つまり、架空の物語上の演劇という装置の上だけでなく、演者という俳優としてはもちろん、プライベートでも、彼らは恋人関係を築きはじめてしまったわけだ。なんたる役作り。それはもう、リアリズムを超えたリアリズムに違いなく、僕には表象不可能だった。
 それにしても、干された理由が分からなかった。僕が寝取ったのなら話も分かる。
いくらか可能性を考え、頭をこねくり回してみたが、原因はさっぱり混迷を極めた。
 状況は、まさに最悪最低と言えた。一刻もはやく、この状態から抜け出してしまいたかった。つまり俳優を辞め、劇団を去るべきかもしれない、という思想が、150周くらい頭の中を駆け回り、いつも深い森の中を彷徨った。そのうち辿り着いた先に待っていた言葉は、呪いにも似た、こんな言葉達だ。

『俳優失格』『はいゆうしっかく』『haiyu sikkaku』『ハイユウシッカク』
 『Hi you sick shock』『俳優失格』『はい、YOU、死ッカク』

はは、太宰治か。そういえば太宰治も松山に来たことがあったんだっけ?
 ちがうな松山は漱石か、猫か、我輩は猫である。
「ん?」

 

 【子規堂】

             ——————在りし日の正岡子規に思いを馳せる。

 

………………………正岡子規? 
 歩き続けていたら、ふと、そこの看板にそう書いてあるのを発見した。
 ここは一体どこなのだ? とにかく劇団関係者から遠く離れたくて、南へ向かって歩き続けていたら、すっかり遠くまで来ていた。
 お寺の境内と墓地に挟まれた位置にある【子規堂】。近くに漱石が坊ちゃんを書いてた頃に使われていた、当時の路面電車があるぞなもし。そうか、猫ではなく、坊ちゃんだった。松山は猫ではない、坊ちゃんである。
 僕は【子規堂】を見学した。正岡子規が実際に使っていた家で、中には原稿やら書が飾ってあったり、書斎もあった。子規の部屋は質素で、昔の家でたまに見かける、あのバカでかい硯なんかが置かれてあって、なんだかとっても居心地が良かった。偉そうな感じがしなくて、親近感が湧いた。
 会ったこともなく、話したこともあるわけのない、正直、どんな作品を書いた人なのかもよく知らないが、主宰よりは、まっとうな人間に思えるぞなもし。
 僕は追加料金を支払い、正岡子規横顔バージョンピンバッチ付きお守り入場券をゲットした。そんなラジカルな物品をポケットに捩じ込んでも、残念ながら気分は晴れなかった。
 さらに南の方角へと歩き続けるしか選択はなかった。

それから10分くらい歩く。周囲もだいぶ落ち着いた雰囲気に変わり、民家ばかりが目立つようになった。僕はこのまま、どこまでも歩き続けてしまうのだろうか、そんな不安が頭を一瞬かすめたが、そんなの無視して歩き続けていると、たまたま目についた狭い路地裏に、カフェを発見した。テラス付きの、こじんまりとしたカフェだ。僕は路地に足を向け、奥へとずんずん進んでいった。
 長屋をリノベーションして作られたのか、内装だけが綺麗に作り替えられたそのカフェは、僕の心を和ませてくれそうな気配があった。客の姿はない。外から見ていたら、カウンターに立っている50代くらいのオールバックの髭を生やしたマスターと目があった。コクリと会釈され、その穏やかな表情に、自然と足は店へと吸い寄せられていた。
「お席はどちらにされますか?」とマスターに聞かれ、僕はテラス席を選んだ。
テラス席は2席あり、よく見ると奥の席のテーブルには飲み掛けなのか、片付けが済んでいないのか分からないが、コースターにアイスグラスが置かれたままだった。僕は手前の席に座った。アイス・カフェ・オ・レを注文し、これは良い場所を見つけたぞ、と少し気分を上向きにできそうな気がした。かなり歩くが、ココなら決して通えない距離ではない。
 マスターがドリンクを届けてきてくれたついでに、店の営業時間を聞いた。オープンは9時から、夜は8時までやっているそうだ。簡単な料理なら、いつでもご用意できますよ、と気さくに声をかけてくれた。滞在中、合間をぬって何度でも来られる。とんだ穴場を見つけたぞ、なんて思った。
 アイス・カフェ・オ・レを飲んで、のんびりしていると、隣の席に一人の男性が座った。男性は40代くらいで、白のポロシャツに黒いスラックス。裾を折り曲げ、くるぶしを剥き出しにしてサンダルを履いていた。髪は黒髪で短い。おまけに男前である。僕は、なんだよ客がいやがったか、みたいな嫌味は、抱かなかった。静けさを求めていたのだから、本来なら、誰も客がいない方が良かったハズなのに。
 男性は僕に会釈と微笑みを示し、飲み掛けだったらしいドリンクを口元に寄せた。氷の浮いている、真っ白い飲み物だ。コーヒーでもカフェ・オ・レでもなく。またはミルクティーでもないそれが、アイスミルクだと知り、さらに男性の名前が「ササキさん」だと分かるのは、そのカフェに3度目に訪れてからだった。

ササキさんは僕がカフェに行く度に、いつもそのテラス席に座り、アイスミルクを飲んでいた。昼または夜でも。2度目に顔を合わせた時、ササキさんの方から声を掛けてきた。
「この前もいらしてましたよね?」と聞かれ、そうです、と僕は答えた。
 それをきっかけに会話を交わすようになった。取り止めもない、ほとんど中身のない会話だ。道後温泉の近くにある店のじゃこ天は美味しいとか、宇和島の鯛めしの起源とか、今治タオルはどうしてあんなにもクールなのだろうか、みたいな話だ。ササキさんは愛媛出身らしかった。しかし、話していてもあまり訛りは感じなかった。僕は、彼のどこか都会的な雰囲気に、都会暮らしの経験があるのかな、などと思ってみたりもしたが、特に詮索はしないでおいた。彼も、僕が明らかに地元民ではないと察していただろうが、決して個人的な事を探るような質問はしてこなかった。それは、僕とササキさんとの間で、守られるべき誠実な約束事だと、お互いに認識し合っていた。特に口に出した合ったわけではない。あくまで、自然と取り交わしたのだ。
 つまり、それは僕からすれば、すごくありがたい距離感だったし、気持ちの良い関係性とも言えた。近くもなく、遠くもなく、かといってよそよそしくもない。僕は、素性も知らない人物とこのような関係性を築くことは極めて稀だった。何年来の友人ですら、そのような関係を結べないことの方が、割合としては多かった。
 カフェでの二人のささやかな会合は、最悪最低の精神状態を、少しずつではあったが、改善の兆しへと運ぶようになった。『俳優を辞めるべきかもしれない』という呪いの想念は、やはり拭い去るのは難しかったが、とにもかくにも98パーセントの憂鬱は36パーセントくらいに軽減した。大いなる回復傾向に向かっていた。なによりもまず、掛け値なしでササキさんとの会話は、非常に心地が良かったのが、最大ポイントといえる。

そんなササキさんと、もう何度会っているのかもカウントさえしなくなったある時、彼のほうから、ひょんなタイミングで、こんな事を言いはじめた。
「猫が睾丸を盗まれた話がありましてね」と。
「えっと、それはササキさんの飼っている猫が、ですか?」
「いや、飼ってるとかそういうことではなくて。とにかく、猫が睾丸を盗まれるんです」とササキさんが笑顔混じりに言うものだから、僕は何かの冗談かと思い、ほんのり笑い返した。鼻で笑わないように最善の注意をした。というのも、他人を鼻で笑うのは、最低な人間のする行為だと、僕は主宰から学んでいたのだ。
(なにせドライバーである僕は、挨拶する度に、ふんっ、と笑われ続けていたから)
「いやいや、本当なんですよ。睾丸を盗まれまくっていたんです」と、なおもササキさんは話をかぶせるように言った。笑顔は絶えないまま、わりと真剣な表情で。これまでササキさんの話すエピソードには、ユーモアや軽快さが、ふんだんに込められていて、そこに嘘はなかった。いや、実際に嘘かどうかなんて、僕には確かめる術はなかったが、少なくとも嘘を言っているように感じたことはなかった。
 けれども、さすがに『睾丸を盗まれる』とは一体どんな事態なのか、冷静に考えてみても、さっぱりわけがわからなかった。
「去勢ってことですか?」と僕は聞いた。
「そうなります。去勢です。でも睾丸だけです」とササキさんは答える。
「すなわち陰茎は、取らない?」
「陰茎はもちろんですが、陰嚢いんのうも取らないんです。睾丸だけ」
 僕は自分の下半身で、その状況を脳内で映像化してみた。陰茎はそのままに、睾丸を損ない、ペタンコに内股へと張りつく陰嚢。その姿。うん、アリそうでない。というか、その状態の性器のメカニズムはどう機能しているのだろうか? ギリギリ死ぬことはなさそうだ。そういえば、昔の中国にそんな風習があったような気がした。秦だか、殷だか、周のどこかで。時の権力者がエリート達の性器を去勢するのだ。
 いや、もしかしたら、別に時代だったかもしれない。
「この話、じつは誰かに話すの初めてなんです」とササキさんは言ったが、僕はその意味をどう受け止めればいいのか戸惑った。会話の全貌が、まるで見当たらないからだ。
 どこの猫が、なにゆえにその睾丸を盗まれて、そして何故それをササキさんが知っているのか、どれひとつ説明がなされていないからだ。
 僕が初めてみせた困惑の表情に気がついたのか、ササキさんはアイスミルクを一口飲んで「まず、ことの始まりから話してみましょうか」と言った。手に持ったグラスが傾いて水滴が底へとしたたり、水玉になってササキさんのズボンの股間付近に着地した。点々の跡が、まばらに染みを浮かべ、僕の視線は自然と、そこへと止まった。ササキさんの股間、そして睾丸のあたり。
 けれどササキさんが睾丸を盗まれたわけではない。猫が睾丸を盗まれたのだ。

