レジャン・レポート

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梗 概

レジャン・レポート

巨大な岩戸のなかに世界が広がっている。
外の世界がなくなる数千年前まで、人々は背中から生えた”羽”を使って生活していたが、現在は飛ぶ筋力もなく形骸化している。
岩戸内には石炭による発電を元にした人工太陽システム”テラス”が光をもたらしている。
電燈庁は照を使い、昼と夜とがきっちり12時間周期でおとずれるように管理していた。
しかし石炭の採掘量は年々減少しており、政府は代替資源について検討をしている。

電燈庁の法務部に勤めるレジャンは、発電用コークスの生産工場で起きた火災事故についての内部調査を担当している。
事故では逃げ遅れた作業員が一人死亡していた。
現地調査のために工場のある南部へ出張することが決まり、レジャンは帰宅すると身重の妻にそのことを告げた。

南部工場の現場管理を担当しているのは、本庁から出向している同期のリムル・ソーだった。
火災の発生したボイラーにレジャンが入ると、石炭の粉に混じって2本の長いコークスのような物質を見つけた。
形状から作業員の羽が硬化したもののようで、触ると異様に冷たかった。
調査を進めていくなかで、当日の機器データから作業員が転落した際にボイラー内の発熱量が一時的に増加し、それが火災の原因であったことを発見する。
事故後に作業員が転落したのではなく、作業員の転落によって火災事故が発生したというのがレジャンの推測だった。中間報告書を記載し本庁へと戻った。

その後、政府は人々の羽を取り除く政策“省羽計画”を発表した。
最新の研究で、羽には神経が集中し感覚を増幅させることが判明した。それが痛みの増幅やストレス過剰を引き起こす恐れがあることがわかった。
政府は抜羽手術の治験を進めており、認可が降り次第、順次、人々の羽を取り除いていく方針であると告げた。

 

***
南部への出張から数か月後、火災事故は突然調査の打ち切りが決まった。
理由を上司にたずねたがうやむやにされるだけで、不審に思ったレジャンはソーに会うため再び現地へと向かった。
ソーによる告白はこうだった。
先の火災事故によって人々の羽には熱効率を高める効果があることが偶然発見された。
電燈庁は羽と石炭を混ぜることで新たな資源として活用できるのではと考えている。
そのためには詳しい分析が必要で、省羽計画の真の目的は人々から実験用に羽を収集することだった。
収集は密かに行われるため、転落事故をもみ消すことになった。

レジャンは電燈庁の実態を公表しようと準備を進めるが、そのとき、子どもが産まれたと連絡が入る。
家族との未来を考えたレジャンは、用意していたレポートの提出を取りやめ、南部からの帰路につく。
病院で対面した我が子に羽はなかった。【了】

文字数:1106

内容に関するアピール

▲テーマについて
神話をモチーフにしたSFということで「天岩戸」を設定しています。
天照大神が岩戸から出ていった後、捨てられた内側に別の世界が広がっていたら面白そうだなと感じていました。
岩戸内の世界には外部がないので、すべてを岩戸内で循環させ完結させていく必要があります。
そんななかで、社会的に飽和状態になった世界に閉塞感が広がっているイメージです。
神話は現実と地続きにあるという感覚があり、天岩戸のような「閉じられた世界」は現代とつながるものがあるのではと考えています。

