祈り

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梗 概

祈り

1.
低い悲鳴が森であがった。猪のものだった。
<その者>は仕留めた猪がきちんと死んでいるか確認した。もうひとり狩りを共に行っていた男が猪の喉元に刺した石を引き抜いた。
「まだ生きてる」
「もうすぐ死ぬ」
<その者>がそう言うと同時に猪の最後の声が響いた。男が石で殴打しはじめた。何度か声が上がりやがて静まった。二人はそれを担いで洞穴へ向かった。男が<その者>に石を渡した。猪の血が付いていた。舐めた。冷たかった。猪の最後の鳴き声が<その者>の耳に残っていた。厭な感じがあった。
空を見上げると靄の奥から『神』がその様子をみている。
「そっちじゃない。こっちだ。来るときはこの道だった。間違ってる、お前は」
その言葉は<その者>に怒りを覚えさせた。気がつけば猪の血が付着した石で男の顔面を殴打していた。それから猪を担いで洞穴へ向かって歩き出した。一人で運ぶには幾分か重たかった、不便なことをしたと思った。洞穴がみえてきた。子どもが入口のところでかがんでいた。
子どもは洞穴の脇の小さな穴に木の棒を突っ込んでいた。棒を引き抜くと中から虫が出てきた。
それを地面に叩きつけ踏んだ。辺りにはつぶれた死骸が幾つもあった。
「虫殺してる」
子どもの目は輝いていた。<その者>は子どもを呼んで猪を中に運んだ。洞穴には女がいた。猪を食べた。
2.
子どもは猟の役には立たなかった。空腹が続いた。<その者>は神の元を訪ねた。
「男を殺してしまった。復活させてくれ」
「無理だ」
「なぜだ?」

「私は創造主だ。出来るのは創ることのみだ」

「なら新しい男をたのむ」
神が嘔吐した。新しい男が産まれた。男は洞穴の方向へ向かって去っていった。
「この世界は私の嘔吐物に過ぎない、お前もな。万物には役割がある。きっちりはまるように出来ている」
洞穴へ戻ると子どもが外で立ち尽くしていた。腹が減っていた。中で男が女を襲っていた。
「おい、猟にいくぞ、腹が減った」
<その者>は男にいった。しかし男は女のなかで腰を振り続けていた。<その者>は脇にある猪の骨を持って女を殴った。女は動かなくなった。
「もう女はいない。いくぞ、腹が減った」
男は女の身体を離れた。勃起したまま洞穴を出た二人は猟へ向かった。
猟から戻ると女の死体があった。厭な感じがした。
万物には役割がある。神の言葉を思い出した。私たちの役割はなんだ。
3.
食料の取れない季節になり、<その者>と男は子どもを殺した。
厭な感じが思い出された。
「おい、もう死んだ。食べれるぞ」
それでも<その者>は破壊を止めなかった。
「やめろ、食べれるところが減る」
<その者>は神の元へ向かった。
「腹が減ったから、子どもを殺した。万物には役割があるといったな。俺たちの役割はなんだ」
「お前たちの役割は『破壊』することだ。創るだけでは駄目だ。それを破壊しなければ世界は保たれない」
「なぜ私たちが破壊なのだ」
「そのように創ったからだ」
厭な感じがした。これだ……すべてはこれだと<その者>は思った。
そして神を殺した。
洞穴に戻ると男は子どもを食べていた。<その者>は男を殴り殺した。
厭な感じがした。それから逃れたいと思った。
子どもの肉をほおばった。吐いてしまった。
「吐いたのは人の肉だ、人ではない」
人に創造はできない、そのような役割じゃない、破壊だけだ。
洞穴を出て大木に昇った。世界が広がっている。神はこれを創ったのだと思った。
<その者>は祈った、不思議な感覚だった。
厭な感じがおさまった。

文字数:1388

内容に関するアピール

神は万物の創造主である。
しかし、あくまで創造主であり「救済」の力はない。
「救済」は人が産み出した「虚構」である。
では、なぜ人は虚構を産み出したのか。
それは「耐えられなかった」からである。
神は人を創る際、「破壊者」としての役割を与えた。
産み出された人は世界を破壊させてしまう。
それに耐え兼ねた人は神を破壊し「救済」できる神を虚造し直した。
神が存在するリアルな世界という課題から、
そこから神が存在しなくなったために、今の世界があると考えました。
神が存在したのは宗教などが誕生する前の話で
現在ある様々な「神」たちは人類の虚構の産物として存在している。
人類によって神は絶滅させられてしまったのだという話です。

