サンアイ・イソバ

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梗 概

サンアイ・イソバ

15世紀、人と酷似した一体の知的生物”巨性体”と人間たちが共生するサンアイ島があった。
巨性体は成人すると身長や腕力が通常の人間の倍ほどになる。しかし寿命が短く、延命のために妊婦の屍肉を定期的に摂取する必要があった。
島民の屍肉を生贄として捧げる代わりに、巨性体はその力で島を周辺の国々から守る統治者”アブ”としての役割を担った。

巨性体は生涯で一度だけ、単性生殖によって”複製子”と呼ばれる女児を産むことができた。
100年近く生きるアブは、次の巨性体として娘「イソバ」を産んだ。

第二次性徴期を迎えるまで巨性体と人間に大きな違いはなく、イソバは島の子どもの一人として育つ。
ある時、遊びの最中に海で溺れたイソバを島の少女チマが助ける。チマの家は代々漁師で、島でも有数な船乗りの家系だった。
2人は幼いながらも密かにひかれあっていた。

初潮を迎えたことで、イソバは隔離され、次のアブとなるための教育がはじまった。
そして指南役の老女とともに”クブラワリの儀”と呼ばれる祭事へ出かける。
そこでは崖上に妊婦が集められていた。アブである母親の号令で妊婦たちは順に草原を駆け出し、崖の対岸をめがけ裂け目から跳んだ。
しかし身重の状態で対岸まで跳べる者はほとんどいなく、崖の下へ次々と落下していった。
イソバは老女に理由を尋ねるが、島を守るためだとだけ聞かされる。

その晩、島では祝宴が開かれる。イソバは目の前の料理が、クブラワリの儀で犠牲となった妊婦の屍肉であると知らずに口にする。
崖を跳ぶことのできる強い妊婦は生き残り、そうでない者はお腹の赤子とともに生贄となっていた。
宴の途中、一人の少年が泣きながら目の前に現れ、イソバを非難する。そこで口にした料理が、少年の姉の屍肉であることを知る。
イソバは母親を責め立てるが、異なる種同士が理解しあうのは不可能であり、共生するために仕方のないことだと告げられる。

***
祝宴以降、イソバはアブ継承への準備を拒絶し、閉じこもるようになっていた。
朝方、人目を忍んで浜辺を歩いていると、漁に出た船が戻ってきていた。
そこには立派な船乗りへ成長したチマの姿があった。茂みに隠れたが、チマはイソバを見つけると近づいてきた。
そして結婚したことを告げ、イソバの手を取り自らの腹部に当てた。鼓動があった。

周辺海域に諸外国の船が現れるようになり、島では戦の様相を呈してきた。
アブとしての役割を果たすべく、母親は島の船乗りや男たちと船団を組み、海へと出た。
身重だったチマも、アブを運ぶために漕ぎ手として出航した。
遠くの海上で火が上がる。それをイソバは一晩中眺めていた。
翌朝、一人の島民が帰還し、敵の全滅とアブの死去を告げる。

「今日から貴女がアブです。イソバ様」
老女が告げた。
浜には多くの遺体が漂着し、そのなかにチマもあった。
イソバは島を守る覚悟を決め、さざ波で揺れるチマの遺体に喰らいついた。【了】

文字数:1193

内容に関するアピール

▲テーマについて
「得意なこと」=「力のある画の設定」だと考えています。
私は作品を読んだときに、なにかしらシーンが読者の頭に残ることを意識しています。
本作の場合、ラストシーンにあたる「イソバが苦しみながらもチマの屍肉を食べる画」が印象に残るようにと物語の展開を考えました。

▲タイトルについて
『サンアイ・イソバ』は沖縄県与那国島に、15世紀末頃に実在したとされている巨体の女性首長です。
先島諸島(沖縄本島以外の離島たちの総称)は16世紀ごろになると、琉球王朝に制圧され傘下へ入っていきます。
最後まで独立を保っていた与那国島も、王朝傘下となった宮古島や西表島の侵攻を受け、次第に従属していくことになります。イソバは侵攻のさなか、小さな島を守るために奮闘したとされています。