文字数:234

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省羽

――起きてはいるが、生きてはいない。
そんな感覚がリムル・ソーのなかにあった。それはいつから? 働きだしてからかもしれない。あるいは物心がついたときから、そういうことを思う男だった可能性もある。とにかく、緩やかな倦怠感をともなったがソーの生活を覆っていた。彼の毎日は職場である火力発電所と、電燈庁が借り上げたマンションとの往復だった。
電燈庁は、岩戸世界に光をもたらす人工太陽システム”テラス”を管理しており、ソーの勤務先である南部発電所では広大な土地に発電所と原料を加工する工場があり、テラスにかかる全電力の40%をまかなっていた。本庁から出向しているソーは、石炭をコークスに加工する工場の現場管理を担当している。工場では電燈庁から委託された複数の業者たちが工程ごとに区分けされ、その全体を管理するのがソーたち本庁の人間の仕事だった。テラス全体の仕組みは電燈庁の人間以外からはその全貌がみえないようになっている。南部発電所に出向しているのはソーを含む数十名の職員たちで、他は民間の派遣会社や委託契約された現場作業員たちが占めていた。入庁した若い職員は一度は本庁の外に飛ばされる。異動が慣例どおりであれば、ソーの工場勤務は今年いっぱいで終わりだった。
一日の仕事を終えて帰路につく。発電所は街から離れた僻地にあり、専用のバスが街まで出ていた。マンションと発電所を往復するだけの日々は退屈なものだった。ソーが帰宅した時、ちょうど時計が18時を回った。途端に世界は夜となった。テラスは昼と夜がきっちり12時間ずつになるように設計されている。明日の6時までは真っ暗な夜だ。配送ドローンが届けた荷物を玄関脇の宅配ボックスから取り出す。フリーズドライ食品とセールで買った飲料水を冷蔵庫にしまうと、シャワーを浴びるために浴室に向かった。風呂上りに蒸留酒をグラスに注いで一気に飲み干すと、そのままソファに寝転がった。
暑さが苦手なソーは南部地方の気候が肌に合わず、休日も外に出ることはほとんどなかった。他の労働者たちと同様、毎日週末を待ちわびてはいるが、たいしてやりたいことがあるわけでもなかった。彼の唯一といってもいい趣味はドラマを観ることだった。
ドラマのなかには偶然がない。フィクションであれば、例え本筋とは関係ないエキストラであっても背景としての役割がある。つまりフィクションに出てくる人物たちには大きな意味で何かしら存在する理由が割り当てられている。そこが現実との違いだとソーは考えていた。実際の自分たちは毎日、ただ単に生活のために労働を繰り返し疲弊する。回復のためにベッドに入るが、翌朝体力の戻らないまま起きて、また出勤する。そこには少しずつ擦り減っていく自分がある。
2杯目の蒸留酒をグラスに注ぎ、配信ドラマを再生した。フィクションの良いところは、結局のところ全てがどうでもいいことだ。今夜はアルコールが何故かよくまわる。注ぎなおした蒸留酒を半分ほど飲むと、もう話が頭に入ってこなかった。だが、それでも構わない。所詮は偽りの世界、喜びも苦悩もフィクションの外では意味を成さない。そんなことをぼんやりと思いながらソーはいつの間にか眠りについた。

電燈庁の法務部に勤めるレジャンは、南部へ向かう特別列車のなかで発電所での事故についての資料に目を通していた。南部への出張を妻に告げた際、彼女は呑気に南部のお土産情報をネットで探し始めた。
「旅行じゃないんだよ。観光する時間はないし、駅とかで売ってるものじゃないと多分買えない」
「わかってる。みて」
彼女がみせたのは南部の畑の映像だった。
「……野菜? ここでも買えるじゃないか」
「南部の野菜は身体に良いって評判なの。妊娠中の栄養としてもいいみたい」
「でもテラスの日照時間はどこも同じだ。昼と夜が交互に12時間ぴったりで切り替わっている。どこも一緒じゃないのか?」
「きっと土がいいのよ、南部は。あなたも向こうで野菜食べてきたら? 最近太ってきているし」

列車がトンネルを抜けると、レジャンは車窓からの景色を眺めた。乾いた土地が広がり、テラスからの電線を引いた農業用ビニールシェルターがタイルのように規則正しく配置されている。本庁のある都市部とは全然違う風景だった。レジャンはその光景をしばらく眺めていたが、時間が思った以上に経っていてようで慌てて資料の確認に戻った。
数日前に南部発電所の第29ボイラー庫で原因不明の火災が発生し、逃げ遅れた作業員が一名焼死した。当日のシフトや安否確認の結果から、焼死した人物は派遣会社から派遣された男性だと判明した。男性はかつて工場で働いていて、定年をむかえた後に再雇用された人物だった。そのため現場の作業員たちのなかでもボイラー庫の仕組みなどには特に詳しかった。焼死体はコークスを燃焼させるボイラー内で発見されたため、火災から逃げる際中に建物が倒壊し、誤ってボイラー内に転落したと見られている。レジャンの目的は消防や警察の現場検証と齟齬がないか確認する形式的な調査と、庁内から遺族へ出る補償等級を決めるためのデータ収集だった。
南部工場の現場管理をしているのは同期入庁のリムル・ソーで、レジャンは彼に久しぶりに会うことを楽しみにしていた。

