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平成の自殺者慰霊のためのアニミズム

1. 序文

あらゆるものごとに出口がないように思えて、もはや言葉によって文を作るという行為を行えない気がするとき、創作対話という方法は再度出発するきっかけになるだろうか。独り言なのか誰かに伝えている言葉なのか、それがどちらでもよい言葉の場所が生まれたのがTwitterであり、筆者にとってSNSのはじまりだった。それは携帯電話の無線イヤフォンマイクによって街中で話す人が、突然独り言を言い出したり話しかけてきたように見えるようになったのと同じ頃だった。言葉が交わされている空間は、キーワードと連想が主流の場所になった。新しい体験だったけど、それだけでよかったのだろうか。新書や対談本が増えて、簡単に読了できるという満足感に読書という体験も溺れていった結果、熟議という行為が難しくなった。その原因には出版不況と、それ以前のこの国の不況がある。

この国を出ればいいという話なのか、不況がすべて悪いから、経済を良くする方法があって実際に良くなれば、すべて解決なのか。それもまた自分が良ければ全て良いという考えで、様々な距離の他者や、これからあらわれるかもしれない他者すらないがしろにしてしまう態度だろう。そんな他者が本当にいるのか、また、いたとして何ができるのか、という言葉が聞こえる。しかし後から気が付いたそうした他者は、幽霊になると言っていい。筆者は幽霊に憑かれている者なのだ。その幽霊から現在受けとれているメッセージは、「日本社会における自殺のことを考えよ」、「日本社会における性愛を考えよ」、「日本の企業労働における性差別と年齢差別を批判せよ」ということだ。

私の幽霊が怨霊にならないために慰霊をしたいと思ったとき、私がおこなったのは美術作品を見ることだった。そして、美術や漫画・アニメーションの視覚表現を通して再考したいのが、この国のアニミズムである。しかし単純に自然回帰を目指すことではありえない。なぜなら、グローバル化した世界の資本の動きの中で自らの現在の生がその恩恵にあずかった側にいるという想像力が欠如してしまうと、それは経済原理主義と変わらないためだ。さらに自然というものは現在のこの国の私たちの生活の中でレクリエーション化された希少資源であり、それを受け取ることができるのもまた、流動資産の多い者であるから。生活基盤としての狩猟採集を農耕と対比させて単に郷愁する態度も、同じ理由で不足だろう。不安定な身近な人の生命を守ろうとするところから効率化のシステムとして文明が育まれてきたのだろうから。

2. 創作対話について

理学者の郡司ペギオ幸夫が初めて新書という形で発表したのが2006年の『生きていることの科学』だった。郡司の言説は、日本の複雑系科学のプレイヤーとしても特殊な位置を占めていた。新書ブームと言われた時期に出版されたこの本は、YとPという人物の対話の形式で書かれており、著者の創作対話である。著者の名前から読者は、Y=幸夫で、P=ペギオだと連想する。ペギオというミドルネームの由来について、脳科学者の茂木健一郎がTwitterで説明していたことがある。

“郡司ペギオ幸夫伝説(1)子どもが生まれた時、何もしないんだから名前くらい考えろと言われ、「ペンギン」と言ったら却下され、仕方がないから自分につけた。” https://twitter.com/kenichiromogi/status/19557335191

名づけられなかった子供の名前をみずからに宿らせた著者が、その名前との対話によって生命論を語る。それはどうしようもない遊びのようでありながら同時に、生まれなかった子供との対話を求める点で水子供養の切実さを思わせる。

自らの職業をスタディストと名乗る岸野雄一によるユニットのひとつ「ヒゲの未亡人」にて、岸野はゾラという女性を演じ、背景の映像を舞台として歌う。パフォーマンスの中でゾラは、自分と結婚することにした、と述べる。それは愛のためだという。そこで言う愛は自己愛だけを指すのではないだろう。濃い口ヒゲを残したまま美しい未亡人となる岸野のパフォーマンスは、憑依によって演じることを通してイタコの口寄せを思わせる。