文字数:333

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サンアイ・イソバ

――洞窟での秘め事は決して光を浴びない。
島の西側にある岸壁の下には、波の浸食によってできた巨大な洞窟があった。普段は流れの速い海水が奥まで入り込んでいたが、潮の引いた僅かな時間であれば入口辺りまで歩いていくことができる。洞窟は大人たちから遊びにいくことを禁止されていた場所であったが、島の子どもたちは黙って入口までよく出かけた。そこで大声を発し、跳ね返るこだまの量を競い合う遊びが最近の流行りだった。
いつものように子どもたちは、奥の岩に打ちつける波の音に負けないように大声を発す。こだまに耳を澄ませ、それから再び声をあげる。次の子どもと場所を入れ替わったそのとき、洞窟の奥から何か声のようなものが聞こえた気がした。一同が黙った瞬間、壁に波がぶつかり大きな飛沫が立った。一人が浜に向かって走り出すと、他もそれに続いた。砂浜まで戻ると、波打ち際に寝転んだ。
「なんの声?」
「わかんない。洞窟の化け物?」
「そんなのいないよ」
子どもたちは日光に目を細めながら肌が焼かれる感覚に身を任せていた。少しの恐怖は団結を強めた。ひんやりとした感触を背中に感じ、呼吸を整えていく。そのころ、ようやく一人の女児が寝転んだ集団に追いついた。一際大きな身体の彼女は、既に肩で息をしていた。
「遅いよ、イソバ」
「はぁ、はぁ……ごめん」
イソバは他の子どもと同様に砂浜に倒れこむ。一人が起き上がると、イソバの右腕に入った切り傷のようなものを指で差した。
「その傷なに? 戻るときに転んだの?」
「わかんない、昔から。お母様も同じ場所に同じ傷がある。ほら」
イソバは身につけていた衣を脱いだ。生命力に溢れた肌があらわになる。子どもたちはイソバの身体に刻まれた無数の傷痕に見入った。
「これ痛いの?」
「ううん。ホクロと同じ。全然痛くない」
子どもたちはイソバの傷痕に触れた。かさぶたのようなザラザラ感と芋虫の腹のような柔らかさが混じった感覚だった。
「変なの!」
痕を触るのに飽きた一人が駆け出すと、他も再びそれに続いた。その後、子どもたちは貝殻を海に投げる遊びをはじめたが、イソバに敵う者はいなかった。彼女は他の子どもの倍の飛距離を容易に飛ばした。感嘆の声があがるなか、その様子を眺めている一人の少女チマがいた。
舟乗りの家に生まれたチマは、舟を操れる者が一番すごいと考えていた。サンアイ島のような小さな島では、舟乗りたちは魚を獲るだけでなく、他の島との交易役も務める。島に恵みや情報をもたらすのは海を渡る舟乗りたちが最初だった。チマの家は舟乗りたちすべてのまとめ役だった。
村の大人たちは何かとイソバを褒めた。それが無意識に子どもたちにも伝染しているようにチマは感じていた。彼女の両親でさえそうで、チマはもっと舟乗りは誇りを持つべきだと思っていた。そのため、彼女は何かとイソバに突っかかっていた。
村の広場で籠を作っていたときもそうだった。籠を作るのは女の仕事で、縦に細く切った葉を交互に編んでいく。長さが足りなければ過熱した芋を磨り潰し接着させる単純な作業だった。
「イソバ様上手だね」
「こりゃ立派だ」
次々に虫籠を完成させていくイソバを大人たちが褒めた。場の空気が少し変わった。
「巨人女のくせに」
チマはイソバに聞こえるようにそう告げるとその場を後にした。大人たちはチマを捕まえて叱った。イソバをみると不思議な視線をチマに向けていた。それがまた彼女は気にくわなかった。
特別な存在なら、もっとそう振舞えばいいのに。なんで哀しそうにしているのかわからない。まるで私が悪者みたい。
「つまんない」
彼女は海岸のイソバたちを眺めながら、そう漏らした。島を治める統治者“アブ”の娘か何か知らないけど私の方がずっと凄い。舟を操る術なら他の大人たちよりも上手い。チマは走って、イソバの前に立った。
「ねぇ、イソバ。私と勝負してよ」

2人は飛び込み岩の上に立っていた。潮風が下から吹きあがり、チマの真っ黒な髪の毛がなびく。
「いい? 飛び込んだら海底にある石を拾って浮上する。石の大きい方が勝ち」
「わかった」
子どもたちが見守るなか、合図とともに2人は一斉に海へと飛び込んだ。