通勤バスのなかからみえる発電所へと続く道路の両側は、高圧電線の張られた金網が広がり、雑草が人の腰ほどまで生えている。終点である発電所が近づくにつれ、車内には人数が多くなり、その度に身体は宅配の荷物のように少しずつ奥のほうへと押し込まれる。前日のアルコールが残っている人物が乗ってきたのだろう、車内が一気に酒臭くなった。ソーは窓を開けたかったが、バスの真ん中ほどにいるため腕を伸ばしても届かない。仕方なく我慢して、ただ早く到着することだけを願った。酒の臭いが服につかないか心配だった。今日は午前中に本庁との会議があり、午後からは出張で来る法務部の職員に事故調査の案内をする予定となっていた。その人物に変な印象を与えたくなかった。端に座っている誰かが窓を開けたとき、車内に涼しい風が入ってきた。
ようやく発電所に着いて外へ降りる頃には、シャツにはじんわりと汗が滲んでいた。作業員たちは始業前の一服のために喫煙所へ向かっていく。ソーはシャツのボタンを一つ開け、服で扇ぎながらオフィス棟へと向かった。
会議室から外を眺めると、停泊しているタンカーから石炭を重機で運ぶ作業員たちの姿が見えた。奥にある工場の煙突からは濃い灰色の煙がいつも通り上がっている。
――彼らにも”倦怠感”はあるのだろうか?
石炭を回収する作業員たちの身体からは汗が吹き作業着に濃い染みがみえた。
採掘された石炭は、タンカーで巨大な運河を渡り発電所と隣接する港へと運ばれてくる。そしてタンカーのハッチ内に重機を降ろして石炭を収集する。大きなものは重機で採集できるが、ハッチの角や床に付着した細かい石炭は作業員たちが背中から伸びるに装着した増強義手ストレンジアームで回収し、大きさごとに仕分けしていた。集められた石炭は工場内のサイロに保管され、それから順次、巨大なミルへと移動していく。そして微粉炭機を使い細かい発熱用コークスへと加工していく。空気と触れたときに燃焼効率が高まるように、細かく磨り潰すことになっていた。最近は30ミクロン以下まで磨り潰すことになっていた。
作業員たちはつなぎの上を脱ぎ、肌着姿になると互いを羽で扇いでいた。室内のエアコンで冷え過ぎないように羽で身体を覆っている自分とは大違いだとソーは思った。は飛ぶこともできず、ただついているだけの痕跡器官の一種とされていた。夏は団扇、冬はブランケットの代わりくらいにしかならない。雨のときに傘代わりにもなるが、天気も制御されている岩戸世界では降雨時に傘を持たない者はいなかった。ソーが子どもの頃、羽を鍛えて飛ぼうとする芸でテレビ番組に出ていたコメディアンがいた。高い所に上がり、そこから羽をばたつかせただ落下するという芸だったが、その滑稽さがうけてしばらくテレビ番組に引っ張りだこだった。一年ほど経つと、そのコメディアンを観ることはなくなっていた、ネットの噂では本当に飛ぼうとして転落したらしい。
電子音が鳴り、スクリーンに映像が映ると新しいエネルギー資源に関する会議がはじまった。石炭の量は年々緩やかにだが下降しており、このペースでいけば100年ほどで石炭の採掘ができなくなる見込みとなっていた。電燈庁ではここ数年、代替となる人工コークスの開発に力を入れていた。うまくいけば、通常の石炭を乾留しコークス燃料へと加工する過程がなくなる。試作品が先月届き、現場で試してみることになっていた。
「今週中には結果が出るかと思います」
ソーの上司が力強く現状を報告していた。
「そうか、人工コークスが駄目だったら新たな電力源を探らなければならない」
一度、本庁にいる際にみたことがある役員の男が静かに告げた。火力発電以外の方法も検討されていたが、ノウハウや設備投資の観点から第一案ではなかった。
会議を終えたソーは人工コークスの結果を確認するためにオフィスを出ようとした。突然、後ろから声を掛けられた。

