桃太郎草紙

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梗 概

桃太郎草紙

14世紀後半、沖縄本島中部に位置する中山王国は明との朝貢貿易で栄えていた。琉球産の馬は評判が良く、明はより良質な馬を献上させたいと考えた。そして様々な技術を伝えるため人々を移住させ、”桃”家も医学や生物改良技術を広めるために渡来した。

中山王国では馬の改良を進めるなかで、突然変異した二足歩行の馬が現れることがあった。
それらはオニと呼ばれ駆除されていたが、何頭かが逃げ出す。

桃家に男児が生まれ、人々から桃太郎と呼ばれる。成長すると中山王国の役人として登用され、留学生として明へ派遣される。

明では海禁令が布かれ民間船の入港はできなかったが、港町では密かに外国船が横行していた。
桃太郎は兄弟子のかくに連れられ南蛮の見世物小屋へ出掛ける。そこで観た動物雑技に感動し、この技術を使えばオニを制御できるのではと考えるようになる。
南蛮人によると芥子を元にした丸剤で動物たちを制御しているという。その薬を使えば運動能力が飛躍的に向上するが、中毒性も強く、服用を続ければ認知など判断能力の低下を招くこともあるという。
桃太郎は芥子丸剤が明や琉球で自生している曼陀羅華と似た効能を持つことに目をつけ薬の開発に乗り出す。
そして一年後、郭とともにサルの抑制に成功する。
曼陀羅華による制御薬、”奇微キビ”が完成した。

帰国すると、故郷の村がオニに襲われ両親が亡くなったことを知る。オニたちはこの数年で、他の動物と交配し数を増やしていた。
桃太郎は両親の死により、オニを制御するのではなく駆除することが必要だと考えるようになる。
そして役人を辞め、猟師となった。

***
猟師となった桃太郎は山で一匹のオニと遭遇した。
形状から元は犬のようだった。明から連れてきたサルと奇微で制御したキジを使い、オニを猟銃で仕留めた。
二匹は褒美を求め、興奮した様子で声を挙げる。
死体の傍に子犬が駆け寄ってきた。桃太郎は子犬を持ち帰り、オニ駆除用のイヌとして育てることにした。

***
官吏から依頼を受けた桃太郎は、オニの集団発生が起きた集落を訪れた。跡を辿り山奥へ入っていくと、複数種類のオニによる襲撃を受ける。
オニたちは繁殖だけでなく、元々の種を超えた独自の共同体を形成していた。

劣勢のなか、まだ奇微への依存度が薄いイヌは、丸剤の効果がきれて記憶が錯乱しだす。
そして桃太郎が親敵であったことを思い出し、オニたちの間を縫い襲い掛かる。

勝ち目が薄いことを悟り、桃太郎はオニの情報を記した書をキジに託し空に放つ。
次第に意識が薄れてゆくなか、襲われるサルを見つめ、懐かしい留学時代と兄弟子の郭を想った。
力を振りしぼり立ち上がると、サルを逃がすために自らオニの集団へ飛び込んでいく。

官吏たちはキジから受け取った記録を読み、山に火を放った。
キジが奇微を求め空を旋回していると、燃え盛る山を一匹の猿が駆け抜けていくのがみえた。【了】

文字数:1184

内容に関するアピール

▲テーマについて
今回の課題について、これから関係性を築きたい人(まだよく知らない編集者や別媒体の読者)とのコミュニケーションの出発と、とらえました。
現実で誰かと関係性を築こうとした時に、まずは「共通の話題」を探すことからはじめるかなと思い、「昔話」であれば誰でも知っている共通項になり得ると考えました。
加えて、自身の故郷である沖縄を舞台にすることで「琉球王国×昔話」として、照英社やその読者に名前を覚えてもらいたいと考えています。

▲琉球史の補足
・三山時代(14世紀後半~)
琉球王朝統一(1429年)される前の沖縄本島は北山、中山、南山の三つの国に分かれていました。
三国とも明と貿易を行っていましたが、当時の港はサンゴ礁が広がる遠浅の海周辺にあり、座礁する危険性も高かったと言われています。
しかし那覇の浮島地区(中山王国の領土)は天然の良港で、座礁の心配がなく大型船の停泊が可能でした。
そのため中山王国は、三国のなかで最も明との交易が盛んだったとされています。