海のなかに音はない。身体を動かすとぶよぶよとした海水を感じ、自分の体温をより強く感じることができる。
先に海底に着いたのはチマだった。身体をくねらせながら石を探す。段々状になったサンゴ礁を見つけると、奥へ進んだ。岩同士の間に手ごろな石を見つけた。両足で力強く海水を蹴って、もう一段深く潜る。その時にようやくイソバが海底に着くのが見えた。彼女は平らな場所で石を手に取り大きさを見比べている。
――なんだ、そんなことも知らないんだ。
平らな場所に石はない。海流の通り道になり、大きな岩も削られていくからだった。サンゴの間に腕をつっこんで石を手に取り、浮上しようとすると妙な違和感を感じた。海水の流れがさっきより強くなっていた。温度も僅かに低くなっているように感じた。
――くそっ、まさか。
沈下流の兆候だった。沈下流が岩礁などの浅瀬で起きると、外縁から深い海底に向かう沈み込む流れが発生する場合がある。チマはサンゴ礁の縁につかまり、流れに備えた。イソバは相変わらず石を選んでいる。恐らく、彼女は沈下流を知らないのだ。チマは一瞬迷ったが、すぐにイソバの元へ向かった。そして彼女の腕を取り、近くのつかまれる岩まで引っ張ろうとしたその時、2人の身体は海中に放たれ流れに巻き込まれた。
――海流が思った以上に速い。このまま沈んだら息がもたない。
チマはイソバの腕を引きながら必死に浮上しようとした。ある程度まで上がれば沈下流から脱出できるはずだった。それまで息が持つように海に願いながら海面を目指した。
ふわっと身体が軽くなった。浮上すると、そこは洞窟のなかだった。
イソバは海水を少し飲んだのか、咳込んでいた。チマはイソバを四つん這いにさせ彼女の背中を叩いた。しばらくしてイソバが落ち着くとチマは怒鳴った。
「おい! イソバ。おまえは沈下流も知らないのか!」
その声が洞窟内に反響する。
「ごめん……わかんない」
「ここって洞窟のなかだよね」
「そうだな」
「早く出ようよ。来たらいけない場所だし」
「洞窟のどこにいるのかわからない。地図もないのにどうやって出るんだ」
「とりあえず波の音の方に」
2人は音を頼りに歩きはじめた。
「チマは私のこと嫌いなんでしょ。でも……助けてくれてありがとう」
「別にそうじゃない。ただ、特別扱いされているのが気にくわないだけだ。大人たちもみんな。イソバが次のアブだから優しくしているんだ」
「そうかな?」
「誰にだって役割がある。私も女だからいつか子どもを産まないといけない。誰よりも舟に乗るのが上手いのに」
「それなら私もそうだね。いつかアブにならないといけない」
「まぁ……そうだな」
チマは初めて自分もイソバも同じ島の役割のなかにあることをわかった。しばらく歩くと天井の隙間から光が漏れているのが見えた。見上げると崖があった。
「なるほどな、洞窟は島の西側の崖下まで続いているのか。完全に逆だ。少し休んで戻ろう」
チマは座り込んで黙った。小石を壁に投げるとカンカンと壁に当たる音がしたがすぐに沈黙がおとずれた。崖の狭間から見えていた曇空が晴れ、光が射してきた。
チマは悲鳴をあげた。白骨化した人間の死体がいくつも転がっていた。先ほど投げたのは石ではなく骨の一部だった。
2人は来た道を走って戻った。
「やっぱり化け物がいるんだ、洞窟には」
「そんなことない。それならお母様が退治しているはず。アブは島を守るんだから」
「どうかな。うちの親はアブを利用するものだって言ってたよ。身体の大きさだけじゃなくて何から何まで人間と巨性体は違うんだって。巨性体は野蛮な生物なんだって」
「そうなんだ。私もお母様とはほとんど会わないからチマがそういうならそうかも」
「巨性体なのに人間の味方か」
「どうせ巨性体は1人だし。チマはいつか家族ができるんだからいいじゃん」
「そんなことないよ」
チマは突然立ち止まるとイソバの口を自分の口で塞いだ。イソバは目を見開いて驚いたが、チマも自分自身の行動に驚いた。長い沈黙が続く。まだ幼い2人は自分たちの行動に戸惑っていた。洞窟の先の方から大人たちが2人を探す声が聞こえてきた。
「洞窟での秘め事は決して光を浴びない」
チマが口を開いた。
「うん、これは秘密だから。洞窟のなかのことだから」
返事をして大人たちの方へ駆け出す。2人の返事が洞窟内にこだまし続ける。