「ソー! 久しぶりだな」
彼は一瞬、戸惑ったが、すぐに同期の顔を思い出し状況を理解した。
「ああ。レジャン……そうか、法務部から来るのは君だったのか」
「驚いたか?」
「そうだな。思ったより早かったんだな」
「何本か早い列車に乗ったんだ。この後、昼ごはんでもどうだ? 南部は野菜が旨いんだろ」
「確かに野菜は有名だが、発電所の周りには何もないよ。来るときに見ただろ。店で食べるなら街まで出ないと。それに少し別件があるから、予定通り午後からでもいいかな?」
「ああ、もちろん。じゃあ、食堂で済ませておくよ。ちなみに今夜は空いてるか? 街でどこか美味しいところに連れていってくれ」
「そうだな。あまり店は知らないが考えておくよ。マンション近くにダイナーがあったはずだ」
立ち去ろうとするソーをレジャンが呼び止めた。
「後さ……」
「どうした?」
レジャンの言葉は急に歯切れが悪くなった。
「いや、夜でいい。店頼んだ」
「ああ。じゃあまた午後に」
ソーは第6発電庫へと向かった。人工コークスのシミュレーション結果が出る時間だった。最も重要なポイントは発熱時にエネルギーに変わる割合を示す指針の一つである熱効率で、これが従来の石炭の平均熱効率54%を上回ることができるかどうかだった。これまでと同じ方法で発電した場合、人工コークスの熱効率は平均42%で、何度かシミュレーションを重ねるなかでボイラーやタービンの温度や稼働時間を細かく設定し直していた。ソーが現場から上がったデータを確認していると発電庫の制御室に上司が入ってきた。
「どうだ?」
「駄目ですね。やはり熱効率がこれまでより低いです。配合を変えたり、従来の石炭とのハイブリットも試しましたが、想定しているような結果にはなりませんでした」
上司は落胆した様子だった。
「わかった。本局には現時点で実用化は現実的ではなく、改良する必要があると報告しておく」
「改良というより新しい資源ですね」
上司は苦笑いを浮かべ、ソーの背中を叩いた。羽がビクンと動いた。
「そんなお宝は眠ってないさ」

午後に入り、レジャンが最初に案内されたのは砕いた微粉炭を燃やすボイラー庫の立ち並ぶエリアだった。南部発電所には全部で60のボイラー庫があり、火災事故の出火元となった第29ボイラーは倉庫全体が黒く焦げ、なかに入ると所々に壊れた機器や燃焼灰が散っていた。その光景にレジャンは圧倒されたが慌ててレコーダーをまわした。
「ボイラー内に普段、人が入ることは?」
「ここは600℃くらいまで温度が上がる。稼働しているときに生身の人間が入ることはない」
「メンテナンスの為に入ることも?」
「これをみてくれ」
ソーは床に散っている灰を指差した。
「コークスを燃やした時に出る燃焼灰だが、これが一定量貯まるとボイラーを休止して灰の撤去が必要になる。そのときには人が入る」
「つまり稼働時にはないってことか」
「基本的には。ただ最近はコークスを細かく砕くことでボイラー内の機器の間に入り動きが鈍くなったりする。熱効率を上げるためにコークスは細かくしているが、最近はその基準がどんどん小さくなっている。だから機器の筐体によってはミクロン数に対応できず隙間に入ってくる。それを取り除くために稼働中に機器をなかに入れることはある。ここだ」
ソーは奥の扉を指差した。ボイラー内の温度を管理したり重機を操作する制御室に入った。
「消防によるとここが最もよく燃えていたとのことだった」
「つまり、ここが出火元」
「制御室の機器がショートしたのが原因の可能性が高いと消防は言っていたが、いかんせん燃え過ぎている。正直、何もわからない。ボイラー庫にも降りてみよう」
ボイラー内部には何千もの細いパイプが十数メートル先の天井まで竹のように真っすぐと伸び、管のなかを通る水を加熱することで高温で高熱の蒸気が作られる。それがタービン発電機へと送られていく。
「これはコークス?」
「いや……そんなはずは」
燃焼灰に交じって20センチ程の棒状のものが落ちていた。触れると異様に冷たかった。
「なんだ、これは?」
「コークスではないな、ここまで来るにはかなり細かく砕かれているはずだから。壁面のパイプの部品かもしれないな」
「いくつか採取していってもいいのかな?」
「消防の検証も終わっているし問題ないと思う。どれが必要か言ってくれたら採取して本庁に送っておく」
レジャンは燃焼灰や棒状のもの、可燃途中だったコークス、剥がれ落ちた重機の部品など一通り採取した。