文字数:300

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祈り

0.
神は万物を創造した。
森も海も大地も山も、人間も。

創造とは嘔吐すること。
自らのなかにあるものを吐き出すこと。
神がはじめて吐いたとき、それは海になった。
次に吐いたとき、それは大地になった。
そうやって神は何度も嘔吐し世界を創造した。
時折海を含んで口をゆすいだ。吐いた水は湖になった。
大地の役割は神の靴だった。森は寝床、山は枕だった。
そうやって神は世界を創造した。
万物になにかしらの役割を付与して。

1.
低い悲鳴が森であがった。鳴き声は靄の合間を縫って辺り一帯に響いた、猪のものだった。濃い緑と深い冷気でできた靄が森全体を覆っている。猪が倒れ、激しい呼吸が草木を揺らす。涎が地面に垂れ、鼻や口から漏れる蒸気が靄に吸い込まれ森は一段と独特の深さにつつまれる。物陰から覗く四本の眼差しが猪の呼吸が弱まるのをただじっと待っていた。
「久しぶりだ、猪は」
「ああ、最近はまともに食べてないからな」
<その者>はかがめた身体を起こし、物陰から飛び出した。仕留めた猪がきちんと死んでいるか確認するために足早に駆け寄った。猪の体温はまだ温かく首元に指を当てると血管が時折隆起した。息はまだあった。しかし、もう死は間近に迫っていた。反撃も鳴き声を上げることもできず、ただ呼吸が沈静化していくのを待つだけであった。半分閉じた目にはまだ生物の輝きの眼差しがあった。しかし、それは希望に満ちたものではなく自らのこれからを悟り静かに待つものだった。この猪はもうわかっている。終わりを。その視線を避けるように<その者>は後ろを振り返り、茂みに向かって片手をあげた。男が物陰からゆっくりと歩いてきて猪の喉元に刺した石を引き抜いた。猪はわずかにかぼそい声を吐いて、四肢をくねらせた。
「まだ生きてる」
「もうすぐ死ぬ」
<その者>がそう言うと同時に猪の最後の声が響いた。男が石で猪を殴打した。男の腕が上下するたびに何度か声が上がり、猪の両脚が軽く痙攣した。やがて静まった。そして男は猪の首元から生肉をちぎって食べはじめた。雨が降りはじめた。猪の唾液や血が地面に染み込む。
「雨だ。戻って食べよう」
二人は洞穴へ向かうために猪を担いだ。近くの茂みで物音がした、雨で揺れているわけではなかった。二人の視線に観念したように猪の子どもが現れた。
「どうする」
「ほっとけ、これで十分だ」
子どもは脚を怪我していた。出てきたのは観念したからではなく、自由の効かない脚が木の根につまずいて出てきてしまったからだった。男が<その者>に石を渡し、子どもに近づいた。石にはまだ猪の血が付いていた。舐めた。冷たかった。子どもは逃げようとするが思うように動かない。そのまま男は子どもの四肢をまとめて片手でつかんだ。
「いこう」
歩くたびに踵が落葉とこすれるが、足音は重たい靄に押しつぶされ森は静寂のままにあった。猪の最後の鳴き声が<その者>の耳に残っていた。厭な感じがあった。子どもは鳴き声をあげることもなかった。
空を見上げると靄の奥から『神』がその様子をみている。