***
子どもから大人へと身体が変化していくにつれ、次第に島での扱い、特に社会的な立場は変わってくる。子どもたちのなかでも第二次性徴期をむかえた者たちはひとり、またひとりと遊び仲間から抜けていき大人になるための準備がはじまっていく。親兄弟の元で本格的に仕事をはじめ、一人前の大人を目指す。それと並行して、家同士では誰と誰を結婚させるかの相談も行われるようになる。
イソバも初潮を迎え、胸の膨らみもはじまった。しかし、それは彼女にとって全く不要な成長であった。ただ、島を守るためだけの存在だった。
彼女の経水の知らせは島中に行き渡り、村の世話役の一人であるサカイが、イソバを次の島のアブとして教育することになった。
「今日から私がイソバ様の教育を担当致します。次のアブとして立派に育てあげますので、しっかりと学んでください。これからは今までのように安易に島の者たちと話してはなりません。次のアブとしての自覚や振る舞い、そのようなものを身につけていただきます。アブは島を守る御神体なのです」
巨性体がいつからサンアイ島に住み着いているのか、人間との関係性がどのようにはじまったのかは不明であったが、サカイによると少なくとも数世代前には巨性体と人間の共生は行われていたという。
「子どものころの巨性体は姿かたちが人間と似ていますが、成長していくに連れ、次第にその変化が目に見える形で現れてきます。巨性体の寿命は数十年とも数百年ともいわれ、現在のアブ様も私の生まれる前から既に島を納めておりました。今のイソバ様ですら私より背丈は大きい。母君をご覧になればわかるかと思いますが、イソバ様も成人するころには島の男たちの倍近くの背丈になっているでしょう。人間の第二次性徴期は生殖機能の充実が一つの柱になりますが、巨性体の場合はそうではありません。純粋な意味での生殖機能は巨性体には無いのです。巨性体が子どもを産むことはなく、種をもらうこともないのです」
「じゃあ、私はどうやって……」
「巨性体は生涯で一人だけ女児を産むことができます。それは“複製子”と呼ばれております。イソバ様は母君の複製子ということになります。複製子は母体となる巨性体のいわば肉体的分身です。イソバ様の肉体にある無数の傷痕も母君や歴代のアブたちが島を守るために戦った証なのです。巨性体の肉体には、受け継がれる書物のようにその時代のアブたちの記憶の痕が刻まれているのです」
イソバは自らの傷痕を眺めた。それの一つ一つに歴代のアブたちの人生が入っていることに実感はなかった。
イソバはある朝、サカイに連れられ広い崖へと来た。かつてこだま遊びをしていた洞窟の上だった。他の世話役や防人たちもいてその一人は胡弓を持っていた。しばらくすると集落の方向からいくつかの家族の集団が現れた。イソバは集まってきた家族たちの母親がどれも身重であることに気付いた。涙を流している妊婦もいる。防人が胡弓を弾きはじめると、妊婦たちが家族から離れた。イソバと同年代か少し年下の子どもたちが泣き叫び、中には母親に近寄ろうとする者もいた。しかし父親たちが必死に押さえていた。
妊婦たちは次々に草原を駆け出し、そのまま対岸をめがけ、崖の裂け目から飛んだ。崖の反対側に辿り着ける者は健康な大人でも稀有で、ましてや身重の妊婦で渡れる者はいなかった。崖の縁に鈍い音が響き、妊婦たちは落下していく。悲鳴をかき消すように胡弓の音が大きくなる。
「よくみておくのです、イソバ様。クブラワリの儀です」
「何それ……?」
2人の妊婦が対岸の崖に手を掛けていた。両腕で必死に縁につかまり力を入れる。痙攣する身体に全員が見入った。そして妊婦は対岸にたどり着いた。家族から安堵の嗚咽が漏れる。しかしもう一方の両腕の力は尽き果て、崖底に落ちていった。崖の割れ目に駆け寄ろうとする幼児を父親が強引に静止し、家族たちも村へと戻っていった。
対岸の岩には妊婦たちの血痕や、爪で引っ掻いた跡が残っている。イソバはその光景に恐怖を覚えた。
「島を守るために必要なことなのです」
運ばれていく母親、あるいは二人少なくなった家族たちが帰路につく姿をみて、あの儀式が必要だとか当たり前だとか、そう皆が平気で受け入れていることが理解できなかった。そして自分は島の人々にこんなことはさせないと誓った。