✳︎

あれは、ものすごく暑い夏の夜でした。たしか7月の終わりくらいの頃ですね。家の窓を全て開け放して、涼みながら、かき氷を食べていた時です。時間はそれほど遅くはなくて、たしか、夜の9時とか10時かそこら辺です。そうそう、ちょうど映画のロードショーが始まった直後だったので、9時ごろですね。

トン、トン、トン、トン…………トン。と、急に玄関のドアがノック鳴りました。

変なリズムのノックです。何と言いますか、意志がないのです。
通常、ノックをするなら2回か3回じゃあないですか? 1回ではノックの主張はあまりにも弱い。それに相手に気づかれない可能性が高い。4回も叩くのは、怒っていたり、慌てていたりするノックで、大体がリズムの激しいものばかりです。
 しかし、そのどれにも、当てはまらないノックでした。
 ノックは4回鳴り、少し間を空けて1回鳴ったのです。合計5回。
私はハッキリとその音を聞いたので、聞き違いではありませんでした。でも、その回数もさることながら、もっと不気味に感じたのが、その音の響きでした。勢いよく叩かれるノックでもなければ、こちらに呼びかけるようなノックでもない。至って平板な、意志を持たないノックなのです。分かりますか? 軽くも、重くもないのです。
 私は居留守をしてみました。室内の明かりは、きっとカーテン越しに漏れていたので、在宅だと気づかれているとは思いましたが、ロードショーの音も消音にし、私は息を潜めて玄関の扉の中心のあたりを凝視しました。
 そこはかとなく、嫌な予感が湧いてくるような静けさが続きました。
 それにノックが再び繰り返されることもありません。
このような状況の場合、訪問者は、もう一度くらいは続けて同じリズムのノックを叩くものです。せっかく出向いてきたのだから、意味があろうとなかろうと、ほとんど場合、ノックを繰り返します。それでダメなら諦めて帰る、それが定石です。
 ですが、2度目のノックが繰り返されることはありませんでした。嫌な予感は、とても不安な気持ちに変化していきました。
【ノック ノック ノック】とノックの文字が私の頭から離れず、気になって仕方がなくなりました。その内に、なぜ自分が、これほどまでに、やたらノックにこだわっているのか、遅れて理解できました。というのも、私の家にはインターフォンがあります。
 ですから、他人が訪ねてきた時、まずインターフォンが鳴らされるはずなのです。 
 私は静まり返った玄関を眺めました。よく眼を凝らしているうちに、鍵を掛け忘れていることに気がつきました。もっと言うなら、チェーンロックもしていません。いまノブを回せば、簡単に扉が開いてしまう状態でした。
 これはよろしくない事態だ、と思いましてね。足音を立てぬよう、爪先立ちで玄関に近づいて行きました。そして、そっと、錠の部分に左手の指をあて、右手でノブを押さえつけると、静かに施錠しました。幸い、アクシデントは起こることもなく済みました。しかし、私は玄関先に立ったとき、ハッキリと確信しました。
 そこに誰か﹅﹅がいる、と。ええ。それは、扉を一つ隔てて、向こう側にいる誰か﹅﹅です。
ノックも繰り返さず、チャイムも鳴らさない誰か﹅﹅
 何者がそこにいるのか、私は確かをめるべきだと思い至りました。そのまま部屋にいても落ち着けませんし、ならばいっそのこと覗き穴を通して、相手の姿を確認してやろうと考えたのです。
 覗き穴に、そっと目を近づけました。
 そこには男性が立っていました。その男性はあらゆる意味において凡庸な顔つきで、見た目も服装も背格好も、何もかもが、平均的な人物に見えました。
 つまりどんな事かと言いますと、例えば、ファストファッションブランドにS・M・Lとサイズありますよね?(ちなみに、いまから言う比喩をアナタに伝えても、きっと取り留めもなく、聞こえてしまうかもしれません。ですが、その比喩がなければ、私はどうにも男性のイメージを伝える術がないので、分かりづらくなってしまうのを承知で、敢えて、このような言い方になってしまいます)
 この地上で、どこにいる誰よりもMサイズがピッタリで、彼の体に完全にマッチする為に作られた概念が、サイズとしての『M』である、みたいな男性だったのです。
(ごめんなさい。余計に分かりにくくなってしまいましたか? あくまで比喩です)
実際にその男が、Mサイズかどうかが重要なことではなくて、私が言いたいのは『どう言い表わせば良いのか分からないタイプの人間がいた』という意味合いなのです。
「ササキさん、夜分遅くに申し訳ございませんです。できればお時間を頂き、お話を聞いて欲しいのです」と急に、ドアの向こうのMサイズの男が私に声を掛けてきました。
 しかも、なぜか私の名前を知っているのです。私は日頃、防犯のために、表札やポストに氏名のシールを貼ってませんでしたので、名を呼ばれて、動揺しました。
「急に来たので、驚かれたと思いますです。しかしながら、急を要する事でして、どうしても、いま来た次第でしてです」
「どちら様ですか?」私の声は微かに震えました。もちろん怖さもあったので、無視しても良かったのですが、男がこちらの名前を知っている以上、返事をしないのも気持ちが悪い、と思いました。
「すみませんです。私たちには名前がないのです。なので、強いて言えば猫です。ですが、いまの姿からして、言い直すのならば猫人間といえば伝わるかもしれませんです」
「猫人間?」
 私はチェーンロックを繋いだまま、片足一歩分の隙間が開く程度に扉を開きました。猫人間と自称する、クレージーな男の顔を直接、確かめようと思いました。何か凶器を手にしている様子はありませんでしたし、部屋に入れなければ、大丈夫だと判断しました。
 扉を開けましたが、しかし男は姿を見せませんでした。私はおかしなと思い、扉の裏側に隠れているのか、と思って覗き穴を再び見てみたのですが、そこにも男の姿はなかった。つまり、急に消えてしまったのです。私はきっと疲れているのだ、とそう思いました。考えてみれば、何もかも意味不明だったからです。
 変なノック。Mサイズ的凡庸な男。『ですです』調のおかしな喋りかた。
 そっと扉を閉め直し、鍵をガチャンと下ろしました。そして部屋に戻って、ロードショーの続きでも見ようかと振り返った時、部屋の真ん中に猫が1匹ちょこんと座って、私を見上げていました。全身黒毛のほっそりとした猫です。私は猫に詳しくないので種類は分かりません。そして言うまでもないですが、私は猫を飼っていません。つまりその猫は、いつの間にかそこにいたのです。硬直したまま身動きできずにいると、猫は前脚を床に突き出して、体全身を伸ばして、震える仕草をみせました。どこかで見かける猫の仕草は、それで終わらず、猫の体が徐々に肥大化して、体が大きくなり、人の姿へと変わりました。私とちょうど同じ背格好くらいです。黒毛だった部分は頭髪と眉毛だけを残し、肌も顔も、手足の指も、人間と同じような状態に変化したのです。そして衣服も、どんな仕組みなのか分かりませんが、きちんとTシャツとズボン姿になってしました。言葉でうまく伝わらないのがもどかしいですが、魔法使いの映画であったりする、あの感じです。猫から人間に、人間から猫に、ぐぃーん、ぐぃーんって変化するあの感じ。とにかく、気がついたらさっきの扉の前にいた男が私の目の前に立っていました。Mサイズ的な男が。
「すみませんササキさん。こうして変身する姿を見せた方が、お話が早いと思いましてです。つまりは、実態の一刻を争うほど、急を要していますです」
 私は唖然としてしばらく口が空いたままでしたが、猫人間は本当に目の前にいるし、少なくとも危害を加えてくるような気配は感じられなかったので、警戒心を緩め、とにかく話を聞こうじゃないか、と考えを改めました。判断をすぐに下さない。それが私の人生で大切にしている教訓の一つです。何事もすぐに決めつけないこと。それがいかに理解できず、納得のできない出来事であっても、とりあえず受け止めてみよう、と。
「一体どういうことなんでしょうか? 突然、私の家に来たの理由は?」
「すみませんです。ササキさんからすれば、迷惑なこととお察し、しますです」
「いや、迷惑というか、少し状況が理解できなくて、そちらの目的みたいなのを教えていただけたら助かるのですが」
「まず、その敬語で話すのを辞めていただきたいのです」と猫人間は言いました。
「敬語?」
「はいです。どうも人間の方に敬語で話されるのは慣れていませんのです」
「そう。じゃあ、そうするよ」と私は、猫の奇妙な嘆願を聞き入れました。
「ありがとうございますです。これで落ち着いて話すことができそうです」と猫人間は言いました。私は、立ったまま話すのもなんだと思い、猫人間をリビングに招き、ダイニングテーブルを挟んで向き合う形を取りました。
「単刀直入に申し上げますとです。私たち野良猫達の間で、とある人物に睾丸を盗まれる事件が多発しているのです」
「睾丸? 人物って、人間のこと?」自分でも言ってるそばから『一体、何を話しているだ?』と思うような会話でしたが、一つ一つツッコんでいれていたらキリがありません。とにかく対話が大事です。一つ一つ丁寧に文脈を拾い上げねばなりません。何しろ相手は猫人間ですから。
 そして、猫人間が述べた説明の要点を、大体3つにまとめるとこのような具合でした。