1392年: 久米三十六姓
洪武帝の命により、明からの渡来人が久米(現在の那覇市内の地区の一つ)に移住してくる。

文字数:483

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桃太郎草紙

桃太郎はキジを空へと放った。それから残りの弾薬の数を確認し、山道を登っていく。長い夏が終わりを迎え、段々と夜が早くなってきていた。木々から落ちる葉が少しずつ多くなり、歩くたびに乾いた葉の砕ける音が鳴り響く。その音で居場所がばれやすくなる。そうなるとと遭遇する可能性も高くなる。
オニは突然変異した動物たちの総称で、近頃では人里にも現れるようになり被害が出ていた。オニを退治するには秋までが限界だろうと桃太郎は思った。冬になると身体が強張りどうしても動きが鈍くなる。弾の入れ替えにも時間がかかる。拳を握って、また開く。それを繰り返し指がいつでも動けるように準備する。東の方でキジが甲高い鳴き声をあげた。その方向に進むと、後ろを歩くサルが次第に大きく呼吸をするようになった。
――近い。
桃太郎はいつでも取り出せるように肩にかかる猟銃の方へ腕を伸ばした。村人たちの話によると、今度のオニは四足歩行で、山の麓あたりでよく目撃されていた。この辺りの山は、島にしては比較的険しい。それでも人間と遭遇する可能性の高い麓によく出没するということは、元々そのオニは山に住む動物ではなかった可能性が高い。
キジの真下に到達した。山の空気が変わった。
深緑の茂みが揺れ、オニがゆっくりと顔をのぞかせた。口を半開きにし、子どもの片腕ほどあろう舌を出し、はぁはぁと息を漏らしている。垂れた涎が葉をゆっくりと伝い落ちていく。顔の形状からしてのだろう。藪から出てきたオニの全貌は桃太郎の倍近くあった。動物たちがオニになると、隆々とした筋肉がついて元の倍ほどの身体になる。低い唸り声が辺りに響く。警告の意の威嚇だった。それでも進み続けると、鋭い歯をみせ襲い掛かってきた。
サルと桃太郎は二手に分かれた。オニは眼を動かし、左右にいるサルと桃太郎を交互にみた。桃太郎とサルはオニに接近し、寄ってくると離れた。それを繰り返し、徐々に開けた場所へと移動していく。2人が合流し、オニと対峙した。
どちらから殺るべきかオニが判断しようとした刹那、痛みが襲う。
急降下してきたキジのくちばしがオニの首筋を刺した。くちばしには鉄製のくつわが装着されており、研磨された刃にオニの血が付着した。オニは退散しようとしたが、桃太郎とサルを追うなかでいつの間にか崖の上に誘導されていたことに気づいた。
桃太郎は猟銃を取り出すと、血が滴る首筋ではなく左の前脚に照準を定めた。弾薬を詰めるのには時間がかかる。その為にまずは脚を狙い、動きを鈍くさせる必要があった。サルが奇声を上げるとオニの視線が桃太郎から離れた。その一瞬で、弾を放つ。
オニはその場でうずくまった。呼吸が荒くなり、倒れた地面に血が染み入る。オニは桃太郎を見つめた。目の奥は冷たく、そこに恐怖はみじんもなかった。
弾薬を詰めた桃太郎は、確実に仕留める為にオニの頭にゆっくりと銃口を向けた。

とどめの銃声が山に響くと、キジはゆっくりと地面に降り立った。サルはもう褒美をもらっており、キジは甲高い声で催促した。桃太郎は奇媚キビを取り出した。甘ったるい匂いがキジを誘う。キジは丸剤を食らうと、とろんとした視線になりそのまま腰を下ろした。サルはすでに上機嫌になり千鳥足で歩き、頭を時折振っている。奇媚を摂取すると一種の酩酊状態に陥る。2匹はこの瞬間のためにオニと戦っている。
茂みが微かに動いた。
――しまった、まだ仲間がいたのか。
すでに快楽に酔いしれているサルとキジは使いものにならない可能性が高い。一発で仕留めるしかない。銃口を茂みに向けた。しばらくして現れたのは一匹の子犬だった。子犬はオニの元に駆け寄り、血の滴る頭部を舐める。
――親子か。
桃太郎は子犬に近寄った。どうやらオニになったのは親犬だけのようだった。子犬は桃太郎を見つめ、幼い声で鳴く。奇媚を一粒投げると、子犬は桃太郎の方を見上げた。しばらく匂いを嗅いでいたが、腹が減っていたのか食べはじめた。
桃太郎はそのまま子犬を抱え、山を下りていった。

動物を完全に制御するには半年ほどかかる。奇媚を与え、訓練するうちに徐々に子犬の体は大きくなり、動きも俊敏になっていった。奇媚にはオニ同様に身体を大きくする作用がある。そうして子犬の制御が完了したのは、冬のはじめだった。

桃太郎の元にオニ退治の依頼が舞い込んだ。隣国との境目付近に位置する北方の集落で襲撃があったようだった。イヌにとっては初めての実戦となる。オニの種類にもよるが、元が鳥類でなければ数が多くても大丈夫だろうと桃太郎は思った。オニには元々の動物の特性がそのまま残る。一度、元が鷹のオニを駆除したことがあったが、そのときはキジの負担が大きく、サルはあまり使い物にならなかった。国境沿いということもあり、退治は急をようしていた。桃太郎は3匹を連れて北へと向かった。

***
“桃”家は動物たちを品種改良し、販売することで生計を立てていた。明王朝には、土地や気候に適応するように開発した家畜や祭事用に鮮やかな体毛が映えるようにした生物などのを専門とする商家がいくつかあった。
装飾を行える商家は広大な土地や多くの動物を飼育できる経済力が必要で、そのぶん明王朝とのつながりも強かった。しかし、この装飾技術は学問ではなく、あくまで商いの術の一種であった。そのため、閉鎖的な生物装飾技術は広がりをみせず、次第に縮小していくことになる。加えて未成熟な部分も多く、装飾された動物たちが家畜の疫病の元となったり、突然暴れ出すこともあった。
一度、ある商家の装飾動物が祭事中に暴れだし、あやうく皇帝の息子を殺しかける事件が起きた。その商家はその後、都を追われ西方の山奥へと送られた。次第に明では、生物装飾技術に厳しい規制がかかるようになっていった。
その頃から、北元に関して不穏な噂が立ちはじめていた。韃靼タタール族による反王朝の動きがあらわれはじめ、明王朝は警戒を強めていた。都のある応天府(現在の南京)から北へ兵士を派遣していたが、道のりは険しく、丈夫な馬たちが必要だった。そのため天然の良馬にはより高値がつくようになった。
評判の良い琉球産の馬は朝貢品として人気が高く、桃家は沖縄本島で質の良い装飾馬を開発することで、明本国との関係性を強化していこうと考えた。桃家は元々、医学の家系であり質の良い動物たちの装飾が商家のなかでも評判だった。そのため、生物装飾技術に規制がかかりはじめてから、いつか装飾の復活を目論んでいた。そんな桃家にとって、琉球はうってつけの場所だった。そして沖縄本島にある3国の一つ、中山王国の久米地区に移り住んだ。