その晩、島では祝宴が開かれた。次世代のアブに性徴期がおとずれたことを祝しての席で、百人を超す島民全てが参加していた。イソバには昼間の光景がまだ脳裏に残っていた。宴席には、崖の上にいた親子たちもいて父親たちは酒を飲んで次第に踊り始めた。目の前にひろがる賑やかな席に、イソバは次第に自分自身の感覚が麻痺してくるように感じた。昼間のことは夢か何かで、島の人々が幸福に感じ過ごしているのなら、それで良いような気もしてきた。調理された料理が運ばれ、サカイがイソバに説明する。祝宴用の料理には歴史や意味があり、巨性体は島の恵や島民との関係に敬意を払いながら食事をしなければならない。人間にとっては宴の席であっても、巨性体にとっては一つの儀式であると説明した。
「お食べください。この料理には大人になる巨性体に向けての覚悟と島民との同化の意味が込められています」
口に入れると不思議な味がした。ぼそぼそとした触感の肉で薄い繊維のようなものが歯に挟まった。あまり美味いものではなかった。
「味はあまりだな」
「祝宴の料理とはそういうものです」
突然、イソバの目の前に1人の少年が飛び出してきた。崖で泣いていたあの少年だった。
「化け物!」
大人たちの血の気が引き、少年を取り押さえた。
「お前のために、姐ちゃんは死んだんだ。美味いか? 姐ちゃんの肉は美味いかよ」
少年は地面に頭を抑えられながらも、それを振りほどきイソバを睨み付けた。血の気の走ったその目にイソバはすべてを理解した。急に口内にぞわぞわとした感覚が広がり、肉を吐き出した。そのまま屋敷へと駆けた。慌てたサカイが彼女を追いかけ、部屋に入ってきた。
「サカイ。どういうことだ!」
黙るサカイの後ろから母親が部屋に入ってきた。
「お母様」
「崖を跳ぶことのできる強い妊婦は生き残り、そうでない者はお腹の赤子とともに巨性体の力となる。クブラワリの儀はそのための選抜だ」
「なんでそんなこと……」
「巨性体は人間を喰うことで力をつける生き物、それだけだ。早く席に戻れ。お前のための祝宴だ」
「嫌!」
「イソバ、覚えておけ! 異なる種同士が理解しあうのは不可能であり、それでも島で共に暮らしていかなければならない。それぞれには役割がある。共生するためには仕方のないことだ。サカイ、連れていけ」
サカイはイソバの腕を握った。その手も震えていた。祝宴の席に戻ると先ほどの少年の姿は見当たらなかった。まるで先ほどの騒ぎがなかったかのように場は盛り上がっていた。遠くにチマの姿がみえた。彼女はイソバと目が合うと視線を逸らして会場を後にした。洞窟でみた白骨が頭をよぎった。あれは巨性体のせいだったのだ。
祝宴以降、イソバは屋敷の奥に閉じこもるようになり人前に姿を現さなくなった。

***
夜の闇のなかを、舟乗りたちは島へ戻る航路についていた。最近は他の島との交易も以前のようにはいかなくなっていた。
「まったく……まるで俺たちがならず者みたいだな、夜に紛れてこっそりと出ていくとは」
「仕方ないだろう。あの島も王朝の傘下に入っちまった。俺たちと表立って交易はできない」
「王朝に組み込まれると、酷い税が課せられるって噂だぜ」
「サンアイ島もそうなるのかな」
「どうだろうな。他の島と違って巨性体が守っているんだ。アブ様がなんとかしてくれるさ」
「まぁ、今のアブ様ならな」
「確かに今後は不安だ……イソバじゃ」
「おい、イソバ様だろ」
「どっちでもいいさ。こんな海の上じゃ、巨性体の耳に入るわけでもない」
「クブラワリの儀で捧げられた人の肉を喰うのに気を病んで以来、サカイ婆以外とは顔を合わせないらしい」
「おいおい、そんなことで次のアブが務まるのか」
「サカイ婆がどうにかするさ。教育係なんだから」
「でも巨性体は美味くて人間を食べているのかと思っていた」
「そんなことないだろ。それなら年に一度じゃなくて、もっと頻繁に食べてるさ」
「確かにな。よくわからんな。巨性体ってのは」
「でも、その存在で島は守られてきた。今だって王朝が攻めてこないのは巨性体を恐れてるからだって話だし」
「おい、あれ……」
海上に黒い壁のようなものがみえた。舟乗りたちは驚き、慌てて舵を切ったが間に合わず衝突した。よくみると、それは巨大な船の側壁だった。舟の頭が崩れ、動かなかった。その間に頭上の船から松明の灯がみえ、いかだが点々と現れ舟乗りたちを囲んだ。

