アートを身体に取り戻すために》ステートメント
10月23日 次の課題が発表された。前期に描いた100枚のドローイングの中から1枚選び、それを契機に作品を制作せよ、とのことだ。
10月24日 選択に時間はかからなかった。気に入っていた数枚以外は全部気に入っていない。
10月26日 とにかく描き始める。ドローイングでやったことを絵画でも試してみたい。
10月28日 ひたすらに色を置く作業。
10月29日 今描いてるものの他にあと3枚描きたいと思った。連作で徐々にイメージが崩壊していくもの。キャンバスがないので買いに行かなければ。
11月2日 背景に電車を描こうと思う。電車は抽象度を下げて描くつもりだ。
11月6日 電車のさらに背後は何を描いたらいいのだろう。こちらも完成していないがそろそろ一区切りつけて次に移らないと。
11月8日 F8のキャンバスを三枚買った。今日中には下書きを済ませたい。
11月9日 アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが当選した。
11月10日 ステートメントを提出しなければならない。何を描けばいいんだろう。
私はトランプの圧倒的勝利に圧倒的に凹んだ。
民主主義うんぬんとか、リベラルの敗北なんてどうでもいい。
いやどうでもよくはないんだが、そんなことより現実に起きたことの意味がマジでまったくわからない。しかしこれは現実だ。
アートは少なからず時代を反映するもので、問題や矛盾と共に歩み、暴力に抗いながら己の持つ暴力を見つめてきたはずである。
今日でも社会問題を扱ったアートは顕著であり、それは本当に社会の役に立つのか、アートには一体何ができるのか、お決まりの問答が繰り返されては回答のようなものを誰かが提出してくれる。
確かに今回の事をうけておセンチになってしまったりもした。この現実を目の前に、アートには何ができるのか?
しかし困ったことに、社会問題へ回答しようとするあまり、どうやら最近アートは暴力を回避する方向へ向かっているらしい。
こんな危険なことがあるんだろうか。
そんな訳で、トランプに凹まされた私はトランプのようなものを描いた。
これは今思いつく、一番バカで、品がなくて、短絡的な実践だ。
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