琉球馬の弱点は長距離の移動であった。海を渡る際に環境の変化で輸送中に餌を食べなくなり、福州の港に到達するころには老いた馬のようになるものも少なくなかった。さらに、そこから南京までの移動の間で命を落とす馬も多くあった。桃家は質の良い馬を多く届けるために海を渡る環境に適応させることを考えた。この環境へ適応するという考え方は、生物装飾においての基本だった。豊富な資金を元に中山王国の港近くに広大な敷地を買うと、巨大な牧場を築いた。そして出荷間近の馬たちは遠浅の海に建設した人工の海上平原へと移し、そこで船での輸送に適応できるように訓練した。
琉球馬の出荷は好調で。次第に桃家は、より良質な種馬を求め、難易度の高い繁殖能力を高める装飾にも手を出すようになった。牧場の奥に専用の納屋を立て、日々実験をおこなった。
生物装飾を繰り返すなかで、馬たちは突然変異を起こすことがあった。
特に二本脚で立ち、暴れる馬を桃家ではと呼んだ。オニは危険で駆除のために昵懇となっていた中山王国から兵士を派遣してもらい生物装飾の際に立ち会わせていた。
そしてオニに変異するとその場で駆除した。そのため、その噂が桃家の外に出ることはなかった。

桃家が沖縄本島に渡った年の春、桃太郎が産まれた。
その頃になると久米地区には貿易目的の商人たちがいくつか移り住むようになっており、明から派遣された役人たちも集まり華僑街が形成された。
成人した桃太郎は中山王国の行政官に登用された。
王国の識字率は低く、そのなかで読み書きができ、さらにはビン語(福州の中国語)の話せる桃太郎は、国子監(当時の最高学府)へ琉球官生として留学することになった。この頃、中山王国は隣国との争いも徐々に激化しはじめ、明から様々な最新技術を学ぶことや結びつきを強めることは周辺国に対する外交的圧力にもなった。

桃太郎が港から出発する前日、牧場では桃太郎の門出を祝し宴会の席が設けられた。中山王国の人間は酒と祝いの席を好んだ。両親や牧場で働く農民たち、周辺の華僑街の人々が集まり夜通し騒いでいた。
翌朝、酔いが醒めない内に乗船した桃太郎は、船の縁から頭を下げ気分が落ち着くのを待った。出航の合図とともに港から皆の声が聞こえたが、顔を向けることはできなかった。船員たちは船酔いでもしたのかとからかった。
波は壁面に当たり、ばちゃんばちゃんと音を立てた。時折跳ねた水飛沫が顔にかかり、磯の香りで涙を紛らわせた。福州との航路は船の往来が増えたことで情報も集まり、一定の安全は担保されていた。しかし、それでも年に何度も事故は起き、決して万全ではなかった。海を渡るということは、命を失う可能性が常にあった。

桃太郎を見送るために皆が港に向かったため、牧場は無人となっていた。牧場奥の納屋は鍵が閉め忘れており、そこから数匹の装飾実験用の馬が逃げ出した。
――ようやく解放された。
馬はそんな気分だった。自分の心臓の鼓動が早くなるのがわかった。野を駆けながら、これまでにない感情の高ぶりを覚えていた。脚は坂道で停まれないように、自分の意志と無関係に動き続けていた。息は全く上がらない。こんなに速く、長く走れたことはなかった。途方もない開放感を得ていた。野から岳に入り、斜面を走り抜ける。振り向こうとしたときに何かにつまずいて、ようやく脚が止まった。
そこで初めて自分の身体の異変に気付いた。脚が痙攣している。後ろ脚だけでいつの間にか走っていた。その影響で後ろ脚は赤く腫れ上がり、いつの間にか前脚は体を支えようと木にもたれかかっている。全く気付かなかった。痛みは全くない。心臓がさらに脈打ち、その鼓動が身体中に伝達していく。ひざに前脚をつき、近くの池まで歩いた。
二本脚で歩くようになった馬は、水を飲もうと水面にしゃがんだ。映っていたのは見たことのない黒い顔だった。

***
南京へ着いた桃太郎は、留学生として国子監で生物装飾技術や必要な薬学を学ぶかたわら、琉球官生としての特使の業務もこなしていた。中山王国からの公文書を閩語に翻訳し、場合によっては代筆も行った。紙に無駄な文章を書くことは禁じられていたが、公文書に混じって時折、官吏仲間から桃家や皆の近況が届いた。
桃家の生物装飾技術は留学の少し前から、朝貢用だけでなく、隣国との争いに向けたもの、戦に特化した装飾も施すようになっていた。桃太郎は手紙を読み、中山王国が戦で勝つことを願ったが、故郷を思い出し、同時にあの穏やかな光景が無くなっていくであろうと思うと、物悲しくもなった。
中山王国では琉球馬の出荷も増加し、加えて火薬の原料となる硫黄もよく採れるようになっていた。明王朝と中山王国の関係は良好で、桃太郎自身も明王朝の祭事や祝宴の席にも招かれるようになっていた。そういう場では規制のかかっているはずの装飾生物たちが飾られていた。それは色鮮やかで美しく、気品があった。たずねると、衰退していた生物装飾技術は王朝が管理し学問化の準備が進められているという。いずれは明王朝の生物兵器として転用し、北方の討伐や領地拡大に使用するという。