祝宴から数年が経った頃、周辺の島々の様子は以前と比べ、変わってきていた。はるか西にある島の王朝が近隣の島々を併合しはじめ、いつサンアイ島にやってきてもおかしくない状況となっていた。島ではアブや世話役たちが今後の対応をめぐって話し合いの場を日々持っていた。そんななか、最近王朝の傘下に入った島から使者が訪れた。
漁に出ていた舟が王朝の傘下にある島で拿捕されたという情報だった。王朝は捕虜の返還と引き換えにサンアイ島との”交易”を開始するために島への上陸を希望しているという。
「駄目です!」
漁師をまとめるチマの父親はアブに進言した。
「王朝にとっては領土を広げるよいきっかけです。もし上陸を許せば、あっという間に島は支配されます」
「だが、我々の島が他と比べて技術的に遅れを取っているのも事実だ。それは同じ舟に乗る者として痛感しているじゃろ」
「しかし近隣の島々では島民たちが苦しんでいる。漁師たちからの確かな情報です」
「お前たち漁師のもたらす情報は古い」
世話役の一人がチマの父親を挑発した。立ち上がり腕を振り上げたとき、アブが口を開いた。
「予はこの島を守るために皆と共生してきている。立ち上がるべきは今だ」
島に上陸する前に王朝の船を討伐することが決まった。

イソバは人の目がない深夜に海辺を散策するのが習慣となっていた。水面に微かに映る自らの姿はもはや人ではなく、獣の様相を呈しているようにさえ彼女は感じていた。身体は大きく成長し、背丈はサカイの倍に達していた。人前に出ることを止めた彼女は島の歴史や巨性体の役割を学び、知識が増えていくたびに自らの生態をより強く憎むようになっていった。しかし同時に巨性体がいなければ島はとっくに外の島々に併合されていたのも事実だった。今、この島が小さいなりに自治を保てているのは、この異形の知性体の力によることが多いのも事実だった。
「お母様も同じように感じていたのだろうか」
幼いころから母親はあくまで統治者であった。島民と同じく畏敬の対象として母親は在った。しかし今、次のアブとなって初めて彼女は母親と親子であることを実感していた。結局のところ、巨性体は孤独な存在なのだ。
遠くの海上に漁火がみえ、舟が向かってくる。イソバは茂みに隠れた。舟が上がってくると、そこには立派な船乗りへ成長したチマの姿があった。
チマは浜に降りると、辺りを見回し、茂みに近づいてきた。
「イソバ!」
逃げようとするイソバの手首をつかんだ。
「久しぶりだな」
「なぜわかった?」
「漁師は暗い海で水面をみるんだ。目は良い」
チマの波を読む感覚や操舵技術は兄弟たちのなかでも特に優れ、その実力を買われ結婚後も特別に彼女は漁に出てよいことになっていた。その噂はイソバの耳にも届いていた。
チマはイソバのそばに腰掛けた。
「子どものころ、海底に石を取りに行って洞窟まで流されたの覚えているか?」
「うん」
「あの後、家に帰って怒鳴られたが、父上は私の判断は間違っていなかったと褒めてもくれたよ。あのままだったらイソバは流されて死んでいた。父上は酒を飲むたびに、私が男だったらどんなに良かったかと今でも愚痴をこぼす。そんなこと無理なのに」
イソバは長年したためていた想いを伝えようとしていた。幼いころには、ただただ混乱しただけだったあの感情を。今ならきちんと言葉にできると思った。
「ねぇ、あのとき洞窟で……」
チマはイソバの口を手で塞いだ。
「イソバ。洞窟での秘め事は決して光を浴びない。覚えているな」
そして、自らの腹にイソバの手を当てた。微かな鼓動があった。
「妊娠しているんだ。もうすぐ舟にも乗らなくなる」
イソバはチマの腹から感じる生命に寒気を覚えた。
「心配するな、崖は渡る。そのために今も舟に乗って体力を維持しているんだ」
「でも……」
イソバは自然に涙を流していた。
「私たちのせいだ。ごめんね、ごめんね」
舟の片づけをしている男たちが2人の方をみていた。チマは立ち上がると指示を出した。男たちは魚を荷台に載せて集落へと戻っていった。
「相変わらず島の男たちはだらしない。父親が嘆くのもわかるよ。未だに妊婦の私がいないと駄目なんだから」
イソバの涙は嗚咽に変わっていた。
「ほら。次のアブが泣いていたら島に不安が広がる。しっかりするんだ」
「わかってる」
「お前は島を守る存在なんだ。島の皆もわかっている」
「……大丈夫」
「よし、じゃあな」
チマはそういうと立ち上がった。
「お前が喰うなら別に悪い気はしないぞ」
イソバはその姿が見えなくなるまで見送っていたが、チマが振り返ることは一度もなかった。

