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空気を実装した音楽

空気と実装

tofubeatsの音楽は三つの空気を実装している。これはどういうことか。まずその空気の種類について説明すると、一つ目は時代の空気、二つ目は他者の空気、三つ目は土地の空気ということになる。これらは後に具体的なMVと曲を通して紹介することになるので、ここでは詳細は述べない。そこで実装について説明すると、彼はこのような三つの空気を自分の音楽に取り込むことを戦略的に行っているということだ。思えばtofubeatsという芸名に深い意味はないはずだが、このような造語を使用することはインターネットの検索対策という戦略性がある。またtofu (豆腐) とbeats (打点、拍子) という柔と剛の対比は空気と実装に対応し、豆腐が拍子を刻むイメージはコミカルですらある。しかし本質的には意味がないからこそ深読みしたくなり、受容者が物語を自動的かつパラレルに生み出すという性質を彼は上手く活用している。

時代の空気

1. 懐かしく新しいもの

懐かしく新しいものがやってきた。これが「水星 feat.オノマトペ大臣」を聴いた第一印象だ。それもそのはずでこの曲は今田耕司の音楽プロジェクト、KOJI1200による「ブロウ・ヤ・マインド~アメリカ大好き」をサンプリング素材として使用している。前者が2012年、後者が1996年にリリースされたという10年以上の歳月を考えれば、懐かしく新しいものが完成するのも納得の流れである。しかしここまではこの曲を聴いた誰もが思うことであり、サンプリング元についても調べればすぐに分かることだ。

よってむしろここで考察するべきなのは、何故tofubeatsが懐かしく新しいものを完成させる必要があったかである。そしてその理由を端的に述べれば、時代の空気を実装するためだ。具体的には古い時代の音を取り込み、新しい音としてチューニングすることで、古い時代から新しい時代までを網羅した時代の空気を曲に封入することが可能になる。それによって人々の趣味や嗜好が多様化した現代においても、幅広い年齢層を含んだ人々の心の琴線に触れる音楽を奏でることができる。もちろんこのスタイルは中古CDを買い漁り、サンプリングを繰り返す彼の制作スタイルによって偶然生まれたものである可能性もある。しかしここには同時に時代の空気を封入するという彼の強かな生存戦略も感じられるのである。

2. imoutoidが存在しない世界線

2009年4月、世界はimoutoidが存在しない世界線へと分岐した。imoutoidという音楽家を一言で言い表すならば、早すぎた変態だろう。彼は現代美術で言う梅ラボ的なGUIの感性とキャラ、インターネット的なモチーフを、DAWやSuperColliderを駆使して体現することに成功した作家である。そして「朝が来るまで終わる事のないダンスを」はそんなimoutoidに捧げたレクイエムだ。しかしむしろここで注目したいのは、たとえそういった文脈を全く知らなかったとしても、このMVと曲は誰でもお洒落な音楽として消費できてしまうということ。ここにtofubeatsの特異性がある。

このMVには重苦しい映像は登場せず、曲には感傷的な歌詞も登場しなければ、曲調もダンスミュージックを基調としている。もちろん人のいない東京の街並みの空虚感、夜(死)と朝(生)を対比していると思われる歌詞、静寂と喧噪を繰り返す曲調に無理矢理彼の心情を読み取ることは可能である。しかしこの音楽にはそれぞれの視聴者がそれぞれの物語として読み込める余白があり、そこには彼の押しつけが存在しない。つまりimoutoidの死という極めて重いテーマを扱いながら、それを意図的に感じさせることなく、音楽の中に見事に空気として溶け込ませている。この彼の制作態度にこそ、imoutoidの死後も音楽とダンスを終わらせることはないという彼の決意表明が見て取れるが、その物語をダウンロードするかどうかは完全に視聴者に一任されているのである。

他者の空気

3. 個性の消去

「おしえて検索 feat.の子」では、インターネットを駆使して成功したバンドである神聖かまってちゃん、その中心メンバーであるの子とのコラボレーションを行っている。この2人にはインターネットと東西ニュータウン出身という共通項があるが、むしろこの曲で特筆すべきはの子のヴォーカルの癖の無さである。の子のヴォーカルは良くも悪くも個性的なので聴く人を選ぶ。そこでtofubeatsはその癖をオートチューンを使用することで、完全に消し去っている。これは他者の個性を消し去っていると言えるが、その結果として誰にでも聴きやすいように間口を広げているとも言える。通常ならばコラボレーション相手の個性を強める、もしくは自分が主張することで目立とうとするのだが、tofubeatsは個性を消去することによって逆説的に曲の普及率を上げ、誰でも溶け込みやすい空気を醸成しているのだ。

またこの曲は2013年11月に発表されたが、歌詞は当時の空気をそのまま出力したかのような内容になっている。彼はインターネットの特に検索に焦点を当て、それ無しには生活が成り立たない様子をストレートに書き綴る。歌詞ではそんな生活に多少の疑問も呈すものの、基本的には自分の意見というよりは時代の空気を反映した内容だ。インターネットの検索といえば2014年に発表された東浩紀『弱いつながり: 検索ワードを探す旅』で批判的に検討されている対象でもある。本書の内容を要約すると検索ワードは各個人の発想の範囲内でしか入力できない上に、検索は各個人に最適化されるので、検索はむしろ個人の多様性を制限する。よって身体を動かし、旅に出ることによって新しい検索ワードを手に入れることでしかその状況を逃れる方法はないという内容だ。つまり「弱いつながり」においては「おしえて検索」という態度は否定されるわけだが、tofubeatsはむしろ「おしえて検索」という期待、不安などを素直に表現すること、個性を消去することによって他者の空気を反映するのだ。