「そっちじゃない。こっちだ」
男が<その者>に声を掛けた。<その者>は立ち止まり息を吸った、正面から洞穴の臭いがした。
「あってる。こっちの方が近い。臭いが強い」
「来るときはこの道だった。間違ってる、お前は」
その言葉は訳もなく<その者>に怒りを覚えさせた。気がつけば男は倒れていた。猪の血が付着した石で顔面を殴打していた、男の悲鳴が上がったが猪のそれほど森に響かなかった。手の甲の血は猪のものか男のものかわからなかった。石を森に放った。なにかにぶつかり割れる音がしたが靄でみることはできなかった。猪の子は、雨のせいか毛に雨水が滴り震えているようにみえた。四肢を片手に持ち、それから彼は猪の後ろ脚を両肩に担いだ。道に倒れた男の身体を足で茂みに追いやった。男は一回転して木にぶつかった。首が曲がり<その者>の方を向いた。目が合った、厭な感じがした。猪は一人で運ぶには幾分か重たかった、不便なことをしたと思った。雨のなかでは足取りも遅くなり、道が難儀に感じた。死んだ獣の臭いも強くなり、森がその臭いを吸って広がり帰路を長くしているように感じた。洞穴がみえてきた。入口のところで子どもがかがんでいた。
「なにしている」
子どもは洞穴の脇の小さな穴に木の棒を突っ込んでいた。棒を引き抜くと中から虫が出てきた。辺りにはつぶれた死骸が幾つもあった。
「虫殺してる」
子どもの目は輝いていた。猪を殴打した男と同じ目。
猪を中に運んだ。洞穴には女がいた。
「猪だ。子どももいる」
「生きてる」
「怪我してる。逃げれないから問題はない」
「まだ子どもは食べない」
「好きにしろ」
元々<その者>は子どもの猪を食べるつもりはなかった。男が勝手にしたことだった。久しぶりの肉はうまく、三人は半分ほどの猪肉を僅かな時間で食べた。骨を壁に投げると音が洞穴に響いた。それに猪の子は怯えた。女と子どもはその様を気に入ったようだった。食べた骨を壁に投げるたびに猪の子をみた。しばらくしてから女が思い出したように男の行方をたずねた。
「途中で死んだ」
「そうか。それいらないのか」
女は<その者>の猪肉を指した。
「いらない」
女は<その者>の肉を奪うと残りの肉も自らの周りに集め、食べだした。
「明日からお前が猟に参加しろ」
<その者>は子どもに告げた。子どもはうなずいた。
洞穴から出ると雨は止んでいた。よどんだ雲の奥にうっすらと神の姿がみえる。蟻の死骸は雨ですっかりと無くなっていた。棒だけが残っていた。
戻ると骨を猪の子に再び投げはじめた。女の吐く声がした。しかし、それでも女は食べることは止めなかった。
<その者>は食べている女を後ろから姦通した。
翌朝には猪肉はなくなっていた。子どもの猪も消えていた。大量の骨が積んであった。

2.
男を殺したことは損なことだった。
猟は一人が気を引き、もう一人が背後から襲うのが常だった。大事なのは視線だった。いかに獲物の視線から注意を引けるかが重要だった。その点で子どもは役に立たなかった。新しい相棒が必要だった。
<その者>は神の元へ向かうことにした。神の目は何処からでもみえたがと口は崖の先にしかなかった。森に入り上を目指した。足音が鳴る度に森の奥からの緊張が伝わる。狩られることを警戒しているのだ。森が深くなった。あまり踏み込まない場所だった。木々を掻き分けながら進む。枝の間をなにかが動いた。掌で叩いた。蜘蛛だった。食うつもりはない。だが殺した。なんとなくやってしまった。森を抜け崖の上にたどり着いた。大木に足をかけ、よじ登る。
神に話しかけた。

「男を殺してしまった。復活させてくれ」
「無理だ」

「なぜだ」
「私は創造主だ。創ることのみだ」

「なら新しい男をたのむ」
「この世界は私の嘔吐物に過ぎない、お前もな。万物には役割がある。きっちりはまるように出来ているのだ」

神が嘔吐し、新しい男が産まれた。男は洞穴の方向へ向かって去った。<その者>は木から降りて手の木くずを叩いた。蜘蛛をつぶした痕は薄く残ったままだった。

<その者>が洞穴へ戻ると子どもが外で立ち尽くしていた。中で男が女を襲っていた。
「おい、猟にいくぞ、腹が減った」
<その者>は男にいった。しかし男は女のなかで腰を振り続けていた。仕方なく<その者>は脇にある猪の骨で女を殴った。
強く振ったつもりはなかったが女は動かなくなった。
「いくぞ、腹が減った」
男は女の身体を離れた。勃起したまま洞穴を出た二人は猟へ向かった。
鹿の子どもと鼠を捕った。鹿はその場で食べた。
戻って鼠を子どもに投げた。洞穴のなかには女の死体があった。女はなにかしたのだろうか。なぜ死んだのだ。
死体を引きずり森へ入った。女の身体中の穴から体液が出ていた。男の死体があった場所へ着いた。死体は既に腐敗が進んでいて、<その者>を見つめたあの顔はもう風化していた。女の死体を放った。ちょうど二つ身体が重なり、洞窟でまぐわっていた光景に似ていた。洞穴に戻ると男も子どもも寝ていた。万物には役割がある。神の言葉を思い出した。私たちの役割はなんだ。<その者>は空をみた。暗闇のなかでも神は浮いていた。