上記の二人を参考にして、私の創作対話は行われる。

3. 対話
M: クライシスだ。頭の中のことだよ。
T: 何クライシス?ハザードじゃなく?バイオハザードとかの。
M: モラルハザードとかな。ハザードランプが点灯してても誰も気付きゃしない。頭の中だから。
T: それでもってあれだ、かまをほられる。車に関わる用語だと突然汚い言葉が簡単に飛び出すのって謎よね。
M: そう追突されてもすり抜ける。
T: すり抜けるんだ?
M: 半透明なの。
T: なんで?
M: それはもうあれだ、ツルッツルなの。
T: それは透明の表現だっけ?
M: 滑ってるの。
T: あ、すり抜けるんじゃなくて滑ってる。
M: 今までのところ全部うわすべってるよ。・・・ラブクライシス、うん、これは良い造語かもしれないぞ。ラブクライシスです。
T: 5w1hで説明しろ。あと残念、ラブクライシスは『けいおん!』のバンド名にあるらしいぞ。Googleに出てくるものはちゃんと検索してからものを言え。 Googleに出てこないときにやっと、おめでとう、造語だ。
M: そうね、どれから。誰、これは分かりやすい、これ俺。自己相対化ができない自己組織化によるこの私。
T: 自己相対化ってなんだよ。
M: 幽体離脱のことだとこの前聞いたよ。自分の行為を自分で外から眺めること。
T: できないの?
M: できないんだよなぁ、で部屋の中めちゃくちゃ。
T: 外から、いつの自分を眺めるの?
M: そうだなぁ、少し先って感じなんじゃないかな。そういうのが上手い人は、タイミング良く会話ができるよね、言いたいタイミングに無理なく言いたいことを言えているというか。プロセス上手。 俺無理なの。なんだかみんな話したそうなこと沢山あるからさ。まあとりあえず聞こうよと。
T: あれだ、茶道がね。そうだったね。
M: そうそう、少し先の動作で必要になることの準備が今の動作で。成果物は特にプロセスに関係ない「お茶」、そして片付けて、いなくなること。
T: あら人生論的。
M: 楽器演奏だと、もう少し細かい時間の中でやるからね、常にフィードバックが効いてる。
T: でもちゃんと上手い人は違うかもしれないね?
M: 常に今の人と、プロセス的に少し先の人、いるかもしれないね。常に今というのはなんだかエモーショナル過ぎる。感受性、感動、感じやすい部分だけで生きようとしてしまって、長続きしなさそう。感動と言えば、この前ひとりの女性と長澤芦雪「白象黒牛図屏風」の話をする機会があった。LINEで。彼女は迫力があって感動したとテキストした。でも俺は何かを言うことをためらって、やめてしまったんだ。
T: 感動。何が悪い?お前も思ったこと言え。そういえば「愛してるか?」って聞いてもろくな返事をしたことがなかったよお前は。
M: でた。日本の小学校の作文教育だよ。俺の体験と、記憶があることと、普段聞いたり描いたりしてることと、『思ったこと』という言葉の関係が分からなくて、鉛筆が止まって授業で泣いた話したの憶えてないかな?隣の席の女の子が先生に、「思ったこと、思ったこと、って言いながら突然泣き出した」って説明してるの聞いて恥ずかしくて更に涙が止まらなかったのをさ。だからレポートと外国語辺りから少し楽になり、大学の学部は理系の方を選んだんだよって。
T: 理系理系言うんだったら図形で説明してみなさいよ!まわりの子みんなやってるでしょ!
M: そのさ、統計に基づいているか誰も知らないN数不明の言い方は、この国で色々な人を駄目にしてしまったのではなかったかな?これからは個性の時代、になったのではなかったのかな?まあ図形はあとで試してみるけど。
T: とにかくそういうの持ち出してくるのが楽な方に逃げてるってことだろ。
M: 確かにサンライズの熱血アニメが流れていた時期に幼少期を過ごしたから、楽な道でいけるつもりになってた自分と引き裂かれているかもしれないね。『ゲンジ通信あげだま』、『熱血最強ゴウザウラー』、『覇王大系リューナイト』、などだね。しかし同時に「ドラゴンクエスト4コママンガ劇場」の作家による、シュールな表現も見てきて、それに救われた面があるよ。例えば衛藤ヒロユキの「ふんどし」が、現在のおかしな相互監視状況から脱出するキーワードだとは言えないかな。