***
奇襲決行の夜、アブは舟乗りたちとともに沖へ出た。王朝の巨大な船を囲んで一気に襲撃する手筈だった。小さな舟は闇に紛れやすい。真っ暗な世界で頼りになるのは漁師たちの”眼”と操舵技術だった。チマは島一番の技術を買われ、アブの乗る舟を操作することになった。
舟が出ると、残った島民たちは砂浜の奥に巨大な穴を掘りはじめた。イソバは剛腕を生かし周辺の岩をどけると、そこを島民たちが農具でならしていく。子どもたちも総出で穴の準備を進めていく。穴掘りは残された者たちにとって、一種の儀式だった。心を無にして儀礼的に堀り進めていく。穴の大きさは海に出た人々の数による。還ってきたときの新たな家となる。海で亡くなるとほとんど島に帰ってくることはない。波が運び、島にたどり着いた遺体は、それだけで幸運なことだった。
遺体に被せるための土をならすのは子どもたちの仕事だった。
「還ってきたら、柔らかい布団で寝かしてあげようね。あんたたちが温かい土の布団を作るんだよ」
サカイは手伝いに飽きた子どもたちにそう言い聞かせる。穴の意味をよく理解していない子どもたちは、大人の真似事として何か役割があることに満足し再び土をならしはじめた。
遠くの海上で小さな明かりが上がるのがみえた。奇襲がはじまったようだった。離れていても時折、轟音が聞こえた。その度に島民たちは一瞬そちらをみたが、またすぐに穴を掘りはじめた。思わず見入ってしまう者もいたが、注意されると作業に戻った。戦は一晩中、続いた。その間、海上には火の手が散り散りに上がり続け、穴の準備を終えた島民たちは島で一番高い岳に登り、黙ってその様を眺めた。
――大丈夫。チマは島で一番の乗り手だ。何も心配することはない。
皆の無事を願ったが、イソバはチマのことが特に気掛かりだった。

夜の海は視覚を奪う。本来、人間には不向きな環境だ。しかし私は違う。幼少期からずっと海と向かい合ってきた。
チマは耳に神経を集中させた。僅かな違和感を拾うことが大事だった。そして、そこから情報を膨らませ次の事態を予測する。過敏になるくらいで丁度良かった。
漁も奇襲も同じだ。相手の隙をつく。
チマは他の舟たちとは少し距離を取っていた。目的はアブを相手の船に乗船させることだった。
「チマよ」
思えば彼女がアブと直接会話をするのは初めてだった。
「はい」
「確かイソバが子どものころに溺れたとき、助けたのはお前だったな」
返事をしようとしたとき、チマは突然、海に向かって嘔吐した。
「舟乗りが船酔いか」
「いえ、まさか。少し気分が悪く……」
アブは大きく息を吸い込む。舟が揺れ、波が立った。
「妊婦の匂いだな。子が腹にいるのか」
「はい」
「そうか……海で死ぬか、巨性体で死ぬか」
「お言葉ですが私は漁師です。海に命を還すことはあっても、海で死ぬことはありません」
奇襲がはじまり、王朝の船団に火の矢が放たれる。
「ふん。強い女だな。評判にもなるわけだ」
アブが笑みを浮かべた。チマは初めてアブの表情が変わるところをみた。巨大な顔に深い皴が増えていき、これまで多くの人間を喰らった歯がびっしりとみえた。
「次のアブを守ってくれたことを感謝する。例え今夜、我々が滅びようとも新たな統治者が島を守るだろう」
「はい、ありがとうございます」
「さぁ、島一番の乗り手よ! 我らもいこう。島を守るのだ」
舟は王朝から飛ぶ反撃の矢を縫って、船へと近づいていった。