その夜、2人はソーのマンション近くのダイナーで夕食をともにした。テーブルには南部で採れた蒸し野菜の盛り合わせが運ばれてきた。
「着色スプレーは大丈夫?」
「どうぞ」
レジャンは真っ白な野菜たちに着色スプレーをかけた。噴射された霧が野菜たちに反応して色味がついていく。
「やはり南部の野菜は旨いな」
「そうか、あまりわからないな。こっちに慣れたのかもしれない」
「何年いるんだっけ?」
「3年目に入った」
「そっか。長いな。普段、食事はどうしてるんだ? 恋人は?」
「大体、宅配ドローンで済ましている」
ソーは恋人の有無については答えなかった。それから2人は思い出話を語り合った。
「あのさ……」
レジャンは意を決して切り出した。
「どうして結婚式来なかったんだ。連絡もなかったし。あの日、何かあったのか?」
ソーはしばらく考え込んだ。上手く伝えられるか不安だった。欠席の理由はあのだった。
「それは、難しいんだが……端的に言えばネクタイを締められなかったんだ。確かに連絡をしなかったのは悪かった」
レジャンはソーの言葉の意味が理解できなかったが、しばらく沈黙した後に微笑んだ。
「今度また祝ってくれよ。もうすぐ子どもが産まれるんだ」
「そうなのか、おめでとう。もうすぐなのか?」
「いや、まだ先だ。半年後くらいかな」
「明日は何時に戻るんだ?」
「夕方には本庁にいたいから、昼過ぎには南部を出ようかと」
「じゃあ、観光は無理だな」
レジャンはソーが自ら提案をすることを意外に思った。
「時間があればどっか連れていく予定だったのか?」
「結婚式のことは本当に悪いと思っているんだ。ただ、どうしようもなかったというか……だから明日時間があれば岩戸の扉にでもと思って」
「いや、怒っている訳じゃないんだ。気になっていただけだ」

翌日はレジャンと出向している本庁の職員たちによる事故当日のデータを集めての分析会議だった。火災事故が発生したと思われる0時11分直前に第29ボイラーのデータは異常値を示していた。短時間ではあったが、あり得ない熱量の発熱がボイラー内で起きていた。それも第29ボイラーでだけ。この熱に耐え切れず、ボイラー内で火災が起きたことは間違いなかったが、コークスの粉塵による機器のショートでこの熱量は考えにくかった。
レジャンは本庁へ戻る列車のなかでデータを何度も見比べた。コークスの粉塵は他のボイラー庫にもある。第29ボイラーと他の差はなんだ。作業員の転落だった。火災が発生して作業員が転落したのではなく、作業員が転落したことで火災が発生した……
そんな考えがふと彼のなかに浮かんだ。