しばらくして官吏仲間からの手紙にオニの名が出た。そこには“オニと呼ばれる妖の一種が人里を襲うようになっている”と書かれていた。手紙には、隣国の兵士が妖を放ったのをみたとか、祭司である神女ノロによるお告げで王国を亡ぼすための災厄が国に降り立ったなど、民衆の間でオニに関して様々な憶測が広まっているとのことだった。公式にはオニが広まった原因は不明とされているようだが、桃家の牧場から逃げた装飾馬が最初であることは明らかだった。恐らく中山王国は桃家との関係を重んじ、あくまで妖の一種として扱っているのだろうと桃太郎は思った。
桃太郎は幼いころに一度だけオニをみたことがあった。生物装飾技術用の納屋には入ることは父親に固く禁じられていたが、死んだオニを包むための茅を取りに父親が離れた隙にそっと納屋のなかを覗いた。オニの身体は通常の馬よりもはるかに大きく、黒い斑点模様が時間が経つにつれ皮膚の表面を覆うようになる。そして最後はすべて黒に染まる。納屋に入ったことが父親にばれると、桃太郎は決して口外しないようにと強く口止めされた。あれほど蒼白した父親の表情はみたことがなかった。
――私の家の責任だ。
桃太郎は思った。しかし、遠く離れた地にいる彼にできることはなく、オニが無事に駆除されることを願った。しかし、同時にオニを制御することができれば戦にも勝てるのではないかと考えていた。元々は戦闘用に装飾し直した馬が最初のはずだった。それが装飾技術が未熟でオニを生むことになった。明王朝も装飾技術の兵器化を進めている。ここで学べば何か解決策が見つかるかもしれない。桃太郎は一層、学問に打ち込むようになった。

明での生活は兄弟子のかくが助けてくれた。郭の家は代々科挙で、郭自身も桃太郎が知らないようなことを既に多く知っていた。また学問以外にも様々なことへの見聞を持っていた。国子監を出た後は、いずれ府知事として明王朝に仕えたいと言っていた。
「桃桃(桃太郎の愛称)はまだ薬品の調達に行ったことはなかったよな」
留学から半年ほど経ったある日、郭が切り出した。
「そうだ」
「よし、今度の調達は一緒にいこう。港には面白い物もたくさんあるぞ」
郭は先生から薬品の材料となる調達名簿を預かると、適当な理由をつけて2人で港に行く許可を得た。
馬乗りは桃太郎の方が上だった。動物たちと接するときに大事なことは主従関係だった。郭はそこがまだわかっていない。馬を気遣っている、ある意味で優しいのだ。
「桃桃、お前の島の馬は本当に優秀だな。今までだと港まで丸一日はかかったぞ。それが半日だ。中山王国も潤うな」
「そうだね、郭兄。しかし良いことばかりでもないよ」
「どうしたんだ?」
桃太郎は故郷で発生しているオニについて話した。
「なるほど。生物装飾に失敗した馬が暴れているのか」
「明への朝貢が多くなり優秀な馬だった場合に種を残せるよう、生殖能力も高めていた。それがオニが増えている一因だろう」
「子が多いことは優秀な証拠だからな」
桃太郎の表情がわずかに曇ったのを郭は見逃さなかった。
「おまけに最近は隣国との争い少しずつもある、それで戦用に装飾し直しているさなかだったらしい。今は華僑街があるが、元々馬の装飾を沖縄本島で始めたのは桃家だ。だから責任がある」
「桃太郎、素晴らしい“理”だ。明にいれば立派な役人になるだろう。心配するな、お前のような男がいれば大丈夫だ。まずはしっかりここで学ぶんだ」
「……そうだな」
郭の馬が停まった。
「ほら。ここから少し下ったところに貿易港がみえるだろ。覚えているか? 桃桃が福州の港から応天府にくる時にみた港だ。あそこで先生から言い渡されたものを買いつけに行っている。さぁ、もうすぐだ。港まで勝負だ」
郭は言い終わらない内に馬の腹を軽く叩き、先に走り出した。

港町の城門に着くと武装した兵士たちが待っていた。高い城門は街全体を囲い、櫓にも兵士が配置されていた。郭は国子監からの札を手渡し、2人はなかに入った。
「何かあったのか。戦のようだ」
「門はいつもこうだ。海禁令が布かれているからな。民衆が入ってこないように警備しているんだ」
郭は通りを抜け、細い路地をいくつか曲がり小さな屋敷へと入っていった。
「ここが調達用の店だ。まるで民家だろ? ここの主人が客がいないと思われるから表通りには出さないらしい。自尊心が高いのは結構だが、困ったもんだ。ただ専門的な材料を扱うから腕は確かだ」
しばらくすると店の奥から年老いた男が出てきた。
「おや、郭か。最近は材料の調達に来るのが早いな」
「私の先生は研究に熱心なんです。それに非常に優秀な品が揃っていると国子監でも噂ですよ」
男は少し機嫌を良くしたようで声がうわずった。
「そうか、そうか。そちらの青年は?」
「桃太郎だ。中山王国からの琉球官生だ」
「ほう。中山は私どももよく仕入れしているよ。そこの留学生ということは将来の役人さんだね。今の内から少し顔を覚えて……」
「いいから、用意してくれ。どれくらいかかる?」
郭は先生からの注文書を薬屋に渡した。
「ふん、これだとしばらく時間がかかるぞ。まぁ、私なら夕方までには終わる」
「桃桃。飯でも食いにいこう。馬は裏に置いていいか?」
「好きにしろ」
桃太郎にとって港町の風景は初めてみるものばかりだった。郭は小さな屋台に入り、蛋糕カステラを買ってきた。
「なんだ、これは?」
「南蛮の饅頭だ。甘いだろ」
「……すごい」
そのとき、桃太郎の目の前を大柄の男たちが通り過ぎた。男たちの頭は獣のように太い毛で覆われていた。
「はじめてみたか。南蛮人だ」
話に聞いたことはあったが、実物は想像以上に背も高く、肌や瞳の色が全く違っていた。海禁令の布かれたなかで、明王朝が官吏する港以外で南蛮人たちをみることはない。その後も2人は港町を巡って時間まで暇をつぶした。
屋敷に戻ると、郭は主人に帰りがけに買った南蛮酒の小瓶を渡し、封書を受け取った。
「郭兄、そろそろ戻らないと。夜の峠越えは危険だぞ」
「大丈夫だ」
「どういうことだ」
「朝に戻る」
「一晩ここで過ごすのか?」
「そうだ。そのためにわざわざ馬を急がせて来たんだ。南蛮人たちは昼間の間はほとんど船で眠り、陽が傾きはじめると動き出す。そうすると、ここは別の世界になる。昼間以上にだぞ。いずれ、中山王国を担う官吏になるのだろ? 外国のことも知らないと外交はうまくいかないぞ」