 

①Q《クイユ》獣医と呼ばれる男が、野良猫を無差別に襲い、去勢していた。その理由は独立した猫の睾丸を食べると、未来の破局を予知可能できると知ったから。Qは睾丸を、政治家やポピュリストに高値で売り捌き、大金を得ようと計画していた。
 Qは、彼ら(政治家など)が未来の己に降りかかる破局をなによりも恐れており、その破局を、もし猫の睾丸を食べることで回避できるのならば、政治生命や活動のために喉から手が出るほど欲しがるだろうと、と踏んだ。事実、Qの目論みは見事にハマり、検証込みで売り込んだ。猫の睾丸は、破局予知の力を発揮し、数人の大物が危機を脱した。つまり破局を回避できたのであった。
 Qは味を占め、野良猫の睾丸を大量に集める計画を実行し始めた。

②目の前にいる猫人間も数日前に睾丸を奪われたばかりだった。猫たちには元来、超能力が宿っていると猫人間は語る。睾丸を食べると未来の破局予知ができるが、当然だが、睾丸を一度食べればなくなってしまう。なので普通、猫は睾丸を食べようと思うことすらない。
 睾丸を食べる、食べないに関係なく、猫は過去の破局予知ができるという。他者の過去に起きた破局を予知する力を持っているそうだ。

※ちなみに私(ササキ)は、過去の破局を予知をしたところで、それに、どんな意味があるのか最初は理解できなかった。これから起こるかもしれない未来ならともかく、過去は変更が効かない。過ぎ去ったものだからだ。そんなの小学生でも分かる。
(そもそも、破局ってなに?)
しかし、とりあえずそのような能力があるようだ。だが肝心なのは、去勢されて睾丸を損なった猫は、過去予知の能力を失ってしまうことだった。実際にその時、猫人間は過去予知ができない状態にあった。

③猫人間はQに襲われている最中、仕返しする計画をとっさに考えついた。他の仲間の犠牲をこれ以上増やさないよう、食い止めよう﹅﹅﹅﹅﹅﹅と思いつく。去勢される間際、捨て身で自らの睾丸を片側だけ喰らった。Qに仕返しをする決意をしたはいいが、必ず成功させなくてはならない。《睾丸奪還仕返し作戦》を決行する際に、猫人間は自分に訪れる未来の破局を予知しておけば、作戦も失敗せずに済むのでは、と考えたのだという。
 この、とっさの判断は実を結ぶ。猫人間は未来の破局を予知することが出来た。
 けれど、もう片方の睾丸は奪われてしまう。

かくいう猫人間が、己の片方の睾丸を犠牲にした結果、知ることの出来た未来の破局の内容は、以下だった。

Qが集めた睾丸を奪い返すのだが、猫はすべてを回収できずにアジトを跡にしてしまう。Qに猫人間の仕業だとばれる。たかだか猫が、人間に歯向かうとは微塵も予期していなかったQは、怒りを狂って、次からは睾丸を奪うだけではなく、捕らえた猫は1匹残らず八つ裂きするようになる、という破局だった。
 なんとも恐ろしい未来である。

 

 ……………分かります。
 アナタも①・②・③を聞いて、何がなんだかさっぱり理解できなかったでしょう?
 私も初めて聞いた時は、首をひねらずにはいられませんでしたから。そもそも破局予知の意味が分からなかった。それが未来とか、過去とか、なればもっと不明です。
 もちろん私は猫人間の説明を一通り聞いた後で質問しました。
「その破局の予知って、一体どういう認識なの?」と。
猫人間は、私の質問に呆れた表情をしてみせました。
「これでも丁寧に説明したつもりでしたです。やはり人間というのはどうも頭が良すぎるというのか、それゆえにどうも考えが凝り固まっている動物なのですねです。単純にはゆきそうもないと想像しておりましたですが、やはり骨が折れそうです。しかし、そんな事ぼやいていても仕方がありませんです。もう少し、ササキさんにも伝わりやすい工夫をしてみましょうです。なにか紙かペンを用意していただけますでしょうかです」と猫人間が言うので、私は引き出しから適当にノートとボールペンをひっぱり出して、猫人間に渡しました。すると猫人間がなにやら図のようなものを書き加えていきました。

 

それはこんな図でした。

 

  《破局》          【未来】 3 ? 4 =  ?
                      ( 原因 ) ( 結果 )

         ↑(予知)

  《破局》          【いま】 3 + 4 =  7
                      ( 原因 ) ( 結果 )

         ↓(予知)

  《破局》          【過去】 ? + ? =  7
                      ( 原因 ) ( 結果 )

 

「7の破局があるとしますです」と猫人間はノートの【いま】のあたりを指差しました。
「待ってくれ。7の破局って?」
 私の言葉に猫人間は訝しげな視線を投げかけてきましたが、ちゃんと答えてくれました。
「何かの破局の一事例として、数字の7を当てはめただけです。7という数字に深い意味はありませんです。その辺はコンピューターの情報処理と似たようなものです。キーボードで[BAKA]と打てば、画面に『BAKA』と表示されますが、それはコンピューターで1と0を並べているだけです。それと同じようなものです。ちなみに【馬鹿BAKA】とは、ササキさんのこと指しているのではありませんです」
「…………。つまり破局は35だって、62だって、9だってあり得るって事?」
「まぁ、だいたいそんなイメージです」
「うーん。なんか分かるような、分からないような。もしかしたら《破局》という言葉が、イメージを複雑にしているのかもしれない」と私は言いました。
「それはそちら人間の側の問題です。私たち猫には関係ないです」
「破局って、もっとこう、具体的というか、意味みたいなのを教えてくれない?」
「そうですね」と猫人間は言い、少し黙考するような仕草をしてみせると「つねにそこに起こる、あるいは起こっている、事象だとでも言えばいいのかもしれないです」
「事象?」
「そうです。じゃあこんな例えはどうです? いまここにAという強者がいて、そこにBという弱者がいるとしますです。AがBを食い殺そうとするシチュエーションを想像してみてくださいです」
「ずいぶんと、まがまがしい例えだけど、オーケー、想像した」
「AがBを食い殺せた場合、それはBにとっての破局です。しかしもし、AがBを食い殺せなかった場合、それはAにとっての破局となりますです。つまり破局とは必ずしも一義的とは限りません、どのような出来事にも、常に両極側に含まれている事象なのです」
「少しだけ理解できそうな気がしてきた。破局が存在しない世界はありはしない、ということかい?」
「その通りです。ササキさんが頭の柔軟な方で助かりますです。良かったです」
「じゃあこうだな。私たち人間に即して言い換えるなら、破局は《出来事》って表したほうが理解しやすい。過去の出来事。未来の出来事。それを予知する、云々かんぬん」
「それはササキさんの側で勝手に解釈して下さいです。私は便宜上、破局と説明します」
「了解」

