作品プラン
《他者への眼差しをモノ化し、他者へ手渡すこと》ステートメント
私は春学期の作品で、自分の身体や日用品などを写真にすることで寸断し、3Dオブジェクトにテクスチャとして貼り付け3D空間上に有機的に配置することで再構成するということを行った。
春学期の自分は、この一連の行為がどのような意味を持っていたか考え、このように解釈した。自分の象徴と実体としての自分の関係の探求、自分の象徴が実質的な作用を与えることができる可能性の示唆とそのことに感じる違和感の提示。
だが半年経った今、私が自分の作品に与える解釈は異なる。私は他者をモノ化しないようにしながら、自分が世界に対して能動的に関わっていく存在となることを欲していた。そして春学期の作品はその欲望の屈折した表現だったのだと思う。
しばしば人は他者に眼差しを向け、モノにしあう。例えばお前はこれこれこういうやつだと言い、言われる。カテゴリーでくくって多くの人に対してそのようなことを言うこともある。言った側は世界に能動的に作用していくものであり、言われた側は作用されるがままの石ころとなる。自分が世界に能動的に作用していくために、そして自分の輪郭を保つために、他者に眼差しを向け、モノにする。
身体を3Dオブジェクトにテクスチャとして貼り付けていく作業、これは自分自身をモノにしていくことと解釈できる。自分の目をテクスチャとして貼り付けた3Dオブジェクトを作り、それを他人が操作できるインターフェース付きの3Dプログラムとして他人に提供する。こうすることで、私は私の他者への眼差しを自らの手でモノ化し、他者の手中へ手渡したのである。こうすれば他者は私からの眼差しを向けられるか向けられないかを選択できるというレベルで自由である。
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