夜が訪れると、街のあちこちに歪な文字の看板が現れはじめた。郭は慣れた様子で看板たちを眺め、一つの小屋へと入っていった。動物雑技と書かれた小屋だった。郭は桃太郎と2人分の金額を払い木箱の上に座った。薄い布が小屋の梁から垂らされ、獣の臭いが充満していた。
「桃桃は幸運だ。動物雑技はあまり見られるものではない」
客の入りは上々で、しばらくするとすぐに小屋のなかはいっぱいになった。あの門番の男もいた。銅鑼ドラが鳴り、着飾った南蛮人の男が現れた。そして流暢な言葉で話し出す。
「ようこそ。動物雑技の館へ。今宵は皆様に動物たちの才能をみてもらいます。動物は一つの芸術性を持っています。それをご覧に入れましょう。計算された美しさの芸を!」
最初に出てきたのは、2匹の鸚哥インコだった。鸚哥は円卓の両端に置かれた台に乗せられると、互いに見つめあった。そして、円卓の端にある花からを花弁だけをついばむと、観客たちの周りを飛びまわり、花びらを客の上からまいた。自然と拍手が起こる。その後も兎や山猫が演芸を披露した。その奇怪な動きに桃太郎は妖のようだと思った。
最後に出てきたのは人のような猿だった。
「これは猩猩オランウータンと呼ばれる猿王で、我々が南洋の森から連れてきたものです」
人々は感嘆の声をあげる。老人のような姿の猩猩はゆっくりと立ち上がると転がっていた空の酒瓶を取って口に含んだ。そしてそのまま片足で立ち、くるくると回りはじめた。観客たちから笑い声が起きる。
桃太郎は初めてみる動物たちの動きに感動さえした。動物というのは野生か家畜かであり、このように人々を喜ばせるための存在ではなかった。南蛮人たちがいる西洋と呼ばれる世界は不思議なところだと思った。
動物雑技の見世物小屋が終わると客たちはすぐに去り、足早に片付けがはじまった。表向きは海禁令が布かれた国だ。誰も感傷には浸らない。しかし、郭は動物を扱っていた南蛮人とも知り合いのようで人目もはばからず話し込んでいた。桃太郎の視線に気づくと手招きした。
「こいつは琉球という東の島から来たんだ」
南蛮人はその異色の目を見開いた。
「噂には聞いたことがあるよ。一度は行ってみたいね。どういう島なんだ?」
桃太郎は琉球の地理や中山王国について話した。南蛮人は面白がり、片付けが終わっても桃太郎を質問攻めにした。
「素晴らしい! 一度は行くべき島だ」
桃太郎はどうやって動物に芸を仕込んでいるのか南蛮人にたずねた。
「これさ」
取り出したのは小さな丸剤だった。途端に檻に入った動物たちが声を荒げる。
「これは?」
「特殊な芥子ケシの実を乾燥させて作った丸剤だ。そういえば芥子はあまり明では見かけない植物だね。鎮痛剤としても使うが芥子の実に化合物を配合して作られている。興味があるのかい?」
「島を救うために使えるかもしれない」
桃太郎は事情を話した。
「オニ? 暴れ馬みたいなことかい?」
「これを使えば、そのオニたちを制御できるかと思って」
「なるほど。できるかもね。ただ僕は君たちのような学問の専門家じゃない。商売人だからね、詳しいことはわからないけど、良ければ少し分けてあげよう。君の故郷の問題を解決するかもしれないし。芥子丸剤を使えば運動能力が飛躍的に向上するが、中毒性が強く服用を続ければ次第に認知などの判断能力の低下を招く。仕入れ先の西洋の医師がいっていた言葉そのままだけど何か使えるかもしれないね」
「ありがとう」
「いい話も聞かせてもらったしね。東の島の存在は知っているがまだ僕らも到達したことはない。いろんな噂があるが実態はわからなかった。それを今夜少し解決した気がするよ。そのお礼さ。その代わり、君の島と貿易するようになったら、僕らを優先してくれよ」
そういうと南蛮人は微笑んで芥子の丸剤を分けた。

港町を出た頃には、もう夜が明けようとしていた。
「門番が知り合いだといいんだがな」
馬を走らせながら郭がつぶやく。
「なぜ?」
「海禁しているんだ。あそこの港も本当は駄目さ。商人たちが上手く兵士たちを買収しているから今はいい。だが、いつ取り締まられてもおかしくはない。俺たちが出入りしているのも先生の使いとはいえ良いことではない。ましてや一晩向こうで過ごしているんだ」
南京の門が見えてくると、2人は馬の速度を落とした。門の前で下りると、先生の印が入った書を渡し、荷物を開いた。門番が中身を開け検査をする。
「予定では昨晩戻るはずだったのでは?」
郭は降りて馬の背中をさすった。
「この馬を途中で休ませた際に良くない草を食べたようで、体調を崩したんです。夜中に峠を走らせるのは危険だと思ったので山で一晩越しました」
「薬学を学ぶお前の馬が病気とはな」
「しかし、私たちが介抱しなければ、もっと回復に時間がかかったかもしれません」
門番は馬の毛並みを確かめた。
「そこまで悪い状態ではなさそうだが。一晩かかるほどのものだったのか?」
「確かに馬の状態そのものは一晩かかるものではありませんでした。そもそも薬の材料の調達自体が遅れてしまったのです。業者の男が老人で、どうも手際も悪く夕暮れ近くまでかかるんです……商売をたたむように言いましたよ。証拠に一筆書かせました。ご確認ください」
郭は酒瓶と引き換えに男からもらった封書を門番に渡した。
「まぁ、いい。入れ! 次からは良い業者を選ぶんだな」
「そうですね。先生と相談します」
先生に調達してきた材料を渡すと2人は寝床へと向かった。
「いつもあんなことをしているのか? 理を学ぶ者とは思えない」
「でもおかげで、良いのが手に入ったじゃないか」
郭は芥子丸剤の袋を手に取った。
「そうだな」
「良い薬を作ろう」

