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日本現代美術の生存戦略――「超個体」的「戯れ」について 

N:さて、今回の鼎談のテーマは『日本現代美術の生存戦略――「超個体」的「戯れ」について』ということで、日本現代美術における生存戦略を「超個体」、「戯れ」といったキーワードを元にして考えてみたいです。そのためにはまずアーティストたちが生存戦略として形成する群れ、「アーティスト・コレクティブ」について話す必要がありそうですね。まず「アーティスト・コレクティブ」といっても、それは現代の日本に限られた現象ではないはずです。例えば「夜の会」(40年代)、「実験工房」(50年代)、「ハイレッド・センター」(60年代)、「スペース・プラン」(70年代)、「ダムタイプ」(80年代)、ヒロポンファクトリー(90年代)、「カオス*ラウンジ」(0年代)、「パープルーム」(10年代)と少なくとも日本では1940年代から2010年代まで連綿と続く「アーティスト・コレクティブ」の流れがある。仮に狩野派の集団制作なども「アーティスト・コレクティブ」とみなすならば室町〜江戸時代まで遡ることも可能だし、アンディ・ウォーホルの「ファクトリー」(60年代)などは日本以外の「アーティスト・コレクティブ」として有名なものです。

N: 「アーティスト・コレクティブ」が時間的にも空間的にも現代と日本に限定されない現象であることは、このような年表を参照すれば良く分かりますね。しかし問題はそこではなく、多様な生存戦略の移り変わりにある。さらに美術という分野にこだわらないのであれば、音楽では「バンド」、演劇では「劇団」という集団の単位で活動することは自然なはずです。その上で現代の日本美術において「アーティスト・コレクティブ」を取り上げる必然性を考えなければならない。そうするとまず現代と過去、日本と世界、美術と音楽/演劇のそれぞれについて、つまり時間と空間と分野における三つの軸の観点から「コレクティブ」の差異と類似を整理する必要があるんじゃないかな。

N: 現代と過去(時間)、日本と世界(空間)、美術と音楽/演劇(分野)という風に分かり易い対立軸を提示してもらったことはありがたいです。ただ一旦その流れをぶった切って言うと、「アーティスト・コレクティブ」は自然現象に近い部分があるようにみえます。それで言うならば「アーティスト・コレクティブ」に集まるアーティストたちは昆虫で、「コレクティブ」は巣。つまり「コレクティブ」の内部では高度な分業体制が敷かれていて、それぞれ違った「個」としての役割がありながらも、全体としては一つの目的に沿って「集団」化して活動している。これは「超個体」的とも言えるはず。もちろんこれは過去の「アーティスト・コレクティブ」にも言える特徴だけれど、「超個体」としての役割の多様化、生存戦略としての自覚化は現代の特徴と言えるんじゃないか。

N: それに追加して言うならば現代の特徴は「アーティスト・コレクティブ」同士が「戯れ」ているということ。例えばカオス*ラウンジ、パープルーム、渋家などの「アーティスト・コレクティブ」はある一定の距離感を保ちながらも、頻繁に交わり合っている。トークイベント、展覧会、学校など交わる場はその都度変化するものの、それらの交流はある種の親密圏を形成している。このように相手を決して潰さない範囲で殴り合い、「戯れ」ながら共に生存していく戦略を取っているという意味では、これら「アーティスト・コレクティブ」同士の対立軸はボクシングというよりはプロレスに近い。またこのような状況を別の言い方で言い換えるならば、「超個体」である「アーティスト・コレクティブ」同士がさらに大きな「超個体」として入れ子構造を形成し、それぞれが別の役割を担いながら、同一の目的である生存戦略を実行するために機能していると言うことができそうですね。

N: 日本と世界の対比で言うならば、東浩紀『観光客の哲学』では国家同士の類似性よりも国家を超えた都市同士、もしくは地方同士の方の類似性が高いという指摘がある。それを敷衍して考えるならば、日本と世界の「アーティスト・コレクティブ」と考えるよりは、その境界を取り払って都市の「アーティスト・コレクティブ」と地方の「アーティスト・コレクティブ」のように分類した方が分かりやすいのかもしれない。仮に「アーティスト・コレクティブ」が共同体についての社会実験なのだとすれば、そのような「アーティスト・コレクティブ」の生態系を探ることで国家の枠組みでは捉えられない共同体の形が見えてくる可能性があるね。