 そして猫人間は先ほどの図に、さらに何かを書き加え始めました。

 

  《破局》          【未来】   3  ?  4    =  ?
                           ( 原因 )     ( 結果 )
                        3  +  4    =  7
                            3   −  4    =  −1
                        3   ×  4    =  12
                        3     ÷  4    =  3/4

         ↑(予知)

 

  《破局》          【いま】   3  +  4    =  7
                           ( 原因 )     ( 結果 )

 

         ↓(予知)

                       3.3+  3.7  =  7
                          34 +   (−27)  =  7
                              5  +  2    =  7
   《破局》          【過去】   ?  +  ?    =  7
                           ( 原因 )     ( 結果 )

 

「【いま】の部分から見てみましょうです。『3+4=7』になる破局があったとしますです。私たち猫が過去の破局を予知するという事の本質は、どうして『=7』になったのか、【過去】の『?』の箇所に当てはまる(原因)を読み替えることができるという能力のことを予知と言っているのです。
 一般的には(人間のほとんどがそうでしょうです)【いま】で『3+4=7』を認識してしまうと、【過去】を振り返ったとしても『=7』という(結果)は、常に『3+4』という(原因)で起こったと思い込みがちです。それは、決して間違いではありませんです。けれど実際は『3+4』でしか『=7』は起こ﹅﹅りえなかったとは限らない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅
『5+2』だって『3.3+3.7』だってあり得た訳です。(結果)としての『=7』という破局は変更できませんが、(原因)を読み替えることは自由にできます。
 それによって『=7』の見え方も変わりますです。過去の破局を予知するというのはこう言う意味合いなのです」
「ちなみに」と猫人間の話を聞いて、すぐに私に適した事例が思い浮かび「私は一度、離婚している」と答えました。
「原因は、私の浮気と思いやりのなさ、と元妻に言われた。その予知に則って考えれば、必ずしも(原因)はそれだけではないという事になるのだろうか?」
「はいです。(原因)とは、その時々、タイミングや状態、感情、本能で左右されるものです。無数のパターンが存在しますです。ササキさんの離婚も別の見方ができますです」
「しかし、離婚という【過去】ならびに【いま】の(結果)は変更できない」
「はいです」

私はそれを聞いて、ややセンチメンタルな気分になりかけましたが、離婚のことはとりあえず頭の片隅に放り出しました。
《破局》とは、あくまで《出来事》なのであり、色恋沙汰と結びつける言葉ではありませんでしたが、私にパッと出てきた事例がそれでしたし、言葉的にも、その猫人間の提示する複雑な方程式を解き明かすのには、我ながら分かりやすい例えでもありました。
 アナタにも、うまく伝われば良いのですが…………。

「じゃあ、【未来】は? Qはそれを利用しようとしているんだろ?」
「実を言いますと、未来の破局はかなり未知数な領域でして、というのも、私自身、たった一度経験しただけですので、そのシステムは複雑で謎の部分が多いです。なので睾丸を喰らった時の感覚から推測するに、この図の右側のようなイメージになるのではないかと書いてみましたです」
「なるほど。たしかにややこしそうだ」と私は図を見て言いました。
「はいです。私はQに仕返しをするつもりですが、結果的に失敗する破局を予知しました。『7』という睾丸を奪われている【いま】に対して、【未来】はもっとヒドイ、Qが猫達を八つ裂きにする破局です。この事象は、少なくとも『=7』にはなっていませんです」
「たしかにそうだ」
「そこから推察するに、数字が、つまり『=7』ではない別の破局(結果)に変更されていると考えるに至りましたです。ということはです。もし、私が睾丸を奪われたまま何も事を起こさなければ【未来】も『3+4=7』のままで変わらないと、当てはまるのです。
 しかしです。私はQに仕返しようと考えている、だから『3?4=?』+以外の何かが加わるという事になる訳です。そこで考えてみたのですが、数字の大なり小なりが破局の程度を左右しているとしましょう。あくまでイメージです。

(原因)で『−』『×』『÷』という手段を選択したとしましょうです。
 (結果)が『−1』『12』『3/4』に、数字が変わりますです。

これはあくまで猫人的感覚なのですが、きっと数字が大きいほうが破局の度合いも深く、衝撃的で、根深いものであるように思えるのです。
 つまり私が、実行しようとしていた仕返しは『×』だったのかもしれないと仮定すると、『=7』よりも大きい『3×4=12』が、猫の八つ裂きなのかもしれないのです」
「そうか。じゃあ政治家やポピュリストは、自分の【未来】の破局を予知して、『−』とか『×』とか『÷』したり、場合によっては『+』のまま放置したりと、手段を講じることで、破局の数字を操作しているのかもしれないな」
「あくまでたった一度の私の体験に基づく推測です。ほかにも、もっと別の(原因)に加える計算式があるかもしれないです」
「『√』とか『~』とか?」
「『~』は面白いです。『=3・001~3・999』という破局(結果)が出るかもしれませんです」
「そんな破局は、ちっとも差が分からないだろうな。鼻クソが、右の鼻の穴から出るか、左の鼻の穴から出るか、そんな違いだろう」と私が言うと、猫人間は笑いました。