4. 懐かしく有名なもの 

懐かしく有名なものの引用。これもtofubeatsがコラボレーションする際に取り入れている戦略の一つである。その理由としては先述した時代の空気、1. 懐かしく新しいものと重なるものがある。これはどういうことかと言えば、懐かしく有名なものを引用することにより、それまでより間口を広げ、視聴者層を拡大する効果が期待できるということ。しかもこの場合、当時有名だったものは多かれ少なかれ何かしら人々が惹かれるものがあったことが既に証明されている。その懐かしい記憶を入れ子構造のように新しい曲の中に埋め込み、引用することで彼は曲をブーストすることに成功する。

「Don’t Stop The Music feat.森高千里」はその懐かしく有名なものを引用した代表的な作品だ。ここで召喚される他者である森高千里は1980〜90年代に黄金期を迎えた歌手であり、曲調的にも当時の空気が意図的に反映されている。またMVに関しては現在の森高千里は一切登場せず、少女が代わりに歌を歌う映像になっている。記憶の中の森高千里の時は止まっているが、そんな彼女が「Don’t Stop The Music」と歌い続ける光景、DJ、ダンスフロアに記憶が混濁していく。当時の記憶はtofubeatsによってチューニングされ、新しい時代に引き継がれていく。tofubeatsはそのようにして他者の空気を自分の曲に取り込んでみせる。

土地の空気

5. ニュータウンとショッピングモール

tofubeatsには無機質な土着性がある。その原因は彼の出自にあり、その象徴的なものがニュータウンとショッピングモールである。彼の実家は神戸の西神ニュータウンにある。そもそも街とは多かれ少なかれ人工的なものだが、ニュータウンはボトムアップで自然発生したというよりは、トップダウンで計画的に建設されたという意味で普通の街よりもう一段階深層の人工性がある。またショッピングモールは代替可能なもので溢れかえっている。チェーン店は全国各地の店舗と同質性を保ち、テナントとして入居する店舗も入れ替え可能である。これらのニュータウンとショッピングモールの特徴を一言で表現すれば無機質ということになるだろうが、そこに故郷という哀愁を代入すると土着性が発生する。つまり『となりのトトロ』の森と同じような風景をニュータウンとショッピングモールの風景に変換し、生活に代入した時に生まれたのがtofubeatsである。

「SHOPPINGMALL」はそんなtofubeatsの無機質な土着性、つまり土地の空気を反映した曲である。もちろんこの曲を最近の音楽シーンや消費社会に対する批評的なメタファーとして捉えることも可能だが、この曲はむしろベタに彼の出自を示していると捉えて良いだろう。反復される気怠いリズム、独り言なのか誰かに語りかけているのか不透明な歌詞、自室で踊る姿を撮影するMV。誰とも繋がっていないようで、全てと繋がっているような感覚。ニュータウンとショッピングモールという完結した閉鎖空間は、インターネットによりゼロ距離でどこかの誰かと繋がる。この曲は彼の故郷である物理的な土地(ニュータウン/ショッピングモール)と情報的な土地(インターネット)を接続した上で、揺れ動く心象風景として描かれている。

6. 地方と都会とインターネット

tofubeatsにとって神戸(地方)と東京(都会)という二項対立を崩したのはインターネットであったことは間違いがない。住居は神戸で仕事は東京というライフスタイルが可能であるのは、そこを接続するインターネットというインフラが成立しているからだ。このようなライフスタイルはその二項対立において地方を尊重し、都会を卑下するイケダハヤトのようなライフスタイル、もしくは移住を繰り返し、定住をしないノマドのようなライフスタイルとも異なっている。むしろそれは静岡を拠点として活動するはじめしゃちょーや、愛知を拠点として活動する東海オンエアなどのYouTuberたちに近いライフスタイルだ。そしてこのような地方と都会とインターネットという3項に対し、バランス感覚を保ちながら活動を続けることは彼の制作にも深い影響を及ぼしている。

「U30 CITY KOBE FILM#5 トラックメイカー/DJ tofubeats」は通常のMVとは異なる。「U30 CITY KOBE」とは神戸を拠点として活動する若者に焦点を当てたドキュメンタリーフィルムである。そしてこのテーマソングとして彼が制作した曲が「U30 CITY KOBE」であり、その曲は映像中にインタビューと重ねたBGMとして流れている。彼はそのインタビュー中にニュータウンの人々の均質性、神戸への地元愛、東京に上京して活動する常識への抵抗を語っているが、そこには彼なりの土地の空気に対する解釈が含まれており、その絶妙なバランス感覚には驚かされる。これらを例えば他の曲を通して解釈すれば「神戸で逢えたら」はそんな地元への愛着が自然と溢れ出した曲と言えるし、逆に「Run」は走り続けることで今の環境から逃れていくという相反する願望が描写された曲と言える。このように彼の思想や曲には土地の空気が実装されており、そこには彼の複数の顔と揺れ動くバランス感覚が立ち現れている。

トラックメイカーの拡張

tofubeatsはミキサーのフェーダーでバランスを調整するように、時代、他者、土地という三つの空気を調整し、最適なバランスで音楽として実装、出力し続ける。ここでは空気は加工されることを前提としており、時代はサンプリングされ、他者はオートチューンにかけられ、土地はパンニングされる。そもそもトラックメイカーと作曲家の違いは前者はトラックを加工し続けることを楽しみ、後者は一つの完成形を創り上げることにある。しかしtofubeatsは従来のトラックメイカーの概念をさらに拡張しており、時代、他者、土地というより抽象的かつ広い意味でのトラック制作と加工を続けている。彼は世界が自分の中だけで完結するという神話を夢見ない。終わることの無いダンスは次の音を誘発し、音は次のダンスを誘発する。彼はただ、その空気の振動と共に存在し続ける。

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