制御薬の開発には、まず芥子の実の代役となるものから探す必要があった。桃太郎と郭は漢方を作る際の元となっている神農本草経の書を手にした。2人の先生はそれを元に万物を独自の成分式表で仕訳ける研究をしていた。
先生の考えでは、植物や動物、鉱物をはじめとするすべての物質は五行思想に基づく。火・水・木・金・土の五つの元素によって分類される。さらにそれぞれには陽と陰の2つの性質があり、その組み合わせによって物質は変化を起こすという。
「桃太郎。ここだ。芥子は唐の時代にわずかに使った形跡があったようだが、それ以降はない」
「確かに……授業でもみたことがないな」
「とりあえず、芥子と五行構造が似ているものを探す必要があるな」
成分式表によると、芥子の実は四つの陰性の“木“と一つの陽性の”金”と“火”から構成されていた。つまり、この“四木金火“と同配列、もしくは似ている元素構造の物質であれば、代用できる可能性があった。陽性の金は陰性の木2つと組み合わせることで円となり物質として完成する。陽性の火も同様だった。
「陰性の四木となる物質は植物だと基本的に冬に耐えうるものだ。芍薬などはよいかもしれない。後、鳥類の骨も確かそうだ。まずはそこから当たろう。私は鳥を射てくる。お前は式表から陰性四木のものを拾ってくれ」
郭の知識は弟子たちのなかでも群を抜いていた。先生はよく役人ではなく学者になれば立派な功績を果たすだろうと漏らしていた。
陰性四木の物質は植物では見当たらず、鳥類の骨が当てはまった。郭の獲ってきた雀の甲骨に、陽性の火に当たる硫黄、そして、陽性の金にあたる曼珠沙華の組み合わせが最も南蛮人の丸剤に近いことを知り、2人は開発を進めた。

***
桃の花が咲く季節がやってきた。一匹の猿が吹き荒れる花びらを両掌で作った器へ集めた。そして、それを空へと散らせた。
「できたな」
「ああ」
見世物小屋でみた動物雑技の光景だった。留学期間も終わりに近づいたころ、2人は曼珠沙華による薬をようやく完成させた。試した動植物の数ははかり知れなかった。丸剤は桃のように甘い香りがした。曼珠沙華と硫黄が混ざり、独特の匂いを放つ。それが動物たちを刺激した。
制御薬のの誕生だった。
別れの日、福州の港まで郭は見送りに来ていた。
「これで故郷が救えるとよいな」
「郭兄がいなかったら完成しなかっただろう」
「そんなことはない。硫黄を見つけたのは桃桃だ」
「ありがとう」
「次会うときは互いに立派な役人だろうな」
2人は抱擁を交わして別れた。

数年ぶりに戻る故郷への船で、サルは初めてみる海を物珍し気に眺めていた。
港に着いた桃太郎を迎えたのは華僑街の幼馴染だった。そのまま桃太郎は国王の元へ帰省の報告に向かうことになった。牛車からみる中山王国は、以前と比べ活気がないように感じた。
「どうしてこんなに荒れているのだ?」
「オニだよ」
「全てか……そんなにひどいのか」
書面でオニによる被害が増大していることは知っていたが、城へ向かう道中の田畑には荒れたところが目立ち、以前の整備された様子はすっかり消えていた。城に到着するとサルを預け、王と対面する広間に移動した。紅く塗られた漆の赤柱に金箔であしらわれた玉座は、外の街並みとは一変し豪華だった。他の役人たちも並び、桃太郎は王が現れるのを待った。外の廊下が慌ただしくなり、膝をつき頭を下げた。王から言葉がかかるのを待つ。
「桃太郎よ、頭を上げるがよい」
顔を上げる、王もだいぶ年を取っていた。
「よくぞ無事に戻った。立派に務めを果たしたな。明王朝でも評判だと聞いていたぞ」
「はい、ありがとうございます。中山の名に恥じぬよう務めることができ光栄です」
「久しぶりの故郷は明と比べてどうだ?」
桃太郎は返事に困った。
「明での生活は学ぶことが多く、私の頭は火照っていたように思います。しかし、その反面、やはりどこか我が心には冷たさがありました。つまり心と頭が分離していたのです。故郷の風はそれを温める効果があるようです。港から城までのわずかな道のりの間でもそれを感じることができました」
王は満足そうだった。
「そうか、それは良かった。しばらくは療養も必要だろう。今後は明での学びを生かし中山王国のために働いてくれ。その役目を全うすれば、御両親もさぞかし喜ぶだろう」