ひと通り話を聞き、とりあえず私は、なんとなく状況というのか、野良猫達に降り掛かっている災難を、私なりに理解したつもりですが、けれども、一番の不明点はなぜ私の家に訪ねてきたのか? この点は、まだ理解できておりませんでした。
「大変な状況に君たちが立たされているのは分かったよ。けど、どうして私のところに来たのだろう?」と私は猫人間に尋ねました。
「そこなのです。それが話のもっとも重要なポイントです。実は、ササキさんにしか、お願いのしようがない理由がありまして、こうして参った訳なのです」
「私だけにしか? 一体なんだろう?」
「それが先ほどの【未来】の破局の計算式にあてはまるのです。私はこの手段を講じれば『−』に、少なくとも『÷』にはなると算段しているのでありますです」
「よく分からないが、言ってみてくれ」
「はいです。ササキさんの睾丸を私に移植させて頂きたい、と思いましてです。そのお願いに上がりました次第です」
 私は唖然として、自分が何をお願いされているのかすぐに理解できませんでした。睾丸を移植するなんて、一体誰が想像すると思いますか? 猫の、ましてや猫人間の。
 それに移植なんて簡単に言いますが、薄毛を植毛するのとワケが違います。植毛ですら、毛根の細胞を調べたり、遺伝子を培養したり、頭皮に植え付けるのだって時間や労力を必要とします。そもそも睾丸をどのように移植するのか、さっぱりイメージが湧きません。
「なぜ私の睾丸なんだ? それに睾丸なんか移植してどうなる? 君は未来の破局を予知できた。それで少なくとも『×』以外の方法を考えればいいハズだ。Qから一つも取りこぼさずに仲間の睾丸を取り戻し、あとはQから逃れる術を猫同士で知恵を集めて団結するしかないじゃないか」と私はやや捲し立てるような口調で言いました。きっと、睾丸を移植させて欲しいなんて提案をされて、動揺していたのだと思います。いきなりそんなこと切り出されれば、世の男性のほとんどが、同じ気持ちになるでしょう。
「それがです。先ほども申し上げましたが、いまの私には過去予知の能力が失われてしまっているのです。なので、Qのアジトに行くことは出来ても、全ての睾丸の隠し場所を見つけ出すのは不可能な所業なのです。それに私一人では、Qと闘うことはできませんです。隠れて忍び込み、一部の睾丸を奪い返すことは可能でも、それだけではダメなのです。後からQは私たちに絶対に反撃をして来ますです。私はQが立ち直れない傷を与えたい。それにはQの睾丸を二つとも喰らってやらなくては﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ならないのです」
「なんだか忠臣蔵みたいな話になってきたな」
「それにほとんどの猫は他者に関心なんて持ちません。助け合うとか、そんな概念なんてありませんです。『右を見ろ』と言われれば【左を見る】。猫とはそいうい生き物です。自分で言うのもなんですが、私はすこし変わった猫なのかもしれないです。『仲間のため』とか思いますです。しかし他の猫は協力なんてしてくれやしませんです」
 どうやら話がややこしくなってきた、と私は思いました。
 猫の目的を率直に訳せば、Qから睾丸を奪い返すために、私の睾丸が必要で、おまけに2人してかかれば仕返しも成功できる、という作戦、兼、相談。そんなこんなで我が家に参った猫人間、というワケでした。
「きみはまだ答えてないことがある。どうして私の睾丸なの?」
「私とササキさんの睾丸の相性がピッタリだからなのです」
「睾丸の相性?」
「はいです。サイズといい、形といい、性能もいい。これほど瓜二つと言っても過言でない睾丸を私は初めて目の当たりにしましたです」
 猫人間はまるで、私の睾丸を点検でもしたかのような言い草でした。思い出す限り、病院や健康診断などで、私は睾丸を誰かに見せたことがなかったので、猫は何を根拠に言っているのか分かりませんでした。
「道後温泉です。ササキさんは温泉が好きで、本当によく見かけましたです」
 猫人間の言う通り、私はよく道後温泉に行きます。昨夜も行ったばかりでした。
 まさか猫人間も温泉に入るのか? と私は思いました。
「そうです。入るのです。あそこはさまざまな睾丸をチェックするのに最適な場所なのです。とくに温泉の浴槽から上がった瞬間、もっとも活発な状態にある睾丸を見定めることができるからです。私は300個の睾丸をチェックし、そのうち10個が私の睾丸とタイプが近似していましたです。しかし、大体の人は、片側の睾丸しか相性が合いませんでしたです。左右両方ともピッタリな相性の睾丸はササキさんだけでしたのです」
 私は、道後温泉で猫人間と居合わせていたのかなんて覚えてもいません。
それに、初めにも言ったように猫人間の顔はどうも印象に残りづらく、もし居合わせていたのだとしても、まず記憶出来ないだろう、と思いました。
 しかし、睾丸をチェックするなんて本当なのだろうか? 私は半信半疑でした。
「そのように察する気持ちも理解できますです。私のように、人間に化けてまで、温泉に忍び込もうとする猫は珍しいです。昨晩の19時頃、ササキさんが温泉にお見えになった時も」
「待ってくれ」と私は、そこでようやく﹅﹅﹅﹅声を出しました。猫が当たり前のように会話を進めていたので気が付きませんでしたが、私は途中から返事をしていないのに、猫はまるでこちらが何を考えているのか、知っているかのように会話を進めていました。
 ちなみに昨晩、道後温泉に行った時間も当たっています。
「これも私たち猫の能力です。去勢されて過去予知は失いましたが、心声こころこえを聞く力はいまだに持っておりますです」
「心声? また変なことを持ち出したな? えっと、言葉からして、心の声が分かるみたいなニュアンス?」
「分かるというよりか、聞こえるのです。もっとも、誰でも聞こえるということもなく、やはり相性はありますです。ササキさんは睾丸の相性が合うだけあって、そりゃまさに、ほとんど聞こえますです」
 もう私はその時点で、猫人間の言い分を、そのまま聞き入れようと開き直ることにしました。エビデンスなんてクソ喰らえです。いちいち気にしてたら、頭が破裂しそうなくらい様々な事柄が持ち込まれ過ぎている状態でした。イエスかノー。私はイエスを選びました。
「痛いのだろうか? その睾丸の移植とやらは?」
「いいえです。ちっとも痛くも痒くもありませんです。ただくすぐったい感じはあるので、それは我慢してもらわねばなりませんのです」
「どうするんだ?」と私は聞きました。
「私がちょっくら、鼻の穴から忍び混みましてです。それで睾丸に辿り着き、そこで移植しますです。そしてまた鼻の穴から戻ってくれば、完了です」
「たしかに痛そうではないけど、ずいぶんとアブノーマルな経験になりそうだ」
 私はさきほど、頭の中にあった常識を、勢いまかせに断ち切った瞬間から、自然と恐怖心が、薄らいでいるのを感じていました。不思議なものです。もしかして、これも猫の能力なのか、と私は思いました。
 そして私は、睾丸を猫に移植してみるのも、あり得ない事ではないのかもしれない、と思い始めるようになっていたのです。

 はい。それを聞いて、アナタがどう受け止めていいのか理解出来ないのは分かります。私も、第3者の立場から、話を聞いていたとしたら、同じ心境を抱いたでしょう。
 ところが、何故ですかね? 私はその時、猫人間の提案に、耳をまともに﹅﹅﹅﹅傾けていたのです。最初に抱いていた疑心暗鬼がも、知らぬ間に、すっぽり消え去っていました。
 けれど考えてみれば、勝手に野良猫を去勢する人間がいるくらいです。人間が猫にやっているように、猫が人間に同じことをしてはいけないなんて、誰も決められるワケがない。なんなら、事前に了解を得ようとする猫のほうが、人間よりも何倍も親切です。

「信じてみよう。ただ一つ聞いても?」
 「はいです」
 「私の睾丸は元に戻ってくるのだろうか?」
 「心配はございませんです。Qから睾丸を取り返せたら、お返し出来ますです」
 そう言うと猫人間は、ダイニングテーブルの上で小さくなっていきました。さらに人間から猫の姿へと変身し、通常の猫よりもっと小さく、蟻くらいのサイズになったかと思えば、私の顔面めがけて勢いよく飛び跳ねました。そして右の鼻の穴に入り込んでいきました。たしかに猫の言う通り、痛みや苦しみはありませんでしたが、喉の辺りがくすぐったかったり、お腹の真ん中の辺りをビュンビュンと何かが動き回っている感覚はありました。
『ササキさん、いまから移植しますです』といきなり頭の中に猫人間の声が響きました。『そのまま声に出さずに、心声のままで、大丈夫です』という猫の言葉に『分かった』と私は想いました。
『いまからカウントしますです。それと同時に一時、意識を失うかもしれませんが安心してくださいです。それで移植完了です』
 猫がいま、私の睾丸の周辺で動き回っているのだろうかと想像しながら、来るべき移植に備えました。
『それでは行きますです。3……2……1』

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

「気がつきましたです」と猫人間の声が聞こえてくると、私の前に猫人間は座っていました。
「移植は上手く行ったのだろうか?」と私は少し朦朧とした意識の中で聞きました。
「お陰様で成功しましたです。ササキさんのおかげです」
 猫人間がそう言うので、私はそっと自分の睾丸に指を添えてみました。
すると睾丸は、両方とも、そっくりそのまま無くなっていました。陰嚢はありましたが、それだけです。膨らみもなければ、何かが保たれている様子もなく、ただ何もないことだけが、分かりました。
「お礼申し上げますです。しかし申し訳ないのですが、今すぐQのアジトに出発しなければなりませんです。移植したばかりで、ササキさんにはまだ体の負担が残っている状態かもしれませんが、事態が急に思わしくない方向に傾き始めているようです。取り戻した能力で過去を予知しましたところ、Qが睾丸の取引する日時を約束をしている場面を予知しましたです。取引時間は明朝です。Qはきっと、夜中のうちにアジトから睾丸を全て運び出すでしょうです。今は夜中の1時なので、もうあと数時間しかありませんです」
「それは急な展開だな」と私は言いました。そして猫の言った通り、すこし体のバランスが取りにくい感覚がありました。
「懐中電灯と、いくらかの5円玉はありませんかです?」
「懐中電灯は防災用のやつが2つばかり、そこの食器棚の下の段にあるよ。5円玉はその小銭貯金箱の中に1円と10円と一緒に紛れているかと思う」と私は猫人間に教えました。
 睾丸を失った事で不安定になったバランス感覚を取り戻すために、私は室内を軽く歩いたり、軽く飛び跳ねたりして、体幹を取り戻そうと努めました。他にも肩を左右に揺らしてみたり、スクワットをしてみたりも。
「懐中電灯が必要なのは分かるけど、5円玉なんて何に必要なのだろう?」と体をほぐしながら私が尋ねると「Qのアジトに潜入するのに5円玉が必要になるのです」と猫は答えて、私の小銭貯金箱を振り回し、飛び出した5円玉を一つ残らず集めました。
「足りる?」
「はいです。6枚もあれば、なんとか、なりそうです」