帰宅したソーは、シャワーを浴びて浴室で身体を拭きながら、レジャンの結婚式の朝のことを思い出していた。
そう、まさにここだ。この鏡に写ったときだった。
洗面所の前でシャツの襟を立てて、ネクタイを左右対称となるよう首にかけた。それを正面で交差させたとき、ふとソーを何かが襲った。突然それが難しいことに変わったのだ。端的にいうなら疲れのようなものだった。しばらく彼は鏡に映る自分を眺めていた。後は片方のネクタイを回転させ、後ろ側から通せば終わりだ。時計を確認し、他の準備を進めようともした。しかし、もうそれは不可能なことになっていた。結局、行くのを諦め、シャツの襟を立てたままベッドに寝転がり天井を見上げた。眠くはなかったが幾らでも寝れる気がした。仕方なく目を閉じた。再び目を覚ますと外はすっかり晴れていた。レジャンからの着信が何度か入っていた。皴のないシャツを脱いで洗濯機に放り込んだ。それからインスタントコーヒーに湯を注ぎ、昨晩最後まで観れなかったドラマを再生した。時計をみるとちょうど式が終わる時間だった。レジャンに対して幾分か申し訳ない気分になったが、休日の午後が晴れているのは嬉しいことだった。

***
南部への出張から数か月が経ちレジャンの妻は妊娠後期に入っていた。来月に控えた予定日を前に、2人は病院の手続きや出産準備に追われていた。
「そういえば通知ってきた?」
「何の?」
「”省羽”の」
2ヶ月前に政府から発表された”省羽計画”で国民たちは羽を取り除くことになった。羽に神経が集中し、それが感覚を刺激し怪我をした際の痛みやストレスを過剰に増幅させることが最新の研究でわかり、抜羽のための手術方法の開発が進んでいた。先週認可が下り、”省羽計画”は順次施行されていくことになっていた。
「いや、まだじゃないかな。確か高齢者からだし」
「そう……できたら出産前に受けたいんだけどな。陣痛も多少和らぐみたいだし」
「そうだよな。痛いの嫌だもんな」
「呑気ね、ほんと」

「南部での火災事故の件なのですが……」
レジャンは上司にたずねた。現地調査から数か月が経とうとしていたが、火災事故についての中間報告書を提出して以降、進捗状況に変化はなかった。
「ああ、あれか」
上司はレジャンを別室に呼んだ。
「あれは調査を終えることになった。遺族への補償も同意が取れている」
「しかし、原因がわからなければ再び火災が起きる可能性も」
「工場には各制御室にも熱感知センサーを取り付けることになったし、万が一に備えて消防との直通ラインも作ってある。現場では避難ガイドの見直しもしているようだし大丈夫だ」
「初めて聞きました」
「急だったからな。南部発電所の稼働率を下げる訳にはいかない。電力供給の方が社会にとって大事だ。全員が納得しているこの件は終わりだ」

レジャンは納得がいかなかったが、これ以上追求することもできなかった。デスクに戻ると人事情報のメール通知が届いていた。ソーの異動が発表されている。彼なら知っているかもしれないと連絡を入れてみた。その夜、ソーから返信があった。
<南部に来ることがあれば教えてくれ、そのときに直接話そう>
レジャンは休暇を取り南部へと向かうことにした。

駅に着くとソーが迎えに来ていた。そのままレジャンを連れ、駅近くの駐車場に歩いていった。
「車持っていたのか?」
「南部から去る前にせっかくだし、一度くらいドライブしようかと思って」
街を東へと抜けると荒涼とした景色の一本道が続く。反対車線には車もなくソーは速度を上げていった。
「どこに向かっているんだ?」
「南部で一番有名な観光地さ。学校でも教わる」
「岩戸の方尖扉か」
「そう、初めて行くし。この世界のはじまりとされる場所だ」
「おいおい、あんな神話信じているのか」
「まさか。でも、世界に外があるというのは面白い発想だと思わないかい?」
「まぁ、作り話としてはな」
駐車場はほとんどが空いていて、2人は入場料を払うと石扉へと向かった。
岩戸の方尖扉は巨大な岩壁で、神話によるとかつて存在したという外の世界が滅亡する際に岩戸世界を守ったという。
「教科書では見たことがあったけど初めてみた。もっと早く来ればよかったかな」
「こう馬鹿でかい扉をみると外の世界が本当にあったような気になるな」
「海って知っているか?」
「巨大な湖のことだろ」
「岩戸世界の外には、かつて本当の海があったらしい」
「作り話さ」
「なぜか海があった気がしてならない。憧れているんだと思う」
「そうか。まぁ、いつか海がこの世界にも見つかると確かにいいかもな」
「ただ、俺たちの現実は岩戸だ。海が巡ってくるまで待つんだ。それまでは、あるものをやりくりする世界が続く」
ソーはレジャンに小包みを渡した。
「結婚祝いだ。遅れてすまなかった。帰りの電車でみてくれ」