***
朝方になると海は鎮火していた。両軍の姿はなく、船体の倒壊した板たちが散々と浮かんでいるのがみえた。
砂浜に降りると、さざ波が死体を運んできていた。大人たちは、島の人間が流れつくと昨夜から堀り進めていた穴へと運んでいく。島中の荷台を集めてもすぐには運びきれず波打ち際に死体を集め、流されないように網で囲った。
見知らぬ者、恐らく敵であろう死体が流れつくと、子どもたちは王朝の奇妙な衣裳を面白がり、流木で叩いたり石を投げたりした。普段ならそれを叱る大人たちも穴へ遺体を運ぶことに忙しく、またその無邪気さが自らの哀しみを代弁していることもあり、強く咎める者はいなかった。
「おい! あれを見ろ!」
声を発した男の指が示した方向から水飛沫がわずかにあがっていた。浜に向かって泳いでくる男の姿があった。
「誰だ?」
「わからねぇ」
島民たちは子どもたちを村に走らせ、槍を構えた。男が段々と近づいてくると武器を下ろした。
戻ってきたのは修行中の若い漁師だった。遠距離を泳いできたことで彼の身体は衰弱していた。サカイは男を村に運ぶための荷台を持ってくるように指示した。
「どうなったのだ?」
「王朝の船は沈没しました」
その言葉に周辺の者たちは安堵した。
「海流もここに向かっていますし、別の島にたどり着くことは不可能でしょう」
「そうか、よくやった」
「船を沈めた場所から一番近いのはこの島です。ここに来なければ生き残ることはまずない。情報も王朝まではきっと届かないはずです」
「アブ様は?」
世話役の一人が尋ねると、男は目をつむった。彼の瞳に涙が溢れた。
「恐らく途中で亡くなられたかと。チマ姐と……」
「チマがどうした!」
イソバが声を荒げる。
「チマ姐は見事にアブ様を敵の船に届けました。素晴らしい舟捌きでした。相手の矢を全てかわすんですから。相手はチマ姐とアブ様の姿に恐れをなしていましたよ」
男は嬉しそうに微笑んだ。世話役たちは沈黙した。
「わかった。よく生きて帰ってきた。おい、手当を頼む!」
男は荷台に載せられた。身体をわずかに起こしイソバの方を向いた。
「イソバ様! 幼いころの無知だったとはいえ、以前は無礼を働き申し訳ございません」
「何のことだ?」
「イソバ様の祝宴を汚してしまい……きっと姐も自らをイソバ様に捧げることができて感謝しているはずです」
男は再び寝転がり、村へと運ばれていった。結局、帰還したのは彼1人だけだった。

世話役たちは村に戻ると新たなアブの就任を正式に決定した。
「今日から貴女がこの島のアブです」
サカイがイソバに告げると周りから拍手が起こった。
「早速、就任の儀式の準備をせねば」
「そんな場合ではない」
イソバは一喝すると部屋を後にした。サカイは彼女を追った。
「イソバ様!」
「少し待ってくれ、すぐ戻る」

浜辺には次々と死体が流れ着いていた。死ねば自然に還る。意志を失った肉体たちが波と同化し浜を転がる。
チマの遺体があった。健康的で美しかった顔は青ざめ、腹に触れるとそこには静けさだけがあった。
――島を守ることに覚悟が必要だ。私はその役割のなかにある。
イソバは遺体に喰らいついた。骨と歯がぶつかり、臓器同士が磨り潰される耳障りの悪い音が辺りに響く。彼女の口や手から血や肉が滴る。強烈な臭いが辺りに充満し、周りの島民たちはその様子に恐怖を覚えた。
「私はサンアイのイソバだ」
この島を守っていく必要がある。イソバはチマの遺体を抱えると穴へと向かった。昨夜あれほど大きかった穴は半分まで遺体で埋まり、まるで枯れ枝のように手足が積まれていた。そのなかに半身となってチマを投げ入れる。口元の血を吹き、村の屋敷へと戻った。
「戦は終わったわけではない。再び王朝は侵攻してくるだろう。我々はその脅威に備えなければならない」

 

砂浜に落ちていたチマの肉が、波に引かれる。
肉片は波に誘われながら沖に向かうと海水を含み徐々に沈んでいく。
血の臭いに魅かれ、魚たちが集まってくる。
かじりつく魚たちに細かく分断されたチマは島を離れていった。
魚たちの食べ残した肉の欠片は、やがて海底に向けて沈み込む。
流れに導かれ、徐々に生者の光と音から切り離されていく。
そして今日も生きているはずだった彼女の血肉は、広大な海の一部となり、海に帰り、海に還っていった。【了】

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