私と猫人間は松山市の中心街に向かいました。夜中の1時です。もうお店のどこもシャッターを閉じ、電灯のスイッチをオフにしている時間帯です。人が全くいないワケではありませんが、ずいぶんとまばらで、時々、一人か二人とスレ違うくらいです。
 猫人間の向かうままに私は付いて行きました。どこに向かうのかと思っていたら、猫人間は路面電車の停留所で足を停めました。もう終電は過ぎていたので、当然停留所には誰もいません。猫人間は停留所の角っこにある敷石の一部分をずらし始めました。わずかな隙間に指を引っ掛けて、持ち上げることができ、猫人間は6枚ほど引っぺがすと、そこに木でできた隠し扉のようなものが出現しました。扉の真ん中に小銭の投入口らしき細長い隙間があります。
「これがQのアジトに繋がる扉なのか?」と私は聞きました。扉は扉でしたが、ノブもなければ、押しても引いても開きそうにない見た目で、私にはただの木の板にしか見えませんでした。
「そうです。しかし、ここが開くとは限らないです。全部で扉は3カ所ありますです。時と場合によって、入口が切り替えられているシステムなのです。本物かどうか、一つ一つ探っていくしかありませんです」
「過去予知をして、直近でQがアジトに入った瞬間を見られないの?」
「ムズかしいです。Qは用心深い男です。入口は常時、ランダムサンプリングで、規則性を排除しています。Qだけが正門の位置を特定できるように作られているのです。それにQはいま本拠地の今治市にいるはずです。アジトに地下トンネルがあって、今この時も、今治から松山に向かってきている途中かもしれないです。Qはいつもトンネルが移動手段でしたので、この扉は、非常用もしくは猫を襲撃するための出入り口として、作られたのだと思われますです」と猫人間の、Qについての新たな情報が繰り出されましたが、私はもういちいち驚きませんでした。猫の睾丸を集めたり、破局予知を金儲けに利用するような輩です。地下トンネルの一本を開通させてるくらい、おかしくも何とも思いませんでした。
 ただ『なぜ今治﹅﹅なのだ?』くらいには考えましたが。
「それで、どうやって扉を開ける?」
「そこで5円玉が必要なのです。5円玉をその投入口に入れると、音が聞こえますです」
「音?」
「トン、トン、トン、トン…………トン。という音です」
「それ聞いたことあるぞ。さっき私の家の玄関をノックした時の音だろう?」
「はいです。その音です。その音が聞こえれば、必ず扉は開きます」
「どうやって?」
「私が小さくなって投入口から侵入し、内側からこの扉を開きます。しかし、その音が聞こえない場合は、Qがトラップを仕掛けている可能性が高いです。音が聞こえずに私が投入口に入り込めば、捕獲されてしまうです」
「君が確かめたらいい。なんたって、ノックした張本人なのだから」と私は猫人間に言いました。
「それは無理です」と猫人間。
「どうして?」
「鳴らす側と、鳴らされる側では、音の響き方は違うのです。それにその音は、人間にしか聞き分けられないようになっているのです。猫人間の私では本物の音を正確には聞き分けられない。Qは賢い男です。そのような可聴音域を探し出したのです」
 私は猫人間の語るノック音理論の3割も理解出来ませんでした。聞き分けられないと猫人間は言いましたが、ノックしていたのは彼でしたし、それにQが(編み出した?)見つけ出して、本物の扉と見分ける為の音として採用したというのなら、その秘密を猫人間が知っているという事も、なんだか矛盾しているようで、よく分かりませんでした。
「ササキさん、ノックの音はまだ頭の中に響いて﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅残っていますかです?」と猫人間に言われました。
「うん。耳の奥にハッキリ残ってるよ」と言うと、猫人間は満足した笑みを浮かべました。
「それでしたら、大丈夫です」と猫は言って、私に5円玉を6枚差し出しました。 
 私は言われるがままに、穴へと耳を近づけて、5円玉を投入して耳をすませました。

 トン、トン、トン……………トン。

「違うかな? よく分からなかった。『トン』が一つ少なかったかもしれない」と私はもう一枚5円玉を投入して音を確かめました。

 トン、トン、トン、トン……………。

「ん? また少し違う気がする。これって毎回聞こえ方が変わったりするものなの?」
 「そうかもしれないです。私たちを惑わすように、仕掛けが組まれているかもです」
 もう2枚の5円玉を使ってしまったので、残りは4枚しかありませんでした。私はもう1度だけ確かめるために、5円玉を投入しました。

 トン、トン、トン、トン……………トン、トン。

違った。3度とも違う鳴り方だったと判断し、私は猫人間にそれを伝えました。私たちは敷石を元に戻して、猫の知っている別の扉に向かうことにしました。

 

次の扉は、大街道の停留所でした。商店街の出入り口近く、大通りの真ん中にあるそこは、日中は人通りの多いエリアですが、時間帯もあってか静かでした。それに加えて他の停留所と違い、壁や屋根があるので同じように作業をするには、かえって目立たず、作業のしやすい場所でした。
 前と同じく、猫人間が角っこの敷石を引っぺがすと、嘘みたいに全く同じ大きさで見た目も変わらない扉が現れました。私は音を確かめるために、5円玉を投入しました。チャンスは残り3回しかありません。

トン、トン、トン、トン…………トン。

あの音でした。4回鳴って、間をあけて1回鳴る。家で玄関に響いた、あのノックと同じリズムです。
「ここかもしれない」と私は猫人間に伝えました。猫人間は私の顔を眺め、何を言わずにそばに立っていました。
「きみも確かめた方がいいのでは?」と私は猫に提案し、残っている2枚のうち、1枚の5円玉を差し出しました。猫人間はそれを受け取ると、扉の穴に耳を近づけて5円玉を投入しました。
 猫人間が顔を横向きにし、扉に耳を押し当てている、その姿をまざまざと近くで観察していると、私はおかしな気分になってきました。私も、きっと同じような姿勢で、同じように音を確かめていたのだろうなぁ、と他人事のように考えていると、なんだかクスクスと笑えてきました。
『一体、私はいま、何をやっているんだ?』と。
「ササキさん笑わないで欲しいです。音が聞きづらかったのです」と猫人間は私に苦情を言いました。きっと心声が、私の笑い声が頭に響いたのでしょう。
「ここで間違いないようです。では潜ってみましょうです」と猫人間は言って、猫の姿から米粒みたいに小さく変身すると、投入口に飛び込んでいきました。