城を出た後、桃太郎は牧場へと向かった。田畑は嵐のさなかのように荒れていた。肥料が足りず固くなった土には巨大な足跡が残っている。桃太郎は幼馴染の方を向いて睨んだ。雨が降りはじめ、足跡に水が溜まっていく。
「いつだ?」
「だいぶ前だ。半年ほどだろう」
「なぜ教えてくれなかった?」
「それは……」
「どうせ間に合わなかったからか?」
「そういう達しだったんだ」
「……そうか」
かつての屋敷の領地に入ると、なかはオニの襲撃で石垣や壁に穴が開いていた。吹き込む風がわずかに残る格子にぶつかり、かたかたと音を立てている。幼馴染の話では、牧場の農民たちは別の商家の元へ馬たちとともに移ったという。書物の入っていた棚も空だった。恐らく、少しでも待遇が良くなるように商家に移る際に農民たちが持っていったのだろう。桃太郎は突然、床をはがし軒下に入った。
「桃太郎! どうしたんだ」
「何か農具を持ってきてくれ」
幼馴染が戻るまで手で掘り続けると、指が固いものに当たった。掘り進めていくと、数箱の葛籠が現れた。なかに装飾技術の資料が残っていた。
「これは?」
「装飾技術に関する書物だ。棚に保管しているのは枠組みの知識の資料だけだ」
取り出した資料の埃をはらう。
「この書が理解できていないと生物装飾はうまくいかない。間違った装飾を施すことになる」
桃太郎は幼馴染の誘いを断り、その日の晩を吹きさらしの生家で過ごした。夜になると獣たちの声が遠くの森から響き、月夜の明かりが壊れた家の隙間から土間を照らす。両親は惨めな最期だっただろうと思うと涙が溢れた。酔いたい気分だったが酒はない。ふと奇媚の存在を思い出し、ひと欠片を口に含んだ。湿気ってはいたが噛んでみると、牧場や両親の思い出が蘇った。しかしそれは徐々に淡泊な灰色に染まり、やがて不思議と空想であったかのような気になった。わずかではあったが桃太郎は確かに別の世界にいることが出来た。手を伸ばし幻に触れようとする。しかし実際は家の柱だった。灰色の世界から戻ると現実は一層濃く感じられ、無残に荒らされた故郷の姿に改めて心を痛めた。桃太郎は思いっきり柱を殴った。木がへこみ、拳の痕が残った。力がみなぎっているようだった。
桃太郎はオニを駆除していくことを決断した。自分は”桃家の息子”の桃太郎なのだからと。

夜通し資料に目を通し、朝方にそれらをすべて燃やしはじめた。水溜まりに映る自らの顔は別人であった。
桃太郎の様子を案じ、早朝に家を出た幼馴染は煙が立ち上るのをみて、慌てて馬を走らせた。
「何しているんだ。大事な資料だろ」
「もう学んだ。後世に残す必要はない。新たなオニを生むだけだ」
「どういうことだ」
「オニを制御するのでは駄目だ。あれは害獣だ。駆逐しなければならない。救うには滅することだ」
それっきり桃太郎は無言となった。

桃太郎は頭に叩き込んだ桃家の装飾技術を元に、奇媚に改良を重ねた。中山は渡り鳥の季節を迎え、湿地には大量の鳥たちが飛来していた。桃太郎は薬の原料になるとの名目で大量に鳥を捕まえさせ、夜な夜な新たな奇媚の効果を試す実験を重ねた。制御薬だった奇媚は、依存度が増すが筋力を増強し、摂取するたびに体内にその成分が蓄積するようにした。さらに桃家の装飾技術を施し、オニを退治するのに特化した装飾生物を作り上げようとした。
そして、一羽の鳥ができた。
装飾技術と奇媚によって生みだされたこの鳥はキジと呼ばれ、オニを狩るための怪鳥となった。
桃太郎は官吏の職を辞め、オニを駆除する猟師となった。それが彼にとっての新たな“理”であった。

***
案内人を務める若い官吏は、桃太郎が連れる3匹の獣に驚いた。獣たちの大きさは人ほどもあり、どれも筋肉が隆々と盛り上がっている。色鮮やかな青の血管が皮膚の奥から脈打っていた。蛇が獣たちの内部を這っているかのようだった。3匹とも目から額を通り、尾まで一本の紅い線で塗られていた。
「明では装飾動物はそれとわかるように色を塗るんだ。それの名残だ」
官吏が理由をたずねると桃太郎はそう答えた。3匹は決して騒がず、呼吸さえしなければ剥製のようにみえる。そして、その静けさが不気味だった。
「どちらがオニかわからないか?」
「いえ……」
官吏が黙ると桃太郎は微笑んだ。
「オニを駆除するには鬼になる必要がある、3匹も私も。そろそろかな?」
「はい、もうすぐです。あの峰の麓です」
官吏の指差した先には確かに村らしきものがみえた。
「冷えてきたな。やはり冬は日が暮れるのが早い。急ごう。暗くなれば、こちらが不利だ」
獣たちは沈黙したまま、桃太郎の後について行った。2人が到着すると村人たちの生き残りが、今にも倒壊しそうな家々から出てきた。村の少女が3匹を見て泣き出した。オニがまた来たのだと思ったのだ。
「大丈夫だ」
桃太郎は少女の頭を優しく撫でると、落ちていた割れた椀をサルに渡した。サルは頭に乗せると、首を勢いよく動かし椀を宙に放った。そのまま身体を回転させ椀を再び頭に乗せた。少女や村人たちから笑みがこぼれた。桃太郎はすぐに家の残骸に入って中を調べた。家畜が豊富な村だったのか様々な動物たちの足跡があった。しかし、それはどれも右往左往としていた痕跡があり、よほどの襲撃を受けたのだろうと桃太郎は思った。
「どんなオニだった?」
村人たちの話によるとオニの造形は馬や牛、猪などまちまちであまり参考にならなかった。オニは同種による集団を形成する。夜中の襲撃だったようで、逃げまどうなかでオニを正確に把握するのは難しい。情報が不足しているのも仕方なかった。