「ありがとう」
レジャンは意外に感じた。そして今まで自分は彼を誤解していたのだと思った。ただ不器用なだけかもしれない。レジャンは意を決して事故の件を口にした。
「なぁ、火災事故の件について何か知っていないか? 急に調査も打ち切りになって終わったことになったんだ」
「本当に何も聞いていないみたいだな」
ソーは驚いた様子だった。
「この前の火災事故だが、君の見立て通り火災の原因は作業員が転落したことだった。ボイラー庫の底で発見した冷たい棒状の物質を覚えている?」
「ああ、本庁にも送ったやつだ」
「あれは僕らの羽だったんだ。人体の骨は燃焼すると炭化するけど、羽は違っていた。ボイラーのような高温のなかに羽が入るとコークス化のような現象が起きる。そしてそれが熱効率を高める効果があることが火災事故によって発見されたんだ」
レジャンには事態がまだよく把握できていなかった。
「普通、人間を600℃以上で燃やし続けることはないからね。偶然だよ、本当に。石炭の採掘量が減少しているのは知っているだろ? そこで電燈庁は羽と石炭を混ぜることで新たな資源として活用できるのではと考えている。そのためには詳しい分析が必要で、省羽計画は多くの人々から実験用に羽を収集するためだ」
「じゃあ、あの発表は嘘なのか?」
「いや、羽に神経が集中しているのは事実だし取り除けば痛みが多少緩和されるとは思う。ただ、どれくらい効果があるのかはわからないみたい。もしかしたら今とほとんど変わらないかも。収集を密かに行うために作業員の転落事故も終わったことにしたんだね、きっと」
「だが、こんなことって……」
「国家ぐるみでの非人道的行為だな。羽を使ってもうまくいくかわからない。うまくいったとしても少し延命するだけだ。ただそれでも、岩戸世界はテラスの光がないと成り立たない」
レジャンはふと、目の前の岩壁が自分たちを守っているというより閉じ込めている気がした。
その後、2人は近くでコーヒーを飲んで帰ることにした。レジャンは帰りの電車のなかでソーからの結婚祝いを開いた。なかには彼でなければ入手できない当日のデータが入っていた。

レジャンは 省羽計画の実態を記したレポートの作成に取り掛かった。ソーの言うとおりテラスがなければ、この世界は成り立たない。だが、人間の生贄により照らし出される世界に未来はあるのだろうか。そもそもテラスが初めからあった訳ではない。例え暗闇に戻ろうとも新たな方法を再び探すしかない。

「最近、遅いね」
「忙しいんだ」
「予定日、来月だよ」
「そうだった。あっという間だね」
「他人事みたいな言い方ね」
「いや、違う。そうじゃないよ」
「仕事大変なの? 最近上の空だけど」
「うん、まぁね。でも大丈夫」

内部告発は情報の出しどころを慎重に検討しなければならなかった。レジャンは通常業務を終えた後に深夜まで一人作業を続けた。
省羽計画が施行され、高齢者の抜羽が終わると任意での受付がはじまっていた。レジャンの妻は結局、抜羽手術には間に合わず、出産準備のために入院した。