しばらく音沙汰もなく1分くらいが経ちました。
扉が開く気配が感じられなかったので、私は少しずつ不安な気持ちが迫ってきましたが、そこは猫を信じて、自分の頭の中の響いていた音を、信じることにしました。
 すると、ガチャンと板が外れるような物音が扉から鳴り、扉の上部がずれて、猫人間が姿を見せました。
「ここで当たっておりましたです。それではササキさん、下へと参りますです」と猫人間が懐中電灯で照らした扉の先には、Qのアジトへと続いている階段が奥まで続いておりました。私は猫人間に懐中電灯を渡し、二人で足元に注意しながら、その地下へと降りて行ったのです。
 猫人間が先を歩きました。階段の先は暗く、どこまでも地下深くに降りている気がしてなりませんでした。私は懐中電灯の光を猫人間の足元に向けながらも、どんどんと遠ざかり、離れていく地上の入り口の小さな光を振り向きざまに確認しました。今考えれば、入り口を開けたままにしていては、色々と不注意だったはずですが、私は地上の光が見えていたからこそ、慌てることなく、心を落ち着けることができた気がします。もし真っ暗闇だとしたら猫の睾丸を取り戻す云々を考える余裕なんて保てなかったと思いますから。
 ようやく階段は終わりました。その地下空間は真っ暗で、スイッチを見つけようも、在処が分からず、私たちは懐中電灯の光を頼りに部屋の様子を探りました。そこはだだっ広い部屋でして、中央に手術台や医療器具、周りには学術書や顕微鏡、名前のわからない大型機材なんかがありました。Qがいる気配はありませんでした。
 部屋の奥に一つ、頑丈そうな扉がありました。錠が5つもついています。
「この扉はなんだろう?」と私は猫人間に聞きました。
「その扉が、今治へと続いている地下トンネルの扉です」と猫人間は答え「とりあえず、いまは睾丸を、先に見つけ出してしまいましょうです」と言いました。
 Qがどのタイミングで、アジトに辿り着くのか、気が気でなりませんでしたが、睾丸を取り戻すには、いまが大いにチャンスでした。
「睾丸はどのような状態で保管されているの?」と私は猫人間に尋ねました。
「透明な水筒のような入れ物に保管されているはずです。中には薄茶色の液体が入れてあり、そこに2個ずつ睾丸が、独立して浮いているのです」
 私はそれを聞いて、梅の果肉入りの梅酒のビンしか頭に浮かびませんでした。
「いまこそ君の過去予知をするときじゃあないかな?」と私。
「そうしましょうです」と猫人間は言って、眼を閉じました。そして両方の手の平で、頭をぐりぐりと掻きまわすと、大きなあくびを一度して「そこです」と本棚の下を指差しました。
 その棚を探ってみると、ジェラルミンケースが見つかりました。ケースを開けてみると猫人間の言っていた通り透明な円筒形の容器に入った睾丸を確認できました。睾丸は15匹分、30個も保管されていました。
「これだけじゃあないね?」と私が聞くよりも先に、猫はもうすでに別の睾丸の居場所を探るため、過去予知を始めていました。
 そんな具合に、ほかのジュラルミンケースも見つけ出すことができました。冷蔵庫の後ろ側に一ケース。ほかには、壁に埋め込まれた隠し扉の金庫の中に二ケース入っていました。冷蔵庫はともかく、金庫に至っては、猫人間が過去予知をできなければ金庫のダイヤルは絶対に分からなかったので、猫人間が力を取り戻せたから、見つけられたようなものでした。
 これが私の睾丸を移植した成果なのか、と我ながらに感心してしまいました。
 ジェラルミンケースは合計で四ケース見つかり、睾丸は合わせて100個近くも保管されていました。
 その時、奥の扉の錠が外されていく音が、室内に響き渡りました。
猫人間がすぐに『Qです! きっと戻ってきたのです。隠れてくださいです』と心声で指示してくれたので、私たちはそれぞれ急ぎ足で身を隠す事にしました。
 しかし、私はうっかりジェラルミンケースを、その場に置いたままにしてしまいました。
猫人間が何処に隠れたかのかは分かりませんでしたが、私は近くにあった、扉付きの縦長の棚に身を滑り込ませました。
 ガチャン、ガチャン、と一つずつ重く軋むように、錠が外されていきます。そしてノブが回されると、室内に硬い革靴のソールの音が鳴り響きました。コツ、コツ、と。
 それから地下室の電気が灯りました。私が隠れたその場所は、どうやら掃除道具箱だったようで、扉のちょうど顔の位置に豆粒ほどのパンチの穴があり、外の様子見ることができました。
 扉のところにはダークブルーのスーツ姿に、顔じゅう髭だらけの男が立っていました。扉の奥にはトンネルのような奥行きが見えますが、暗くてハッキリ分かりません。しかし、車のアイドリングなのか、エンジン音が、微かに聞こえてきます。
 きっとそれに乗って、今治市からやってきたのでしょう。
『あれがQなの?』と私は猫に心声で話しかけてみました。
 しかし、どうしたのか猫の返事はありません。
 獣医と聞いていたので、白衣姿を想像していましたが、違いました。とても堅気には見えませんでした。ほとんどヤクザみたいな男でした。
 年齢は60代くらいに見えました。しかし髭だらけで、実年齢はよく分かりませんでしたでした。分からないことばかりです。ただ目つきが鋭くて、そこには超人めいた異様さが漂っているのは確かでした。きっと彼がQなのだろう、と私は考えました。
 Qは「おい! 隠れてもムダぞぉ! 警報システムが作動しおって、急いで飛んできたが! バレとぉけん! おまんは、あんの片金玉を食いよった、トチ狂った猫やろ?」とドスを効かせた声で叫びました。
 よく見れば、その手元にきらりと光る物を握っています。なんとメスを片手にしているのです。きっとそれで、いくつもの睾丸を奪い取ってきたのだと、分かりました。
 猫人間が何処に隠れたのか、私は心配になりました。
 私だって見つかれば殺されると思いました。しかし逃げるためには、階段に走るしかないワケですが、ジェラルミンケースはその辺に置いたままだし、仕返しする猫人間の目的も達成されていません。仮に掃除道具箱から飛び出しても、振り切れるか自信はありませんでした。追いかけられて背中にメスを一突きされるのがオチでしょう。
「出ぇよらんが! よぉうし、そなら、こっちから居場所を突き止めよぉのう」
そう吐き捨てると、Qはポケットから睾丸の入った容器を取り出しました。それは、たった一つの睾丸のみの入った容器でした。その蓋を取り外して口に添えて、容器を逆さまにすると、睾丸を勢いよく喰らいました。
 Qはなにやら意味不明なうわ言を呟き、眼をギラギラとさせてニヤリと笑いました。それから私の元へと近づいてきます。
 隠れている私が逃げ出す破局を見たのか、私に反撃される破局を見たのか分かりませんが、私が隠れている居場所をQは突き止めたようでした。恐らく、これが猫人間の言っていた、未来の破局を予知なのかもしれない、と思いました。
 パンチ穴からその様子を見ていた私は、足がすくんで、縮み上がってしまいそうでした。
「見つけたぞ」と扉の前で凄んでいるQの顔が、すぐそこまで迫ってきました。パンチ穴越しにQの変な吐息が微かに漂ってきます。
 もうダメだ、と私は眼を閉じて、覚悟を決めました。
するとドンッと大きな衝撃音が掃除箱の扉にのしかかったと思えば、続いて揺れるような振動が掃除道具箱に伝わってきます。そして、ズルズルとQの体が滑り落ちて、ドサリと音を立てました。私は眼を閉じていたので、何が起こったのか見てませんでした。
「ササキさん、もう大丈夫です。Qは気絶していますです」と猫人間の声が聞こえ、私は扉を開きました。すると床に倒れているQを発見しました。私は猫人間に視線を向けました。猫人間は金槌を手にして立っており、顎をポリポリと掻いていました。
「Qは、本物の人間が来ているとは、考えていなかったみたいです。私が一人でここにきていると思い込んだのしょうです。Qは、私の猫人間の時の顔を見ていないのです」
「未来の破局予知で、私を猫人間と勘違いしたのか?」
「みたいです。アホです。Qは【未来】の破局予知で(原因)を見誤ったかもです。もしくは『×』をしたのかもしれないです。いずれにせよ、もしもQが、私の猫人間の顔を知っていたのだとしても無駄だったと思いますです」
「なぜ?」
「私は顔なんてすぐに変えられますです。今の顔だって、最近だけ、このバージョンにしていただけです。とても目立ちにくい顔立ちでしょうです? 道後温泉に毎日潜入するのに、この顔が一番都合が良かったのです」
「なるほど」——————『Mサイズ的な猫人間の顔。道後温泉バージョン』か。
「Mサイズ?」と猫人間。
「いや何でもないよ」と私は答えました。
「それにしても、破局(結果)にばかり捉われてしまうと、Qのような間違いを犯すという、良き教訓を得ましたです。もしかしたら【未来】と【過去】は、全然違うようで、実のところ、ほとんど大差ないのかもしれないです」
「と、いうと?」
「表と裏で表裏一体、です」
「そして破局は一義的でなく、両義的に存在している、か」
「そうです。破局の反対側には、また違う破局がありますです」
私と猫は、しばらく、床に気絶したQを見下ろしていました。
「そういえば、Qが食べたあの睾丸、あれはもしかして君の睾丸だったのではないのだろうか?」と私は聞きました。
「そうみたいです。まぁ、仕方がありませんです。でも安心してくださいです。あとでササキさんの睾丸は、必ず返却致しますからです。その前に、やっておかなくてはならないことを、済ませてしまいましょう」と猫人間は言うと、体を猫に変身させて小さくなり、泡を吹いて倒れているQの鼻の中に飛び込んでいきました。