「ドラゴンクエスト4コママンガ劇場」はゲーム「ドラゴンクエスト」の二次創作ギャグマンガで、当時特に地方の子供が最初に触れるメディアミックス作品のひとつだった。SDガンダムと同じように。1990年に発売された第1巻で衛藤ヒロユキの『落ち着け!』という4コマに登場したのが、「ふんどし」だ。
モンスターの突進を踊り子の女性キャラクターであるマーニャがジャンプして避ける。その際のマーニャの股間を目撃した男性キャラクターたちは3コマ目で顔を赤らめ放心してしまう。男性キャラクターの勇者は危機的状況に焦りの表情を浮かべ、味方の男性キャラクター達を叱咤しながら責任感を全うしようとする。自分が呪文をかけると言って4コマ目に放つのが「ふんどし」という言葉で、ドラゴンクエストの世界観に存在せず、似つかわしくもない大根を勢いよく振り上げる。その表情はそれまでのコマのデフォルメされたものと異なっていて、劇画風で真剣である。
最初に重要なのは、勇者が振り上げているのが西洋風なファンタジーの世界よりも私たちの日常の「食」に近い大根という野菜であるという点だ。そしてこの大根の細部は、シワが寄っていたり毛が生えていたりする。同じ4コママンガ劇場には柴田亜美も作品を載せており、柴田の描く勇者もまた「日の丸の扇子」という世界観を崩す道具をしばしば持っている。しかし柴田の扇子はほとんど質感が無く、デフォルメされている。柴田亜美の作品にも「すね毛」や「粘液」のようなものは登場するが、描かれる質感としてはポップなものだった。
次に最終コマの勇者の顔に注目する。劇画風のリアリズム調へ、ギャグ風から変化した、という対比がオチになっているだけではない。ここで顔の中の縦線が、ショックで青ざめたことを示す漫符に見えるようになっている。通常青ざめた漫符は額に書かれることが多いが、額部分の影は斜線で書かれている。にもかかわらず、前髪が縦に流れていることから、青ざめた漫符という記号を鑑賞者は受け取ることになる。
この大根と青ざめた表情が、平成を経過した現在の我々のアニミズム回帰を予言しているのだ。
どういうことだろうか。まず3コマ目の男たちは、日本の昭和の男たちの象徴だと読み解ける。経済がうまく運んだ結果、欲望をすべて肯定し、赤面して放心している多数のキャラクターと、その中で危機感を募らせる責任感を持った勇者。赤面モブたちはおそらく、その後の日本の企業労働環境で無自覚に人を傷つけていっただろう。日本の古い製造業の会社などで働いていればわかることだ。ここから4コマ目に行く途中の、描かれていない3.5コマ目こそが平成だ。責任感を持った勇者はどうなったか。彼は世界観に合致した剣を振り上げて、真面目な表情で、強力な呪文を唱えることとなった。それは例えばノストラダムスの大予言に代表される終末思想であり、オウム真理教の事件が起こそうとしてしまったカタルシスである。その呪文はモンスターに効いたか。いや、おそらく強力な反射魔法によって跳ね返されてしまっただろう。パーティーは全滅しました・・・。
平成の終わりの私たちは過去この戦闘で全滅していて、再度この場面に居合わせている。その際に振り上げることができるのは、シワや毛の細部を保った植物であり、作ることができる表情は、やつれて青ざめたものになるしかない。最後に勇者にツッコミを入れる老魔法使いは、平成の終わりに重ねれば西部邁や梅原猛なのかもしれない。
ありがとう、徐々に独り言の量を増やすことができるようになってきた。
長澤芦雪の『白象黒牛図屏風』で頭に浮かんだのは、男女がモチーフだということだったんだ。象の女性性。包まれたくなる、白く柔らかい膨らみ。しっとりした窪み。ささやかな繁み。でもカラスもいる。黒く鋭いくちばし。目線の先の知れなさ。誰かを傷つけていても、気づきはしない。牛の男性性。紐で固くコントロールされている、むしろコントロールされることに安心する。目は四角く愚直、家畜動物によく見るあれだ。でも子犬がいる。もふもふが、牛の毛むくじゃらのごつごつの足の向こうで抱きしめられたがっている。それぞれの大動物と小動物、どちらがどちらを飼っているんだろう。身体に仕方なくあらわれる姿と、その内実の表象化。しかしその内実は身体の反動として生まれたのかもしれない。ホットとクールの話。お茶の時間感覚で先に生きるのはクールっぽい。今しかないとエモくてズルズルダラダラ。スーダラがいい。最初急いだ分あとのダラに余裕がある。
T: 語感とかリズムとかそういうのは、パフォーマンスや音楽で表現してくれないか。やっぱ意味分かんないよ。1997年のエヴァンゲリオン劇場版で、 ATフィールドの意味が「分かってしまった」アスカが、新しい量産型に食べ尽くされてしまったのは憶えてる?
M: もちろん憶えてる。だからこそ君はいつもキモいキモい言っていて、でも手をつなぎ続けていたんじゃないのか?
T: ストップ。世代論ダメ。ゼッタイ。内輪コミュニケーションは快楽だけど、外部性を失ってしまうでしょ。その快楽の欲望があったとしても、それを外部に届く文章に変換するのが批評だろうが。じゃないと一瞬で飲み屋でぐだまくおっさんだ。もしくはブログでやるかチラシの裏に書いとけって話だ。あとリビドーが視覚表現の消費を駆動するなんて話、古典的すぎるからね。
M: それだってもちろん。BSアニメ夜話2008年の『天元突破グレンラガン』の回で、岡田斗司夫が言っていたものね。GAINAXはリビドーを視覚的に上手く使って作品を生み出していく、っていう内容だったと思う。スタジオジブリの宮崎駿作品に関しても同様のことを言っているよね。そこで気になるのは、宮崎駿作品に自殺する人物が浮かばないということなんだ。死は沢山描かれていると思うよ。自己犠牲による死も多い。国民的と言われるアニメーションが、アニミズム世界を描写してる。そこに自殺は描かれない。これは一体何なんだろう?もちろん生活基盤としてアニミズムを持っていた人たちは、生きることに精一杯で余裕が無かっただろう。ジブリのキャラクターたちも本当にいつも一生懸命だ。それが熱血の問題とも繋がるんだけど、いつのまにかその一生懸命さの対象がすり替わってしまっているように見えるんだ。

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