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個から自然発生する連帯社会

「さようなら、ギャングたち」はコイツただただふざけているのか?と読まれることが多い。それは佐々木基一が「いま少し自分というもの、あるいは自分の発想とイメージを客観化してほしい」からも明らかだ。ふざけているように見えるということは社会の規範から外れて自分勝手につまりは主観で動いてしまっている人物に対して思うことだ。

これはつまり「押し付け」である。社会の規範から逸れるなという「押し付け」なのだ。この「押し付け」の社会、なんか嫌じゃね?と高橋源一郎は言っているのだ。

ではどうすればいいのか。その案として「恋する原発」の中での登場人物のやりとりにこう書いている

文字を覚えるとどうなるかというと、他人の意見を暗記するようになるの。それだけよ。

文字を覚える前には自分の意見があったのに、文字を覚えた後は、意見がなくなってしまうのよ!

つまり文字が「押し付け」に繋がるのだ。文字が人の考え方を固定してしまうということだ。しかし文字を習わないことは不可能だ。この高度化した社会で生きていけなくなるからだ。だが他の社会には文字を持たない文化が存在することも確かだ。

例えば縄文時代は文字がなかったと言われている。しかしそれにも問題がある。文字がない社会はしばしば暴力的な社会になりやすい。そこには明確に歴史的な規範がないので人間の根源的なものが露出する。

ではどうすればいいのか。それは「名前を捨てる」ことだと高橋源一郎は言う。

昔々、人々はみんな名前をもっていた。そしてその名前は親によってつけられたものだと言われている。

中略

それから人々は自分で自分の名前をつけるようになった。その頃のことならわたしも少しはおぼえている。

既存のものは捨てされと高橋源一郎は言っているのだ。そしてその結果生まれてみた文章は繰り返しを多用するといったものだ。

ロンドンで、パリで、東京で、レニングラードで、メリーランド州クック岬で、ギャングどもは破壊し、強奪し、姦しつづけています。

わたしたちは、かれらギャングどもを、すみやかに、ねこそぎ、完全に、一人残らず、この地上から一掃するでしょう。

やわらかくて指で押すとどこまでも沈んでゆくおなかを、わたしはゆっくり、ゆっくり、ゆっくりとさすった。

なぜここまで繰り返さなければならないのだろうか。それは頭の中では様々なことが繰り返し言霊のように響くからだ。しかしこれはあまりに書きたいことを頭で思ったことをそのまま書いているだけと思う読者もいるだろう。だが高橋源一郎はそうじゃないこれでいいのだと言っている。

この執拗に何かを繰り返すという手法。何度も何度も繰り返されると、そのルールを受け入れてしまっている自分がいないだろうか。いつの間にか頭を使わずとも入ってきている状態に「なってしまって」いる。最初、読者は無駄が多い、無意味だ、と思うことが中盤からはスラスラと「読めてしまっている」。現前することが当たり前の脳に作り変えさせられてしまう。

つまりこれは無意味に思えることでもその世界に存在してしまっていることを読者に現前させること自体に意味があるのだ。これはつまり普段の社会生活で消化しやすい編集されたものを与えられてる読者の価値観を破壊できるのではないか。意味不明な分かりにくいものでも繰り返されると身体が慣れる。そしてそこから生まれるアクティビティを感じとることができる。

つまり繰り返しで自由だということをこの小説は叫んでいる。そしてこれは限りなく「洗脳」に近い。自分の規範にないものを導入されるのだ。

しかし「洗脳」とは違うのだ。それはこの文章は作者がただ叫んでいるということにある。その叫びは「洗脳」してやろうとして叫んでいるわけではない。この文章は頭ではなくただただ身体から発生する表現を発生させているに過ぎないのだ。

つまり読者側は感化されるに過ぎない。そして著者もそれでいいと思っている。なぜなら名前は自分でつけなくてはならないからだ。

しかしそこで「叫び」を読者が手に入れたとしてみんながみんな「叫んで」いたらこの社会は成り立たないのではないかと思われるかもしれない。それは既存の社会ならなり行かないかもしれない。しかしこの「叫び」を手に入れた人間なら大丈夫なのだ。

どういうことか。それは個人が頭を考えずにそのまま行動をとる、それを集団がやっているということになると、否が応でも人は人に影響され影響を与えるからだ。

演技の形態にインプロ(即興演劇)というものがある。優れたインプロバイザーは頭ではなく身体で反応する。共演者も観客のことも身体でどこか察知したうえで物語を壊さず補助していくような行動をとるのだ。

つまり頭で考えない身体で考える主観の態度というのが今後の世界を形作るうえで必要な態度なのかもしれない。それは社会が生み出していく様々な物事に対して自分自身が何気なく感じることを恐れずに出していく、出していっていい、そんな態度で人々がいることで勝手に社会が「成り立ってしまっている」ような状態、そんな世界がいつか生まれるのではないか。

文字数:2075

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