私は、猫に体内を侵入されているQの様子を眺めていました。そもそも気絶しているので、反応も何も分かりませんでしたが。
 いま猫が、この男の体の中を動き回わり、睾丸を喰らおうとしている。睾丸を野良猫からむしり取り、それを利用しようとしていた人間自身が、知らぬ間に食べられてしまう。目が覚めたら、睾丸を損ったQは何を想うのだろう? 
『もうしません』と観念するのだろうか。移植とは違うのだ。猫が睾丸を喰らうのだ。私とは違う状態が、Qの肉体に生じるのだ。それは痛みとか、苦しみとか、哀しみでもない。もっと違う感覚であるような気がした。一体、なんなのかは分からない。ただ、猫は怒って睾丸を喰らうのだから、それなりの代償を、Qは支払わなくてはならないのだろう。
 まるで今昔物語みたいだな、と私は待っている間に思いました。
 しばらくして、猫がQの鼻の穴から飛び出てきました。
猫人間のその口の端には、薄らと血が滲んでいました。それを手の甲で拭うと、猫人間は口の中をゴロゴロと鳴らして、気絶しているQの顔を何も言わずに見つめていました。
「終わったの?」と私は聞きました。
「はいです。こいつの睾丸はもうありませんです。私が喰らいましたです」
 Qの睾丸の状態を確かめようと思えば、出来なくもありませんでしたが、私はやめておきました。それに考えてみれば、私だって、睾丸がなかった。睾丸を持たない男が、睾丸を損なった男を検分するというの光景は、はたから見ても、空虚な感じがしました。
「これでもうQは諦めるのだろうか?」
「いいえ、です。諦めるも何もないのです。もうQの頭の中に、睾丸についての記憶はありませんです。睾丸を食われてしまうと、その者は睾丸についての記憶を消失しますです。Qは睾丸がない事にさえ気づかないです。そして凡庸な獣医に戻るのです」
「凡庸?」と私は聞きました。
 猫人間は、それにコクリと肯きました。
「そういえば、なんでQは今治が本拠地なの?」と思い出して、私は質問しました。
 しかし、猫人間はそれには答えませんでした。ただじっと私の目を見つめたまま黙り、心声も発することもせず、その事実に対して、何も考えない素振りをしました。それは始めて見せた、猫人間の反応でした。
 しばらく沈黙が続いて、私は話を変えようかと、迷い始めた頃、
「その質問は、やはり、あまり言うべき、もしくわ、伝えるべき種類の事象ではありませんです」と猫人間は、やや険のこもった物言いをしました。
 私はなんだかよく分からず、それ以上は、深く触れませんでした。
それから「もしかして」と、私はもう一つだけ、気になっていたことを猫に尋ねました。
「猫も同じなのかな? 睾丸を去勢されて、その睾丸を食べられ、この世から睾丸を失ってしまった場合、ただの凡庸な猫になる」
「おっしゃる通りです。いまはまだササキさんの睾丸を移植しているおかげで、記憶を失わずに済んでいますが、睾丸をお返しした後、私は自らの睾丸がなくなってしまった以上、もう凡庸な猫になりますです。予知も出来ず、心声もない、ただの猫です。もちろん人間にも変身できませんです。道後温泉に入れないのは、とても名残惜しいものです。私は猫のくせに温泉が大好きでしたです。しかし、仲間の睾丸が取り戻せて良かったです」
 私はそれを聞いて、なんだかとっても悲しくなりました。結局のところ、猫人間の言っていたことは正しかったのです。【未来】の破局は、無事に変化させることができた。しかし破局は両義的である。Qによる最悪の破局は避けられましたが、しかし、違う手段を選んだ先に待っていた、別の破局(結果)はあったのです。
 『破局の存在しない世界はない』
私は、初めて、その言葉の意味を、身に染みて感じました。

 それから私と猫人間はQのアジトから抜け出して、木の扉を閉め、敷石を戻しました。

✳︎

「そして猫達は盗まれた睾丸を全て取り戻しました」
 ササキさんは、そこで話すのをやめると、氷が溶けて、上側の薄くなったアイスミルクをふたくち飲み、微笑んだ。
 僕は、話にすっかり聴き入ってしまっていたわけだけど、話の終わり方の唐突さに、少し煮え切らない感じがした。というのも、僕はその『猫の睾丸の話』が、嘘か本当かどうかという事よりも、ササキさんの話し方が、あえて話の焦点を仄めかしている﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ように聞こえて仕方がなかったからだった。実のところ、最初から終わりまで、ずっとその印象は消え去らなかった。
 こちら側に、話の本質を考えされるために語っているという意図は、ぼんやりと感じ取ることは出来た。とはいえ、内容が内容である。あまりにも超現実的な話に、ついていくのでやっとだった。こんな奇妙な話は見たことも聞いたこともなかった。
 それはまるで、少しずつ遠ざかっていく視力検査の『欠けた円環』を見させられているようなシチュエーションとも似ていた。
「その後で、ササキさんは、約束通りに睾丸を移植し直した?」と僕はとっても失礼なことを質問しているような気がしてならなかったが、そもそも、この奇妙な話を始めたのはササキさんだ。僕には曲がりなりにも、結末を知る権利が、ちょっとはあるように思った。
「それにしても、です」とササキさんは言った。
「それにしても?」と僕は聞き返した。
「本当にあなたは俳優をお辞めになる、つもりなのです?」
 僕は言われていることの意味が、すぐには理解できなかった。
『俳優をお辞めになる?』たしかにそれは、僕が松山市に来てから、ほとんど毎日考えていることだ。
 なぜ俳優を辞めなくてはならない? なぜ僕は主宰に干されたのだ? なぜ恋人は僕を裏切ったのだろうか? なぜ舞台の上でなく、僕は運転席でハンドルを握っているのか? なぜ? なぜ? なぜ? なぜのオンパレードだった。
いくら考えたところで、なにも分からなかった。しまいには『なぜ?』がなにかも分からなくなっていた。それを紛らわすためにこのカフェに来ている。
 それで『猫の睾丸の話』を聞かされていたのだから。
『ちょっと待てよ』と僕はそこで、ふと思った。
 なぜササキさんは、僕が俳優を辞めようとしているのを知っているのだ?
「あなたはひどく傷つきましたか? 恋人や主宰の裏切り。それら破局に」
 ササキさんは僕の顔をじっと見つめて、静かに言った。口元は微笑んだままだ。
「彼女は……そうですね。少しは傷ついたかもしれない。でも主宰のことは、正直なところ、どうだっていいんです。結局ヤツの考えてることなんか、ブラックホールの底みたいなもんで、わけが判りませんから。干された理由にしたって、それと似たようなものだと諦めてるくらいです」と僕は強がっているフリをしてみせた。
「なるほど」とササキさんは言うと、またアイスミルクを一口飲んだ。
 僕とササキさんの間に、これまでとは違う空気感が流れた。居心地が良いとはいえない種類の感触だった。しかし、ここで敢えて言っておくなら、僕はそれを不快に感じていたわけではない。不快ではなく、それは気づき﹅﹅﹅だった。さて、その気づきとは一体なにか?
 それは、ノックの音に似た何かが﹅﹅﹅、僕の耳の奥に響いたのだ。
その音をきっかけに、一つの事実がクリアになって浮かび上がった。
 僕は、恋人と主宰の仕打ちや裏切りのあれこれを、勝手に自らの頭の中で、俳優の問題として同一化していたのだ。しかし、音が鳴り響いた後の頭で考えてみると、様々なややこしい面倒ごとと、俳優を辞めるとか辞めないとかいう話は、まるで関係がなかった、と分かる。
 こんな当たり前のことに、僕はさっぱり気がついていなかったということに、気づいたわけである。まぁ、マヌケな有様だ。
 本来は『恋人+主宰(原因)破局(結果)』のはずだ。『=俳優を辞める』ではない。
 猫人間風に言うのなら、そうなるのだろう。
「『【未来】と【過去】は、全然違うようで、ほとんど大差ないのかもしれない』とさきほどの話の中で、私は猫人間からそう教わりました。そして【過去】の破局は見方を変えるものだ、とも。【未来】はすこし複雑ですが【過去】は意外とシンプルです」
「ええ」と僕は答えた。『=7』は必ずしも『3+4』ではない。ちゃんと覚えている。
 ササキさんは微笑みを崩さずに、肯いた。
「あなたも破局の中に別の可能性を見つけなくてはなりません。それがたとえ、もう過ぎ去った【過去】であり、どんなに頑張っても(結果)が絶対に変えられない出来事であってもです。俳優を辞める、辞めないは、また別の事象です。
 いいですか? 物事をそのまま見える通りに、判断してはいけません。行動も、言葉も、人の外見や仕草も、同じです。事象は、そして破局は、両義的です。アナタにも破局はありますが、他の誰かにも破局は起こっているのです。すべては(原因)の見えかた次第で変わるのです」
 僕はそのササキさんの言葉を、初めから終わりまで意識の奥底で、何度か繰り返してはなぞってみた。一語一語を丁寧に。じっくりと馴染ませるように。
猫は﹅﹅そうして過去を予知してきたのです。自らの﹅﹅﹅、それからたまに誰かの﹅﹅﹅を、です」とササキさんは言った。
『猫は』『自らの』『誰かの』それぞれ単語が、僕には同じ意味に聞こえた。全然違う言葉なのに。
「そうして破局は繰り替えされるのです。ササキさん、どうです? この伝え方なら、彼にでも理解できますです?」とササキさんが、カフェのカウンターに立っているマスターに対して『ササキさん』と声をかけた。
 僕の視線は、つられるようにマスターへと向いた。
 ——————ササキさんが、ササキさん? 僕の中に芽生えた、自然な疑問だ。
 マスターは笑顔でグラスを布で拭きながらこちらを見ている。
「それも、彼の見えかた次第、かな?」とマスターは言った。
 僕はすぐにテラス席に視線を戻した。
するとテーブルの上には、黒毛の猫が、アイスミルクを舐めながら座っていた。

 

 

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