翌朝、桃太郎は官吏に夕方までに戻ると伝え、3匹を連れて山へ入った。
山は昨晩からの雨で朝霧が立ち込めていた。早速オニの気配を察したのか、イヌが唸るような声をあげた。突然、破裂音が辺りに響き、木が倒れてきた。桃太郎とキジ、サルとイヌとに分断された。
――しまった。
木の倒壊がオニの仕業だと気づいた次の瞬間には後方からの襲撃を受けていた。斜面を転がり、起き上がるとそこには複数の種によるオニの集団があった。
村人たちの証言は暗闇による見間違いではなかった。いつの間にかオニたちは異種との交配だけではなく、種を超えた共同体を形成していた。霧の奥でサルの甲高い声が聞こえた。視界が悪いのはかなり不利だった。奥に洞窟らしき場所を見つけた桃太郎はキジを空に飛ばし、自らは茂みに身を落とし洞窟へと一度隠れた。
異種同士の共同体を形成していることは、これまでのオニ退治の方法を覆すものだった。オニの元種によって桃太郎や中山王国は策を練っていた。それが通用しなくなる。桃太郎はオニの生態を書き記すと、洞窟から飛び出しキジを呼んだ。そして足に書簡をくくりつけ、空に放った。そしてサルたちの声がする方へと森を駆け出した。

***
オニの数は予想以上に多く、また攻撃の陣形も良かった。戦い方をみると、異種による集団形成はかなり前から行われていたようだった。劣勢のなか、桃太郎は勝ち目が薄いことを悟った。まずはイヌとサルだけでも逃がす必要があると考えていた。
激しい痛みが桃太郎を襲い、地面にうずくまった。右の太股に牙が刺さっていた。引き抜かれた牙からは桃太郎の血が滴っている。それを舌で舐めとっている。
桃太郎を襲ったのは、イヌだった。

イヌはサルとともにオニと闘っていたが、堆積していた奇媚の量がまだ少なく、徐々に効果が薄れてきていた。
そして初めての実戦でイヌは禁断症状に陥り、その場で倒れこんだ。イヌの頭に古い記憶が浮かぶ。
――桃太郎が現れ、オニが倒れる。そこに小さな犬が駆け寄る。
しかし、それは幻だった。かつての自分の姿であった。奇媚の効能に酔っていたが、イヌは一時的に自らが犬だったことを思い出していた。しかし、また奇媚を欲し、のたうちまわる。それを繰り返していた。その間もオニの襲撃は続く。
そこに桃太郎が現れた。サルとともにイヌを囲み、交戦している。
イヌは、犬とイヌとを行き来する。そして立ち上がり、親敵の元へと駆け出した。

桃太郎は自らに向けられたイヌの眼差しが、あの夜農園の水溜まりに映った自分の瞳とよく似ていると思った。もう犬になったのだと桃太郎は悟った。そして再び襲いかかるイヌを斬った。苦しまぬように狙いを定め、一太刀で楽にした。

次第に意識が薄れてゆく中、目の前には未だ闘うサルがいた。桃太郎は郭とともにサルが初めて制御できたときのことを思い出した。
郭はなぜか猿が好きだった。故郷の山に猿が多く生息し、小さいころから遊び相手だったと言っていた。一度、郭が酔ったときに会話ができるといって実験用の猿に近寄っていった。実際はただ奇声を発し、見世物小屋の猩猩の真似をしただけであったが、それでも、本当に猿と郭が会話しているように見えて2人で笑いあった。
桃太郎はサルに対して申し訳なく思った。弾薬は残り数発だった。桃太郎はオニの集団に狙いを定め発砲した。ひるんだオニたちが散り散りになり、そこに力をふりしぼり立ち上がった。
サルの首に奇媚の入った小袋をかけた。そして、逃げるように指示した。サルは目を丸くして驚いたようだが、桃太郎が怒鳴ると振り返ることなく茂みを駆け抜けていった。
残りの弾でサルの逃げ道に近寄ろうとするオニたちを威嚇した。サルが見えなくなると、桃太郎はオニの集団へ自ら飛び込んでいった。

キジから書簡を受け取った若い官吏は、到着した上官に報告した。上官はすぐに山へ火を放つように指示した。桃太郎がまだ戻らないことを告げるが、構わず火を放てと命じた。荒れた田畑を戻すのには時間がかかる。元々、収穫の少ない村だったために価値は薄かった。国境付近のこの村の火事なら隣国からの攻撃とし、侵攻する理由にもなった。若い官吏は上官の命令に背けず、村人たちと火を放ち集落を離れた。

空を旋回するキジは桃太郎を探していた。遠くに越冬するために大陸へ飛ぶ渡り鳥たちがみえる。自分にもかつて、そんな外の世界をみていた時期があったような気がした。しかし、この巨体で海を渡りきることは、もはや不可能だった。小さくなっていく鳥たちを羨ましく思ったが、それよりも欲するのは奇媚だった。
燃え盛る山のなかを一匹の猿が北へ駆けていくのがみえたが、すぐに見失ってしまった。キジは桃太郎を求めて、空で鳴き続けた。

***
「昨日の山火事は隣国からの火が原因だったそうだ。兵士たちが向かっていった」
「そうですか。ここは中山と近いですから気をつけないと」
「そうだな。最近はだいぶ、この辺りも荒れてきているな」
「国境近くですからね。昔は中山と行き来もありましたけど。もう、いつ戦になってもおかしくないですね」
「こんな老人を兵には取らないが、村では若い者は次々に国から声がかかっているらしい」
「そうですか。そういう意味では子どもがいなくて良かったのかもしれませんね」
「ただ、家は追われる可能性はある。いざ戦になったらここはすぐに戦場だ」
「私はここで生まれ育っていますから、他の土地はよくわかりません」
「俺もそうだ。しかし命には変えられないだろ。心づもりはしておく必要がある。では、いってくる」
老夫は草粥をかき込むと、山へ柴狩りに向かった。老女は片付けをすませると、川へ洗濯に出た。
山から流れる小川には普段と異なる匂いが充満していた。甘ったるい不思議な香りだった。老女が辺りを探してみると、川の縁の石に小袋が掛かっているのを見つけた。拾って、中身を開く。香りの正体はこの袋からだった。
桃のように甘い香りのする丸剤があった。老女はそれを持ち帰るために服の内側にしまった。【了】

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