3.
食料の取れない季節になった。動物たちの姿も臭いも消え木の実も実らない時期。空腹を埋めるのは子どもだった。
<その者>と男は子どもを殺した。子どもの悲鳴が洞穴に反響した。厭な感じがした。<その者>はひたすらに死んだ子どもの顔面を殴った。あの目が、あの顔がわからなくなるまでつぶした。
「おい、もう死んだ。食べれるぞ」
それでも<その者>は破壊を続けた。
「やめろ、食べるところが減る」
<その者>は止めなかった。男が<その者>を突き飛ばした。
「食べものは貴重だ。子どもはまた作ればいい」
<その者>は思った。男はなにも感じないのかと。
「神に女でも頼めばいい。いってこい」
そういいながら男は子どもを解体しはじめた。
森は真っ新な雪が覆い<その者>の足跡だけが雪面に並んだ。白と灰色の世界、漏れる息と雪を踏む音が交互に鳴る。<その者>は自らの足跡だけが森に残ることをみた。なにもないと思った。もう男と女の死体もなかった。雪のふくらみのなかだった。

崖の上には細い獣の足跡があった。まだ、新しかった。追って狩ろうかと思ったが一人で仕留める体力はなかった。形が珍しかった。三本はしっかりと足跡があったが、もう一本は引きずるように添えてあるだけのようだった。恐らく満足に歩けない獣だと<その者>は思った。この時期に森を歩く獣は冬眠に失敗したものだ。狩られるか寒さで死ぬかのどちらかだ。
その獣も神になにか頼んだのだろうか。佇む神の上にも雪が積もっていた。

「神、女をひとつ創ってくれ」
「わかった」

神は嘔吐した。女が出てきた。洞穴へ歩いていった。

「腹が減ったから子どもを殺した」
「そうか」
「寒さのせいだ」
「寒さは必要だ」
「これも創ったのか」
「そうだ」
「獣がいた、足跡があった。なにか頼んだのか」
「なにも頼まない。頼むのはお前たちくらいだ」
「神、万物には役割があるといったな。俺たちの役割はなんだ」
「役割は『破壊』することだ。創るだけでは駄目だ。それを破壊しなければ世界は保たれない」
「なぜ私たちが破壊なのだ」
「そのように創ったからだ」
「それをやめたい」
「無理だ。森が歩かないように、獣が祈らないように人は破壊をやめない。これは決まっていることだ」

すべてはこれだと<その者>は思った。
そして<その者>は神を殺した。
大木の上から世界を一望した。神はこれを創った。これは決まっていることだと思い知った。

洞穴に戻ると男と女は子どもを食べていた。そうだ、破壊だ。<その者>は男を殴り殺した。子どもの死体がその様をみている。女は咥えた肉を持ったまま、洞穴から飛び出した。
目の前には子どもと男の死体があった。それから逃れたいと<その者>は思った。
人に創造はできない、そのような役割じゃない、破壊だけ。神の言葉は消えない。
女の奇声が入口から聞こえ、<その者>に襲いかかった。しかし女は殺し方を知らなった。<その者>はまず女の腹部に拳を入れ、それから倒れ込んだ身体に跨り首を一気に絞めた。奇声はやがてかすれ声になった、女はその間もずっと <その者>をみつめた、死んでもみつめていた。死体が握っていたのは子どもの骨だった。
疲れた <その者>は眠ることにした。だが目を閉じても死体は自分をみているような気がした。死体をすべて外へ運び出した。死体は重く、さらに疲労が溜まった。再び眠ろうとした。それでもまだ生きているのではと考えてしまった。そんなことはあり得なかい、破壊したのだから。なぜそのようなことを感じたのか。もう世界には創造も復活もない。目を閉じた。<その者>は思った。先ほどの視線の正体は自らの中で死体が蘇ったのだと。もしかしたら自分にもできるかもしれないと思った。外に飛び出し死体を口に入れ、肉をほおばった。それを何度も繰り返した。神の真似事だった。吐いてしまった。
「これは人の肉だ、人ではない」

洞穴をでた<その者>は再び崖を目指した。自らの足跡を辿った。崖に神の姿はなかった、死体すらない。本当に神は無くなったのだ。あの獣の足跡がまだあった。これは、あのときの猪の子だったのかもしれないと <その者>はふと思った。神が創る者なら復活の役割を課された者がいるかもしれない。そうとしか思えなかった。あの猪はなにかによって復活したのだ。探せばいい。何処かにいる。信じるのだ。そう思うと厭な感じがおさまった。長い静けさが続く、不思議な感覚だった。

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