N: それでは「アーティスト・コレクティブ」と「バンド」についてはどうだろうか。「バンド」の場合はみんなで音楽を作ったり演奏するために集まるという理由があるから、大抵の場合は担当する楽器などによって役割が明確化していることが多いよね。一方で「アーティスト・コレクティブ」の場合は全員で一つの作品を作るために集まっているわけではない。もちろんそういうこともあるだろうし、展覧会単位で一緒に作ることはあるけれど、それは「バンド」のように同じ曲を作ったり、演奏したりすることよりは距離感が離れているように思えます。つまりどちらかと言えば「ソロ」の人々が集まっているような印象がある。また「バンド」の場合リーダーはヴォーカルやその他の楽器の人が兼ねることが多いけれど、「アーティスト・コレクティブ」の場合はキュレーターや批評家などの文章や喋りが得意な立ち位置の人物が兼ねる場合が多いように思えます。

N: 他にも「アーティスト・コレクティブ」と「劇団」を比較してみると、そこには宗教と身体に関連した視座が見えてきます。そもそも日本の戦後美術から現代美術に至るまでに最も欠けていた要素とは宗教と身体でしょう。例えば東京藝術大学には何故か「演劇」に関連する学部が存在しません。また平田オリザが「演劇」や「ダンス」を専門に学ぶことが可能な国立大学を設立するという話がありますが、むしろ今日に至るまでそのような機関が存在していなかったことに改めて驚きます。よってここで一つの仮説を立てると、「劇団」は集まることと身体を動かすことを同時に行う組織であるが故に、そこには宗教性が発生してしまう。オウム真理教の例を挙げれば、サティアンという閉鎖空間に集まり、ヨガの実践を通して身体を動かしてトランス状態に入ることで洗脳の基盤が整っていたと言えそうです。もちろんこれは宗教と身体を悪用した例ですが、これを反転して使用することができれば救いになる可能性もある。しかし戦後美術にはこのような要素が欠けていたが故に宗教性を担保できなかった。その欠けた要素を補うために「アーティスト・コレクティブ」は存在しているのかもしれませんね。

N: 今までの話をまとめると、現代の日本美術における「アーティスト・コレクティブ」は、「超個体」としての役割の多様化、生存戦略としての自覚化が特徴としてある。また日本と世界の対比と言うよりは、都市と都市、もしくは地方と地方の「アーティスト・コレクティブ」同士の方が恐らく類似性が高いだろうという予想が付きます。さらに「バンド」との比較では「アーティスト・コレクティブ」は役割が明確化しておらず、「ソロ」の寄せ集めの印象が強く、「劇団」との比較では「アーティスト・コレクティブ」における宗教と身体の欠如が明白になりました。

N: でも話の核心は、どうして「超個体」的に「戯れ」ることが日本現代美術の生存戦略として有利なのかということ。一つは表現方法の多様化と進化に対応するためと考えられそうです。現代ほど表現方法が多様かつ速度が早い進化を遂げている時代は過去になく、絵画や彫刻だけではなく、アニメーション、ゲーム、ミクストメディア、メディアアート、バイオアート、AIなど表現方法の多様化と進化はとどまることを知らない。その状態に対応し続けるためには「個」で動くより「集団」で動いた方が都合が良さそうです。またSNSによる宣伝効果がより重要性を増している現代では、多人数の方が目立ちやすいかつキャラが立ちやすいという即物的な理由もありそうですね。その上で群れるだけではなく、適度に「戯れ」ること。そのことによって自分たちのポジションを明確にしつつ、役割分担を再確認し、穴となる部分を埋めていく作業が行われていると解釈することができそうです。

N: ここで話をさらに分かりやすくするために、「アーティスト・コレクティブ」と関連してポケモンマスターとカードデッキの話をしても良いでしょうか?これは簡単に言えば、作家とはポケモンのことであり、キュレーターとはポケモンマスターのことであり、「コレクティブ」とはパーティのことだと考えると全て辻褄が合うということです。もしくはポケモンの例が分かりづらければ、トレーディングカードゲームで喩えても良いでしょう。トレーディングカードゲームにおける作家とはカードのことであり、キュレーターとはプレイヤーのことであり、「コレクティブ」とはデッキのことである。もちろんポケモンやカードの集め方にはそれぞれの「アーティスト・コレクティブ」によって一番特徴が強く出る箇所です。例えばポケモンでは能力値を決めるための要素として3値、つまり種族値、個体値、努力値といった隠し要素が存在しています。それらがなるべく高いポケモンを集める「コレクティブ」が存在する一方で、でんきやエスパーなどタイプと呼ばれる相性を重視しつつむしろ能力値が低いポケモンを集める「コレクティブ」が存在したり、伝説のポケモンを探し求める「コレクティブ」もある。またカードゲームで言えば、レア度や効果や属性を重視した選び方、もしくはATK、DEFなどの数値を重視した選び方もありそうです。このようにポケモンを集めたポケモンマスターがパーティを組み、もしくはカードを集めたプレイヤーがデッキを組んで戦う、それが現代における「アーティスト・コレクティブ」の基本的な在り方になっています。

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