病院から陣痛がはじまったという連絡が入り、レジャンはタクシーで病院へと向かった。
夜には試験的な節電が行われるようになった。月に何度か必要最低限の電源しか使わない夜があり、今夜がそうだった。夜電力の絶対量は決まっていて、電燈庁が各団体からの申請に沿って配分を決めていた。
道路は渋滞し思うように車は進まず、目の前に続くテールランプの明かりが鱗のように並んでいるのを眺めるしかなかった。これからはこんな夜が多くなるだろう。
電燈庁はこれまでの12時間配分の見直しを検討していた。携帯端末が振動した。
<子どもが産まれたよ>
そこには産まれたばかりの娘の写真があった。それはレジャンにとってひとえに幸福だった。暗闇のなか、これからの人生を照らす……そして考え直す光だった。
長い渋滞はレジャンにとって自分と向き合うのに十分な時間を与えた。そして病室で我が子をみたとき、レジャンは心を決めた。レポートの提出を止めることにした。
ただ娘を抱いたとき、彼は我が子に違和感を感じた。彼女の背に既に羽はなかった。

南部発電所の管理から異動したソーは、新たに設立された新しいコークスを開発する部門で働きはじめていた。
部屋で荷解きをしているとテレビで子供向けのアニメがはじまった。彼はそのキャラクターに見覚えがあった。あの作業員が話していたものだった。

「明日は孫の誕生日なんですよ。どうしても欲しいゲームがあるみたいで、今日の夜勤明けで一緒に買いに行くんです」
男性は少し恥ずかし気に休憩室でソーと話していた。発電所の夜勤には毎日数十名の作業員と、管理者である本庁からの出向職員が何名かつくことになっていた。男性は工場での現場経験も長く物腰が柔らかかった。ソーも彼を通じて現場の様々な声を聞くことができていた。
「そうなんですね。何が流行っているんですか、最近は」
「私も詳しくはないんですが、こういう……」
男性がプレゼントの候補を見せようとしたとき、突如ボイラー内のセンサーが点滅し、異常値を示した。
「これは、また粉塵がどこかに詰まったかな。みてきますね」
男性は制御室から出て、重機へと向かった。
――ソーさん。準備ができました。扉をお願いします。
ボイラー庫の壁面の一部が変形し、内部に設置されている重機のアームが入る。
――ああ、外側まで詰まってますね。これは内部からじゃダメかな。ソーさん。外側から作業できる奴を呼んできてほしいです。
――わかりました。
ソーが別棟にいる作業員を呼ぶために制御室を出た。寒かった。その晩は連休期間の出勤日で休暇を取っている職員が多くすぐには作業員が見つからなかった。
第29ボイラー庫に戻ったとき、重機がなぜかボイラー内に落下していた。呼びかけるが作業員に応答はなかった。
ソーは事故を通報しようと席を立った。その時、彼は突然尿意に襲われた。そして、そのままトイレへ向かい用を足した。
ボイラーに落ちては助からない。数百度の炎が苦しみもなく燃やしただろう。
用を足していると、トイレの壁にかけられた時計が日付をまたいだ。手を洗いながらソーは思った。あの作業員の孫の誕生日だ。孫をかわいそうに思った。プレゼントが一つ減ったのだから。鏡に映る自分の顔は半分他人のようにみえる。
ソーの通報からしばらく経つと、燃料供給ポンプの空気抜き配管内で火災発災し、ボイラー内のタンク爆発に拡大した。当該配管はタンクまでバルブがなかったため、タンク気相の想定外の可燃性蒸気が配管内に進入したためだった。緊急警報が発電所全域に流れ、避難がはじまった。

ソーは抜羽手術を行うために病院を訪れた。医師から説明を受けながら、写真を撮るかと尋ねられた。最近は羽を抜く前に、翼を広げた美しい姿を記録しておく人が多いらしい。ソーは医師の申し出を断り、そのまま手術室へと向かった。全身麻酔が入り、徐々に意識が薄れていくなか、彼の脳裏に浮かんでいたのは海だった。
――我々は限られた資源のなかで生きていかなければならない。この世界で我々の供給する電力こそ全てのインフラだ。そのなかで大事なのは自分の今の立場だ。どの順番にいるか、要は持ち回りなのだ、この世界は。そして私は今、この役割を与えられているだけだ。人事異動と同じ、ドラマの配役と同じた。今、私は生きているのだ!
目が覚めたとき、彼の抱えていた”倦怠感”は無くなっていた。【了】

文字数:11706

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